◆小野梓

早稲田大学を卒業した小野梓のひ孫 小野雄二:早稲田学報8月号 2026 AUG NO.1278

早稲田学報8月号 2026 AUG NO.1278
早稲田学報8月号 2026_01
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_01

 Close Up 人
早稲田大学を卒業した
小野梓のひ孫 小野雄二

早稲田大学の「建学の母」といわれる小野梓、
そのひ孫に当たる小野雄二さんが
2026年3月、
早稲田大学人間科学部通信教育課程を卒業した。
76歳にして早稲田の学位を手にした
雄二さんの思いと共に、
梓の功績を改めて紹介する。

小野雄二さんの早稲田大学卒業
早稲田学報8月号 2026_03
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_03

大隈重信と小野梓
早稲田学報8月号 2026_04
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_04

小野梓と早稲田大学
早稲田学報8月号 2026_05
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_05

大日方純夫 おびなた・すみお
1973年早稲田大学第一文学部卒業。
1975年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。
早稲田大学名誉教授。
博士(文学)。

卒業式の翌日(2026年3月27日)、
小野記念講堂エントランスにある
「東洋小野梓」像の前に立つ
小野雄二さん(右)と大日方純夫先生(左)
早稲田学報8月号 2026_06
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_06

早稲田学報8月号 2026 AUG NO.1278
CONTENTS
56 Close Up 人 小野雄二
早稲田学報8月号 2026_02
〔画像〕早稲田学報8月号 2026_02
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年03月31日10:10
《小野雄二》早稲田大学 人間科学部人間情報科学科
<学位記>2026年3月15日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年03月10日11:50
早稲田大学 第17代総長田中愛治様と小野雄二:
東洋 小野梓先生(宿毛市)2026/03/01

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年02月28日13:10
<小野梓家系譜>(わが家の歴史とルーツを求めて)
〔1-15〕頁200229

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月19日05:40
[資料紹介 小野梓 留学関係資料]
『早稲田学報』荒船俊太郎
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《小野節吉:小野梓の実父》宿毛物産方下役・宿毛蔵屋敷詰【(近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 】1959

【維新経済史の研究 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) (市民叢書 ; 12)】
著者    平尾道雄 著
出版者   高知市立市民図書館
出版年月日 1959
p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
〔画像〕p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/3

   三 家老の商法
東京商法局にせよ、
開成館貨殖局にせよ、
いずれも高知藩の商事活動の
積極性を示すものであるが、
他方山内家家老のうちにも
これに追随するものがあった。

宿毛の伊賀氏がその領内物産を
大阪に移出したごときがその一例で、
このことは伊賀氏の臣
竹内綱の自叙伝に詳説されている。

竹内綱は家老伊賀氏の世臣で
慶応元年(一八六五)五月十日
宿毛の仕置役に任命せられたが、
領内物産の移出振興を計画して
仕置役小頭 立田弥一郎(※立田強一郎=小野義真)、
物産方下役 小野節吉(※小野梓の実父)を同伴、
翌(慶応)二年(一八六六)一月十八日
宿毛を出発して二月七日大阪着、
長堀高橋屋次助方に滞在した。

大阪商人に縁故がないので
本藩の蔵屋敷在役 石川石之助、
及び土佐物産売捌き開始のため出阪していた
開成館頭取 武藤清(颿)の援助を求め、
その紹介で高知藩用達
炭屋彦五郎、辰見屋源助、銭屋文助、
三家の番頭と協議してその方法を決定した。

第一には宿毛物産の売捌引請け、荷為替の取組、
紙は紙問屋、材木は材木問屋と
それぞれ問屋との約定をとりきめ、

第二は宿毛物産輸送に対しては
船問屋淡路屋市郎平から
五百五十石積帆船一艘を買い入れて宿毛丸と命名、
一艘は淡路屋の所有船で運送することに決定、

第三には辰見屋源助から
道頓堀塩見橋北詰に三百余坪の地所、
一棟の事務所、
七棟の倉庫を購入して
宿毛蔵屋敷を設置することになった。

蔵屋敷、運送船の購入資金二千両は
炭屋彦五郎から借用し、
小野節吉(※小野梓の実父)を蔵屋敷詰として
その基礎が出来たので
竹内綱は立田弥一郎(※立田強一郎=小野義真)と
新しく購入した宿毛丸に便乗、
四月二十日大阪を出帆して五月三日宿毛に帰った。

 ※小野節吉:慶応2年7月喀血 慶応2年12月29日没
  【小野梓伝】昭和10年
  著者    西村真次 著
  出版者   冨山房
  出版年月日 昭和10
  https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/22

伊賀家の商法はその後順調に発展し、
竹内綱は北越方面の戦争に参加したが、
帰還早々瀬戸内海航運事業に着手した。

これも好調だったが、
明治二年(一八六九)七月
藩命によって宿毛蔵屋敷を廃止し、
営業も断絶するの余儀なきに至ったのである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/111
維新経済史  市民叢書 12
昭和34年5月25日 印刷
昭和34年5月31日 発行  定価430円
著 者 平尾道雄
発行者 渡辺 進
印刷者 谷内印刷工業株式会社
発行所 高知市立市民図書館
    高知市帯屋町
    振替徳島15276 電話②2501
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/118
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宿毛市史【近世編-幕末と宿毛-幕末の宿毛の動向】
財政整理と大阪宿毛蔵屋敷
慶応元年(1865)5月10日、
竹内綱は仕置役を命ぜられた。
綱は宿毛領内の物産の輸出を計画して、
慶応2年(1866)1月18日、
仕置役小頭立田強一郎(後の小野義真)
物産方下役小野節吉(小野梓の実父)を伴って宿毛を出発、
陸路を通って2月7日大阪着、
長堀高橋町平野屋次助方に滞在した。
(『竹内綱自叙伝」より)
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トーマス・ウォータマン・ヘリヤ(Thomas Waterman Helleyer)金子家吉、深尾蕃条【(近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 】1959

【維新経済史の研究 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) (市民叢書 ; 12)】1959
著者    平尾道雄 著
出版者   高知市立市民図書館
出版年月日 1959
p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
〔画像〕p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/3

  五 山一商会と開々社
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/115

山一商会の傍系的存在で「開々社」があった。
山内家の経営で、
その取締に五藤謙作と吉永半次郎が任命せられ、
顧問として英国人
トーマス・ウォータマン・ヘリヤ
(Thomas Waterman Helleyer)
を招いた。

明治六年(一八七三)八月二十日
金子家吉、深尾蕃条の名で
ヘリヤに渡した約定書の第一条には
「英吉利国人ヘリヤ君を商業取開き、
 並に物産検査の為め
 明治六年八月二十日より同三箇年の間相雇候事」
とあり、
第六条には
「ヘリヤ君建議の件々は都て商会社長家吉、
 蕃条と談判に及び、
 其決定は社長の指令を受くべき事」
と見えている。

開々社は堺町に設けられて
ランプ、石油、シャボン、洋傘などの洋品を主とし
小間物類の移入販売を取扱った。

ヘリヤの月給は百円と約束されたが、
翌七年(一八七四)九月一日には
利益金の十分の四と改められ、
欠損の場合はヘリヤがその三分の一を
負担することに改められたので、
むしろ共同経営の形に
変更されたのでないかとも想像される。

外務省から旅行免状が出たのは
同年十月十八日であるから、
彼が高知へ着任したのは
それから間もなかったと思われるが、
翌八年(一八七五)四月には双方
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/116

諒解の上
雇傭契約を解いた。
社の経営が順調でなかった故であろうか。

明治九年(一八七六)三月解散となったが、
その決算によると
一、〇五五円四四銭九厘の損失を見せ、
山一商会の場合は責任者の不作為を責めて
訴訟裁判までおこした。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/117

維新経済史  市民叢書 12
昭和34年5月25日 印刷
昭和34年5月31日 発行  定価430円
著 者 平尾道雄
発行者 渡辺 進
印刷者 谷内印刷工業株式会社
発行所 高知市立市民図書館
    高知市帯屋町
    振替徳島15276 電話②2501
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《トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー》三菱会社:明治9年10月より無期限【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03

【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
著者    中国四国教育学会 編
出版者   中国四国教育学会
出版年月日 1997-03
p2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/2

p57-1【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-1【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57

  第2表 官立広島外国語学校及び英語学校における
      外国教師の主な雇用履歴
番号   17
姓名   トーマス・ヘリヤー
国籍   英
雇主   高知県
雇用期間 明治3年4月ヨリ3ケ月(※3ケ年)
職種   英学教師
月給   一年 洋銀 1,500枚
     二年 洋銀 1,860枚
     三年 洋銀 2,160枚
出典   ⑧

番号   18
姓名   トーマス・ヘリヤー
国籍   英
雇主   高知県
雇用期間 明治5年2月24日~明治6年4月15日
職種   英学教師
月給   洋銀 185元
出典   ⑤

番号   19
姓名   ヘリヤー
国籍   英
雇主   文部省
雇用期間 明治5年2月24日~明治6年5月11日
     満期解雇
職種   高知県出張
月給   ―
出典   ⑨

番号   20
姓名   ヘリヤー
国籍   英
雇主   金子家吉、深尾蕃条
雇用期間 明治6年8月20日ヨリ3ケ年
職種   商業
月給   100円
出典   ②

番号   21
姓名   トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー
国籍   英
雇主   三菱会社
雇用期間 明治9年10月ヨリ無期限
職種   会社代理人
月給   150円
出典   ③

出典
①『官雇入表』(自明治9年)
②『華士庶外国人雇入鑑』(自明治5年10月至明治6年12月)
③『私雇入表』(自明治9年7月)
④『外国人雇入鑑』(明治3年)
⑤『外国人雇入鑑』(自明治5年1月至明治5年9月)
⑥『外国人雇入取扱参考書共四』(自明治9年至明治10年)
⑦『外国人雇入取扱参考書』第2巻(自明治9年至明治10年)
⑧『外国人傭免状扣』(明治4年8月改)
  以上8点は外務省外交史料館蔵
⑨『太政類典』第2編(自明治9年8月至明治10年12月)
⑩『太政類典』第3編(自明治11年至明治12年)
  以上2点は国立公文書館蔵
p57-2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57

p57-3【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-3【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57
平成9年3月20日 印刷
平成9年3月21日 発行
教育学研究紀要 第42巻
編集兼発行者 中国四国教育学会
印    刷 株式会社 ニシキプリント
       広島市西区商工センター7丁目5-33
       〒733 電話(082)277-6954
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/228
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「トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー」(Thomas W.Hellyer)高知県士族・金子家吉・深尾蕃条【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03

【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
著者    中国四国教育学会 編
出版者   中国四国教育学会
出版年月日 1991-03
p1【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
〔画像〕p1【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/1

 第7表 
「トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー」
(Thomas W.Hellyer)
 該当部分(推定)
p63【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
〔画像〕p63【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/63
平成3年3月20日 印刷
平成3年3月21日 発行
教育学研究紀要 第36巻
編集兼発行者 中国四国教育学会
印    刷 株式会社 ニシキプリント
       広島市西区商工センター7丁目5-33
       〒733 電話277-6954
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/210
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英國人トーマス・ヘリアー英語敎師:明治三年四月より雇入【岩崎弥太郎伝 上冊】1967

【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
著者    岩崎弥太郎・岩崎弥之助伝記編纂会 編
出版者   岩崎弥太郎・岩崎弥之助伝記編纂会
出版年月日 1967
p3【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
〔画像〕p3【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/3

  四、外國人招聘
彌太郎が長崎時代に米國宣敎師フルベツキを
土佐に招聘しようとしたことは
長崎時代の項で述べた。

また大阪轉勤後も敎師に傭入れることを
フルベツキに申入れたが、
フルベツキが政府の傭敎師になつて
東京に移つたため實現しなかつた。

また明治二年土佐藩の輸出向物産について
實際の指導を得るため、
昵懇の英國商人ウイリアム・ジヨン・オールトを
土佐に招かうとしたが、
これも實現しなかつた。

かく彌太郎は敎育、産業の振興に、幾たびか、
外國人を招聘しようとしたが、
藩廰は明治三年になつて漸く外國人の傭聘を決定した。
  英人 トーマス・ヘリアー       英語敎師
  英人 ウイリアム・ヘンリー・ボーシヤ 醫學敎師
  英人 フレデリツク・マイヤー  敎育、語學敎師
  佛人 フレデリツク・アントアン  陸軍兵式敎官
  蘭人 レメル・チヤールストン      製靴工
右のうち彌太郎がその雇入れに關係したのは、
英國人ヘリヤーとボーシヤである。

英語敎師ヘリヤーは二十一歳とある。

醫師ボーシアは高知病院(後ちの吸江病院)に配屬された。
契約は五ケ年とあるが、
ボーシヤは滿期前に神戸へ引揚げたので、
彌太郎は彼を周旋したオールトに抗議を申入れた。

次に彌太郎が本藩に提出した
ヘリヤー雇入調査報告書を掲げる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/338

  一、英國ヘルヤー壹人
    但午年(明治三年)四月ヨリ三ケ年之内
    爲敎師雇入可申約定也
右之通於浪華雇入、
東京手數右印行是亦免狀無之、
其儘東京ヘ申遣右兩人共東京ヘ申達候ニ付、
其御心得可被下候。
以上
  未六月十六日  岩崎彌太郎
 弘田 久助 樣
 橋本和太郎 樣

右のほか彌太郎は大阪藩邸に英語塾を開き、
米國人敎師ヘースを招聘してゐる。
これは若い藩士たちに英語を勉強させたもので、
弟 彌之助をはじめ豐川良平、川田龍吉(小一郎の長男)、
林包明(後の自由黨幹事)、竹内明太郎(綱の長男)、
近藤廉平等が塾生であつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/339
昭和四十二年十一月二十日 非賣品
編集兼 岩崎彌太郎 岩崎彌之助 傳記編纂會
発行者 東京都千代田区丸の内二丁目四番地
    三菱本館内
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京都台東区台東一丁目五番
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/396
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【岩崎弥太郎日記】1975
出版者   岩崎弥太郎岩崎弥之助伝記編纂会
出版年月日 1975
  滯坂日誌巻之二
 (明治三年一月一日より十二月二十九日に至る)
庚午日歷(※曆) 明治三年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/248
四月一日
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/259
(明治3年4月)二十三日
與夷島ヲールト並姪ヘルヤー談、
ヘルヤー(トーマス・ヘリア)
此度雇入ニ相成、
今日ホージヤ(ウイリアム・H・ボージア)、
通辯福澤某ト土南ニ赴、
(註:トマス・ヘリアは英語教師、
   ウイリアム・ボーシアは医学教師)
p262【岩崎弥太郎日記】1975
〔画像〕p262【岩崎弥太郎日記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/262

明治六年 太陽曆一月一日
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/321
(明治6年1月)二十八日
敎師ヘース雇入ノ約條取カワス、
ヘース去、
一昨(年)十二月 ※明治4年12月
ヨコハマヨリ同道來
其節三百金 壹ケ月相渡ス筈、
昨六月ヨリ ※明治5年6月
レツパヲ以
壹ケ月貳百五十金允渡ス筈ニ定メ有之處、
ヘース云、
レツパヨリ其事不承知ト、
卽當年 ※明治6年
二月ヨリ四月迄三ケ月雇入ノ證書取リ渡ス也、
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/324
昭和五十年十月三十日 非賣品
編集兼 岩崎彌太郎 岩崎彌之助 傳記編纂會
発行所 東京都千代田区丸の内二丁目六ノ二
    丸の内八重洲ビル三二二區
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京都台東区台東一丁目五番
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/357
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年07月24日04:30
明治三年春、小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ
《英国人 トーマス・ヘリア》【小野梓伝】昭和10年
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明治三年春、小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ《英国人 トーマス・ヘリア》【小野梓伝】昭和10年

【小野梓伝】昭和10年
著者    西村真次 著
出版者   富山房
出版年月日 昭和10
p5【小野梓伝】昭和10年
〔画像〕p5【小野梓伝】昭和10年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/5

  第二節 海外留學
平人になれば自由自在、
他國に旅行する際にも願書などはいらない、
たゞ一通の届さへ出せばそれで事が濟む。

明治三年春、小野は船に乘つて宿毛を出で、
十九日ばかり經て大坂に着き、
早速義眞の家を尋ねた。

義眞は身を平人にしても
勉強して見たいといふ志を嘉して、
『よろしい、此後はきつと世話をする』といつた。

小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/32

  ※【土佐百年史話:民権運動への道】1968
   著者    高知新聞社 編
   出版者   浪速社
   出版年月日 1968
      4 お雇い外人
   https://dl.ndl.go.jp/pid/2989807/1/104
   語学 英国人 トーマス・ヘリア ※別稿に詳細記載
     (明治三年四月より契約三年間。
      第一年度 洋銀一五六〇枚、
      第二年度   一八六〇枚、
      第三年度   二一六〇枚)
   教育総範・語学 英国人 フレデリック・マイヤー
     (明治三年七月より明治四年六月まで契約一年間。
      月給二〇〇ドル)
   ※小野梓:明治3年7月~11月(上海行)

其頃から彼れの海外留學の志は段々濃厚になり、
或日其事を義眞に話すと、
『それは惡くない。
 まあ兎も角も一旦上海まで行つて見てはどうか、
 費用は私が調達する』
といふので、
(明治)三年七月、
名を東島興兒と改めて、
神戸から米國汽船に乘つて上海に渡つた。
上海に着いてからはあちこちと支那の内地を巡回し、
(明治3年)十一月頃上海に還つて來ると、
ちやうど義眞も公用で上海に來たので、
色々相談の末、
一先づ日本に還り、
機を見て歐米に留學することに決め、
相伴うて歸航し、
しばらく大坂に滯留した。

(明治)四年の早春、
義眞が東京に行くことになり、
彼れも其行を共にした。

そして英語を横濱で習ひ、
ぼつぼつ洋行の準備に取りかゝつた。

(明治5年)二月には
もはや用意が出來たので、
米國汽船に乘つて
サン・フランシスコに向つた。
所要の航海日數は二十五日であつた。
上陸後、汽車でニュー・ヨークに赴き、
ブルックリンに移つて法律の講習を始めた。
其時のことを彼れの自傳は次ぎのやうに書いてゐる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/33
昭和十年十一月十五日 印刷 『小野梓傳』
昭和十年十一月廿二日 發行  定價 貳圓五拾錢
著 者  西村 眞次
     東京市中野區大和町一六一番地
發行者  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
右代表者 坂本嘉治馬 冨山房社長
印刷者  白井赫太郎
     東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
     振替口座東京五〇一番
     電話神田(25)自二一七一番
           至二一七八番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/229
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【宿毛人物史】1968
著者    宿毛明治100年史 (人物篇) 編集部 編
出版者   宿毛明治100年祭施行協賛会
出版年月日 1968
翌明治三年春、
小野梓は再び船に乗って宿毛をでて大阪につき、
小野義真の家をたずねた。
義真は、平民となっても勉強をしてみたいという
梓の心意気に感じ、
「よろしい、この後はきっと世話をする」
といって彼を励ました。
小野梓が英語の勉強をはじめたのは
この時からである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3448796/1/19
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《大野尚絅》拜 鳳輦:栃木縣那須郡黑羽町【毛野秋草】明治26年

【毛野秋草】明治26年
著者    斎藤源太郎 編
出版者   内山港三郎
出版年月日 明26.9
p1【毛野秋草】明治26年
〔画像〕p1【毛野秋草】明治26年
https://dl.ndl.go.jp/pid/872310/1/1

 〇 拜 鳳輦  那須郡黑羽町 大野尚絅
歡迎 鳳輦錦秋辰、
將校督軍和且親、
農隙講兵威武耀、
仁風遍及野州民、
p33【毛野秋草】明治26年
〔画像〕p33【毛野秋草】明治26年
https://dl.ndl.go.jp/pid/872310/1/33

  大演習行幸を祝ひ奉りて
https://dl.ndl.go.jp/pid/872310/1/37

   栃木縣那須郡黑羽町 大野尚絅
黑髪の山の裾野の草分て こゝろみまする すめらみいくさ
すめらきの 引つとへます 御軍は 外國まても照りわたるらむ
かくまてに 大み心を盡さして 治まる御代は 誰かわすれん
p39【毛野秋草】明治26年
〔画像〕p39【毛野秋草】明治26年
https://dl.ndl.go.jp/pid/872310/1/39

明治廿六年九月 十日印刷 登載人名六百名
同   年九月廿五日發行 定價金三十錢
編輯者 齋藤源太郎
    栃木縣河内郡宇都宮大字西入大寛町六十五番地
發行兼 内山港三郎
印刷人 栃木縣宇都宮大字大工町五十四番地
印刷所 集英堂活版所
    東京市京橋區山城町六番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/872310/1/93
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大野尙絅ノ書シタル文:常夜燈ハ明治十一年八月ノ建設【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年

【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年
著者    河北小山忠録 編
出版者   小山忠録
出版年月日 昭和14
p1【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年
〔画像〕p1【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年

   八、常夜燈
境内ノ南隅ニ屹立スル石造ノ常夜燈ハ
明治十一年八月ノ建設ニシテ
其周圍ニハ
三田地山翁ノ撰
大野尙絅ノ書シタル文及
献納者ナル舊藩士二百餘人ノ芳名金額ヲ彫刻シ
年中一夜ノ休燈ナク
燭光ハ燦トシテ境域ヲ照ラシ
自ラ神威ノ赫々タルヲ思ハシム、
其文ニ曰ハク
  -略-
 明治十一年八月  三田稱平 識
p17【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年
〔画像〕p17【官祭黒羽招魂社資料】昭和14年

昭和十四年十月十二日 印刷
昭和十四年十月十七日 發行 非賣品
編輯兼 河北 小山忠錄
發行者 那須郡黑羽町大字田町九拾三番地
同   雪堂 佐野秀夫
    那須郡黑羽町大字前田七拾九番地
同   北山 稻澤勝智
    那須郡黑羽町大字堀之内四拾參番地
印刷者 佐藤英一
    那須郡川西町五五番地
發行所 小山忠錄方
    栃木縣那須郡黑羽町大字田町九十三番地
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[峯岸舘兵從軍之碑]黑羽 摘山 大野尚絅 書【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年

【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年
著者    小林華平 編
出版者   小林華平
出版年月日 大正7
p3【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年
〔画像〕p3【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年

 正三位勳三等大關增勤公靑年の肖像
p5【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年
〔画像〕p5【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年

   峯岸舘兵從軍之碑
明治戊辰官軍之征奥羽也
下毛黑羽城主大關增勤君奉
  -略-
 明治廿七年二月
   陸軍少將正四位勳三等 大沼 涉 撰
        黑羽 摘山 大野尚絅 書
(右從軍者深澤留五郎爲如提出)
p122【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年
〔画像〕p122【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年

家從
十人口  川上淸太夫  山本左門 山田鐵三郎
十一人口 平野傳右衞門 開屋滿
拾人口  井上岩治郎  安藤忠  阿久津福松
五人口  大場林右衞門
十人口  大野尚
三人口  阿久津千代之助 部阿見市太郎
p127【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年
〔画像〕p127【黒羽藩戊辰戦史資料】大正7年

黑羽藩 戊辰戰史資料 並 附錄 終

大正七年六月二十一日印刷
大正七年六月二十四日發行 非賣品
編輯兼 小林華平
發行人 東京市麻布區網代町二十一番地
印刷人 鷲見九市
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
印刷所 株式會社 秀英舎第一工場
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※上記と同一内容
【蘆野小誌】大正11年
著者    三森長七郎 著
出版者   池沢国三郎
出版年月日 大正11
峯岸舘兵從軍之碑
 大關增裕君の卓見民兵の訓練偉大の奏功碑文に
 明かなれは全文を掲ぐ
明治戊辰官軍之征奥羽也
下毛黑羽城主大關增勤君奉
  -略-
 明治二十七年二月
   陸軍少將正四位勳三等 大沼 涉 撰
        黑羽 摘山 大野尚絅 書
大正十一年七月廿五日印刷
大正十一年八月 一日納本
神奈川縣小田原町新玉町四丁目五百六十一番地
 題字揮毫者 大島 正毅
福島縣西白河郡古關村大字旗宿十番地
 編集者   三森長七郎
栃木縣那須郡芦野町字川原町
 出版者   池澤國三郎
栃木縣那須郡那須村字黑田原停車場前(自新堂主)
 販賣者   大鹽  淸
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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