【洛味 52】1956-02
出版者 洛味社
出版年月日 1956-02
自在と爐 鈴木庸輔
(カット 福田翠光)
木曾路の入口に生まれた私は、
炉辺に深い愛着を感じて育つて来た。
今ガスストーブの赤い焔に暖をとりながら、
自在と炉のことについて
乞われるままに放談をするか。
今から二十数年前、
民芸品の収集愛好熱というのが
私達の仲間で盛んとなつて、
河井寛次郎君や岩井武俊君、
中村直勝先生などが
燒物、木工品、染物、織物等を
いろいろ集めては楽しんでいた。
天邪鬼なところのある私は
何か一つ諸君の集めていないものを集めようと、
ムラムラと謀叛気を起した。
どこえ行つてみても燒物、織物の類はあるけれど、
炉にかける「自在」は見受けなかつた。
ようし、これだと手当り次第集めまくつた。
郷里の木曾路のものから始めて、
北陸、飛騨方面へと手を伸した。
自在というのは、
いうまでもなく炉の上にかけて
物を煮たきする家庭用品の一種だから、
主に寒い地方のものだろうという想像をして、
旅行のたびごとに二つ、三つと持ち帰つていた。
ところが案外にも鹿児島、琉球あたりでも
立派な自在にお目にかかつて
ちょつと驚いたものだ。
北陸から東北地方にかけて、
自在に使われている金物は、
例外なしに立派な鉄で出来ているが、
海を渡つて北海道に行くと、
それが真鍮になつている。
恐らく北海道に移民がどんどん行われて、
あとにニシン大盡なんていうのが、
そんな派手好みをしたためだろうかと思つた。
素朴でゆかしい生活感情の現れが、
深くこの自在に残つているのだと考えていたのに、
真鍮のピカピカと磨きのかかつたのに出会つて
失望してしまつた。
このような私の自在探しの行脚は、
ほとんど全国にまたがつたので、
その数も百数十本以上にはなつたろうか。
あちこちに出歩き、
どうやら収集の形が整つて来ると、
今度は少し自在を研究してみようと、
いろんな文献を漁つて見た。
しかし、家庭の炊事用具の中で
大事なものだということは、
よほど古くからいわれているものらしいが、
これが拠り所のある文献となると、
とうとう一つも見当らず仕舞だつた。
一体いつ頃からわれわれ日本人が
自在を使い始めたのかということも、
古いものだろうという以外、
とんとハツキリしない。
自在という用語についても全く同じで、
いつ頃から、誰が、
どういう意味で用いたものかもわからないが、
この自在という言葉は、
誰が耳にしても感じがいい。
「じざい」は
観自在菩薩というところから出たのか、
あるいは千鈞の目方をかけても
絶対に下にさがらないし、
留を少しゆるめれば上げ下げに何の抵抗もなく、
上下自由自在というところから
つけられたのかもしれない。
ともかくこのように摩擦の原理を利用して巧妙な機械を、
よくもまあ、われわれの祖先は作つたものだと
一人興味を持つていた。
私の集めたものの中では、
北陸、飛騨あたりのものが
全国で最も美しく使用されており、
立派なものも多い。
なぜだろうかと、
その地方の人情、風習等を調べてみると、
どうやら信仰にその原因があるようだ。
この地方は真宗の熱心な信者の住む地方で、
朝炉に火を入れお湯を沸して、
仏様にお茶を供えるという風習が
今もなお続いている。
その炉に火を入れるとき
自在を清めるために濡れ雑巾で、
すつかり昨日のよごれを拭い去る。
このことが、
前日に下から燃え上つたすすを
少しづつであるけれど、
竹の肌に拭き込んで行くことになつて、
竹に非常に落着のある光沢を添えるのだ。
手の届く限りは竹の節なども
すつかり磨りへつて、
するするしているのを折々見付けた。
これを茶人たちが好んで使つているが、
もとをただせば、
ただのお台所用品というわけである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3565673/1/26
火を大切にする古来の民族意識の上に、
信仰の面からの火を神聖視するというのが、
一緒になつて自在を美しくしているのであろう。
付属品に留(とめ)があるが、
留は多くは魚の恰好を木で造つてあるもの、
水という文字を形どつたもの、
水の中へ魚が頭を突込んだもの、
また菊水など種類は多いが、
どれもこれも魚とか水とかに関係している。
火の上にかけるものだから
過ちがあつてはならぬというので、
水のデザインを施したものと思われるが、
土藏の端壁に水という字が書いてあるのと
同じ意味合からであろうか。
しかし想像をたくましくすれば、
こんなことも考えられると思う。
自在を発明した当時の人々は、
恐らく野外で火を焚き
獲物をあぶつて食べるという
原始生活を営んでいたのだろう。
その獲物の中の代表的な魚を火の上にぶら下げて
燒くという生活樣式の名残かもしれないと。
多くの自在では留に使われている魚の恰好は
泳いでいるのが大部分だが、
中には魚を横にころがしているもの、
すなわち魚の首とシツポのつけ根とを
繩の両端で結んで釣つてあるのを見受けるが、
これなど昔、
火の上に魚をあぶつて食べた風習の遺物かも知れない。
最近までこの自在を発明した日本民族はさすがだと、
いささか誇りにしていた。
終戦後進駐軍の人々が私の家に遊びに来たときなど
自在を見せては物理的に摩擦の説明まで付け加えて、
祖先のすばらしさを彼等に自慢したころが度々あつた、
ところが昭和二十二年の夏に
中国に出征していた次男が、
※鈴木義輔(大正八年生)
偶然無事に帰つて来た。
彼は雲南のあたりまで行つていたらしい。
帰還の挨拶の第一声がなんと、
「自在なんて、駄目だよ」という。
なぜだと反問すると、
雲南地方に使われているのと、
かねがね私の集め歩いた自在とは、
全く構造も同じだという。
それどころか、
どうもゆつくり聞いてみると、
どうやらあつちのほうが本場らしい。
啞然として、
それ以後はわれらの祖先の発明品などと
一切言わぬことにした。
全く恥入つてしまつた。
もう一つ忰の話によると、
中国の奥地には日本と同じように炉があつて、
自在をかけ煮たきに使つてゐるが、
その炉が日本のとは少々違う。
われわれが炉というと長方形のものか
正方形を思い浮かべるが、
雲南地方では六角、八角の炉があるそうだ。
もつとも多角形になれば四角の炉よりも
周囲にたくさんの人が集るのに都合がいい。
日本人はなぜ考えが及ばなかつたんだろうと
河井君に話すと、
負けず嫌いの同君は、
「じや私や、円形のを作りましよう」
といつたが、
未だに見せてもらつていない。
しかし聞いてみると
茶人の間では丸炉と称して
丸い炉が使われているという。
勝手許までは進出しなかつたと見える。
まあ、いずれにしろ人が炉辺に集つて
自在を使用する風習は、
どうやら日本独特のものではないらしく、
大陸から伝来して来たものかと思うと、
たつた一つの自慢の種を失つてしまつた恰好で、
今更乍ら日本文化の底の浅いのに
さびしさを覚える。
(島津製作社長)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3565673/1/27
洛味 第五十二集・百円
昭和三十一年二月十一日発行
編集発行人 宮崎小次郎
印刷人 上田 隆之
発行所 洛味社
京都市左京区北白川久保田町一
https://dl.ndl.go.jp/pid/3565673/1/69
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年06月15日04:00
《鈴木庸輔》島津製作所 取締役社長【日本会社史総覧】昭和29年
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