向島八洲園・小松島

《八洲園》番町學校故友親睦會:明治20年4月17日【芳賀矢一文集】昭和12年

【芳賀矢一文集】昭和12年(1937)
著者    芳賀檀 編
出版者   富山房
出版年月日 1937
明治二十年(1887)
四月十七日 快晴 九時 林來る
共に八洲園に赴く
番町學校故友親睦會に臨まんが爲なり
十時 八洲園に至る
已に十人餘來集せり
互にむかしを語り樂しき事かぎりなし
十二時頃に至りて
柳谷、後藤、有馬等の演説あり
女子の方にては野村ひさ子が祝文あり
中々見事なり
已にして校長 丹所啓行氏來會せらる
氏職を敎育に奉ずること茲に十有餘年、
鬚眉漸く白し
其勞思ふ可し
此日女子も打ち交りて居りしかば
酒は飲まぬがよし
さりとて其にては祝の心ならずとて
ベルモツトを三本ばかり飲みしが
校長氏は更に數本のビール等を贈られたり
二時頃宴を終へ或は競争を試むるものあり
此日風あり
園裡落花紛霏景色尤も奇なり
已にして復た座にかへり
幹事を選擧し一年兩度開會に決す
幹事は柳谷、有馬、木村及び
神田くま千代、野村ひさ、齋藤ゆり、
の六人なり
六時散會せり
余は林と車に乘じて歸宅す
時に晩七時頃なり
此日男子の出席者は十六人あまりあり
女子は大凡十五人程なり
殊に可笑しきは相別れにし日には
十二三の乙女なりける人の
今は皆な人の母となりて
二人三人の小兒を携へ來るなど
よろづに付きて昔をしのぶ種となりぬ
四月十九日 晴
四月二十日 曇
p310【芳賀矢一文集】1937
〔画像〕p310【芳賀矢一文集】1937
https://dl.ndl.go.jp/pid/1882652/1/310
昭和十二年二月一日印刷 『芳賀矢一文集』
昭和十二年二月六日發行  定價參圓五拾錢
編纂者  芳賀  檀
發行所  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
右代表者 冨山房社長
     坂本嘉治馬
印刷者  白井赫太郎
     東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
     振替東京五〇一番
     電話神田(25)二、一七一番
         (25)二、一七八番
     精興社印刷
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小野義眞翁遺芳【富山房五十年】昭和11年(1936)

小野義眞翁遺芳【富山房五十年】昭和11年(1936)

【富山房五十年】昭和11年(1936)
著者    富山房 編
出版者   富山房
出版年月日 昭11
向島の別邸小松園は一萬坪餘りの大庭園で、
鹽釜の小松島に模したものと聞いてゐる。
いはゆる平庭式のもので、
池あり、丘あり、所々に小橋を架し、
池には水鳥の遊ぶあり、
殊に季節には鴨の群を成して集ると言ふ樣な
廣大豪華を極めたものであつた。

小野義眞翁遺芳
上は小野義眞翁に宛てた岩崎彌太郎氏の書翰
中は明治三十六年四月二十一日、同二十二日
  兩日の小野義眞翁の日記
下は小野義眞翁によつて創められた小野燒。
  俳句は翁の餘技 桃齋
p358【富山房五十年】昭和11年
〔画像〕p358【富山房五十年】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1257473/1/358
昭和十一年三月 一日印刷 『冨山房五十年』
昭和十一年三月十五日發行  非賣品
編輯兼  合資會社 冨山房
發行者  東京市神田區神保町一丁目三番地
右代表者 坂本嘉治馬 冨山房社長
印刷者  白井赫太郎
     東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所  〔明治十九年三月設立〕
     合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
     振替東京五〇一番
     電話神田(25)自二一七一番 至二一七八番
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《小松島・八洲園》【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)

《小松島・八洲園》【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)

【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)
著者    宮尾しげを 編
出版者   アソカ書房
出版年月日 1955
小松島 Komatsujima……53 ⑤
隅田川言問橋の先にある島で
明治十年頃まで稲が植えてあつたのを
八洲園という庭園にした所,
花の頃は種々の催しがあつてにぎわつたが,
いつしか荒れて蒸気船発着地点となつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3010278/1/66

⑤鐘淵手前小松島風景
p30【東京そのむかし:珍しい写真集】1955
〔画像〕p30【東京そのむかし:珍しい写真集】1955
https://dl.ndl.go.jp/pid/3010278/1/30
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《向島八洲園》上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會 明治28年1月20日[群馬縣第一區正義同志者]

《向島八洲園》上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會
 明治28年1月20日[群馬縣第一區正義同志者]

【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
著者    中村周次郎 編
出版者   中村周次郎
出版年月日 明28.11
  群馬縣第一區正義同志者
  明治廿八年十一月
    附 記  p32-33/41
一 二十七年十一月十一日旅順陥落ス
一 廿八年一月二十日ノ良日ヲ卜シテ
  名譽アル我上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會ヲ
  向島八洲園ニ開ケリ
  此日天氣淸朗ニシテ微風ダモナク
  遠路來臨者ニ向テ數等ノ利便ナリシハ
  極メテ好都合ナリキ
  例刻ト共ニ上毛學友會員并ニ軍人諸士ハ
  陸續トシテ歩ヲ八洲園内ニ向ケ
  午后二時半ニ至レバ來會者ノ數
  實ニ三百三十餘人ト注シヌ
  茲ニ於テカ掛員等ハ左ノ順序ニ從テ開會ノ式ヲ
  八洲園内ノ東丘ナル黄芝靑松ノ間ニ舉グ
   一 開會之辭  二 送別辭   三 答辭
   四 君ケ代   五 萬歳    六 宴會
   七 餘興
  此間各切レ目等ニ樂隊ノ演奏アル筈ナリシモ
  音樂師ニ差支アリテ
  事ノ茲ニ出シ能ハザリシハ實ニ終生ノ遺憾トス
  特ニ此式順ヲ指示セラレタル
  鈴木眞一君ニ向テハ實ニ謝スルノ辭ナキナリ
p32【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
〔画像〕p32【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年

p33【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
〔画像〕p33【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
明治廿八年十一月七日印刷
明治廿八年十一月十日出版
發行兼 群馬縣士族
編輯  中村周次郎
    群馬縣前橋市榎町五十七番地
印刷者 柴辻誠太郎
    東京市京橋區八官町十九番地
印刷所 忠愛社
    東京市京橋區八官町十九番地
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【東京名所図絵】明治23年
出版者   東雲堂
出版年月日 明23.3
隅田川近傍には
八洲園の美亭あり
園裡に池を遶(めぐ)らして
北海松を所々に植へ
水禽を放ち
庭景頗る宣(よ)し
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《向島八洲園》讌饗:法學部敎師米人テリ理學部敎師ワグ子ル醫學部敎師ベルツ【学芸志林 15(84)】明治17年

《向島八洲園》讌饗:法學部敎師米人テリ
理學部敎師ワグ子ル 醫學部敎師ベルツ
【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)

【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
出版者   東京大学
出版年月日 1884-07
東京大學明治十七年六月畧報  p54/68
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/54
◎讌饗  p56-57/68
同月(六月)六日
本學所轄植物園集會所ニ於テ先例ニ準シ
外國諸敎師ヲ讌饗ス
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/57
[明治17年]六月廿日
法學部敎師米人テリ
理學部敎師ワグ子ル
醫學部敎師ベルツ
向島八洲園ニ饗シ
不日解雇歸國ノ送別ヲ爲ス

〇講談演説准可
同月九日
東京大學助敎授 關谷淸景
醫學部講師 淸水郁太郎
同 梅錦之丞
理學部講師 岩谷立太郎
同 北尾次郎ノ五名ニ
敎授ニ準シテ講談演説ヲ爲スヿヲ許ス」
同廿三日
理學部講師 難波正ニモ之ヲ許スヿ
一ニ上ニ同シ
〇歐洲行
助敎授 丹波敬三
同 飯盛挺三ノ
學術研究トシテ
大約一年半ヲ期シ
歐洲ヘ渡航セントスルノ願ヲ准可ス
p57【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
〔画像〕p57【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/57
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八洲園[立田義敬氏所有地にして]【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年

八洲園[立田義敬氏所有地にして]【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年

【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年(1984)
著者    相沢朮 著
出版者   相沢高尚
出版年月日 1984.9

◎八洲園  p25-26/341
仝(寺嶋)村白髭神社より西北の方
堤外にありて
橋場の渡津に接せり
明治十七年
立田義敬氏所有地にして

立田義敬:小野義真(長男)の弟(四男)

隅田川の岸@一の遊園を築き
池水を湛へ松櫻其外種々の樹木を植
四季の遊所となしける
其景色松嶋に似たるを以て
小松嶋とも呼へり
   高取 芳烈
   川畑  梓
   相沢 竹子  p26/341
p25【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年
〔画像〕p25【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9643518/1/25

東京名所鑑稿本 續編
明治廿五年九月
著者 北豊島郡板橋町二千六百六十七番地
   相澤 朮

東京名所鑑(稿本)續編
昭和五十九年九月
発行者・編者 大阪府箕面市桜ヶ丘
       四丁目七番九号
       医学博士 相澤 高尚
印 刷    兵庫県尼崎市東向島
       西之町一番地
       株式会社 鋼管印刷所
p339【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年
〔画像〕p339【東京名所鑑稿本 続編】昭和59年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9643518/1/339
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《小野義真》小松島庭園開園祝賀会の写真(鶴岡保儀氏秘蔵)「小松島笠間稲荷」【東京歴史散歩 第9集】昭和45年

《小野義真》
小松島庭園開園祝賀会の写真(鶴岡保儀氏秘蔵)
「小松島笠間稲荷」
【東京歴史散歩 第9集】昭和45年

【東京歴史散歩 第9集 (隅田川とその両岸 続 下巻)】1970
著者    豊島寛彰 著
出版者   芳州書院
出版年月日 1970

小松島庭園開園祝賀会の写真(鶴岡保儀氏秘蔵)
p41-1【東京歴史散歩 第9集】
〔画像〕p41-1【東京歴史散歩 第9集】

 いまの日本電気精器の敷地から明治通にわたって
小松島庭園があったことは
小著隅田川下巻でもふれておいたが、
日本鉄道会社
(上野と青森間をつなぐ東北線の前身で、
明治十五年、わが国私鉄の嚆矢)の
社長小野義真が、
明治十一年にここを別荘としたもので
庭が奥州松島の景のうつしとて、
小松島と名づけたのである。
 それで「こまつしま」と
にごらず呼ぶのが正しいが、
八州園の別名もあるくらい見晴らしがよく、
対岸の対鷗莊とともに世に知られた。
明治十七年には一般に公開し
市民にもその楽しみを
わかつという風であったが、
おしいことに、
大正の終わりに閉園してしまった。
 小松島庭園をつくった時、
園内の小丘に稲荷社を祀ったが、
この地が日本電気精器会社の所有となってから後、
西側の地(現堤通り二丁目三番)に遷座した
小松島稲荷はいまも
「小松島笠間稲荷」として
同地にその名残をとどめていて、
旧時の小松島庭園を想いおこさせている。
p41-2【東京歴史散歩 第9集】
〔画像〕p41-2【東京歴史散歩 第9集】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2992890/1/41

堤通り二丁目にのこる小松島笠間稲荷
p42【東京歴史散歩 第9集】
〔画像〕p42【東京歴史散歩 第9集】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2992890/1/42

昭和四十五年十一月三日発行
    (限定五百部)
    定価 一、八〇〇円
著 者 豊島 寛彰(としま ひろあき)
発行所 芳洲書院
    東京都府中市多摩町二ノ二
    振替 東京八四五三八
    電話 府中(61)六二七三番
印 刷 株式会社東徳
製 本 株式会社東徳
p123【東京歴史散歩 第9集】
〔画像〕p123【東京歴史散歩 第9集】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2992890/1/123
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《向島八洲園》【少年世界 7(5)】明治34年(1901)

《向島八洲園》【少年世界 7(5)】明治34年(1901)

【少年世界 7(5)】明治34年(1901)
出版者   名著普及会
出版年月日 1901-04

 少年世界 26 自 明治34年4月
        至 明治34年6月
           名著普及会
 p1【少年世界 7(5)】1901
〔画像〕p1【少年世界 7(5)】1901
https://dl.ndl.go.jp/pid/1800830/1/1

向島八洲園  p5/93
※クリックで拡大
 p5【少年世界 7(5)】1901
〔画像〕p5【少年世界 7(5)】1901
https://dl.ndl.go.jp/pid/1800830/1/5
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向島八洲園(東京)第十六圖【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年

向島八洲園(東京)第十六圖【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年

【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年(1896)
著者    中島信義 (春郊) 著
出版者   青木嵩山堂
出版年月日 明29.1
※クリックで拡大
p18-1【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年
〔画像〕p18-1【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年

※クリックで拡大
p19-1【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年
〔画像〕p19-1【築山庭造法:古今秘伝 下】明治29年

明治二十九年一月 十日印刷
仝 二十九年一月十八日發行  定價金四拾錢
著 者 中島 春郊
    東京市京橋區采女町
發行兼 青木恒三郎
印刷者 大阪市東區博労町四丁目廿七番屋敷
發賣所 青木嵩山堂
    大阪市心齋橋筋博労町
仝   青木嵩山堂
    東京市日本橋區通一丁目
賣捌所 嵩山堂支店
    勢州四日市港堅町
仝   山田直三郎
    京都市寺町二條下ル
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《向島八洲園》新舊醫科大學長及新任院長の送迎會【中外医事新報 (326)】明治26年

《向島八洲園》新舊醫科大學長及新任院長の送迎會
【中外医事新報 (326)】明治26年

【中外医事新報 (326)】明治26年(1893)
著者    日本医史学会 [編]
出版者   日本医史学会
出版年月日 1893-10

明治二十六年十月二十日發行
中外醫事新報 第三百二十六號
毎月二回刊行 中外醫事新報社
p1【中外医事新報 (326)】1893
〔画像〕p1【中外医事新報 (326)】1893

  ◎送迎會  p33/
新舊醫科大學長及新任院長の送迎會は
去る八日 ※明治26年10月8日(日)
向島なる八洲園に開かれたり
當日の概况は先づ午後一時半頃より
隅田川にて端舟競漕あり
競漕終りて八洲園に會し
大澤岳太郎氏開會の趣意を述へ
次に佐々木政吉氏敎授總代として
木下氏學生總代として共に
舊學長の功勞を謝し
新任二敎授を歡迎するの詞を述べ
次に大澤謙二氏の謝辭
小金井良精氏の謝辭
宇野朗氏の謝辭あり
皆謙遜莊重の詞なり
是にて其式を終へ
又競漕の勝者に賞を與ふ
夫より酒肴の折詰を配り
各自且談し且食し
皆々興に入りて時の移るを知らず
午后五時頃に至りて
散會せりといふ
p33【中外医事新報 (326)】1893-20
〔画像〕p33【中外医事新報 (326)】1893
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