人物

《北村丑之助 嘉永二年生》船井郡高原村字豐田 劍道精錬證之部【大正武道家名鑑】大正10年

【大正武道家名鑑】大正10年
著者    村上晋 編
出版者   平安考古会
出版年月日 大正10
p2【大正武道家名鑑】大正10年
〔画像〕p2【大正武道家名鑑】大正10年

 劍道 精錬證之部
新陰流(明治四十一年精錬證受領)
大阪市北區北野小深町
柳生 勝當  慶應三年生
武德會(大正七年)
京都府船井郡高原村字豐田一三三
北村丑之助  嘉永二年(1849)生
大正十年八月一日 印刷
大正十年八月五日 發行
正 價 金壹圓貳拾錢
編纂者 村上 晋
    京都市上京區吉田町二本松
發行兼 井田時秀
印刷人 京都市下京區木津屋橋通堀川東入
印刷所 六條活版製造所
    京都市下京區木津橋通堀川東入
發行所 平安考古會
    京都市木津屋橋堀川東入
    電話下一一五四番
    振替口座 東京三五九二九番
         大阪二六二六七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《須知善一氏》たばこ神社探訪の旅の途次、冠岳大岩戸神社に立ち寄った【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977

【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977
著者    上田利男 著
出版者   国書刊行会
出版年月日 1977.2
p3【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977
〔画像〕p3【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12170251/1/3

冠岳・大岩戸煙草神社
鹿児島県串木野市
https://dl.ndl.go.jp/pid/12170251/1/18
冠岳大岩戸神社。
右はたばこ神社探訪の旅の途次、
大岩戸神社に立ち寄った須知善一氏。
p19【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977
〔画像〕p19【たばこの民俗:たばこ神社と旅館】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12170251/1/19

  佐賀県にもあったタカッポキセル
このタカッポキセルをふるまう風習は、
最近まで佐賀県三養基郡北茂安町の
若宮八幡で行なわれる儀式にも伝承されている。
昭和四十三年頃、
この地のたばこ伝承の採訪にでかけた
須知善一氏は、そのときの模様を
次のように記録している。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12170251/1/28
たばこの民俗  たばこ神社と旅館
昭和52年1月25日 印刷
昭和52年2月10日 発行 定価980円
著 者 上田 利男
発行者 佐藤今朝夫
制 作・松丸祐子・羽根田尚子
発行所 株式会社 国書刊行会
    〒170 東京都豊島区巣鴨3-5-18
    電話(917)828(代表)
    振替・東京5-65209
印 刷・セイユウ写真印刷(株)
製 本・青木製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12170251/1/129
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大連では須知善一さんという…随分お世話になりました【川端康成とともに】川端秀子 著1983

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年02月22日07:30
【須知史考】須知同族会 昭和31年(1956)
【須知史考】昭和31年(1956)
著者    須知弘, 須知善一
出版者   須知同族会
出版年月日 昭和31
昭和三十一年四月十日編
  京都府丹波国船井郡丹波町字上野
     本家  須知  弘
     分家  須知 善一
   一族名簿(判明せる分)
京都府船井郡丹波町  須知 弘
京都府丹波国亀岡市  須知善一
    ―略―
昭和三十一年四月十五日印刷
昭和三十一年四月二十日発行
編 者 須知  弘
    須知 善一
発行人 須知 安二
    須知喜一郎
印刷人 須知 久野
    京都市東山区東大路松原上ル
            月輪町九四
印刷所 協和印刷株式会社
発行所 須知同族会
    事務取扱 須知善一
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【大連ダンスホールの夜】1994
著者    松原一枝 著
出版者   荒地出版社
出版年月日 1994.10
p3【大連ダンスホールの夜】1994
〔画像〕p3【大連ダンスホールの夜】1994
https://dl.ndl.go.jp/pid/13231164/1/3
するとある須知姓のひとが、
須知一族は同族会を結成。
「須知史考」という
一族の歴史を書いたものがある、という。
幸い手に入りみることができた。
須知族の祖は、古事記まで遡る。
時代を下って、平治物語、吾妻鏡、
今東光の小説にも登場する。
丹波町に須知城跡をもつ一族の
おびただしい歴史上の足跡が、
丹念に記述されている。
編集後記に、
史料提供及び多大の尽力を賜ったとして、
須知一族三名の筆頭に故須知善一氏の名が挙げてある。
やはり須知氏は健在であったのだ。
生、死の問題ではない。
編集をした須知弘氏(京都丹波町)に電話する。
「史料その他の打ち合わせのため幾度も、
 茨木の須知善一はんを訪ねました。
 仰山、本があったのを覚えています。
 その頃は海上火災の保険勧誘員してはった、
 原稿ははようにでけてましたが出版が遅れて、
 善一はんはその三、四年前に鳥取の娘はんの所へいき
 亡くならはりました。
 遺族の方の交流はあらしません」
本の上梓は昭和六十年となっている。
    ※昭和60年(1985)
とすると須知氏は昭和五十五、六年頃に亡くなった。
中岡の死亡と前後しているのだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13231164/1/93
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【中世の城と考古学】1991
著者    石井進, 萩原三雄 編
出版者   新人物往来社
出版年月日 1991.12
(35)須知弘氏所蔵の
「須知城図面」(文化五年〈一八〇八〉作成、
『須知史考』二、須知弘執筆、一九八〇年)
             ※昭和55年(1980)
遺構形態が明らかに「上野城」と合致する。
文化年間、地元には須知城と呼称していたことがわかる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13136139/1/176

【京都府資料目録 : 昭和58年8月末日現在】
著者    京都府立総合資料館 編
出版者   京都府立総合資料館
出版年月日 1984.3
   343 丹波町
     歴史・地誌
16575 須知史考 第3巻、4巻 須知町 須知同族会
    昭和55,56 2冊 21cm
    [K343-291,62-Sh99-3,4]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12160657/1/440
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【川端康成とともに】1983
著者    川端秀子 著
出版者   新潮社
出版年月日 1983.4
p3【川端康成とともに】川端秀子 著1983
〔画像〕p3【川端康成とともに】川端秀子 著1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/12462807/1/3

大連では須知善一さんという、
大豆の買いつけなどを商売にしている人に
随分お世話になりました。
おそらく特務機関などから情報があったのでしょう、
何も理由は言わずにただ早く帰れ早く帰れ、
と来るたびにおっしゃるのです。

そんなこと言ったって切符はとれないし、
と申しますと、
切符がとれたら船でもいいですかと念をおして、
船の切符をとってくれました。

それで大連から吉林丸に乗って急遽帰ることになり、
(昭和16年)十一月三十日に神戸に着きました。
後になって、須知さんが、
(昭和16年)十二月一日開戦という情報があって
気が気でなかったのです、
と教えてくれました。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12462807/1/76
軍機密ですから私たちには言えず、
おつらかったことでしょう。
須知さんは戦時中、
時折コーヒーやチョコレートを送ってくださいました。
そのコーヒーを軽井沢で鳩山一郎さんにさしあげて
とても喜ばれたことなども懐かしく心に残っています。

  十三
私たちが帰国してすぐ
(昭和16年)十二月八日の開戦となりました。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12462807/1/77

[川端家系圖](川端香男里 作成)
p111【川端康成とともに】川端秀子 著1983
〔画像〕p111【川端康成とともに】川端秀子 著1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/12462807/1/111
川端康成とともに 定価一二〇〇円
昭和五十八年四月五日 印刷
昭和五十八年四月十日 発行
著 者 川端秀子
発行者 佐藤亮一
発行所 株式会社 新潮社
    〒一六二 東京都新宿区矢来町七一
    業務部(03)266-5111
    編集部(03)266-5411
    振替 東京4-808
印刷所 東洋印刷株式会社
製本所 株式会社 大進堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/12462807/1/112
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《甘露寺保育園》和知町上和知 樋口宥性<曹>【仏教大年鑑 1961】昭和35年(1960)

【仏教大年鑑 1961】1960
出版者   仏教大年鑑刊行会
出版年月日 1960

京都府 船井郡
甘露寺保育園 和知町上和知
       樋口宥性<曹> 甘露寺

福昌寺保育園 和知町広瀬土岡65
       西村光雄<曹> 福昌寺

竜心寺保育園 和知町安栖里堂ノ成
       長沢悟法<曹> 竜心寺

京都府 福知山市
竜雲寺保育園 雲原村575(雲原19)
       塩見正道<臨妙>竜雲寺
p191【仏教大年鑑 1961】1960
〔画像〕p191【仏教大年鑑 1961】1960
https://dl.ndl.go.jp/pid/2992460/1/191
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【全国寺院名鑑】昭和5年(1930)
著者    全国寺院名鑑発行所 編
出版者   全国寺院名鑑発行所
出版年月日 昭和5年(1930)1月15日

甘露寺(曹、法地) 船井郡上和知村
樋口宥性
https://dl.ndl.go.jp/pid/1917916/1/238

福昌寺(曹、法地) 船井郡下和知村
西村活道
https://dl.ndl.go.jp/pid/1917916/1/260

龍心寺(曹、法地) 船井郡下和知村
長澤悟法
https://dl.ndl.go.jp/pid/1917916/1/266

西岸寺(曹、法地) 船井郡檜山村
蒔那喚道
https://dl.ndl.go.jp/pid/1917916/1/243
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[戦後80年・私と敗戦]横田早紀江さん 疎開先 京丹波町の龍心寺:龍心寺等が朱雀第一国民学校の疎開を受け入れ【和知町誌 第2巻】1994

新潟日報 デジタルプラス
[戦後80年・私と敗戦]横田早紀江さん 
9歳だったあの夏、疎開先のひもじさ一転、希望に
   2025年08月04日 05時10分 新潟日報
疎開先での写真を手に当時の苦労を語る横田早紀江さん
 暑い一日だった。9歳だった私はあの日、
疎開先で現在の京都府京丹波町の龍心寺にいた。
鬼ごっこだったろうか、友達と寺の庭で遊んでいた。
突然、雑音と共に大きな音量の声がラジオから聞こえてきた。
厳かだが、何を言っているのかまったく理解できなかった。
ただ住職さんや先生ら大人が神妙な顔つきで
聞き入っていたのを思い出す。
 疎開先の現京都府京丹波町で学友との記念撮影-00
〔画像〕疎開先の現京都府京丹波町で学友との記念撮影-00
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【和知町誌 第2巻】1994
著者    和知町誌編さん委員会 編
出版者   和知町
出版年月日 1994.3
 p4【和知町誌 第2巻】1994
〔画像〕p4【和知町誌 第2巻】1994
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/4
  四 学童疎開
昭和二十年三月三十日、
上和知村は京都市七条第二国民学校の
集団疎開児童一六〇余名、
付き添い訓導八名を受け入れ、
子供たちは村内各寺院を寮として本校に学んだ。
善入寺・祥雲寺・甘露寺・長泉寺・東月寺の
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/428
五寮は本校に、
地蔵院・昌福寺の二寮は下粟野分校に通学した。
昭和二十年八月十五日終戦となり、
十月十八日集団疎開児童は帰校した(「事務報告」)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/429

下和知村は朱雀第一国民学校の疎開を受け入れ、
龍福寺・太虚寺・龍心寺・東寓寺・
長源寺・福昌寺・曹禅寺・
坂原区公民館がそれぞれ寮舎に充てられた。

 表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
 表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
〔画像〕表256 学童集団疎開受け入れ(昭和20年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13163659/1/429
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《坂部行雄》高原小、蒲生野中、須知高を経て金沢大大学院修士課程修了(村田製作所執行役員)(2003年3月2日京都新聞掲載)

kyotoshimbun いま、ふるさとの君たちへ
2019/5/7(PDF印刷を行った日)

  丹波発 ふるさとの君たちへ
雷、振り子に「なぜ?」
考え、考え、自ら納得
坂部 行雄さん(村田製作所執行役員・京都市)
(平成15年(2003)3月2日掲載)

3歳にもなっていなかったある日、
夕立で雷が落ちたと聞きました。
6歳上の姉にせがみ、
土砂降りの中を九手神社(京丹波町豊田)まで
背負って連れて行ってもらいました。
落雷のあった電柱を見上げ、
「雷がおらん。早く連れてきてくれなかったからだ」
と姉を困らせたことを思い出します。
これが自然に対する好奇心の始まりかもしれません。
物を見て「何で?」とうるさい子どもだったようです。

高原小(現丹波ひかり小)まで自宅から約4キロ。
今の健康は、通学で鍛えられたおかげです。
理科室が、科学への興味の原点です。
ガラス戸棚に並ぶ教材は種類が多く、
触れたくて仕方なかった。
キュリー夫人ら科学者の実験を描いた
ポスターも張ってありました。

なかでもフーコーが揺れるシャンデリアを見上げる姿が
格好よかったが意味が理解できず、
「なぜだろう」と考え続けていました。
修学旅行で東京の国立科学博物館に行き、
高い天井からゆったりと揺れる振り子を見て
霧が晴れるように理解できたことを思い出します。

このころ、担任の山田博三先生から
太陽、月、地球の運行模型、
水面での光の屈折、摩擦による静電気など
楽しい実験を見せてもらいました。
高原小は統合されましたが、
教材がどこかに引き継がれていることを
願わずにいられません。

[写真]
米セラミックス学会でフェローの称号を贈られる
(左=2000年・米セントルイス市)

「木とボルトは同じ温度なのに、
 ボルトに触れるとなぜ冷たいのか」。
蒲生野中では、樋口恒夫先生から
木造校舎に飛び出していたボルトを示され、
興味深い質問を通じて高度な興味を植え付けていただきました。

本で知っていても実体験までは時間がかかりました。

初めて海を見たのは小学6年。
宮津の由良海岸は想像より大きく、
水は塩辛く、水平線のわずかな湾曲に地球を実感。
感動して眺めました。

臨界点に達するまで考え続ければ、
自然がヒントを与えてくれます。
今は、いや応なく目と耳から絶え間なく情報が入り、
想像を温める余裕がなくなっているのでしょう。
坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _1
〔画像〕坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _1

私は、電流をためたり流したりするコンデンサを小型化し、
安く量産するための研究をしてきました。
パソコンや携帯電話に欠かせぬ部品です。
1ミリにも満たぬ大きさですが、
地道な研究と「だれもやっていないものを創る」
という技術者の情熱を蓄積しています。

子どもの好奇心は自然教育環境からの刺激に揺さぶられ、
創造力の源泉になります。
幸い、口丹波には豊かな自然があります。
おう盛な好奇心で科学技術を志す諸君にエールを送ります。
(平成15年(2003)3月2日掲載)

 さかべ・ゆきお
昭和20年(1945)高原村(現京丹波町豊田)生まれ。
高原小、蒲生野中、須知高を経て金沢大大学院修士課程修了。
村田製作所入社、セラミック積層コンデンサ開発などに従事。
京都大学工学博士。
東京大学、大阪大学など非常勤講師。
日本セラミックス協会副会長。
京都市西京区在住。
坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _2
〔画像〕坂部行雄さん[村田製作所-kyotoshimbun] _2
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月20日09:08
田中哲郎教授:[清流]第24号:《弔辞》椹木義一 p3
[村田恒夫]
村田製作所代表取締役社長
1951年、京都府生まれ。創業者・村田 昭の三男。
同志社大学経済学部卒業後、村田製作所入社。
同社ドイツ現地法人社長などを経て、'89年に取締役就任。
2007年より現職。'12年に向けた中期経営計画を進めている。
「当社はベンチャーとして出発しました。
その際、京都大学の先生とのお付き合いがあったからこそ、
事業を拡大できたと思います」と、理科少年集団のドン・村田恒夫氏。
1950年の会社設立当時には、
京都大学工学部の田中哲郎教授とともにチタン酸バリウムを使った
セラミックコンデンサを開発。
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《上田千秋》三ノ宮小、瑞穂中、須知高を経て早稲田大卒(NHK横浜放送局放送部長)(2002年4月14日京都新聞掲載)

kyotoshimbun いま、ふるさとの君たちへ
2019/5/7(PDF印刷を行った日)

陣地取りやアケビ採集
「山猿」の遊び満喫
学級新聞、記者の原点
上田 千秋さん(NHK横浜放送局放送部長・横浜市)
(平成14年(2002)4月14日掲載)

いよいよサッカーのワールドカップが開幕します。
私の勤務先のある横浜では、
決勝戦など4試合が行われます。
感動を世界に向けて発信するため、
横浜放送局も今、準備にラストスパートをかけています。

故郷というと、思い浮かぶのはやはり丹波の山々です。
ちょうど今の時季と重なりますが、
まぶしい新緑の若草色が、
目を閉じるとはっきりと浮かんできます。
友だちと瑞穂町の自宅近くの稲荷山を駆け巡って
陣地とり合戦をしたり、
隠れ家でアケビの甘い実を味わったり、
「山猿」の生活が楽しくて仕方がありませんでした。

前谷山などで山の作業の手伝いもしました。
植林、下刈り、枝打ち、材木の運搬…。
秋にはマツタケ採りに行きました。
ようやく見つけた時の感激は忘れません。

作業の合間に父や祖父といろいろな話をしたものです。
父は学徒出陣でフィリピンに出征経験がありました。
よく話題になったのは、太平洋戦争です。
私の質問は「なんで日本は負けたんやろか」で、
父は経験を踏まえ、
「アメリカは物量が豊富で科学技術が圧倒的に優位やった」
などと答えてくれました。

机、いす、棚、ベッドなど、当時、
ほしい物があれば自分で工夫して作っていました。
近くにスーパーなどはありませんでした。
幸い自宅の周りに材料になる板切れや棒切れがたくさんあり、
のこぎりや かなづちを握って、
一日中工作に没頭しました。

NHKに入ってから大半を記者として仕事をしてきました。
記者が面白いのではと思い始めたきっかけは、
瑞穂中学時代の学級新聞作りにあったような気がします。
当時の太田敏博町長にインタビューしたり、
瑞穂病院をルポしたり、
アンケートを記事にしたりしました。
すると、いつもは厳しい担任の中村隆先生が一言。
「足で書いた記事が光っている」。
この言葉が心のどこかに残っていたのでしょうか。
上田千秋さん[NHK-kyotoshimbun] _1
〔画像〕上田千秋さん[NHK-kyotoshimbun] _1

丹波は都会に比べ、さまざまなハンディもありますが、
自然が豊かで人情あふれる故郷に誇りを持ってほしい。
丹波で培われた自分の個性・持ち味を大切にしてほしい。
そして本を読んだり、いろいろな場所を訪ね、
常に視野を広く持って、
世界を見る目を養ってほしいと思います。
(2002年4月14日掲載)

 うえだ・ちあき
1949年(昭和24年)瑞穂町妙楽寺出身。
三ノ宮小、瑞穂中、須知高を経て早稲田大卒。
NHKに記者として入局。
気象・災害、都市問題、スポーツ、皇室など担当。
大阪放送局時代はキャスターとして
「マナとカナの子どもニュース」も担当。
横浜市在住。
上田千秋さん[NHK-kyotoshimbun]_2
〔画像〕上田千秋さん[NHK-kyotoshimbun] _2
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年06月12日10:30
[昭和50年現在住宅図(三ノ宮地区)]
郷土誌「三ノ宮」昭和56年発行
[昭和50年現在住宅図-3]妙楽寺・粟野
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【早稲田大学校友名簿:会社別 1979年】
出版者   稲門名簿刊行会
出版年月日 1979.4
 日本放送協会(NHK)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243340/1/355
上田 千秋(昭和49年 法学部)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12243340/1/357
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《永武幸子:京都府登録手話通訳者》京丹波町農業委員会 専門幹「地域計画の実現を目指して」令和7年3月5日

第20回女性の農業委員会活動推進シンポジウム
令和7年3月5日 資料
~最小人数の事務局を救うのは委員!
 農業連携活動記録簿~

全国農業委員会職員協議会  会長
京都府農業委員会職員研究会 会長
農業者年金広域推進協力員
京丹波町農業委員会 専門幹 永武幸子
地域計画の実現目指して(京丹波町)_00001
〔画像〕地域計画の実現目指して(京丹波町)_00001

⑤町内全域 集落単位で現況地図が完成!
 集落の話合い深まる!…
 令和5年12月末時点
地域計画の実現目指して(京丹波町)_00005
〔画像〕地域計画の実現目指して(京丹波町)_00005

⑬京丹波町農業委員会の役員5人衆
 本日の参加委員を紹介します!
 山田 進 会長
 川邊隆夫 職務代理者
 松野堯俊 農政部会長
 岩崎弘一 農地部会長
 宇野栄晃 広報部会長
地域計画の実現目指して(京丹波町)_00014
〔画像〕地域計画の実現目指して(京丹波町)_00014

⑭「農業者年金」は、男性だけでなく女性にこそ必要!
ア 平均寿命と健康寿命
(1)2022年  厚生労働省発表(2021年の数値)
   平均寿命 81.47年(男性)
        87.57年(女性)
   2022年版 高齢社会白書(2019年の数値)
   健康寿命 72.68歳(男性)
        75.38歳(女性)

(2)2024年度 年金額
   国民年金 満額1人分      68,000円/月
   厚生年金 平均:夫婦2人分 230,000円/月

★「2022年家計と貯蓄に関する調査」
  ゆうちょ財団実施による
 65歳以上の高齢者世帯で公的年金で賄えると
 回答したのはわずか2割

 2040年代の受給額は8割に減額…推計値

★平均・健康寿命ともに長いのは女性
 ⇒できる範囲で資産形成が必要

イ 女性に多い3号被保険者

ウ 遺族厚生年金(夫婦ともに年金受給者)

エ 年金世帯の生活事情

農業者年金の受給額試算で計画できます。
地域計画の実現目指して(京丹波町)_00016
〔画像〕地域計画の実現目指して(京丹波町)_00016

徒然なるままに…女性委員(女性局員)って特別なん?

名 前 永武幸子(ながたけ さちこ)
府県名 京都府
所属等 京丹波町 農業委員会
略歴等
意外?な経歴

基本理念
「事務局が理解できないことは、
 委員はさらに理解できない」

特記事項
全国で最もシニア事務局に在籍
コミニュケーション力…常時発進中
特に犬には好かれています
京都府登録手話通訳者、
京都府登録要約筆記奉仕員
「民間歴何年ですか?」
なぜか毎回聞かれます(笑)
地域計画の実現目指して(京丹波町)_00017
〔画像〕地域計画の実現目指して(京丹波町)_00017
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《現 京丹波町》第三回内国勧業博覧会出品目録(明治24年)【明治前期産業発達史資料:勧業博覧会資料 133】1974

【明治前期産業発達史資料:勧業博覧会資料 133】1974
出版者   明治文献資料刊行会
出版年月日 1974
 昭和四十九年十月刊
 明治前期産業発達史資料 勧業博覧会資料 133
 第三回内国勧業博覧会出品目録(事務局)
 第三部Ⅱ 明治二十四年
 明治文献史料刊行会
p3【勧業博覧会資料 133】1974
〔画像〕p3【勧業博覧会資料 133】1974
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/3

  京都府 第三部 第一類
 ▲米(二)
 ▲大麥(二)
米(一)   丹波國船井郡高原村  上田 源吉
米(一)   丹波國船井郡高原村  永井軍次郎
米(一)   丹波國船井郡高原村  畑中 理吉
 ▲靑大豆(二)
米(一)   丹波國船井郡高原村  井上佐五兵衞
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/9
 ▲黑大豆(二)
黑大豆(一) 丹波國船井郡竹野村  原澤源左衞門
小豆(一)  丹波國船井郡質美村  三好 彌藏
黑大豆(一) 丹波國船井郡須知村  明田吉五郎
 ▲小豆(二)
楮皮(一)  丹波國船井郡猪鼻村  梅垣籾之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/11
 ▲紡績綿絲
菜種(一)  丹波國船井郡三ノ宮村 山内三郎兵衞
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/13
 ▲椋葉(二)
棕櫚皮(一) 丹波國船井郡三ノ宮村 北村德之丞
楮皮(一)  丹波國船井郡下和知村 片山 茂吉
 ▲楮皮(二) ▲製楮(三)
桑苗(一)  丹波國船井郡檜山村  西野 繁藏
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/14

  京都府 第三部 第二類
 ▲天蠶絲(二)
生絲(一)  丹波國船井郡三ノ宮村 辻原製絲社
生絲(一)  丹波國船井郡須知村  谷  新助
生絲(一)  丹波國船井郡上和知村 和知榮進社長
                 山本 喜藏
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/17

  京都府 第三部 第三類
 ▲紅茶(二)
茶(一)   丹波國船井郡高原村  田中半之丞
茶(一)   丹波國船井郡高原村  山下榮之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/25
紅茶(一)  丹波國船井郡須知村  田端 宗吉
茶(一)   丹波國船井郡須知村  市村彦太郎
紅茶(一)  丹波國船井郡須知村  五郡茶業組合聯合
                 紅茶傳習所
茶(一)   丹波國船井郡高原村  港 庄太郎
茶(一)   丹波國船井郡高原村  上田松之助
茶(一)   丹波國船井郡須知村  大久保重三郎
茶(一)   丹波國船井郡高原村  北村米治郎
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/26
 ▲淸酒(二)
栗(一)   丹波國船井郡下和知村 樋口 吉助
 ▲醬油(二)
赤味噌(一) 丹波國船井郡須知村  岩崎幾右衞門
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/27

 ▲鑵詰松蕈(二) ▲粕漬濕蕈(三)
漬松蕈(一) 丹波國船井郡須知村  岩崎昌太郎
漬松蕈(一) 丹波國船井郡須知村  谷  嘉吉
漬松蕈(一) 丹波國船井郡須知村  高谷安兵衞
漬松蕈(一) 丹波國船井郡須知村  谷  新助
蜂蜜(一)  丹波國船井郡上和知村 中道 源助
蕨粉(一)  丹波國船井郡梅田村  山内 嘉藏
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/28

  京都府 第三部 第六類
 ▲栗丸太(二)
松材(一)  丹波國船井郡檜山村  山本 寅吉
 ▲シデ材(二)
櫻炭(一)  丹波國船井郡梅田村  辻 幸太郎
朴炭(一)  丹波國船井郡三ノ宮村 前田彌三郎
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/29
明治前期産業発達史資料
 勧業博覧会資料 133
 (第743回配本)
昭和四十九年十月二十日発行
頒価 三、二〇〇円
編集兼発行者 藤原 正人
印刷所   (株)文献印刷
       東京都板橋区中丸町二九ノ八
発行所    明治文献史料刊行会
       東京都豊島区池袋二丁目一〇七〇番地
       振替口座・東京三六二九〇番
昭栄堂製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000028/1/141
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年10月26日04:30
[京丹波の夢追人・永井吉幸さん]
夢追人~農に生きる~
KBS京都TV・平成30年10月13日
壁には明治時代の博覧会で、
※永井斧八(永井吉幸氏の高祖父)
昔からおいしいお米を作り続けているんですね~
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年10月03日07:33
『現・船井郡京丹波町』【丹波物産会報告. 第1回】明治21年
米  二等賞 丹波國 船井郡 豊田村   永井斧八
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《狩獵乙種三等免狀》遺失ノ旨届出 船井郡下和知村字阪原一番戸 平民農 出野與市【京都府令達全書 明治32年】

【京都府令達全書 明治32年】
出版者   中西印刷
出版年月日 明33-36
p1【京都府令達全書 明治32年】
〔画像〕p1【京都府令達全書 明治32年】

◎告示第百八十七號 六月八日
一 狩獵乙種三等免狀 一枚 番號 第四一四二三號
  三十一年十一月十六日下附
右 船井郡下和知村字阪原一番戸
  平民農 出野與市ヘ下附ノ處
  本年四月二十五日 同郡同村同山林ヘ出獵中
  遺失ノ旨届出タルニ付
  該免狀ハ自今無効トス
明治三十三年二月十七日印刷
明治三十三年二月二十日發行
發行兼 中西 嘉助
印刷者 京都市上京區下立賣通小川東入
    西大路町十番戸
印刷所 中西活版所
    京都市上京區下立賣通小川東入
    西大路町十番戸
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