満州飛行機製造株式会社

《住川逸郎》満洲飛行機製造(株):京大経済学部卒業:奈良県吉野郡川上村在籍【人事興信録 第22版 上】1964

【人事興信録 第22版 上】1964
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/12
《住川 逸郎》
 日本鉄化工業(株)代表取締役
 奈良県川上村長
 奈良県町村会副会長
 奈良県出身
 奈良県吉野郡川上村在籍
 妻  幸 枝 明治43年2月4日生
        丸利一郎 妹
        五条高女卒
 長男   中 昭和21年5月21日生
明治41年2月23日 奈良県 又造の二男に生る
昭和8年 京大経済学部卒業
満洲重工開発 庶務課
東辺道開発 人事課 各勤務
満洲飛行機製造
人事 労務 各課長 監察役を経て
戰後 現職に就く
趣味 スポーツ・剣道(五段)
宗教 曹洞宗
同胞 兄 竜 三(明治39年7月10日生、
         奈良県立農林卒、川上村森林組合長)
   弟 武兵衛(明治44年1月16日生、
         奈良県立農林卒、清光林業取締役)
住所 奈良県吉野郡川上村白川渡
電話 柏木五七
p956【人事興信録 第22版 上】1964
p956【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/956
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《北村洋二》満洲飛行機製造(株):高島屋飯田社長飯田藤二郎の二男【人事興信録 第22版 上】1964

【人事興信録 第22版 上】1964
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/12
《北村 洋二》
 日産建設(株)会長
 日本スケート聯盟評議員
 東京都千代田区在籍
 妻  英 子 大正4年2月生
        東京、飯田精太郎 長女
        東京女高師附属女学校専攻科卒
 長女 多江子 昭和13年10月生
        女子学院卒
 二女 紀久子 昭和15年9月生
        日本女子大卒
 三女 郁 子 昭和19年11月生
        東京芸大音楽学部在
明治36年12月21日
故 高島屋 飯田社長 飯田藤二郎の二男に生れ
母方 北村氏の家籍を継ぐ
昭和2年 東大機械科卒業
日本航空輸送勤務
満洲飛行機製造 企画部長 理事
日産輸送飛行機 社長
日産重工 取締役 吉原工場長
帝石 取締役
中小企業助成会社長を歴任す
昭和5年より7年まで米国に
昭和14年独逸に出張
航空機製造及び航空輸送を研究す
趣味 スケート・ゴルフ・自動車運転
宗教 真宗
同胞 兄 飯田東一(横浜高島屋社長)
   弟 飯田英三(丸紅飯田取締役名古屋支社長)
住所 東京都千代田区六番町七
電話 (331)〇二三五
p622【人事興信録 第22版 上】1964
p622【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/622
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《江沼孝太郎》満洲飛行機製造(株)発動機部長:日本ミネチュアベアリング副社長【人事興信録 第22版 上】1964

【人事興信録 第22版 上】1964
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/12
《江沼孝太郎》
 ビューテイカメラ(株)取締役工場長兼電機部長
 富山県出身
 東京都杉並区在籍
明治42年5月17日生る
昭和6年 物理学校 数学科卒業
満洲飛行機製造発動機部長
日本ミネチュアベアリング副社長
富士精機工業副社長
アスノー技術顧問を経て
現職に就く
趣味 音楽・読書
住所 東京都杉並区上高井戸三ノ六六九
電話 (398)二七五七
p325【人事興信録 第22版 上】1964
p325【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/325
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《有賀正直》満洲飛行機製造(株)勤務:東京都立大学工学部教授【人事興信録 第22版 上】1964

【人事興信録 第22版 上】1964
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/12
《有賀 正直》
 工学博士
 東京都立大学 工学部教授
 長野県上伊那郡南箕輪村在籍
 妻  妙子 大正11年9月15日生、
       芝田修一 長女、
       東京女学館卒
 長男 正憲 昭和22年3月13日生、
       雪谷高校在
大正3年10月8日
長野県 実直・ふさゑの長男に生る
昭和14年 東京工大 電気工学科卒業
満洲飛行機製造勤務
東京工大助手を経て
昭和20年 東京工大附属専門部教授
昭和23年 東京工大講師となり
昭和31年
「水晶の断熱弾性定数とその温度特性について」
により学位を受け
昭和32年3月 防衛大教授に就任
昭和35年7月より一カ年
ジョージア工大の招請により渡米
研究に従事
昭和38年4月 現職に就く
趣味 旅行・釣・テニス
宗教 曹洞宗
住所 東京都大田区上池上町四六
電話 (729)二〇一七
p128【人事興信録 第22版 上】1964
p128【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/128
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《荒尾進一》満洲飛行機製造(株)機体第一工場長:三荒商会(株)社長【人事興信録 第22版 上】1964

【人事興信録 第22版 上】1964
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
p12【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/12
《荒尾 進一》
 三荒商会(株)社長(日本セメント全製品特約販売)、
 アサノ運輸(株)社長(アサノコンクリート運送)、
 サンコーパイル(株)社長
 広島県出身
 母  高 子 明治21年5月21日生、
        広島、佐々木高栄 姉
 妻  千鶴子 大正11年8月15日生、
        田子勝也 三女、
        お茶の水大附属高女卒
 長女 博 子 昭和20年5月1日生
 長男   一 昭和23年7月28日生、
        学芸大附属 竹早中学在
大正2年2月21日
広島県 文雄の長男に生る
昭和15年 早大機械工学科卒業
昭和19年 満洲飛行機製造機体第一工場長となり
昭和24年 三荒商会社長に就任
昭和26年 アサノコンクリートミキサーを考案し
生コンクリート運搬特定運送業を営む
趣味 ボート・ゴルフ
宗教 真宗
同胞
姉  美家子
同夫 山根信太郎(満洲医大卒、山根病院長)
妹  寿家子
同夫 山中 秀宜(東亜同文書院卒、日本火災海上部長)
妹  太家子
同夫 佐藤 章三(東大工学部卒、日産技師)
親戚
妻の兄 吉田富三(東大医学部長)
妻の兄 田子勝彦(東京医大教授)
住所  東京都文京区小日向台町一ノ七六
電話  (841)〇三三一
p121【人事興信録 第22版 上】1964
p121【人事興信録 第22版 上】1964
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/121
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《秋山 邦》満州飛行機製造(株)発動機工場長【農協人事録】1963

【農協人事録】1963
著者    農協人事録編纂会 編
出版者   農協人事録編纂会
出版年月日 1963
 p3【農協人事録】1963
p3【農協人事録】1963
https://dl.ndl.go.jp/pid/1697685/1/3

《秋山 邦》あきやま くに
現職 茨城県経済農協連 農業機械課長
勤先 水戸市黒羽根町三〇〇・同本所
電話 水戸(代)③一一三一
出身 茨城県
生  大正五年九月二〇日
学歴 昭和一三年 米沢高等工業学校機械科
職歴 戦時中 満州飛行機製造(株)発動機工場長
   茨城経済農協連 石岡農機具販売所主任
   昭和三七年 現職
趣味 カメラ 旅行
家族 妻 子三人
住所 石岡市香丸町一〇六一
電話 石岡三四三九
 p275【農協人事録】1963
p275【農協人事録】1963
https://dl.ndl.go.jp/pid/1697685/1/275
 名簿編 京都府
 ◎船井郡(現 京丹波町のみ)
竹 野 丹波町高岡   小林  実
須 知 丹波町須知   林  寛一
高 原 丹波町富田   畑中 良一
質 美 瑞穂町質美   石田  淑
檜 山 瑞穂町大朴   中村 一夫
梅 田 瑞穂町水原   谷垣 正男
三ノ宮 瑞穂町三ノ宮  宇野重太郎
和 知 和知町本庄   下林 俊一 p898
https://dl.ndl.go.jp/pid/1697685/1/897
農協人事録
一九六三年八月一〇日 初版発行
定価 五、〇〇〇円
編集兼発行人 農協人事録編纂会
印刷者    大星 義明
印刷所    日本文化印刷株式会社
       東京都新宿区若松町一二番地
発行所    農協人事録編纂会
       東京都港区芝琴平町
       不二屋ビル四階
       振替東京四二三一二番
       電話(501)五七五七・〇九二〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1697685/1/941
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月05日14:59
『満洲飛行機製造株式会社調査資料:⑫』昭和27年(1952)1月
[中機械(公主岺)製作處 編成人名表] p10/22
處 長 西村源與茂
 部       課           係
製作部 中川 智 生産課   道地三應  工具係  蜂谷
         検査課   山脇幸雄  機体係  横田悠作
                     発動機係
         第一工場  頼富竜太郎 主翼係
                     胴体係
                     接合係  栗林
                     備装係
                     整備係
         第二工場  若林菊次郎
         第三工場  秋山 邦  設計班
                     修理班  蜂谷賢三
                     第一職場
                     第二職場
                     第三職場 田中
                     第四職場
                     第五職場 田中
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《岡部榮一》昭和十九年(1944)十二月に滿州飛行機製造會社の理事長に選任【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年

【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
著者    極東国際軍事裁判所 編
出版者   雄松堂書店
出版年月日 昭和43
 p3【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
p3【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/3
◎極東國際軍事裁判速記録 第二百六十四號
 亞米利加合衆國、 ※アメリカ
 中華民國、
 大不列顛北愛蘭連合王國、 ※イギリス
 ソビエツト社會主義共和國連邦、
 濠州連邦、    ※オーストラリア
 加奈陀、     ※カナダ
 佛蘭西共和國、  ※フランス
 和蘭王國、    ※オランダ
 新西蘭、     ※ニュージーランド
 印度及び比律賓國 ※インド・フィリピン
   對
 被告 荒木貞夫  土肥原賢二
    ―略―
    東條英機  梅津美治郎

昭和二十二年九月四日(木曜日)
東京都舊陸軍省内極東國際軍事裁判所法廷に於て
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/235
〇フリーマン辯護人
 證人岡部榮一を召喚いたします。
 同人の宣誓口述書は
 辯護側文書二二四〇號となつております。
  〔岡部證人、證人臺に登る〕
  〔證人宣誓〕
〇フリーマン辯護人
 證人、あなたの姓名と住所を述べてください。
〇岡部證人
 私の住所は東京都杉並區淸水町二十四番地、
 岡部榮一。
〇フリーマン辯護人
 證人に辯護側文書二二四〇號を見せてください。
  〔證人に文書を渡す〕
 證人、それはあなたの宣誓口述書であり、
 あなたが署名したものですか。
〇岡部證人
 ええ、私が署名してあります。
〇フリーマン辯護人
 その内容は正確かつ眞實でありますか。
〇岡部證人
 絶對正確であります。
〇フリーマン辯護人
 辯護側文書二二四〇號を證據として提出いたします。
〇裁判長
 通例の絛件附で受理いたします。
  〔書記 辯護側文書二二四〇號は
   法廷證三〇八四號といたします〕
〇フリーマン辯護人
 法廷證三〇八四號を朗讀いたします。
 第二節より。
 私は昭和十九年(一九四四年)十二月に
 滿州飛行機製造會社の理事長に選任せられました、
 此の會社は滿州に於ける唯一の
 飛行機製造會社でありまして
 本社及主要工場は奉天に在りました。

 此の工場の隣に
 滿州工作機製造株式會社の工場がありまして
 其處で專ら工作機械を製造しており
 米英の俘虜が數百名働いて居りました、
 其の内には技術的に優秀な者が居ると云ふことでした、
 然るに私共の飛行機工場では
 俘虜は使つて居りませんでしたから
 私は其の理由を係の者に尋ねました處
 係の者から次の樣に答がありました。
 「滿州飛行機製造會社では、
  あなたが 理事長に就任する前に
  俘虜を使ふことに就て
  非公式に關東軍參謀に問合せた處
  參謀から俘虜は國際法規に依り
  飛行機製造に從事せしむることが
  出來ないのであると
  云ふ返事があつたので
  當社では俘虜を使はないことにしたのである」と、
 此の回答に依り私は初めて
 國際法の制限と之を遵守する關東軍の
 俘虜取扱の態度とを承知することが出來ました。
〇裁判長
 最後の章は必要がないと思いませぬか。
〇フリーマン辯護人
 ……
〇裁判長
 異議があるなしにかかわらず、
 われわれはこれを決定しなければなりません。
〇モーネン檢察官
 檢察側はこの證人に對する反對尋問はありません。
〇フリーマン辯護人
 證人の退廷をお許しください。
〇裁判長
 通例の絛件附で退廷を許します。
  〔岡部證人退廷〕
 p236【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
p236【極東国際軍事裁判速記録 第6巻】昭和43年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/236
極東國際軍事裁判速記録 全一〇巻
昭和四十三年一月二十五日発行
定価 全一〇冊 五万五千円
編集兼発行者 新田満夫
発行所 株式会社 雄松堂書店
    東京都新宿区四谷一丁目一七番地
印刷 有限会社 仁誠堂
製本 有限会社 篠崎製本所
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447635/1/421

【極東国際軍事裁判速記録 第201~300号】
出版者   [極東国際軍事裁判所]
出版年月日 1946-1948
※上記と同一(p553/880) 
https://dl.ndl.go.jp/pid/3044820/1/553
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年01月20日04:05
会社の疎開と思い出2/4[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年
社業も着々進展し、増産の一途をたどつたが、又もや、
昭和十九年二月、再度の火災に機体部が見舞われ、
香積理事長もその責を負つて会社を辞任された。

私は偶々満福寮に来客を招待したとき、
香積理事長の送別の席に列する機会を得た。
その席には池内理事、松原部長、沢柳部長等が同席され、
互いに惜別の情を禁じ得ない面持で盃を重ねていた。

この時ふと、
香積理事長が大変書を良くされたことを思い出し、
記念に長幅の書を所望した。
すると内地に帰られる忙しいさなかにも拘らず、
二三日後呼ばれて理事長の室に行くと、
「和衷共同」と書かれた半折を戴くことが出来た。

この記念の書も敗戦のどさくさで
失つてしまつたことは残念であつた。

香積理事長の後任には、
小林一三社長のもとに、
東京電燈の副社長であつた
岡部栄一氏が理事長として就任された。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《江沼孝太郎》學藝技術獎勵金・國防獻金・恤兵金【官報】昭和13年(1938)5・8・10月

【官報 1938年05月20日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎學藝技術獎勵金寄附  p18-20/50
學藝技術獎勵金トシテ
當局ニ於テ受領シタル寄附金及同寄附者
氏名 左ノ如シ
代表名ノモノハ内譯ヲ省略ス
 昭和十三年五月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十二年
  滿 洲
 八、二一  三〇・〇〇 江沼孝太郎
 八、二三 一〇〇・〇〇 岩間甲斐之助
 八、三〇  一〇・〇〇 江沼孝太郎
p19【官報 1938年05月20日】昭和13年
p19【官報 1938年05月20日】昭和13年

【官報 1938年08月09日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎學藝技術獎勵金寄附  p35-37/49
學藝技術獎勵金トシテ
當局ニ於テ受領シタル寄附金及同寄附者
氏名 左ノ如シ
代表名ノモノハ内譯ヲ省略ス
 昭和十三年八月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十二年
  高知縣
一〇、二七  五〇・〇〇 大井田正行
  滿洲國
一〇、 三  一〇・〇〇 江沼孝太郎

【官報 1938年08月19日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎國防獻金  p11-13/34
今次支那事變ニ際シ國防獻金トシテ受領シタル
寄附金及寄附者 氏名 左ノ如シ
 昭和十三年八月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十二年
  滿洲國
一一、 九  一〇・〇〇 江沼孝太郎

【官報 1938年10月07日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎恤兵金  p10-11/50
今次支那事變ニ際シ恤兵金トシテ受領シタル
寄附金及寄附者 氏名 左ノ如シ
代表名ノモノハ内譯ヲ省略ス
 昭和十三年八月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十二年
  滿洲國
一二、三一  一〇・〇〇 江沼孝太郎

【官報 1938年10月14日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎國防獻金  p12-13/50
今次支那事變ニ際シ國防獻金トシテ受領シタル
寄附金及寄附者 氏名 左ノ如シ
代表名ノモノハ内譯ヲ省略ス
 昭和十三年八月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十二年
  滿洲國
一二、 二  一〇・〇〇 江沼孝太郎

【官報 1938年10月29日】昭和13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和13年
 ◎恤兵金  p12-13/35
今次支那事變ニ際シ恤兵金トシテ受領シタル
寄附金及寄附者 氏名 左ノ如シ
代表名ノモノハ内譯ヲ省略ス
 昭和十三年十月 海軍省經理局
受領月日   金 額   氏  名
昭和十三年
  滿洲國
 一、一二  一〇・〇〇 江沼孝太郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

日本のエリス・ラグビー・チーム一行25人が昭和37年2月24日台湾に遠征した【台湾青年 (16)】昭和37年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年10月15日03:30
《柯子彰:夫人 柯秀鳳は日本人》
【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
夫人秀鳳は日本人で、
和歌をよくし、
これらの作品は昭和39年(1964)春
南米へお嫁にゆく愛嬢の渡航の途に託して
機関誌”ラグビーフットボール“に寄せたもの。
  ラグビーによせて
   柯秀鳳
    エリスを迎えて
異なりし国に育てし ラグビーの
  術(わざ)に繋(つなが)る 精神(こころ)貴し
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
出版者   台湾独立建国聯盟日本本部
出版年月日 1962-03
  台湾のラグビー
日本のエリス・ラグビー・チーム一行25人が
昭和37年2月24日台湾に遠征した。
同チームの一員北村靖選手は、
台北から次のように報じてきた。
《日刊スポーツ》昭和37年3月3日付から
台北飛行場では、
かつて早大の名センターとして鳴らした
《柯子彰》氏をはじめ、
ラグビー関係者の歓迎をうけ、
台湾のラグビーがいかに日本ラグビー界に
期待をかけているかを深く感じた。

昭和37年2月25日午後3時半から
対建国中OBとの第一戦が行われたが、
結果は次のとおり。
 エリス 32(3-5)8 建国中OB
      (29-3)
ゲーム前に長々とした儀式があり、
立法院長《黄国書》氏の歓迎あいさつに始まって
各界各士のスピーチが一時間もつづき、
その間直立不動の姿勢をとらされているので、
われわれはすっかり調子が狂い、
前半はリードされる始末だった。
後半はFWの体力、
技術の差がはっきり現われて圧倒的に得点して
第一戦をものにした。
このゲームで感じた台湾チームの性格は、
実に忠実なラグビーに終始していることで、
FWはセット・スクラムの組み方などに、
まだ難点があるが、
ルース・プレーのタテに突っ込む力には
かなりの威力がある。
バックスは走力もあり、
柔らかいからだのこなし方は、
将来相当の強味をみせると思われる。

これは余談だが、
ゲーム終了後グラウンドの中央に飾られた
《蒋介石》総統の写真に対し三度最敬礼を
台湾の人たちといっしょにさせられたのは、
われわれの感覚としては一時代前のもので、
どうにもおかしく吹き出すのをこらえるのが
やっとだったが、
このあたりにも台湾の政情がうかがえた。

第二戦は昭和37年2月27日
大同中OBと行なわれた……
この間台湾ラグビー協会の人々に
聞いたところによると、
台湾には各中学(高校)ごとに
ほとんどラグビーチームがあり、
社会人、大学にも各15チームがある。
しかし、台湾ラグビーの最大の悩みは、
技術的にうまくなった選手がほとんど
兵役にとられて中断してしまうとのこと。
これは現在の台湾の政情としては
どうしようもないことだろうが、
惜しまれることだ。
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
p26【台湾青年 (16)】昭和37年(1962)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/26
台湾青年 第16号 1962年3月25日
頒価 ¥100.
発行人 王 育 徳
編集長 梁 彰 海
発行所 台湾青年社
    東京都豊島区千早町2~35
    電話(957)6995番
    振替口座 東京 23534番
https://dl.ndl.go.jp/pid/7886309/1/34

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
  ■台湾・韓国との交流
以上のほか、
往年西部協会の支部として充実した活躍をしていた
朝鮮及び台湾が、
戦後韓国および中華民国として独立した今日も、
依然ラグビーの芽は死なず、
さかんに普及しているが、
台湾からは昭和34年5~6月に、
明大O・B・の《林全録》団長、
裁判員《柯子彰》の引率のもとに、
34名の選手団が来日し、
日本鋼管、東横、横河、トヨタ、京都市役所などと
8戦して3勝4敗1分の成績を収めた。

ついで昭和37年2月エリスクラブが招聘され、
「台北市選抜」、「建国中O・B・」、
「大同中O・B・全台南」、「全台北」
と4戦して4勝した。
得点合計98点、失点合計15点であった。
“赴台”の“球隊”のメンバーは、
関東諸大学のO・B・を網羅している。
一行に《香山蕃》会長も同行し、
日台ラグビー親善に役割をはたした。

台湾ではラグビーを橄欖球と名付け、
試合は比賽、スクラムは可克蘭、タックルは拓克路、
レフリーが裁判員などの訳語があるが、
罰踢進門(ペナルテーゴール)
[𧾷+並]踢進門(ドロップゴール)になると
われわれにはなじめない。

 エリスクラブ台湾遠征メンバー
   ( )内は出身校
団長 上岡 将男 (日 大)
主将 古賀浩二郎 (教 大)
FW 古賀浩二郎 (教 大)
   佐藤 喜義 (中 大)
   安部 泰人 (日体大)
   石崎 誠一 (成蹊大)
   関野 周治 (日 大)
   菊池 暁雄 (日体大)
   渡辺 一郎 (教 大)
   池  隆介 (日 大)
   中塚  充 (法 大)
   中山  亨 (明 大)
   渡辺 一男 (明 大)
HB 佐藤 達郎 (日体大)
   立花 正巳 (中 大)
TB 谷口 隆三 (早 大)
   原口 文雄 (日 大)
   鈴木 秀明 (法 大)
   北村  靖 (立 大)
FB 渡部 岑生 (教 大)
   永峰 恒雄 (法 大)

台湾での愛力斯

韓国へは昭和38年4~5月に日体大が招かれ、
《栗本義彦》学長みずから団長として京城に赴き、
第1戦を中央情報部(陸軍軍人)と苦戦し
9対8で辛勝したほか、
檀国、延世、慶北、慶煕の諸大学との
4戦を連勝して帰国した。
この遠征には日本協会から
《西野綱三、和田政雄、熊谷仁志》が同行し、
ラグビーを通じての日韓親善を深めた。
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
p167【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/167
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《柯秀鳳》中華民国台湾【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)

【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1965-05
歌壇 婦人生活 五島美代子選
佳作(賞金各五百円)
中華民国台湾 《柯 秀鳳》
嫁ぐ娘の 晴れ着ながめつつ 耽々と
母の心にも 嫉(ねた)みの潜(ひそ)む
p123【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
p123【婦人生活 19(5)】昭和40年(1965)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324707/1/123
婦人生活5月号(第19巻・第5号)
昭和40年5月1日発行
定価240円(別冊付録友)
編集兼発行人 原田常治
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷3丁目23番15号
    電話東京(811)8175番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324707/1/239

【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1965-12
歌壇 婦人生活 五島美代子選
一等(賞金壱千円)
台湾《柯 秀鳳》
長男のしたる くさめが
亡き父に似たりと思い
しばし覚(さ)めいる
(評)
夢うつつにきいたくさめであろう。
肉親のつづきは不思議なもので、
今は亡き父、
長男にとっては祖父にあたる人の、
何でもない日常のくせとか
生活のリズムとかが、
ふとさまざまと、
孫の上に出てくることがある。
それを枕の上にききとめて
覚めている作者の限りない感じが、
実に生き生きと詠み上げられている。
p103【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
p103【婦人生活 19(13)】昭和40年(1965)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324714/1/103
婦人生活12月号(第19巻・第13号)
昭和40年12月1日発行
定価250円(別冊付録友)
編集兼発行人 原田常治
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷三丁目二三番一五号
    電話東京(813)5331番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324714/1/247

【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
著者    婦人生活社 [編]
出版者   婦人生活社
出版年月日 1968-06
短歌 五島美代子 選
   今月の作品の中から
今月は次の様な三首を寄せて来た方があります

 大学の子なる写真と幸せを
 財布に秘むる靴修理人
  台湾 《柯 秀鳳》
 大学の子の写真とぞ 靴修理なす人
 秘むる財布に幸を
  台湾 《柯 秀鳳》
 靴修理人は財布に大学の子の写真とぞ秘むる幸
  台湾 《柯 秀鳳》

この様に自分でいろいろ推敲するのは、
大変大事なことですが、
皆さんはどれがいいと思われますか。

この歌の大事なところは
「その靴修理の人が、
大学生の子の写真を財布に秘めている、
それがいかにも幸福そうで、
写真と一緒に幸福をしまっているようだ」と、
作者の感じているところだと思います。

第一首の「写真と」の「と」は
「といって」の意味らしいことは、
第二首、第三首には
「とぞ」といっているのでわかります。
その人が「大学の子」といったのでしょうから、
 大学の子の写真といいて
 幸を財布に秘むる靴修理人
とすれば、ともかくわかります。

 大学生の子の写真とぞ
 靴修理の人は財布にその幸を秘む

 靴修理人は財布に大学生の子の写真秘めもちて
 その幸を抱けり
などといえば更にはっきりしますが、
 靴修理人は大学生の子の写真
 財布に深く秘めもちて居る
と作者の感傷をおさえてさりげなくいった方が
対象がはっきりして、
歌としてはよくなると思います。
(五島美代子)
p115【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
p115【婦人生活 22(7)】昭和43年(1968)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324728/1/115
婦人生活6月号(第22巻・第7号)
昭和43年6月1日発行
定価300円(別冊付録友)
発行人 原田 稔
編集人 太田栄三
発行所 株式会社 婦人生活社
    東京都文京区本郷3丁目23番15号
    電話東京(813)5331番(代表)
    振替口座 東京37892番
印刷所 共同印刷株式会社
製本所 共同製本株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2324728/1/195
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ