◆小野梓

大日方純夫様『小野梓と現代』御恵送頂き有難うございます

大日方純夫様
『小野梓と現代』
「知識」獲得が人を教育する
   (小野梓を読む)会

このたびは御恵送頂き、
ありがとうございます。
熟読させて頂きます。
令和7年12月9日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70

小野一雄様
前略
ご作成・ご発信のブログから、
様々なご教示を得ておりますことに、
あらためてお礼を申し上げます。

さて、私は2015年から、
早稲田実業学校初等部出身の若者たちを中心とする
<小野梓を読む>会で、
小野梓の「東京専門学校」開校演説、
『国憲汎論』最終章、「教育論」などを
読み進める取り組みを一緒に進め、
それは彼らの大学入学当初から、
卒業後の2021年に及びました。

このほど、その成果が
『小野梓と現代―「知識」獲得が人を教育する―』
としてまとまりましたのでお贈り申し上げます。
著作を読むことを通して、
若者たちが「小野梓」と対話した結晶物として
お納めいただければ幸いです。

なお、奥付の刊行日は「2月20日」となっていますが、
これは小野梓の誕生日(旧暦)にあわせたもので、
実際の刊行は先日(11月半ば)です。

年末年始、どうかご自愛のうえ、
よい年をお迎えください。
         早々
 2025.12.8 大日方純夫

※小野梓の誕生日
 嘉永5年2月20日=1852年3月10日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
多久島澄子様 有難うございます
早稲田大学エクステンションセンター
日本の近代史研究会
会報 第30号
2025.11.30 発行
特集:OS会創立30周年記念
小野梓と三女小野安子
    多久島澄子
御恵送頂きました。
令和7年12月1日
小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
〔画像〕小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[天下の事 皆な少壮の人を待つ]木王稿(小野梓) 【小野梓全集 第4巻】1981

【小野梓全集 第4巻】1981
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1981.3
p3【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p3【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/3

 次女 墨子・三女 安子とともに(1884-5年頃)
                ※1884(明治17)
p4【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p4【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/4

八二 天下の事皆な少壮の人を待つ
        木王稿(小野梓)
  本編は是れ頃日(このごろ)
  余が少年の友生に対し
  一席の談話を試みたる時、
  話次の乱れざるを希(こいねが)ひ、
  意に随ひ筆記せしものなり。
  其論たる鄙近浅薄、
  素より大方の粲(さん)を博するに足らずと雖も、
  少年の読者を鼓舞するに少補あらんことを思ひ、
  遂に之を玆(ここ)に掲るに至れり。
諸君は英語の
Young is hopefull〔ヨング イズ ホープフル〕
茲に少壮こそ望ましけれと訳塡すべき一語を記憶する乎。
若し記憶するを為さば、
此一語は何等の意味を含めると思へる乎。

諸君の如き、余の如き、
年少若くは年壮の名を冒して敢て恥づる所なく、
人も称し吾も唱へ、
猶ほ春秋に富めり前途遠しと為すものは、
宜しくこの語の真意を解剖して、
この語に対し吾人年壮の輩が如何なる関係を有する乎を
講究すべきが如し。

諸君の意想如何は余今ま強(しい)て問はず。
余は唯(た)だ余が年壮の位置に在るを以て
少しく此語の意味を解剖し、
斯(この)語に対して自から為すべきの職分を知り、
併せて諸君の之に対する
所以(ゆえん)の本文を説き去らんとす。

少壮こそ実に望ましけれ。

独り英国の社会のみ望を少壮に属するならず、
我が日本の風俗は我が少壮の之を匡正するを待つが如し。
我が日本の学問は我が少壮の之を大成するを待つが如し。
我が日本の政事は我が少壮の之を改良するを待つが如し。

農業に、工作に、漁業に、商業に、
殆(ほと)んど皆な我が少壮を待たざるものなく、
天下万般の事威(ことごと)く
其首を引て我が少壮の為す所如何を観察す。
我が少壮の任責甚だ軽からずと謂(いい)つべし。
(『読売新聞』一八八四年五月三一日)
     ※明治17年(1884)5月31日
p304【小野梓全集 第4巻】1981
〔画像〕p304【小野梓全集 第4巻】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/304
昭和五十六年三月三十一日発行
小野梓全集 第四巻
編集者 早稲田大学大学史編集所
発行者 早稲田大学
    東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所 早稲田大学出版部
    東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/412
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《俠妓 小仲》幼より妓となり勧遊樓で嬌名を馳す【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987

【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
著者    山本泰三 著
出版者   土佐史談会
出版年月日 1987.7
p1【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
〔画像〕p1【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/1

280 俠妓小仲
   高知市皿ケ峯南の丘 西下、
   三原兎太墓 西下、
   加藤墓地 北下
俠妓 小仲  墓碑  酔 施風撰
 大正二年(一九二三)十二月十一日 四十六歳

 西側に左の墓がある
寿山道覺信士 墓
浄雪妙現信女 墓
 堀内恒助 安芸郡室戸町惟名 十三代目
  明治三十一年(一八九八)十二月九日 七十九歳
 同人妻  惠美
  明治十二年(一八七九)十二月九日 五十五歳

本姓堀内、小金直蔵の二女。
慶応三年(一八六七)高知市下知で生れた。
幼より妓となり勧遊樓で嬌名を馳す。
俠気に富み、よく話し、
よく飲み酔いては益々多辨となった。
客席で酔い倒れるを常としたが、
客も樓主もこれを咎めず皆が許した。
一夜酔い歌い乱舞の裡に醉倒して
遂に醒めなかった。 <墓碑>
p148【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
〔画像〕p148【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/148
土佐の墓 その二
頒価 その一 その二 一、九〇〇円
 土佐史談選書 十二
昭和六十二年七月 二十日 印刷
昭和六十二年七月三十一日 発行
著 者 山本泰三
発行所 土佐史談会
    高知市丸ノ内一丁目
    高知県立図書館内
印刷所 (有)西村謄写堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/162
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《酒井南嶺》墓碑 中村正直撰 市河三兼書【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987

【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
著者    山本泰三 著
出版者   土佐史談会
出版年月日 1987.7
p1【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
〔画像〕p1【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/1

220 酒井南嶺(なんりょう)
高知市筆山
登山自動車道最初の駐車場南の大カーブの南の道
西上・林六太夫守政墓の上段

南嶺酒井先生
 明治十四年(一八八一)七月十一日 五十五歳
  墓碑  中村正直撰 市河三兼書
上段に
 酒井緩吾源裕(南嶺の兄)
  文久癸亥三年(一八六三)十二月十六日 四十五歳

南嶺、名は祐親、通称三治、
宿毛家老伊賀家の家士 酒井栄三郎 二男。
佐藤一斎(江戸)らに学び、
文久三年(一八六三)
宿毛家老 伊賀氏固(十代)が郷学校 講授館
(文館・後に日新館・維新後は宿毛小学校)を開いた時、
植村修蔵・小野義真・中村進一郎と共に教授となった。
また別に宿毛で望美楼(漢学家塾)を開いた。
維新後 中村中学校に勤めたが高知で歿した。
門人に大江卓・小野梓・岩村通世・竹内綱らがある。
p118【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
〔画像〕p118【土佐の墓 その2 (土佐史談選書 ; 12)】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/118
土佐の墓 その二
頒価 その一 その二 一、九〇〇円
 土佐史談選書 十二
昭和六十二年七月 二十日 印刷
昭和六十二年七月三十一日 発行
著 者 山本泰三
発行所 土佐史談会
    高知市丸ノ内一丁目
    高知県立図書館内
印刷所 (有)西村謄写堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250912/1/162
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

酒井南嶺と竹内綱との親密さが察せられると同時に【評伝吉田茂 上】1978

【評伝吉田茂 上】1978
著者    猪木正道 著
出版者   読売新聞社
出版年月日 1978.12
p3【評伝吉田茂 上】1978
〔画像〕p3【評伝吉田茂 上】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12263129/1/3

宿毛は高知よりさらにまた中央から遠い。
幕末の政治の中心地、
京都に行くのに、
一体何日かかったかを考えてみただけでも、
宿毛で酒井南嶺先生から
"世界の中の日本人"として教育された
青少年たちが大志を抱いたことは、
何かわかるような気がするではないか?

自叙伝の中で、
竹内綱は、
酒井南嶺先生との関係について、
「余と酒井との交りはもっとも親密にして、
 余は常に酒井に師事せしも、
 酒井は余を親友として待遇せり。」
とのべている。

明治十四年(一八八一)に、
綱が久しぶりで恩師酒井南嶺を訪ねたところ、
先生は肺結核で床についていたが、
弟子の来訪を大変喜んで、
半日余りも話し合っている。
別れに臨んで南嶺は、
次のように綱を戒めたという。

「兄が宿毛を出でしより相見ざること十有余年なり、
 今日の面会は喜悦限りなし、
 しかるに予の病気は到底回復の望みなし、
https://dl.ndl.go.jp/pid/12263129/1/15

 今日の別離はこれ永別とならん。
 兄は無二の親友なり、
 訣別に臨んで一言せざるべからず。
 兄は生来非文の大事業を企て多くは失敗に終れり、
 須らく深く戒慎すべし……」

酒井南嶺と竹内綱との親密さが察せられると同時に、
師の南嶺が弟子の綱に大きな期待をかけていたこと、
綱には卓抜な才幹を非文の<途方もない>
大事業につぎこむ性向があったこと、
がわかると思う。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12263129/1/16
評伝 吉田茂 上
一九七八年十二月二十五日 第一刷 定価三、〇〇〇円
著 者 猪木正道
版 権 猪木正道・財団法人吉田茂記念事業財団
編集人 笠井晴信
発行人 深見和夫
発行所 読売新聞社
    〒一〇〇東京都千代田区大手町一ノ七ノ一
    〒五三〇大阪市北区野崎町八ノ一〇
    〒八〇二北九州市小倉北区明和町一ノ一一
印刷所 図書印刷株式会社
製本所 協和製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12263129/1/197
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年05月25日07:52
《土佐宿毛の教育者 酒井南嶺》『酒井南嶺伝』昭和63年発行
1. 長谷川勤 2021年03月10日 18:39
小野梓(早稲田大学人物叢書)の評伝を読んでいたら、
酒井南嶺の薫陶を受けたことを知りました。
私は吉田松陰の研究をしております。
宿毛出身の明治期の活躍者達は、
殆どが酒井南嶺の影響・薫陶を受けたと知り、感動しております。
高杉晋作や伊藤博文等を育てた吉田松陰と重なります。
さらに、大隈重信、副島種臣等を育てた、
枝吉神陽に比肩される教育者と理解しました。
『酒井南嶺伝』を読む機会を渇望しております。
私家本らしく、購入の機会が困難とのことで残念です。
よいブログに出逢えて感激しております。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【酒井南嶺伝】1988
著者    小山松勝一郎, 弘中敦子 共著
出版者   東京宿毛会
出版年月日 1988.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/13321723/1/3
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

正穀蓄積につき 小野梓書簡 明治16年12月【新編埼玉県史 資料編 19 (近代・現代 1 政治・行政 1)】1983

【新編埼玉県史 資料編 19 (近代・現代 1 政治・行政 1)】1983
著者    埼玉県 編
出版者   埼玉県
出版年月日 1983.3
p5【新編埼玉県史 資料編 19】1983
〔画像〕p5【新編埼玉県史 資料編 19】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/5

    目  次
一五一 正穀蓄積につき小野梓書簡……三七八
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/15

松方デフレ期には
県会で備荒儲蓄の積穀が問題となったが、
改進党系議員は原案に反対し、
金銭貯蓄案を主張する。
その背景には中央指導者の
小野梓の指示があったものと思われる(資料一五一)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/30

明治初期救貧立法の構造 p11/31
 備荒儲蓄法研究その一
   笛木俊一
府県儲蓄金の管理は、
内務・大蔵両省の許可を条件としているが、
具体的な方法については各府県会に任されている
(儲蓄法第五条、但し原案提出権は府知事県令にある)。
なお、米穀を購入して儲蓄する場合は儲蓄金の半額を限度とし、
「他ノ半額ハ公債証書ニ交換シ置クヘキモノ」(同条)とされ、
「大蔵省派出官吏」の検査を受ける(取扱順序第一四条)。

 (封紙表)
 「埼玉県
  浦和駅今福屋平兵衛様方
     永田荘作様 小野 梓
   書留別配達 要信煩親展 」

 (封紙裏)
 「 東京
  従仲猿楽町 (消印一六年一二月一七日 東京)
   五番地第二号
   十二月十六日発     」

 先回尊書之貴答ハ近日可伺心得ニ御座候
十三日付ノ花翰今朝拝見来示臨時会云々謹承致候、
依テ鄙見左ニ具陳ス

正穀蓄積ノ義ハ否決相成度ト存候、
来書ニモ言ハレシ如ク正穀蓄積ノ事ハ
徒ラニ手数ヲ費シ冗費ヲ増シ、
暗々ノ中貯蓄ノ元ヲ消耗シ去ルノ傾アリ、

又此ノ開港ノ時ニ際シ通商自在ナレハ、
万一内国ニ飢饉アルモ直ニ海外ヨリ輸入来ルヲ得ハ、
今日ニ当テ無益ノ手数
許多ノ危険ヲ冒シテ
正穀ヲ蓄蔵スヘキノ要用ヲ見ス、

但タ高価ノ公債ヲ売テ低価ノ米穀ヲ買フハ
一寸利益ノ様ナレトモ、
正穀ヲ貯蔵スルノ費用ト危険トヲ以テ
差引カハ必ス絶無ニ帰シ、
却テ幾分ノ損失ヲ残スハ
言フマテモ無キ事ナリ、

唯夫レ此ノ如シ、
故ニ備荒貯蓄ノ一点ヨリシテ
之ヲ断論セハ無論否決スヘキナリ

然レトモ斯臨時会議案ノ目的ハ備荒ニ在ラスシテ、
此ノ低落セル米価ヲ恢復セント欲スルニ在ルナラン、
饒(た)トヒ
若シ然ルモ之ヲ否決セント欲スルナリ、

惟フニ全国ノ府県ニシテ
皆ナ正穀ヲ貯蔵セハ
幾分カ一時米価ニ影響スルナラン、

然レトモ此米価ノ低落ハ
種々ノ原因ヨリシテ来リタルモノニシテ、
一国政治ノ大本立テ、
サレハ到底其始終ヲ全フスヘキモノニ非ラス、

故ニ後日貯蓄ノ点ニ弊害アルヲ知リツヽ
正穀ヲ今日貯蔵シ、
此ノ一時暫且ノ影響ヲ見ントスルハ
甚タ拙劣姑息ト謂フヘシ、

惟フニ正穀ノ貯蓄ヲ以テ
今日ノ惨状ヲ始終救済スルヲ得ハ、
貯蓄ノ損失顧ミルニ遑(いとま)アラス、
然レトモ之ヲ以テ其始終ヲ救済スルヲ得ス、

一旦影響スルモ又其始ニ復シ
再タヒ今日ノ惨澹アルヲ預(予)知スヘケラハ、
断シテ貯蓄ニ損耗ヲ生セシムヘカラサルナリ、

顧フニ政府ニシテ此米価ノ下落ヲ憂ヘハ
宜シク政治ノ大本ヲ定メ、
低幣ノ改良ヲ速ニシ以テ商業上ノ安固ヲ与フヘシ、

又何ソ他ニ求ムルヲセンヤ
思ヒ出ルニ任セ書裁(戴)セリ、

猶ホ今夕総理ニ面話意見承リ
   ※総理:大隈重信 立憲改進党総理
別議モアラハ可申上候

 十二月十六日  小野 梓
  (大宮市土屋 永田庄一氏蔵)
p210【新編埼玉県史 資料編 19】1983
〔画像〕p210【新編埼玉県史 資料編 19】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/210
新編埼玉県史 資料編 19
近代・現代1 政治・行政1
昭和五十八年三月二十五日 発行
編集発行 埼玉県
印刷所 株式会社 ぎょうせい
(第12回配本>
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/561
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《瀬谷小次郎》福田鉄太郎【慶応義塾入社帳 第1巻】1986

【慶応義塾入社帳 索引】1986
著者    福沢研究センター 編
出版者   慶応義塾
出版年月日 1986.9
 索引凡例
ローマ数字は巻数、
それに続く3桁の数字はその巻のページを示す。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/4
筧  喜十郎 Ⅳ084
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/26
瀬谷 小次郎 Ⅰ306
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/46
福田 鉄太郎 Ⅰ306
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/68
[へ]
別府 藤馬  Ⅲ436
別府 景貞  Ⅳ381
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/70
慶應義塾入社帳 索引
発 行 昭和61年9月30日
発行者 石川忠雄
編 集 福澤研究センター
発行所 慶應義塾
    〒108 東京都港区三田2-15-45
    電話(03)453-4511
印刷・土井印刷(株)
装幀・近藤和子
製本・富士製本(株)
(限定500部 非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243305/1/90

【慶応義塾入社帳 第1巻】1986
著者    福沢研究センター 編
出版者   慶応義塾
出版年月日 1986.3
p3【慶応義塾入社帳 第1巻】1986
〔画像〕p3【慶応義塾入社帳 第1巻】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12244872/1/3

本人姓名     瀬谷小次郎
生國       埜州
住所       黒羽
主人ノ姓名    大關美作守
父或ハ兄弟ノ姓名 
自分當主ナレハ
記スルニ及ハス
年齢       廿三歳
社中ニ入タル月日 二月五日
入塾證人ノ姓名印 

本人姓名     福田鉄太郎
生國       野州
住所       黒羽
主人ノ姓名    大關美作守
父或ハ兄弟ノ姓名 
自分當主ナレハ
記スルニ及ハス
年齢       十八歳
社中ニ入タル月日 二月五日
入塾證人ノ姓名印 
p167【慶応義塾入社帳 第1巻】1986
〔画像〕p167【慶応義塾入社帳 第1巻】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12244872/1/167
慶應義塾入社帳 第一巻
発 行 昭和六一年三月一六日
発行者 石川忠雄
編 集 福澤研究センター
発行所 慶應義塾
    〒108 東京都港区三田二ノ一五ノ四五
    電話(〇三)四五三-四五一一
印刷所 土井印刷(株)
装 幀 近藤和子
製 本 富士製本(株)
(限定五〇〇部 非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12244872/1/399
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《大国清香=松村 弘(こう)》常任理事「世界連邦京都婦人の会」小野梓・賀川豊彦・湯川秀樹【世界連邦運動二十年史】1969

【世界連邦運動二十年史】1969
出版者   世界連邦建設同盟
出版年月日 1969
p3【世界連邦運動二十年史】1969
〔画像〕p3【世界連邦運動二十年史】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/3
京都では、湯川スミが中心になって、
昭和31年2月21日、奥村女子会館において
「世界連邦京都婦人の会」準備が開かれた。
会長   湯川スミ
常任理事 延原べん、大西鶴子、上原芳子、
     大国清香、渡辺愛子、山力タミエ、
理事   高山静子、塚本美代、中路五十子、粟田茉紗子、
     森 幸子、守屋友紀子、千嘉代子、鏑木重野、
     藤井ふく、児島田和、石野愛子、竹上冬子、
     武間富貴、井上愛子、苅谷せい、池田貞子、
     富森松枝、藤田静子、井島規代子、池川幸満、
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/100
小野 梓 ※《大国清香=松村 弘(こう)》の祖父
世界を救う唯一の途は、
一大合衆国政府を樹て、
宇内の与望を担う賢哲を選んで
世界大統領とするにあり。
(明治3年、早稲田大学建学の功労者)

賀川豊彦
「人のものは己のもの、己のものは己のもの」
という思想が残るあいだは世界連邦の建設はできない。
「己と人が共に楽しむ」
意識の誕生する日に世界法治がめざめる。
(前同盟副会長)

湯川秀樹
世界連邦の建設は決して夢ではない。
日本人が世界連邦に努力すれば、
他日かならず、
人類全体から感謝されよう。
(ノーベル賞物理学者 同盟顧問)
p113【世界連邦運動二十年史】1969
〔画像〕p113【世界連邦運動二十年史】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/113
 Ⅱ 戦前の単行本(1868~1944)
Ⅰ 明治以後~第一次大戦終了までの文献
  (1868~1917)
(255) 小野 梓「救民論」1870
   【小野梓全集 第4巻】1981
   著 者 早稲田大学大学史編集所 編
   出版者 早稲田大学出版部
   https://dl.ndl.go.jp/pid/12407920/1/70
(256) 中村敬宇「米利堅志」序文 1873
(257) 植木枝盛「無上政法論」
(258) 中江兆民「三酔人経綸問答」1888
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/285
大国以都雄 亀岡市南郷町
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/305
世界連邦運動20年史
      特製本
1969年(昭和44)4月10日 印刷
1969年(昭和44)5月1日 初版発行
編集兼発行所
世界連邦建設同盟
東京都千代田区内神田1-15-10
振替 東京29964番
電話 東京(03)-(291)-6619・9255
印刷所 (株)弘栄堂
東京都港区西新橋3-13-7
電話(431)3530・3875
製本所 有限会社 協栄製本
東京都板橋区熊野町8
定価1,800円
https://dl.ndl.go.jp/pid/11925035/1/313
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年04月03日08:00
《大國以都雄:總務主任》[皇道大本昭和靑年會現勢一覧表]
(昭和九年六月末現在)
《大國以都雄》
  明治29年(1896)3月26日生
  平成         歿
大深浩三:山口縣吉敷郡山口町大字上堅小路百参番地[除籍謄本]
大深以都美(大正11年p85)
大国以都雄(大正13年11月)
大国美都雄(p98)→大本での名前
「真偽二道」大国美都雄著 昭和58年11月10日発行

妻 大国 弘 
  明治42年(1909)8月28日生
  昭和51年(1976)7月5日歿
 <父 松村仙造(眞澄) 母 松村 墨>
  大国弘(こう) → 大国清香 大本での名前
  大正15年2月11日婚姻
  「真偽二道」p119-120 大国美都雄著
  昭和58年11月10日発行
  昭和2年7月16日 入籍[除籍謄本]
4f198942
〔写真〕左から
前列 小野雄二 (小野又一 二男)
   小野一雄 (小野又一 長男)
中列 松村正子 (松村一造 妻)
   大国以都雄(大国 弘 夫)
   小野又一 (小野一雄 父)
   金岡重  (小野又一 三姉)
   大国 弘 (大国以都雄 妻:小野又一 長姉)
後列 松村一造 (小野又一 兄)
   小野文子 (小野又一 妻)
   坂本佳記 (小野又一 甥)
   ※父 坂本恭啓 母 (松村)文子
撮影場所:松村一造宅
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

幸徳秋水が読み、その英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いだ著書『東洋小野梓君伝』山田一郎編

【小野梓全集 第5巻】1982
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1982.3
p3【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p3【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/3

p4【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p4【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/4

「自伝志料」を収録した
山田一郎編『東洋小野梓君伝』
(明治19年(1886)2月10日刊)の表紙と、
没後10周年の追悼会で配られた「自伝志料」の石版刷
※小野梓:明治19年(1886)1月11日歿
p6【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p6【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/6
 Ⅰ 自伝
一 自伝志料  p165-171/343
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/165
(『中央学術雑誌』第二二号付録『東洋小野梓君伝』
 一八八六年二月一〇日刊 一八八四年一一月一日筆)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/171
昭和五十七年三月三十一日発行
     小野梓全集 第五巻
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/340
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【小野梓】1926
著者    早稲田大學佛教青年會 編纂
出版者   冨山房
出版年月日 1926.6
  小野梓先生を懐ふ
 早稻田大學總長法學博士
    高田早苗氏
諸君が先生のことを研究なさらうと云ふ
御考がありますならば材料は種々ある。
先づ第一に今では珍本になつて居つて世間には殆んど無い、
早稻田大學の圖書館に只一冊あるだらうと思ひますが、
「小野東洋居士傳」と云ふ、
之は先生が歿くなられた當時に
友人の山田一郎君が編纂されたもので、
そは半ば先生の自傳であります。
先生自からの文章で出來て居りまして、
後の足らざる所を山田君が補はれたものである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1909566/1/18
大正十五年六月十七日印刷
大正十五年六月十九日發行 (非賣品)
編纂者 早稻田大學佛敎靑年會
    右代表者 木山十彰
    東京市牛込區岩戸町二十六番地
發行兼 合資會社 冨山房
印刷者 東京市神田區通神保町九番地
    右代表者 坂本嘉治馬
https://dl.ndl.go.jp/pid/1909566/1/47
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《林譲治》幸徳秋水は小野梓を…英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いでいる[歴代厚相物語]【国民健康保険 17(1)】1966-01

【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者   国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1

[歴代厚相物語](13)
 二代・政治家の父と子
  林譲治氏(上)
      大野光義

林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18

  有造翁と少年・秋水
——幸徳秋水が生れてはじめて、
天下の名士に接した機会は、
この林有造翁が“最初”のひとであった。
それは、秋水が十五歳の時で、
明治十八年の十二月のことである。

当時、自由党の機関誌であった、
絵入りの「自由新聞」の、
少年秋水は愛読者であったから……
四海に有造翁の声明は、
頭の中にしっかりと焼きついていた。

或る日、秋水が住む土佐の中村の町にも、
——林有造先生が講演に見える。」
という噂が街中にひろまった。
これを機会に秋水は、きっと、
お目にかかる念願がかなえられると……
胸中の喜びをおさえ切れなかった、という。
 ―略―

——この頃、
幸徳秋水は、
林家の前記の縁つづきである、
「小野梓小伝」なる
著書を読んで、
小野を東洋の傑れた政治家として
夭折を惜しみながら、
その英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いでいる。

実に林家は、“土佐の名門”としてばかりでなく、
その”無形“の影響力がまことに大きかった事である。

機関誌 国民健康保険 一月号
 (第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
    東京都千代田区霞ケ関二ノ一
    厚生省保険局内
    振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
    東京都台東区上野山下町二
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/19
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【幸徳秋水全集 第9巻】1969
著者    幸徳秋水全集編集委員会 編
出版者   明治文献
出版年月日 1969
p3【幸徳秋水全集 第9巻】1969
〔画像〕p3【幸徳秋水全集 第9巻】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/3
   後の形見緒言
    ―略―
 明治廿二年一月中浣 於浪華
   幸徳傳次郎 識

(曩者東洋政治家之少年小野梓君
 死也君所記之梓小傳行于世、
 是君カ後ノ形見ノ記セシモノナラン、
 而ルニ君カ英才博識天下人ノ尊重スル所トナルノ価値ハ
 後ノ形見ト迄ニ記セシモノカ
 君ノ死後ニ行ハレタリ、
 不知君向後城キ上ゲタル工夫ノ效果ハ果シテ能ク
 此後ノ形見ヲシテ君カ死後天下ニ行ハレシムルニ至ルヤ
 ――〔執筆者不明〕) p10/317
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/9
  解説  塩田庄兵衞
幸徳秋水の自筆の日記が、三種類現存している。
本巻に収めた『後のかたみ』『時至録』および
『記事(渡米日記 他)』がそれである。
  『後のかたみ』
幸徳秋水が、十七~十八歳のころ、
大阪および東京で中江兆民の書生に
住みこんでいた時期の日記で、
今日までに発見された彼のもっとも
若いときの作品である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/300
なお、原本の上欄に、
ところどころ朱筆で書き込んである感想・批評は、
印刷の体裁上本文中の適当な箇所に挿入した。
筆跡は同一人であり故・幸徳富治氏は
横田金馬のものであろうと推定しておられたが、
確証がないので〔執筆者不明〕としておいた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/302
幸徳秋水全集  第九巻(第六回配本)
昭和四十四年十二月十日
定 価 二〇〇〇円
編 者 幸徳秋水全集編集委員会
発行者 藤原正人
印刷所 株式会社 精興社
製本所 株式会社 松岳社
発行所 株式会社 明治文献
    東京都豊島区池袋二ノ一〇七〇ノ四〇一
    電話・東京(03)984-0521
    振替・東京三六二九〇
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/314
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ