◆満州・蒙古・中華民国・ソ連

栗山 基:長澤長市【想い出感動の樺太大泊:遥かなるサハリン紀行】1990

【想い出感動の樺太大泊 : 遥かなるサハリン紀行】1990
出版者   [北海道大泊会]
出版年月日 1990.5
p1【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p1【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/1
 米穀・雑穀・食料品・粉類
長澤 長市  大泊町 榮町南仲通
栗山  基  大泊町 旭町二條通一丁目

長澤 長市  大泊町 本町西一條南五丁目
p109【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p109【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/109
  あとがき
平成二年五月吉日
第八回 日ソ平和友好大泊訪問団
    編集者一同

発行所/〒065
    北海道札幌市東区北17条東2丁目10
    大和五郎
    011-731-5629
印刷所/(有)五水房
(サハリン訪問記・非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/122
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[樺太]魚菜及仲買商《栗山 基》大泊町旭町二條通一丁目【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年

【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
著者    中外興信所 編
出版者   中外興信所
出版年月日 昭和13
p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
〔画像〕p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
[樺太]キ 魚菜及仲買商
  栗山 基
大泊町旭町二條通一丁目
電 大泊二一五
營 魚菜、果實、食料品、和洋酒類、雜貨
銀 拓殖銀行大泊支店
収 35.11
所 11.75
創業 大正五年
昭和十三年七月十一日 印刷
昭和十三年七月十五日 發行 非賣品
發行兼編輯  株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一ノ三
代表者    松澤 國治
印刷所    株式會社 中外興信所印刷部
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
編纂兼發行所 株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
       電話京橋(56)代表六三四〇番
       振替口座東京一三三八七七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【樺太官庁会社紳士録 昭和16年3月】
著者    中央情報社 編
出版者   東樺日日新聞社
出版年月日 昭和16
栗山 基
日用雜貨商
大泊町旭町二一ノ一三〇
電話 二一五
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大泊町出身の出征兵士 歩兵上等兵「栗山基」君は 榮ある南京攻略一番乘 森塚部隊に屬して入城…【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年

【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
著者    国民新聞社 編
出版者   国民新聞社
出版年月日 昭13
p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
〔画像〕p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/5

  山頂に飜る日章旗、南京城一番乘り
     譽は高し郷土部隊

大泊町出身の出征兵士
歩兵上等兵 栗山基君は
榮ある南京攻略一番乘
森塚部隊に屬して入城せる
唯一の郷土出征兵士であるが
去る元日付 義弟 長澤長市氏の許へ
左の如き書翰を寄せ
近隣は勿論 町内一般に對し多大の感銘を與へた。

第二回目のニュースをお送致します。
今回向ひました處は南京占領です。
先回も申上げた通り敵の逃げ足の早い事
毎日五里乃至七里といふ進軍には
誠に我々兵士もヘトヘトに相成り、
身には軍裝十四五貫目位付いて居ります。

周宅といふ處より初まり南翔站、安定站、昆山、蘇州、
無錫常洲、金丹、丹錫、白面站、旬容、修山まで
追撃々々とて我軍の食料も食ひつくし
支那米の徴發にて毎日毎日食鹽よりなく
夜は野原に休んだり偶には支那の家に休んで
誠に百五十里位の道を修山迄來た時は
自分ながら能く來たものと思ひました。
明日向ふ處は支那の都南京です。

さすがに敵國の都です。
敵も今までの退却ばかりでなく
我軍に向つて打出す砲撃を惜まず
何分にも南京の右側に在る
紫金山といふ山はトーチカ陣地です。
盛んに打出す小銃、機關銃、追撃砲、野砲です。
二回目の畔家宅の激戰當日の樣でして
(中略)
小隊長 佐藤(藤)殿の談にて始めて
自分等が下關占領致したのだと云ふ事が判りました。

其後十二日間は
毎日二千人三千人の敗殘兵殺しにて
突く又は斬る打つので
揚子江の河畔は死人の山にて
お話になりません。

私等も毎日なので飽きました、
よくもこんなに斬り殺し
突き殺したものと思ひました。

私等の目についたものだけでも
三、四萬人以上にて
上海より南京迄の敵國の死體
百萬人を算すると言われて居りますが
尤もと思ひます。

十日間は毎日の殘敵殺しに
上海より南京間の敵兵全部打ち殺したと申しまして
口はゞかり無いと思ひます。

その後は兵站部付と相なり
十二月二十八日まで南京に居り
二十九日には鎖江に始めて汽車にて行軍です。
それに當鎖江には我軍の電氣がついて
家らしき家へ這入りました。
上陸以來百十日目でした。

なほ書き殘しましたが
十二月十七日には南京城へ入城式に參加したが
北海道部隊としては我が篠原隊だけで
皆外部隊の人の目に
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/855
付いたのでした。

又 南京攻撃の時には食料缺乏致した時
敵彈の雨霰と來る中を潜り
牛を分捕りに行き
その肉を食はせてやりました。

兎も角御安心下さい。
栗山基は達者で戰線に働いて居ります。
皆樣御安心下さい。
尚本日はお正月元日でキナコ餅の樣な
黴た餅を雜煮に致し目出度く
新年を迎へました。
其後子供に出した年賀狀に

 一句
  あらたまの年を迎へてお目出度
         いくさの庭も賑はふ雜煮

皆樣の御健康を祈ります。
尚 家内よりの書簡には
毎度皆樣の引立をあづかり居り
安心して國家に大君の爲め
忠節を盡す樣とあります。
誠に有難く陣中より銃後の皆樣へ御禮を申し上ます。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/856
昭和十三年七月拾五日印刷 支那事變聖戰赤心譜奥附
昭和十三年七月 廿日發行 定價貳拾參圓也
編纂人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
發行人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
印刷所及 瀧澤印刷所
印刷人  代表者 瀧澤松平
     東京市牛込區左内町三十八番地
發行所  國民新聞社
     東京市京橋區銀座西七丁目二番地
     電話代表銀座五五五一番(10)
     振替口座東京三六六三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/865
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【輝く郷土部隊 第1編 (蘆溝橋事件より徐州会戦まで)】昭和16年
著者    加藤愛夫 編
出版者   北方文化出版社
出版年月日 昭和16
   佐藤隊の殊勳
駒田上等兵の快擧に部隊は勇氣百倍、
佐藤隊は紫金山麓を江岸に出て、
下關停車場(南京驛)の占領を命ぜられた。
十二月十三日揚子江と城壁の間に
挟つた沼湖地帶を進んだ
長谷川、竹下、兩角の各部隊は
正午頃水西門を占據した。
市街戰は至るところに演じられて、
友軍の猛進は續けられ、
中華路方面は千葉、山田、天ケ崎、山本等の
部隊が進攻して來た。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/171
昭和十五年十二月二十二日印刷
昭和十六年 一月二十五日發行
旭川師團情報部檢閲濟
編輯者 加藤 愛夫
發行者 扇   廣
    札幌市南一條西四丁目八番地
印刷者 若林吉郎兵衛
    東京市牛込區加賀町一ノ十二
發行所 北方文化出版社
    札幌市南一條西四丁目八番地
    電話二二四〇番
    振替小樽二五〇〇〇番
東 京・大日本印刷株式會社印刷
定 價 金四圓
送 料 金十四錢
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/285
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《税關長》大連・哈爾濱・安東・營口・圖們・山海關:滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)昭和11年(1936)

【治外法権撤廃並満鉄附属地行政権の調整
 乃至委譲に対する満洲国側の準備】
著者    満洲国国務院総務庁情報処 編
出版者   満洲国国務院総務庁情報処
出版年月日 康徳3:昭和11年(1936)
p1滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)
〔画像〕p1滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)

 滿洲帝國統治組織表(康德三年一月現在)
財政部
總務司   (司長 星野直樹)
税務司   (司長 源田松三)
理財司   (司長 田中 恭)

税 關
大連税關  (稅關長  福本順三郞) 
哈爾濱稅關 (税關長  兪 紹 武)
      (副税關長 江原 綱一)
安東稅關  (稅關長  中村  元)
營口稅關  (稅關長  會田 常夫)
圖們稅關  (稅關長  松原梅太郞)
山海關稅關 (稅關長  安藤 一郞) 
康德三年二月五日發行
滿洲國國務院總務廰情報處
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《毛沢東主席》なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。【周恩来の基本】田英夫 編1971

【周恩来の基本 : その対話にみる思想と戦略
 (ワールド・ブックス ; 1)】
著者    田英夫 編
出版者   東京美術
出版年月日 1971
p3【周恩来の基本】田英夫 編1971
〔画像〕p3【周恩来の基本】田英夫 編1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/3

一九六四年七月一〇日  p20-29/189
※昭和39年(1964)7月10日

毛沢東主席と
佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光、
荒哲夫、曽我祐次の諸氏との会見記録

この会見は、一九六四年七月、
社会党系の五つの訪中代表団の団長との間で
行われたものである。

会見は、北京の人民大会堂でおこなわれ、
中国側からは廖承志、趙安博氏らが同席した。
当時北京にあった西園寺公一氏と
各代表団員も同席した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/20

佐々木更三
中国を訪問した五団体を代表して
一言ごあいさつします。

毛沢東主席 どうぞ。

佐々木更三
お忙しいなかをわたしたちと会見し、
有益なお話をされたことに感謝します。
毛主席が、ひじょうにご健康で、
中国の社会主義の躍進のために、
全世界の社会主義の事業のために
日夜奮闘しておられることに敬意を表します。

毛沢東主席 ありがとうございます。

佐々木更三
今日、毛主席からひじょうに寛大な
お話をうかがいました。
過去、日本の軍国主義が中国を侵略して
みなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを
申し訳なく思います。

毛沢東主席
なにもあやまることはありません。
日本軍国主義は中国に
大きな利益をもたらしました。
おかげで、中国人民は権力を奪取しました。
日本の皇軍なしには、
わたしたちが権力を奪取することは
不可能だったのです。
この点で、わたしとあなたの間には、
意見の相違と矛盾がありますね。

佐々木更三 ありがとうございます。

毛沢東主席
過去のことは話さないことにしましょう。
過去のことは、ある意味では
いいことでもありましたし、
われわれの助けになりました。
ごらんなさい。
中国人民は権力は奪取したではありませんか。
また、日本の独占資本と軍国主義は皆さんをも
助けたのです。
p21【周恩来の基本】田英夫 編1971
〔画像〕p21【周恩来の基本】田英夫 編1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/21

毛沢東主席
われわれはなぜ日本の皇軍に感謝するかというと、
日本の皇軍がきたのだから、
われわれは日本の皇軍と闘い、
そしてまた蒋介石と合作するようになったのです。
八年間にわたる戦争で、
二万五千人の軍隊は百二十万人の軍隊となり、
一億の人口を擁する根拠地をもつようになりました。
ですから、
感謝しない理由はないではありませんか?
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/25
ワールド・ブックス 1
周恩来の基本◎その対話にみる思想と戦略
昭和46年12月5日 初版発行 ¥690
編 者 田  英夫(でん ひでお)
発行者 佐々 藤雄
発行所 株式会社 東京美術
    東京都千代田区神田司町2-7 小笠原ビル
    電話(292)3231(大代表) 振替東京13186
印刷/東京美術第一工場
製本/美成社
https://dl.ndl.go.jp/pid/11924973/1/185
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《陳日平・国民新聞社長》漢奸の摘発は文化人・ジャーナリストにも及び【海路遥かに】昭和60年(1985)

【海路遥かに】昭和60年(1985)
著者    胡美芳 著
出版者   静山社
出版年月日 1985.12
p3【海路遥かに】1985
〔画像〕p3【海路遥かに】1985
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/3

こうして始まった
「漢奸狩り」はまたたく間に中国全土に広がり、
日本に協力した政治家・実業家たちが
次つぎに逮捕されていった。
翌(昭和)二十一年春、
漢奸裁判が開かれる迄に逮捕された数は、
著名人だけでも二千人を優に超え、
その中には、
次のような要人が含まれていた。
陳公博(南京国民政府主席)
周仏海(行政院副院長、上海市長)
周学昌(南京市長)
劉玉書(北京市長)
梁鴻志(立法院長)
王克敏(元華北政務委員会委員長)
殷汝耕(元冀東政府主席)
陳璧君(汪精衛未亡人)
梅思平(内政部長)
褚民誼(元外交部長)
周作人(北京大学文学院長)
朱博泉(上海銀行公会理事長)
李祖萊(中国銀行支配人)
鄭洪年(華中鉄道総裁)
聞蘭亭(全国商業統制総会理事長)

漢奸の摘発は文化人・ジャーナリストにも及び、
銭稲孫(北京大学校長)、
文元模(基北京大学理学院長)、
陳日平(国民新聞社長)
林谷(華南日報社長)らが逮捕された。

また、
李明、陳雲裳、李麗華らの名女優や、
梅熹、何仲山といった男優陣も検挙された。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/87
海路遥かに
定 価 1,500円
発行日 1985年6月25日第1刷
    1985年12月24日第2刷
著 者 胡 美芳
発行者 松岡幸雄
発行所 株式会社 静山社
    〒162 東京都新宿区新小川町9番-10-701
    電話 03-267-6941
    振替 東京0-78892
印刷・製本 中央精版印刷株式会社
表紙カバー印刷 京美印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438728/1/187
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《陳日平・国民新聞社長》無期懲役:昭和21年(1946)12月22日【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年

【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
著者    益井康一 著
出版者   植村書店
出版年月日 昭和23
p2【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
〔画像〕p2【裁かれる汪政権:中国漢奸裁判秘録】昭和23年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/2

  言論界の責任者
反共和平、重慶撃滅、
大東亞共榮圏建設の筆陣を張つた言論界からも、
多數の被告を送り出した。

卽ち中央電訊社總編輯、
許錫慶が懲役七年(七月二十四日上海高等法院)、

華南日報社長の
林谷が懲役八年(七月三十一日厦門高等法院)、

中華日報營業主任の
葉雪松(彼はその他蕪湖縣長などを歷任)が
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/68
懲役六年(八月十七日上海高等法院)、

新中國日報出版委員、上海市敎育會理事、
私立上海女子中學校長などの職にあつた
呉益之が懲役二年六箇月
(十一月二十二日上海高等法院)、

南京平報社長の
金雄白が懲役二年六箇月(十月二十八日)、

中華畫報主編
蕭劍靑が懲役三年、

中華畫報編輯
蕭浪萍が懲役二年六箇月
(十一月二十五日上海高等法院)の判決を受けた。

なお上海の國民新聞社長の陳日平は無期懲役
(十二月二十二日上海高等法院)となつた。
※民国35年(昭和21年:1946)12月22日

また國民政府宣傳部は申報社長の陳彬和および
申報社總主筆の呉某が東亞共營圏の宣傳をしたにも
かかわらず懲罰されないのは不法であるとて、
兩名の罪狀を指摘した文書を司法行政部に提出した。
この結果兩名も十一月四日起訴されるに至つた。
 ―略―
(以上いずれも民國三十五年)
※民国35年(昭和21年:1946)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/69
昭和二十三年三月一日印   刷 裁かれる汪政權
昭和二十三年三月五日第一刷發行 定價七拾圓
著 者 益井康一
發行者 植村道治
    東京都板橋區板橋町十丁目二四八四
印刷者 近藤藤雄
    東京都港區芝田村町六丁目一
發行所 植村書店
    東京都板橋區板橋町十丁目二四八四
    電話板橋(95)〇二六八番
    會員番號A二二一〇一六番
秀美堂印刷株式會社 印刷
https://dl.ndl.go.jp/pid/1267325/1/129
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《陳日平》(新聞社出身)早稲田大学出身:日本人の血を受けておられた【華興商業銀行回顧録】1964

【華興商業銀行回顧録】1964
出版者   華興会
出版年月日 1964
p4【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p4【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/4

 華興商業銀行本店のビル<茶色>
 往時の上海バンド風景
p5【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p5【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/5

 華興商業銀行の仮事務所・
 ダラッチ路某邸を借りての開設記念(1939)
p7【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p7【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/7

 黄浦江対岸より望む上海バンド
p10【華興商業銀行回顧録】1964
〔画像〕p10【華興商業銀行回顧録】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/10

  機構と人事  落合英次
   重役陣とその異動
銀行の創立総会は
昭和十四年(民国二十八年)五月一日、
開業日は五月十五日で披露のカクテルパーティーが
新亜ホテルで盛大に行われたのは、
ついこの間のような気がする。
本店の所在地は北四川路の本通りから五十米位入った
ダラッチ路で三階建洋館の民家を改造したもので
勿論手狭なことは免れなかった。
創立当初の重役陣は次の通りである。
 総 裁(予定) 陳 錦 濤(もと財政部長)
              (病気のため固辞されたので
               実際は梁鴻志氏がなった)
 副総裁     鷲尾 磯一(正金銀行出身、満州中央銀行理事)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/35
 理 事     沈 爾 昌(浙江興業銀行重役)
  〃      海老原竹之助(正金銀行門司支店)
  〃      戴 克 階(中国銀行経理)
  〃      岡崎嘉平太(日本銀行参事)
 監 事     陳 日 平(新聞社出身)
    —略―
以上の如く六年半の間に瀕繁な異動があり
結局終戦時の陣容は次の通りである。
 董事長     梁 鴻 志
 副董事長    欠 員
 常務董事    陳 爾 昌
  〃      李 恵 竜
  〃      志茂 源吉
  〃      落合 英次
 監察人     陳 日 平
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/36

    其他の想い出
陳日平さんは早稲田大学出身で
その日本語は日本人そっくりで
一見中国人とは見えぬ風彩の温厚な仁であった。

その子弟もみな日本の教育を受け
中国人と云うよりも寧ろ日本人であった。

他の中国側重役が酒を殆んど嗜められなかった中で
陳さん一人が仲々の酒豪であり、
飲む程に酔う程に言論風発
真に親しみのある方でもあった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/39

 2 中国側重役のことなど
   亀山正夫
陳日平氏は日本人の血を受けておられた関係か、
非常に律儀な点があって、
また一旦主張し出したことは仲々
後に引かぬ気風があったから
無残な最後を遂げられたのではないかと思う。
遥かに冥福をお祈り申し上げる。

氏は時々日本向けの手紙を出されることがあり、
わたしが加筆修正して差上げていた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/40
    華興商業銀行回顧録
    昭和39年(1964)4月1日発行
    頒価2000円 (400部限定版)
発行者 華 興 会
連絡者 三上 金矢  東京都港区芝琴平町1
           カーボンブラック協会
           電話501-3241
           東京都目黒区清水町533
印刷所 (株)光文社 東京都港区芝西久保広町17
           電話431-6760
https://dl.ndl.go.jp/pid/3024745/1/162
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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《陳日平・財政部次長》維新政府の一周年記念式:昭和14年(1939)3月28日【生活・文学・歴史】昭和17年

【生活・文学・歴史】昭和17年
著者    本位田祥男 著
出版者   愛宕書房
出版年月日 昭和17
p3【生活・文学・歴史】昭和17年
〔画像〕p3【生活・文学・歴史】昭和17年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/3

  租界のある街とない街
  一 記念日の南京
季節は桃李の咲き匂ふ頃であり、
而も維新政府の成立一周年記念の祝日前後で
あつたせいもあらう、
私達の南京でえた印象は、
平和そのものであつた。

維新政府の一周年記念式には日本人を交へて
※維新政府成立一周年記念祝典擧行
※昭和14年(1939)3月28日

五百人位參列したであらうか。
式場は國民黨政府以來の行政院廰であつたから、
立派なものであつた。
儀仗兵の列んでゐる廊下を、
幾つかの内庭を奥へ奥へと進むのは、
自ら劇中にある思であつた。
式は型通りであつたが、
宴會は珍しかつた。

會場は式の大禮堂である。
その中に三十許りの圓いテーブルがならべてある。

一テーブルに十二人づゝとして
三百六十人許りのお客である。

それぞれには政府の要人が主人役として坐つてゐるが、
私達のそれは財政部次長の陳日平氏である。

早大出の關東人で、
話し方と云ひ顏と云ひ、
全く日本人そつくりである。

財政部長が病勝ちのために財政部は
彼がやつてゐると云つてもよい。
前日來のなじみなので、心安かつた。

その中に行政院長(總理)の梁鴻志が乾盃に廻つて來られた。
彼は三十もあるテーブルを一々乾盃に廻つてゐるのである。
その酒量だけでも驚くべきであるが、
かうして總てのお客に氣を配るのは大變である。
彼は支那の所謂
德の人として尊敬されてゐるとの事であるが、
見るからに溫容の中に德が溢れてゐる樣であつた。

その間に奏樂は絶えず、
支那の花孃は愛國行進曲や妻戀道中迄謡つて、
實にあいあいたるものであつた。

遙々北京からやつて來た王克敏は、
「三月二十八日は私にとつても記念すべき日である。
 昨年の今日は北京で私は狙撃され、
※昭和13年(1938)3月28日
 同乘の山本先生は不幸にして他界された」
と述べて、
人々を感慨に耽らせた。
私もかうしてなごやかな空氣にひたつてはゐるが、
さうした陰謀が、
どこでどう計劃されてゐるか知れないとも思つた。
そして又前の上海事變の際の式場に於ける
爆弾事件なぞも憶ひ出したが、
それも瞬間的であり、
さうした懸念も吹き飛ばされる程、
愉快に宴會は進んだのであつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/112
昭和十七年七月十五日印刷
昭和十七年七月二十日發行
初刷・3,000部
出文協承認・あ10047號
  生活・文學・歷史
  定價 貳圓參拾錢
著 者 本位田祥男(ほんゐでん よしお)
發行者 山崎 泰雄
    東京市芝區新橋七ノ十二
印刷者 小坂  孟
    東京市牛込區市谷加賀町一ノ十二
印刷所 (東東壹)大日本印刷株式會社
    東京市牛込區市谷加賀町一ノ十二
製本所 大島製本所
    東京市芝區新櫻田町十九
發行所 愛宕書房
    東京市芝區新橋七ノ十二
    出文協會員番號・一〇一〇五六番
    電話・芝(43)一三六八番
    振替番號・東京一七三七一二番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京市神田區淡路町二ノ九
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129900/1/150
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《陳日平》財政部次長 辭職、華興商業銀行監事ニ任命:昭和14年5月11日【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)

【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)
著者    維新政府概史編纂委員会 編
出版者   行政院宣伝局
出版年月日 1940
p3【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)
〔画像〕p3【中華民国維新政府概史】昭和15年(1940)

 維新政府大事記
 (自民國二十七年三月二十八日)※昭和13年(1938)
 (至民國二十九年一月  末日)※昭和15年(1940)

中華民國二八年 ※昭和14年(1939)
三月二八日 ※昭和14年(1939)3月28日
◎維新政府成立一周年記念祝典擧行

五月一一日 ※昭和14年(1939)5月11日
◎財政部次長 陳日平 辭職、
 同日 華興商業銀行監事ニ任命

五月一三日 ※昭和14年(1939)5月13日
◎陳錦濤  華興商業銀行 總裁ニ就任
◎鷲尾磯一 華興商業銀行 副總裁ニ任命
 中華民國維新政府概史
中華民國二十九年(昭和15年)三月二十五日印刷
中華民國二十九年(昭和15年)三月 三十日發行
     非賣品
編纂發行 維新政概史
兼印刷人 編纂委員會
發行所  行政院宣傳局
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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