京都大学工学部

《竹内千代》住所 鞘町正面上ル正面町:下本能寺前町(御池寺町東入)五〇〇番地【京都土地要録 第1編】昭和10年

【京都土地要録 第1編】昭和10年
著者    日本土地興信時報社 編
出版者   日本土地興信時報社
出版年月日 昭和10
 柳池學區(第二十五學區) p160/461
 ◎下本能寺前町(御池寺町東入)
等級  七二
地目  宅地
番地  五〇〇
坪數  三〇八・九九坪
住所  鞘町正面上ル正面町
氏名  竹内千代
 p162【京都土地要録 第1編】昭和10年
p162【京都土地要録 第1編】昭和10年
昭和十年十一月 二十日印刷
昭和十年十一月二十五日發行
編輯人 原  嘉作
    京都市中京區壬生馬場町三十番地
印刷人 秋田 民三
    大阪市南區南綿屋町十八番地
印刷所 秋田一陽堂
    大阪市南區南綿屋町十八番地
發行人 久世信太郎
    京都市中京區壬生馬場町三十番地
發行所 日本土地興信時報社
    京都市中京區壬生車庫前
    電話本局四五八六番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《竹内千代》下本能寺前町五〇〇番地三〇八・九九坪【京都市及接続町村地籍図 第1 附録】大正1年

【京都市及接続町村地籍図 第1 附録】大正1年
著者    京都地籍編纂所 編
出版者   京都地籍編纂所
出版年月日 大正1
元三十組 寺町御池南入 下本能寺前町 p17/273
地圖頁  附錄頁
一二三  三九七

【京都市及接続町村地籍図 第1 附録】大正1年
著者    京都地籍編纂所 編
出版者   京都地籍編纂所
出版年月日 大正1
五〇〇  三〇八・九九坪 竹内千代 p217/273

【京都市及接続町村地籍図 第1】大正1年
著者    京都地籍編纂所 編
出版者   京都地籍編纂所
出版年月日 大正1
(元三十組ノ内) p124/158
天性寺前町
下本能寺前町
上本能寺前町
姉大東町(東部)
御池大東町(東部)
丸屋町
大文字町
亀山町
[下本能寺前町 五〇〇 308.99]
 p124【京都市及接続町村地籍図 第1】大正1年
p124【京都市及接続町村地籍図 第1】大正1年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小田基礎》(株)ハイクリスタル顧問・紫綬褒章(科学技術)昭和37年度【日本の礎】1968

【日本の礎】1968
出版者   共同通信社開発局
出版年月日 1968
紫綬 昭和37年
《小田基礎》 日本化学製錬(株)取締役社長
 明治三十二年二月二十日
 本籍地 神戸市灘区篠原南町七ノ五四五ノ一五
 現住所 奈良市北市新道町六一ノ四
  含水酸化鉄の発明者
    研究に初志貫徹
研究者として初志を貫徹、
意思の強さを身にもって立証した人である。
氏が今日までなしとげた偉業は大きく、
独自のテーマと取り組み、
日本における含水酸化鉄製造の発明者であり、
最初に工業化した先覚者である。
欧米の技術水準を抜く
この発明の完成も、
氏が研究に心血を注いだ結果によるところが多い。

神戸市の出身。
六高を経て大正十三年
東北帝大の理学部化学教室を卒業した。
純正化学を専攻、
さらに金属材料研究所長
本多光太郎博士の指導のもとに、
金属組織学を学び、
大阪市立工業研究所に奉職した。
在職十カ年間にすぐれた足跡を残し、
当時需要の全部を輸入に依存していた
全切鋸歯を研究開発し、
不二越鋼材工業(株)の創立を促し、
全輸入を国産に切り替えるに成功、
昭和四年天皇陛下の行幸に際して
お目にかかる光栄に浴した。

乾式亜鉛鍍金方法についても新技術を開発、
昭和九年日本鋼管入り、
亜鉛鍍金工業を中心とした総合研究に没頭、
副産物より硫酸亜鉛の製造、
熔鉱炉廃棄ガス中のダストより
電気亜鉛の製造、
鋼管洗滌廃酸より硫酸鉄の回収、
硫酸鉄を原料とした含水酸化鉄製造と
本格工業化に従事した。

戦後も私財を投じて含水酸化鉄の研究を続け、
昭和二十七年には東洋色素工業を新設し
エローオーカーを国産、
二十七年には日本鉄化工業を創立
専務取締役となり、
黄色顔料、記録用磁性材料を生産して
電子工業界などにも貢献した。

このあと高千穂理化学研究所を創設、
研究に専念、
含水酸化第二鉄の生成反応機構の研究と製造法の改良、
記録用磁性材の改良、
ゲータイトよりのフエライトの製造研究に従事した。
『黄色顔料及び
 記録磁性用材料ゲータイトの製造にかんする研究』
では三十七年大阪工業大学より
工学博士の学位を得た。
昭和三十六年には村田製作所に入社、
ゲータイトの加圧式製造法の工業化、
ゲータイト赤色酸化鉄の製造などに業績を残した。
略歴 (株)ハイクリスタル顧問、
   日本鉄化工業相談役、
   日本化学製錬社長。
 p128《小田基礎》【日本の礎】1968
p128《小田基礎》【日本の礎】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/128
昭和三十七年度  p642/679
11・28 紫(科学技術)
小田基礎
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/646
昭和四十三年四月 十五日 印刷
昭和四十三年四月二十九日 発行
「日本の礎」定価三〇、〇〇〇円
発行者 成田 安賢
編集者 手嶋選三郎
印刷者 秋庭 由平
発行所 共同通信社開発局
    東京都港区赤坂葵町二
    電話 大代表(584)四一一一番
    振替貯金 東京六七一番
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447271/1/675
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《小田基礎》(株)村田製作所 鉄化開発部長【人事興信録 第22版 上】昭和39年(1964)

【人事興信録 第22版 上】昭和39年(1964)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
《小田基礎》
 工学博士
 (株)村田製作所 鉄化開発部長
 兵庫県出身
 神戸市灘区在籍
 妻  貞 子 明治44年3月20日生、
        中村浜作 四女、
        津田英学塾卒
 長男 博 基 昭和11年9月2日生、
        大阪府立大工学部金属学科、
        阪大工学部電子工学科 各卒、
        近鉄勤務
 二男 恵之輔 昭和20年8月28日生、
        奈良女子大附属高校在
 長女 喜美(昭和5年2月22日生、育英高女卒)は
 下司二郎(大正13年9月22日生、
 大阪高工化学科卒、光隆工業技師)に嫁す
明治32年2月20日 兵庫県 半平の長男に生る
大正13年 東北大理学部化学科卒業
大阪市立工業研究所技手技師を経て
昭和9年 日本鋼管技師に転じ
亜鉛工業研究所長・桃山化学工業所長を歴任す
昭和25年7月 東洋色素工業取締役工場長に挙げられ
昭和28年12月 日本鉄化工業専務に選ばれ
高千穂理化学研究所長
昭和36年1月 現職に就任す
同年(昭和36年)
「黄色顔料及び記録磁性材料用ゲータイトの研究」
により学位を受け又 発明協会特賞
翌年(昭和37年)発明賞
昭和38年 紫綬褒章を夫々受賞す
趣味 旅行・読書
宗教 浄土宗
家族
弟  小田 成就 (明治34年1月1日生)
         (東大法学部政治科卒)
         (弁護士)
妹  八千代   (明治36年2月4日生)
         (神戸女学院卒)
同夫 細見 信平 (明治32年11月11日生)
         (京大法学部政治科卒)
         (高千穂交易取締役)
妹  千枝子   (大正7年5月2日生)
         (甲南高女卒)
同夫 奥戸  武 (明治44年4月3日生)
         (神戸商大卒)
         (東銀検査部長)
住所 奈良市船橋町六 電話(2)四二九八
勤務先電話 京都(92)一一二一
 p349【人事興信録 第22版 上】昭和39年(1964)
p349【人事興信録 第22版 上】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/349
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株式会社ハイクリスタル:商標出願公告 昭44-9124【塗料年鑑 1969年度版】

【塗料年鑑 1969年度版】
出版者   塗料報知新聞社
出版年月日 1969
商標出願公告 昭44-9124
公告 昭44年3月24日
出願人 株式会社ハイクリスタル
京都市中京区御池通寺町東入
下本能寺前町500
 株式会社ハイクリスタル
染料、顔料、塗料、印刷インキ、
くつずみ、つや出し剤
 p91【塗料年鑑 1969年度版】
p91【塗料年鑑 1969年度版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2524282/1/91

【文字商標集 第21巻】1970
出版者   弁理士会
出版年月日 1970
  商  標    登録番号 公告番号
(株)ハイクリスタル 829469   9124
https://dl.ndl.go.jp/pid/2519678/1/103

【塗料年鑑 昭和47年版】
出版者   塗料報知新聞社
出版年月日 1971
商標出願公告 昭45-30222
公告 昭45年7月23日
出願人 株式会社ハイクリスタル
京都市中京区御池通寺町東入
下本能寺前町500
染料その他本類に属する商品
 p91【塗料年鑑 昭和47年版】
p91【塗料年鑑 昭和47年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/11915624/1/91
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《小野又一》(株)ハイクリスタル取締役【会員氏名録 昭和46・47年用】

【会員氏名録 昭和46・47年用】
出版者   学士会
出版年月日 1971
《小野又一》 工学部 京都大学
昭和14年 機械
(株)ハイクリスタル 取締役
〒612 京都市伏見区深草正覚町9
電話 075-541-4961
 p156《小野又一》【会員氏名録 昭和46・47年用】
p156《小野又一》【会員氏名録 昭和46・47年用】
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274866/1/156
昭和46年11月10日 印刷
昭和46年11月20日 発行
編集兼発行人 末延三次
発行所    社団法人 学士会
       101 東京都千代田区神田錦町3-28
       電話(03)292-5931(代表)
       郵便振替口座 東京500番
印刷所    大日本印刷株式会社
非売品
(特にご希望の向きには ¥2,000)
(でお頒ちいたします。 送料別)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274866/1/889
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《田賀喜一》【大高:それ青春の三春秋】昭和42年(1967)

《田賀喜一》【大高:それ青春の三春秋】昭和42年(1967)

【大高:それ青春の三春秋】昭和42年(1967)
出版者   大阪高等学校同窓会
出版年月日 1967
技術者
田賀喜一(12理甲・汽車製造大阪製作所技師長)
田賀 船場生まれで家は呉服屋。
   これが裏書なしの手形を出して失敗したので、
   長男には学問をということで大高へ入った。
   戦時中にはジェットエンジンの設計にタッチ。
   最近ではパナマ運河向け電気機関車をつくった。
   汽車会社には大高同窓の取締役副所長が3人いる。
   9回理甲の河合敦夫氏(大阪製作所)、
   10回理甲の森本兵太郎氏、
   11回理甲の長井孝太郎氏(何れも東京製作所)で、
   さきのパナマ向け電関は森本氏の設計である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447094/1/169
昭和42年11月8日 (非売品)
発 行 石原嘉治
    大阪高等学校同窓会幹事長
印 刷 株式会社 天理時報社
    天理市川原城町300番地
発行所 大阪高等学校同窓会
    大阪市天王寺区堀越町6-3
    夕陽丘予備校内
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447094/1/190
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【大阪高等学校一覧 第15學年度
 (自昭和11年4月至昭和12年3月)】
著者    大阪高等学校 編
出版者   大阪高等学校
出版年月日 昭11至14
 第九回卒業生(昭和八年三月)
〇理科甲類 三十七人
京都大学工学部 河合 敦夫 大阪
 第十回卒業生(昭和九年三月)
〇理科甲類 三十一人
東京大学工学部 森本兵太郎 大阪
 第十一回卒業生(昭和十年三月)
〇理科甲類 三十六人
京都大学工学部 長井孝太郎 大阪
 第十二回卒業生(昭和十一年三月)
〇理科甲類 二十八人
京都大学工学部 田賀 喜一 大阪
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【京都帝国大学一覧 昭和14年度】
著者    京都帝国大学 編
出版者   京都帝国大学
出版年月日 昭11至14
〇卒業生姓名 p216/322
 工學部 機械工學科
昭和十三年三月学士試驗合格
河合 敦夫  大阪
昭和十四年三月学士試驗合格
小野 又一  高知
小野榮一郎  岡山
椹木 義一  京都
田賀 喜一  大阪
長井孝太郎  大阪

【東京帝国大学一覧 昭和13年度】
著者    東京帝国大学 編
出版者   東京帝国大学
出版年月日 昭和13
〇卒業生姓名
工學部 機械工學科
昭和十三年三月卒業
森本兵太郎 大阪
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《田賀喜一》《長井孝太郎》《河合敦夫》《森本兵太郎》[汽車製造株式会社]【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年

《田賀喜一》《長井孝太郎》《河合敦夫》《森本兵太郎》
[汽車製造株式会社]
【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年

【ダイヤモンド会社職員録 全上場会社版 1960年版】昭和35年
出版者   ダイヤモンド社
出版年月日 1960
[汽車製造株式会社]
《田賀喜一》
ボイラ化工機
研究部長
大正5年生 大阪
昭和14年京大
昭和14年入社
豊中市桜塚下原 府営住宅252
《長井孝太郎》
東京製作所
製作部長
大正3年生 大阪
昭和14年京大
昭和22年入社
東京都世田谷区経堂町480
《森本兵太郎》
東京製作所
設計部長
大正2年生 東京
昭和13年東大
昭和13年入社
船橋市前原町二の301-5
《河合敦夫》
大阪製作所
製造管理部長
明治44年生 大阪
昭和13年京大 昭和13年入社
茨木市大字上中条77-5
https://dl.ndl.go.jp/pid/2522328/1/166

【東洋経済会社人事録 1963年版】昭和38年
出版者   東洋経済新報社
出版年月日 1963
[汽車製造株式会社]
東京都千代田区丸ノ内2-2丸ビル
設立 明治29年9月
《田賀喜一》
ボイラ化工機研究部長
宝塚市小林字野上4-58
大5年生 大阪、
昭和14年京大工学部
昭和14年入社
《長井孝太郎》
東京製作所
製作部長兼生産技術部長
東京都世田谷区経堂町480
大正3年生 大阪、
昭和14年京大工学部
昭和22年入社
《森本兵太郎》
東京製作所
設計部長
大正2年生 大阪
昭和13年東大工学部
昭和13年入社
船橋市前原町2-301-5
https://dl.ndl.go.jp/pid/2473861/1/381
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月20日 10:48
小野又一[機械学会誌]昭和十二年六月
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度
工学部 機械工学科 p211/304
昭和11年入学 37名
小野栄一郎 岡山
小野又一  高知
諏訪部 正 和歌山
椹木義一  京都
田賀喜一  大阪
菱川正武  岡山
四方健二  京都
長井孝太郎 大阪
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《田賀喜一》田賀式フリーピストンエンジン【火力発電 14(2)(77)】昭和38年(1963-02)

《田賀喜一》田賀式フリーピストンエンジンによる
ピーク発電所の構想
【火力発電 14(2)(77)】昭和38年(1963-02)

【火力発電 14(2)(77)】昭和38年(1963-02)
出版者   火力発電技術協会
出版年月日 1963-02
火力発電  第77號
 1963 目次 2月号
田賀式フリーピストンエンジンによる
ピーク発電所の構想 田賀喜一 (21)
Vol.14 社団法人 火力発電技術協会 No.2
p1【火力発電 14(2)(77)】1963-02
〔画像〕p1【火力発電 14(2)(77)】1963-02
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/1


田賀式フリーピストンエンジンによる
ピーク発電所の構想  p16-21/49
田賀喜一
汽車製造株式会社大阪製作所研究部
緒論
1.田賀式フリーピストンエンジンの構造
第1図 フリーピストンガスタービンの発達
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/16
第2図 田賀式フリーピストンエンジンの系統図
第3図 複合機関の出力
第4図 フリーピストン密閉サイクル空気
    圧縮機を多数置くときの系統図
第5図 有効出力1,000PSのピストンの比較
第1表 低圧開放サイクルと高圧低圧力比
    密閉サイクルの比較
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/17
2.フリーピストン密閉サイクル空気圧縮機の理論
第2表 過給圧1.5ataの時のフリーピストン
    密閉サイクル空気圧縮機の出力
第3表 過給圧5ataの時のフリーピストン
    密閉サイクル空気圧縮機の出力
第4表 過給圧を変更した時の諸数値
3.密閉サイクルラジアル空気タービンの理論
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/18
4.熱効率
第6図 PoとLの関係
第7図 密閉サイクルラジアル空気タービンと
    蒸気タービンとのロータの比較
第8図 50MW田賀式フリーピストンエンジン
    発電所側面図
第9図 50MW田賀式フリーピストンエンジン
    発電所平面図
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/19
5.50MWピークロード発電所の構想
第10図 50MW密閉サイクルラジアル空気タービン
第11図 50MW密閉サイクルラジアル空気タービン翼車
第12図 フリーピストン密閉サイクル空気圧縮機
6.本エンジンの長所短所
 A 長所 (1)~(12)
 B 短所 (1)~(3)
   参考文献(1)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/20
   参考文献(2)~(6)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2338591/1/21
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田賀 喜一
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《田賀喜一》田賀式フリー・ピストン・エンジン【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)

《田賀喜一》田賀式フリー・ピストン・エンジン
【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)

【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)
著者    野田経済研究所 [編]
出版者   野田経済研究所
出版年月日 1961-02
p1【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)
〔画像〕p1【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2722191/1/1
  株式商品学
 世界に類のない新エンジン
 汽車製造のフリー・ピストン・エンジン
  日米両国の特許をとる
汽車製造の急上伸が目立つている。
昨年十二月半額増資を落して
一六〇円に生まれたものが、
二六〇円台のせで、
さらに強気配である。
僅か一カ月余で完全に権利落を埋めたわけである。
が、このフリー・ピストン・エンジンである。
この新エンジンは、
正式に田賀式フリー・ピストン・エンジンという。
発明者である当社の化工機研究部長
《田賀喜一》氏の姓を冠せたもので、
世界でも類のない画期的な新エンジンといわれる。
すでに、昨年には日米両国の特許をとつたが、
つづいて欧州各国の特許をも取得するため
現在取り急ぎ書類を作成しているところである。
このような特許関係もあつて、
この新エンジンを写真で紹介できないのは、
はなはだ残念だが、
一応その構造と性能を紹介してみたい。
  超小型で高性能
  乗用車から船舶まで
p13【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)
〔画像〕p13【野田経済 2月20日(750)】昭和36年(1961)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2722191/1/13
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《田賀喜一先生》2代教授(-昭和54年3月定年退官)
神戸大学熱力学研究室
神戸大学大学院海事科学研究科マリンエンジニアリング講座
動力エネルギーシステム工学 熱工学研究室
熱力学研究室
研究室の歴史
歴代教授 及び 研究室名
初代教授 木脇充明先生(-昭和46年3月定年退官)
新制 神戸商船大学機関学科汽缶学教室
官立神戸高等商船学校出身
ボイラ工学の専門家でした.
囲碁将棋が得意だったと聞きます。
退官後,2、3度お目にかかっただけです。

2代教授 田賀喜一先生(-昭和54年3月定年退官)
神戸商船大学機関学科より,汽缶学研究室を移設,
同大原子動力学科第3講座(原子力熱工学)となる。
神戸商船大学原子動力学科原子力熱工学研究室
京都帝国大学出身(川崎重工業株式会社より赴任)
技術者であり生涯発明家でした。
「発明は1%のひらめきと99%の汗」が信条。
 《田賀喜一先生》2代教授神戸大学熱力学研究室
〔画像〕《田賀喜一先生》2代教授神戸大学熱力学研究室
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