[小野梓生誕一五〇周年事業記録集]平成15年(2003) ②
■小野梓墓所の改修について
本学では、本記念事業の一環として、
経年により傷みの目立った東京谷中の
小野梓墓所の改修を行った。
その際に、墓所に次のような墓碑を建立した。
小野梓先生墓碑
小野梓先生は一八五二年(嘉永五)に
土佐藩(高知県)の宿毛に生まれました。
明治初年に三年間米・英国に留学し、
一八七六年から司法省に入り、
やがて参議兼大蔵卿であった大隈重信のブレインとなり、
法律の整備と会計検査の基礎づくりに貢献しました。
しかし、一八八一年に国家構想をめぐる
「明治十四年の政変」で大隈に従い政府を去りました。
一八八二年四月に大隈らと立憲改進党を結成して
立憲主義の政党政治を目指し、
民間随一の体系的憲法草案である
『国憲汎論』を発表して民主主義の国家建設を構想しました。
そして、同年一〇月に大隈に協力して
「学問の独立」を理念とする東京専門学校
(一九〇二年に早稲田大学と改称)の創設の中心となって
早稲田大学の基礎を築きました。
また、翌年には東洋館書店を開業して良書普及に努めました。
このように、小野梓先生は高い志と深い学識に基づき
多方面から日本の近代化を希求した明治前期を代表する
思想家であるとともに、
早稲田大学設立の最大の功労者です。
この墓所には、一八八六年(明治一九)一月に
三十三歳で死去された先生と
幼くして亡くなったお子様が眠っています。
小野梓先生の生誕一五〇周年を記念して
二〇〇二年三月 早稲田大学
[小野梓生誕一五〇周年事業記録集]
早稲田大学編
2003年2月20日発行
編 集:小野梓生誕150周年記念事業企画委員会
発 行:早稲田大学
撮影・協力:齋藤 博 荒斎 良
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