◆小野梓

《尾野屋善平小野善平》天明六丙午年(1786)宿茂騒動之実記【宿毛市史資料 10】1983

【宿毛市史資料 10】1983
著者    津野松生, 橋田庫欣 編
出版者   宿毛市教育委員会
出版年月日 1983.3
p1【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p1【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/1

 天明六丙午年(1786)宿茂騒動之実記
       篠田重智 書
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/46

[同夜 尾野屋 菱屋より夜食を被相頼仕出す]
白米弐石 壱度仕度此米を以 人数を知るべし
酒弐石四斗 四斗樽にて舁出と也
尾野屋善平小野善平と号、
万端弁たるもの也、
徒党様子を聞より御役手へ出候て、
自然仕度等頼来候ハヽ、
私共後難御座候而仕成出ス存寄ニ御座候段、
御役手ヘ相届候処、
可然様相はからい候得と被仰付候よし、
爰を以小野善平ハ壱人ニても仕出す用意ハ候得共、
菱屋善三郎へも相通申処用意ニ申来るニ付、
両家より酒飯を調出ス也
p48【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p48【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/48

  地震筆記
嘉永七甲寅年十一月五日 ※1854年12月24日
稀代の大地震有増左のことし

一、丑瀨・新丁・新町 不残焼失
  但右新丁ハ当時諸奉公人住居、
  変后廓中御取分ニ成ル

  本町南ケ輪、
  酒店小野屋熊之助宅より下、
  升田屋寅蔵宅迄、
  北ケ輪、
  町庄屋兼治宅より下、
  薬店小野常次宅辺焼失
p97【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p97【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/97
宿毛市史資料(十)
北越戦記・宿毛騒動 他
昭和五八年三月二〇日発行
編集者 津野松生
    橋田庫欣
発行者 宿毛市教育委員会
印刷所 日輪プリント
    中村市大橋通四
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/114
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兼松 忠 山奈村村長 妻(小野)すみ【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979

【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
著者    橋田庫欣, 津野松生 編
出版者   宿毛市教育委員会
出版年月日 1979.12
p1【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
〔画像〕p1【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/13283057/1/1

  兼松家系図  p117-123/126
https://dl.ndl.go.jp/pid/13283057/1/117

15 朝積 善助
   安政二年九月養父善蔵ヨリ
   上山郷十七ケ村大庄屋役相続
   岩田村大庄屋
   山田三ケ村大庄屋横瀬村居住後山田村ニ移ル
   明治二十八年十月二十日没
   女 比奈 朝積妻

16 朝喬
   山奈村村長
   嘉永六年二月十六日生
   大正十年九月二日没 六十九才
   妻 和田義貞女 もと
   女 早世
   朝治(善治) 高添仁兵衛養子
   女 早世
   瀞      宮崎与八郎養子
p122-1【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
〔画像〕p122-1【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/13283057/1/122

17 忠
   山奈村村長
   妻(小野)すみ
   朝美
   寿
   喬助
   男
   男

   中 妻 千枝
       節子 昭子

   干 妻 潤
       沐  仁  大  尚  青  土

18 平 妻 富子 後妻 カツイ
       洋子(徳広融妻)
       康
       知
       妻(佐藤)寿美

   旦 妻 満津子
       紀

   出 妻 節子
       恭
       文

   伸 国見寿彦妻
p122-2【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
〔画像〕p122-2【宿毛市史資料 4 (兼松家文書)】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/13283057/1/122
宿毛市史資料(四)
  兼松家文書
昭和五十四年十二月十日 発行
編集者 橋田庫欣
    津野松生
発行者 宿毛市教育委員会
印刷所 なみはら
    中村市一条通一
https://dl.ndl.go.jp/pid/13283057/1/123
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年01月07日19:16
《兼松 忠》【高知縣名鑑:紀元二千六百年記念】昭和15年
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《小野雄二》早稲田大学 人間科学部人間情報科学科<学位記>2026年3月15日

  学位記
 人間科学部人間情報科学科
 小野雄二
本大学学則により所定の課程を修め
本大学を卒業したので
学士(人間科学)の学位を授与する
 2026年3月15日
早稲田大学総長 田中愛治
学位記-小野雄二
〔画像〕学位記-小野雄二

学位記・小野梓墓前01
〔画像〕学位記・小野梓墓前01

学位記・小野梓墓前02
〔画像〕学位記・小野梓墓前02

 卒業証書(関西版)
   小野雄二殿

令和八年三月七日
早稲田大学人間科学部ELC
 関西支部のゆかいな仲間たち一同
卒業証書(関西版)小野雄二
〔画像〕卒業証書(関西版)小野雄二
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年03月10日11:50
早稲田大学 第17代総長田中愛治様と小野雄二:
東洋 小野梓先生(宿毛市)2026/03/01
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《前島密と小野梓》題東洋遺稿 東洋の遺稿に題す:編者(市島謙吉)【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)

【鴻爪痕 改訂版】1995 2版
著者    前島密 著 [他]
出版者   前島会
出版年月日 1955 2版
p5【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
〔画像〕p5【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/5

本書の原稿は一応故翁の事蹟を熟知せる先輩、
親戚の廻覧に供して事実の相違を正さんと欲したるも、
是亦所期を果すを得ざりき。
故に本書の事実中誤謬なきを保せず、
幸に諒せよ。
 大正九年四月  市島謙吉識
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/8

   一六 翁と小野梓
翁(前島密)が改進党の領袖であられた時、
同じく領袖であつた
小野梓氏とは特別に深き交はりがあり、
翁は常に小野氏を畏敬された。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/164
小野氏の歿後、
氏の義兄小野義真氏は遺稿一切を翁に託し、
然るべき人を選んで編纂せんことを依頼された。

其時選に当つた者は編者(市島謙吉)であつたが、
編者は担任して間もなく高田へ赴いて
高田新聞を主宰することになつた為め果たさなかつた。

当時翁の反古中より
東洋遺稿と題する長編の稿があらはれた。
これは東洋遺稿の巻首に刻すべきものであるのに、
 ※【東洋遺稿】:下記
何故か載せられず編者も今度始めてみたのである。

之を見ると如何にも小野氏の為人をよく悉(つく)してある。
翁は真に東洋の知己と云ふべきである。
其詩に云く、

※下記:題東洋遺稿 東洋の遺稿に題す
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/225

因つて云ふ、
小野氏の墓碣(けつ)を郷里土佐に建るに当り、
翁は斡旋して中村正直氏に撰文を乞ひ、
又書を翁と小野氏とに親善であつた
大内青巒氏は請はれた。
中村氏の稿本は表装されて
今尚ほ翁の家に蔵してある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/165

  題東洋遺稿  東洋の遺稿に題す
東洋小野梓    東洋小野梓
其名四方聞    其の名四方に聞ゆ
惜哉半其業    惜しいかなその業を半にし
追仙入白雲    仙を追ひて白雲に入れり
人謂悲歌士    人は謂ふ 悲歌の士
激烈忘其身    激烈その身を忘ると
安知温与恭    いづくんぞ知らん温(をん)と恭(きょう)と
接物極是仁    物に接してこの仁を極(きは)めたり
人謂説民利    人は謂ふ民の利を説き
専念斯権伸    専らこの権の伸ぶるを念ふと
安知尊王志    いづくんぞ知らん尊王の志
至誠帝恩臣    至誠帝の恩臣
精理論財政    精理財政を論じ
立算闡微分    立算(りふさん)微分を闡(あきら)かにす
人謂壮齢儒    人は謂ふ壮齢の儒と
飜是老吏人    飜つてこれ老吏の人
容貌反其性    容貌その性に反し
想像愆其真    想像その真を愆(あやま)る
請作君伝者    請ふ君が伝を作る者
写真須是勤    真を写す須(すべか)らくこれ勤むべし
浮世半夜夢    浮世半夜の夢
誰占百年春    誰か占はん百年の春
嗚呼君逝矣    あゝ君逝けり
千載遺斯文    千載に斯文(しぶん)を遺す
p225【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
〔画像〕p225【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/225

  鴻爪痕 前島密伝
大正9年4月27日 初版発行
昭和30年12月15日 改訂再版発行
  印刷所
株式会社 一二三書房 印刷部
東京都千代田区神田神保町3の10
  発行所
財団法人 前島会
東京都港区麻布飯倉6の13 郵政省内
電話 郵政省内線897番・振替東京36番
  頒価1500円
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/397
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【東洋遺稿 上】明治20年
著者    小野梓 (東洋) 著 [他]
出版者   富山房
出版年月日 明治20
明治二十年三月版權免許
同    六月  出版 定價金九十五錢
編輯人 高田 早苗  東京府平民
    東京牛込區北町二十八番地
出版人 小野英之助  東京府士族
    北豐島郡地方橋場町千三百八十番地
發 兌 富山房書居
    東京神田區裏神保町九番地

【東洋遺稿 下】明治20年
著者    小野梓 (東洋) 著 [他]
出版者   富山房
出版年月日 明治20
明治二十年三月十七日版權免許
同    六月   出版 定價金八十五錢
編輯人 高田 早苗  東京府平民
    東京牛込區北町二十八番地
出版人 小野英之助  東京府士族
    北豐島郡地方橋場町千三百八十番地
發兌元 富山房書居
    東京神田區裏神保町九番地
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早稲田大学 第17代総長田中愛治様と小野雄二:東洋 小野梓先生(宿毛市)2026/03/01

早稲田大学 第17代総長田中愛治様と小野雄二

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東京廓外皆な墓地とならん[武平山人=小野梓] 『読売新聞』一八八四年(明治17)六月二一日【小野梓全集 第4巻】1981

【小野梓全集 第4巻】1981
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1981.3
p3【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p3【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/3

八三 東京廓外皆な墓地とならん
   武平山人
本年は如何なる年の回り合せにや、
此の春以来
山人(小野梓)は屡(しばし)ば
朋友親戚の喪に偶(あ)ひ、
青山の墓地へ三回、
谷中天王寺の墓地へ二回計(ばか)りも
弔ひに赴きたり。

その弔ひに往く度毎に東京の郊外は
皆な墓地と為らん乎と思ふ杞憂を起こせり。

そは何故ならんとなれば、
別義にあらず、
近来何故か無暗滅法に墓地を広くし、
矢鱈(やたら)無性に広大なる石碑を建つるの風儀流行して、
何某家の墓は百坪、
何某氏の墓は五十坪などと、
時としては一人の死骸を葬りたる墓地が
小遊園と見まがふ計りの広大なるものあり。

随分立派といへば立派なり。
然れども余り法外に墓地を広大にして之を誇るは、
死者へ追福に似て反つて追福ならず、
況(ま)して東京の如き
死人の多き割合に葬地の少き所の在ては、
無法に之を広くするは甚だ宜しからざる事なり。

且つ衛生上より申せば、
墓地の余り広がるは住民の健全を損ふ基にて、
是れ又た好ましからざる事なり。

加之(しかのみ)ならず
これを広大にするの風俗次第に盛んなれば、
心有る人も外聞の為めや
知己朋友の手前を思ひ之を狭くするを得ず、
狭くすれば死者を麁末(そまつ)にするが如きの
譏(そし)りを招くが為め、
心ならずも無法の仲間に入ることあるべし。

是れ又た墓地を無暗に広大にするの流弊といふべし。

故に山人(小野梓)は
墓地規則を設け凡(すべ)て其度を定め、
如何なる人にても
其度を超ゆる事の出来ぬやうに
いたしたく思ふなり。

迚(とて)も今の様にて往かば、
二十年を出ずして
東京の廓外は皆な墓地と為るに至らん。
慎むべし、慎むべし。

頃日(このごろ)又た先年亡ひし
小児の墓を弔ひたる時
その弊を思ひ出したれば、※下記
帰宅や否や早々筆執り記しぬ。
(『読売新聞』一八八四年六月二一日)
p305【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p305【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/305

※ 576頁 17行
頃日(このごろ)又た先年亡ひし
小児の墓を弔ひたる時
その弊を思ひ出したれば
小児とは、
一八八一(明治一四)年九月一〇日に生まれ、
翌八二年六月六日脳水腫で死んだ
鉄麿(かねまろ)のことをさす。
八四年(明治17)六月六日、三回忌に当るため、
小野が谷中天王寺の墓に詣でたことが、
「留客斎日記」(本全集第五巻所収)の同日条にみえる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/364
昭和五十六年三月三十一日発行
小野梓全集 第四巻
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/412
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[小野梓蔵書印と市島謙吉の寄贈者名]本学図書館蔵ベンサム全集【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03

【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
出版者   早稲田大学歴史館
出版年月日 1966-03
p1【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
〔画像〕p1【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/1

ベンサムと小野梓--国憲汎論の源流に関する一試論 
/ 高野善一/p1~18
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/92
 立憲の大帰旨 国憲汎論 第四章
        小野梓
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/90

本学図書館蔵 ベンサム全集
Vol.Ⅰ 第一巻のみ東京専門学校蔵書印、
    しかも、入庫当初「壱号ノ壱」として
    整理された痕跡がしのばれる。
Vol.Ⅱ 右肩隅に A.Ono.Japan のサインがみえ、
    「万国建国法の指導原理」は
    この中に収めれれる。
Vol.Ⅳ 小野梓蔵書印と
    市島謙吉の寄贈者名とが興味をひく。
p89【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
〔画像〕p89【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/89
昭和四一年三月三十日 発行
頒布価格 三五〇円
発行者 時子山常三郎
    早稲田大学・大学史資料室
印刷者 安井俊雄
    早稲田大学調度課印刷所
発行所 早稲田大学内・大学史資料室
    東京都新宿区戸塚町一ノ六四七
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/82
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年01月01日05:30
[小野梓圖書]小野梓の印【日本の蔵書印】1954
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[小野梓圖書]小野梓の印【日本の蔵書印】1954

【日本の蔵書印】1954
著者    小野則秋 著
出版者   芸文社
出版年月日 1954
p4【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p4【日本の蔵書印】1954
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/4
  第17図 蔵書印の書体
 小野梓圖書 小野梓の印
p22-1【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p22-1【日本の蔵書印】1954

p22-2【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p22-2【日本の蔵書印】1954
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/22
     図版 目次
第一七図 蔵書印の書体
 荻生徂徠の印-小野 梓の印-西園寺公望の印-
 堺天神社の印-桜井竜淵の印-羽田八幡文庫の印-
 藤原惺窩の印-吉田篁墩
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/29
 -蔵書印使用者一覧-
小野 梓  小野梓図書〔一七図〕
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/93
 -蔵書印索引-
小野梓図書〔一七図〕(小野 梓)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/122
【著者の略歴】
小野則秋(Ono Noriaki)
明治三十九年二月二十日
大分県耶馬渓に生れ、
現在同志社大学図書館主任兼文学部講師、
各種の図書館・書誌学関係諸団体の役員。
著書として、
 日本文庫史(教育図書株式会社刊)
 日本文庫史研究 上巻(大雅堂刊)
 日本蔵書印考(文友堂刊)
 日本図書館史(蘭書房刊)
…定価 ¥1,200(外国$7)…
昭和二十九年 十月三十日印刷
昭和二十九年十一月 三日発行
著 者  小野 則秋
発行者  小野杜詩子
     京都市左京区下鴨北園町二七
印刷者  山代多三郎
     京都市上京区寺之内通小川西入
発行所  株式会社 藝文社
     京都市左京区下鴨北園町二七
     電話 上③一九八六番
     振替 京都二六五五七番
製  版 洛陽写真製版所
印  刷 山代印刷株式会社
用  紙 三菱製紙株式会社
製  本 佐野製本所
クロース 日本クロース工業K・K
装  釘 (著者自装)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/153
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月11日11:40
〔小野梓展オープニング セレモニー:
 平成14年(2002)3月10日〕③
小野梓の印章
2002年3月10日 小野一雄殿 寄贈
⑤小野梓圖書 小野梓図書
(図録P24 No241掲載)
などに使用されている。
小野梓の印章-50
〔画像〕小野梓の印章-50

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月26日04:00
『故小野梓先生十年追悼會』④【小野梓】永田新之允・明治30年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月28日12:22
「蘆原生」は小野梓の筆号
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大日方純夫様『小野梓と現代』御恵送頂き有難うございます

大日方純夫様
『小野梓と現代』
「知識」獲得が人を教育する
   (小野梓を読む)会

このたびは御恵送頂き、
ありがとうございます。
熟読させて頂きます。
令和7年12月9日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70

小野一雄様
前略
ご作成・ご発信のブログから、
様々なご教示を得ておりますことに、
あらためてお礼を申し上げます。

さて、私は2015年から、
早稲田実業学校初等部出身の若者たちを中心とする
<小野梓を読む>会で、
小野梓の「東京専門学校」開校演説、
『国憲汎論』最終章、「教育論」などを
読み進める取り組みを一緒に進め、
それは彼らの大学入学当初から、
卒業後の2021年に及びました。

このほど、その成果が
『小野梓と現代―「知識」獲得が人を教育する―』
としてまとまりましたのでお贈り申し上げます。
著作を読むことを通して、
若者たちが「小野梓」と対話した結晶物として
お納めいただければ幸いです。

なお、奥付の刊行日は「2月20日」となっていますが、
これは小野梓の誕生日(旧暦)にあわせたもので、
実際の刊行は先日(11月半ば)です。

年末年始、どうかご自愛のうえ、
よい年をお迎えください。
         早々
 2025.12.8 大日方純夫

※小野梓の誕生日
 嘉永5年2月20日=1852年3月10日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
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多久島澄子様 有難うございます
早稲田大学エクステンションセンター
日本の近代史研究会
会報 第30号
2025.11.30 発行
特集:OS会創立30周年記念
小野梓と三女小野安子
    多久島澄子
御恵送頂きました。
令和7年12月1日
小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
〔画像〕小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
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[天下の事 皆な少壮の人を待つ]木王稿(小野梓) 【小野梓全集 第4巻】1981

【小野梓全集 第4巻】1981
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1981.3
p3【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p3【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/3

 次女 墨子・三女 安子とともに(1884-5年頃)
                ※1884(明治17)
p4【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p4【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/4

八二 天下の事皆な少壮の人を待つ
        木王稿(小野梓)
  本編は是れ頃日(このごろ)
  余が少年の友生に対し
  一席の談話を試みたる時、
  話次の乱れざるを希(こいねが)ひ、
  意に随ひ筆記せしものなり。
  其論たる鄙近浅薄、
  素より大方の粲(さん)を博するに足らずと雖も、
  少年の読者を鼓舞するに少補あらんことを思ひ、
  遂に之を玆(ここ)に掲るに至れり。
諸君は英語の
Young is hopefull〔ヨング イズ ホープフル〕
茲に少壮こそ望ましけれと訳塡すべき一語を記憶する乎。
若し記憶するを為さば、
此一語は何等の意味を含めると思へる乎。

諸君の如き、余の如き、
年少若くは年壮の名を冒して敢て恥づる所なく、
人も称し吾も唱へ、
猶ほ春秋に富めり前途遠しと為すものは、
宜しくこの語の真意を解剖して、
この語に対し吾人年壮の輩が如何なる関係を有する乎を
講究すべきが如し。

諸君の意想如何は余今ま強(しい)て問はず。
余は唯(た)だ余が年壮の位置に在るを以て
少しく此語の意味を解剖し、
斯(この)語に対して自から為すべきの職分を知り、
併せて諸君の之に対する
所以(ゆえん)の本文を説き去らんとす。

少壮こそ実に望ましけれ。

独り英国の社会のみ望を少壮に属するならず、
我が日本の風俗は我が少壮の之を匡正するを待つが如し。
我が日本の学問は我が少壮の之を大成するを待つが如し。
我が日本の政事は我が少壮の之を改良するを待つが如し。

農業に、工作に、漁業に、商業に、
殆(ほと)んど皆な我が少壮を待たざるものなく、
天下万般の事威(ことごと)く
其首を引て我が少壮の為す所如何を観察す。
我が少壮の任責甚だ軽からずと謂(いい)つべし。
(『読売新聞』一八八四年五月三一日)
     ※明治17年(1884)5月31日
p304【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p304【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/304
昭和五十六年三月三十一日発行
小野梓全集 第四巻
編集者 早稲田大学大学史編集所
発行者 早稲田大学
    東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所 早稲田大学出版部
    東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/412
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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