◆京丹波町

《京都環境保全公社》産業廃棄物処理場の建設・瑞穂町(現・京丹波町)【京都府町村会七十年史】1991

【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
著者    京都府町村会 編
出版者   京都府町村会
出版年月日 1991.11
 第12回京都府町村長OB懇親会(平成3年6月7日 楠荘)
  瑞穂町 畠中正二
p13【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
〔画像〕p13【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/13


 産業廃棄物処理場の建設・瑞穂町(現・京丹波町)
昭和五十四年(1979)七月、
京都府農業開発公社が
船井郡瑞穂町に所有している山林を、
京都産業サービスに転売する話が持ちあがる。

京都産業サービスは、
昭和四十九年(1974)七月
京都の主要企業三七社が
産業廃棄物の処理を目的に設立した会社で、
昭和五十二年(1977)三月には
株主が三社増えて四十社になっていた。

京都府農業開発公社が所有している山林は、
瑞穂町鎌谷奥の二〇・七三五ヘクタールと
天田郡三和町に近い
瑞穂町戸津川地内の三五・九二ヘクタールで、
これらの土地はかつて
地元の梅田財産区と三ノ宮財産区が
所有していたものであるが、
小学校の改築や公民館の建設などに
資金が必要となり、
昭和四十八年(1973)春
京都府農業公社への売却話がまとまった。

しかし、その直後におきた石油ショックで
土地ブームが終わり、
公社側が正式契約の調印に難色を示したため、
瑞穂町が五年を期限に公社が農業用地として
開発できない場合には
財産区が損失補償をするという内容の契約を交わし、
翌昭和四十九年(1974)九月にそれぞれ
一億二五〇〇万円と一億七五〇〇万円で
公社に売却した。

地元ではこの山林を公社が茶畑や桑畑として
開発してくれるものと期待していたが、
もともと農地に不向きな土地であった上に、
売却価格が当時としてはかなり高い値であったから、
その後の不況で転売先も見つからなかった。

昭和五十四年(1979)五月、
公社は長期保有地の売却を決定し、
産業廃棄物処理場用地の確保に苦心していた
京都産業サービスが買い取り相手として
浮上したわけであった。

当初、転売話が進んだのは、
梅田財産区が所有していた
鎌谷奥の二〇ヘクタール余であった。

町内に産業廃棄物処理場が建設されれば
環境が汚染される心配があり、
それを拒めば先の損失補償契約により
京都府農業開発公社から利子をふくめた
多額の金で土地の買い戻しを迫られる。

地元が得た土地代金は一部を残して
既に施設の建築費に消えていたので、
この問題の対応に苦慮した。

こうしたことから、
昭和五十四年(1979)十月二十日
鎌谷奥地区で、町、財産区、農業開発公社、
府の担当者が出席して説明会が開かれたのをはじめ、
関係する八つの地区でも順次同様の会合が催された。

町では問題の解決には処理場の建設を
受け入れるしかないとの方針でのぞんだが、
鎌谷奥は土師川の最上流にあって
梅田財産区全域がほぼその流域になることから
地元住民が建設反対期成同盟を結成したほか、
下流の三和町でも反対運動に火がついた。

昭和五十五年(1980)九月、
三ノ宮財産区の公社問題対策委員会から
産業廃棄物処理場用地として、
町内の三地区を候補地とする案が提示され、
畠中正二町長はそのうちの猪鼻地区が
適地であるとの意向を表明した。

これによって問題が急転回し、
猪鼻地区ではたびたび区民集会を開いて
対応を協議した結果、
昭和五十六年(1981)一月二十一日夜の区民総会で、
産業廃棄物処理は京都府が公社を設立して行う、
冠石峠の鉛工場問題を解決する、
指定品目以外は搬入禁止にする、
輸送道路の全面拡幅改良、
水質や土質の恒久的な検査、
地域の振興に協力する、
など八項目の条件付きで、
処理場の建設を認める方針をかためた。

同月(昭和56年1月)二十三日の
瑞穂町臨時町議会でもこれを可決した。

昭和五十六年(1981)三月十九日、
地元と町、府、京都産業サービスの四者間で、
八項目の建設受け入れ条件について
大筋で合意した内容の確認書を交わし、
(昭和56年)四月十四日
予定地内でボーリング調査が始まった。

この間、三和町町議会は、
昭和五十五年(1980)九月二十五日、
産業廃棄物処理場設置反対請願を
全員一致で議決している。

昭和五十五年(1980)十二月二十四日には
三和町の町長と町議会議長が、
同町民から町長に提出された
三九〇〇人の反対署名を
林田由紀夫知事に手渡した。

また、瑞穂町の反対派住民が
梅田・三ノ宮両財産区と府農業開発公社が交わした
損失補償契約に関する訴えを起こしたり、
反対署名活動を展開した。

昭和五十六年(1981)五月、
京都産業サービスは、
京都府と京都市から出資と役員を受け入れて、
京都環境保全公社と社名を改めた。

同年(昭和56年)八月
三和町は産廃問題対策協議会を発足して、
処理場建設反対の態度をやや軟化させる。

一方、瑞穂町と三和町の反対派住民ら五〇〇人は、
同年(昭和56年)九月十二日
総決起集会を開いた。

同年(昭和56年)十一月二十二日と二十三日には、
反対派による初の環境アセスメントが実施された。

昭和五十六年(1981)十二月七日に開かれた
猪鼻区の区民総会で、
瑞穂町と京都環境保全公社が
公害防止協定を締結することに合意し、
これを受けて
同月(昭和56年12月)十日
府庁会議室で林田由紀夫知事、
野中広務副知事が見守る中、
畠中正二瑞穂町長と坂部社長が
一七条からなる協定書に調印した。

そして翌五十七年(1982)一月十二日には
林田由紀夫知事、坂部三次郎社長、
滝本三和町長の三者が、
六項目の協定書に調印し、
産業廃棄物処理場の建設に
大きく道が開かれた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/236

同月(昭和57年1月)中、
京都環境保全公社は府園部地方振興局に
処理場の開発許可申請を、
府八木保健所(現園部保健所)に
産業廃棄物投棄申請をする。

その計画によると、
同公社は猪鼻地区の谷間
約二九ヘクタールのうち
約六・五ヘクタールに、
中間処理後の産業廃棄物を八年間で
約九万トン埋め立てるというものであった。

昭和五十七年(1982)三月十五日、
福知山、三和、瑞穂の一市二町の住民六一二人が、
処理場建設計画は事前調査が不十分で
公害の発生と住民の生命や財産に
重大な危険をもたらす恐れがある、
として公社を相手に、
建設差し止めを求める仮処分申請を
京都地方裁判所に提出した。

その審理の過程で、
公社側が提出した地質調査資料から
埋め立て予定地内に
四カ所の断層があることが判明する。

しかし公社側は危険性はないと主張し、
用地買収などに充てた
借入金の金利負担がかさむことを理由に、
同年(昭和57年)十月二十五日
「瑞穂環境保全センター」の起工式を行った。

反対派住民は抗議集会やデモ行進で対抗、
同年(昭和57年)十二月二日には
四五八人が公社を相手に、
処理場の建設差し止めを求める
第二次仮処分申請をした。

昭和五十八年(1983)二月から裁判所の調停で、
原告団と公社側が和解交渉を開始するが、
両者の主張には大きな隔たりがあり、
失敗に終わる。

その間にも工事は続行されて、
処理場の完成が近づいたため、
同年(昭和58年)七月五日
原告側は仮処分申請の内容を
「建設の差し止め」から
「工事の続行と完工後の操業開始の差し止め」
に変更する申し立てをした。

高さ一四・五メートル、
長さ七八メートルの埋立て用ダムは、
総工費約一〇億円(用地買収費を除く)をかけて、
同年(昭和58年)九月中にほぼ完成し、
公社は(昭和58年)十月八日に完工式を行うと発表。

ところがその矢先(昭和58年)九月二十八日、
台風一〇号が降らせた大雨で、
処理場の貯留槽から雨水が
あふれ出たことに反対派が反発し、
完工式と操業開始を中止して
施設の安全性について再点検せよと府に求めた。

しかし公社は
「瑞穂環境保全センター」の完工式を予定どおり行い、
その後、
雨水が処理場へ流入するのを防ぐ側溝の設置や
府道側のフェンスの取り付け工事を実施した。

年末から翌昭和五十九年(1984)一月にかけて、
京都地方裁判所で原告側及び公社側双方の代理人らが
再度和解交渉を進めた。

その結果、
①公社は同処理場の安全性確保のため
 科学的な地下水調査を実施し、
 そのデータを公表する、
②異常が認められれば公害などのため
 万全の措置をとる、
③埋め立てる廃棄物は安全無害なものに限る、
➃以上を条件に反対派住民側は
 処理場の設置と操業に同意する、
など四項目からなる和解条件で双方が合意に至った。

反対派住民側は
昭和五十九年(1984)一月三十日の総会で
この和解案を承認し、
翌(昭和59年1月)三十一日
京都地方裁判所で和解が正式に決まった。

同年(昭和59年)二月二日、
大雪の影響で予定より一日おくれて
「瑞穂環境保全センター」が操業を開始した。

当日に運び込まれた産業廃棄物は一一件、
一三〇トンであった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/237
京都府町村会七十年史
平成三年十一月一日 発行
編集発行者 京都府町村会
 京都市上京区西洞院通下立売上ル
 京都府自治会館内
 電話〇七五(四四一)四七一三
      (四五一)四一五六
印刷 株式会社ぎょうせい
   東京都新宿区西五軒町四ノ二
   関西支社
   大阪市北区天満二ノ七ノ一七
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/447
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《丹波町・瑞穂町・和知町》公害防止・環境保全等のための住民組織【環境白書 昭和51年版】【環境白書 昭和53年度版】

【環境白書 昭和51年版】
著者    京都府 [編]
出版者   京都府
出版年月日 [1976]
p1【環境白書 昭和51年版】
〔画像〕p1【環境白書 昭和51年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/1

表9-3 公害防止・環境保全等のための住民組織
(昭和50年10月1日現在)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/177
丹波町
富田公害対策委員会      井上 栄宏
昭和47年4月24日 160人    養鶏、開発公害反対

下山環境整備対策委員会    船越 幸雄
昭和47年4月28日 250人    養豚、開発公害反対

柳川染工進出反対同盟     南 勝太郎
昭和47年7月26日 170人    染色工場設置反対

瑞穂町
猪鼻冠石峠鉛再生工場     梅垣 辰治
公害対策実行委員会
昭和45年4月25日 110人    鉛公害

大朴公害対策実行委員会    上田縫次郎
昭和47年6月    25人    廃棄物

井脇開発対策委員会      保田 泰男
昭和48年6月    20人    水質汚濁

和知町中山地区公害対策委員会 仲井 辰男
昭和46年6月    33世帯   タングステン鉱山鉱排水公害

和知町小畑地区公害対策委員会 梅原  久
昭和46年6月    17世帯   タングステン鉱山鉱排水公害
p181【環境白書 昭和51年版】
〔画像〕p181【環境白書 昭和51年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/181

【環境白書 昭和53年度版】
出版者   京都府
出版年月日 [1979]
p1【環境白書 昭和53年度版】
〔画像〕p1【環境白書 昭和53年度版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/1
丹波町
富田公害対策委員会      井上 栄宏 丹波町字
昭和47年4月24日 100人    養鶏、開発公害反対

下山環境整備対策委員会    山根  隆 丹波町字下山
昭和47年4月28日 250人    養豚、開発公害反対
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/203
丹波町
柳川染工進出反対同盟     南 勝太郎 丹波町字曽根
昭和47年7月26日 170人    染色工場設置反対

瑞穂町
猪鼻冠石峠鉛再生工場     梅垣 辰治 瑞穂町猪鼻
公害対策実行委員会
昭和45年4月25日 110人    鉛公害

大朴公害対策実行委員会    上田縫次郎 瑞穂町大朴
昭和47年6月    25人    廃棄物

井脇開発対策委員会      保田 泰男 瑞穂町井脇
昭和48年6月    20人    水質汚濁

和知町
和知町中山地区公害対策委員会 仲井 辰男 和知町中山
昭和46年6月    33世帯   タングステン鉱山鉱排水公害

和知町小畑地区公害対策委員会 梅原  久 和知町小畑
昭和46年6月    17世帯   タングステン鉱山鉱排水公害
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/204
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瑞穂町猪鼻、三宮両地区公害対策委員会(梅垣辰治委員長)<住民と鉛工場、公害ゼロの誓約書>昭和45年【公害年鑑 1971年版】

【公害年鑑 1971年版】
出版者   環境保全協会
出版年月日 1971
 p3【公害年鑑 1971年版】
〔画像〕p3【公害年鑑 1971年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/3

次いで昭和45年9月11日に
京都府瑞穂町の地域住民が
中島金属株式会社猪鼻冠石工場との間で
締結したものがある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/128
1970年(昭和45年)の公害日誌
<住民と鉛工場、公害ゼロの誓約書>
人体,家畜,植物に有害となる物質は
一切ゼロであること――
京都府船井郡瑞穂町の住民は、
鉛工場と公害”ゼロ“を内容とする誓約書を
12日にとりかわした。
違反した場合は、即刻、工場を解体し移転する、
というきびしい罰則規定につき。
同町猪鼻、三宮両地区住民で組織している
公害対策委員会(梅垣辰治委員長、約80戸)と、
中島金属会社猪鼻冠石工場。(朝日,9月14日)
 p364【公害年鑑 1971年版】
〔画像〕p364【公害年鑑 1971年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/364
昭和46年5月25日印刷
昭和46年6月1日発行
定価 10,000円
編集並に発行 環境保全協会
 東京都港区南青山7-7-20-A1
 TEL・03-409-5175
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/408
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京都府船井郡瑞穂町<住民と鉛工場で公害ゼロの誓約書>昭和45年【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971

【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】昭和46年(1971)
著者    谷口知平, 沢井裕, 淡路剛久 編
出版者   有斐閣
出版年月日 1971
p1【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p1【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/1

 <住民と鉛工場で公害ゼロの誓約書>
鉛や亜硫酸ガスなど
人体・家畜・植物に有害となる物質は
一切ゼロであること――
京都府船井郡瑞穂町の住民は、
鉛工場と公害”ゼロ“を内容とする
誓約書をとりかわした。

もし違反した場合は、即刻、
工場を解体し移転する、
というきびしい罰則規定つき。

誓約書をとりかわしたのは、
同町猪鼻・三宮両地区住民で組織している
公害対策委員会(約八〇戸)と
猪鼻地区にあるN金属会社猪鼻冠石工場。

同工場は、ことし三月、
猪鼻地区の山間部に五トンの炉をすえ、
古バッテリーなどから
月約一〇〇トンの鉛の再生を始めた。

公害対策委員会の一メンバーの話では、
ツンと鼻につく甘ずっぱいような
亜硫酸ガス特有のにおいがして
「このままではたまらない」ので、
工場の操業開始後まもなく
対策委員会を結成したという。

会社側も
「住民が反発するのは理解できる」
と話合いの姿勢を示して協議を続け、
「施設の改善が終わるまでは」
と、同工場は
(二五五頁へつづく)
p141【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p141【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/141
(二五二頁よりつづく)
操業を中止している。

そして、住民は“公害ゼロ”の条件のほか、
工場の事業内容の報告、
集じん装置の内容の公開、
原材料を解体した後の外箱・廃液・薬物の完全な処分、
地域住民や関係機関の立入検査や視察を認める、
被害を出した場合は補償する――
などを定めた誓約書を示し、
会社側は認めた。

工場の権利を第三者に譲渡した場合、
新たな経営者もこの契約書に拘束されるという
付則もあるきびしいもの。

現在の技術では困難といわれている
”公害ゼロ“の問題について、
住民側は
「日ごろの会社側の誠意や公害防止に取り組む姿勢も
 基準のひとつといえる。
 国の環境基準だけでは公害は防げない」
といっている。

住民側は、
この誓約書の効果をさらに確実なものにするため、
この誓約書を公正証書にしようと
いま検討を進めている。
(『朝日新聞』昭和45年9月14日)
p142【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p142【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/142
1971年10月20日 初版第1刷印刷
1971年10月25日 初版第1刷発行
編 者/谷口知平・沢井 裕・淡路剛久
発行者/江草忠允
発行所/株式会社 有斐閣
    東京都千代田区神田神保町2-17
印 刷/藤本綜合印刷株式会社
製 本/株式会社 高陽堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/303
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《(株)京都環境保全公社》最終処分場(瑞穂環境保全センター)公共関与による産廃処理施設【INDUST】1993-02

【Indust : journal of industrial waste disposal
 and resource circulation 8(2)(64)】
著者    「いんだすと」編集部 編
出版者   全国産業資源循環連合会
出版年月日 1993-02
月刊 産廃処理の総合専門誌
INDUST いんだすと 1993 2
平成元年10月5日第3種郵便物認可
平成5年2月1日発行(毎月1日発行)
VOL.  NO.2
特集/公共関与による産廃処理施設
p1【INDUST】
〔画像〕p1【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/1
(株)京都環境保全公社
概 要
所在地 京都市伏見区横大路千両松町126
目 的 当公社は、
    京都商工会議所、京都工業会が中心となり
    産業廃棄物専用の処理機関として、
    京都府、京都市の出資を受けて設立した
    第3セクターである。
    京都府内で発生する産業廃棄物の適正処理を推進し、
    京都産業界の支えとなり、
    さらに地域社会の環境保全向上に寄与する。
設 立 昭和49年7月
資本金 授権資本18億円
    払込資本15億400万円
事業内容 1. 産業廃棄物の中間処理
      (焼却処理、減容処理、コンクリート固化)
     2. 産業廃棄物の埋立処分

廃棄物処理施設の概要
1 中間処理施設(伏見環境保全センター)
  伏見環境保全センター中間処理場フロ-図
p18【INDUST】
〔画像〕p18【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/18

2 最終処分場(瑞穂環境保全センター)
〇所在地  船井郡瑞穂町字猪鼻小字冠石
〇面 積  29haの中埋立場約6.5ha
〇埋立量  約90万トン
〇主な施設 排水処理施設

〇処理対象廃棄物

〇廃棄物処理代金(円/kg)

〇処理実績
 平成2年度(平成元年10月~平成2年9月)
  埋立物 33,200トン
 平成3年度(平成2年10月~平成3年9月)
  埋立物 35,722トン
p19-1【INDUST】
〔画像〕p19-1【INDUST】

 最終処分場(瑞穂環境保全センター)平面図
p19-2【INDUST】
〔画像〕p19-2【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/19
INDUST いんだすと 2月号 通巻64号
     Vol. No.2
定価1部 1,100円(送料・消費税込み)
  年間 12,000円(送料・消費税込み)
平成元年10月5日第3種郵便物認可
平成5年2月1日発行
編 集 「いんだすと」編集委員会
発 行 (社)全国産業廃棄物連合会
    〒100 東京都千代田区永田町1-11-28
       (相互永田町ビル)
    電話 03-3593-0011(代)
発行人 太田忠雄
編集人 島田雅行
編集協力・製作 環境公害新聞社
    〒160 東京都新宿区四谷2-9
        田中ビル
    電話 03-3359-5371(代)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/54
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「瑞穂環境保全センター」竣工式:昭和58年10月8日【生活と環境 28(12)(330)】1983-12

【生活と環境 28(12)(330)】昭和58年(1983-12)
出版者   日本環境衛生センター
出版年月日 1983-12
 p1【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
〔画像〕p1【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/1
京都府
京都環境保全公社が船井郡瑞穂町に建設した
産業廃棄物処理場
「瑞穂環境保全センター」の竣工式が、
(昭和58年)10月8日
植田副知事ほか150人が出席し行われた。
同センターは昨年10月から
10億3千万円の工費をかけて建設されたもので、
伏見環境保全センターで中間処理された
産業廃棄物を最終処分する施設。
また、竣工式と同時刻、
「汚水処理に問題がある」
とする反対派約200人が
センター近くで抗議集会、
デモ行進を行った。
 p23【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
〔画像〕p23【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/23
  生活と環境
1983,VOL28,NO12(通巻330号)
  昭和58年12月号
 昭和58年12月1日発行
 定価650円 年間(前金)7,200円
発行人兼  三宅弘文
編集責任者
発行所   財団法人 日本環境衛生センター
      〒210 川崎市川崎区四谷上町10-6
      TEL 044-288-4896
      振替口座 東京5-13040
印刷所   有限会社 協立印刷社
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/42
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(株)京都環境保全公社:大株主 日本新薬48千株 京都府45千株 京都市45千株【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】

【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
出版者   東京商工リサーチ関西支社
出版年月日 1986.9
(株)京都環境保全公社
〒612 伏見区横大路千両松町126
電話075(622)8080
設  立 昭和49年7月
営業種目 産業廃棄物
資本金  495,000千円(500円)
従業員  17名
代表者  坂部三次郎 大正12年生
役  員 専務 鈴木韶次郎
     取締 山脇 正勝
        園部 佳逸
        小谷 隆一
        立石 一真
        森川秀次郎
        森下  弘
        横地 節男
        植田 穂積
     監査 奥村 光林
        阿南 孝士
大株主  日本新薬 48千株
     京都府  45千株
     京都市  45千株
取引銀行 京都銀行、京都信用金庫、
     京都中央信用金庫(各本店)
     伏見信用金庫(大手筋)
販売先  京都産業界
業  績 決算 年1回
 決算期 売上高  利益   配当
58年9月  12,669 △254,764 ―
59年9月  44,496 △435,442 0%
60年9月 179,000 △450,000 ―
格付概評 A 京都経済4団体に所属の有力企業40社が、
     共同して産業廃棄物の処理を目的として設立、
     昭和65年より黒字転換が予測されている
p903【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
〔画像〕p903【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/11998468/1/903
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(株)京都環境保全公社 役員【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982) 【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)

【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
出版者   産経新聞年鑑局
出版年月日 1982.12
(株)京都環境保全公社
本 社 〒615 京都市右京区西京極大門町26
    電話(075)314-5390
資本金 4億9,500万円
設 立 昭和49年7月
事 業 産業廃棄物処理
大株主 京都府 京都市
役 員 社長 坂部三治郎
    専務 石井 正博
    取締 上西 亮二
       圓城 佳逸
       小谷 隆一
       木下  稔
       立石 一真
       野中 広務
       森川秀次郎
       森下  弘
       山川 常七
    監査 山脇 正勝
       栗林 四郎
       榊田喜四夫
p823【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
〔画像〕p823【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11998574/1/823
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【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
出版者   サンケイ新聞データシステム
出版年月日 1988.12
(株)京都環境保全公社
本 社 〒612 京都市伏見区横大路千両松町126
    電話(075)622-8080
〔伏見環境保全センター〕
〒612  京都市伏見区横大路千両松町126
〔瑞穂環境保全センター〕
〒622-03 京都府船井郡瑞穂町猪鼻字冠石
資本金 14億3,900万円
設 立 昭和49年7月
事 業 産業廃棄物処理
決算期 9月
年 商 3億6,700万円(昭和62年9月)
大株主 京都府 京都市
役 員 会長 森下  弘
    社長 坂部三次郎
    専務 鈴木韶次郎
    取締 片山 健三
       圓城 佳逸
       奥野 康夫
       小谷 隆一
       立石 一真
       森川秀次郎
       山脇 正勝
       西八条 実
    常監 中本 虎造
    監査 奥村 光林
       阿南 孝士
p906【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
〔画像〕p906【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12002694/1/906
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《(株)京都環境保全公社》産業廃棄物の埋立処理―その現状と課題―中島晃(弁護士)【国土問題 (31)】1985-07

 京都新聞:京都府北部の処分場から「PFAS」目標値2倍近い放流水

【国土問題 (31)】1985-07
出版者   国土問題研究会
出版年月日 1985-07
 p1【国土問題 (31)】1985-07
〔画像〕p1【国土問題 (31)】1985-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/1


  産業廃棄物の埋立処理
  ―その現状と課題―
  中島 晃(弁護士)
<1. はじめに>

<2. 問題の発端と予定地区選定の経過>
(1)京都府のほぼ中央に位置する
丹波高原の兵庫県よりにある
京都府船井郡瑞穂町(現:京丹波町)に、
産業廃棄物埋立処理場(以下、産廃処理場という)の
建設計画がもちあがったのは
1979年(昭和54年)11月のことであった。

京都府農業開発公社が、
その5年前の1974年(昭和49年)に
瑞穂町(現:京丹波町)の
梅田財産区と三ノ宮財産区から
農用地開発を目的として買受けた土地を、
農用地の開発に失敗したために、
産廃処理場の用地として転売しようという
計画がもちあがったのである。

当時、梅田、三ノ宮の両財産区と
農業開発公社との間に取り交わされた
土地売買契約には、
買受けたときから5年以内に
農用地として開発できなかったときには、
財産区が売買代金に
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/34
5年分の利息をプラスした損失補償を支払って
土地を買戻す旨の損失補償契約が結ばれていた。

農地開発の失敗による農業開発公社の
赤字の穴埋めをはかるために、
京都府農林部の幹部は、
地元に直接乗り込んで損失補償契約をタテにして、
土地の買戻しか、
産廃処理場への転売かの二者択一を建ってきた。

(2)当初候補地にあがっていた
梅田財産区の鎌谷奥については、
梅田地域の住民が強く反対し、
産廃処理場への転売をあくまでも
承諾しなかったために、
鎌谷奥での処理場設置がゆきづまり、
候補地を他に求めざるをえなくなった。

その後、瑞穂町(現:京丹波町)のなかで
いくつかの候補地が物色されるなかで、
最終的に白羽の矢がたったのが
三ノ宮財産区の猪鼻であった。

当初は猪鼻地区でも区で反対決議がなされるなど
反対の声が強かった。

しかし、
産廃処理場の確保につとめていた京都府が、
当時の野中副知事を先頭に地元に乗り込み、
積極的に説得工作につとめるなかで、
最終的に1981年(昭和56年)1月、
猪鼻区が地区の条件整備に関する要望・意見を
対して受け入れを決定していった。

この設置受け入れ決定の背景には、
行政施策の立ちおくれのなかで
地域基盤が十分に整備されず、
このために過疎の進行におびえる
山村の焦りと苦悩がある。

(3)瑞穂町猪鼻が産廃処理場の
予定地に選定されたことは、
この問題をたんに瑞穂町だけの問題だけではなく、
瑞穂町に隣接する三和町さらには
福知山市域にまで広げることになった。

すなわち、
産廃処理場の建設予定地が
猪鼻川の最上流部に位置しており、
猪鼻川の河水は、
由良川水系の支流土師川に流入するところから、
土師川の清流に依拠して日々の暮らしを営んでいる
三和町、福知山市内等の住民に
産業廃棄物による水質汚濁等の
環境汚染について強い不安と危惧を
ひきおこすことになった。

これがやがて裁判闘争にまで発展する
大きな反対運動へと広がっていくことになった。

<3. 産廃処理場の計画概要>
(1)この産廃処理場の事業主体は、
産業廃棄物の処理・処分等を目的として
1974年(昭和49年)7月に
民間企業40社(株主名簿参照)の共同出資によって
京都産業サービス(株)の名称で設立され、
その後1981年(昭和56年)5月に新たに
京都府と京都市が出資し、
役員を派遣して社名も
(株)京都環境保全公社と変更した株式会社である。

 京都産業サービス株式会社株主名簿
 (昭和54年7月現在)(五十音順)
 京都産業サービス(株)株主名簿(昭和54年7月現在)
〔画像〕京都産業サービス(株)株主名簿(昭和54年7月現在)

この処理場は、
京都府船井郡瑞穂町(現:京丹波町)字猪鼻小字冠石
の谷間に建設される。

この谷間は、
由良川水系土師川の支流、
猪鼻川上流に位置しており、
瑞穂町(現:京丹波町)の北西、
五条山(標高568.5m)の北面と
府道大身下山停車場線に
はさまれた谷底面であり、
猪鼻川の最上流部にある。

(2)(株)京都環境保全公社作成の
「瑞穂環境保全センター環境影響調書報告書」
によれば、
建設計画の概要は次のとおりである。

計画概要  総面積29ha、
      そのうち埋立場の面積約6.5ha、
      埋立量約90万トン、
      埋立期間約8年
埋立対象物 京都府内で発生する産業廃棄物。
      直接埋立てるもの……
      土砂、がれき、もえがら、
      建設廃材、陶磁器くず、ガラスくず、
      金属くず、鉱さい等。
      1月当りの埋立予定量11,500トン、
      埋立量全体の約97%を占める。

      中間処理場で処理したのち
      埋立てるもの……
      汚泥、固形物等のもえがら、
      廃プラ、ゴムくず、
      汚泥類の無害化処理物等。
      1月当りの埋立予定量285トン、
      全体の約3%。
主な施設  埋立用ダム……
      埋立場の最下流部に、
      埋立て廃棄物の土留めのために
      埋立用ダムを設置する。
      排水処理施設……
      埋立場からの浸出水を処理して、
      清浄な処理水として放流するために
      排水処理施設を設置する。

<4. 廃棄処理場の建設禁止を求める仮処分の提起へ>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/35

<5. 産廃処理場計画の問題点>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/36

<6. 仮処分審理の経過と和解の成立>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/37

<7. 結びにかえて―
   産業廃棄物処理をめぐる今後の課題>
(1)産業廃棄物処理の基本理念の確立
(2)現行の溶出試験と判定基準の抜本的再検討
(3)立地選定にあたっての住民合意の重視
(4)廃棄物の受入審査に関する公的審査制度の導入と
   搬入時チェックに対する住民監視システムの確立
(5)埋立地からの処理水の水質および
   地下水のモニタリングと住民監視
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/38
(6)公共関与における地方自治体の役割の
   重要性と住民運動
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/39
    昭和60年7月発行
発行所 国土問題研究会
〒604 京都市中京区二条通河原町西入ル
    南館3階
    TEL 075-241-1373
    振替 京都8-44858
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/47
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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株式会社 京都環境保全公社
会社沿革
1974年 (昭和49年 7月)
京都産業サービス株式会社設立
民間出資企業 33社
1981年 (昭和56年 5月)
株式会社京都環境保全公社に商号変更
京都府・京都市の出資
1984年(昭和59年 2月)
瑞穂環境保全センター 最終処分場埋立事業開始
2004年 (平成16年 9月)
瑞穂環境保全センター 浸出水高度処理設備増設
2005年 (平成17年 7月)
瑞穂環境保全センター 最終処分場新埋立開始
2006年(平成18年 9月)
瑞穂環境保全センター ISO14001認証取得
2013年(平成25年 4月)
瑞穂環境保全センター 最終処分新埋立開始
2014年(平成26年 1月)
瑞穂環境保全センター新排水処理設備竣工
2024年(令和 6年 7月)
創立50周年記念事業(50年社史発刊)
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「丹波巡察記」船井郡四村:中臺村・新町村・質志村・三ノ宮村:天保11年3月【佐藤信淵】昭和18年

【佐藤信淵】昭和18年
著者    小野武夫 著
出版者   潮文閣
出版年月日 昭和18
 p1【佐藤信淵】昭和18年
〔画像〕p1【佐藤信淵】昭和18年
 第五章 信淵と皇國農村
    (「丹波巡察記」を讀みて)
     はしがき
茲に彼が天保十一年三月、※1840年4月
七十二歳の春、
伊達侯の推薦により丹波の綾部に赴き、
藩主九鬼侯の命に從ひ村内六十ケ村を巡回して
農村事情を調査したる手記を掲げたい。
 丹波巡察記
  上 巻
踏査村落
綾部藩 十二ケ村
  中 巻
踏査村落
山裏郷 十五ケ村
川合  六ケ村
船井郡 四ケ村(中臺村、新町村、質志村、三宮村)
 船井郡四村
〇中臺村
土性淡赭壤、
田方 四町九段七畝十一歩、
畑方 五町三段九畝九歩、
高  八十六石八斗三合、
家數 十三軒、
人別 五十一人
牛  七疋あり。

〇新町村
土性 中臺村に同じ、
田方 七段二十四歩、
畑方 七町八段四畝八歩
高  四十六石四斗八升七合、
家數 十一軒、
人別 三十九人
牛  二疋あり。
右二村は他領相給地所混雜して、
明に辨ずる事能はず、
故に物産の員數も審ならず。

〇質志村(しづしむら)
土性淡赭壤、
谷地は赤埴に壚を混ず、
田方 七町十歩、
畑方 九町九段二畝十三歩、
高  百十三石三斗六升、
家數 四十六軒、
人別 二百八人
牛  四十疋あり。
當村は田畑共に
冬は大麥小麥豌豆蠶豆等を作り、
夏は田に植ゑ、
畑には大豆、小豆、黍、稷、粟、稗、
麻、烟草、楮、漆、茶等を作て
少しく此を賣出し。
其の他種々菜類瓜茄子等を作り、
木綿も六町餘も作り、
蠶兒を飼ひ繭を得る事も七八貫に下らずと云ふ。

〇三ノ宮村
土性明神前黄壤、
奥谷の邊 赤埴に腐壚を混ぜり、
田方 十三町九段九畝四歩、
畑方 六町二段二畝 歩、
高  二百三石九斗四升六合、
家數 三十四軒、
人別 百五十七人
牛  二十三疋有り。
當村は土地肥沃に百姓能く農事を勤るを以て、
種々産物の員數質志村に伯仲す、
且つ近年茶を作る事上手に爲りて、
此村にて製する茶は牛一駄、銀五十匁以上なり、
年々十二三駄を出す、
木綿も六七町作り、
繭も八十貫以上を得べし。

此村に古城跡あり、
昔 享祿天文の頃、
山内某此に居れり、
今其の子孫山内三郎兵衞代々の當村の庄屋たり、
武鑑に土州侯の始祖は
丹州三ノ宮城主山內孫次郞と記せり。

然れども予藩翰譜を按に、
土州侯始祖始めて信長に仕へられたる時の
貧寠なりしを見れば、
三郎兵衞が庶流なるかと思はれる。
何にもせよ、
山内が家は貴人の出たる家にて目出度と云ふべし、
今三郎兵衞も母に事へて孝あり、
且つ能く義に勇む事篤く、
名家の裔にて一人物なり。

右船井郡四村、
田方 二十六町六段八畝餘、
畑方 二十九町三段八畝、
高  四百五十三石八斗三升餘、
家數 百三軒
人別 四百五十五人
牛  二十七疋あり。

此郷土地小なりと雖ども、
救民積金の多くなり、
上は三郎兵衞に命じて
他領百姓に貸し付て利倍せしむるに宜し。
泉源法の積金も既に大金と爲るに及んでは、
御領内には貸し付くべき處なし、
三宮は貸し付役所を立るには
最も樞要の地なりと知るべし。
(出版會承認 い110180番)
 佐藤信淵 〔五、〇〇〇〕
著者略歷
法政大學卒業。法政大學敎授。農學博士。
昭和十八年七月十五日 印刷
昭和十八年七月廿五日 發行
定價 二圓
印刷、製本特別行爲税發行所負擔
著 者  小野武夫
編輯者  高島政衞
兼發行者 東京市小石川區小日向臺町一ノ四一
發行及  合資會社 潮文閣
發賣所  電話大塚(86)六二四八・六四三五
     振替東京一七、四四三番
     會員番號一七、五〇六番
印刷所  帝都印刷株式會社
     代表者 長谷川謹士
     (東東二一三番)
     東京市板橋區板橋町三ノ六四
配給元  日本出版配給株式會社
     東京市神田淡路町二ノ九
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※上記と同一
【綾部市史:史料篇】1977
著者    綾部市史編さん委員会 編
出版者   綾部市
出版年月日 1977.1
 綾部藩九代藩主 九鬼隆都
  巡察記
 p8【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p8【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/8
  巡察記 解説
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/311
  巡察記 中
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/319
船井郡四村
〇中台村
〇新町村
〇質志村
〇三ノ宮村
 p326【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p326【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/326

 p327【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p327【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/327
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京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
佐藤信淵像(模本)
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