◆木口幸男・世木澤藤三郎

《纏め》木口幸男家所蔵[世木澤翁 記念帖]全39頁

《纏め》木口幸男家所蔵[世木澤翁 記念帖]全39頁


※世木澤翁 華甲 記念帖
※世木澤藤三郎 明治9年(1876)9月生
    出版年 昭和11年(1936)
華甲/かこう
意味 華甲とは、数え年で61歳。還暦。華年。
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北海道立図書館
区分    図書。
タイトル  世木澤藤三郎還暦記念。
著者名    著者名ハ、アリマセン。
出版社   [出版者不明]。
出版年   1936。
シリーズ名  シリーズ名ハ、アリマセン。
請求番号  289/SE。
配架場所  貴重書(閉架書庫)。
資料番号  1101789343。
資料状態  禁帯
世木澤藤三郎還暦記念-1
〔画像〕世木澤藤三郎還暦記念-1
世木澤藤三郎還暦記念-2
〔画像〕世木澤藤三郎還暦記念-2
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[世木澤翁 記念帖]全31頁:p01~p04
 世木澤翁 華甲 記念帖

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p05~p08

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p09~p11

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p12~p13

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p14~p17

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p18~p20

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p21~p25

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p26~p28

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p29~p31〔完〕
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木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p05/31 p07/31 p14/31

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p09/p21/p22

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p12

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p15

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]『瀧野常吉氏』p19

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p20

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p23/p24/p25
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月26日 13:02
木口幸男家所蔵書籍:世木澤藤三郎氏について:第一回
関ヶ原の戦い(1600)の頃から
胡麻郷(現 京都府南丹市日吉町上胡麻タニ8番地)に
居住の旧家、
木口家の御主人、木口幸男さん。
平成24年(2012)2月10日~24日迄、同室で、
日吉町始め南丹市・京丹波町・北海道旭川市・満洲等、
多岐に渡り、色々な事を教えて頂きました。
大変、勉強になりました。
有難うございます。
木口家に残る多数の、貴重な文書・書籍の中、
世木澤藤三郎氏の書籍をお借りしました。
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《理事長 世木澤藤三郎》財團法人 旭川隣保會【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年

《理事長 世木澤藤三郎》財團法人 旭川隣保會
【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年

【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年
出版者   北海道社会事業協会
出版年月日 昭和17

   四四 財團法人 旭川隣保會  p113-115/153
(一)所 在 地 旭川市六條通九丁目自一號至九號
         旭川市役所内(電話四、一四五番)
(二)創立年月日 昭和十五年八月一日
(三)創 立 者 世木澤藤三郎
(四)現 代表者 理事長 世木澤藤三郎
(五)事   業 託兒、授産、母子保護
(六)組   織 在團法人
(七)沿   革
   本會は旭川市の醸造家世木澤藤三郎氏が、
   同市の社會事業振興を圖る爲、
   自家所有田地三十二町歩餘を寄附し
   更に市内有志に呼びかけ一萬圓の資金を造成し、
   是を基金として各種社會施設を綜合的に經營せんとし、
   市有志谷口甚角、谷川喜市氏等と協議
   光輝ある紀元二千六百年を卜して
   華々しくスタートしたものである。
   ―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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旭川の世木澤藤三郎君【庭訓録】昭和17年

旭川の世木澤藤三郎君【庭訓録】昭和17年

【庭訓録】昭和17年
著者    井上活泉 著
出版者   井上善吉
出版年月日 昭和17

世木澤藤三郎氏經營の隣保會館
 p189【庭訓録】昭和17年
〔画像〕p189【庭訓録】昭和17年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/189

 七、北海道と丹波人  p193/252
   ―略―
渡道の丹波人は、何れも何に物かを地上に殘し、
良威化を郷土内外に與へてゐるものが多い。

現に旭川の世木澤藤三郎君の如きは
正に其の一人である。
君は船井郡竹野村の人、
明治三十三年渡北以來、
茲に四十年餘、
初めは雜穀肥料業を營みしが、
十數年後之れを癈業し、
更に大正七年から酒造業を開始、
本年に至り實に二十三ケ年、
此間、毎年四千石を醸造したが、
統制後の今日、尚二千餘石に達してゐる。
然るに數年前より家業一切を令息に一任し、
君は巨萬の資を投じて專心社會事業を起し、
旭川隣保會の理事長として活躍して居らる。
同會が昭和十五年、紀元二千六百年の
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/193
式典に當り、
社會事業の一に選ばれ、
畏くも御内帑金御下賜の光榮に浴したるが如き、
是れ實に君の誠意熱情、
公事に獻身努力したる賜と言はねばならぬ。
乞ふ君、益々自重勵精、
國家社會民人の爲めに盡す所あれ。
(昭和十六年九月)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/194
昭和十七年五月十五日印刷
昭和十七年五月二十日發行 (非賣品)
著者兼發行者 井上 善吉
       京都市上京區小山堀池町三九
印 刷 者  橋本岩太郎
       京都市上京區上椹木町千本東入
印 刷 所  眞美印刷所
       京都市上京區上椹木町千本東入
發 行 所  井上 善吉
       京都市上京區小山堀池町三九
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/250
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世木澤藤三郎傳【旭川市功労者伝】山崎有信 著 昭和15年

世木澤藤三郎傳【旭川市功労者伝】山崎有信 著 昭和15年

【旭川市功労者伝】昭和15年(1940)
著者    山崎有信 著
出版者   日本書院
出版年月日 昭和15
   世木澤藤三郎傳 p51-52/135
世木澤藤三郎氏は明治九年九月三日
京都府船井郡竹野村字新水戸に於て、
與市 長男として呱々の聲を舉ぐ。
氏は小學校卒業後、
郷里にあつて專ら農業に從事し、
明治三十一年七月十三日
年齢二十二の時
同村 口八田 船越源七の長女よしを迎へて
華燭の典を舉ぐ、
時に よし二十二歳なりき、
氏は郷里にあつて農業に從事しては
到底滿足出來ずと、
奮然起つて明治三十三年四月十六日渡道し、
旭川に來り一ケ年間家族は專ら農事に從ひたるも
其の間氏は僅に三日間農事を爲し
他は調査研究に餘念なし、
明治三十四年四月 米穀商を開業
二十四年間卽ち大正十三年迄繼續せしが、
是より先、大正七年以來酒造業を兼營し、
大正十四年に至り他の業を癈し酒造業を專一とし、
銘酒「千代の澤」及「登鶴」の名聲全道に喧傳し、
造石高三千八百石に至りしと云ふ。
是れ全く氏の奮闘努力の結果と云ふべし
氏の公職としては
大正九年六月三日
一級區會議員に當選、
現在に於ても市會議員、
大正八年十二月
商業會議所設立當初より其の議員となり、
且つ常議員を十二ケ年間繼續
目下顧問たり
其の他
旭川火災豫防組合聯合會長、
旭川方面委員協
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/51
會長等に就職し
氏子總代。
事業關係は
旭川肥料株式會社社長、
旭川商事株式會社、
旭川市場株式會社、
旭川瓦斯株式會社の重役にして
其の他
旭川雜穀商組合長、
酒造組合の副組合長等
枚舉に暇あらず。
昭和十四年三月
旭川市防空兵器獻納會へ金壹萬圓を寄附せり。
氏 時局に付ては銃後後援會副會長として活動。
昭和十三年二月十一日
紀元の佳節に當り
旭川市の功勞者表彰規程第一條第一項第一號の
本市の交益に關し功勞顯著なりと認むる者とあるに
該當せるものとして
旭川市長 井上英より表彰せられ又
陸軍特別大演習の際は
御賜餞の光榮に浴したるは
誠に一家の名譽なりと云ふべし。
昭和十三年五月十四日
皇后陛下の御名代として
賀陽宮妃敏子殿下の御來道に際し
軍事關係の功勞者として
道廰に於て特別奉拜、
石黑長官より感謝狀を受く。
氏 今や家業の全部を
三條通十八丁目右四號を長男登に譲り。
登は昭和十二年三月五日
家督相續人として、
相續を爲し
業務益々發展せりと云ふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/52
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《登鶴・世木澤藤三郎》【日本酒類醤油大鑑】昭和11年

《登鶴・世木澤藤三郎》【日本酒類醤油大鑑】昭和11年

【日本酒類醤油大鑑】昭和11年(1936)
著者    醸界新聞社 編
出版者   醸界新聞社
出版年月日 昭11
 淸酒醸造家氏名  p382/416
代表マーク  石 數  氏  名   住   所
登 鶴  三、七〇四 世木澤藤三郎 北海道旭川市三條通
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263562/1/382
 焼酎醸造家氏名  p382-383/416
代表マーク  石 數  氏  名   住   所
        二一 世木澤藤三郎 北海道旭川市三條通
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263562/1/383
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《世木澤藤三郎》母 いま 京都府 木口太郎右衞門 二女【昭和調査録 昭和6年版】

《世木澤藤三郎》
 母 いま 京都府 木口太郎右衞門 二女
【昭和調査録 昭和6年版】

【昭和調査録 昭和6年版】
出版者   日本人事通信社
出版年月日 昭和5
《世木澤藤三郎》  p903/
 北海道多額納税者、
 旭川商業會議所常議員、
 丸肥旭川肥料(株)取締役、
 旭川商事(株)取締役、
 酒造業、
 直税二六六七
 旭川市三條通八丁目
北海道人世木澤與市の長男
明治九年九月生る
曩に雜穀商を營みしが
現時酒造業を營み
傍ら前記各會社の重役にして
旭川商業會議所常議員に推さる
家庭
母   いま (嘉永六年 六月生)
        京都府 木口太郎右衞門 二女
妻   よし (明治一〇年 三月生)
        京都府人 舟越源七 長女
男   登  (明治三二年 三月生)
同妻  キヌ子(明治三八年一〇月生)
        北海道 大谷禎次 三女
同長男 淳一 (大正一四年生)
同長女 俊子 (大正一三年生)
男   淸一 (明治三五年 七月生)
女   富惠 (明治三八年 三月生)
女   正子 (明治四三年 三月生)は分家し
長女 富惠(明治三八年生)は
北海道人 石田浩治に嫁す
 p903【昭和調査録 昭和6年版】
〔画像〕p903【昭和調査録 昭和6年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1033556/1/903
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《世木澤藤三郎》北海道多額納税者【現代人事調査録】大正14年

《世木澤藤三郎》北海道多額納税者【現代人事調査録】大正14年

【現代人事調査録】大正14年
著者    猪野三郎 編
出版者   帝国秘密探偵社[ほか]
出版年月日 大正14
《世木澤藤三郎》 p991/1083
 北海道多額納税者、
 旭川商業會議所常議員、
 丸肥旭川肥料(株)取締役、
 旭川商事(株)監査役、
 酒造業、
 北海道平民、
 旭川、宮下通、一二ノ右一
君は北海道世木澤與市の長男にして
明治九年九月を以て生る
曩に雜穀商を營みしが
現時酒造業を營み
傍ら前記各會社の重役にして
旭川商業會議所常議員に推さる
北海道多額納税者にして
現時直税二千六百六十七圓を納む
家庭
母  いま (嘉永六年 六月生)
       京都府 木口太郎右衞門 二女
妻  よし (明治一〇年 三月生)
       京都府 舟越源七 長女
男  登  (明治三二年 三月生)
婦  キヌ子(明治三八年一〇月生)
       長男 登 妻
       北海道 大谷禎次 三女
男  淸一 (明治三五年 七月生)
女  富惠 (明治三八年 三月生)
女  正子 (明治四三年 三月生)
 p991【現代人事調査録】大正14年
〔画像〕p991【現代人事調査録】大正14年
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世木澤藤三郎商店【北海道産業発達史 前編】大正7年

世木澤藤三郎商店【北海道産業発達史 前編】大正7年

【北海道産業発達史 前編】大正7年
著者    中外産業調査会 編
出版者   中外産業調査会
出版年月日 大正7
  世木澤藤三郎商店 p290-291/453
 一家を舉げて移住
成功の秘訣は熟慮斷行である。
斷行の意氣はやがて邁進の勇氣であつて、
堅忍不抜よく初一念を貫徹するもの
實に之れあるに因るので
旭川雜穀商の巨頭世木澤藤三郎氏が
今日の盛運を@ち得たるが如き、
洵に其の好模範たるを失はぬのである。

氏は明治七年四月八日を以て
 ※明治九年九月三日
丹波何鹿郡綾部町の農家の生れ、
 ※京都府船井郡竹野村字新水戸
長ずるに及んで雄志漸く禁じ難く
切に志を舒ぶるの地を求めて居たが、
偶々同郷の先輩田中敬造氏が北海道に移住し、
未だ十年ならずして既に異常の成功を
収めつゝある由を聞き、
密かに本道の開拓に着眼して
機の到るのを待つて居た。
  ―略―
 本道第一の澱粉王
https://dl.ndl.go.jp/pid/957623/1/290

 五百町歩の大地主
https://dl.ndl.go.jp/pid/957623/1/291
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[丸肥旭川肥料(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[丸肥旭川肥料(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[丸肥旭川肥料(株)] p1058/1079
 旭川市一條通
 電 話 二五一九
 設 立 大正九年四月
 資本金 一、〇〇〇、〇〇〇
 拂込濟   三〇〇、〇〇〇
社 長 世木澤藤三郎 旭川
專 務 吉田朔二   同
取締役 根木松太郎  同
同   下村正之助  同
同   藤田長次郎  同
同   笠原定藏   同
監査役 岡田重次郎  同
同   片岡亥三郎  同
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
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[世木澤翁 記念帖]全31頁:p29~p31〔完〕

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p29p31〔完〕

[世木澤翁 記念帖]p29-1
p29-1 ■會會員

[世木澤翁 記念帖]p30-1
p30-1 (上)(旭川名勝)旭橋
   (下)(旭川名勝)常盤公園

[世木澤翁 記念帖]p31-1
p31-1 (上)銀河ノ瀧
   (下)大函  國立公園層雲峡
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[木口幸男家所蔵書籍:世木澤藤三郎氏について:第一回]
明治国際医療大学付属病院
南丹市日吉町
三階病棟321号室 木口幸男さん
関ヶ原の戦い(1600)の頃から
胡麻郷(現 京都府南丹市日吉町上胡麻タニ8番地)に居住の旧家、
木口家の御主人、木口幸男さん。
210日~24日迄、同室で、
日吉町始め南丹市・京丹波町・北海道旭川市・満洲等、
多岐に渡り、色々な事を教えて頂きました。
大変、勉強になりました。
有難うございます。
木口家に残る多数の、貴重な文書・書籍の中、
世木澤藤三郎氏の書籍をお借りしました。
北海道旭川市に関する資料に基づき、
『国立国会図書館デジタルコレクション』で調べました。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2216883.html
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