【成医会雑誌 39(1/2)】大正9年(1920-07)
出版者   東京慈恵会医科大学
出版年月日 1920-07
p1【成医会雑誌 39(12)】大正9年(1920-07)
〔画像〕p1【成医会雑誌 39(1/2)】大正9年(1920-07)
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故成醫會長醫學博士男爵高木兼寬先生遺影
p3【成医会雑誌 39(12)】大正9年(1920-07)
〔画像〕p3【成医会雑誌 39(1/2)】大正9年(1920-07)
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 花 岡 三
閣下并に先輩同僚諸君、
本夕私は故高木男爵閣下の追悼會を開催せらるゝに方り
此席に立ちまして感慨の念が殊に深いのであります、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1785585/1/18

又話は別でありますが
是も後進指導に御熱心の好例としては
私共と同時代に韓國人で安商浩君が居りました、
同君は御承知の方もありますが
韓國留學生として渡來してより
種々の艱難辛苦の末
日本人としても耻しからぬ丈けの
學力を得て居りましたが、
先生の殊遇を受けた事は
私共の同僚の比ではなかつたのであります、

先生が何故に同君を斯く熱心に
誘導せられたかと想像致しまするに
韓國當時獨立して居つたから
同君が韓國へ歸つて衛生に醫育に
其他の事に就て恰も先生が
英國に於て修業せられ、
日本の醫學乃至文明開發に努力せられたる如く
同君を敎導し先生の大精神を遠く
韓半島に扶殖せられんとする
御信念もございましたろふし

又尚進んでは御自身の御理想を韓國の邊土に迄も
普及せしめられんとする御希望もあつたと
推察せらるゝのでありますが、

安商浩君は進んで慈惠醫院の當直醫長と迄なりました、
確か同君迄は歷代の醫長は海軍軍醫の方々で
學校出身者で當直醫より累進して
醫長となつたのは
先づ 安商浩を以て嚆矢として宜しいと思ふ、
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〔画像〕p20【成医会雑誌 39(1/2)】大正9年(1920-07)
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 東京慈惠會醫院醫學專門學校
 昇格後援會寄附者芳名
https://dl.ndl.go.jp/pid/1785585/1/68

金千圓 安商浩
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大正九年七月十八日發行
編輯兼發行人 市川  浩
印刷人    川出壽三郎
發行所    成醫會
       東京市芝區愛宕町二丁目十四番地
       私立東京慈惠會醫院醫學專門學校構内
印刷所    報文社
       東京市麴町區有樂町二丁目一番地
賣捌所    丸善株式會社書店
https://dl.ndl.go.jp/pid/1785585/1/80
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