【醫海時報 (677)】明治40年(1907-06-08)
出版者   醫海時報社
出版年月日 1907-06-08
p1【醫海時報 (677)】明治40年(1907-06-08)
〔画像〕p1【醫海時報 (677)】明治40年(1907-06-08)
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  ◎韓國醫事近况
  《佐藤博士談片》
 韓國の醫事主權者とも見るべき
 佐藤博士は去一日を以て
 歸京せられたれば、
 記者は直ちに妙義阪上の邸に往訪せしに、
 博士は快く面會せられ、
 同國の醫事衞生に關する近况に就き
 左の如く語られたり。
▲今回は京城に滯在する事約一ケ月なりしが、
  -略-
▲大韓病院の工事は遺憾なく進捗しつゝあり、
  -略-
▲建築の一目を眩するものあるも、
  -略-
▲右の内にて衛生家は
實に韓國衛生一般施政に任ずる事なれば、
  -略-

▲右の外に若手の醫員を置くは勿論なるが、
其内には彼の朝鮮人にして
我慈惠院醫學校を卒業し、
同院の醫員を久しく勤め、
内務省の試驗にも及第したる
安商浩氏は義和宮に扈從して歸國し、
高木男爵よりも談しのありし事とて、
余も朝鮮人の患者を診療せしむるには
持つて來いの人物なりと思ひ、
其俸給豫算迄編成し採用に決したるに、
同人は義和宮が非常に信用せられ、
日夕傍らを離されぬ始末にて、
同人は頗る困難し居る趣なりしかば
伊藤統監にも談じ、
義和宮に交渉を遂げて
是非採用する積りなり、
朝鮮に醫育を盛んならしめんには、
同人の如き者を重用すれば、
自然模範となりて、
奬學の爲め利益多しと信じ居れり。

▲統監府の設置されて僅かに一年、
朝鮮の事情が急速の變化をなしたるは
右の義和宮と安氏の事情にても
知らるゝ事なるが、
醫事衛生上の思想の如き亦
大に變化したるを認む、
即ち一例を示せば、
從前は政府の經營せし醫學校ありしも、
一人の入學志望者なく、
食費は勿論被服迄給與するも尚入學者なく、
止むなく種々説諭して無理矢理に
入學させ居たりしに、
本年入學志望者を募集せしに、
應募者實に六百餘名の多きに達せり、
入學試驗の結果、
官費生二十名、
私費生二十五名に入學を許可し、
他は經費其他の都合にて之を拒絶せり、
盖し朝鮮あつて以來の珍らしき現象といふべく、
之を見るも如何に彼等の思想が
急劇の變化をなせしかを知るに足る。
▲入學規程には
日語學校卒業者たる事を明規し居れども、
如何にせん日語學校卒業者は、
昨今賣行頗る宜しく、
彼方も此方も奪合ふ有樣にて、
從つて相當の俸給を得らるゝより、
進んで他の專門學校を収めんとするもの少なく、
不得止(やむをえず)
今回は日語學校を卒業せざるものにも
入學を許可したり、
されば敎授は極めて困難にて、
本邦人敎授の講義は、
飜譯者を通じて生徒に傳へざる可からず、
如斯にしては到底良果を収め難ければ、
將來は成可く
日語學校卒業者に限る方針なるは勿論なり。
p4-1【醫海時報 (677)】明治40年(1907-06-08)
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▲同仁會の事業は韓國に於ては大に見る可きものあり、
  -略-
▲同仁會が推選して鐵道沿路各停車場へ配置せし
醫師の成績は頗る好良にして、
鐵道員を診療する傍ら
一般朝鮮人の診察に任じ、
且地方一般衛生上の指導を勉めつゝあり、
  -略-
▲十三道の監察使に衛生顧問として
一名宛の本邦醫師を聘せしむる事は、
  -略-
p4-2【醫海時報 (677)】明治40年(1907-06-08)
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【醫海時報 (687)】明治40年(1907-08-17)
出版者   醫海時報社
出版年月日 1907-08-17
▲安商浩氏(韓國人 醫師)
韓國 義和宮殿下の侍醫として來朝せり
p7【醫海時報 (687)】明治40年(1907-08-17)
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