略歴:松村仙造

《松村仙造》妻 墨(すみ)長男 一造・三男 又一【人事興信録 5版】大正7年

【人事興信録 5版】大正7年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 大正7
《松村仙造》
 保熱板製造合資會社代表社員、
 攝津硝子株式會社取締役
 島根縣平民
 妻   墨 明治一一年生、
       高知 平民 坂本鼎 養子
       ※父 小野梓 母 利遠 妹 安
 男  一造 明治四〇年 九月生
       ※妻 正子(しょうこ)
       (父 泉谷祐勝 母 伊賀とら)
 弟  守一 明治一七年一二月生
 弟妻 ヒサ 明治二六年 三月生
       弟 守一 妻
       宮崎 士族 佐田家年 妹
君は島根縣平民 亡松村康重の二男にして
明治十三年七月十九日を以て生れ
明治四十四年一月 家督を相續す
京都帝國大學法科大學の出身にして
現時
保熱板製造合資會社代表社員にして
攝津硝子株式會社取締役たり
家族は尚
長女 弘(こう)(明治四二年 八月生)
       ※夫 大国美都雄(大深浩三)
二女 文(ふみ)(明治四三年一一月生)
       ※夫 坂本恭啓 子 坂本佳記
三女 重(しげ)(明治四四年一一月生)
       ※夫 金岡武夫
        長女 利子 二女 (北出)成美
        長男 勝  二男 稔  三男 護
姪  孝子 (大正 三年一〇月生)
      (弟 守一 長女)
甥  正一 (大正 六年 二月生)
      (弟 守一 二男)
三男 又一 (大正 五年 七月生)
      (高知縣平民 小野安の養子)
       ※妻 文子(父 小川清秀 母 梅)
            (弟 小川清久 小川清澄)
       ※長男 小野一雄(妻 喜代子)
        二男 小野雄二(妻 美鈴)の子
           小野紘平 (北川)翠里
姉  トシ (明治 五年一〇月生)は
其夫 久之助(明治二年七月生)
      (島根縣平民 勝部本右衞門 弟)
及 子女と共に分家せり
(兵庫、武庫、御影町)
 參照=佐田家年の項
 p943《松村仙造》【人事興信録 5版】大正7年
p943《松村仙造》【人事興信録 5版】大正7年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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 【松村守一・久子】01

 【松村守一・久子】02
後列左から
松村一造 小野文子 小野雄二 小野又一
前列左から
小野 安 松村守一 松村ヒサ
撮影場所 小野又一宅
     京都市伏見区深草正覚町九番地
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《松村仙造》被相續人松村康重ノ家督相續限定承認者【官報 1911年03月08日】明治44年

《松村仙造》被相續人松村康重ノ家督相續限定承認者
【官報 1911年03月08日】明治44年

【官報 1911年03月08日】明治44年
著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
出版年月日
明治44年

被相續人 島根縣簸川郡直江村大字直江六十番地屋敷
松村康重ノ家督相續ニ付キ
自分ハ明治四十四年二月十八日
其限定承認ヲ爲シタルニ依リ
右被相續人ノ相續權者及受遺者ハ
明治四十四年五月五日マテニ
其請求ノ申出アルヘク
若シ同期日マテニ申出ナキトキハ
其債權は辨濟ヨリ除斥セラルヘシ
右公告ス
 明治四十四年二月二十日
 住所 神戸市山本通二丁目十五番屋敷ノ十七號
  被相續人松村康重ノ家督相續限定承認者 松村仙造
p16松村仙造【官報 1911年03月08日】明治44年
p16【官報 1911年03月08日】明治44年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小山 溫:妹 フミヨ 佐田家年の妻》【人事興信録. 5版】大正7年

《小山 溫:妹 フミヨ 佐田家年の妻》
【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年
 大正七年九月十五日第五版發行
《小山 溫》   p336/1374
 正四位勳三等、法學博士、
 衆議院議員(愛知縣郡部選出)
 錦鷄間祇侯、辨護士、法律取調委員、
 愛知縣平民、
 妻  ゑい 明治 六年 一月生
       東京、平民、蒔田廣德 長女
 男   胖 明治二七年 三月生
君は愛知縣平民 小山轍太郎の長男にして
慶應元年八月二十八日を以て生れ
明治二十年十一月分家して一家を創立す
明治二十三年帝國大學法科大學を卒業し
判事に任じ東京地方裁判所判事
東京控訴院判事に歷補せられ後
檢事に轉じ
尋で監獄局長兼大審院檢事に補し
司法次官に任ぜられ
大正三年四月本官を罷め
錦鷄間祇侯仰付らる
曩に法學博士の學位を授けらる
又選ばれて衆議院議員となり
現に其職にあり立憲政友會に屬す
(東京、小石川、原町一三)
(電話 小石川五四〇)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《佐田家年:妹ヒサ 島根縣平民 松村仙造 弟 守一に嫁せり》【人事興信録. 5版】大正7年

《佐田家年:妹ヒサ 島根縣平民 松村仙造 弟 守一に嫁せり》
【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年
 大正七年九月十五日第五版發行
《佐田家年》  p1122/1374
 臺灣銀行 理事
 宮崎縣士族
 母  ミヲ 安政 四年 正月生
       宮崎 士族 河野藤太 三女
 妻 フミヨ 明治 九年 三月生
       法學博士 小山 溫 妹
 男   洋 明治四二年 二月生
 女   郁 明治三一年 八月生
 女  若菜 明治三五年 一月生
 弟  作郎 明治一九年 八月生
 弟妻  艶 明治二六年一〇月生
       弟 作郎 妻
       石川 平民
       西村正義 長女
 弟  末彦 明治三〇年 八月生
 妹   花 明治三三年 三月生
君は宮崎縣士族 佐田家親の長男にして
明治三年二月十七日を以て生れ
明治十一年八月家督を相續す
明治二十七年の帝國大學法科大學英法科出身にして
曩に臺灣銀行神戸支店支配人となり
明治四十三年同行理事に進み
現時 其職にあり
家族は前記の外
三女 光子 明治三九年 一月生
四女 澄子 明治四四年 九月生
三男 喜秋 大正 四年 九月生あり
弟  家長 明治 五年 一月生は
      高知縣士族 東 政吉の養子となり
妹   高 明治 九年一二月生は
      高知縣士族 富永直尋 弟 馬吉郎に
妹  ヒサ 明治二六年 三月生は
      島根縣平民 松村仙造 弟 守一に嫁せり
(兵庫、武庫、住吉村)
 參照=小山 溫松村仙造の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年08月02日
[高知縣]《佐田家親:四等属》
【改正官員録】明治16年6月~明治17年9月
[松村守一]【人事興信録】昭和3年~昭和23年
『除籍謄本』
本籍地 島根県簸川郡直江村大字下直江千九拾六番地
    ―略―
弟   松村守一
    父 松村康重 母 トク 三男
出 生 明治拾七年拾貳月拾参日
    直江村大字下直江千九拾六番地ニ分家 届出
    大正拾貳年拾壹月参拾日 受附 除籍
    ―略―
弟 妻 松村ヒサ
    父 《佐田家親》 母 《佐田ミヲ》 二女
出 生 明治貳拾六年参月貳拾四日
    明治四拾参年拾貳月拾五日
    宮崎県宮崎郡宮崎町大字上別府村貳百拾壹番戸其壹
    佐田家年 妹 婚姻届 同日受附 入籍 代理
    大正拾貳年拾壹月参拾日 夫 守一 分家ニ付キ除籍
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《松村仙造:小野一雄 雄二の祖父》【人事興信録. 5版】大正7年

《松村仙造:小野一雄 雄二の祖父》【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年
 大正七年九月十五日第五版發行
《松村仙造》     p943/1374
 保熱板製造合資會社 代表社員
 攝津硝子株式會社  取締役
 島根縣平民
 妻   墨 明治一一年一〇月生
       高知 平民
       坂本 鼎 養子
       ※小野 梓の二女 
 男  一造 明治四〇年 九月生
 弟  守一 明治一七年一二月生
 弟妻 ヒサ 明治二六年 三月生
       弟 守一 妻
       宮崎 士族
       佐田家年 妹
君は島根縣平民 亡松村康重の二男にして
明治十三年七月十九日を以て生れ
明治四十四年一月家督を相續す
京都帝國大學法科大學の出身にして
現時 保熱板製造合資會社代表社員にして又
攝津硝子株式會社取締役たり
家族は尚
長女  弘 明治四二年 八月生
二女  文 明治四三年一一月生
三女  重 明治四四年一一月生
姪  孝子 大正 三年一〇月生
      弟 守一 長女
甥  正一 大正 六年 二月生
      弟 守一 二男あり
三男 又一 大正 五年 七月生は ※小野一雄 雄二の父
      高知縣平民 小野安の養子となり
姉  トシ 明治 五年一〇月生は
      其夫 久之助(明治二年七月生)
            (島根、平、勝部本右衞門 弟)
      及 子女と共に分家せり
(兵庫、武庫、御影町)
 參照=佐田家年の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月10日
[除籍謄本]
《戸主:松村康重・島根縣簸川郡直江村大字直江六拾番屋敷》
二 女 トシ
    明治五年拾月拾壹日生 ※1872年11月10日
    父 松村康重
    母 亡 トク 二女
    明治参拾七年四月拾四日
    簸川郡出東村大字坂田参百七番地
    勝部久之助 妻 協議離婚 届出同日
    出東村 戸籍吏 代理 足立常太郎 受附
    同日届書發送 同月拾五日 受附 入籍代理〔江角〕
    明治参拾七年四月貮拾七日
    久之助ト婚姻 届出 同日受附〔山根〕
養 子 久之助
    明治貮年七月拾六日生 ※1869年8月23日
    二女 トシ 夫
    父 亡勝部本右衛門 四男
    母 亡トモ
    明治参拾七年四月貮拾七日
    簸川郡出東村大字坂田四拾参番屋敷
    勝部本右衛門 弟
    養子縁組 届出 同日
    二女 トシ ト婚姻 届出 同日 受附入籍〔山根〕
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《松江城》【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 254 出雲国枩江城図】

《松江城》【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 254 出雲国枩江城図】

【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 254 出雲国枩江城図】
 出版年月日 〔江戸中期-末期〕
 【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 254 出雲国枩江城図】50
《画像》【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 254 出雲国枩江城図】50

【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 255 〔出雲国松江城図〕】
 出版年月日 〔江戸中期-末期〕
 【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 255 〔出雲国松江城図〕】50
《画像》【〔日本古城絵図〕 山陰道之部. 255 〔出雲国松江城図〕】50
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松江城》出雲松江 松平幸千代殿【諸国城之図. [6]】

《松江城》出雲松江 松平幸千代殿【諸国城之図. [6]】

【諸国城之図. [6]】
出雲松江 松平幸千代殿  p2/26
松平幸千代殿 雲州松江  p19/26
 p19雲州松江【諸国城之図. [6]】50
〔画像〕p19雲州松江【諸国城之図. [6]】50
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 宗衍(まつだいら むねのぶ)は、江戸時代中期の大名。
出雲国松江藩6代藩主。
官位は従四位下・出羽守、侍従、左近衛権少将。
直政系越前松平家宗家6代。
時代 江戸時代中期
生誕 享保14年5月28日(1729年6月24日)
死没 天明2年10月4日(1782年11月8日)[1]
改名 幸千代(幼名)、宗衍、南海(法号)
戒名 天隆院殿仁誉義満南海大居士
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WANTED古写真…松江城大手門【地理写真帖. 内國之部第2帙】明治33年6月

WANTED古写真…松江城大手門
【地理写真帖. 内國之部第2帙】明治33年6月
【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
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【地理写真帖. 内國之部第2帙】明治33年6月
p42-1【地理写真帖. 内國之部第2帙】明治33年
〔画像〕p42-1【地理写真帖. 内國之部第2帙】明治33年
明治三十三年六月 十日印刷
明治三十三年六月三十日發行
定價金八拾錢
著 者 野口 保興
    東京市本郷區西片町十番地
發行人 石川 正作
    東京市神田區鎌倉町二番地
印刷人 多田 榮次
    東京市神田區小川町一番地
發行所 東洋社
    東京市神田區鎌倉町二番地
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【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
p42-1【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
〔画像〕p42-1【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
  松江城天守 松江市  p240/247
  昭和十年五月十三日指定(松江驛より自動車の便あり)
   五層天守(地階一層)  屋根四重本瓦葺
   前面附櫓  單 層   屋根本 瓦 葺
慶長十五年落成せしものである。
五層天守にして屋根四層、形態莊重頗る安定の觀を呈してゐる。
松江城は市の西北部にある亀田山を最高點とせる平山城で、
石壘、濠等舊態を存する處尠からず、
山陰地方に於ける近世城郭として代表的のものである。
p241-1【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
〔画像〕p241-1【島根県史蹟名勝天然紀念物並国宝概説】昭和13年
昭和十三年三月二十四日印刷
昭和十三年三月三十一日發行
    島根縣
印刷人 渡部 民也
    島根縣松江市苧町三二番地
印刷所 渡部印刷所
    島根縣松江市苧町三二番地
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【島根県史要】明治40年5月
 第三章 松江城    p37/242
  第一節 剏造    p37/242
  第二節 城の締構  p38-49/242
松江城は、東西二町五十七間二尺五寸、
南北四町五十六間一尺にして、
本丸・越廓・二の丸・中廓・外廓の五區に分つ。
 -略-
明治四十年五月十六日印刷
同   年五月 廿日發行
著作者  藤本 充安
版權所有 島根縣私立敎育會
發行者  川岡 淸助
     松江市天神町百十番地
印刷者  大橋 光吉
     東京市小石川區久堅町百八番地
印刷所  博文館
     東京市小石川區久堅町百八番地
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【松平定安公伝】昭和9年
 其十七 松江城癈止及同城沿革一斑 p255-257/403
昭和九年四月二十五日印刷
昭和九年四月 三十日發行 松平定安公傳(非賣品)
著者兼 伯爵 松平 直亮
發行者 東京市四谷區元町五十八番地
印刷者 石原勘一郎
    東京市小石川區高田老松町三二番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月07日
[勝部本右衛門:七代~十代]
   八代 本右衛門 四男
   松村久之助:松村康重(松村仙造の父)の養嗣子
   明治2年7月16日生 ※1869年8月23日
   妻 トシ
   明治五年拾月拾壹日生 ※1872年11月10日
   父 松村康重
   母 亡 トク
国宝松江城秘話「誇り高き のぼせもん」
2016年6月29日発行
著者 山口信夫 発売 今井出版
 主な登場人物
〇勝部家
 勝部本右衛門栄忠 勝部家七代目
 勝部本右衛門景浜 勝部家八代目 豪農、銅山開発
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むかしもん文庫 @MukashimonBunko
WANTED古写真・・・松江城大手門 : ニュース : 
島根 : 地域 : 読売新聞オンライン
yomiuri.co.jp
WANTED古写真・・・松江城大手門 : ニュース : 島根 : 地域
松江城大手門の復元を目指す松江市が、
根拠となる資料収集のため、
SNSなどを利用した海外向け動画の配信に乗り出した。
近年、明治期に撮影された城郭写真が発見される事例もあり、
市の担当者は「足踏みをしている状況だが、古写真の有
午後11:58 · 2021年11月10日·Twitter for iPad
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御影町 郡家 下り・紳士富豪の御別邸 附記【魚崎町・住吉村・御影町全圖】1921年(大正10年)

御影町 郡家 下り・紳士富豪の御別邸 附記
【魚崎町・住吉村・御影町全圖】1921年(大正10年)

【魚崎町・住吉村・御影町全圖】1921年(大正10年)
 實地 踏測 精良 無比
   五色刷鮮明
 阪神沿道案内
   阪神新國道 及 小字詳密
魚崎町 住吉村 御影町 新地圖
   紳士富豪の御別邸 附記
p03【魚崎町・住吉村・御影町全圖】
〔画像〕p03【魚崎町・住吉村・御影町全圖】

御影町 郡家 下り
※赤枠 郡家町字下リ196番地
p07【魚崎町・住吉村・御影町全圖】
〔画像〕p07【魚崎町・住吉村・御影町全圖】

御影町 郡家 下り
※赤枠 郡家町字下リ196番地
※赤枠 申御田 緒方医院 緒方邸
p09【魚崎町・住吉村・御影町全圖】
〔画像〕p09【魚崎町・住吉村・御影町全圖】

石版活版 後藤印刷工所
諸印刷類 神戸市磯部通四丁目八六
     電話 三宮三三六番
大正拾年五月丗日印刷
大正拾年六月四日發行
兵庫縣武庫郡西灘村河原一五番地
 著作兼發行者 前田慶三
神戸市磯部通四丁目八六番地
 印 刷 者  後藤俶子
兵庫縣武庫郡西灘村河原一五番地
 發 行 所  前田工務所
兵庫縣武庫郡御影町停留所前
 發 賣 所  有森虎太郎
定價 金五拾錢也
p10【魚崎町・住吉村・御影町全圖】
〔画像〕p10【魚崎町・住吉村・御影町全圖】
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月01日 10:40 ◆松村仙造(眞澄) 略歴:松村仙造
略歴[祖父 松村仙造(真澄・大本の名前)]―01
生  明治13年(1880)7月19日
歿  昭和  3年(1928)3月   3日 48歳
本籍 島根県簸川郡直江村大字直江60番屋敷
本籍 島根県簸川郡直江村大字下直江1096番地
住所 兵庫県武庫郡御影町之内郡家町字下リ196番地
住所 兵庫県神戸市元町4丁目 (有価証券仲買 売買)
住所 京都府何鹿郡綾部町大字本宮村小字上野107番地
(現  京都府綾部市上野町上野107番地)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《松村哲造》武庫郡御影町郡家寺ノ前
《松村又一》武庫郡御影町郡家下り
【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
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《松村哲造》武庫郡御影町郡家寺ノ前《松村又一》武庫郡御影町郡家下り【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年

《松村哲造》武庫郡御影町郡家寺ノ前
 出生 大正2年(1913)3月28日
    父  松村仙造 二男
    母    墨
 死亡 大正4年(1915)1月28日
    兵庫縣武庫郡御影町之内
    郡家町字寺ノ前百四拾九番地ニ於テ死亡

《松村又一》武庫郡御影町郡家下り
 ※小野又一:一雄・雄二の父
 出生 大正5年(1916)7月11日
    父  松村仙造 三男
    母    墨
    兵庫縣武庫郡御影町之内
    郡家町字下百九拾六番地ニ於テ出生
 死亡 昭和47年(1972)1月31日

《松村ヨネ》武庫郡御影町郡家下り
    出生 大正7年(1918)6月12日
    父  松村仙造 四女
    母    墨
    兵庫縣武庫郡御影町
    郡家町字下リ百九拾六番地ニ於テ出生
    死亡 大正9年(1920)6月4日
    兵庫縣武庫郡御影町郡家字下リ百九拾六番地ニ於テ死亡

《松村正一》御影町御影字柳八百七拾貮番地
    出生 大正6年(1917)2月15日
    父  松村守一 二男
    母    ヒサ
    兵庫縣武庫郡御影町ノ内御影字柳八百七拾貮番地ニ於テ出生

《松村守夫》御影町御影字柳八百七拾貮番地
    出生 大正8年(1919)1月3日
    父  松村守一 三男
    母    ヒサ
    兵庫縣武庫郡御影町御影字柳八百七拾貮番地ニ於テ出生

【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
武庫郡御影町 郡家・御影・石屋・東明 p115/218
索引圖 縮尺一萬分ノ一
※赤枠 郡家 下り
p115-1【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
〔画像〕p115【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年

武庫郡御影町 寺之前 p125/218
一四九 85坪 ※赤枠
p125【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
〔画像〕p125【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年

武庫郡御影町 郡家 下り p135/218
一九六 一九六ノ一 125坪 ※赤枠
p135【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
〔画像〕p135【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年

武庫郡御影町 柳之一部 p137/218
柳 八七二ノ二 一〇五五坪 ※赤枠
p137【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
〔画像〕p137【阪神沿道地籍図. 西部】大正9年
大正九年七月 拾七日印刷
大正九年七月貮拾貮日發行
 阪神沿道地籍圖 西部
  定價 金參拾五圓也
編纂者 兵庫縣武庫郡西灘村河原一五番地
    前田慶三
發行兼 神戸市磯邉通四丁目八六番地
    後藤俶子
印刷所 神戸市磯邉通四丁目八六番地
    後藤印刷工所
發行所 神戸市磯邉通四丁目八六番地
    後藤印刷工所
    電話 三宮三三六番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年12月04日 04:38 ◆松村仙造(眞澄) 略歴:松村仙造
[除籍謄本]《戸主:松村仙造・島根縣簸川郡直江村》3/4
二男  哲造(テツゾウ)
    出生 大正貮年参月貮拾八日 ※1913年3月28日
    父  松村仙造 二男
    母    墨
    大正貮年四月八日 出生届出
    同日 神戸市 戸籍吏 鹿島房次郎 受附
    同月九 届書發送 同月貮拾日 受附〔土江〕
    大正四年壹月貮拾八日 午後七時拾分
    兵庫縣武庫郡御影町之内
    郡家町字寺ノ前百四拾九番地ニ於テ死亡

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年12月04日 08:36 ◆松村仙造(眞澄) 略歴:松村仙造
[除籍謄本]《戸主:松村仙造・島根縣簸川郡直江村》4/4
三男  又一
    出生 大正五年七月拾壹日 ※1916年7月11日
    父  松村仙造 三男
    母    墨
    兵庫縣武庫郡御影町之内
    郡家町字下百九拾六番地ニ於テ出生
甥   正一
    出生 大正六年貮月拾五日 ※1917年2月15日
    父  松村守一 二男
    母    ヒサ
    兵庫縣武庫郡御影町ノ内御影字柳八百七拾貮番地ニ於テ出生
四女  ヨネ
    出生 大正七年六月拾貮日 ※1918年6月12日
    父  松村仙造 四女
    母    墨
    兵庫縣武庫郡御影町
    郡家町字下リ百九拾六番地ニ於テ出生
    父 松村仙造 届出
    大正七年六月拾八日 御影町長 水野征夫 受附
    同月貮拾五日 送付 入籍
    大正九年六月四日午後貮時四拾分
    兵庫縣武庫郡御影町郡家字下リ百九拾六番地ニ於テ死亡
    戸主 松村仙造 届出
    同月五日 御影町長 水野征夫 受附 同月七日送付
甥   守夫
    出生 大正八年壹月参日 ※1919年1月3日
    父  松村守一 三男
    母    ヒサ
    兵庫縣武庫郡御影町御影字柳八百七拾貮番地ニ於テ出生
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年02月27日 04:32 ◆松村仙造(眞澄) 略歴:松村仙造
御影町 郡家 下り・紳士富豪の御別邸 附記
【魚崎町・住吉村・御影町全圖】1921年(大正10年)
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