◆別府祐弘[大河内傳次郎の青春]

《後藤英輔》公正取引委員会 取引部国際課長【東大人名録 官公庁編 昭和42年版】

【東大人名録 官公庁編 昭和42年版】
出版者   東大卒業生名簿編纂委員会
出版年月日 1966
 p9【東大人名録 官公庁編 昭和42年版】
p9【東大人名録 官公庁編 昭和42年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622696/1/9
 公正取引委員会
 千代田区内幸町1-2(第二大蔵ビル)
 電話(591)4361
卒業年度
昭和 8年 法・法 一高  北島 武雄  委員長
昭和10年 法・  浦和  梅田 孝久  委員
昭和12年 法・法 武藏  菊地 淳一  委員
昭和12年 経・      亀田 康夫  委員
(事務局)
卒業年月  昭和20年9月
学部・学科 法・法 
出身高校  一高
氏名    後藤 英輔
役職    取引部国際課長
現住所   渋谷区神宮前2-2-39 外苑ハウス420
      電話(402)8800
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622696/1/29
東大人名録 42年版官公庁篇
昭和41年11月10日 印刷
昭和41年11月10日 発行
発行責任者 塩飽 志郎
印刷者   櫻井廣濟堂
発行所   東大卒業生名簿編纂委員会
      東京都文京区本郷7-3-1・東大構内
      電話・東京(811)4002番
      振替・東京18126番
      本郷郵便局私書凾第11号
非売品  (特に御希望の向きには¥1,000で
      お頒ちいたします。送料実費別。)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622696/1/487
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年06月20日05:08
後藤英輔氏(公正取引委員会事務局長) 
【金融財政事情. 27(43);1976・11・15】昭和51年
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後藤英輔氏(公正取引委員会事務局長) 【金融財政事情. 27(43);1976・11・15】昭和51年

後藤英輔氏(公正取引委員会事務局長) 
【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】昭和51年

【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】昭和51年
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 雑誌
(金融財政事情研究会, 1976-11)  

【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p1
〔画像〕【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p1
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2659183/1

後藤英輔氏
公正取引委員会事務局長
初の生え抜き局長
 公取委員となった熊田前公取事務局長の後任は、
一〇月二九日後藤さんが取引部長から就任した。
初の生え抜き局長の誕生である。
しかし
「古米が新米になったみたいなもの」と就任の弁は
人柄そのままに
少しも気負ったところはない。
もっとも
「生え抜きの私に何を期待されているかといえば、
 やはりそれは委員会と事務局の疎通を
 これまで以上に図ることでしょう」とソツもない。
 そのためには
「組織固めの研究が急務。
 働きがいのある職場にしたい」と強調する。
三〇年代前半の事務局の苦難時代を
身をもって体験しただけに、
万鈞の重みをもって響く。
「役人になるつもりはなかったが、
 村上(孝太郎・元大蔵次官)さんの勧めで」
二二年にできたばかりの公取事務局に入局。
三六年には初代の経済部取引課長となり、
景品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)
の作成にあたって、
広告業界を相手に八面六臂の活躍をしたのは、
いまでも局内の語り草。
芯の強さをみせつけた。
官房総務課長、官房審議官も経験している。
 趣味はゴルフ。事務局ではトップの腕前。
読書は「生家のせいでしょうか親鸞のもの」。
厳父は西本願寺執行長だった環爾氏。
生れは高知だが、東京の下町育ち。
同窓生には多彩な顔ぶれ。
吉国横浜銀行頭取、
岸田大蔵省国金局短資課長とは義兄弟の間柄。※下記
 二〇年東大法卒。五六歳。 (T)
【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p12
〔画像〕【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p12
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2659183/12

  週刊 金融財政事情
編集人  倉田  勲
発行人  奥山  保
発行所  社団法人 金融財政事情研究会
企画制作 株式会社 金融財政 ©1976
  〒105 東京都港区芝西久保明舟町18
   編集直通(03)501-9022、504-0323
  大阪支局 大阪市西区新町南通1-27
          新町七福ビル
        電話(06)541-5907~9
申込先  株式会社 キンザイ
  〒101-91 東京都千代田区神田神保町2-36
                北神ビル
       電話 東京(03)263-1291(代)
       振替 東京8-155845
印刷所  株式会社 文唱堂
    金融財政事情研究会の役員
顧 問 森永貞一郎  副理事長 布施 祹一
    松本 重雄  常務理事 相沢 英之
    瀬川美能留  理  事 福田 赳夫
   山本源左衛門       佐多 忠隆
    小南 弘久       石野 信一
    新谷 正夫       澄田  智
議 長 江沢 省三       越智 通雄
【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p30
〔画像〕【金融財政事情. 27(43)(1300);1976・11・15】p30
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2659183/30
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※岸田俊輔(大蔵官僚、銀行家・元広島銀行会長[189])
岸田文雄 略系図
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月09日
小野梓先生 122回忌法要・パーティー会場
2007年3月10日
秋沢ホテル
高知県宿毛市幸町6-43
122回忌法要・パーティー会場
写真
前列 右から
奥島孝康(早稲田大学 第14代総長)
小野一雄
後列 右から
別府祐弘(現 上武大学 ビジネス情報学部 教授)
後藤英輔(全国公正取引協議会連合会 顧問)
小野(尾上)喜代子 妻

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日
『後藤英輔:浜口庫之助の思い出 p28-33』
庫ちゃんはたった二つ違いの兄弟分だが、
今振りかえって見ると大先輩のような感じで
私に得難い貴重な思い出を沢山のこしてくれた。
亡くなって十年近くなるのでヒット曲だけは
今でもひとり歩きして歌われているが、
「浜口庫之助」の名は忘れかけている。
―略―
私の勤め先である公取も
その当時内幸町の古色蒼然たる第二大蔵ビルで
コロンビア本社と同居しており、
私の部屋はその宣伝部とすぐ隣り合わせだった。
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岸田多一郎(呉服販賣業)岸田光太郎(木材販賣業)【基隆港】大正6年(1916)

岸田多一郎(呉服販賣業)
岸田光太郎(木材販賣業)
【基隆港】大正6年(1916)

【基隆港】大正6年(1916)
 基隆港の内地人商店  p129/145
 (營業税年額二十圓以上)(一〇五人)
  呉服販賣業(七)
店主名   岸田多一郎
兼  業  貸付
大正六年度
營業税年額 二二七・八〇
店舗位置  哨󠄀船頭一九二ノ七
電話番號  一二七
店主原籍  廣島
  材木販賣業(五)  p130/145
店主名   岸田光太郎
兼  業  貸付
大正六年度
營業税年額 一八四・六〇
店舗位置  玉田二五八
電話番號  長四四
店主原籍  廣島

【東洋時計貴金属眼鏡蓄音器商工名鑑】大正10年
 臺彎 臺北州 基隆郡  p230/249
時、貴、眼  基隆街哨󠄀船頭
岸田多一郎

【全国業界名鑑興信録. 後篇】大正14年
 臺彎 臺北州 基隆市  p50/107
時計 貴金屬 眼鏡 小賣
哨󠄀船頭一九二ノ七
岸田呉服店時計部
岸田多一郎
創業 大正四年(1915)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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岸田多一郎(岸田呉服店)岸田光太郎(岸田材木店)台湾基隆【日本紳士録】大正5年

岸田多一郎(岸田呉服店)岸田光太郎(岸田材木店)台湾基隆
【日本紳士録】大正5年

【日本紳士録】大正5年(1916)
◎臺彎 臺北、基隆之部 p932/1145
岸田多一郎       p950/1145
岸田呉服店、基隆街哨󠄀船頭一九二
×營業税 四一六 ▲電話 基隆一二七

岸田光太郎       p950/1145
岸田材木店、基隆玉田二五八
×營業税  八四 ▲電話 長基隆四四

【日本紳士録】大正7年(1918)
◎臺彎 臺北、基隆之部 p736/948
岸田多一郎       p749/948
太物商、基隆街哨󠄀船頭一九二ノ七
※家屋税 一四二 ×營業税 二〇八 ▲電話 一二七

岸田光太郎       p749/948
材木商、基隆街土名玉田二五八
※家屋税 二一五 ×營業税 一五〇 ▲電話 四四

【営業別日本小売商店名鑑:飾窓設備者】大正13年
 臺彎 基隆街(基隆郡)  p106/135
營業品目   營業主   營業所  電話番號
呉服、貴金屬 岸田多一郎 哨󠄀船路 一二七
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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文春オンライン
岸田文雄首相の祖先は、台湾・満州で成功した
熱血ビジネスマンぞろいだった
明治時代から続く、開拓者の系譜
田中 淳  2021/10/11
現在は1階がベーカリー、2階がレストラン
 幾太郎は1897年、
弟の岸田多一郎(生没年不詳)と
 ※明治2年8月生:1869年9月 別稿に記載
岸田光太郎(1872~没年不詳)を台湾に呼び寄せていた。
 ※明治5年4月生:1872年5月
1899年に幾太郎が帰国した後は、
多一郎が呉服店、光太郎が材木店を受け継ぎ、
兄弟はやがて、
酒の卸業や貴金属販売なども手広く手掛けるなど、
ともに業容を拡大させる。
多一郎は「岸田呉服店」の西側増築部にカフェ
「岸田喫茶部」も運営するようになった。
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岸田正次郎 大正10年 早稲田大学 專門部政治經濟科卒【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】

岸田正次郎 大正10年 早稲田大学 專門部政治經濟科卒
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】

【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
岸田正次郎  p216-217/554
  幾久屋百貨店 專務理事
  出身地 廣島縣
  現住所 關東州大連市桃源臺二四六
      (電話九四六二)
  明治三十年(1897)十二月二十六日生
  大正十年(1921)專門部政治經濟科卒
廣島縣人  岸田幾太郎の男
大正十年(1921)  專門部政治經濟科卒業
大正十四年(1925) ハーバード大學卒業後
英獨に留學
昭和元年(1926) 歸朝
内務省囑託
富士瓦斯紡績會社員等歷職
昭和九年(1934) 幾久屋百貨店專務理事となり
現在に至る
趣味 碁 庭球
宗敎 眞宗
家庭
夫人 豐子 明治三十九年(1906)生
      福井縣 中村吉春 長女
      神戸女學院出
長男 公治 昭和三(1928)年生
二男 尚治 昭和六(1931)年生
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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岸田正次郎【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

岸田正次郎【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

【大衆人事録. 第12版 
 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇】昭和13年
岸田正次郎  p822/879
幾久屋百貨店專務
大連市桃源台二四六
電話 九四六二
[閲歷]
廣島縣 幾太郎の男
明治卅年(1897)十二月廿六日生る
大正十年(1921)早大政經科
大正十四年(1925)ハーバード大學
各卒業 英獨に留學
昭和元年(1926)歸朝
内務省囑託
富士瓦斯紡績に勤務
昭和九年(1934)現職に就く
宗敎 眞宗
趣味 碁 庭球
[家庭]
妻  豐子  明治三九年(1906)生
       福井縣 中村吉春 長女
       神戸女學院卒
長男 公治  昭和 三年(1928)生
二男 尚治  昭和 六年(1931)生
[參照]岸田正記

【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
關東州一六頁
岸田正次郎  p387/950
市會議員 商工會議所議員
關東州貿易實業振興(株)取締役
幾久屋百貨店經營
大連市平和臺一六
電話 五ノ二四六二
[閲歷]
廣島縣 幾太郎の男
明治卅年(1897)十二月廿六日生る
大正十年(1921)早大政經科
大正十四年(1925)ハーバード大學
各卒業 英獨に留學
昭和元年(1926)歸朝
内務省囑託
富士瓦斯紡績等に勤務
昭和九年(1934)創業
大連幾久屋・奉天幾久屋・文官屯幾久屋を經營す
宗敎 眞宗
趣味 碁 庭球
[家庭]
妻  豐子  明治三九年(1906)生
       福井縣 中村吉春 長女
       神戸女學院卒
長男 公治  昭和 三年(1928)生
二男 尚治  昭和 六年(1931)生
三男 武久  昭和一四(1939)
[參照]岸田正記
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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岸田正記【大衆人事録. 第14版 東京篇】昭和17年

岸田正記【大衆人事録. 第14版 東京篇】昭和17年

【大衆人事録. 第14版 東京篇】昭和17年
岸田 正記  p229/621
正五勳三
衆議院議員(廣島縣第一區選出)
本郷區駒込富士前町五五
電話 大塚二八五〇
[閲歷]
廣島縣 幾太郎 長男
明治廿八年(1895)十二月生る
大正十三年(1924)京大法律學科卒業
代議士當選六回
曩に海軍參與官たり
宗敎 眞宗
趣味 庭球 乘馬
[家庭]
母  スミ  明治 八年(1875)生
       廣島縣 三宅直之助 四女
妻  和子  明治三九年(1906)生
       廣島縣 小田得一 二女
長男 文武  大正一五年(1926)生
       東京高校在
長女 玲子  昭和 三年(1928)生
二男 俊輔  昭和 五年(1930)生
二女 邦子  昭和 七年(1932)生
弟  正次郎 明治三〇年(1897)生
       ハーバード大學卒
同妻 豐子  明治三八年(1905)生
       福井縣 中村三郎 長女
弟  誠記  明治三六年(1903)生
       慶大法學部卒
弟  群次郎 明治三九年(1906)生
       明大卒
叔父 光太郎 明治 五年(1872)生
同妻 スウ  明治一四年(1881)生
叔父 菊太郎 明治 八年(1875)生
同妻 イソノ 明治一六年(1883)生
叔父 達一  明治一六年(1883)生
同妻 オユキ 明治一九年(1886)生
弟  久夫  明治三四年(1901)生
       廣島縣 三宅久太郎の養子となり
叔父 多一郎 明治二年(1869)生
同妻 キクミ 明治一九年(1886)は分家す

【大衆人事録. 第14版 近畿・中国・四国・九州篇】昭和18年
廣島14頁
岸田 正記  p824/1125
正五勳三
衆議院議員(廣島縣第一區選出)
(東京篇參照)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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岸田正記 岸田正二郎 幾久屋百貨店【日本実業商工名鑑. 昭和14年度版】

岸田正記 岸田正二郎 幾久屋百貨店
【日本実業商工名鑑. 昭和14年度版】

【日本実業商工名鑑. 昭和14年度版】
滿洲國 大連市 p204/214
幾久屋百貨店  p214/241
店 主  岸田 正記
專 務  岸田正二郎
内外百貨
大連市浪速町一一四
創 業  昭和八年
電 話  本局代表②六一五四・六一〇一
振 替  大連二〇七二
銀 行  滿銀・興銀
出身地  廣島縣
公 職  衆議院議員
昭和十四年十一月二十四日印刷
昭和十四年十二月 廿壹日發行
編輯兼   西浦政治郎
印刷發行人 大阪市北區都島本通三丁目一〇〇番地
印刷所   小原印刷所
      大阪市浪速區元町二丁目五三番地
      電話 戎五五〇九番
發行所   日本實業商工會
      大阪市北區都島本通三丁目一〇〇番地
      電話 堀川(35)五七〇〇番
日本實業商工名鑑 定價金五圓

【満洲帝国分省地図並地名総攬:満洲建国十周年記念】昭和17年
 名  稱    所在地   郵便配達
幾久屋デパート 大連市浪速町 大連中央 p187/271
昭和拾七年七月五日印刷
昭和拾七年七月廿日發行
滿洲帝國分省地圖並地名總攬
 停 定價金貳拾圓也
 送料(内地)五拾錢(其他)八拾錢
著作兼   佐々木恭一
發行者   大阪市東成區大瀨町二丁目二七番地
總攬印刷者 株式會社 天理時報社
      代表者  岡島 善次
      奈良縣山邊郡丹波市町川原城三〇七番地
圖版印刷者 秀美堂印刷株式會社
      代表者  松島德三郎
      東京市芝區田村町六丁目一番地
發行社   國際地學協會
      大阪市東成區大瀨町二丁目二七番地
      電話天王寺(77)五八三六・八八一七番
      振替口座大阪四六六五七番
      東京市芝區田村町六丁目一番地(田村町ビル)
      電話  芝(43)〇二三七・二二七六番
      振替口座東京九九五四八番
配給元   日本出版配給株式會社
      東京市神田區淡路町二丁目九番地
大阪府指令經商二第六七九〇號
文協會員番號一一〇五〇二
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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岸田正記(岸田幾太郞の長男)【人事興信録. 第8版(昭和3年)】

岸田正記(岸田幾太郞の長男)【人事興信録. 第8版(昭和3年)】

日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
岸田正記 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
爵位・身分・家柄 廣島縣在籍
職業       衆議院議員(廣島縣選出)
性別       男性
生年月日     明治二十八年十二月 (1895)
親名・続柄    岸田幾太郞の長男
家族
母  スミ 明 八、 三生、廣島、三宅直之助四女
妻  和子 明三七、一二生、廣島、小田得一二女
男  文武 大一五、 八生
記述部分(略伝)
君は廣島縣人岸田幾太郞の長男にして
明治二十八年十二月を以て生れ
同四十一年家督を相續す
大正六年長崎高等商業學校を卒業し
昭和三年鄕黨より推されて衆議院議員に當選し
立憲政友會に屬す
曩に滿洲に於て土地經營に從事せり
家族は尚
弟  正次郞(明三〇、一二生)
同  誠記 (同三六、 一生)
同  群次郞(同三九、 二生)
叔父 多一郞(同 二、 八生)
同妻 キクミ(同一九、一一生)廣島、武田善了長女 及其二男一女
同  光太郞(同 五、 四生)
同妻 タス (同一四、 三生)廣島、岡田彦太郞長女及其五男一女
同  菊太郞(同 八、 二生)
同妻 イソノ(同一六、 五生)廣島、藤本正記長女 及其一男一女
同  達一 (同一六、 七生)
同妻 オユキ(同一九、 一生)廣島、芳川七之助三女及其一男一女
弟  久次 (同三四、 一生)廣島縣人三宅久太郞の養子となれり
住所 廣島市段原町九九〇
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【人事興信録. 第8版(昭和3年)】
岸田 正記  p566-567/1789
【人事興信録. 9版(昭和6年)】
岸田 正記  p581/1755
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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文春オンライン
岸田文雄首相の祖先は、台湾・満州で成功した
熱血ビジネスマンぞろいだった
明治時代から続く、開拓者の系譜
田中 淳  2021/10/11
現在は1階がベーカリー、2階がレストラン
 幾太郎は1897年、
弟の岸田多一郎(生没年不詳)と
 ※明治2年8月生:1869年9月:上記
岸田光太郎(1872~没年不詳)を台湾に呼び寄せていた。
 ※明治5年4月生:1872年5月
1899年に幾太郎が帰国した後は、
多一郎が呉服店、光太郎が材木店を受け継ぎ、
兄弟はやがて、
酒の卸業や貴金属販売なども手広く手掛けるなど、
ともに業容を拡大させる。
多一郎は「岸田呉服店」の西側増築部にカフェ
「岸田喫茶部」も運営するようになった。
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桑野通子・毛利峰子・竹久千惠子・岡田嘉子・中野かほる『思い出のプログラム』新京極篇

桑野通子・毛利峰子・竹久千惠子・岡田嘉子・中野かほる
『思い出のプログラム』新京極篇:田中泰彦編集・解説

   桑野通子 百八拾圓(松竹大船)
一 桑野通子
二 大正五年一月 東京 ※大正4年1月4日
三 東京市芝區三島町八
四 ダンス、紅茶、すき焼
五 ダンサーより蒲田へ入社
  和洋の近代ヴンプ型によく
  彼女の個性を生かす
  特異な娘型スター
  ラツキセシンの第一線花形
  「悲戀華」に出演す

   毛利峰子 貮百貮拾圓(新興京都)
二 大正四年八月 秋田市
三 京都右京區太秦桂原町
四 觀劇、ダンス、茶道
五 舞台を後に映畫ヘ
  東活を經て新興
  時代劇へ舞妓スターとして入社す
  可憐姫御殿有數の容貌は
  フアン諸君の期待する處である

   竹久千惠子 貮百五拾圓(PCL)
一 能登谷千惠子 ※河上千恵子・煤賀
二 明治四十四年十月 秋田 ※明治45年3月6日
三 東京澁谷區松濤町二八
四 ダンス、洋菓子
五 諸口十九、ヱノケン、
  ムーランルージユの舞台より
  PCLに入社
  洋装で立膝の出來るのは
  銀幕で彼女ひとり
  エロ姐御と云はれる所以です

   岡田嘉子 五百圓(松竹大船)
一 岡田嘉子
二 明治三十六年六月 東京 ※明治35年4月21日  
三 東京市蒲田區北糀谷町
四 文學、芝居、洋酒
五 舞台協會髑髏の舞を
  銀幕にデビユー
  各社轉々
  蒲田入社
  演技は古參にして十二分の腕を持つ
  招かれて下加茂の「天保安兵衛」に出演する

   中野かほる 貮百五拾圓(日活東京)
一 中野房榮 ※中野房枝
二 明治四十五年四月 神戸 ※明治45年 4月9日
三 東京市澁谷區笹塚町一
四 映畫、ダンス、果實
五 神戸第一高女を卒へ
  映畫に轉向
  東活、日本喜劇プロ、新興キネマを經て
  日活に入社
  近代女性的美貌に
  幾多のフアンを悩殺して居る
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思い出のプログラム(新京極篇)
定価¥7,000
昭和55年4月1日印刷
昭和55年4月1日発行
 400部 限定出版
編集 解説 田中泰彦
発行者   田中泰彦
発行所   京を語る会
      京都市中京区堺町通三条下る道祐町140
      電話 221-1989
印刷所   株式会社 三星社
      京都市中京区小川通錦小路上る
      電話 221-0336(代)
発売所   京を語る会
      京都市中京区堺町通三条下る道祐町140
      電話 221-1989 郵便番号604
      振替番号 京都11900
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
川崎弘子~中野かほる:15名
『思い出のプログラム』新京極篇:田中泰彦編集・解説
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