◆満州・蒙古・中華民国・ソ連

[牡丹江の日本酒狀況]中西(政太郎)君(なかにし礼の父)弓鷹釀造元【日本醸造協会雑誌31(12)】1936-12

【日本醸造協会雑誌 = 
 Journal of the Brewing Society of Japan 31(12)】
著者    日本醸造協会 編
出版者   日本醸造協会
出版年月日 1936-12
p1【日本醸造協会雑誌31(12)】1936-12
〔画像〕p1【日本醸造協会雑誌31(12)】1936-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/1752920/1/1

  牡丹江の日本酒狀況 奉天 坂本隆之助
平和郷古北口を辭し、
萬里の長城におさらばを告げ、
軍用トラツクの運轉臺に便乘して
山河の惡路を五時間ヘトヘトになつて
承德に着いたのは午後七時。
八月中の日の永い節であつたが
茲は四方山を以て圍まれて居るので
日の暮るゝが早い。
街にはポツポツ灯が付いて居つた。
晩は酒保の娯樂室の一室に
夜具等を準備して置いて呉れたので
ゆつくり足を延して休んだ。

關東軍酒保では滿洲事變の平時化と共に
兵隊の足止め策と風氣矯正の爲め
旅團以上の集團都市には
衞戍地酒保を開設する事になり
此 承德にも最近出來たばかり
卽ち酒は勿論内地一流の
菊、櫻、月桂、澤ノ鶴、白鹿等を
銚子一本二十錢
ビール三十錢
肴は一皿十五錢均一とし
別に女給仕のサービス料として
一割を取るが
夫でも市價の三分の上で遊べると云ふ仕掛け
其他
ピンポン、撞球、碁、將棋等は無料で
夜十二時迄開放する事になつて居るが
時節が暑い盛りの爲でもあらうが
餘り成績は芳しからぬ樣である。
 -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/1752920/1/19

樽酒の火が來て居るのは九十樽程あつたが
玆にも一升瓶詰の火落酒があつたが同じ箱の内で
眞白くなつた物と稍々異色になつた物と
全然色澤に異狀の無い物と色々あるので
之は全部開梱し上中下三段に區別し
下の物は廢棄する事にし
他の物は手入する事にしたが
元來非常に甘口でウマい酒である爲
結果は良好であつた
只此程度が種々あるのは
殺菌溫度の關係では無いかと思はれた。

扨手入の場所であるが
何分建物はなし設備は勿論無し
色々研究の結果

幸ひ支庫より五丁程の處に
弓鷹(ユミタカ)と云ふ
酒屋があるので交渉したら
早速承諾して呉れたので其翌日より
毎日其倉に出張して監督する事にした

元來北滿地方は水は惡く
哈爾濱 牡丹江等は有名の惡水地であるが

此 弓鷹釀造元
中西(政太郎)君の地域一帶約五百米四方は
全く別地の如く滿鐵病院の分析表もあつたが
硬度が三・六度
鹽分は少し不足だが
アンモニア、亞庇酸、鐵分等
更に無く
量に於ても少しも不足は無い

隣家の井戸の水は全町に渉りて賣られて居る
全く天祐とも稱すべき萬金の價値がある

中西(政太郎)君は北海道小樽の人で
元 圖們で酒造をやつて居つたが
將來を見越し
昨年(昭和10年)より始めて造つたので
未だ設備も充分でなし
水 氣候等に對しても杜氏が自信を得ぬので
奉天の酒とは比較にならぬが
火落一本も無いし殊に四段仕込の物などは
相當の物である
只原料米が地米の精白を使用したので
遺憾の點がある

(中西政太郎)氏は在郷軍人分會の幹部にして
其他社會公共の事業には
率先肌を脱ぐ人にして
事業も着實穏健
必ず金持ちになるタイプの人である

其他 凱歌と云ふ酒と
牡丹江正宗と云ふのがあるが
水が全然惡いので第一
色が濃厚で問題にならない。
 -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/1752920/1/20
昭和十一年十二月十一日印刷(毎月一回)
昭和十一年十二月十五日發行(十五日發行)
     定價金四拾五錢
著作兼  日本釀造協會
發行者  東京市瀧野川區瀧野川町九七
     電話 小石川 三三八番 二〇四九番
        王子 二六〇〇番
右代表者 濱田 德海
     東京市瀧野川區瀧野川町
     釀造試驗所官舎
發行所  日本釀造協會
印刷者  早坂善太郎
     東京市牛込區榎町七番地
印刷所  大日本印刷株式會社
          榎町工場
     東京市牛込區榎町七番地
廣告一手 新廣社 齋藤米四郎
取扱所  東京市牛込區柳町廿四番地
     電話牛込(34)二、一一三番
     振替口座東京八〇五二五番
 本會支部振替貯金口座番號
     -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/1752920/1/64
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

三養吟釀 中西政太郎(なかにし礼の父) 牡丹江 金鈴街 創業 昭和10年【哈爾浜経済資料集 第1輯】1940

【哈爾浜経済資料集 第1輯】1940
出版者   哈爾浜商工公会調査科
出版年月日 1940
p2【哈爾浜経済資料集 第1輯】1940
〔画像〕p2【哈爾浜経済資料集 第1輯】1940

 牡丹江に於ける工業の將來性
  五、酒類其他醸造業
名 稱  三養吟釀
所在地  金鈴街
代表者  中西政太郎
資本金  五〇、〇〇〇
從事員  一二
開設期  康德二年 ※昭和10年(1935)
年生産額 淸酒 四五〇石
康德七年七月 十日印刷
康德七年七月十五日發行 非賣品
發行人 程 儒 堂
    哈爾濱市南崗河溝街七拾貳號
編輯人 長谷川 潔
    哈爾濱市道裡地段街拾五號ノ壹
印刷人 原  好一
    哈爾濱市南崗義州街百貳拾參號
印刷所 哈爾濱印刷所
    哈爾濱市南崗義州街百貳拾參號
發行所 哈爾濱商工公會
    道裡田地街六九號
    電話 四四八五番
    振替 哈爾濱九八番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【満洲工場名簿】1938
著者    関東局官房庶務課, 満洲国産業部鉱工司, 
      満鉄調査部資料課 編
出版者   南満洲鉄道
出版年月日 1938
  〔日人ノ部〕
  日本酒釀造業
    濱江省
工場名    三養吟釀商店
工場所在地  篝安縣 牡丹江 今鈴街5段
工場主ノ氏名 中西政太郎
主要生産品名 日本酒
職工數    男 8 女 - 總數 8
開業年月   康德1年10月 ※昭和9年(1934)

    間島省
工場名    中田酒造場
工場所在地  延吉縣 圖們 中秋街
工場主ノ氏名 中田藤一
主要生産品名 日本酒
職工數    男 7 女 - 總數 7
開業年月   康德1年2月 ※昭和9年(1934)
昭和13年6月7日印刷
昭和13年6月10日發行
著作兼 山岸 守永
發行人 大連市桃源臺86番地
印刷人 吾妻 力松
    大連市東公園町31番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町31番地
發行所 南滿洲鐵道株式會社
    大連市東公園町30番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

三養釀造塲 營業主 中田藤一 滿洲國 圖們 銘酒「弓鷹」創業 昭和八年【帝国商工信用録:分冊 昭和10年度版 [満洲版]】

【帝国商工信用録:分冊 昭和10年度版 [満洲版]】
著者    帝国商工会 編纂
出版者   帝国商工会
出版年月日 昭和10
p2【帝国商工信用録:分冊 昭和10年度版 [満洲版]】
〔画像〕p2【帝国商工信用録:分冊 昭和10年度版 [満洲版]】
 滿洲國 圖們
  ◎酒造
三養釀造塲 圖們
      銘酒「弓鷹」
      釀造發賣元
      創 昭和八年
      營業主 中田藤一
      電二〇九
      銀 鮮銀支店
      出身地 小樽市
昭和九年十二月二十日印刷
昭和十年 一月 一日發行
帝國商工信用錄
 分冊 定價金六圓
編輯兼 藤江 福吉
發行者 大阪市北區東野田町六丁目四五
印刷者 八尋甲太郎
    福岡市東警固町切通シ
印刷所 帝國商工會印刷部
    福岡市東警固町切通シ
發行所 帝國商工會
大阪市北區東野田町六丁目四五
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《中西慶耀・舊名 政太郎》(なかにし礼の父)小樽市・牡丹江金鈴街【満洲紳士録 第1版】昭和12年

【満洲紳士録 第1版】昭和12年
著者    満蒙資料協会 編
出版者   満蒙資料協会
出版年月日 昭和12
p3【満洲紳士録 第1版】昭和12年
〔画像〕p3【満洲紳士録 第1版】昭和12年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/3

《中西慶耀・ヨシアキ》
 三養吟釀商會主
 酒造業
[出生地]北海道小樽市淸水町七
[本籍]小樽市錦町五
[生年月日]明治三十三年十一月二十四日
[續柄]中西龜松 長男 舊名 政太郎
[經歷]大正九年 第七師團に入營
    騎兵上等兵となる
    除隊後
    昭和八年 圖們に渡り
    義弟 中田藤一氏と共同にて
    「弓鷹」の吟釀を營みたるが
    昭和九年十二月 共同を解散
    牡丹江舊市街に獨立
    昭和十年九月 現地に移り
    今日に及ぶ
[事業]資本金 三萬圓
    奥地國境方面に確乎たる販路を有し
    年造石高 五六百石内外に達せり
[特記]昭和八年 皇帝陛下登極大典に際し
    「弓鷹」五箱を宮内府に獻納し
    嘉納せらる
[信仰]眞宗
[家族]妻  @@(明治三七年生)
      ※與起変体仮名
      ※よき:下記
    長男 正一(大正一三年生)
    長女 宏子(昭和 六年生)
[店舗]牡丹江金鈴街 電話四五八
p675【満洲紳士録 第1版】昭和12年
〔画像〕p675【満洲紳士録 第1版】昭和12年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/675
昭和十二年七月十五日印刷
昭和十二年七月二十日發行
滿洲紳士錄 並製 金貳拾圓也
編纂兼 中西 利八
發行人 東京市麻布區市兵衞町一丁目六番地
印刷者 篠倉 政一
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
印刷所 第一印刷所
    東京市京橋區湊町二丁目十六番地
    電話京橋(56)三〇六〇番 六〇三五番
發行所 滿蒙資料協會
    東京市麻布區市兵衞町一丁目六番地
    電話赤坂(48)一二一八番
    振替口座 東京三一五三五番
    振替口座 大連三八六二番
    振替口座 新京一〇七〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/814
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
讀賣新聞オンライン
[時代の証言者]言葉を紡いで なかにし礼<2>
名士の家庭 音楽に触れる
2018/11/01 05:00
 1938年(昭和13年)9月2日、
私は旧満州(現中国東北部)牡丹江で
中西家の次男として生まれ、
礼三と名付けられました。
父・政太郎は37歳、母・よきは34歳。
兄の正一とは14歳、姉の宏子とも七つ離れている、
遅れてきた末っ子でした。
 両親の故郷は北海道・小樽。
父は中西酒店の長男で、母は坂下石店の長女として、
恵まれた環境で育ったそうです。
母は「小樽小町」と呼ばれた 美貌 で、
さらに女性の地位向上に力を尽くしていた思想家、
平塚らいてうに影響を受けた進歩的かつ自由奔放な女性でした。
洋装を好み、夜な夜なダンスホールで踊っていたといいます。
母には恋人がいたのですが、ひょんなことで、父と出会い、
そのおおらかでひょうひょうとした人柄にひかれ、
22年(大正11年)に結婚したのです。
 兄と姉が生まれ、小樽で平穏な生活を送っていました。
そんな時、知り合いの軍人の勧めで、
34年に満州に渡り、造り酒屋を始めたのです。
 -略-
(編集委員 西田浩)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[忘れがたきこと]ソ連軍の囚人兵:将校とロシア美人【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988

【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988
著者    ハルビン中学十期会 編
出版者   ハルビン中学十期会
出版年月日 1988.11
p3【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988
〔画像〕p3【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988
https://dl.ndl.go.jp/pid/13139294/1/3

 哈爾浜駅
p4【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988
〔画像〕p4【ありし日々:ハルビンの光と陰】1988
https://dl.ndl.go.jp/pid/13139294/1/4

  忘れがたきこと
  平川良子(旧姓 窪田)
ハルビンで迎え、
ハルビンで送った敗戦の日々は、
勘定してみれば一年余であったが、
私の人生においては、
最も苦しく、
そして長く感じられたものである。

とりわけ、
ソ連軍兵士の相次いだ侵入と略奪の恐怖は、
思い出すと今でも身体中に戦慄が走る。

我が家は四ツ角に面していたから、
彼らの格好の目標になった。
一日に幾度となくご到来いただいたのである。

「ダワイ、ダワイ」とわめきながら、
数人一組でドヤドヤと入り込んでくる。
食堂で食事をしている母の肘かけ椅子の
あちこちにナイフを突き立てながら
「カナイ、カナイ」と叫ぶ。

子供の私たちは、
母が今にも刺されるのではないかと
生きた心地もなく見守った。

母は、まだ三十歳半ばだったが毅然として
「家内は私です」と答えた。
「カナイ」とは
「カネ」のことだと気が付くまで
しばらく時間がかかったのであった。

父は、その年の五月に召集されていた
(父は、それきり帰ってこなかった)。

体格のよかった父の洋服が彼らの気に入った。
タンスの抽き出しは、ひっくり返され、
戸棚はかきまわされる。
度重なると片づけるのがいやになってくる。
「どうにでもしてくれ」
といった気持ちになるのだった。

囚人兵の坊主頭に、
壁にかけてあった三味線が落ちて当った。
痛がる兵隊を見て大笑いした弟に、
その兵隊がマンドリン銃を構えた。
その目つきのすごさに気付いた私は、
あわてて弟を抱きかかえ、
そこにうずくまった。

誰が呼んだのだろうか。
略奪の最中にソ連軍の将校がかけつけた。
兵隊たちは逃げ去ったが、
隣室のダブルベッドが、
その将校の目にとまった。

将校のご指令が下った。
「ベルを三回鳴らして休んで、
 また三回鳴らすと私たちだ」。

その通りにベルを鳴らして、
背の高いロシア美人と
将校が訪れてくるようになった。

彼らが、その部屋に閉じこもると、
私たち子供は離れの部屋に追いやられた。

母や祖父は、
思春期にある私や妹に、
ひどく神経をとがらせたとは、
後年になって聞かされた話である。

その将校のおかげで、
その後、略奪部隊の侵入はなくなったのだった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13139294/1/11
ありし日々 ハルビンの光と陰
昭和六十三年十一月一日
編集発行 ハルビン中学十期会
     幹事 江島 滉
     同  砂村哲也
〒363   埼玉県桶川市上日出谷1322-14
     電話0487-86-0654
https://dl.ndl.go.jp/pid/13139294/1/23
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

栗山 基:長澤長市【想い出感動の樺太大泊:遥かなるサハリン紀行】1990

【想い出感動の樺太大泊 : 遥かなるサハリン紀行】1990
出版者   [北海道大泊会]
出版年月日 1990.5
p1【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p1【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/1
 米穀・雑穀・食料品・粉類
長澤 長市  大泊町 榮町南仲通
栗山  基  大泊町 旭町二條通一丁目

長澤 長市  大泊町 本町西一條南五丁目
p109【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p109【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/109
  あとがき
平成二年五月吉日
第八回 日ソ平和友好大泊訪問団
    編集者一同

発行所/〒065
    北海道札幌市東区北17条東2丁目10
    大和五郎
    011-731-5629
印刷所/(有)五水房
(サハリン訪問記・非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/122
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[樺太]魚菜及仲買商《栗山 基》大泊町旭町二條通一丁目【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年

【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
著者    中外興信所 編
出版者   中外興信所
出版年月日 昭和13
p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
〔画像〕p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
[樺太]キ 魚菜及仲買商
  栗山 基
大泊町旭町二條通一丁目
電 大泊二一五
營 魚菜、果實、食料品、和洋酒類、雜貨
銀 拓殖銀行大泊支店
収 35.11
所 11.75
創業 大正五年
昭和十三年七月十一日 印刷
昭和十三年七月十五日 發行 非賣品
發行兼編輯  株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一ノ三
代表者    松澤 國治
印刷所    株式會社 中外興信所印刷部
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
編纂兼發行所 株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
       電話京橋(56)代表六三四〇番
       振替口座東京一三三八七七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【樺太官庁会社紳士録 昭和16年3月】
著者    中央情報社 編
出版者   東樺日日新聞社
出版年月日 昭和16
栗山 基
日用雜貨商
大泊町旭町二一ノ一三〇
電話 二一五
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大泊町出身の出征兵士 歩兵上等兵「栗山基」君は 榮ある南京攻略一番乘 森塚部隊に屬して入城…【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年

【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
著者    国民新聞社 編
出版者   国民新聞社
出版年月日 昭13
p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
〔画像〕p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/5

  山頂に飜る日章旗、南京城一番乘り
     譽は高し郷土部隊

大泊町出身の出征兵士
歩兵上等兵 栗山基君は
榮ある南京攻略一番乘
森塚部隊に屬して入城せる
唯一の郷土出征兵士であるが
去る元日付 義弟 長澤長市氏の許へ
左の如き書翰を寄せ
近隣は勿論 町内一般に對し多大の感銘を與へた。

第二回目のニュースをお送致します。
今回向ひました處は南京占領です。
先回も申上げた通り敵の逃げ足の早い事
毎日五里乃至七里といふ進軍には
誠に我々兵士もヘトヘトに相成り、
身には軍裝十四五貫目位付いて居ります。

周宅といふ處より初まり南翔站、安定站、昆山、蘇州、
無錫常洲、金丹、丹錫、白面站、旬容、修山まで
追撃々々とて我軍の食料も食ひつくし
支那米の徴發にて毎日毎日食鹽よりなく
夜は野原に休んだり偶には支那の家に休んで
誠に百五十里位の道を修山迄來た時は
自分ながら能く來たものと思ひました。
明日向ふ處は支那の都南京です。

さすがに敵國の都です。
敵も今までの退却ばかりでなく
我軍に向つて打出す砲撃を惜まず
何分にも南京の右側に在る
紫金山といふ山はトーチカ陣地です。
盛んに打出す小銃、機關銃、追撃砲、野砲です。
二回目の畔家宅の激戰當日の樣でして
(中略)
小隊長 佐藤(藤)殿の談にて始めて
自分等が下關占領致したのだと云ふ事が判りました。

其後十二日間は
毎日二千人三千人の敗殘兵殺しにて
突く又は斬る打つので
揚子江の河畔は死人の山にて
お話になりません。

私等も毎日なので飽きました、
よくもこんなに斬り殺し
突き殺したものと思ひました。

私等の目についたものだけでも
三、四萬人以上にて
上海より南京迄の敵國の死體
百萬人を算すると言われて居りますが
尤もと思ひます。

十日間は毎日の殘敵殺しに
上海より南京間の敵兵全部打ち殺したと申しまして
口はゞかり無いと思ひます。

その後は兵站部付と相なり
十二月二十八日まで南京に居り
二十九日には鎖江に始めて汽車にて行軍です。
それに當鎖江には我軍の電氣がついて
家らしき家へ這入りました。
上陸以來百十日目でした。

なほ書き殘しましたが
十二月十七日には南京城へ入城式に參加したが
北海道部隊としては我が篠原隊だけで
皆外部隊の人の目に
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/855
付いたのでした。

又 南京攻撃の時には食料缺乏致した時
敵彈の雨霰と來る中を潜り
牛を分捕りに行き
その肉を食はせてやりました。

兎も角御安心下さい。
栗山基は達者で戰線に働いて居ります。
皆樣御安心下さい。
尚本日はお正月元日でキナコ餅の樣な
黴た餅を雜煮に致し目出度く
新年を迎へました。
其後子供に出した年賀狀に

 一句
  あらたまの年を迎へてお目出度
         いくさの庭も賑はふ雜煮

皆樣の御健康を祈ります。
尚 家内よりの書簡には
毎度皆樣の引立をあづかり居り
安心して國家に大君の爲め
忠節を盡す樣とあります。
誠に有難く陣中より銃後の皆樣へ御禮を申し上ます。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/856
昭和十三年七月拾五日印刷 支那事變聖戰赤心譜奥附
昭和十三年七月 廿日發行 定價貳拾參圓也
編纂人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
發行人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
印刷所及 瀧澤印刷所
印刷人  代表者 瀧澤松平
     東京市牛込區左内町三十八番地
發行所  國民新聞社
     東京市京橋區銀座西七丁目二番地
     電話代表銀座五五五一番(10)
     振替口座東京三六六三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/865
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【輝く郷土部隊 第1編 (蘆溝橋事件より徐州会戦まで)】昭和16年
著者    加藤愛夫 編
出版者   北方文化出版社
出版年月日 昭和16
   佐藤隊の殊勳
駒田上等兵の快擧に部隊は勇氣百倍、
佐藤隊は紫金山麓を江岸に出て、
下關停車場(南京驛)の占領を命ぜられた。
十二月十三日揚子江と城壁の間に
挟つた沼湖地帶を進んだ
長谷川、竹下、兩角の各部隊は
正午頃水西門を占據した。
市街戰は至るところに演じられて、
友軍の猛進は續けられ、
中華路方面は千葉、山田、天ケ崎、山本等の
部隊が進攻して來た。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/171
昭和十五年十二月二十二日印刷
昭和十六年 一月二十五日發行
旭川師團情報部檢閲濟
編輯者 加藤 愛夫
發行者 扇   廣
    札幌市南一條西四丁目八番地
印刷者 若林吉郎兵衛
    東京市牛込區加賀町一ノ十二
發行所 北方文化出版社
    札幌市南一條西四丁目八番地
    電話二二四〇番
    振替小樽二五〇〇〇番
東 京・大日本印刷株式會社印刷
定 價 金四圓
送 料 金十四錢
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/285
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《税關長》大連・哈爾濱・安東・營口・圖們・山海關:滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)昭和11年(1936)

【治外法権撤廃並満鉄附属地行政権の調整
 乃至委譲に対する満洲国側の準備】
著者    満洲国国務院総務庁情報処 編
出版者   満洲国国務院総務庁情報処
出版年月日 康徳3:昭和11年(1936)
p1滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)
〔画像〕p1滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)

 滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)
財政部
總務司   (司長 星野直樹)
税務司   (司長 源田松三)
理財司   (司長 田中 恭)

税 關
大連税關  (稅關長  福本順三郞) 
哈爾濱稅關 (税關長  兪 紹 武)
      (副税關長 江原 綱一)
安東稅關  (稅關長  中村  元)
營口稅關  (稅關長  會田 常夫)
圖們稅關  (稅關長  松原梅太郞)
山海關稅關 (稅關長  安藤 一郞) 
康德三年二月五日發行
滿洲國國務院總務廰情報處
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《毛沢東主席》なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。【周恩来の基本】田英夫 編1971

【周恩来の基本 : その対話にみる思想と戦略
 (ワールド・ブックス ; 1)】
著者    田英夫 編
出版者   東京美術
出版年月日 1971
p3【周恩来の基本】田英夫 編1971
〔画像〕p3【周恩来の基本】田英夫 編1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/3

一九六四年七月一〇日  p20-29/189
※昭和39年(1964)7月10日

毛沢東主席と
佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光、
荒哲夫、曽我祐次の諸氏との会見記録

この会見は、一九六四年七月、
社会党系の五つの訪中代表団の団長との間で
行われたものである。

会見は、北京の人民大会堂でおこなわれ、
中国側からは廖承志、趙安博氏らが同席した。
当時北京にあった西園寺公一氏と
各代表団員も同席した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/20

佐々木更三
中国を訪問した五団体を代表して
一言ごあいさつします。

毛沢東主席 どうぞ。

佐々木更三
お忙しいなかをわたしたちと会見し、
有益なお話をされたことに感謝します。
毛主席が、ひじょうにご健康で、
中国の社会主義の躍進のために、
全世界の社会主義の事業のために
日夜奮闘しておられることに敬意を表します。

毛沢東主席 ありがとうございます。

佐々木更三
今日、毛主席からひじょうに寛大な
お話をうかがいました。
過去、日本の軍国主義が中国を侵略して
みなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを
申し訳なく思います。

毛沢東主席
なにもあやまることはありません。
日本軍国主義は中国に
大きな利益をもたらしました。
おかげで、中国人民は権力を奪取しました。
日本の皇軍なしには、
わたしたちが権力を奪取することは
不可能だったのです。
この点で、わたしとあなたの間には、
意見の相違と矛盾がありますね。

佐々木更三 ありがとうございます。

毛沢東主席
過去のことは話さないことにしましょう。
過去のことは、ある意味では
いいことでもありましたし、
われわれの助けになりました。
ごらんなさい。
中国人民は権力は奪取したではありませんか。
また、日本の独占資本と軍国主義は皆さんをも
助けたのです。
p21【周恩来の基本】田英夫 編1971
〔画像〕p21【周恩来の基本】田英夫 編1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/21

毛沢東主席
われわれはなぜ日本の皇軍に感謝するかというと、
日本の皇軍がきたのだから、
われわれは日本の皇軍と闘い、
そしてまた蒋介石と合作するようになったのです。
八年間にわたる戦争で、
二万五千人の軍隊は百二十万人の軍隊となり、
一億の人口を擁する根拠地をもつようになりました。
ですから、
感謝しない理由はないではありませんか?
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/25
ワールド・ブックス 1
周恩来の基本◎その対話にみる思想と戦略
昭和46年12月5日 初版発行 ¥690
編 者 田  英夫(でん ひでお)
発行者 佐々 藤雄
発行所 株式会社 東京美術
    東京都千代田区神田司町2-7 小笠原ビル
    電話(292)3231(大代表) 振替東京13186
印刷/東京美術第一工場
製本/美成社
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/185
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ