【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者 鶚出版
出版年月日 1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/1
宮様商賣一ヵ年を探る
かれらは何をしているか?
(第二幕)ポンせんべい機販賣の段
多岐なる事業名について
すぐ思いうかべられるのは東久邇稔彦。
本誌十五號でもふれてあるが
(「大將は何處へ行つたか」)、
一時ニユース陣にもてはやされた彼の事業は、
新宿西口マーケツトの乾物店と
美術コツトウ店(東家東久邇商行)と
ポンせんべい機の販賣だが、
いくら人民になつたといつても
あの妙なアラレをつくる
ポンの機械のブローカーとはおちぶれたもの。
それも最近は三事業合計月五萬圓からの缺損で、
昨年七月以來の赤字は二百萬圓をこえるという。
ガツカリした東久邇は、
現在品川高輪の北白川の舊邸の一角に
讀書人になつて閉じこもつており
(麻布市兵衞町と鳥居坂の御殿は燒失)、
當初多かつた人の出入りも昨今は閑散、
著名人としては舊交のある
ベネシユ駐日佛代表部代表が
時折來るぐらいのもの。
一時平野力三が夫婦連れで、
さかんに出入りしていたが、
大臣になつてから
バツタリ來なくなつたところをみると、
どうも自己宣傳のためだつたらしいと職員はいう。
家族は、
長男盛厚(元陸軍少佐、東大經濟學部專科生)一家
(成子夫人 元照宮、二子)が
最近修築なつた
大鳥居坂邸(はじめは木戸幸一邸)に移り、
ここには聰子夫人と俊彦君
(慶大法學部、エロ殿下の稱あり)の三人きり、
職員は昔のままの十二人ばかり。
生計費月四、五萬圓はもつぱら居食いの方針。
新宿の店は三十年來の舊友
小原唯雄(古いリベラリスト)が
もつぱら采配を振つている
(店の表札は店主東久邇稔彦代理小原唯雄)。
ハヤリの太綠の眼鏡をかけ、
恰幅のいい四十六歳働きざかりのこの人
さしあたり東久邇家財政主任の格で、
一切をまかせきられ、
親ゆずりの五百萬近くの金を資本に
四分六の割で東久邇と出資し合い
(小原六、東久邇四)、
生家の職業をそのまま
東家鹽干物店を開業、
ついで隣に東久邇美術店を設け、
東久邇家の處分品をさばいているが、
同じこの二階で取次いでいる
「ポンせんべい製造機械」は
さつぱり賣れぬとか。
店員八人をかかえてのこの店、
當初二カ月ばかり黑字を見ただけで、
その後は一日の賣上げ二千圓内外で大赤字、
「これだけはどうやら商賣になる」
美術店から毎月一萬圓ほどの融通をうけ、
ようやく赤字を五萬圓程度にとどめているものの、
「意地で續ける」
氣の毒な狀況。
元來東久邇は多角的な營業をもくろんで、
喫茶も計畫したがポシヤとなり、
若松町の國立第一病院の内科坂口博士、
外科栗山博士などと連絡して、
急患用の實費診療所を
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/4
大久保百人町に設ける豫定も流産。
うわさにのぼつた
明治生命の三多摩地區總代理店も
名義を貸しただけ、
昨年貿易再開後いち早く契約した例の
米國ステフアノ・ブラザース會社との
タバコの契約が最大の望みらしい。
(第三幕)家主の稼ぎ月十萬圓の段
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/5
一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
定價 三十圓
送料 一圓
半年概算 百八十圓
編集 發行人 佐和慶太郎
印刷所 日本印刷工業株式會社
發行所 人民社
東京都中央區銀座西二ノ三
電話 京橋(56)〇四六四番
振替 東京一一五二一一番
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/20
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