松村一造・正子

大阪屋號書店 豐樂路六〇八【北支・中支・満洲国商工録. 1939年版】昭和14年

大阪屋號書店 豐樂路六〇八
【北支・中支・満洲国商工録. 1939年版】昭和14年

【北支・中支・満洲国商工録. 1939年版】昭和14年
 [大 連] p65/103
 文房具   p73/103
大阪屋號   浪速町一三八
 [新 京] p86/103
 文房具   p89/103
大阪屋號書店 豐樂路六〇八
p89【満洲国商工録. 1939年版】
〔画像〕p89【満洲国商工録. 1939年版】
昭和十三年十二月 九 日印刷
昭和十三年十二月十二日發行
 〔定價金四圓也〕
發行所 亞細亞年鑑發行所
    東京市神田區鍛冶町二丁目二番地
編纂兼 森 良治
發行人 横濱市中區宮元町一丁目五番地
印刷所 研究社印刷所
    東京市牛込區神樂町一丁目二番地
印刷人 小酒井吉藏
    東京市牛込區神樂町一丁目二番地

【日本全国銀行会社録. 第47回(昭和14年)】
(名)大阪屋號書店 p101/1374
   東京市 日本橋區呉服橋二丁目
設  立 昭和二年三月
出資總額 貮拾萬圓
代表社員 濱井松之助
支  店 大連市浪速町
分  店 大連市常盤町
支  店 奉天春日町
支  店 新京中央通
支  店 旅順市青葉町
支  店 京城府本町
(資)冨山房 p241/1374
   東京市 神田區神保町一丁目
設  立  明治二十九年六月
目  的  出版業
出資總額  壹百萬圓
代表社員  坂本守正
倉庫發送部 神田區神保町三丁目
小 賣 部 神田區神保町一丁目
丸ビル賣店 麴町區丸ビル内

【日本出版年鑑. 昭和18年版】
[外地滿蒙 圖書發行所名簿] p621/648
 朝 鮮
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
大阪屋號書店 京城府本町一
 關東州 p624/648
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
大阪屋號   大連市浪速町
 滿洲國 p625/648
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
滿洲冨山房出版部 p627/648
新京特別市豐樂路六〇八
p627【日本出版年鑑. 昭和18年版】-1
〔画像〕p627【日本出版年鑑. 昭和18年版】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
滿洲冨山房出版部 新京特別市豐樂路六〇八
【日本出版年鑑. 昭和18年版】
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滿洲冨山房出版部 新京特別市豐樂路六〇八【日本出版年鑑. 昭和18年版】

滿洲冨山房出版部 新京特別市豐樂路六〇八【日本出版年鑑. 昭和18年版】

【日本出版年鑑. 昭和18年版】
[外地滿蒙 圖書發行所名簿) p621/648
 朝 鮮 p621/648
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
大阪屋號書店 京城府本町一

 關東州 p624/648
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
大阪屋號   大連市浪速町

 滿洲國 p625/648
(大體昭和十八年四月一日現在に於ける圖書發行所を
 五十音順に配列した。蒙彊を含む)
滿洲冨山房出版部 p627/648
新京特別市豐樂路六〇八
p627【日本出版年鑑. 昭和18年版】-1
〔画像〕p627【日本出版年鑑. 昭和18年版】
昭和十八年十二月二日印刷
昭和十八年十二月六日發行
(三〇〇〇部)
 不許複製
 出版會承認 い320252號
 日本出版年鑑(昭和十八年版)奥附
  停定價金六圓六十錢
  特別行爲税相當學
  金 六十四錢
  合計 金七圓二十四錢
編輯者  協同出版社編纂部
發行者  大橋進一
     東京都神田區三崎町一ノ七
     株式會社協同出版社取締役社長
     (日本出版會會員番號一〇七五三〇)
印刷者  大橋光吉
     東京都小石川區久堅町一〇八(東東二〇四)
發行所  株式會社 協同出版社
     東京都神田區三崎町一丁目七番地
     振替口座東京一三二四二三番
     電話九段(33)四六六一番
配給元  日本出版配給株式會社
     東京都神田區淡路町二ノ九
廣  告 株式會社 日本出版廣告社
一手取扱 東京都芝區田村町二ノ二
     振替口座東京一七〇四四番
     電話銀座(57)一〇一六番
協同出版社は出版界の公的機關としての性格に於て
特に出版界の公的必要書籍類の編纂刊行を續け來る
 =共同印刷株式會社=
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タイトル  満洲藝文年鑑 : 康徳9年度版
著者    満洲藝文年鑑編纂委員會 編
出版者   滿洲冨山房
出版年月日 1943.11 ※昭和18年(1943)
この資料は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいない資料のため
インターネット公開をしていません。
閲覧を希望される場合は、
国立国会図書館または図書館送信参加館へご来館ください。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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神保町系オタオタ日記
2017-05-12
■[出版]みやこめっせで拾った満洲冨山房の値札半券が付いた古本
 ―略―
今回は桑木厳翼『書・人・旅』(理想社出版部、昭和14年4月)の
裏見返しに富士山を背景に
「満洲冨山房/新京」と書かれた紙が貼ってあるのを見つけた。
古書店の値札でよくあるような値札の半券のようだ。
また、表見返しには旧蔵者が書いたと思われるが
「昭和十七年九月二十一日/新京」と記されている。
旧蔵者は満洲国の首都新京にあった満洲冨山房で本書を買ったようだ。
満洲冨山房について調べてみた。
戸家誠編・解題『出版流通メディア資料集成(四)内地外地書店名鑑ー
ー明治大正昭和戦時期の本屋ダイレクトリーー』3巻
(金沢文圃閣、平成27年8月)で復刻された
昭和17年12月現在の外地の『小売店名簿』によると、
満洲冨山房は新京特別市豊楽路608にあり、代表者は坂本守正。
 ―略―
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[船中で全く思いがけなく冨山房の松村一造氏の出張帰りに]
昭和16年10月21日
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年02月04日 08:22 ◆小野梓 小野梓:資料
《坂本守正》《坂本榮一》【大衆人事録. 第14版】昭和18年
【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
《坂本守正》 p555/950
日滿文敎 (株)社長
滿洲冨山房(株)社長
吉見書店 (株)取締
日本放送出版協會(株)取締
冨山房(資)社長
田村町ビルヂング(資)代表
坂本報效會 理事長
(綜)三九一八二
新京特別市豐樂路六〇八
  滿洲冨山房内
(東京宅)小石川區林町七〇
     電話 大塚七〇一八
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[船中で全く思いがけなく冨山房の松村一造氏の出張帰りに]昭和16年10月21日

[船中で全く思いがけなく冨山房の松村一造氏の出張帰りに]昭和16年10月21日

[北京物語]
 ある手記をめぐる過去と現在の北京探索ノート
1-2 二度目の渡航(海路)
 ―略―
昭和16年頃は、成立した満州国もようやく体裁を整え、
日満間の交通は輻輳をきたしていた時代でしたから、
出国手続きが早く完全に出来ても、
切符を手に入れることがなかなか大変でした。
 神戸港出帆は10月21日正午ですが、
 ―略―
 アルゼンチナ丸で同船室の人は、
私より少し年配のやはり子供連れの夫婦でした。
あまり詳しくは聞いていませんが、
私と同じように家族呼び寄せで、満州へ渡る方でした。
翌朝は下関入港、同港で半日停泊した後、やはり正午出帆、
以後船中2泊3日で、24日午後大連港に入港しました。

船中で全く思いがけなく
冨山房の松村一造氏の出張帰りに
ばったり会いました。
彼とは小川琢治先生や石橋五郎先生の、
中学地理の教科書を通じて5年来の仕事仲間で、
飲み友達でもありました。
彼は冨山房が大連に設けた支店のいい地位にいたので一等船客で、
こちらは二等船客ですが、
一等のサロンで2日間ゆうゆうと過ごせたのは
なかなかいいものでした。

 下関出航以来黄海は穏やかで「煙も見えず雲もなく」と
黄海海戦の唄の前半そのままのもので、
当時1歳半の長男とデッキを走り回って遊んだりして、
実に長閑なものでした。
船と聞いただけで酔う妻も元気で、
普通に食事を取っていたくらいです。
大連へは昼前に尽きましたが、なぜか下船に手間取って、
2時ごろ埠頭駅から馬車で宿に向かいました。
大連では予定の宿「大和ホテル」に2泊し、
松村氏とも一晩飲み、天津への船便を待ちました。
ここまでは船も大きく天気も上々で、
乗り物に弱い妻も大元気でした。
北京物語-松村
 ―略―
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
冨山房社員(昭和十一年三月末現在)
冨山房物故社員及び社友
[冨山房五十年]昭和11年
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[写真:冨山房全社員と](昭和十一年元旦本社屋上にて)【坂本嘉治馬自伝】昭和14年

[写真:冨山房全社員と](昭和十一年元旦本社屋上にて)
【坂本嘉治馬自伝】昭和14年

【坂本嘉治馬自伝】昭和14年
 冨山房全社員と p27/116
(昭和十一年元旦本社屋上にて)
p27【坂本嘉治馬自伝】昭和14年
※松村一造(小野一雄・雄二の伯父)が、この中に?
〔画像〕p27【坂本嘉治馬自伝】昭和14年
昭和十四年八月 二十日印刷
昭和十四年八月二十三日發行
「坂本嘉治馬自傳」 非賣品
編 者 坂本守正
發行所 合資會社 冨山房
    東京市神田區神保町一丁目三番地
代表者 坂本守正
    冨山房社長
印刷所 精興社
    東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所 合資會社 冨山房
    東京市神田區神保町一丁目三番地
    振替東京五〇一番
    電話神田(25)自二一七一番
           至二一七八番
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
冨山房社員(昭和十一年三月末現在)
冨山房物故社員及び社友
[冨山房五十年]昭和11年
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冨山房社員(昭和十一年三月末現在)冨山房物故社員及び社友[冨山房五十年]昭和11年

冨山房社員(昭和十一年三月末現在)
冨山房物故社員及び社友
[冨山房五十年]昭和11年

[冨山房五十年]
1[冨山房五十年]表紙
〔画像〕[冨山房五十年]表紙

     冨山房社員
  社長 坂本嘉治馬
 ―略―
小野十三郎 ※父 小野義眞 母 くら
小野英夫
小野 忍
兼松 中  ※父 兼松 忠 母 すみ
松村一造  ※父 松村仙造 母 すみ
 ―略―
(昭和十一年三月末現在、入社順)
2-1[冨山房社員]
〔画像〕[冨山房社員]

  冨山房物故社員及び社友
なほこの機會に冨山房五十年の歷史をつくるに與つた社員
又は社友のうち先だつて長逝せられた人々の芳名を
記錄して敬弔の意に代えへたいとおもふ。
 ―略―
3[冨山房物故社員及び社友]
〔画像〕[冨山房物故社員及び社友]

昭和十一年三月 一日印刷
昭和十一年十月十五日發行
『冨山房五十年』
 非賣品
編輯兼  合資會社 冨 山 房
發行者  東京市神田區神保町一丁目三番地
右代表者 冨山房社長 坂本嘉治馬
印刷者  白井赫太郎
     東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所  〔明治十九年三月設立〕
     合資會社 冨 山 房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
     振替東京五〇一番
     電話神田(25)自二一七一番
            至二一七八番
4[冨山房五十年]奥付
〔画像〕[冨山房五十年]奥付
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日 08:25 ◆小野義真 小野英之助
[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年08月12日 13:04 ◆小野梓 小野梓:資料
[小野梓先生と冨山房]西村眞次
『冨山房五十年』昭和11年10月15日発行

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年08月12日 13:29 ◆小野梓 官僚時代
小野梓:会計検査院『冨山房五十年』昭和11年10月15日発行
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金岡武夫【桐生高等工業学校一覧】昭和1年~15年

金岡武夫【桐生高等工業学校一覧】昭和1年~15年

桐生高等工業学校 紡織科 紡績部專攻
入学 昭和1年4月
卒業 昭和4年3月

【桐生高等工業学校一覧. 大正15至昭和2年】
紡織科第一學年 p49/79
金岡武夫 兵庫
【桐生高等工業学校一覧. 昭和2年至3年】
紡織科第二學年 p43/91
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 昭和4年至5年】
第十一回(昭和四年三月) p61/90
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
千葉鐵道第一聯隊幹候生
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 昭和5年至6年】
第十一回(昭和四年三月) p65/97
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加古川工場
兵庫縣加古郡加古川
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 昭和6年至7年】
第十一回(昭和四年三月) p66/109
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加古川工場
兵庫縣加古郡加古川
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 昭和7年至8年】
第十一回(昭和四年三月) p68/118
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加古川工場
兵庫縣加古郡加古川
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 昭和8年至9年】
第十一回(昭和四年三月) p68/119
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加古川工場
兵庫縣加古郡加古川
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和10年至昭和11年】
第十一回(昭和四年三月) p72/132
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加古川工場
兵庫縣加古郡加古川
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和11年至昭和12年】
第十一回(昭和四年三月) p74/135
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加印東工場
兵庫縣加古郡加古川町
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和12年至昭和13年】
第十一回(昭和四年三月) p78/153
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加印東工場
兵庫縣加古郡加古川町
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和13年至昭和14年】
第十一回(昭和四年三月) p84/155
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加印東工場
兵庫縣加古郡加古川町
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和14年至昭和15年】
第十一回(昭和四年三月) p82/152
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加印東工場
兵庫縣加古郡加古川町
金岡武夫 兵庫

【桐生高等工業学校一覧. 自昭和15年至昭和16年】
第十一回(昭和四年三月) p86/169
 紡織科 紡績部專攻(十三名)
日本毛織加印東工場
兵庫縣加古郡加古川町
金岡武夫 兵庫
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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松村一造宅-02
左から
前列 金岡利子 (金岡武夫・重の長女)
   大国以都雄(大国 弘 夫)
   松村一造 (小野又一 兄)
   松村正子 (松村一造 妻)
後列 小野一雄
   小野又一 (小野一雄 父)
   小野文子 (小野又一 妻)
   大国 弘 (小野又一 長姉)
   金岡武夫 (金岡 重 夫)
   金岡 重 (小野又一 三姉)
撮影場所:松村一造宅 二階
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《大國以都雄》[昭和神聖會]
【愛国運動現勢. 第1輯】昭和10年4月10日発行
〔写真〕左から
前列 大国以都雄(大国 弘 夫)
   松村一造 (小野又一 兄)
   松村正子 (松村一造 妻)
   坂本恭啓 (小野又一 二姉 文の夫)
中列 大国 弘 (小野又一 長姉)
   小野文子 (小野又一 妻)
   金岡 重 (小野又一 三姉)
   坂本善春 (坂本恭啓 長男)
後列 小野又一 (小野一雄 父)
   小野一雄 (小野又一 長男)
   金岡武夫 (金岡 重 夫)
   坂本佳記 (坂本恭啓 二男)
撮影場所:松村一造宅 二階
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[足立澄男様に頂いた旧松村仙造宅の写真]

[足立澄男様に頂いた旧松村仙造宅の写真]

略歴[祖父 松村仙造(真澄・大本の名前)]―01
生  明治13年(1880)7月19日
歿  昭和 3年(1928)3月 3日 48歳
本籍 島根県簸川郡直江村大字直江60番屋敷
本籍 島根県簸川郡直江村大字下直江1096番地
※現 島根県出雲市斐川町直江1096
   写真①荒木酒店の左隣
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2166980.html

blog-1-DSC_0205
写真①
荒木酒店
699-0631 島根県出雲市斐川町直江1097

blog-2-DSC_0212
写真②
東白寺
699-0631 島根県出雲市斐川町直江1674

blog-3-DSC_0196
写真③
金刀比羅宮出雲分社
699-0631島根県出雲市斐川町直江1067―3
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[足立澄男様のコメント:転載]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/7513420.html
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[足立澄男様のコメント:転載]

[足立澄男様のコメント:転載]

足立澄男様
コメント、有難うございます。
投稿を頂いたブログは、2017年1月末を以て、
サービス終了となります。
この為、livedoorブログに引っ越しを致しました。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
※改訂版の本文に転載させて頂きました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
小野一雄様 2016/10/17(月) 01:29
「blog[小野一雄のルーツ]」の新着コメントをお知らせいたします。
承認するまでブログには表示されませんので、
コメント管理画面より承認を行ってください。
記事タイトル:[松村正子(しょうこ)]:出口王仁三郎聖師の軸物
※改訂版[松村正子(しょうこ)]出口王仁三郎聖師の軸物
投稿者:足立澄男
(本文)
冠略、数年来より貴兄の当該サイトに心を寄せてまいりましたが
多忙に時間を過ごしますままに本日のコメントとなりました。
小生、長らく株式会社村田製作所、
富士通のパソコン組立工場のある直江町に居住し
村田製作所にも勤務した経緯がございます。
一連の貴兄様のお書き込み、
出口王仁三郎師の資料を重ね合わせながら現在、
大本神を信仰致します一人として拝読致します時、
出口師と共に満蒙に旅立たれた真澄氏の情動は
出雲の神の情動と同じであったのではと思っております。
直江町は近代に不思議な人を排出致してます。
長崎の原爆投下に耐え純心女学院を興されました江角ヤス様、
松村仙造様、
お二人様は出雲の誇りとして後世に伝えねばと覚悟致してます。
それでは又の折りコメントさせてくださいませ。
ご壮健で・・頓首 拝
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20161021 05:30 ◆松村仙造(眞澄)松村一造・正子
[足立澄男様に頂いた旧松村仙造宅の写真]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/7537812.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 

[松村正子(しょうこ)]出口王仁三郎聖師の軸物

松村正子「松村一造の妻・父 泉谷祐勝 母 伊賀とら」
大正3年(1914)1月20日生
昭和62年(1987)1月25日歿
松村一造「小野又一の実兄」
小野又一「小野一雄・雄二の父」
松村一造・小野又一「父 松村仙造(真澄) 母 松村墨(小野梓の二女)」

神は万物普遍の
霊にして人は天地
経綸?大司宰
者也
神人合一して
茲に無限の権
力を発揮す
王仁謹誌 拇印

※ 昭和61年(1986)12月頃、伯母・松村正子より譲り受けた。
1-出口王仁三郎聖師の軸物
2-出口王仁三郎聖師の軸物
大本教旨
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰也。
神人合一して茲に無限の権力を発揮 
________________________________________
【解説】
教旨に用いられている文字の違いによっていくつかのパターンがある。
上に挙げたものは綾部・梅松苑の本宮山の山頂に建てられた「教旨碑」に彫られている文で、
出口王仁三郎の天職、つまり救世主の天職について述べたものである。
「人」は神の霊が止まる神柱である「霊止(ヒト)」のことを指す。 は「ス」と読む。
(参考:月鏡「霊止と人間」、「人間と云ふ問題」)

亀岡・天恩郷の「教旨学則碑」には、次のように多少異なる文が彫られている。
「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体也。霊体合一して茲に無限の神徳を発揮す」
これは一般のわれわれ人間の天職について述べたものである。
「大司宰」→「主体」、「神人」→「霊体」、「権力」→「神徳」となっている。

 他に機関誌等で発表されたものがある
(木庭次守・編『霊界物語大事典 総索引 その一』P131~132による)。

●『神の国』大正10年(王仁三郎筆)
 「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰者也。
 神人合一して茲に無限の権力を発揮す」
●『神の国』昭和10年5月号まで発表
 「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者也。
 神人合一して茲に無限の権力を発揮す」
●『神の国』昭和10年6月号から12月号まで
 「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体也。
 霊体合一して茲に無限の神力を発揮す」
●霊界物語 第67巻第6章「浮島の怪猫」
 「神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。
 霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す」
●出口王仁三郎全集第1巻 第6篇「愛善の真意義」 P399
 「『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり。
 神人合一して茲に無限の権威を発揮す』とは、是れ真如が入道の最初に当り、
 伊都能売聖霊より教示されたる大本の標語である。」

「司宰」の時は「神人」(王仁三郎)、「主体」の時は「霊体」(一般人)と、
明らかに使い分けてあることが分かる。
http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=202
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