小野英之助

《小野英夫》小野英之助の二男【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年

《小野英夫》小野英之助の二男
【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年

【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
著者    国際探偵社 編
出版者   国際探偵社
出版年月日 昭14
《小野英夫》
 新興醫療器(株) 專務取締役
 日本精機(株) 專務取締役
 新興興業(株) 專務取締役
 新興土木建築(株)專務取締役
東京府人 小野英之助ノ二男
明治卅八年(1905)九月十日
小石川區ニ出生
京北中學ニ學ビ
富山房出版計算部ニ勤務
昭和十二年(1937)四月
新興土木建築
昭和十二年(1937)十月
新興醫療器
昭和十三年(1938)三月
新興興業
昭和十四年(1939)
日本精機 各株式會社ヲ創立
專務取締役ニ就任ス
趣味 ゴルフ
家庭
妻  信子  明治卅八年(1905)
       東京府 岡田德三郎 長女
       上野高女卒
長男 淳之介 昭和 七年(1932)
長女 道子  昭和 九年(1934)
二女 靜子  昭和十一年(1936)
三女 幸子  昭和十三年(1938)
住  杉並區松庵南町一九
p612【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
〔画像〕p612【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
https://dl.ndl.go.jp/pid/8312104/1/612

【法人個人職業別調査録 10版(昭和16年)】
著者    国際探偵社 編
出版者   国際探偵社
出版年月日 昭和16
《小野英夫》
住  杉並區西荻窪一ノ一八四
※住 以外は上記と同じ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1683802/1/704
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日
[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]
[小野英之助氏](626 頁以下の写真のキャプション)
小野義眞翁の息。
明治4年(1871)生。
明治29年(1896)
東京専門学校英語専修科卒業。
同年(明治29年(1896))冨山房入社。
明治38年(1905)
父君 義眞翁 死去後退社。
明治45年(1912)2月16日歿。
嗣子 鶴太郎氏は、
大正15年(1926)
東大農学部卒業後直ちに帝室林野局奉職、
昭和8年(1933)退官、出版を志し、
神田小川町に秋豊園を興し、今日に至る。
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ホース(Hawes, Albert G.S. 宝珠)小野英之助の実父[小野梓全集]第五巻

ホース(Hawes, Albert G.S. 宝珠)小野英之助の実父
[小野梓全集]第五巻

[小野梓全集]別冊 昭和57年3月31日発行
人名索引〔外国人〕 p27
ホース(Hawes, Albert G.S. 宝珠)
第五巻⑤525
ホース(芳斯、宝珠、法須、保須)
第五巻⑤341,356,382,398,399,443
人名索引〔外国人〕 p22-23
チェンバレン(Chamberlain,Basil Hall.
智亜弗連・智亜無弗連)
第五巻⑤442,443

[小野梓全集]第五巻 昭和57年3月31日発行
 留客斎日記 首巻  p331
  (明治十二年一月一日より始む)(己卯)
首巻 1879(明治12)年5月
十六日    p341
ホースに日曜日来食を約す。
十八日
終にホースの饗筵に赴く。

首巻 1881(明治14)年6月
念三日(23日) p356
辞 芳斯(ホース)花園游。

二巻 1882(明治15)年1月
十三日     p382
此夜有 洋人舞踏会。
宝珠(ホース)為幹事招余。

二巻 1882(明治15)年6月
十七日     p398
此日受 法須(ホース)花園游之招状。以謝之。
念六日(26日) p399
接 保須(ホース)午餐之招状、諾之。

三巻 1883(明治16)年4月
十五日     p442
接 英人 王堂智亜弗連(チェンバレン)所贈英訳古事記。※下記

十七日     p443
訪 桃斎於墨塘之別墅、観桜花。 ※《小野義真:小松島八洲園》
法須(ホース)・智亜無弗連(チェンバレン)等共快飲。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《小野義真:小松島八州園》[南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外]
《小野義真:小松島八洲園》地図[明治38年~昭和26年]
東都第一の名所なる墨田川の滸り八洲園【明治貴女鑑】明治21年
社長 小野義真[日本鉄道株式会社]【日本諸会社登記録】明治27年

 留客斎日記 六巻  明治十八年日記 p522
 六巻 1885(明治18)年1月
念日(20日) p525
晴。有客来訪。有冒感之状。投書原。
宝珠(ホース)之書云、
頃日 任領事、
駐箚 中央 阿弗利加尼亜沙(アフリカ ニアサ)、
将以三十日赴任。
依卜廿五日開留別之筵、
請与桃斉君等相携而至。
乃裁書答之。夙痾未全癒。
雖朗日猶畏寒。恐不能陪別筵。
然此別、再会不易。
若遇暖日則赴之。」
依訳来書転致之於桃斉

念四日(24日)
陰凛。接 稠松兄之書」
昨夜 桃斉之一女死。 ※小野義真の一女

念五日(25日)
陰、終雨。接 宝珠(ホース)之書。
曰、以今夕来訪。諾之。
薄暮来訪、話事。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月20日
《小野英之助の実父:英海軍のA.G.S.ホース大尉》
《小野英之助の実父:アルバート・ジョージ・シドニー・ホーズ》
《小野英之助の養父:小野義真》
1869年(明治2年)に自己都合で退役し、
それ以後、肥後熊本藩・工部省・海軍省に、
お雇い外国人として1884年(明治17年)まで勤務。
その後、アフリカのイギリス領ナイアサ、
フランス領ソシエテ諸島、サンドウィッチ諸島で領事となり、
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『古事記』などの英訳、アイヌ[1]や琉球[2]の研究で知られる。
「王堂」と号して、署名には「チャンブレン」と書いた。
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《小野英之助の実父》英国総領事アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス勲等進級ノ件:明治28年

《小野英之助の実父》
英国総領事アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス勲等進級ノ件:明治28年

 英國外交事務官總領事アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス
 勲等進敍ノ件
右 謹テ裁可ヲ仰ク
  明治廿八年三月十八日
    内閣總理大臣伯爵 伊藤博文
A10112450600-1
〔画像〕A10112450600-1

明治廿八年三月十四日
 内閣總理大臣 博文 賞勲局副總裁 印
布哇國ホノルル府駐在英吉利國
外交事務官總領事アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス
勲等進叙之儀
右ハ曽テ十四年間我海軍省ニ奉職シ
去ル十六年十二月勲四等ニ叙セラレ
觧雇後客歳現官ニ昇進シ
同府駐在ヲ命セラレ候者ニシテ
毎々懇親ヲ表シ同國在留帝國臣民ニ對シテモ亦
大ニ厚情ヲ盡シ候旨ヲ録シ勲等進級ノ義
同國駐在総領事兼外交事務官藤井三郎ヨリ申立候儀
御報酬ノ聖意ヲ表彰被為遊
外務大臣奏請之通此際
勲三等瑞寶章叙賜被仰出可然裁
此段允裁ヲ仰ク
A10112450600-2
〔画像〕A10112450600-2

布哇國ホノルル府駐在英吉利國
外交事務官總領事
アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス
義ハ曽テ十四年間我海軍省ニ奉職シ
去ル明治十六年十二月十二月勲四等ニ叙セラレ
旭日小綬章ヲ下賜リ
解雇後客歳ニ於テ
現官ニ昇進シ
同府駐在ヲ命セラレ候而シテ
同國ニ外交官ヲ在勤セシムルハ帝國ノ外
英吉利・亞米利加・葡萄牙 及 佛蘭西ノ四ケ國ニ有之
亞米利加ハ常ニ他ニ異ナルノ位置ニ立チ
葡萄牙・佛蘭西ハ布哇國ノ事情ニ格別配意セサル景况ニ付
政事上ノ點ヨリ觀察スレハ帝國外交官ト英吉利國外交官トハ
互ニ相提携セサルヲ得サル勢ニシテ
今後交際ヲ益々親密ニスルハ極メテ必要ニ有之
同人ニ於テハ毎ニ懇親ヲ表シ
同國在留帝國臣民ニ對シテモ亦
大ニ厚情ヲ盡シ候㫖ヲ以テ
勲等進級ノ義
同國駐在總領事兼外交事務官藤井三郎ヨリ申立候
就テハ同人着任後日尚淺ク候得共
外交上都合モ有之候間
此際三等
A10112450600-3
〔画像〕A10112450600-3

ニ進メラレ
瑞寶章ヲ下賜リ候仕度此段
謹テ上奏ス
明治二十七年三月十一日
  外務大臣子爵 陸奥宗光
A10112450600-4
〔画像〕A10112450600-4
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レファレンスコード A10112450600
概要 件名 英国外交事務官総領事
      アルヘルド、ジヨルヂ、シドニー、ホウス勲等進級ノ件
【 画像数 】4
作成年月日 明治28年3月11日~...
作成者   内閣総理大臣伯爵伊藤博文
組織暦   内閣
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《小野英之助の実父:英海軍のA.G.S.ホース大尉》
《小野英之助の実父:アルバート・ジョージ・シドニー・ホーズ》
《小野英之助の養父:小野義真》

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日 08:25 ◆小野義真 小野英之助
[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]
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《小野英之助の実父:英海軍のA.G.S.ホース大尉》

《小野英之助の実父:英海軍のA.G.S.ホース大尉》

《小野英之助の実父:アルバート・ジョージ・シドニー・ホーズ》
《小野英之助の養父:小野義真》

鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」
2008.11月「根岸~能見台」取材旅行 その2
2008-11-19 06:28:10 | Weblog
『横浜周辺外国人遊歩区域図』を作成したのは、
英海軍のA.G.S.ホース大尉。
このホース大尉は、後に、あの有名なアーネスト・サトウとともに、
『日本の中部・北部旅行案内』を編集した人物だという。
この区域図が作成された年代は、
1867年(慶応3年)末か
翌年(1868年・明治元年)初頭のことであるらしい。
作成者である「A.G.S.ホース大尉」については、
『明治日本旅行案内 東京近郊編』
(アーネスト・サトウ編著・庄田元男訳:東洋文庫/平凡社)の
解説(庄田元男)に、その略歴が触れられています。
それによると、「A.G.S.ホース」とは
アルバート・ジョージ・シドニー・ホーズ
(天保12年(1842)~明治30年(1897))のこと
(ということは、この区域図を作成した時、
彼はまだ25歳ほどの青年であったということになる)。
『明治日本旅行案内 東京近郊編』は、
サトウとこのホーズの共編著による。
ホーズは、英国海軍大佐であったエドワード・ホーズの息子として
1842年(天保12年)に生まれました。
英国海軍学校を卒業した後、
彼は英国軍艦セヴァーン号に乗務して東インド方面へ赴き、
ついで英国艦隊旗艦ブリンセス・ロイヤル号に移って、
英仏米蘭の四ヶ国連合艦隊の兵庫遠征(下関遠征?─鮎川)に参加。
1869年(明治2年)に自己都合で退役し、
それ以後、肥後熊本藩・工部省・海軍省に、
お雇い外国人として1884年(明治17年)まで勤務。
その後、アフリカのイギリス領ナイアサ、
フランス領ソシエテ諸島、サンドウィッチ諸島で領事となり、
1894年(明治27年)には
ハワイ国ホノルル府駐在総領事に就任しましたが、
1897年(明治30年)にヒロ島訪問中に死去。
軍葬によってホノルルに埋葬されたという。
日本滞在中はアーネスト・サトウと親交を結び、
「日本アジア協会」に所属して登山や競馬などを楽しんだらしい。

また日本の女性との間に生まれた男子は、
明治の大実業家小野義真(ぎしん)の養子になったという。

日本政府は、このホーズを日本海軍の父として評価し、
勲三等瑞宝章を与えている、とある。 ※別稿に記載
 ―略―
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【小野梓】明治30年(1897)12月12日発行
時に、明治廿八年二月十日東京專門學校は
一月二十七日校友大會の決議に依り、
君の十週年追悼會を同校大講堂に開き
式後牛込通寺町求友亭に其遺族を招待しぬ、
當日式場の光景は左の如し。(中央時論に依る)
『故小野梓先生十年追悼會』
 ―略―
廿八年二月十日正午より知音の士發企となり、
我東京專門學校、主動となり、
本校大講堂に於て莊嚴なる追悼會を營みたり、
 ―略―
午後一時に至るや合圖の第一鐘に誘はれて學生入場し、
第二鐘に先生の義兄小野義眞氏並に同氏の令嗣同英之助氏、
先生の令嬢、次て先生の知音にして…
開式に當り本校より郷里土佐宿毛の未亡人にあてゝ報道したる
其返電等を報告し、
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日 08:25 ◆小野義真 小野英之助
[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]
[小野英之助氏](626 頁以下の写真のキャプション)
小野義眞翁の息。
明治4年(1871)生。
明治29年(1896)東京専門学校英語専修科卒業。
同年(明治29年(1896))冨山房入社。
明治38年(1905)父君義眞翁死去後退社。
明治45年(1912)2月16日歿。
嗣子鶴太郎氏は、
大正15年(1926)東大農学部卒業後直ちに帝室林野局奉職、
昭和8年(1933)退官、出版を志し、神田小川町に秋豊園を興し、
今日に至る。
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[小野英之助 冨山房]

[小野英之助 冨山房]

【経済原論】明治19年3月出板
出版人 山下保馬 高知県平民 北豊島郡橋場町1380番地
発売本舗 富山房 神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799142/1

【商政標準】明治19年12月出版
出版人 小野義眞 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌書肆 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803197/1

【東洋遺稿】[第1冊]上 明治20年6月出版
出版人 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発 兌 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783570/1

【東洋遺稿】[第2冊]下 明治20年6月出版
出版人 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌元 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783571/1

【懐中英和新字典】明治21年2月8日出版
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌書肆 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/870123/1

【応用統計学】明治21年6月6月13日出版
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌書肆 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/805637/1

【伊曼仏英米五大国漫遊】明治21年7月3日出版
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767277/1

【英国財産法講義】明治21年9月5日出版
発行人 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌書肆 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/792187/1

【英国憲法精理】明治22年2月4日出版
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌元 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788885/1

【倫理学】明治26年6月8日発行
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌元 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758535/1

【倫理学】訂2版 明治27年7月16日訂正再版発行
発行者 小野英之助 東京府士族 北豊島郡橋場町1380番地
発兌元 富山房書店 東京神田区裏神保町9番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758536/1

【新撰化学教科書】明治26年9月25日発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元地方橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/830850/1

【新撰人身生理学】[第1冊]上巻 明治26年9月10日発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元地方橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833748/1

【新撰人身生理学】[第2冊]下巻 明治27年5月24日発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元地方橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833749/1

【大奥の女中】[第1冊]上 明治28年2月22日再版発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元地方橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772550/1

【大奥の女中】[第2冊]中 明治28年2月22日再版発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772551/1

【大奥の女中】[第3冊]下 明治28年2月22日再版発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772552/1

【商業教育算術教科書】明治28年3月16日発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元地方橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901228/1

【教育者の精神】明治28年3月22日発行
著述兼発行者 澤柳政太郎 群馬県前橋市神明町24番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809720/1

【国語問答】明治28年7月11日発行
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/862041/1

【教育学問答】明治28年7月22日発行
編輯者 坂本嘉治馬 東京市神田区裏神保町9番地
発行者 小野英之助 北豊島郡南千住町元橋場町1380番地
発兌元 冨山房書店 東京神田区裏神保町9番地(電話番号1062番)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808462/1


【経済通論】明治29年7月17日発行
発行者 合資会社冨山房 東京市神田区裏神保町9番地
代表者 坂本嘉治馬 同所合資会社冨山房社長
発兌元 合資会社冨山房書店 (電話 1062)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799269/1

【英文典問答】明治29年12月28日発行
発行者 合資会社冨山房 東京市神田区裏神保町9番地
代表者 坂本嘉治馬 同所合資会社冨山房社長
発兌元 合資会社冨山房書店 (電話 本局1036)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/870311/1

【イリアッド物語】明治36年4月20日発行
発行者 合資会社富山房 東京市神田区裏神保町9番地
代表者 坂本嘉治馬 同所合資会社富山房社長
発兌元 合資会社富山房書店 (電話 本局1036)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896665/1

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[冨山房]阪本嘉治馬:立田義元:阪本市太郎

[冨山房]阪本嘉治馬:立田義元:阪本市太郎

【日本全国諸会社役員録】[第4冊]明治29年 明治29年6月28日発行
記載なし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780111/1

【日本全国諸会社役員録】[第5冊]明治30年 明治30年6月発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 p95/520
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版及図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  南葛飾郡寺嶋村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/95

【日本全国諸会社役員録】[第6冊]明治31年 明治31年7月15日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p94/578
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780113/94

【日本全国諸会社役員録】[第7冊]明治32年 明治32年7月20日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p114/682
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780114/114

[一萬五千圓 小野英之助][二千圓 立田義元]
【日本会社銀行録】[第1冊]竜の巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/1
明治32年12月15日印刷
明治32年12月18日発行
編纂兼発行人 杉本勝二郎 東京市麹町区下六番町四十八番地
印刷人    武田文八  東京市芝区愛宕下町二丁目二番地
印刷所    忠愛社   東京市京橋区八官町十九番地
製本所    前田製本所 東京市京橋区三十間堀二丁目一番地
発行所    国之礎社  東京市麹町区下六番町四十八番地
       東京支局  東京市京橋区三十間堀二丁目一番地
       関西支局  神戸市下山手通八丁目百五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/301
合資会社 富山房 p129/309
神田区裏神保町九(電、本、一〇三六)
當会社は図書出版及図書販売を目的とし阪本嘉治馬、立田義元等五名の発起に係り
二十九年六月設立許可を得、翌月登記を経て開業せり
資本金     四萬六千五百圓
一萬五千圓   小野義眞
一萬五千圓   小野英之助
一萬四千二百圓 阪本嘉治馬
二千圓     立田義元
三百圓     谷本深蔵
存立期間二十年
役員並使用人不明
業務担当社員  阪本嘉治馬 神、裏神保、九
同       立田義元  神、錦、三、七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/129


【日本全国諸会社役員録】[第8冊]明治33年 明治33年7月25日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p129/804
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780115/129

【日本全国諸会社役員録】[第9冊]明治34年 明治34年7月1日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p146/903
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780116/146

【日本全国諸会社役員録】[第10冊]明治35年 明治35年7月23日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p157/910
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780117/157

【日本全国諸会社役員録】[第11冊]明治36年 明治36年7月22日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1062 p152/947
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版図書販売 資本金46,500円
業務担当社員 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 立田義元  神田、錦町、三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780118/152

【日本全国諸会社役員録】[第12冊]明治40年 明治40年7月10日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1036 p188/1053
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版書籍販売 資本金80,000円
業務担当社員 社長 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 監事 阪本市太郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780119/188

【日本全国諸会社役員録】[第13冊]明治41年 明治41年8月5日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1036 p184/1053
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版書籍販売 資本金80,000円
業務担当社員 社長 阪本嘉治馬 神田、裏神保
業務担当社員 監事 阪本太市郎 小石川、林町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780120/184

【日本全国諸会社役員録】[第14冊]明治42年 明治42年6月30日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1036 p195/1092
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版書籍販売 資本金80,000円
業務担当社員 社長 阪本嘉治馬 神田、裏神保
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780121/195

【日本全国諸会社役員録】[第15冊]明治43年 明治43年7月9日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1036 p199/1125
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版書籍販売 資本金80,000円
諸積立金 1,690円 利益配当 前期 年七分五厘 前々期 年五分
業務担当社員 社長 阪本嘉治馬 神田、裏神保
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780122/199

【日本全国諸会社役員録】[第16冊]明治44年 明治44年7月12日発行
合資会社冨山房 神田区裏神保町 電話本局1036 p211/1198
設立 明治29年6月 営業ノ目的 図書出版書籍販売 資本金80,000円
諸積立金 1,962円 利益配当 前期 年六分 前々期 年七分五厘
社長 阪本嘉治馬 神田、裏神保
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780123/211

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]

[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]

『冨山房五十年』非売品
昭和十一年三月一日印刷
昭和十一年十月十五日発行
編輯兼発行者 合資会社 冨山房
       東京市神田区神保町一丁目三番地
右代表者   坂本嘉治馬 冨山房社長
印刷者    白井赫太郎
       東京市神田区錦町三丁目十一番地
発行所    明治十九年三月設立 合資会社冨山房
       東京市神田区神保町一丁目三番地
[小野英之助氏]
[小野英之助氏](626 頁以下の写真のキャプション)
小野義眞翁の息。
明治4年(1871)生。
明治29年(1896)東京専門学校英語専修科卒業。
同年(明治29年(1896))冨山房入社。
明治38年(1905)父君義眞翁死去後退社。
明治45年(1912)2月16日歿。
嗣子鶴太郎氏は、
大正15年(1926)東大農学部卒業後直ちに帝室林野局奉職、
昭和8年(1933)退官、出版を志し、
神田小川町に秋豊園を興し、今日に至る。

[小野英之助]
【早稲田大学校友会会員名簿】[第1冊]大正4年11月調
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910566/1
専修英語科 明治29年得業 小野英之助 東京 p142/189
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910566/142
【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

[一萬五千圓   小野英之助]
【日本会社銀行録】[第1冊]竜の巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/1
明治32年12月15日印刷
明治32年12月18日発行
編纂兼発行人 杉本勝二郎 東京市麹町区下六番町四十八番地
印刷人    武田文八  東京市芝区愛宕下町二丁目二番地
印刷所    忠愛社   東京市京橋区八官町十九番地
製本所    前田製本所 東京市京橋区三十間堀二丁目一番地
発行所    国之礎社  東京市麹町区下六番町四十八番地
       東京支局  東京市京橋区三十間堀二丁目一番地
       関西支局  神戸市下山手通八丁目百五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/301
合資会社 富山房 p129/309
神田区裏神保町九(電、本、一〇三六)
當会社は図書出版及図書販売を目的とし
阪本嘉治馬、立田義元等五名の発起に係り
二十九年六月設立許可を得、翌月登記を経て開業せり
資本金     四萬六千五百圓
一萬五千圓   小野義眞
一萬五千圓   小野英之助
一萬四千二百圓 阪本嘉治馬
二千圓     立田義元
三百圓     谷本深蔵
存立期間二十年
役員並使用人不明
業務担当社員  阪本嘉治馬 神、裏神保、九
同       立田義元  神、錦、三、七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803740/129
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[小野義真と日本鉄道株式会社]井上琢智
『経済学論究』関西学院大学経済学部、第63巻第3号 2009.12
II 官僚 小野義真 p690
小野義真は、天保 10(1839)年 4 月 8 日に土佐の宿毛に生まれ、
通称を強一郎といった。
小野家は代々邑主安東家に仕える大庄屋の職をつとめていた。
明治の政治家岩村通俊(1840-1915)、
林有造(1842-1921)、岩村高俊(1845-1906)
三兄弟の母嘉乃は小野義真の叔母にあたる5)。
慶応 2 年、宿毛領仕置役小頭として、
仕置役竹内綱(1839-1922:吉田茂の実父)、
物産方下役小野節吉(義真の実父)とともに、
宿毛藩蔵屋敷開設のために大坂に入った。
その年の 5 月 3 日、高知藩蔵屋敷の役人の協力で準備を整え、
竹内綱と小野義真は蔵屋敷運営のために
大坂で買い付けた帆船「宿毛丸」で宿毛に帰郷6) した。
おそらくこの頃、
小野義真は、実父が詰めていた蔵屋敷の仕事のために、
大坂と宿毛の間を行き来していたのであろう。

※ 誤 小野節吉(義真の実父)
※ 正 小野節吉は、小野梓の実父。

(小野一雄)2012.02.06

III 小野義真と日本鉄道会社 p699
36) 『冨山房五十年』冨山房、[1936] 1937、487 頁、594-95 頁。
冨山房は、明治29年(1896)に小野義真と坂本との合資会社となり、
明治35年(1902)小野義真の全出資を坂本が譲り受けた
(17 頁以下の写真のキャプション)。
この冨山房には、宿毛出身の岡添禮助、立田義元らが入社し、
また山岸直次のように日本鉄道会社社員からの転出者もいた
(『冨山房』[1932] 1933、214 頁以下の写真のキャプション)。
さらに、小野義真の息子小野英之助(1871-1912.2.16)も
東京専門学校英語専修科卒業の明治29年(1896)年に冨山房に入社、
義真の死去にともない退社している。
義真の嗣子鶴太郎は、
大正15年(1926) 年東京帝大農学部卒業後帝室林野局に奉職。
昭和8年(1933)退職し、
出版を志した鶴太郎は神田小川町に茶道・歌舞伎などを出版した秋豊園を興した。
また、大正4年(1915) 3 月宿毛に建立された
義真の銅像の除幕式用パンフレットに一文を寄せている
(626 頁以下の写真のキャプション)。
なお、坂本の父もまた伊賀陽太郎率いる機勢隊に参加していたという(583 頁)。
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/3722/1/20100423-4-40.pdf

※ 義真の嗣子鶴太郎→小野英之助の嗣子鶴太郎 (小野一雄)2012.02.06
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