小野鶴太郎

《小野鶴太郎》北海道士別町 帝室林野局出張所 所長 柔道五段【柔道年鑑. 昭和8年】

《小野鶴太郎》北海道士別町 帝室林野局出張所 所長
 柔道五段【柔道年鑑. 昭和8年】

【柔道年鑑. 昭和8年】
  講道館有段者名簿    p60/328
  四段          p94/328
小野鶴太郎
北海道士別町 帝室林野局出張所 所長

  追錄(段別 五十音順) p280/328
有段者名簿原稿締切後、
昭和八年一月九日より同八年七月末日迄に於ける
昇段者を左に追錄す
  五段          p283/328
小野鶴太郎
北海道士別町 帝室林野局出張所 所長
昭和八年十一月十六日印刷  柔道年鑑
昭和八年十一月二十日發行  定價金壹圓五拾錢
編纂兼發行者 講道館文化會
右代表者   野村 寛一
       東京市小石川區大塚坂下町一一四
印刷者    菅原 駒吉
       東京市牛込區改代町廿三
印刷所    菅原印刷所
       東京市牛込區改代町廿三
發行所    講道館文化會
       東京市小石川區大塚坂下町一一四
       振替東京四四〇一八番
       電話 大塚一七〇九番
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《小野鶴太郎》総務部長[アース製薬(株)]【産経会社年鑑. 第5版】昭和39年(1964)

《小野鶴太郎》総務部長[アース製薬(株)]
【産経会社年鑑. 第5版】昭和39年(1964)

【産経会社年鑑. 第5版】
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 
(産業経済新聞社年鑑局, 1964)

[アース製薬(株)]  p342/869
本社    兵庫県赤穂市坂越3218-12
      Tel 赤穂8001~3
工場    所在 同上
大阪営業部 大阪市東区淡路町1-31
      Tel(202)0637(代)
大阪支店  所在 同上
東京支店  東京都中央区日本橋 本町4-7 熊野屋ビル
      Tel(241)2840・7378
三好工場  愛知県西加茂郡三好町字蜂ケ池29-91
      Tel 三好265
名古屋支店 所在 同上
資本金   6,100万円
設立    大正14年8月
事業内容  化学薬品 殺虫剤 蚊取線香 殺鼠剤
      炭酸マグネシシウム 臭素 酸化マグネシア
      消臭剤等の製造販売並びに輸出
沿革    大正14年木村製薬所として発足、
      昭和39年4月現社名に改称
決算期   12月
配当    20%
年商内高  15億円内外
取引銀行  神戸=赤穂 三和=兵庫
施設    敷地977,889㎡
      建物298,221㎡
      車輛 5
      船舶 3
従業員   453名
社長    木村 利一
専務    木村 栄志
常務    木村 秀一(宣伝部長)
取締    木村 利雄(資材部長)
      木村 碩志(本社工場長兼三好工場長)
      木村 柾計(営業部次長東京駐在)
      小野鶴太郎(総務部長)
      浜田 種一(営業部長)
      浜田  勇(経理部長)
      木村  実(本社工場次長)
      山岡 敏夫(営業部次長福岡駐在)
監査    宇野 勝次
東京支店長   三木  修
名古屋支店長兼
三好工場次長  赤松 太郎
大阪支店長   高橋 政一
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1698950/342
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《小野鶴太郎》東京支店長[木村製薬所(株)]【ゴム産業名鑑. 1956年版】昭和31年

《小野鶴太郎》東京支店長[木村製薬所(株)]
【ゴム産業名鑑. 1956年版】昭和31年

【ゴム産業名鑑. 1956年版】昭和31年
 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
護謨タイムス社 編 (護謨タイムス社, 1955)  

[木村製薬所(株)]  p193/273
 兵庫県赤穂市坂越三二一八ノ一二
 電話 坂越一・一五・三〇(最寄・相生)
資本 五千百万円
銀行 神戸赤穂、三和兵庫、富士兵庫
役員 社長     木村 利一
   専務     木村英次郎
   取締工場長  原 文次郎
   営業部長   広島 興助
   企画宣伝部長 木村 秀一
   資材部長   木村 利雄
   経理部長   柏原 静夫
   東京支店長  小野鶴太郎
   監査     宇野 勝次
支店 東京―中央区日本橋本町三ノ五
      電話 日本橋二八四〇・三七三八
      責任者 小野鶴太郎
   名古屋―熱田区神戸町一一ノ一
      電話 南八三一
      責任者 沢 章介
   大阪―東区瓦町一ノ三 八
      電話 北浜六四八〇・六七〇〇
      責任者 浜田 種一
仕入 岩井産業、新日化産業、東洋ソーダ工業、
   常盤商会、スタンダード石油、
   日本硝子、山村製ビン、高砂香料
売先 滝原化学工場、正同産業、サカエ薬品、
   加藤清吉商店、新日化産業、第五商事
   (以上マグ関係のみ)
製品 炭酸マグネシア  能 六〇〇屯 実 三〇〇屯
   酸化アグネシア一 能  一〇屯 実   五屯
   臭素(ブロム)   能  一〇屯 実   四屯五
   アース殺虫剤   能 五〇〇屯 実 二二五屯
   其他殺虫剤    能 一七〇屯 実  六〇屯
   渦巻蚊取線香   能  五〇屯 実  五〇屯
   均蠟剤デスモア  能  二〇屯 実  一五屯
沿革 明治四三年先代木村英蔵氏個人経営として
   炭酸マグネシアの製造開始、
   大正一〇年炭酸マグネシアの製造拡充し
   酸化マグネシアの製造ブロムも併せて行ふ
   昭和四年殺虫剤アースの製産に着手
   昭和一一年炭酸マグネシアの廃液を以て
   真空式製塩を製造す、
   昭和一四年製塩廃止、
   同年アース渦巻蚊取線香の製造を始む、
   昭和二七年殺蠟剤デスモアの製産開始
   今日に至る
【ゴム産業名鑑. 1956年版】昭和31年p193
〔画像〕【ゴム産業名鑑. 1956年版】昭和31年p193
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2479614/193
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小野梓の書簡数通(義真の孫小野鶴太郎氏所蔵)早稲田大学百年史

小野梓の書簡数通(義真の孫小野鶴太郎氏所蔵)早稲田大学百年史

早稲田大学百年史
一 小野家の系譜
 小野梓は、土佐幡多郡宿毛村(現高知県宿毛市)に生る。
実に嘉永五年(一八五二)で、明治天皇と生誕の年を同じうする。
彼は二月二十日(新暦の三月十日)、
天皇は九月二十二日(新暦の十一月三日)である。

五 希望の新大陸
 名誉教授斎藤一寛が先年発見した小野の書簡数通
(義真の孫小野鶴太郎氏所蔵)の中に、
在米中の明治五年四月四日、
小野桃斎(義真)に宛てて発信したものが一通ある。
その前半は送金の相談であるが、
後半に、
「米洲も無別事、唯殺人之新聞日ニ二ツ三ツ有り、
其風俗ノ悪しき可知。
先日父を傷ケシ賊子アリ、政府唯十五弗ノ償金を出サシメタリ、
米洲之法律も役ニ不立、余ハ御推論致祈。
欧洲も平易ナリ。
伊国ノ共和ハ近々敗ルベシ、墺ノ博覧会ハ盛ナルベシ」云々と、
当時のアメリカおよびヨーロッパの形勢に触れており、
差出人は、"A. Ono / 96, State Street / Brooklyn, L.I. / U. S. A."と、
宿所が明記されてある。
なお、小野は晩年、自己の伝記を著す志を持ち、
その稿本の残欠に次の記事が発見せられる。
小野梓の書簡数通(義真の孫小野鶴太郎氏所蔵)
〔画像〕小野梓の書簡数通(義真の孫小野鶴太郎氏所蔵)
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被上告人 (株)木村製薬所 代表取締役 木村 利一【最高裁判所裁判集. 民事 23】昭和31年

被上告人 (株)木村製薬所 代表取締役 木村 利一
【最高裁判所裁判集. 民事 23(昭和31年8月-昭和31年10月)】

【最高裁判所裁判集. 民事 23(昭和31年8月-昭和31年10月)】
 昭和三〇年(オ)第六九三号  p45-46/424
    判  決
  神戸市長田区池田谷町一丁目一七番地
               オリオンゴム又は平島炳七こと
     上   告   人  崔 炳 七
     右訴訟代理人弁護士  徳崎  香
  兵庫県赤穂市坂越三二一八番地の一二
     被 上  告  人  株式会社 木村製薬所
                 右代表者代表取締役
                木村 利一
 右当事者間の約束手形金請求事件について、
大阪高等裁判所が昭和三〇年六月三〇日言い渡した判決に対し、
上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。
よつて当裁判所は次のとおり判決する。
     主  文
   本件上告を棄却する。
   上告費用は上告人の負担とする。
     理  由
 論旨中、所論不出頭証人岩上和夫に対し
原審が出頭を強制しなかつたことの違法を
主張する点についていえば、
原審において右証人に対する呼出状が不送達となり
上告人はその主張するとおり右証人の申請を放棄したことは
記録上明らかであるから、
原審としては当事者の放棄した証人を
取り調べ得ないこというまでもなく、
従つてその出頭を強制すべきでないこと勿論である。
論旨は理由がない。
その余の論旨は原審の事実認定を
非難するに過ぎないものであつて、
上告適法の理由とならない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、
裁判官全員一致で、主文のとおり判決する。
   最高裁判所第三小法廷
     裁判長裁判官  垂水 克己
        裁判官  島   保
        裁判官  小林 俊三
 裁判官河村又介、同本村善太郎は病気のため
署名押印することができない。
     裁判長裁判官  垂水 克己

 昭和三〇年(オ)第六九三号
      上告人   崔 炳 七
      被上告人  株式会社 木村製薬所
 上告代理人徳崎香の上告理由
第一点 -略-
第二点 -略-
        以上
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[アースタム]國産の家庭藥(株)木村製藥所【第二回翼賛広告研究会作品集】昭和17年

[アースタム]國産の家庭藥(株)木村製藥所
【第二回翼賛広告研究会作品集】昭和17年

【第二回翼賛広告研究会作品集】昭和17年
 アースタム  國産の家庭藥  p25/42
 株式會社 木村製藥所
身体髪膚  擦(かす)り傷(きず)一つも
       忽(ゆるがせ)には出來ません
効力本位  切 傷・打 傷・火 傷・擦過傷
      靴づれ・筋肉疲・痔 疾・髭剃後
慰問袋に  二〇、三〇、六〇
p25【第二回翼賛広告研究会作品集】昭和17年
〔画像〕p25【第二回翼賛広告研究会作品集】昭和17年
   非賣品
昭和十七年八月五日印刷
昭和十七年八月十日発行
発行所 株式會社 朝日新聞社
    大阪市北區中之島三丁目三番地
 編輯兼発行兼印刷人 下村政二
印刷所 株式會社 朝日新聞社
    大阪市北區中之島三丁目三番地
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木村秀藏 綠綬褒章下賜【官報. 1931年02月19日】昭和6年

木村秀藏 綠綬褒章下賜【官報. 1931年02月19日】昭和6年

【官報. 1931年02月19日】昭和6年
   〇褒  賞  p4/15
◎綠綬褒章下賜
 實業ニ精勵セシ廉ヲ以テ
 昭和六年二月十八日
 綠綬褒章ヲ下賜セラレタル者
 左ノ如シ(賞勳局)
   兵庫縣赤穗郡坂越村  木村 秀藏
  夙ニ化學藥品ノ研究ニ意ヲ致シ刻苦研鑽
  炭酸マグネシウムノ製出ヲ完成シ
  經營又宜シキヲ制シ克ク多量ヲ製産シテ
  之カ輸入ヲ防遏ス其ノ勞效尠カラス
  洵ニ實業ニ精勵シ衆民ノ模範タル者トス依テ
  明治十四年十二月七日勅定ノ綠綬褒章ヲ賜ヒ
  其善行ヲ表彰セラル
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木村秀藏・奥藤研造 紺綬褒章下賜【官報. 1928年02月14日】昭和3年

木村秀藏・奥藤研造 紺綬褒章下賜【官報. 1928年02月14日】昭和3年

【官報. 1928年02月14日】昭和3年
    褒  賞  p4/26
◎紺綬褒章下賜
 公益ノタメ私財ヲ寄附セシ廉ヲ以テ
 昭和三年二月十日 紺綬褒章ヲ下賜セラレタル者
 左ノ如シ(賞勳局)
   兵庫縣赤穗郡坂越村  木村 秀藏
  昭和二年十月
  兵庫縣赤穗郡坂越村坂越尋常高等小學校
  建設費金一万圓寄附ス 依テ
  大正七年九月十九日勅定ノ紺綬褒章ヲ賜ヒ
  以テ表彰セラル

   兵庫縣赤穗郡坂越村  奥藤 研造
  昭和二年十月
  兵庫縣赤穗郡坂越村坂越尋常高等小學校
  建設費金三万圓寄附ス
  (以下前同文)
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木村秀藏 奥藤研造 兵庫縣赤穗郡坂越港【日本案内. 正巻之中】大正8年

木村秀藏 奥藤研造 兵庫縣赤穗郡坂越港
【日本案内. 正巻之中】大正8年

【日本案内. 正巻之中】大正8年
 兵庫縣
 坂越港 赤穗郡 坂越村  p439/671
奥藤研造 赤穗郡坂越港
淸酒醸造 及 銀行業 農業運輸
△電話二番(酒造部)
△電話三番(銀行部)
△電話四番(農業部)
△電話五番(汽船部)

製藥 木村秀藏(電話一番)
坂越郵便局 公衆通話用 一般事務用(電話番外一番)
 銀行會社         p442/671
株式會社 奥藤銀行
赤穗加里屋町 電話二・三番
明治二十九年十二月設立
資本金   六萬圓(貯蓄兼營)
拂込高   四萬二千圓
諸積立金  拾六萬四千圓(大正六年度)
◎鹽屋支店 鹽屋村(電話一七番)
◎坂越支店 坂越村(電話 三番)
因に頭取 奥藤研造氏は播州隨一の素封家にして、
其所有土地家屋有價證券、營業資金等
貳百餘萬圓なりといふ。
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奥藤研造 兵庫縣赤穂郡坂越村367番屋敷【全国多額納税者互選名鑑】明治31年

奥藤研造 兵庫縣赤穂郡坂越村367番屋敷
【全国多額納税者互選名鑑】明治31年

【全国多額納税者互選名鑑】明治31年
奥藤 研造    p26/246
安政四年七月生 ※1857年8月
兵庫縣
赤穗郡坂越村ノ内坂越村
三百六拾七番屋敷
平民商業
金貳千百七拾壹圓 九拾五錢壹厘
        直接國税總納額
  内 譯
金千七百五拾三圓六拾六錢六厘  地租
金貳百六拾七圓五拾貳錢五厘   土地ヨリ生スル所得税
金百五拾圓七拾六錢       商業ヨリ生スル所得税
明治三十一年十月 六日印刷
仝    年十月十六日發行
編纂人  梅田 正勝
     麴町區三番町四番地
出版人  溝口 攝彌
     赤坂區靑山南町三丁目四十一番地
印刷人  濱名 辰藏
     芝區南佐久間町二丁目十八番地
印刷所  濱名活版所
     芝區南佐久間町二丁目十八番地
大賣捌所 大倉書店
     日本橋區通一丁目
     (電話本局四一四番)

【現代兵庫県人物史】明治44年12月
 奥藤銀行主 奥藤研藏君  p242-244/386
 (明治四十三年十二月稿)
  ▲金が金を作つた彼の富
 奥藤研藏と云へば兵庫縣下に於ける大地主として
將た又銀行家として重きを爲して居るやうであるが、
彼は果して如何なる人物であるか、
余は之より彼の人物に就いて
少しく具體的の論評を試みんとす。
 -略-
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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