『図録 小野梓』
[大学創立一二五周年記念・生誕一五〇周年記念]
[立憲政治の先駆・大学創立の功労者]
≪小野梓年譜≫ p102
[明治二年(1869)] p102-103
二月頃、岩村道俊に伴われ宿毛を出発し、
大阪・京都を経て東京に到着、
岩村家に寄寓して漢学を学ぶ。
九月頃、岩村の北海道赴任(函館府権判事)後、
東京に残って昌平学校に学ぶ。
一一月頃、藩命により帰郷を命ぜられる。
帰郷後、藩の束縛を嫌って叔父善平の養子となり
士族籍を脱して平民となる。
[明治三年(1870)] p103
春、大蔵省会計監督官の小野義真を大阪に訪ね、
同家に寄寓して英学を学ぶ。
七月頃、小野義真の世話で、
名を東島興児とあらためて神戸から上海に渡り、
中国内地を旅行、「救民論」を執筆し、
また岡山県人西毅一らと交わる。
一一月、公務で上海に赴いた小野義真とともに帰国の途に就く。
[明治四年(1871)] p103
年初、小野義真とともに上京、
渡米準備のため横浜の修文館で英語を学び、
同館寄宿舎でパーレーの『万国史』の訳出に励む。
[明治五年(1872)]※小野一雄
[小野梓:明治5年2月18日 飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]
二月頃、横浜から出帆して渡米、
サンフランシスコからニューヨークに至り、
ブルックリンに到着、
同地でジョンソン博士に師事し、
法律を学び始める。
[明治六年(1873)] p103
三月二〇日、米国より小野義真に書翰を送り、
岡本健三郎(大蔵省大丞)の斡旋により
大蔵省官費留学生となる予定を伝える。
―略―
二〇〇二年二月二八日印刷
二〇〇二年三月一〇日発行
※平成14年3月10日発行
編集 早稲田大学
発行 早稲田大学