鳥海弘毅

[明治2年11月頃:士族籍を脱して平民となる]『図録 小野梓』2002年

『図録 小野梓』
[大学創立一二五周年記念・生誕一五〇周年記念]
[立憲政治の先駆・大学創立の功労者]
   ≪小野梓年譜≫ p102
[明治二年(1869)] p102-103
二月頃、岩村道俊に伴われ宿毛を出発し、
大阪・京都を経て東京に到着、
岩村家に寄寓して漢学を学ぶ。
九月頃、岩村の北海道赴任(函館府権判事)後、
東京に残って昌平学校に学ぶ。
一一月頃、藩命により帰郷を命ぜられる。
帰郷後、藩の束縛を嫌って叔父善平の養子となり
士族籍を脱して平民となる。
 

[明治三年(1870)] p103
春、大蔵省会計監督官の小野義真を大阪に訪ね、
同家に寄寓して英学を学ぶ。
七月頃、小野義真の世話で、
名を東島興児とあらためて神戸から上海に渡り、
中国内地を旅行、「救民論」を執筆し、
また岡山県人西毅一らと交わる。
一一月、公務で上海に赴いた小野義真とともに帰国の途に就く。
 

[明治四年(1871)] p103
年初、小野義真とともに上京、
渡米準備のため横浜の修文館で英語を学び、
同館寄宿舎でパーレーの『万国史』の訳出に励む。
 

[明治五年(1872)]※小野一雄
[小野梓:明治5218日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]
二月頃、横浜から出帆して渡米、
サンフランシスコからニューヨークに至り、
ブルックリンに到着、
同地でジョンソン博士に師事し、
法律を学び始める。
 

[明治六年(1873)] p103
三月二〇日、米国より小野義真に書翰を送り、
岡本健三郎(大蔵省大丞)の斡旋により
大蔵省官費留学生となる予定を伝える。
 ―略―
 二〇〇二年二月二八日印刷
 二〇〇二年三月一〇日発行
※平成14年3月10日発行
 編集 早稲田大学
 発行 早稲田大学
 

[鳥海弘毅:京都女子手藝學校]【中等教育諸学校職員録. 明治41年10月現】

【中等教育諸学校職員録. 明治41年10月現】
[私立 京都女子手藝學校] p142/451
 京都市中立賣通西洞院東入
 明治三十五年三月創立
 現在生徒二百三十二名
名譽校長              大塚 要
校長兼理事             鳥海弘毅
主幹兼理事 漢、算、代、造花、修、 中森孟夫
理事                頼 龍三
敎授兼敎務 國、英、歷、修、    羽田 亨
仝兼庶務  國、地、修、      川島元次郎
敎授    刺、          石田常七
仝     洋裁、         林 鈴子
囑託    體、          西村兵一
敎授    裁、家、        土肥原京子
仝兼事務  習、          藤堂元誠
敎授    洋裁、         大見文太郎
仝     茶、          大塚宗圀
仝     造花、         大森岩雄
仝     刺、          渡邊庄次郎
仝     裁、          吉田ふさ
仝     國、          田中 薫
敎授兼敎務 國、英、敎、習、    田中了惠
敎授    裁、          田中千代
仝兼舎監  造花、裁、       中森かね
敎授    裁、          永味美津
仝     國、          山岡道行
仝     裁、          松生八重
仝     音、唱、        藤田胸三郎
仝     理化、算、幾、     藤沼とき
囑託    割烹、         福田芳峯
敎授    理化、         小松 茂
仝     裁、          小林澤江
仝     筝曲、         江良千代
仝     裁、          阿部輝子
囑託    割、          坂本恒吉
敎授    畫、          箕田玉章
囑託    博、生、        白井彦聖
敎授兼舎監 裁、          關 郁子
敎授    生花、作法、      舌 八重
名譽講師  歌文學、        池邊義家
仝     外國語、        春木一郎
仝     國、漢、        畠山太郎
仝     繪畫、         山元春擧
校醫                大村達齊
庶務                小林ふし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779898/142
明治四十一年十二月一日印刷
明治四十一年十二月五日發行
(非賣品)
編纂並發行者 中等敎科書協會
       東京市日本橋區本材木町三丁目十六番地
右代表者   稻垣義真
印刷者    青木 弘
       東京市牛込區市ケ谷加賀町一丁目十二番地
印刷所    株式会社秀英舎第一工場
       東京市牛込區市ケ谷加賀町一丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779898/444
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 

[京都橘大学]
トップページ> 学校法人 京都橘学園> 建学の精神
建学の精神
「力を実業教育に注ぎて、将来自営独立の実力を得しめん」
[創設者]
中森孟夫(なかもり たけお)
[経歴]
1868(明治元)年、滋賀県蒲生郡(現、日野町)の農家に生まれる。
1890(明治23)年、泰西簿記学校を設立。その後、京都高等学院などを設立。
1902(明治35)年、京都橘学園の前身となる京都女子手芸学校を京都市内に設立。
1909(明治42)年、同校校主辞任。
1913(大正2)年から1919(大正8)年まで、
        ハワイ、ホノルルの日本人学校などで教鞭をとる。
1946(昭和21)年、死去。
[解説]
京都橘大学と京都橘中学校・高等学校の前身は
「京都女子手芸学校」(1902年設立)です。
創設者である中森孟夫は、青年時代、小学校で教鞭をとる傍ら、
村の青年を集めて夜学を開き読み書きを教えました。
 ―略―
http://www.tachibana-u.ac.jp/about/corporation/founding.html

 

[鳥海弘毅:京都府収税長]【京都府職員録. 明治28年12月改正】

【京都府職員録. 明治2812月改正】
知 事 從三位勳二等 山田信道  熊本縣士族
    高等官一等(年三、五〇〇)
書記官 從五位勳六等 本部 泰  鳥取縣士族
    内務部長
    文官普通試驗委員長
    高等官三等(年二、〇〇〇)
警部長 從六位勳六等 田中貴道  福岡縣士族
    文官普通試驗委員
    高等官五等(年一、四〇〇)
収税長 正六位勳六等 鳥海弘毅  秋田縣士族
    文官普通試驗委員
    高等官四等(年一、四〇〇)
參事官 正七位    大槻龍治  宮城縣士族
    内務部第一課長兼第六課長
    官報報告主任
    文官普通試驗委員
    市町村立小學校敎員銓衡委員
    神職試驗委員長
    社司社掌試驗委員長
    高等官六等(年一、〇〇〇)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779550/2
明治二十八年十二月十八日印刷
明治二十八年十二月十九日發行
編輯     京都府知事官房
發行兼印刷者 中西嘉助
       京都市上京區下賣通小川東入
             西大路町拾番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779550/60
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《鳥海弘毅君傳》[小野梓亦嘗て士籍を奉還して平民と為り四方に漫遊す]

【京都府下人物誌. 1編】明治24年7月20日出版
《鳥海弘毅君傳》p29-33/108
 ―略―
明治二年(1869)     p29/108
君藩撰を以て東京に遊學す
君の説果して行はる
君東京に至るや直に福地源一郎氏の門に入る
未だ幾くならすして去る
福地氏は洒落の人なり
其業を授くるや體貌を修めす
衣襟或は幇間に類するあり
君謂?く以て師とするに足らさるなりと卒に去り
大學南校に入る
巳にして政府各藩の貢士を召す
龜田藩君を薦む
君尚政府の命により大學に在ること二年
君常に外國敎師の傲慢にして禮なきを憤る
竟に同盟數人と校を退く
君校を退くの後
頗ぶる志士の間に往來し大に經綸を論す
事聞き藩大に之を憂へ
君等を召還す
君應せす
既にして藩英學校を起し君等を招き敎授を主らしむ
既に歸る事皆計に出つ
盖し君等の
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/29
東京にあるや
其激論を爲し四方に徘徊するを恐る
是を以て事に托して君等を召還せしなり
君歸るの後爲す處なく快々として樂ます
頻りに出遊を思ふ
然れとも當時尚家に老母あり
且つ曩に學成らずして
一旦竟に故園に歸るの故を以て復た
藩命あるにあらすんは出遊を許されす
是を以て其機を得ず
是に於て一計を案し
自から下り足輕の格に入り
藩の飛脚と為り
以て東京に出つ
飛脚は賤業なり士のなさゝるところ
而して君之を爲して顧みす
盖し士卒平權論を躬行せんとするの意に出つ
小野梓亦嘗て士籍を奉還して平民と為り四方に漫遊す
亦君と其轍を同ふす
君か再ひ東京にあるや
某の家に客たり
當時維新日淺く
天下の事尚未た其緒に就かす
君爲以?く國家の要は敎育にあり
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/30
明治廿四年七月廿日印刷
明治廿四年七月廿日出版
定價 金廿五銭
著者兼發行者 櫻井敬太郎
       京都市上京區堺町夷川上ル
       絹屋町二十四番戸寄留
仝      佐野精一  靜岡縣平民
       同所寄留
仝      手嶋 誾  大阪府平民
       同所寄留
印刷者    小倉皆應  廣島縣平民
       京都市下京區油小路御前通下ル
       玉本町第五番戸寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/103
發行所    金口木舌堂
       京都市上京區堺町夷川上ル
       絹屋町廿四番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/104
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[鳥海弘毅 とりのうみ ひろき]
生没年 嘉永2(1849)~大正3(1914)
分 類 官吏
略 歴 秋田県岩城町に、亀田藩士加藤権九郎の長男として生まれる。
    戊辰戦争では三崎口に出陣している。
    明治2年、藩費で久野謙次郎、中田直慈とともに
    大学南校(東京大学の前身)に入学するが中退。
    その後京都府収税長などを勤める。
    日本武徳会の創立者の一人として知られ、
    小野派一刀流、日置流弓術、大坪流馬術にすぐれた。
    武徳会幹事長。
    京都府で病没。
http://soutairoku.com/07_douzou/20_to/torinoumi_hiroki.html

 

《靑山千世》《吉川若菜》《古市洛》罫畫具を賜はり【東京女子高等師範学校沿革略志】

《靑山千世=旧姓 森田:山川菊枝の母》
《吉川若菜=鳥海若菜:鳥海弘毅の妻》
《古市洛》
[罫畫具を賜はり]
【東京女子高等師範学校沿革略志】大正4年

【東京女子高等師範学校沿革略志】
 大正4年11月29日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939534/103
七 開校式 皇后陛下の行啓 p37-38/105
職員の任命・生徒の入學等、
開校の準備既に整ひ、
校舎の建築竣成を告げしを以て、
明治八年(1875)十一月二十九日
開校式を擧ぐ。
此の日               p37/105
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939534/37
皇后陛下行啓あらせられ令旨を賜ふ。 p38/105
式の次第は載せて本校記事録に詳かなれば、
茲に其を轉載して當日の盛儀を偲ぶよすがとせむ。
 明治八年(1875)十一月二十九日
 本校開業式の節
 皇后陛下行啓せさせ給ふ。
 三條太政大臣・
 大久保内務卿・
 萬里小路宮内大輔・杉宮内少輔・山岡宮内大丞・
 其他供奉せり。
 午前九時着御。
 一同
 奉迎便殿に入御、
 暫時にして攝理   ※攝理:中村正直
 御先導式場に進御。
 文部大輔
 本校管錀及書類を
 攝理に公布し、
 攝理
 敎則等を
 皇后宮に晋呈す。
 此時
 御令旨あり。
 攝理以下
 祝詞朗讀。
 敎諭
 《淺岡一》は生理書を、
 生徒
 《靑山千世》は勸善訓蒙を、
 《吉川若菜》は立志篇を、
 《古市洛》は國史攬要を講し、
 上聴に達す。
 次で、校舎御通覽の後、
 生徒
 《靑山千世》
 《吉川若菜》
 《古市洛》に
 各
 罫畫具を賜はり、
 午前十一時還駕。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939534/38

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《鳥海若菜 旧姓 吉川:鳥海弘毅の妻》
[小學 師範學科 明治12年7月卒業]
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599605.html

《鳥海若菜 旧姓 吉川:鳥海弘毅の妻》[明治12年7月卒業]【女子高等師範学校】

《鳥海若菜 旧姓 吉川:鳥海弘毅の妻》
[小學 師範學科 明治12年7月卒業]
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】

《鳥海若菜 東京日本橋 坂本町 学者 吉川楽平 長女》

【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
 明治35年8月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/133
五 小學 師範學科 卒業生  p123/138
明治十二年二月卒業(十五人) p123/138
    岩崎ちせ  東京士
鈴木  池田きみ  東京平
山岡  林 くわ  滋賀士
長谷川 西川ふみ  青森士
諏訪  布浦たか  島根士
佐久間 相馬りく  滋賀士
岡村  中村ますゑ 廣島士
山崎  山口ゑい  鹿児島士
   《古市らく》 兵庫士
一增  福田ふく  長崎平
田中  藤村 頴  東京士
    佐方 鎭  東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/123
水野  菊池みね  東京士  p124/138
    師岡のぶ  東京平
靑山 《森田ちせ》 東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124

明治十二年七月卒業(十八人) p124/138
鬼頭  石川ます  千葉士
    埴原 鏡  東京平
平塚  萩原さう  高知士
吉川 《鳥海若菜》 東京平
    小具てい  東京士
明石  尾本まつ  京都平
關口  高木こう  東京平
中村  大森 文  東京士
小野  日下てい  福岡平
蘆野  藤村はる  岩手士
雨宮  古屋つね  山梨平
    小沼なみ  東京平
平塚  小宮ひで  神奈川平
    榎本つね  和歌山士
    雨宮たに  山梨平
柏井  菊池いち  東京士
萩野  志方ぎん  埼玉平    ※萩野⇒荻野 誤植:小野一雄
喜多見 四宮とも  徳島士 死亡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124
明治十三年二月卒業(十九人) p124/138
    ―略―
明治十三年七月卒業(十五人) p124/138
    ―略―
明治十四年二月卒業(十七人) p125/138
    ―略―
明治十四年七月卒業(十六人) p125/138
永井  服部たか  東京平
多賀 《鳩山はる》 東京士
松下  林 しやう 廣島士
長嶺  本多さだ  青森士
小池  神中なつ  和歌山士 死亡
長谷川 宇川てつ  東京士  死亡
押川  猪狩ゑい  宮崎士
猪子  沖野 筆  兵庫士
吉村  倉田かな  静岡士  死亡
川名  古市こう  兵庫士
    伏見りう  愛知士
厚木  小杉くら  静岡士
堤   木暮きよ  群馬平
田寺  阪根てふ  山口士
志賀  宮本 幸  長野士  死亡
本多  平山よし  東京平
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/125
明治十五年二月卒業(十一人) p125/138
    ―略―

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《鳥海弘毅:秋田県 學校長 庶務課長》
【秋田県職員録. 明治15年7月改正】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599593.html

『参考資料』
<あきた(通巻84号) 1969年(昭和44年) 5月1日発行 -全64ページ->
[人・その思想と生涯㊲] ~和田汀史~
筆者 本荘市松ケ崎申学校教諭、郷土史研究家で、
   著書に「亀田の家と人」などがある。
   岩城町郷土史編集委員、亀田城門の会副会長。
 ―略―
二人の結婚は明治十四年三月一日で、
鳥海が三十三歳、若釆夫人が二十四歳の時であった。
若釆は東京日本橋の坂本町の学者吉川楽平の長女で、

女子師範(後の東京高等女子師範)時代は
津田英学塾の津田梅子や鳩山一郎の母堂の春子と同級で、
才媛のきこえが高かった。
二人の生活には経済的に苦しい時代もあったが、
夫人は決してその苦しさを表面に出さなかったという。
訪問客にも一度として不快な思いをさせなかったそうで、
鳥海家に出入していた人々は口をそろえて
日本婦人の亀鑑であると賞讃している。
若釆夫人の能書は有名で家事の合間に
源氏物語四十八巻を毛筆で写されたのが、
今も同家にたいせつに保存されている。
 ―略―
http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/084/084_049.html

《靑山千世=旧姓 森田:山川菊枝の母》
《吉川若菜=鳥海若菜:鳥海弘毅の妻》
《古市洛》
[罫畫具を賜はり]
【東京女子高等師範学校沿革略志】大正4年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2600625.html

《鳥海弘毅 地主姓名:宅地 京都市上京區鹿ケ谷町字宮ノ前六番地》大正1年

《鳥海弘毅 地主姓名:宅地 京都市上京區鹿ケ谷町字宮ノ前六番地》
【京都市及接続町村地籍図. 第1】大正1年

上京區 元第三十四組 鹿ケ谷町字宮ノ前六番地
《鳥海弘毅》     p260/273
字   地番   等級 地目 反別・坪    地主姓名
宮ノ前  四ノ二 九下 山林 ・二〇〇   《鳥海弘毅》
同    六   三四 宅地 七六一・一九 《鳥海弘毅》
同   四四      堤  ・〇一六   《鳥海弘毅》
同   四四ノ八 九下 山林 ・〇〇一   《鳥海弘毅》
※宅  地:761.19坪
※山林・堤:  0.217反
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/260

【京都市及接続町村地籍図. 第1】大正1年10月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/272
一 本圖中 地番反別ヲ記入スルニ
  二樣ノ數字ヲ以テセリ
  其 日本數字ハ地番ニシテ
  横文數字ハ反別 又ハ坪數トス
一 本圖中 地目ノ記入ナキハ總テ宅地トス
  又 壺數 反別ノ記入數字中(・)以下
  二字ナルハ坪數ニシテ
  三字ナルハ悉ク反別ナリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/8
南禅寺町 p237/273
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/237
上京區 元第三十四組 p235/273
粟田口町       p235/273
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/235
鹿ケ谷町       p257/273
《鳥海弘毅》     p260/273
字   地番   等級 地目 反別       地價     地主姓名
宮ノ前  四ノ二 九下 山林 ・二〇〇     二・五〇〇 《鳥海弘毅》
同    六   三四 宅地 七六一・一九 七二三・一三〇 《鳥海弘毅》
同   四四      堤  ・〇一六           《鳥海弘毅》
同   四四ノ八 九下 山林 ・〇〇一      ・〇四〇 《鳥海弘毅》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966156/260

【京都市及接続町村地籍図. 第1 附録】大正1年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966157/2
(元三十四組ノ内) p152/158
鹿ケ谷町ノ内
  字 北野
  字 高岸
  字 不動堂
  字 高原
  字 西浦
  字 御陵所
  字 櫻谷
  字 宮ノ前 地図:下の中央 ※小野一雄
〔地図 印刷 不鮮明〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966157/152

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

旧住所:京都市上京區鹿ケ谷町字宮ノ前六番地
現 在:京都府京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町
http://goo.gl/maps/W4tEH

〒 606-8431
京都府京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町
シシガタニミヤノマエチョウ

《鳥海弘毅》[長崎税務監督局長 進階 正五位 明治三十五年十二月]

《鳥海弘毅》
[長崎税務監督局長 進階 正五位 明治三十五年十二月]

明治三十五年十二月
從五位 勳四等 《鳥海弘毅》 p3/23

長崎税務監督局長  從五位 勳四等 《鳥海弘毅》 p12/23
宇都宮税務監督局長 從五位 勳四等 《清宮 質》
右 疾病ニ罹リ
職務ニ堪ヘサル為
辞表差出候
?満十年以上
高等官在職勤勞
尠カラサルニ付
位階進級相成度
謹テ上奏ス
明治三十五年十一月十七日
  大蔵大臣 男爵 《曽禰荒助》

 進 階   p13/23
正五位 三十三年十二月廿七日
    叙 従五位 奏任在官十年以上 《鳥海弘毅》
正五位 三十三四年十月三十日
    叙 従五位 奏任在官十年以上 《清宮 質》
陸軍工兵大佐田村義一外二十三名
特旨叙位ノ件
○山形県南村山郡長相良守典、
長崎税務監督局長鳥海弘毅外二名、
海軍造兵少監小杉辰三
【 階層 】国立公文書館>内閣>叙位裁可書>明治>
明治35年>叙位裁可書・明治三十五年・叙位巻二十
【 レファレンスコード 】A10110113900
【 年代域 】明治35年【 画像数 】23
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《鳥海弘毅 大蔵省 京都税務管理局 局長》 【職員録】明治29年~明治35年

《鳥海弘毅 大蔵省 京都税務管理局 局長》
【職員録】明治29年~明治35年

《鳥海弘毅 京都市上京區廣道通三條上ル粟田口町》

【職員録. 明治35年(甲)】
〔京都税務管理局〕  京都市上京區川端通丸太町下ル p95/486
局 長 《鳥海弘毅》 從五 勳四 四等 一級    p95/486
           京都市上京區廣道通三條上ル粟田口町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/95
      ――――――――――
【職員録. 明治29年(甲)】
 明治30年1月9日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779772/343
[大蔵省] 麹町區大手町一町目     p54/348
大臣(兼)内閣総理大臣 《松方正義》  p54/348
次官          《田尻稻次郎》 p54/348
             從四、勳二、法學博士、
             小、金富、四六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779772/54
〔京都税務管理局〕        p76/348
司税官
 局長 《鳥海弘毅》 正六 勳六 p76/348
           四等五級
    《靑木咸一》 從六 勳八 p76/348
           五等七級
      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779772/76

【職員録. 明治30年(甲)】
 明治30年12月16日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/370
[大蔵省] 麹町區大手町一町目 p56/375
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/56
〔京都税務管理局〕         p79/375
司税官
 局長 《鳥海弘毅》 正六 勳五  p79/375
           四等五級
    《靑木咸一》 從六 勳六  p79/375
           五等七級
      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/79

【職員録. 明治32年(甲)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779776/1
[大蔵省] 麹町區大手町一町目        p56/401
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779776/56
〔京都税務管理局〕              p64/401
局 長 《鳥海弘毅》 正六 勳五 四等 一級 p64/401
司税官 《川上常郎》 間税課長  七等 四級 p64/401
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779776/67

【職員録. 明治33年(甲)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779778/1
[大蔵省] 麹町區大手町一町目              p83/444
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779778/61
〔京都税務管理局〕京都府廰内               p83/444
局 長 《鳥海弘毅》  正六 勳五 四等 一級      p83/444
司税官 《山本小三郎》 間税課長 從七 勳七 七等 四級 p83/444
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779778/83

【職員録. 明治34年(甲)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779780/1
[大蔵省] 麹町區大手町一町目            p66/475
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779780/66
〔京都税務管理局〕   京都市上京區川端通丸太町下ル p90/475
局 長 《鳥海弘毅》  從五 勳四 四等 一級    p90/475
司税官 《高尾幸次》  從七    七等 三級    p90/475
            京都市上京區河原町通下切通上ル
兼務  《山本小三郎》                p90/475
     ―略―
上京税務署 京都市上京區川端通丸太町下ル       p90/475
司税官 《山本小三郎》 從七 勳六 七等 三級    p90/475
            京都市上京區下切通新烏丸東入
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779780/90

【職員録. 明治35年(甲)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/1
[大蔵省] 麹町區大手町一丁目           p71/486
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/71
〔京都税務管理局〕   京都市上京區川端通丸太町下ル p95/486
局 長 《鳥海弘毅》  從五 勳四 四等 一級    p95/486
            京都市上京區廣道通三條上ル粟田口町
司税官 《高尾幸次》  從七    七等 三級    p95/486
            京都市上京區河原町通下切通上ル出水町
兼務  《山本小三郎》                p95/486
     ―略―
上京税務署 京都市上京區川端通丸太町下ル       p95/486
司税官 《山本小三郎》 從七 勳六 七等 三級    p95/486
            京都市上京區川端通丸太町下ル
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/95

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《鳥海弘毅 京都市上京區廣道通三條上ル粟田口町》
[KYOTO CRUISE]
京都クルーズ~平成の京雀~
京都クルーズ・ブログ
2012年 03月 15日
<三条広道について>
http://office34.exblog.jp/14868236/

昨日の予告をうけて「三条広道」の話をしてみる。
―略―
普通は「岡崎通」という名前が
一般的といった注意事項がつくことである。
これでお分かりのとおり、
「広道」とは要するに岡崎通の旧名なのである。
そして三条岡崎となると、
ある程度、京都の地理に通じている人なら、こう考えるはずだ。
「え~と、神宮道の東側が岡崎通だから、
 それと三条が交差するあたりというと……
ああ蹴上のあたりかな、
 そこまで行かないか、粟田口ぐらいかな」と。
―略―
さて、そんな広道こと岡崎通なのだが、
バス停の名前だけでなく、
郵便局の名前にも残っている。
三条岡崎の交差点から少し西に行ったところにある
普通郵便局(現行の分類では普通郵便局とは言わないかも?)が
「三条広道郵便局」なのである。
―略―
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201203/15/38/a0029238_23213621.jpg

さて、話が拡散気味になってきたので、
当面の課題である広道=岡崎通に戻しておこう。
昭和3年の公報に記されている内容は、
以下のようなものである(赤三角の行)。
「春日北通岡崎北御所町1」から
「三条通南入中ノ町194」の間が、
旧名「広道」だったものを
「岡崎通」に改めるというものである。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201203/15/38/a0029238_22564792.jpg

「三条広道郵便局」
京都三条広道郵便局
〒605-0034
京都府京都市東山区三条通白川橋東4丁目 中之町210-5

《鳥海弘毅:京都府 収税長》[京都市上京區南禅寺町]【職員録. 明治28年乙】

《鳥海弘毅:京都府 収税長》
[京都市上京區南禅寺町]
【職員録. 明治28年(乙)】

【職員録. 明治28年(乙)】
 明治28年12月20日印刷及発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779771/222
[京都府]京都市上京區下立賣通新町 西入 藪ノ内町 p44/227

知 事 《山田信道》
     一等 從三 勳二
     京都市上京區下立賣通新町 西入 藪ノ内町 官舎

書記官 《本部 泰》
     三等 從五 勳六
     文官普通試験委員長
     京都市上京區烏丸通今出川上ル 西入

警部長 《田中貴道》
     五等 從六 勳六
     文官普通試験委員長
     京都市上京區新町通下立賣下ル 春帯町 官舎

収税長 《鳥海弘毅》
     五等 從六 勳六
     文官普通試験委員長
     京都市上京區南禅寺町
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779771/44

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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