医師・歯科医師・看護師

《大樋善信》【柳絮地に舞ふ:満洲医科大学史】1978.6

【柳絮地に舞ふ:満洲医科大学史】1978.6
出版者   輔仁会満洲医科大学史編集委員会
出版年月日 1978.6
 【柳絮地に舞ふ:満洲医科大学史】p6
〔画像〕【柳絮地に舞ふ:満洲医科大学史】p6
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115864/1/6
 洋楽部の歴史 井口洋一(大十二)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115864/1/284
 部員名簿
大学 十六
占部亀雄・小野田洋一・
大樋善信・小西淳・原田潤蔵・望月昻
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115864/1/286
大學十六回
一、入学年月日 昭和十二年四月
一、入学当時の学友名、
〇甲組(今川伊介先生担任)
 山田・小林・村上・鹿野・藤田・大西・永友・
 青地・前田・泊・三木・望月・福島・本庄・
 水俣・木村・小野・慶居・小西・黒岩・成田・
 松永(清)・高松・井上・安広・辻・武田・
 大樋・酒井・吉成
 中国人九名
〇乙組(西村源吉先生担任)
 森重・金・山本・豊田・柳沢・福家・原田・
 小野田・安天佑・占部・牧野・松本・川口・
 三宅・盂・小田島・繁富・高野・永田・呉・
 北本・張・波田・河原・鈴木・浅川・松永(嵩)
 平田・戸田・三村・葉・陳快
クラスの名簿が見当らず入学後
第一回クラス会の写真をたよりに拾いあげた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115864/1/478
柳絮地に舞ふ 滿洲醫科大學史
昭和五十三年五月二十五日 印刷
昭和五十三年六月 一 日 発行
    非売品
発 行 輔仁会
    滿洲醫科大學史編集委員会
    横浜市港北区日吉本町一九六六
    日吉病院内
編集人 熊田正春
印 刷 一ツ橋印刷株式会社
    東京都品川区上大崎三ノ十二ノ十五
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115864/1/777
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年07月01日14:05
《大樋善信》四日市逓信診療所・須知病院・伊香病院・
大樋外科医院【伊勢年鑑 昭和23年版】等
[須知病院]京都府船井郡丹波町
【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
京都府 船井郡
◇須知病院  丹波町
《大樋 善信》外科 石川県出身
大正9年4月10日生
昭和18年 満州医科大学卒
登録110315号
昭和28年4月 学位受領※博士號所有
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船井郡京丹波町(現)【日本医籍録 第19版】昭和26年

【日本医籍録 第19版】昭和26年
著者    医学公論社 編
出版者   医学公論社
出版年月日 昭和26年
◎船井郡
《畑  秀巳》 内小科 畑醫院
梅田村鎌谷 本府出身
明治40年7月15日生
昭和8年 京都府大卒
登録 70552號

《畑   精》内外小科 畑醫院
梅田村鎌谷
大正10年7月10日生
昭和18年 京大專卒
登録107577號

《岡田  寛》内外科 原澤醫院
下和知村 石川縣出身
大正12年12月15日生
昭和19年 金大卒
登録113483號
p510【日本医籍録 第19版】昭和26年
p510【日本医籍録 第19版】昭和26年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708338/1/510
《吉田 花子》内小外科 @本病院
須知町蒲生 大阪市出身
明治44年3月11日生
昭和8年 大阪女專卒
登録72051號

《高谷雄次郎》内小科 高谷醫院
檜山村橋爪 本府出身
明治36年8月14日生
昭和3年 京大卒
登録58548號

《山崎 舜也》内外科 山崎醫院
須知町 本府出身
明治28年3月2日生
大正9年 京府專卒
登録45594號
卒後 縣立神戸病院勤務後 大阪市ニ開業
昭和11年4月 現地移轉
趣味 短歌

《古田 榮子》内産婦科 古田醫院
竹野村高岡 本府出身
明治24年6月16日生
大正5年 東女專卒
登録40717號

《藤岡  惇》外内科 隅山醫院
下和知村 德島縣出身
大正12年4月14日生
昭和20年 旅順專卒
登録119247號

《城崎 隆夫》内外科 城崎醫院
上和知村 三重縣出身
明治21年8月15日生
大正4年 日醫專卒
登録38157號

《鹽田 敏子》産婦内科 荒井醫院
須知町 本府出身
大正1年8月26日生
昭和10年 東女專卒
登録76078號

《隅山  茂》内小科 隅山醫院
下和知村 本府出身
明治29年8月22日生
大正13年 大阪醫大卒
登録52325號
p511【日本医籍録 第19版】昭和26年
p511【日本医籍録 第19版】昭和26年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708338/1/511
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[国保直営 和知診療所]京都府船井郡和知町本庄【日本医籍録 第24版(昭和31年)】

【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
著者    医学公論社 編
出版者   医学公論社
出版年月日 昭和31年
京都府 船井郡
◇国保直営 和知診療所
 和知町本庄 電話和知112
《隅山  茂》院長 内小科 本府出身
明治29年8月22日生
大正13年 大阪医大卒
登録52325号
母校 小沢内科教室ニ研究、
堺市立公民病院 内科勤務、
昭和2年 父祖6代ノ医業継承、
昭和26年 開業后現職
前郡医会長 府国保審査委員
国保連直診医師部会長
船井地区結核審査委員
趣味 謡曲 囲碁 盆栽
自宅電話36

《城崎 隆夫》内外科 三重県出身
明治21年8月15日生
大正3年 日医校卒
登録36173号
東京小石川区 三浦侍医頭ニ師事 内科研究
大正4年 静岡県横須賀病院勤務、
大正5年 三重県阿賀郡ニ開業、
大正15年 移転、
昭和26年 現職
趣味 園芸
自宅電話51

《岡田  寛》内外科 石川県出身
大正12年12月15日生
昭和19年 金大卒
登録 昭和19年11月7日 第113483号
海軍軍医学校入学、軍医、
昭和20年10月 復員、
茨城県財団法人結核療養所、
鹿島療養所等勤務、
昭和22年 現地開業、
昭和26年 現職

《田代  収》産婦人科 島根県出身
昭和2年2月23日生
昭和26年京都府立医科大学卒
登録 昭和27年5月 第143956号
松江赤十字病院 産婦人科勤務、
昭和29年 母校 産婦人科教室ニ研究、
昭和29年6月 現職

《中沢  弘》内科 兵庫県出身
大正15年2月19日生
昭和25年 京都府立医科大学卒
登録 昭和26年9月 第137010号
母校 微生物学教室ニ研究
母校 細田内科研修員、
昭和26年9月 京都伏見醍醐 同和園診療所勤務、
昭和29年11月 現職
昭和30年1月 学位受領(母校)※博士號所有
主論文「ナイセリア属ノビタミン要求ニ就テ」
趣味 囲碁 将棋 麻雀 テニス
p719和知診療所【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
p719和知診療所【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8798104/1/719
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《大樋善信》四日市逓信診療所・須知病院・伊香病院・大樋外科医院【伊勢年鑑 昭和23年版】等

【伊勢年鑑 昭和23年版】
著者    伊勢新聞社 編
出版者   伊勢新聞社
出版年月日 1948
《大樋善信》 大正9年生
 滿洲醫大卒、四日市遞信診療所醫師、
 四日市追分前田町北部二七六
 (石川縣)
p222【伊勢年鑑 昭和23年版】
p222【伊勢年鑑 昭和23年版】
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[須知病院]京都府船井郡丹波町
【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
京都府 船井郡
◇須知病院  丹波町
《大樋 善信》外科 石川県出身
大正9年4月10日生
昭和18年 満州医科大学卒
登録110315号
昭和28年4月 学位受領※博士號所有
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【滋賀年鑑 1963年版】昭和37年
出版者   滋賀日日新聞社
出版年月日 1962
伊香病院 (内小呼外耳眼理)
伊香郡木之本町木之本 電話木之本15
院長 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/3002691/1/207

【滋賀年鑑 1964年版】昭和38年
出版者   滋賀日日新聞社
出版年月日 1963
伊香病院
伊香郡木之本町木之本 電話木之本15
院長 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/3002692/1/190

【滋賀年鑑 1965年版】昭和39年
出版者   滋賀日日新聞社
出版年月日 1964
伊香病院
伊香郡木之本町木之本 電話木之本15
院長 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/2987531/1/175
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【労災指定医療機関便覧 昭和46年版】
出版者   労働新聞社
出版年月日 1971
京都下労働基準監督署管内
病院名  大樋外科医院
所在地  東山区大仏南門大和大路東入
責任者名 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/12090947/1/126

【労災指定医療機関便覧 昭和50年版】
出版者   労働新聞社
出版年月日 1975
京都下労働基準監督署管内
病院名  大樋外科医院
所在地  東山区大仏南門大和大路東入
責任者名 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094744/1/149

【労災指定医療機関便覧 昭和58年版】
出版者   労働新聞社
出版年月日 1983.11
京都下労働基準監督署管内
病院名  大樋外科医院
所在地  東山区大仏南門大和大路東入
責任者名 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/12096759/1/198

【労災指定医療機関便覧 昭和60年版】
出版者   労働新聞社
出版年月日 1985.11
京都下労働基準監督署管内
病院名  大樋外科医院
所在地  東山区大仏南門大和大路東入3
責任者名 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/12091784/1/207

【労災指定医療機関便覧 昭和62年版】
出版者   労働新聞社
出版年月日 1987.11
京都下労働基準監督署管内
病院名  大樋外科医院
所在地  東山区大仏南門大和大路東入3
責任者名 大樋善信
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094349/1/261
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[須知病院]京都府船井郡丹波町【日本医籍録 第24版(昭和31年)】

【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
著者    医学公論社 編
出版者   医学公論社
出版年月日 昭和31年
京都府 船井郡
◇須知病院  丹波町
《舛田 義三》院長 産婦人科 本府出身
明治25年3月14日生
大正8年 京都大学卒
登録44700号
本府衛生部 医務課長
昭和29年12月現職
昭和9年 学位受領(母校)※博士號所有

《山崎喜一郎》内外科 本府出身
明治28年3月2日生
大正9年 京都府立専門学校卒
登録45594号

《横山 春二》内科 宮崎県出身
明治38年2月5日生
昭和6年 京都府立医科大学卒
登録65127号
昭和30年1月 学位受領(母校)※博士號所有

《東辻寿次郎》内科 本府出身
大正7年3月9日生
昭和18年 京都府立医科大学卒
登録109079号
昭和27年10月現職(京府大)

《大樋 善信》外科 石川県出身
大正9年4月10日生
昭和18年 満州医科大学卒
登録110315号
昭和28年4月 学位受領※博士號所有
p719須知病院【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
p719須知病院【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8798104/1/719
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《畑 精・畑 節子》檜山診療所 瑞穂町大朴【日本医籍録 第24版(昭和31年)】

【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
著者    医学公論社 編
出版者   医学公論社
出版年月日 昭和31年
京都府 船井郡
《畑   精》 外内小科
檜山診療所 瑞穂町大朴 本府出身
大正10年7月10日生
昭和18年 京大医専卒
登録 107577号
母校第三内科教室ニ研究、
入隊 陸軍軍医、
昭和21年1月復員、
母校復帰、昭和23年開業
校医町医
趣味 スポーツ 馬術
電話 檜山28

《畑  節子》 内科
檜山診療所 瑞穂町大朴 本府出身
大正14年10月16日生
昭和23年 大阪女高医専卒
登録 137207号
母校附属病院内科勤務、
昭和23年現職
電話 檜山28
p719【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
p719【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8798104/1/719
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檜山診療所設置に当って:日赤京都府支部は…昭和29年8月【京都府医師会20年史】1968

【京都府医師会20年史】1968
出版者   京都府医師会
出版年月日 1968
  公的医療機関の乱設
  そのころの厚生省の方針
https://dl.ndl.go.jp/pid/3446659/1/304
日赤はこの間、舞鶴日赤未設置をはじめ、
国保直診にとって代ろうとする
※国保直営診療所
きわめて強引な企業進出策をとった。
ことに昭和29年8月
檜山診療所設置に当っては
日赤京都府支部は、
建物は村に拵えさせ、
医療機器、往診用自動車は村に買わせ、
医師俸給5万円のうち2万円は
村負担という条件を考えたが、
村長を通じて
「日赤は日の丸だから
 自動車や医療機器は持ってくる。
 医療費は半額で赤字になれば日赤が持ち、
 黒字になれば村に置いていく」
と宣伝させ、
松永周三郎院長は

  【日本医籍録 第24版(昭和31年)】
   ◇京都第一赤十字病院
   松永周三郎 院長
   昭和29年11月現職

「檜山日赤診療所は必らずやる。
 医師会の反対など無力である。
 もし畑医師(問題の直診の医師)が
 ※畑精医師:檜山直営診療所:別稿に記載
 医師会を通じてこれに反対するなら
 身のためにならぬ」
と恫喝さえ行なった。
しかしこの計画は地元民と地元医師、
府医の反対で成功しなかった。
p305【京都府医師会20年史】1968
p305【京都府医師会20年史】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3446659/1/305
  船井郡医師会20年の回顧
https://dl.ndl.go.jp/pid/3446659/1/395
町医学校医の報酬に関する担当委員は、
吉田俊夫副会長と檜山病院長の船越秀男であるが、
 ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/3446659/1/397
京都府医師会20年史
発 行 人 京都府医師会
      桜井英徳
      京都市中京区御前通松原下ル
印刷・製本 日本写真印刷株式会社
      京都市中京区壬生花井町3
(非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3446659/1/502
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【京都医事衛生誌 (544)】昭和14年(1939-07)
出版者   京都医事衛生社
出版年月日 1939-07
p1【京都医事衛生誌 (544)】1939-07
p1【京都医事衛生誌 (544)】1939-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/1472709/1/1
◇府下の國保組合設立見込
 本年度に於ける府下國保組合設立の見込箇所
 次の如し。
組 合 名 船井郡檜山村
普通代行別 普通
被保檢者數 一、八五二
戸   數   四六三
人   口 二、一一七
許可認可 (昭和14年)
見込期日  七月上旬
p16【京都医事衛生誌 (544)】1939-07
p16【京都医事衛生誌 (544)】1939-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/1472709/1/16
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【京丹波町病院】[看護の日]オータムイベント:令和5年11月18日(土)午前9:00~12:00

【京丹波町病院】2023年11月15日
[看護の日]オータムイベントを
11月18日(土)午前9時から正午まで開催します♪
当院入り口に立て看板を設置しました。
週末土曜日、皆さまのご来場をお待ちしております(^^)
[看護の日]231118-1
[看護の日]231118-1

[看護の日]231118-2
[看護の日]231118-2
国保京丹波町病院
京都府船井郡京丹波町和田大下28番地
TEL 0771-86-0220
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【京丹波町病院】2023年11月13日
[看護の日]オータムイベントを
11月18日(土)午前9時から正午まで開催します♪
来場者には粗品を用意しております。
今日は缶バッジの作成にいそしんでおります。
IMG_2132
IMG_2132

IMG_2133
IMG_2133
国保京丹波町病院
京都府船井郡京丹波町和田大下28番地
TEL 0771-86-0220
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《西垣立齋君》船井郡種痘醫:京都府船井郡竹野村本水戸ノ人【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年

【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
出版者   帝国史会
出版年月日 明32.6
《西垣立齋君》
 京都府船井郡竹野村
氏 幼名 又三郎
船井郡竹野村本水戸ノ人
天保十年正月(1839年2月)ヲ以テ生ル
家貧ニシテ學費ナク
父命ニヨリテ
兄ノ奴僕タルコト十ケ年
二十四歳
《小山松柏》ノ下ニ遊ビ
醫學ヲ習ヒ
慶應元年二月(1965年2月)
郷ヲ辭シテ西京ニ到リ
《高畠泰輔》ニ從ヒ
内外醫術ヲ修メ
明治元年三月(1868年3月)ヨリ
《山本玄蕃》ノ塾ニ入ル
明治八年(1875)六月
土肥春耕》ニ就キ
種痘術ヲ修メ
明治九年(1876)一月
種痘館ニ於テ傳習ヲ受ケ後
船井郡種痘醫ヲ命ゼラル
爾來斯業ニ從フ三十年
性慈仁ニシテ貧者ヲ憐ミ
事ニ當リ懇到親切ヲ極ムト云
p34【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
p34【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
https://dl.ndl.go.jp/pid/900126/1/34
明治三十二年六月十六日印刷
明治三十二年六月十九日發行
天之巻 正價金二圓五十錢
編纂兼 藤野彦次郎
發行者 東京市小石川區小石川水道町三十一番地
寫眞版 小川 一眞
製造者 東京市京橋區日吉町十三番地
印刷者 松井七之助
    東京市神田區錦町一丁目十二番地
印刷所 晩翠舎印刷所
    東京市神田區錦町一丁目十二番地
發行所 帝國史會
    東京市小石川區小石川水道町三十一番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/900126/1/127
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月03日10:49
《明治時代の京丹波町(旧 瑞穂町・丹波町・和知町)の医師》
【帝国医籍宝鑑】南江堂書店 明治31年8月7日発行
『従来開業医』
[大道直太郎]南桑田郡西別院村    p189/427
[松村信哉] 船井郡豊田村      p192/427
[世木澤玄伯]船井郡新水戸村     p192/427
[山崎良達] 船井郡須知村      p192/427
[田中半之丞]何鹿郡私市村      p192/427
[山内教説] 船井郡三ノ宮村     p192/427
[近藤 環] 船井郡三ノ宮村     p192/427
[蘆田謙造] 船井郡須知村      p192/427
[畑 極蔵] 船井郡鎌谷下町     p192/427
[出野玄亭] 船井郡上和知村字升谷  p192/427
[斎田桂庵] 船井郡上粟野村     p192/427
[西垣立斎] 船井郡水戸村      p192/427
[隅山喜聞太]船井郡下山村      p192/427
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《田中定一君》京都府船井郡須知本町:氏ハ丹波船井郡高原村ノ人【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年

【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
出版者   帝国史会
出版年月日 明32.6
《田中定一君》
 京都府船井郡須知本町
氏ハ丹波船井郡高原村ノ人
元治元年十二月(1865年1月)ヲ以テ生ル
父ヲ半之丞ト云ヒ家元
村ノ豪農ニシテ
七歳  ※明治6年(1873)
小學ニ入リ
十一歳 ※明治10年(1877)9月
專ラ漢學ヲ修メ
十六歳 ※明治12年(1879)
京都府立獨乙學校ニ在ル二年
明治十四年(1881)九月
京都府立醫學校ニ轉ズ
當時伯爵板垣退助等民權自由ノ説ヲ唱導シ
天下ヲ風靡セシニ當リ
氏ガ家嚴又深カク之ヲ賛シ
有志ト共ニ東奔西走十二年
府會議員ニ擧ゲラレ
爾後再三撰出セラレ
職ニ公益ノ事ニ從フ
故ニ家事ヲ見ルニ暇ナキヲ以テ
家政日ニ衰ヘ遂ニ氏ヲシテ
學費ノ不自由ヲ感ゼシムルニ至ル
而カモ氏屈セズ苦學精勵
明治二十年(1887)五月
遂ニ醫學全科ヲ卒業ス
時ニ年二十有餘
尚進ンデ斯道ヲ研究セントセシム
氏ガ郷里ノ事情之ヲ容レザルアリ
憾ヲ懐イテ
明治二十年(1887)十月
郷里ニ醫業ヲ開ク
明治二十八年(1895)
船井郡須知村醫ヲ托セラレ
翌年(1896)五月
有隣生命保險會社診察醫ヲ托セラレ
明治三十年(1897)
内國生命保險會社診察醫ヲ
明治三十一年(1898)五月
船井郡西部小學校校醫ヲ囑托セラレ
現ニ船井郡須知本町ニ開業セリ
性慈仁貧民ヲ憐ミ
鰥寡孤獨ヲ救ヒ
其病ヲ見ル病者ノ貧富ヲ問ハズ
故ヲ以テ聲譽
日ニ高シト云
p71【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
p71【帝国医家大史伝 天之巻】明治32年
https://dl.ndl.go.jp/pid/900126/1/71
明治三十二年六月十六日印刷
明治三十二年六月十九日發行
天之巻 正價金二圓五十錢
編纂兼 藤野彦次郎
發行者 東京市小石川區小石川水道町三十一番地
寫眞版 小川 一眞
製造者 東京市京橋區日吉町十三番地
印刷者 松井七之助
    東京市神田區錦町一丁目十二番地
印刷所 晩翠舎印刷所
    東京市神田區錦町一丁目十二番地
發行所 帝國史會
    東京市小石川區小石川水道町三十一番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/900126/1/127
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年04月21日06:22
〔田中定義翁・田中半之丞〕船井郡高原村字豐田
【現代船井郡人物史】大正5年
 氏〔田中定一君〕は其長子にて
元治元年十二月五日 ※1865年1月2日
高原村字豐田に呱々の聲を擧ぐ、
明治六年(1873)九月同村小學校に入り
十年(1877)八月卒業
十年(1877)九月より同村木島恒太郎氏に和漢學を修め、
          ※木島恒太郎:下記に記載
十二年(1879)九月京都府立獨乙學校に入り
十四年(1881)七月修業
十四年(1881)九月京都醫學校に醫學を修め
二十年(1887)五月卒業、
六月證書を得て歸郷
嚴父の業を繼ぎしが
明治二十六年(1893)二月須知町に轉じ
現在の地に開業以來今日に至れり、
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