◆松村仙造(眞澄)

《總裁 出口王仁三郎 統務 大國以都雄》昭和靑年會・昭和坤生會【昭和青年会昭和坤生会一覧】昭和9年

【昭和青年会昭和坤生会一覧】昭和9年
出版者   昭和青年会本部
出版年月日 昭和9.2
  昭和靑年會
總 裁  出口王仁三郎
總裁補  出口日出麿
會 長  出口宇知麿
本  部 京都府南桑田郡龜岡町天恩郷
     統  務 大國以都雄
         (電話 龜岡一七五番)
         (振替大阪七四六八八番)
主  部 京都府何鹿郡綾部町本宮
     主部長  岩田久太郎
         (電話綾部一三一番)
東京本部 東京市四谷區愛住町七六
          大國以都雄
         (電話四谷三五八五番)
 p4【昭和青年会昭和坤生会一覧】昭和9年
〔画像〕p4【昭和青年会昭和坤生会一覧】昭和9年
  近畿第一主會
口丹波三ノ宮支部
京都府船井郡三ノ宮村字猪鼻字中村五六番地
樋口 勘藏
  昭和靑年會編隊一覽
本部隊
  京都府南桑田郡龜岡町荒塚字内丸一番地
       電話龜岡一七五番
       振替大阪七二六八八番
  本部隊長 大國以都雄
主部隊
  京都府何鹿郡綾部町大字本宮
       電話綾部一三一番
       振替大阪六二三五〇番
  主部隊長 岩田久太郎
  昭和坤生會支部名一覽表
總本部  京都府綾部町本宮
     會長 出口 澄子
     (電話綾部一三一)
     (振替大阪六二三五〇)
本  部 京都府龜岡町天恩郷
     會長 出口 澄子
     (電話龜岡一七五)
     (振替大阪壹九八三二)
東京本部 東京市四谷區愛住町七六
     主任 御田村卓子
     (電話四谷三五八五)
     (振替東京七四六八八)
昭和九年一月二十日 印刷
昭和授年二月 三日 發行 (非賣品)
編輯兼 昭和靑年會本部
發行所 京都府龜岡町荒塚内丸一
印刷所 天聲社
    京都府龜岡町荒塚内丸一
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年04月04日07:13
《大國以都雄》[昭和神聖會]
【愛国運動現勢. 第1輯】昭和10年4月10日発行
 79cbba90
〔画像〕79cbba90
左から
前列 大国以都雄(大国 弘 夫)
   松村一造 (小野又一 兄)
   松村正子 (松村一造 妻)
   坂本恭啓 (小野又一 二姉 文の夫)
中列 大国 弘 (大国以都雄 妻:小野又一 長姉)
   小野文子 (小野又一 妻)
   金岡重  (小野又一 三姉)
   坂本善春 (坂本恭啓 長男)
後列 小野又一 (小野一雄 父)
   小野一雄 (小野又一 長男)
   金岡武夫 (金岡 重 夫)
   坂本佳記 (坂本恭啓 二男)
撮影場所:松村一造宅 二階
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村一造》賀川淸・堀正夫・木下千代子・明石潮・和歌浦糸子:三友劇場【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)

【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)
著者    朝日新聞社 [編]
出版者   朝日新聞社
出版年月日 1935-01
 p1【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)
p1【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1534531/1/1

〇…前々號に賀川淸の消息不明を記しておきました所、
京都の松村一造氏から左の如き親切な報告に接しました。
全文を掲げて質問者「フアン氏」へのお答へと致します。

(前略)
彼(賀川淸)は現在、京都新京極の三友劇場
(二流の小屋ですが、
 京都座が松竹映畫の封切館になつてのちは
 新京極に唯一の芝居小屋になりました)に、
舊下加茂の堀正夫、
舊日活の木下千代子、
他に明石潮、和歌浦糸子と
いつた連中と一座して出演して居ります。
余計なことですが、
入場料金貳拾錢也のお芝居ですから、
彼等も昔戀しい氣持で演つてゐることゝ存じます。
先は不取敢右御知らせ申上げます。
(後略) 《松村一造》
 p93【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)
p93【映画と演芸 12(1)】昭和10年(1935-01)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1534531/1/93
国立国会図書館内限定
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
  御請求書 2024年6月14日
小野一雄様
     社会福祉法人 日本キリスト教奉仕団
     国立国会図書館複写受託センター
合計金額 ¥632
 請求書B4
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《鏑木はるな》(鏑木ハルナ)武蔵野市吉祥寺 昭和6年11月5日生【日本映画人大鑑】1959

【日本映画人大鑑】1959
出版者   キネマ旬報社
出版年月日 1959
p2【日本映画人大鑑】1959
p2【日本映画人大鑑】1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708106/1/2
《鏑木春奈》(鏑木ハルナ)
 武蔵野市吉祥寺八六五
 昭和六年一一月五日 東京生
山脇高女から
(昭和)二二年東宝のニューフェイスとなり、
ストライキのため退社。
文化学院に入学、
卒業後
(昭和)二八年東宝に復帰し
(昭和)三一年日活に移る。
デビュー作は(昭和)二四年
大泉映画の「女の顔」。
〔作品〕
㉝佳人、陽のあたる坂道:昭和33年全作品
㉞若い川の流れ:昭和34年4月末までの全作品
p42《鏑木はるな》【日本映画人大鑑】1959
p42《鏑木はるな》【日本映画人大鑑】1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708106/1/42
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【婦人生活 8(6)】1954-06
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1954-06
③ポニーテールまげ
作   山野愛子
モデル 鏑木はるなさん(東宝)
p7【婦人生活 8(6)】1954-06
p7【婦人生活 8(6)】1954-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324907/1/7
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【新婦人 12(4)(121);4月号】1957-04
出版者   文化実業社
出版年月日 1957-04
 [無法一代]
  スタッフ
原作    西口 克巳
脚本    八住 利雄
監督    滝沢 英輔
  キャスト
鰐口貫太  三橋 達也
お銀    新珠三千代
勢五郎   宇野 重吉
石崎キクノ 芦川いづみ
有馬マツエ 鏑木はるな
松田タケ  利根はる恵
キクノの母 高野 由美
p38【新婦人 12(4)(121);4月号】1957-04
p38【新婦人 12(4)(121);4月号】1957-04
https://dl.ndl.go.jp/pid/11399092/1/38
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村仙造》鑛種 石油 鑛區 簸川郡西田村、北濱村 鑛業權者住所 兵庫縣武庫郡御影町【官報 1921年07月11日】大正10年

【官報 1921年07月11日】大正10年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正10年
 官報 號外 大正十年七月十一日 月曜日 印刷局
    彙  報
  〇産業
◎鑛業事項  鑛業法ニ依リ處分シタルモノ
       左ノ如シ(農商務省)
登錄番號   島根試登錄第七二七號
鑛區所在地  簸川郡西田村、北濱村
鑛  種   石油
面  積   六二九、八三七坪
鑛業權者住所 兵庫縣武庫郡御影町
    氏名 松村仙造 外一人
許可及登錄ノ月日 七年一一、二九
事  由   試掘願許可
p35【官報 1921年07月11日】大正10年
p35【官報 1921年07月11日】大正10年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村仙造》取締役辞任・保熱板製造株式会社【官報 1921年08月08日】大正10年

【官報 1921年08月08日】大正10年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正10年
◎保熱板製造株式會社
 取締役 松村仙造ハ 辭任シ
 大阪市西區江戶堀北通一丁目十三番地
 澁江貞吉ハ 新ニ取締役ニ
 大阪市西區新町南通三丁目五十五番地ノ二
 山田榮三郎ハ 新ニ監査役ニ
 各就任
p58【官報 1921年08月08日】大正10年
p58【官報 1921年08月08日】大正10年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村仙造》東京帝國大學法科大學政治學科 明治35年入学:京都帝國大学法科大學政治學科 明治39年卒業

《松村仙造》
東京帝國大学 法科大學 政治學科
明治35年9月 政治學科 第一回受驗生
明治36年9月 政治學科 第二回受驗生

京都帝國大学 法科大學 政治學科
明治37年9月 政治學科 入学
明治39年7月 政治學科 卒業

【官報 1902年10月13日】明治35年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治35年
   〇學 事
〇學生入學宣誓式
 東京帝國大學ニ於テ一昨十一日
 例ニ依リ學生入學宣誓式ヲ行ヘリ
 其學生ノ氏名竝ニ豫修學校等區別
 左ノ如シ(文部省)
  法科大學
 政治學科 第一回受驗生
《五 松村仙造》 ※五:第五高等学校
《一 木村鋭一》 ※一:第一高等学校
 p2【官報 1902年10月13日】明治35年
p2【官報 1902年10月13日】明治35年
大學院學生氏名ノ上ニ「法」トアルハ
法科大學卒業ノ者ナリ
餘ハ之ニ準ス
分科大學學生氏名ノ上ニ
「一」トアルハ第一高等學校、
「山」トアルハ山口高等學校卒業ノ者ナリ
餘ハ之ニ準ス、
「學」トアルハ學習院卒業ノ者、
「法」トアルハ法學士、
「檢」トアルハ大學豫科學力檢定試驗ヲ受ケタル者、
「再」トアルハ再入學ノ者、
「轉」トアルハ轉入學ノ者ナリ

【東京帝国大学一覧 明治35-36年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 〇學生生徒姓名(明治三十五年九月末現在)
 第二 法科大學學生及生徒  p212/344
  政治學科  p217/344
 第一回受驗生(姓名イロハ順) p218-219/344
《松村仙造》 島根
《木村鋭一》 島根

【東京帝国大学一覧 明治36-37年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 〇學生生徒姓名(明治三十六年九月末現在)
 第二 法科大學學生及生徒 p219/357
  政治學科        p224/357
 第二回受驗生
《木村鋭一》 島根     p225/357
《松村仙造》 島根
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【官報 1904年09月26日】明治37年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治37年
   〇學 事
〇學生入學宣誓式
 京都帝國大學ニ於テ本月十九日
 法科大學、京都醫科大學、理工科大學ノ
 各分科大學ニ於ケル
 新入學生ノ宣誓式ヲ執行セリ
 其人員左ノ如シ(文部省)
 種別 法科
入學前修業學校別
第一高等學校   九
第二高等學校  一〇
第三高等學校  二七
第四高等學校  一四
第五高等學校  三三
第六高等學校  一七
第七高等學校   六
造士館
山口高等學校  二一
其 他     四〇 ※東京帝大+學習院
 計     一七七
※姓名の記載は無い

【京都帝国大学一覧 明治37-38年】
出版者   京都帝国大学
出版年月日 明31-45
〇第三章 學生(三十七年十二月末日現在)
〇法科大學學生姓名
 明治三十七年入学  p26/163
《奥名滋次郎》島根  p26/163
《四方田保》 島根  p27/163
《松村仙造》 島根  p28/163
  第一節 學生
   第一 入 學
第七條 左ニ記載スル者ハ
    第五條ノ入學志望者ヲ収容シ
    尚缺員アル場合ニ限リ
    記載ノ順位ニ依リ入學スルコトヲ得
  一 文部大臣ニ於テ高等學校大學豫科
    同等ト認メタル學校ノ卒業者
  二 他ノ帝國大學學生ニシテ轉學ヲ望ム者
  三 ―略―
 明治三十七年入學學生入學前修業學校別人員表
學科別  法科大學
入學前修業學校別
第一高等學校  一二
第二高等學校  一一
第三高等學校  三〇
第四高等學校  一四
第五高等學校  三四
第六高等學校  一八
第七高等學校   六
造士館
山口高等學校  二一
東京帝國大學  二九
其他(學習院) 一二
 計     一八七
備考 法科大學其他ノ欄一二ハ
   學習院ヨリ入學セシ者
 p60【京都帝国大学一覧 明治37-38年】
p60【京都帝国大学一覧 明治37-38年】

【京都帝国大学一覧 明治38-39年】
出版者   京都帝国大学
出版年月日 明31-45
〇第三章 學生(三十八年十二月末日現在)
〇法科大學學生姓名
 三十七年入学    p23/175
《松村仙造》 島根
《四方田保》 島根

【京都帝国大学一覧 明治39-40年】
出版者   京都帝国大学
出版年月日 明31-45
〇第四章 各文科大學卒業
 法學士        p59/206
 政治學科       p60/206
明治三十九年七月卒業  p63/206
《松村仙造》
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村仙造》妻 墨(すみ)長男 一造・三男 又一【人事興信録 5版】大正7年

【人事興信録 5版】大正7年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 大正7
《松村仙造》
 保熱板製造合資會社代表社員、
 攝津硝子株式會社取締役
 島根縣平民
 妻   墨 明治一一年生、
       高知 平民 坂本鼎 養子
       ※父 小野梓 母 利遠 妹 安
 男  一造 明治四〇年 九月生
       ※妻 正子(しょうこ)
       (父 泉谷祐勝 母 伊賀とら)
 弟  守一 明治一七年一二月生
 弟妻 ヒサ 明治二六年 三月生
       弟 守一 妻
       宮崎 士族 佐田家年 妹
君は島根縣平民 亡松村康重の二男にして
明治十三年七月十九日を以て生れ
明治四十四年一月 家督を相續す
京都帝國大學法科大學の出身にして
現時
保熱板製造合資會社代表社員にして
攝津硝子株式會社取締役たり
家族は尚
長女 弘(こう)(明治四二年 八月生)
       ※夫 大国美都雄(大深浩三)
二女 文(ふみ)(明治四三年一一月生)
       ※夫 坂本恭啓 子 坂本佳記
三女 重(しげ)(明治四四年一一月生)
       ※夫 金岡武夫
        長女 利子 二女 (北出)成美
        長男 勝  二男 稔  三男 護
姪  孝子 (大正 三年一〇月生)
      (弟 守一 長女)
甥  正一 (大正 六年 二月生)
      (弟 守一 二男)
三男 又一 (大正 五年 七月生)
      (高知縣平民 小野安の養子)
       ※妻 文子(父 小川清秀 母 梅)
            (弟 小川清久 小川清澄)
       ※長男 小野一雄(妻 喜代子)
        二男 小野雄二(妻 美鈴)の子
           小野紘平 (北川)翠里
姉  トシ (明治 五年一〇月生)は
其夫 久之助(明治二年七月生)
      (島根縣平民 勝部本右衞門 弟)
及 子女と共に分家せり
(兵庫、武庫、御影町)
 參照=佐田家年の項
 p943《松村仙造》【人事興信録 5版】大正7年
p943《松村仙造》【人事興信録 5版】大正7年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 【松村守一・久子】01

 【松村守一・久子】02
後列左から
松村一造 小野文子 小野雄二 小野又一
前列左から
小野 安 松村守一 松村ヒサ
撮影場所 小野又一宅
     京都市伏見区深草正覚町九番地
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《松村仙造》《勝田五郎》《坂本 鼎》《花岡政市》《四方田嘉三郎》中央商會【官報 1914年09月15日】大正3年

【官報 1914年09月15日】大正3年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正3年
一 合資會社設立
商號 合資會社 中央商會
本店 大阪市東區北濱二丁目一番地
目的 物品販賣代理業
設立年月日 大正三年九月一日
存立時期  大正三年九月一日ヨリ滿十箇年
社員ノ氏名住所 出資ノ種類 價格及責任
大阪府東成郡天王寺村字天王寺千四百二十五番地
勞務無限 《勝田五郎》

兵庫縣武庫郡御影町ノ内郡家町字寺ノ前百五十番地
勞務無限 《松村仙造》

兵庫縣武庫郡御影町ノ内郡家町字寺ノ前百五十一番地
金二万五千圓 有限 《坂本 鼎》

大阪市南區逢坂下之町四千五百三十八番地
金一万五千圓 有限 《花岡政市》

島根縣町江市雜賀七丁目二十五番地
金五千圓   有限 《四方田嘉三郎》

代表社員ノ氏名   《勝田五郎》《松村仙造》
           大阪區裁判所
 p11【官報 1914年09月15日】大正3年
p11【官報 1914年09月15日】大正3年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【日本全国諸会社役員録 第23回(1/2)】大正3年
著者    商業興信所 編
出版者   商業興信所
出版年月日 大正4
[合資會社 中央商會]
 大阪市 東區北濱二丁目
 電 話 本局長一七九五
設 立    大正三年九月
營業ノ目的  鐵道諸材料並工場用品販賣
資本金    五萬圓
業務執行社員 勝田五郎
       大阪市東成郡天王寺村
同      松村仙造
       兵庫縣武庫郡御影町
 p342【日本全国諸会社役員録 第23回(1-2)】大正3年
p342【日本全国諸会社役員録 第23回(1/2)】大正3年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《出口王仁三郎・松村仙造・名田音吉・植芝盛平等》支那在留禁止【官報 1924年08月09日】大正13年

【官報 1924年08月09日】大正13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正13年
◎支那在留禁止
支那奉天駐在帝國總領事ハ
左記ノ者ニ對シ
明治二十九年法律第八十號
淸國及朝鮮國在留
帝國臣民取締法第一條ニ依リ
各々頭書ノ期間
支那在留禁止ノ命令ヲ發セリ
[去月二十一日ヨリ向フ三箇年]
出口王仁三郎 明治四年七月十二日生
 當時 支那住所不定、
    京都府下何鹿郡綾部町
    本宮村宮下三十二番地
    平民 戸主
松村 仙造  明治十三年七月十九日生
 當時 支那住所不定、
    島根縣簸川郡直江村大字下直江
    千九十六番地
    平民 戸主
名田 音吉  明治七年九月十一日生
 當時 支那住所不定、
    大阪市西區九條南通一丁目百二十三番地
    平民 戸主
植芝 盛平  明治十六年十二月十四日生
 當時 支那住所不定、
    和歌山縣西牟婁郡西ノ谷村
    四百四十一番地
井上 兼吉  明治二十五年四月十二日生
 當時 支那住所不定、
    長崎縣南高來郡三會村六百二十九番地
    平民 戸主 兼七 四男
井上 廣一  明治十七年一月十五日生
 當時 支那住所不定、
    大阪市北區富島町十番地
小林 善吉  明治三十七年八月二十日生
 當時 支那住所不定、
    福岡市西新町六丁目四百三十八番地
山田文次郎  明治二十二年十月二日生
 當時 支那住所不定、
    愛知縣中島郡大里村字井ノ口百二十九番地
    平民 戸主 鐵次 弟
萩原 存愛  明治二十二年六月三十日生
 當時 支那住所不定、
    東京市牛込區辨天町百七十五番地
    士族 戸主
大石  良  明治十六年十月二十二日生
 當時 支那住所不定、
    東京市小石川區表町百九番地
    士族 戸主
p2【官報 1924年08月09日】大正13年
p2【官報 1924年08月09日】大正13年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年05月24日 04:36
[直江村:明治45年迄・帝國大學卒業者一名《松村仙造》]
【簸川郡教育五十年史】
[蒙古入りの一行]p203
洮南にて 大正13年3月22日
 1dc7317b
左から
佐々木弥一、出口王仁三郎、岡崎鉄首、大石良
松村真澄、名田音吉、植芝盛平。
『巨人 出口王仁三郎』 定価490円
昭和42年9月  8日 第1刷発行
昭和42年9月14日 第4刷発行
著 者 出口京太郎
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【大本七十年史 上巻】1964
著者    大本七十年史編纂会 編
出版者   大本
出版年月日 1964
(大正10年)七月二一日には
あらたに高木鉄男が社長となった。
そして八月三日には、
本社を大阪淀川の川畔にある
天満筋四丁目に移転するにいたり、
西村光月を編集長とし、
岡本霊祥・高見元男・
萩原存愛・吉島東彦・
三谷先見・大深浩三らが
新社屋にたてこもって
なお発行を維持した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3003950/1/286
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
盧占魁の実弟と、名田彦山田小林善吉
その他支那人二名が、
洮南に向かって強行軍に邪魔になる荷物を積み、
一度奉天へ向かって戻っていった。
主な人物【セ】源日出雄、萩原敏明、
坂本広一、真澄別、猪野敏夫
【場】白凌閣、盧占魁、守高
【名】岡崎、名田彦、山田、
包団長(包金山)、趙倜、趙傑、
劉陞山(第9章・他では劉陞三)、
大英子兒、盧秉徳(盧占魁の弟)、
小林善吉、李景林、闞旅長(闞中将)、大石、矢野
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
主な人物【セ】源日出雄、坂本
【場】真澄別、守高、白凌閣、
温長興、王讃璋、康国宝
【名】張彦三、盧占魁、劉陞三、西王母、
山田文次郎(第13章の山田文治郎と同一人物か?)、
岡崎、萩原
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《辰日丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数【舞鶴市史 現代編】1988.9

《辰日丸》舞鶴入港(昭和22年2月13日)引揚者数
【舞鶴市史 現代編】1988.9

【舞鶴市史 現代編】1988.9
著者    舞鶴市史編さん委員会 編
出版者   舞鶴市
出版年月日 1988.9
 舞鶴入港引揚者数  p140/573
入港月日  昭和22年2月13日
船 名   辰日
出港地   大連
乗船人員  3,549
引揚者
 陸軍   284
 海軍    8
 一般邦人 3,255
  計   3,547
 その他    2
摘要    船内死亡 7
      船内出生 3
p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
〔画像〕p141【舞鶴市史 現代編】1988.9
https://dl.ndl.go.jp/pid/9576477/1/141
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月11日05:00
【満州引揚】《松村一造》《松村正子》《松村 墨》
舞鶴上陸 昭和22年2月14日
[引揚者在外事実調査票][外地引揚調査票]昭和31-32年
       世帯員の状況 そのⅠ(生存)
  氏  名
1 松村一造 続柄 世帯代表者 性別 男
       生年月日   明治40年9月18日(満48才)
       外地渡航年月 昭和16年8月
       引揚出港地  大連  船名 辰日丸
       上 陸 地  舞鶴
       引揚(上陸)年月日 昭和22年2月14日
       生活保護適用の有無 無
       現在地 京都府
2 松村正子 続柄  妻    性別 女
       生年月日   大正3年1月20日(満42才)
       外地渡航年月 昭和16年10月
       引揚出港地  大連  船名 辰日丸
       上 陸 地  舞鶴
       引揚(上陸)年月日 昭和22年2月14日
       生活保護適用の有無 無
       現在地 京都府
       世帯員の状況 そのⅡ(死亡)
氏名 続柄 性別 死亡時の年令 死亡年月日 死亡場所
※黒で抹消:恐らく[松村 墨]
      明治11年(1878)10月18日生
      昭和22年(1947)2月14日歿(69才)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ