◆病院

《相宗鐵男》滋賀縣坂田郡米原町大字朝妻筑摩:支那ニ於テ戰傷死【官報 1941年02月24日】昭和16年

京都中部総合医療センター リハビリテーション科
京都中部総合医療センターリハビリテーション科
〔画像〕京都中部総合医療センターリハビリテーション科
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【官報 1941年02月24日】昭和16年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和16年
(昭和十二年十月)
同二十三日 支那ニ於テ戰傷死
滋賀縣坂田郡米原町大字朝妻筑摩一、四二〇番地
陸軍步兵伍長 相宗鐵男
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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京都中部総合医療センター 看護部サイト
  地域包括ケア病棟
地域での生活へつなげる病棟。
「退院はゴールじゃない、
 暮らしの再スタート!!」
 京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
〔画像〕京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
京都中部総合医療センター
第二病棟 4階東 地域包括ケア病棟
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《相宗作造》滋賀縣阪田郡入江村大字朝妻筑摩七十一番地【官報 1919年09月18日】大正8年

【官報 1919年09月18日】大正8年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正8年
◎商號  合資會社 小林商店
一 本店 橫濱市眞砂町三丁目三十七番地
一 目的 織物竝絹絲販賣業
一 設立年月日 大正八年六月十三日
一 社員及出資種類價格竝責任
  金一万二千五百圓 無限
  横濱市中村町字平樂八十八番地
  小林榮吉

  金一万二千五百圓 有限
  滋賀縣阪田郡入江村大字朝妻筑摩七十一番地
  相宗作造

  金一万二千五百圓 有限
  京都市下京區高倉通三條下ル丸屋町二十
  箕田幾太郞

  金一万二千五百圓 有限
  群馬縣山田郡相生町大字下久方四十七番地
  内沼周吉

一 存立期間 設立ニ日ヨリ滿五箇年
右大正八年六月十六日登記 横濱區裁判所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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  地域包括ケア病棟
地域での生活へつなげる病棟。
「退院はゴールじゃない、
 暮らしの再スタート!!」
 京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
〔画像〕京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
京都中部総合医療センター
第二病棟 4階東 地域包括ケア病棟
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《相宗留松》父・半平 母・たけ 滋賀縣阪田郡入江村大字朝妻筑摩ノ人【日露戦役忠勇列伝  滋賀県 第1号】大正10-11年

【日露戦役忠勇列伝  滋賀県 第1号】大正10-11年
著者    忠勇顕彰会 編
出版者   忠勇顕彰会
出版年月日 大正10-11
  陸軍步兵上等兵勳八等 相宗留松
相宗留松ハ、滋賀縣阪田郡入江村大字朝妻筑摩ノ人、
半平ノ六男ニシテ、
明治七年四月生ル。
母ヲたけト曰フ。
家ハ農業ヲ營メリ。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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  地域包括ケア病棟
地域での生活へつなげる病棟。
「退院はゴールじゃない、
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京都中部総合医療センター
第二病棟 4階東 地域包括ケア病棟
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《相宗留松》《相宗仁平》阪田郡入江村大字朝妻筑摩【明治三十七八年戦役阪田郡出身戦病死軍人伝記】明治42年

【明治三十七八年戦役阪田郡出身戦病死軍人伝記】明治42年
出版者   滋賀県阪田郡教育会
出版年月日 明42.8
  戦病死軍人肖像
 歩兵上等兵 相宗留松君
p35【阪田郡出身戦病死軍人伝記】明治42年
〔画像〕p35【阪田郡出身戦病死軍人伝記】明治42年
  戦病死軍人 ◎傳記
  故陸軍歩兵上等兵 勳八等 相宗留松
氏ハ阪田郡入江村大字朝妻筑摩ノ人ニシテ
明治七年四月八日ノ出生ナリ

  凱旋一覽表(陸軍之部)
 町村大字名  氏  名 兵科等級
入江村朝妻筑摩 相宗仁平 歩、二
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【坂田郡志 下】大正2年
出版者   坂田郡
出版年月日 大正2
入江       相宗留松 歩兵 上等兵
入江村 朝妻筑摩 相宗仁平 歩兵 二等兵
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《相宗半衞:滋賀県阪田郡入江村朝妻筑摩の農家》の子[縣會議員 柴田源左衞門]【議員略伝】明治42年

【議員略伝】明治42年
著者    藤本良政 著
出版者   藤本良政
出版年月日 明42.12
  縣會議員 柴田源左衞門君
資性卓@にして膽氣あり
氣節を以て自ふ持す、
文久元年四月廿四日を以て、
※1861年6月2日
阪田郡入江村朝妻筑摩の農家
相宗半衞氏方に生れ、
幼名を寬彌と呼ひ後ち
同郡六莊村大字室
柴田源左衞門氏の養嗣子となり
養父の歿すや之を相續し源左衞門を襲名す、
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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  地域包括ケア病棟
地域での生活へつなげる病棟。
「退院はゴールじゃない、
 暮らしの再スタート!!」
 京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
〔画像〕京都中部総合医療センター地域包括ケア病棟
京都中部総合医療センター
第二病棟 4階東 地域包括ケア病棟
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《御礼》レスパイト入院(10月8日~11日)京都中部総合医療センター 第2病棟4階東

京都中部総合医療センター(南丹病院)に
妻(喜代子)が緊急入院(総胆管結石手術)、
(7月23日~28日)その後の処置の入院。
 京都中部総合医療センター
 レスパイト入院
入院 令和7年(2025)10月8日(水) 10:00
退院 令和7年(2025)10月11日(土) 14:30

京都中部総合医療センター 第2病棟4階東
担当医師    計良 夏哉先生
担当看護師   本村 昭代様
退院支援看護師 人見 時絵様
担当薬剤師   山中知恵子様
担当リハリビ  相宗 大介様
はじめ看護師の皆様、
お世話になった諸関係部署の皆様、
 福祉タクシー 大福
厚く御礼申し上げます。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年07月29日05:33
《御礼》レスパイト入院(7月23日~28日)京丹波町病院
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《御礼》レスパイト入院(7月23日~28日)京丹波町病院

妻(喜代子)が、
腹部の猛烈な痛みの為、
京丹波町病院で受診し、

※京丹波町病院 担当医師
内科 加藤 大貴(かとう ひろき)
所属学会及び認定資格
日本内科学会
日本消化器病学会
日本内視鏡学会
日本腎臓学会
わたしからのメッセージ
 患者様一人一人に寄り添った医療を
目指していきたいと思います。
宜しくお願いします。
京丹波町病院内科 加藤大貴
〔画像〕京丹波町病院内科 加藤大貴

京都中部総合医療センター(南丹病院)に
緊急入院しました。(総胆管結石の手術)

消化器内科 スタッフ紹介
加藤 大貴(かとう ひろき)
役職      消化器内科医員
卒業大学・卒年 京都府立医科大学(令和4年)

寺口 勇樹(てらぐち ゆうき)
役職      消化器内科医員
卒業大学・卒年 愛知医科大学(令和5年)
京都中部総合医療センター消化器内科
〔画像〕京都中部総合医療センター消化器内科

※搬送は、救急車。
京都中部広域消防組合 署所配置
園部消防署 丹波出張所
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この為、京丹波町病院に、レスパイト入院しました。

 レスパイト(respite)とは
 『一時休止』『息抜き』『休息』という意味です。
 レスパイト入院とは障害や難病をお持ちの方で、
 介護者の事情により一時的に在宅介護が困難となった場合に
 短期間の入院を利用することです。

2025/7/23(水) 入院
2025/7/28(金) 退院
主治医   加藤 大貴先生
地域連携室 畑中 泰子(ケアマネ)様
副看護師長 田路 利恵様
主任看護師 齋藤世吏恵様
      高屋 里美様
      橋本 樹里様
はじめ看護師の皆様、
お世話になった諸関係部署の皆様、
 2025年4月広報京丹波

又、緊急入院の送迎に対応して下さった、
御礼申し上げます。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年02月10日04:50
国保京丹波町病院 看護部長《平田千春》
看護師《村上永里子・高屋里美・橋本樹里》
京都大学医学部附属病院 看護職キャリアパス支援センター
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年02月24日 20:43 
▽京都丹波オレンジロードつなげ隊
〜笑顔でつながる 介護の仕事〜
 クローバー・サービス
 竹内理沙さん
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《白数文夫》野田川町議会議長【京都年鑑 1972年】昭和47年

【京都年鑑 1972年】昭和47年
出版者   夕刊京都新聞社
出版年月日 1971
p1【京都年鑑 1972年】昭和47年
〔画像〕p1【京都年鑑 1972年】昭和47年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/1

白数 文夫(しらす ふみお)
大正4年1月1日生
京都府
職 野田川町議会議長
住 与謝郡野田川町下山田
〒 629-23
電 加悦谷②3896
歴 高小
家 妻  里枝 大正3年生
  二男 昭夫 昭和25年生
  二女 紀子 昭和27年生
  父  信次 明治44年生
p309【京都年鑑 1972年】昭和47年
〔画像〕p309【京都年鑑 1972年】昭和47年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/309

[野田川町議会]
議 長 白数 文夫
副議長 小北 陸二
議 員 倉橋  武  大谷 初次  村山 和生
    渡辺 嘉一  仲野 大二  糸井 勝勇
    井田 嘉裕  吉田鼎一郎  安田 辰美
    山添  実  小長谷宗太郎 茂籠 憲郎
    伊達  収  有吉 峰雄  中島 順一
    山添 誠一  加藤  菴  白須民之助
    長島 輝夫  加畑貞一郎
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/149
京都年鑑 1972年版(昭和47年)
定価 2,000円
昭和46年10月25日印刷
昭和46年11月1日発行
編集兼発行人 矢野彌三郎
発行所    株式会社 夕刊京都新聞社
       京都市中京区烏丸通二条上ル
       電話(075)231-1101(代)
       振替口座 京都25916
印刷所    株式会社 石田大成社印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/388
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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国保京丹波町病院 看護部長《平田千春》看護師《村上永里子・高屋里美・橋本樹里》京都大学医学部附属病院 看護職キャリアパス支援センター

京都大学医学部附属病院 看護職キャリアパス支援センター
〒606-8507 京都市左京区聖護院川原町54
TEL:075-751-3746

看護師たちの意識がどんどん外を向くように。
看護部 看護部長《平田 千春》Hirata Chiharu
国保京丹波町病院
キャリアのある看護師に経験の場を
周囲のスタッフにも好影響
ex03_ph-平田 千春
〔画像〕ex03_ph-平田 千春

マニュアルがあり、不慣れな業務も安心
看護師《村上 永里子》Murakami Eriko
2010年入職
国保京丹波町病院
→交流先:京都大学医学部附属病院(混合病棟)
思い描いていた以上にたくさんの学び
しかし、出向期間が終わり、振り返ってみると、
当初思い描いていた以上に多くを得られたと実感しています。
今後は本事業で迎えた側、
迎えられた側の両方を経験した立場を活かし、
貢献していくことが目標です。
murakami-村上 永里子
〔画像〕murakami-村上 永里子

何もかもが新鮮で、学ぶことの楽しさを
もう一度思い出しました
看護師《高屋 里美》Takaya Satomi
2013年入職
国保京丹波町病院
→交流先:京都大学医学部附属病院
わずかな期間でも、得られた学びはたくさん
自施設の良さにも思いを馳せた3ヶ月
また、設備もマンパワーも違う
京大病院と京丹波町病院ですが、
患者さんのなかには
「京丹波町病院がいい」と
おっしゃってくださる方もたくさんいます。
わずかな時間でしたが自施設を離れたことで、
これからも患者さんが
「診てほしい」「そばにいて欲しい」
と言っていただける病院、
看護師でありたいと
改めて思えるようになったことにも
とても感謝をしています。
top_nav_fix2020_01-高屋 里美
〔画像〕top_nav_fix2020_01-高屋 里美

病棟全体の方々に育てていただいた9ヶ月間
看護師《橋本 樹里》Hashimoto Jyuri
2015年入職
国保京丹波町病院
→交流先:京都大学医学部附属病院
最先端の治療と看護と、地域ならではの看護
ひとつの病院で仕事をつづけることも
素晴らしいと思いますが、
異なる環境に身を置いてみることで客観性が高まり、
今まで自分が行なっていた看護を
振り返る機会にもつながると、
出向を経験したことで感じるようになりました。
そして、最先端の治療と看護と、
地域ならではの看護で求められることに
違いがあると同時に、
「患者さん一人ひとりに寄り添いながら、
 患者さん・ご家族に応じた看護を行うこと」は
決して変わらないのだと実感することもできました。
top_nav_fix2020_hashimoto-橋本 樹里
〔画像〕top_nav_fix2020_hashimoto-橋本 樹里

地域医療や看護の実際を、より深く学ぶために。
看護師《平井 千尋》Hirai Chihiro
2011年入職
京都大学医学部附属病院
→交流先:国保京丹波町病院・綾部市立病院
国保京丹波町病院での1年間の出向を経て大きくなったのは、
地域医療や看護の実際をもっと学びたいという気持ちでした。
そこで、京丹波町の近隣の転院先のひとつでもある
綾部市立病院へ、
半年間の追加出向をさせていただくことになりました。
たくさんの素敵な出会いに感謝。
top_nav_fix2020_05-平井 千尋
〔画像〕top_nav_fix2020_05-平井 千尋
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 体験者座談会
https://nrcareer.kuhp.kyoto-u.ac.jp/experience/#p3
看護師/橋本 樹里
国保京丹波町病院→京大病院へ
talk_03-橋本 樹里
〔画像〕talk_03-橋本 樹里

看護師/平井 千尋
京大病院→国保京丹波町病院へ
talk_04-平井 千尋
〔画像〕talk_04-平井 千尋

Q3.出向を終えて、自分の役割をどう考える?

《平井 千尋》
京丹波町病院の橋本さんも、
病院からの期待がきっと大きいんじゃないですか?

《橋本 樹里》
そうですね。
京丹波町病院は福知山市民病院と逆で、
マニュアルがなかなか整備できていないんです。
だから看護部長からは、
京大病院ではどんな風にしているかを
しっかり見てきほしいと言われています。
また、地域の小さな病院なので毎日の中で変化が乏しく、
そこで働く看護師が成長のモチベーションを持つのが難しい
という状況があります。
私が京大病院で刺激を受けて帰ってくることで、
病院全体の雰囲気を変えられたらいいなと思っています。

《平井 千尋》
出向は自分自身が変化できる
とてもいいきっかけになりました。
出向期間が終わって自施設に戻ったら、
この経験を生かしていろいろな場所から風穴を開けて、
新しい風を吹かせたいですね!
※座談会の内容は平成30年(2018)9月時点のものです。
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《津田儀一・津田栄一の父》加佐郡大江町河守 菓子商【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】1981

【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】
著者    荒木盛道 編
出版者   荒木盛道
出版年月日 1981.8

元 祭野砲兵第二一聯隊
陸軍中尉 故 津田栄一
昭和二十年八月五日
ビルマ国カママウン
第十五師団第一野戦病院にて戦没

寄稿者 京都府加佐郡大江町河守
  (父) 津田儀一
息子栄一は、親から言うのもおかしいことですが、
本当に心根のやさしい温厚な子でした。

家業が菓子商であるため、
福知山市内の取引先問屋への用事を頼み
 【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】p79
〔画像〕【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】p79
https://dl.ndl.go.jp/pid/12284497/1/79
むことが度々あった。

当時、福知山商業学校に通学していた栄一は
時としては嫌な思いをすることもあったであろうが、
唯の一度もそんな素振りを見せたこともなく、
いつ頼んでも「ハイ」と実に素直にきいてくれて
大きい荷物を持ち帰ってくれることもありました。

帰宅すると、
疲れているであろうのに直ぐ家業の手伝いをして、
私たちに無理させぬ様にと、
やさしい心遣いをしてくれたものでした。

夜は真面目に勉強し、
学業も申し分のない成績を挙げ、
二人の妹たちにとってもよく面倒をみてくれる
心やさしい兄でした。

軍隊に入る前
「お前は中等学校を出ているんだから
 将校になれる資格がある。
 よく努力して立派な将校になって、
 お国の為精一杯ご奉公せねばならぬ」
と申しきかせました。

両親の言うことには絶対服従と言ってもよい程に
従順で素直であった丈に、
親の希望通り将校になってくれたことは
本当にうれしいことでした。

要領よく立まわって手を抜くこともしらず黙々として、
責任を果すことのみに専心し、
花も咲かせぬ蕾のまま遠い異国の地に果てた栄一、
思えば可哀相で不憫でなりません。

  大江町忠勲録より(抜粋)
昭和十一年三月
河守小学校高等科を卒業、
昭和十四年
優等の成績を以って
福知山商業学校を卒業して
河守郵便局に通信事務員として就職した
昭和十六年四月
家に帰り家業
菓子製造業の手伝をしたが
資性温厚篤実よく父を助けて働き
妹を労り母に仕えた

昭和十八年二月一日
現役兵として野砲兵第三聯隊に入隊
昭和十八年二月
中支派遣となり南京の警備につく
昭和十八年七月
幹部候補生となり
昭和十九年九月
曹長に進み見習士官を命ぜらる
支那事変拡大して大東亜戦争に突入するや
昭和十九年十一月
ビルマ方面に転戦
昭和十九年十二月
野砲兵第二十一聯隊第五中隊付
翌昭和二十年一月
陸軍少尉に任ぜられ
インパール作戦に参加したが
灼熱多湿の悪地に長期の奮戦苦闘の結果、
マラリア脚気に罹り野戦病院に於て
終戦直前
昭和二十年八月五日敢えなくも
殉国の英霊と化せらる
功に依り陸軍中尉に昇進
 【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】p80
〔画像〕【墓標:第二次世界大戦遺族の手記】p80
https://dl.ndl.go.jp/pid/12284497/1/80
「墓標」第二次世界大戦 遺族の手記
昭和五十六年七月三十一日印刷
昭和五十六年八月 十五日発行 非売品
編集兼発行者 荒木盛道
印刷所    太安堂印刷所
       吉崎忠男
       京都市南区猪熊通九条北
       TEL(〇七五)六九一ノ五〇七六
発行所    荒木盛道
       京都府加佐郡大江町南有路
       TEL(〇七七三五)七ノ〇〇〇四
https://dl.ndl.go.jp/pid/12284497/1/121
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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