人物

「丹波巡察記」船井郡四村:中臺村・新町村・質志村・三ノ宮村:天保11年3月【佐藤信淵】昭和18年

【佐藤信淵】昭和18年
著者    小野武夫 著
出版者   潮文閣
出版年月日 昭和18
 p1【佐藤信淵】昭和18年
〔画像〕p1【佐藤信淵】昭和18年
 第五章 信淵と皇國農村
    (「丹波巡察記」を讀みて)
     はしがき
茲に彼が天保十一年三月、※1840年4月
七十二歳の春、
伊達侯の推薦により丹波の綾部に赴き、
藩主九鬼侯の命に從ひ村内六十ケ村を巡回して
農村事情を調査したる手記を掲げたい。
 丹波巡察記
  上 巻
踏査村落
綾部藩 十二ケ村
  中 巻
踏査村落
山裏郷 十五ケ村
川合  六ケ村
船井郡 四ケ村(中臺村、新町村、質志村、三宮村)
 船井郡四村
〇中臺村
土性淡赭壤、
田方 四町九段七畝十一歩、
畑方 五町三段九畝九歩、
高  八十六石八斗三合、
家數 十三軒、
人別 五十一人
牛  七疋あり。

〇新町村
土性 中臺村に同じ、
田方 七段二十四歩、
畑方 七町八段四畝八歩
高  四十六石四斗八升七合、
家數 十一軒、
人別 三十九人
牛  二疋あり。
右二村は他領相給地所混雜して、
明に辨ずる事能はず、
故に物産の員數も審ならず。

〇質志村(しづしむら)
土性淡赭壤、
谷地は赤埴に壚を混ず、
田方 七町十歩、
畑方 九町九段二畝十三歩、
高  百十三石三斗六升、
家數 四十六軒、
人別 二百八人
牛  四十疋あり。
當村は田畑共に
冬は大麥小麥豌豆蠶豆等を作り、
夏は田に植ゑ、
畑には大豆、小豆、黍、稷、粟、稗、
麻、烟草、楮、漆、茶等を作て
少しく此を賣出し。
其の他種々菜類瓜茄子等を作り、
木綿も六町餘も作り、
蠶兒を飼ひ繭を得る事も七八貫に下らずと云ふ。

〇三ノ宮村
土性明神前黄壤、
奥谷の邊 赤埴に腐壚を混ぜり、
田方 十三町九段九畝四歩、
畑方 六町二段二畝 歩、
高  二百三石九斗四升六合、
家數 三十四軒、
人別 百五十七人
牛  二十三疋有り。
當村は土地肥沃に百姓能く農事を勤るを以て、
種々産物の員數質志村に伯仲す、
且つ近年茶を作る事上手に爲りて、
此村にて製する茶は牛一駄、銀五十匁以上なり、
年々十二三駄を出す、
木綿も六七町作り、
繭も八十貫以上を得べし。

此村に古城跡あり、
昔 享祿天文の頃、
山内某此に居れり、
今其の子孫山内三郎兵衞代々の當村の庄屋たり、
武鑑に土州侯の始祖は
丹州三ノ宮城主山內孫次郞と記せり。

然れども予藩翰譜を按に、
土州侯始祖始めて信長に仕へられたる時の
貧寠なりしを見れば、
三郎兵衞が庶流なるかと思はれる。
何にもせよ、
山内が家は貴人の出たる家にて目出度と云ふべし、
今三郎兵衞も母に事へて孝あり、
且つ能く義に勇む事篤く、
名家の裔にて一人物なり。

右船井郡四村、
田方 二十六町六段八畝餘、
畑方 二十九町三段八畝、
高  四百五十三石八斗三升餘、
家數 百三軒
人別 四百五十五人
牛  二十七疋あり。

此郷土地小なりと雖ども、
救民積金の多くなり、
上は三郎兵衞に命じて
他領百姓に貸し付て利倍せしむるに宜し。
泉源法の積金も既に大金と爲るに及んでは、
御領内には貸し付くべき處なし、
三宮は貸し付役所を立るには
最も樞要の地なりと知るべし。
(出版會承認 い110180番)
 佐藤信淵 〔五、〇〇〇〕
著者略歷
法政大學卒業。法政大學敎授。農學博士。
昭和十八年七月十五日 印刷
昭和十八年七月廿五日 發行
定價 二圓
印刷、製本特別行爲税發行所負擔
著 者  小野武夫
編輯者  高島政衞
兼發行者 東京市小石川區小日向臺町一ノ四一
發行及  合資會社 潮文閣
發賣所  電話大塚(86)六二四八・六四三五
     振替東京一七、四四三番
     會員番號一七、五〇六番
印刷所  帝都印刷株式會社
     代表者 長谷川謹士
     (東東二一三番)
     東京市板橋區板橋町三ノ六四
配給元  日本出版配給株式會社
     東京市神田淡路町二ノ九
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※上記と同一
【綾部市史:史料篇】1977
著者    綾部市史編さん委員会 編
出版者   綾部市
出版年月日 1977.1
 綾部藩九代藩主 九鬼隆都
  巡察記
 p8【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p8【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/8
  巡察記 解説
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/311
  巡察記 中
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/319
船井郡四村
〇中台村
〇新町村
〇質志村
〇三ノ宮村
 p326【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p326【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/326

 p327【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p327【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/327
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京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
佐藤信淵像(模本)
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「西三ノ宮城」跡、東麓の道一つ隔てた所に「東三ノ宮城」跡【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984

【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
著者    [丹波内藤会 編]
出版者   [丹波内藤会]
出版年月日 1984.7
 p1【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
〔画像〕p1【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/1

三ノ宮城 145
①船井郡瑞穂町三ノ宮
②③――
④山内孫太郎久豊
⑤山城
⑥本丸・石垣・井戸
⑦八〇m×一八m、標高二八〇m、比高三〇m
⑧―
⑨『丹波誌』『船井郡誌』

三宮小学校の裏、※現:金木犀(特養老人ホーム)
忠魂碑の右側から尾根道を上ると
「西三ノ宮城」跡があり、
東麓の道一つ隔てた所に
「東三ノ宮城」跡がある。

後者は見張台のような役割を
果たしていたものと思われる。
 三ノ宮城址・三ノ宮西城址
〔画像〕三ノ宮城址・三ノ宮西城址[Googleマップ]

町 立 三ノ宮小学校
不断寺 芦田哲雄
 郷土誌「三ノ宮」昭和56年発行
〔画像〕郷土誌「三ノ宮」昭和56年発行

『丹波誌』によると、
当城は山内孫太郎久豊の拠った城で、
山内三郎兵衛宅の背後にあり、
石垣跡・井戸跡もあるといっている。

また貝原益軒の『西北紀行』には、
「山内村あり、
 ※山内村あり。
 是土佐守山内氏の祖先の住めりし所なりと云ふ。
 ※是土佐大守山内氏の先祖の住めりし所也と云。
 此の辺茶種多し。
 ※此邊藥種おほし。
 沢瀉を田にうゑて利とす」とある。
 ※澤瀉を田にうへて利とす。
※【日本紀行文集成 第1巻】1979:下記
  諸州めぐり 西北紀行 巻之上
  貝原篤信記
  https://dl.ndl.go.jp/pid/12458164/1/66

本丸の北側には空堀があり、
それが竪堀となって下方まで続いている。

いまでは普断寺(※不断寺)との間が
道路で切断されてしまったため
旧観は失われてしまった。
なお、城主の子孫といわれる家が残っている。
 p77【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
〔画像〕p77【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/77
 丹波内藤会会員名簿
 (船井郡内)
内藤秀治 京都府船井郡丹波町須知新町41
     07718-2-0605
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/145
丹波内藤氏諸記録(第五集)
昭和五十九年七月発行
発行者 内藤  洋
    京都府船井郡日吉町胡麻
編集者 内藤元晴
    京都府船井郡園部町熊崎
編集者 内藤義一
    京都府船井郡日吉町志和賀
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/147
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【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
著者    貝原篤信 記
出版者   茨木多左衛門
出版年月日 正徳3 [1713]
 p11【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
〔画像〕p11【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
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三ノ宮城(三ノ宮村):山の内甚右衛門、弟小太夫等居住【山内首藤氏史料 第1巻】1967

【山内首藤氏史料 第1巻】1967
著者    前田泰男 編
出版者   前田泰男
出版年月日 1967
 p1【山内首藤氏史料 第1巻】1967
〔画像〕p1【山内首藤氏史料 第1巻】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/1

八 丹波 山内首藤氏族で
     系圖等は第一八項及び第九項参照。

  船井郡橋爪城(橋爪村)
  主に山内伊勢守通意あり、
  その一族山内將監通倫は、
  丹後與謝郡水部氏の聟となり、
  本庄・菅野両城主となる。
  また三ノ宮城(三ノ宮村)は
  山の内甚右衛門、弟小太夫等居住した。

  丹波志の
  天田郡條に
  「山内氏・子孫友淵村。紋丸に三ッ柏、
   赤井浪人と言ひ傳ふ。
   古家と雖、古の塚無し」、
  「山内氏、子孫河合村上河合、日向側坪ノ内に住す」

  氷上郡條に
  「山ノ内氏・大河村。
   古家、山の内甚右衛門、弟小太夫の貳人、
   船井郡三の宮城主也。
   浪人にて來住す」。
 p46【山内首藤氏史料 第1巻】1967
〔画像〕p46【山内首藤氏史料 第1巻】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/46
昭和四十二年七月三十一日印刷
呉市東片山町六八
前田泰男
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/72
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《小峰菊次郎》丹波町高岡出身・戦後 船井教員組合の執行委員長【親が子供に語る丹波の村落史】1983

【親が子供に語る丹波の村落史】1983
著者    湯浅貞夫 著
出版者   [湯浅貞夫]
出版年月日 1983.3
p3【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p3【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/3

p8【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p8【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/8

昭和初年に西本梅小学校には
小峰菊次郎という校長があった。

この人は今の丹波町高岡の出身で、
京都師範を卒業し
京都市梅屋校の校長や京都府視学となった人だが、
昭和十年頃は西本梅校長を務めていた。

戦後船井教員組合の執行委員長を務め
社会党の府会議員となった。

この人の伯母が野々口鶴之助の妻として
竹野から埴生に嫁して来ていた。
p60【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p60【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/60
親が子供に語る丹波の村落史
印刷・発行 1983年3月20日
著者 湯浅貞夫
編集 日本機関誌協会京滋地方本部
協力 京都市上京区新町丸太町上ル春帯町350
   TEL 075-231-3048
印刷 (株)京都機関誌印刷センター
   TEL 075-211-4651  1400円
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/120
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京都新聞
応仁の乱ごろ、京都中部に築かれた城があった 
ポンプ倉庫から発見、古文書まとめた歴史冊子
2024年12月1日 7:00
町塚葵
京都府京丹波町高岡の下村地区の歴史を、
地元の男性が冊子にまとめた。
応仁の乱前後に築かれたとされる
高岡下村城跡の解説をはじめ、
地元の古文書をひもといて
幕末から150年余りの郷土史を年表にまとめた。
年中行事なども写真を交え、今に伝えている。

編集したのは小峰章司さん(68)。
2022年に区長を務めた際、
「地元の遺跡や変わりつつある伝統を後世に伝えたい」
との思いで資料探しを始めた。
 ―略―
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【京都府学事関係職員録  大正11年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村字高岡
校 長 竹野村字高岡  松本 幹治
訓 導 同       小峰菊次郎
同   高原村字豐田  新江田素男
同   同       上田 立治
同   須知町字上野  山崎 英一
同   竹野村字高岡  船越 なか
同   同       野田作之進
同   竹野村字水戸  岸本  好
學校醫 須知町字須知  蘆田 耕平

【京都府学事関係職員録  大正13年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村
校 長 竹野村字高岡  德田 靜一
訓 導 竹野村字高岡  小峰菊治郎
同   高原村字豐田  新江田素男
同   竹野村字高岡  上原 光枝
同   竹野村字新水戸 高山  末
同   竹野村字高岡  飯田  幸
代用  須知町字新町  佐名木鳳一
同   竹野村字水戸  野々村ヨル
實補  竹野村字高岡 野田作之進
學校醫 須知町字須知  芦田 耕平

【京都府学事関係職員録  大正14年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村
校 長 竹野村     德田 靜一
訓 導 竹野村     小峰菊治郎
同   高原村     中南 義信
同   高原村     新江田素男
同   竹野村     佐井 三郎
同   竹野村     上原 光枝
同   竹野村     飯田  幸
實補  竹野村     野田作之進
學校醫 須知町字    芦田 耕平
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四谷左門町十三における賣文社 明治45年2月【堺利彦全集 第四卷】1933

【堺利彦全集 第四卷】1933
出版者   中央公論社
出版年月日 1933
  賣文社の思ひ出
明治四十五年二月、
四谷左門町十三における賣文社。
前列中央が堺利彦氏、
その左が眞柄さん、
後列 猫を抱けるが爲子夫人。
p5-1【堺利彦全集 第四卷】1933
〔画像〕p5-1【堺利彦全集 第四卷】1933
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912744/1/5

大正二年、京橋南佐柄木町三における賣文社。
前列左より二人目が堺利彦氏。
p5-2【堺利彦全集 第四卷】1933
〔画像〕p5-2【堺利彦全集 第四卷】1933
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912744/1/5

大正五年九月、
麴町永田町の賣文社。
坐せるが堺氏、その左が山川均氏。
p5-3【堺利彦全集 第四卷】1933
〔画像〕p5-3【堺利彦全集 第四卷】1933
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912744/1/5
昭和八年八月 十日印刷 堺利彦全集第四巻
昭和八年八月十六日發行 非賣品
著 者 堺  利彦
發行者 木田  開
    東京市麴町區丸ノ内二丁目二ノ一
印刷者 秋葉  信
    東京市牛込區市谷加賀町一ノ一二
發行所 中央公論社
    東京市麴町區丸ノ内一丁目
    丸ノ内ビルデイング五八八區
    振替口座 東京三四番
    電話 丸ノ内五三五~五三七
印刷所 株式会社 秀英舎
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912744/1/284
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岩崎革也君 四谷左門町五〇に卜居す【新仏教 15(11)】大正3年(1914)

【新仏教 15(11)】大正3年(1914)
出版者   新仏教徒同志会
出版年月日 1914-11-01
 p1【新仏教 15(11)】大正3年(1914)
〔画像〕p1【新仏教 15(11)】大正3年(1914)
https://dl.ndl.go.jp/pid/10986941/1/1

◎岩崎革也君
 四谷左門町五〇に卜居す。
 p44【新仏教 15(11)】大正3年(1914)
〔画像〕p44【新仏教 15(11)】大正3年(1914)
https://dl.ndl.go.jp/pid/10986941/1/44
大正三年十月三十日印刷納本
大正三年十一月一日發行
發行兼編輯人 境野  哲
印刷人    高島 大圓
印刷所    株式會社 秀英舎第一工場
       東京市牛込區市ヶ谷加賀町一丁目十二番地
發行所    新佛敎徒同志會
       東京市本郷區駒込片町十六番地
發賣所    鷄聲堂
       東京市小石川區原町六番地
大賣捌所   東京堂
       東京市神田區表神保町
       東海堂
       東京市京橋銀座四ノ一六
       北隆館合資會社
       東京市京橋元數寄屋町
廣告取次所  博報堂
       東京神田區三河町一ノ一九
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年06月22日05:48
丹波の岩崎革也 塩田庄兵衛
【近代京都のあゆみ】昭和61年(1986)
 ―略―
上京して社会主義運動と接触
これまでの岩崎茂三郎の経歴には、
もし関心を抱いていたとしても
おもて立って社会主義の影はみとめられないが、
その後新しい生活が展開する。
すなわち一九〇三(明治三十六)年四月、
子女を東京で教育するためという理由で、
一家をあげて上京し、
本籍も移して、
一九〇六年(明治39)まで主として東京に居住した。
その間一九〇三年(明治36)五月に、
名前を「革也」と改めた点に、
かれの思想状況がうかがわれる。
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《岩崎革也》長女を三輪田女学校に…一時、居を東京【高畠素之:日本の国家社会主義】1978

【高畠素之:日本の国家社会主義】1978
著者    田中真人 著
出版者   現代評論社
出版年月日 1978.11

 四谷時代の売文社(1911年4月)
 前列右より 高畠素之、堺利彦、堺真柄
 後列右より 高畠初江、堺為子、
       岡野陽之助、久板卯之助
(法律文化社『堺利彦全集』第4巻 口絵より)
 p5【高畠素之:日本の国家社会主義】1978
〔画像〕p5【高畠素之:日本の国家社会主義】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193797/1/5

  売文社=大正社会主義の中央センター
一九一一年(明治44)三月三一日、
堺利彦は東京を出発して、
大逆事件刑死者遺族歴訪の旅に出た。

その旅費のほとんどは、
京都府船井郡須知の岩崎革也が出資した。

岩崎は丹波須知の名望家で酒造業を継ぎ、
須知銀行の頭取でもあった。

その長女を三輪田女学校に入学させるために一時、
居を東京に移した。

このころ平民社に出入し、
一九〇四年(明治37)には
平民社維持基金募集に応じて、
七〇〇円という巨額の寄付をしたのをはじめ、
数々の物質的援助を与えた。

幼名の茂三郎をあらため革也を名のったのも、
この頃のことである。

彼は社会主義者というより、
藩閥官僚を憎む自由主義者であり、
中江兆民を尊敬した。

のち政友会所属の府会議員となったが、
堺との交友は続いていた。
 p40【高畠素之:日本の国家社会主義】1978
〔画像〕p40【高畠素之:日本の国家社会主義】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193797/1/40
高畠素之(たかばたけ もとゆき)
日本の国家社会主義
著 者/田中真人
検印省略
1978年11月20日初版
発行者/横山哲夫
発行所 株式会社 現代評論社
東京都中央区京橋3丁目7番4号
電話03(561)8701(代表)
振替(東京9-4419)
印刷/文唱堂印刷
製本/丸一製本
¥2000
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193797/1/181
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《京丹波町》京都府会議員被選挙人・選挙人名簿(明治14年③)上川芳実【京都学園大学論集 18(4)】1990

【京都学園大学論集 18(4)】1990
著者    京都学園大学学会 編
出版者   京都学園大学学会
出版年月日 1990-03
 p1【京都学園大学論集 18(4)】1990
〔画像〕p1【京都学園大学論集 18(4)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/1
  京都府会議員被選挙人・選挙人名簿
  (明治14年―その3) p84-95/97
   上川芳実
編者は、これまで二度にわたって、
京都府甲第九拾四号
「府会議員被選挙人名簿」壱~四のうち、
地租40円以上納入者について
覆刻・紹介してきた。1)
ところが、主として依拠してきた
京都府立総合資料館架蔵版には、
特に「被選挙人名簿 四」のうちの
加佐郡の部分に大きな落丁が認められ、
また同志社大学人文科学研究所架蔵版によっても
この欠は補えなかった。
これが大きな弱点となっていた。
今回、この「被選挙人名簿 四」の完全版と
「甲第九拾四号布達正誤」を入手した。
そこで、新たに地租30円以上納入者を紹介するとともに、
入手資料により
既に紹介した部分の補訂を果しておくことにする。
そして、府下の地租5円以上納入者の一覧表を
次のように訂正する。
なお、本名簿の史料的性格については
初回の解題を参照されたい。
1)拙編「京都府会議員被選挙人・選挙人名簿」
 (『京都学園大学論集』第13巻第2号・第15巻第1号、
  昭和59年(1984)12月および61年(1986)7月)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/84
  京都府会議員被選挙人・選挙人名簿(明治14年)
※郡区別
  府会議員被選挙人・選挙人名簿
[上京区][下京区][愛宕郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/85
[葛野郡][紀伊郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/86
[乙訓郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/87
[宇治郡][久世郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/88
[綴喜郡][相楽郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/89
[南桑田郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/90
[北桑田郡]
[船井郡] ※京丹波町のみ記載
永井儀兵衛  (58) 富田村
荒木源之丞  (44) 豐田村
太田弥左衛門 (48) 和田村
森本安兵衛  (33) 須知村
竹本 判治  (43) 橋爪村
永井 喜市  (41) 富田村
畑 長左衛門 (38) 鎌谷下村
北村徳之丞  (46) 質志村
伊藤熊太郎  (29) 中台村
山内久兵衛  (49) 坂井村
山下虎之助  (27) 豊田村
瀧村荘次郎  (48) 口八田村
山下栄之助  (40) 豊田村
小畠徳之丞  (48) 新水戸村
 p91【京都学園大学論集 18(4)】1990
〔画像〕p91【京都学園大学論集 18(4)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/91
[船井郡] ※京丹波町のみ記載
上田 源吉  (33) 豊田村
西野 又治  (32) 井脇村
細見小兵衛  (49) 豊田村
寺井幸三郎  (35) 富田村
岩崎 熊平  (22) 市森村
[何鹿郡][天田郡][与謝郡]
 p92【京都学園大学論集 18(4)】1990
〔画像〕p92【京都学園大学論集 18(4)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/92
[加佐郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/93
[中郡][竹野郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/94
[熊野郡]
* 訂正分
[下京区][愛宕郡][紀伊郡]
[乙訓郡][宇治郡][久世郡]
[綴喜郡][北桑田郡][天田郡]
[与謝郡][加佐郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/95
京都学園大学論集 第18巻 第4号
平成2年3月20日 印刷
平成2年3月25日 発行
編集者 京都学園大学学会
印刷所 中村印刷株式会社
    代表者 中村博泰
    600 京都市下京区七条御所ノ内中町50
    電話075-(313)-0468
発行所 京都学園大学学会
    〒621 京都府亀岡市曾我部町南条大谷
    電話07712-(2)-2001
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751222/1/96
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《京丹波町》京都府会議員被選挙人・選挙人名簿(明治14年②)上川芳実【京都学園大学論集 15(1)】1986

【京都学園大学論集 15(1)】1986
著者    京都学園大学学会 編
出版者   京都学園大学学会
出版年月日 1986-07
 p1【京都学園大学論集 15(1)】1986
〔画像〕p1【京都学園大学論集 15(1)】1986
  京都府会議員被選挙人・選挙人名簿
  (明治14年―その2) 上川芳実
京都「府会議員被撰挙人・撰挙人名簿」のうち、
前回(地租60円以上分)にひきつづいて、
地租40円以上納入者について紹介する。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/120
  第1表 京都府主要物産生産の推移
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/121
  第2表 京都府主要物産の郡別生産額
     (明治10年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/122
  第3表 京都府郡市別・農産品種別生産額
     (明治39年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/123
  第4表 京都府会議員被選挙人・選挙人名簿
     (明治14年)
※郡区別
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/124
  第5表 京都府大地主名簿
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/125
  府会議員被撰挙人・撰挙人名簿
[上京区][下京区][愛宕郡][葛野郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/126
[紀伊郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/127
[乙訓郡][宇治郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/128
[久世郡][綴喜郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/129
[相楽郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/130
[南桑田郡][北桑田郡]
[船井郡] ※京丹波町のみ記載
世木喜平治  (37) 市森村
森本万右衛門 (39) 須知村
 p131【京都学園大学論集 15(1)】1986
〔画像〕p131【京都学園大学論集 15(1)】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/131
[船井郡] ※京丹波町のみ記載
岩崎良右衛門 (40) 須知村
津田 金蔵  (43) 水呑村
篠塚格之進  (29) 実勢村
北村甚右衛門 (51) 豊田村
畑中 勘七  (51) 富田村
船越弁之丞  (50) 水戸村
高山治郎左衛門(42) 新水戸村
山内善五郎  (47) 豊田村
吉田九郎蔵  (36) 蒲生村
山内庄太郎  (44) 妙楽寺村
井上三左衛門 (50) 富田村
園田馬之助  (26) 上野村
平井 新助  (28) 上野村
近藤  環  (38) 橋爪村
北村作右衛門 (51) 実勢村
[何鹿郡][天田郡][与謝郡]
 p132【京都学園大学論集 15(1)】1986
〔画像〕p132【京都学園大学論集 15(1)】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/132
[加佐郡][中郡][竹野郡][熊野郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/133
京都学園大学論集 第15巻 第1号
昭和61年7月25日 印刷
昭和61年7月31日 発行
編集者 京都学園大学学会
印刷所 中村印刷株式会社
    代表者 中村博泰
    600 京都市下京区七条御所ノ内中町50
    電話075-(313)-0468
発行所 京都学園大学学会
    〒621 京都府亀岡市曾我部町南条大谷
    電話07712-(2)-2001
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751209/1/134
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《京丹波町》京都府会議員被選挙人・選挙人名簿(明治14年①) 上川芳実【京都学園大学論集 13(2)】1984

【京都学園大学論集 13(2)】1984
著者    京都学園大学学会 編
出版者   京都学園大学学会
出版年月日  1984-12
 p1【京都学園大学論集 13(2)】1984
〔画像〕p1【京都学園大学論集 13(2)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/1

京都府会議員被選挙人・選挙人名簿
(明治14年) 上川芳実
      1
今回紹介する
「府会議員被撰挙人名簿」
「府会議員撰挙人名簿」は、
明治14年3月1日現在の調査にかかる、
京都府会議員選挙のための名簿である。
この名簿には、
京都府会議員の選挙権、
被選挙権を有した人物の
姓名・本籍地・地租額・年令が掲載されている。
※地租額60円以上の者
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/69
  第1表 京都府会議員被選挙人・選挙人名簿
      (明治14年)
※郡区別
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/70
なお、本史料は
「府会議員被撰挙人名簿」
「府会議員撰挙人名簿」
各4冊という体裁となっている。
ここでは紙幅の都合もあるため、
60円以上地租納入者のみ覆刻することとし、
これを郡区ごとに地租額順に並べるという様に
掲載様式を変更した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/71

  府会議員被撰挙人・府会議員撰挙人名簿
[上京区][下京区][愛宕郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/71
[葛野郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/72
[紀伊郡][乙訓郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/73
[宇治郡][久世郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/74
[綴喜郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/75
[相楽郡][南桑田郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/76
[北桑田郡]
[船井郡] ※京丹波町のみ記載
辻 金右衛門(56) 上大久保村
山内九郎兵衛(46) 保井谷村
明田吉五郎 (25) 曾根村
山内三郎兵衛(36) 三宮村
前田 英吉 (21) 須知村
[何鹿郡][天田郡]
 p77【京都学園大学論集 13(2)】1984
〔画像〕p77【京都学園大学論集 13(2)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/77
[与謝郡][加佐郡][中郡][竹野郡][熊野郡]
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/78
京都学園大学論集 第13巻 第2号
昭和59年12月25日 印刷
昭和59年12月31日 発行
編集者 京都学園大学学会
印刷所 中村印刷株式会社
    代表者 中村博泰
    600 京都市下京区七条御所ノ内中町50
    電話075-(313)-0468
発行所 京都学園大学学会
    621 京都府亀岡市曾我部町南条大谷
    電話07712-(2)-2001
https://dl.ndl.go.jp/pid/1751204/1/79
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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