◆松村守一

《松村守一》川崎航空機工業(株)監査役【航空年鑑 昭和16-17年】

【航空年鑑 昭和16-17年】
著者    大日本飛行協会 編
出版者   大日本飛行協会
出版年月日 昭和16
p25【航空年鑑 昭和16-17年】
p25【航空年鑑 昭和16-17年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1172346/1/25
川崎航空機工業株式會社
一、創 立 昭和十二年十一月十八日
一、資本金 五千萬圓
一、本 社 兵庫縣明石市和坂字大坪一〇〇
  明石發動機工場 同右
  明石機體工場  同右
  岐阜工場 岐阜縣稻葉郡蘇原村
  明石防毒兵器工場 兵庫縣明石市茶園場町一六〇九の一
  東京出張所 東京市丸の内 郵船ビル七三一號室
一、役 員
  專務取締役 社長    鑄谷 正輔

  專務取締役兼
  明石發動機工場所長   根本 莊行

  取締役技監       伊藤周次郎

  取締役         川崎 芳熊

  取締役兼岐阜工場所長兼
  明石機體工場所長    東條  壽

  監査役         松村 守一

  本店總務部長      砂野  仁

  本店附兼東京出張所長  山崎  精

  明石發動機工場副所長兼
  同製作部長       吉川 進一

  岐阜工場副所長兼
  岐阜工場業務部長
  經理課長兼本店附    八子 正敬

  明石機體工場副所長兼
  岐阜工場製作部長兼
  明石機體工場製作部長  樫山 利邦

  明石防毒兵器工場所長  荒井 耕作

一、航空關係營業種目
  航空機、發動機、装備品、部分品及び
  防毒具の製造修理並
  之に附隨する一切業務
p225【航空年鑑 昭和16-17年】
p225【航空年鑑 昭和16-17年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1172346/1/225
昭和十八年七月十五日印刷
昭和十八年七月二十日發行
出文協承認470780(初版5,000部)
停 頒價 金五圓五拾錢
編著者 北尾 龜男
發行者 荻原 四郎
    大日本飛行協會代表者
    東京都芝區田村町一丁目三番地
印刷者 渡邊丑之助
    東京都芝區愛宕町二丁目十四番地
印刷所 愛宕印刷株式會社
    東京都芝區愛宕町二丁目十四番地
    (東東一二五)
發行所 大日本飛行協會
    東京都芝區田村町一丁目三番地
    (會員番號二一六〇三五)
    電話銀座(57)五六七七(代表)
    振替口座東京五六九九番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京都神田區淡路町二丁目九番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1172346/1/307
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《原 邦道》原權三郞の三男【人事興信録】(第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

《原 邦道》原權三郞の三男
【人事興信録】(第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

原邦道 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 從五位
爵位・身分・家柄 島根縣在籍
職業 銀行檢査官、日本勸業銀行監理官
性別 男性
生年月日  明治二十三年十二月 (1890)
親名・続柄 原權三郞の三男
家族
母 カツ  文久二、六生、島根、福間泰四郞三女
妻 てる子 明三五、四生、東京、杉原宗三郞三女、
      雙葉高等女學校出身
記述部分(略伝)
君は島根縣人 原權三郞の三男にして
明治二十三年十二月を以て生る
大正五年 東京帝國大學法科大學經濟學科を卒業し
税務監督局屬となり副司税官
金融制度調査準備委員會幹事等を經て
昭和二年 銀行檢査官となり
現に日本勸業銀行監理官たり
家族は尚
亡兄 權三郞 妻カウ(明二三、四生、島根、昌子亮一妹)
同  長男  良宗(大四、三生、現戸主)の外其弟妹あり
住所・電話番号
東京市外大久保町西大久保一〇  電四谷五三六三
参照人物(親類) 杉原宗三郞、昌子亮一、※山口俊治
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《原權三郎翁墓銘》
【廻瀾余滴】昭和9年
著者    谷口為次 著
出版者   江角英一
出版年月日 昭和9
  原權三郎翁墓銘
諱  邦宗。
通稱 權三郎。
號  靜川。
八束郡忌部村。
松浦忠兵衞 季子也。

大正八年一月十六日病歿。
嘉永五年五月生。
享年六十有六。
配 福間氏。
二男一女。
長  保定。嗣家。
次  邦道。法學士。
   今爲 小倉税務署長。
女  仲子 適 于 久保田某。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1023286/1/121
昭和九年十二月十五日印刷
昭和九年十二月二十日發行 (非賣品)
著 者 谷口 爲次
編輯兼 江角 英一
發行者 東京市世田谷區太子堂町一七五番地
編輯兼 井上  梢
發行者 廣島縣雙三郡布野村横谷一二六六番地
印刷者 吉原 良三
    東京市牛込區早稻田鶴巻町一〇七番地
〔株式會社 康文社印刷所 印刷〕
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【以久美竹】
著者    原保定 編纂
出版者   原保定
出版年月日 1913.2
大正元年十一月十六日 原 邦道 識
https://dl.ndl.go.jp/pid/1907126/1/80
大正二年二月一日印刷
大正二年二月五日發行 (非賣品)
編纂兼 原  保定
發行者 島根縣出雲國簸川郡平田町九百九十二番地
印刷所 平田報光社
    島根縣出雲國簸川郡平田町千八十番地
    振替口座大阪五七三六番
    電話二十二番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1907126/1/81
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《松村守一邸の会見》原 邦道(大和銀行相談役)【西山弥太郎追悼集】昭和42年(1967)

《松村守一邸の会見》原 邦道(大和銀行相談役)
【西山弥太郎追悼集】昭和42年(1967)

【西山弥太郎追悼集】昭和42年(1967)
著者    西山記念事業会 編
出版者   西山記念事業会
出版年月日 1967
  松村守一邸の会見  p68-70/336
    原 邦道(はら・くにみち)
    大和銀行相談役
    明治二十三年(1890)生
    島根県出身
昭和二十五年(1950)
初秋のころと記憶しますが、
当時私は追放中で
西宮市南郷町に蟄居中でありました。

ある日、
松村守一氏から、
相談したいことがあるから
来てくれとの電話がありました。

松村守一氏は同郷の先輩で義理の叔父にあたり、
神戸高商卒業後第一銀行に就職し、
神戸支店長から川崎重工業の役員に転出して
長年川重の経営に当たった人であります。

私は魚崎の松村守一宅へまいりましたところ、
でっぷり肥った紳士が同席され、
松村守一氏は初対面の私に紹介されました。

この人が西山弥太郎さんでありました。

かねて新聞雑誌等で伝えられました
西山さんは非常な活動家で精力的であり、
実行型のたくましいお人だと思っていましたが、
実に物柔らかな、
愛嬌たっぷりで人を引きつける魅力が充満した
好紳士だというのが私の第一印象でありました。

相談というのは
川鉄千葉製鉄所に関することでしたので、
まず西山さんは一通り新製鉄所計画の輪郭と
雄大な千葉製鉄所の未来図について説明され、
ついで松村守一氏から
所要資金の調達について
相談をうけました。

その後
私はいろいろ工夫し
奔走もいたしましたが
微力のいたすところ、
ついにうまく参りませんでした。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2975004/1/68

時が移り諸般の情勢もやや好転しました
二十八年(1953)ごろには西山構想も
クローズ・アップされ、
第一銀行も全面的に金融の裏づけを
決定されました。

また長期資金の供給を使命として発足しました
日本長期信用銀行も酒井頭取の
お指図に従って協力いたしました。

かつて神戸の松村守一邸で
西山さんとの初対面を思いだしまして、
当時の願望が実を結んだことを
喜んだ次第であります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2975004/1/70

昭和二十九年(1954)一月
川崎製鉄株式会社の指定商社
青山特殊鋼株式会社、
新庄鋼材株式会社、
摩耶興業株式会社は合併して
川鉄商事株式会社を設立し、
元川崎重工業株式会社
専務取締役
松村守一が社長に就任した。
西山はその創立総会に出席し、
祝辞を述べ
毛利元就の三本の矢の故事をひいて
社内の結束、
販売部門の強化を訴えた。
p313【西山弥太郎追悼集】昭和42年(1967)
〔画像〕p313【西山弥太郎追悼集】昭和42年(1967)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2975004/1/313
西山弥太郎追悼集
■発行・責任者
 昭和四十二年八月十日
 西山記念事業会・藤本一郎
 神戸市葺合区北本町通一丁目一番地
 川崎製鉄株式会社内
■制作・印刷
 株式会社経済雑誌ダイヤモンド社
 東京都千代田区霞が関一丁目四番二
 非売品
https://dl.ndl.go.jp/pid/2975004/1/333
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月02日15:35
《松村守一》松村仙造(真澄)の実弟―03
《松村守一》三男
明治17年(1884)12月13日生
昭和41年(1966)[83歳]歿
《松村 ヒサ(久子)》
明治26年(1893)3月24日生
《松村仙造》二男
明治13年(1880)7月19日生
昭和3年(1928)3月3日[48歳]歿

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月23日04:34
《松村守一》【人材・島根:県人名鑑】昭和13年
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《松村守一:経理》平生釟三郎と川崎造船所【企業拡大の着眼点:巨像へのマネジメント】1965

《松村守一:経理》平生釟三郎と川崎造船所
【企業拡大の着眼点:巨像へのマネジメント】1965

【企業拡大の着眼点:巨像へのマネジメント】1965
著者    小林宏 著
出版者   実業之日本社
出版年月日 1965
平生釟三郎と川崎造船所  p27-33/170
 松方幸次郎の退場
昭和三年五月二十六日、
当時川崎造船所(現在の川崎重工の前身)の
松方幸次郎社長は、
臨時株主総会において、
声涙ともにくだる悲痛な
社長辞職の挨拶を行なった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/27
 ワンマン松方の夢と悲劇
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/28
 ピンチ・ヒッター平生釟三郎
鹿島社長急死のあとをうけて、
昭和八年三月、三代目社長に就任したのは、
平生釟三郎であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/29
 再建はウィーク・ポイントの補強から
まず平生は、川崎造船所はつぎの三つの点が
致命的な欠陥であるとして、
その早急な改善対策をたてた。
三つの欠陥とは、
 一 資金操作が、へたであること
 二 営業が弱くて、へたであること
 三 工場管理が、へたであること
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/30
さて、平生は、右のような方針をかかげて、
川崎の再建にとりかかったが、
肝心の夫子みずから、
この方面にはとんと未経験であって、
手のくだしようがない。
そこで、考えた手は、
右の三つの欠点を解決するに
ふさわしい人材を
どこかから見つけてきて、
彼らにそれをやらせることであった。

まず、
第一銀行の神戸支店長をしていた
松村守一に目をつけ、
これを引き抜いて、
会社の経理をまかせることにした。

つぎに、当時海運界にくわしく、
営業肌の鋳谷正輔(専務)に営業の全部をまかせた。

最後に、海軍機関中将で
当時この途でのホープといわれていた
吉岡保貞を引き抜いて、
これに工場管理のいっさいをまかせた。
この吉岡のコネによって、
佐世保海軍工廠から海軍少将久原福松、
大野俊彦の二人が入り、
久原が総務を担当し、
大野が労務を担当することになった。
 すなわち
  平生 経理……松村
     営業……鋳谷
     管理……吉岡…久原(総務)
           …大野(労務)
という平生内閣が誕生した。

松村は識見豊富、
おまけに第一銀行と強いつながりがある。
金の途を絶たれた川崎が生きるための命綱でもあり、
資金に弱い川崎のマネジメントの筋金でもあった。

鋳谷は小柄、悠揚。
高等教育こそうけていなかったが、
全身これ機智のかたまり、
寸言人の心をとらえる不思議な魅力の持ち主。
おまけに、海運界のうらおもてに明るく、
営業の親分として、
うってつけの人物である
(のちに四代目社長となる)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/31
 ヴェテランをつかいこなした素人社長
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/32
松方と平生のこのまったく異なったタイプの、
二人の名経営者の残した教訓を、
今さらのようにかみしめているのである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/33
著者紹介 大正12年8月、鹿児島に生まれる
昭和18年、東京外語大学スペイン語科を卒業
小林 宏/ ¥470
企業拡大の着眼点 巨象のマネジメント
昭和40年5月15日 初版発行
発行者/増田 義彦
発行所/株式会社 実業之日本社
本社/東京都中央区銀座西1の3
   電話(561)5121 振替 東京326
関西支局/大阪市北区真砂町53 書協ビル内
   電話 大阪(312)4706
印刷/壮光舎印刷(本文)・小倉印刷(表紙・カヴァー)
製本/共文堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/167
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―大阪商船、山下汽船による株式肩代りと
 川崎造船所の対応―
 柴 孝夫
本稿作成にあたっては  p32/33
帝京大学の田付茉莉子助教授に
貴重なご助言をいただいた。
また川崎重工業株式会社、
大阪商船三井船舶株式会社の
所蔵資料の閲覧には関係各位に便宜をはかっていただいた。
末尾ながら記して感謝の意を表します。
(京都産業大学)
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《松村守一氏:第一銀行支配人》釜山財界と人物【朝鮮公論 10(7);7月號】大正11年(1922-07)

《松村守一氏:第一銀行支配人》釜山財界と人物
【朝鮮公論 10(7);7月號】大正11年(1922-07)

【朝鮮公論 10(7);7月號】大正11年(1922-07)
出版者   朝鮮公論社
出版年月日 1922-07
  釜山財界と人物 東萊迂人
 松村守一氏(第一銀行支配人)
釜山に於ける第一銀行は佐々木淸麿氏や
土岐僅氏などに依つて開拓せられ
古い歷史と古い得意を持つことに於て有名である
昨年前任者の永井啓氏が
實業界多方面の與望を捐(す)てて
小樽支店に榮轉した跡を承け
門司支店から來任し日尚淺いが
温厚と篤實の點に於て認められてゐる人多く
前任者の永井氏を女性的
現任者の松村氏を男性的なりといふが
そは外貌のみを見ての謂であつて
吾輩は寧ろその然らざるを思ふ
永井氏の圓轉滑脱
萬人に接して外(そ)らさず
一見優柔の如くにして
事に當るや勇往果斷なりしに反し
松村氏は頗る細心稠密
際立ちて社交に出づる事なく
從來培はれたる地盤の損せざらしめむるのみに
汲々とし
或ひは行是として然る乎と思はるれど
著しく消極的に堕した憾みがある氏も又
濱田氏と同じく神戸高商出身であるが
その性行の著しく世間一般の銀行家化したる點は
學歷より見て甚だ奇異の感に打たれる。
p42【朝鮮公論 10(7);7月號】大正11年(1922-07)
〔画像〕p42【朝鮮公論 10(7);7月號】大正11年(1922-07)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186978/1/42
大正十一年六月廿八日印刷納本
大正十一年七月 一日發行  第十卷第七號
編輯兼 貴田 忠衛
發行人 京城府太平通二丁目百十五番地
印刷人 大曲 重義
印刷所 京城印刷所
發行所 朝鮮公論社
發賣所 京城太平通二丁目
    振替口座京城一五七七番
    編輯用 電話本局 三三一五番 長三三一七番
             三三一六番
    營業用 電話本局 三七〇八番 長二四〇〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186978/1/100
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《松村守一》第一回卒業式(明治40年4月8日) 【神戸高等商業学校学友会報 (8)】明治40年(1907-04)

《松村守一》第一回卒業式(明治40年4月8日) 
【神戸高等商業学校学友会報 (8)】明治40年(1907-04)

【神戸高等商業学校学友会報 (8)】明治40年(1907-04)
出版者   神戸高等商業学校学友会
出版年月日 1907-04

神戸高等商業學校 學友會報 第八号
    學校紀事
  第一回卒業式及び卒業生
明治四十年四月八日午前十時より、
本校に於て第一回卒業式舉行の筈なり、
就職先  第一銀行
氏 名  松村守一
原籍地  島根
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539239/1/2
   葺合便
 (一)第一回卒業式
第一回卒業生九十二名の爲に、
本日卒業式を舉げられ申候、
卒業生の落付先、
式に先ちて業に已(すで)に定まり申候事、
社會の需要に投ぜしとは申ながら、
畢竟卒業生諸氏が奮闘の功
今日に顯(あら)はれたりとや申すべき、
今試(こころみ)に此(この)奮闘者が
學校の門をくゞりし時よりの統計を
左にしめして吾人の言を立證致すべく候。
 入学受驗競爭者      七〇八名
 豫科入學(一部 一三〇) 一七二名
     (二部  四二)
 本科一年へ進級      一四五名
 本科二年へ進級      一〇六名
 本科三年へ進級       九二名
而して今や九十二名揃ひも揃うて
卒業の榮を得られ候、
此幾回の選擇に一粒選に篩(ふる)ひ上げられし
諸君の前途は、
豫想するに難からず候、
然らば則ち諸君の爲に其光榮を喜ぶべき固より、
本校の爲にも此舉式を祝賀せざる可からず候。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539239/1/9
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松村守一》兵役に服務:明治40年12月より明治42年2月28日

《松村守一》兵役に服務:明治40年12月より明治42年2月28日

明治40年(1907)12月より兵役に服務
廣島歩兵第十一聯隊第十二中隊一年志願兵
明治42年(1909)3月1日召集解除

【神戸高等商業学校学友会報 (14)】明治41年(1908-01)
出版者   神戸高等商業学校学友会
出版年月日 1908-01
  〇同窓會會費受領報告
   (自十一月廿七日 至一月十五日)
一 金壹圓也 一ケ年分 松村守一君

  〇會員消息
一、昨年十二月より兵役に服務せられし會員中
  所屬聯隊の分明せるもの左の如し
廣島歩兵第十一聯隊第十二中隊一年志願兵
松村守一君
安田重雄君
p11【神戸高等商業学校学友会報 (14)】明治41年(1908-01)
〔画像〕p11【神戸高等商業学校学友会報 (14)】明治41年(1908-01)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539245/1/11

【神戸高等商業学校学友会報 (22)】明治42年(1909-02)
出版者   神戸高等商業学校学友会
出版年月日 1909-02
   會員動靜一束
〇松村守一君 廣島步兵第十一聯隊經理室(豫備見習主計)
p15【神戸高等商業学校学友会報 (22)】明治42年(1909-02)
〔画像〕p15【神戸高等商業学校学友会報 (22)】明治42年(1909-02)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539253/1/15

【神戸高等商業学校学友会報 (23)】明治42年(1909-03)
出版者   神戸高等商業学校学友会
出版年月日 1909-03
 八、會員動靜一束
〇松村守一君
 三月一日召集解除、
 從前の通り、
 大阪市東區高麗橋三丁目
 第一銀行支店に從事
p15【神戸高等商業学校学友会報 (23)】明治42年(1909-03)
〔画像〕p15【神戸高等商業学校学友会報 (23)】明治42年(1909-03)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539254/1/15
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松村守一》秋期野球大會(明治38年)11月【神戸高等商業学校学友会報 (5)】明治39年(1906-03)

《松村守一》秋期野球大會(明治38年)11月
【神戸高等商業学校学友会報 (5)】明治39年(1906-03)

【神戸高等商業学校学友会報 (5)】明治39年(1906-03)
出版者   神戸高等商業学校学友会
出版年月日 1906-03
 ◎昨年の野球界(野球部委員報告)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539236/1/30
(三)秋期野球大會(明治38年)十一月十八、十九日
第二回 本の三
一壘 松村守一
p31【神戸高等商業学校学友会報 (5)】明治39年(1906-03)
〔画像〕p31【神戸高等商業学校学友会報 (5)】明治39年(1906-03)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1539236/1/31
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松村守一》《大邊 弘》《大邊 修》【神戸高等商業学校同窓会会員録. 大正3年11月30日調】

《松村守一》《大邊 弘》《大邊 修》
【神戸高等商業学校同窓会会員録. 大正3年11月30日調】

【神戸高等商業学校同窓会会員録. 大正3年11月30日調】
松村 守一 (明治四〇年卒業)  p44/132
北海道札幌區南一條西三丁目
第一銀行札幌支店
◎(住ノ二)
島根縣簸川郡直江村六〇
◎(籍)同上
大邊  弘 (明治四一年卒業)  p58/132
大阪市西區本田二番町
範多商會大阪支店(本店神戸市)
◎(現住)
兵庫縣武庫郡精道村濵芦屋

大邊  修 (大正 三年卒業)  p58/132
大阪市北區中ノ島二丁目
江商合資會社
◎(住ノ二)
福岡縣築上郡岩屋村一九二三
◎(籍)同上
大正三年十二月七日印刷
大正三年十二月十日發行  (非賣品)
編輯兼 窪田安次郎
發行人 兵庫縣武庫郡西灘村ノ内森村三十番地
印刷人 辻  岩雄
    兵庫縣神戸市三宮町一丁目三百二十番邸
發行所 神戸高等商業學校同窓會
    神戸高等商業學校内
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月02日
《松村守一》松村仙造(真澄)の実弟―01

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月26日
[大邊弘:大河内傳次郎の次兄][神戸高等商業]
『大河内傳次郎』富士正晴

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月27日
[大邊脩:大河内傳次郎の三兄][神戸高等商業]
『大河内傳次郎』富士正晴
[大邊脩(修)・伊藤田脩(修)]
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川崎重工業株式會社《松村守一》持株会社整理委員会等文書・議決権行使委任書:昭和22年1月

川崎重工業株式會社《松村守一》持株会社整理委員会等文書・
議決権行使委任書:昭和22年1月

乙 譲受財産 議決権 5 持株會社議決権行使委任書 1818
  川崎重工 日産重工  扶桑金属工業、日立製作所 p1/133
A04030365100-01
〔画像〕A04030365100-01

       p2/133
A04030365100-02
〔画像〕A04030365100-02

 川崎重工業 p3/133
A04030365100-03
〔画像〕A04030365100-03

昭和二十二年一月十五日 p4/133
 議決權行使委任書
    住 所 神戸市生田區明石町三十八番地
    會社名 川崎重工業株式會社
    代表者 取締役 整理部長 神馬新七郎
持株會社整理委員會
 委員長 笹山忠夫殿
一、當社ガ所有スル左記株式ノ議決權ノ行使ヲ當社ガ
  右株式ヲ所有スル間無條件デ貴會ニ委任致シマス
  ナホ復代理人ヲ選任スルコトヲ承諾シマス
       記
  議決權ノ行使ヲ委任スル株式ノ表示
 株式ノ種類         本店所在地
川崎産業株式會社    (登)明石市和坂字大坪一〇〇
            (連)明石市茶團場町
 備考 内名儀株式ハ左記六〇株
    松村守一(舊拾株)
    ―略―
川崎汽船株式會社       神戸市生田區明石町三八
 備考 内名儀株式ハ左記一六〇株
    松村守一(舊貮拾株)
    ―略―
A04030365100-04
〔画像〕A04030365100-04

 株式ノ種類         本店所在地 p5/133
川崎車輌株式會社       神戸市兵庫區和田山通一ノ六
 備考 六拾萬株中三九九、九二〇株ハ
    帝銀(神戸)ニ第一回社債物上擔保トシテ差入
    舊八〇株中
    名儀株式ハ左記七〇株
    松村守一(三株)
    ―略―
川崎造機株式會社       大阪府中河内郡龍華町大字太子堂二八
 備考 内名儀株式ハ左記七〇株
    ―略―
報國コバルト鑛業株式會社   神戸市生田區明石町三八
 備考 内名儀株式ハ左記二、五〇〇株
    松村守一(壹百株)
    ―略―
株式會社 川崎電機工作所   兵庫縣武庫郡本山村北畑字味泥一〇八ノ一
 備考 内名儀株式ハ左記六株
    ―略―
川崎爐材株式會社       神戸市葺合區小野柄通八丁目二三
 備考 内名儀株式ハ左記一四〇株
    ―略―
株式會社 川崎藤井寺製作所  大阪府南河内郡藤井寺町字小山九一〇
 備考 内名儀株式ハ左記六〇株
    ―略―
曾根窯業株式會社       兵庫縣印南郡伊保村中筋八九三
A04030365100-05
〔画像〕A04030365100-05

 株式ノ種類         本店所在地 p6/133
株式會社 川崎四日市製作所  三重縣四日市市濱田四二〇三
 備考 内名儀株式ハ左記八〇株
    ―略―
トーアホテル株式會社  (登)神戸市生田區北野町四丁目一二五
            (連)神戸市生田區明石町三八
               川崎重工業株式會社内
 備考 内名儀株式ハ左記一〇株
    ―略―
電熔鋼業株式會社       大阪市北區眞砂町二四
 備考 内名儀株式ハ左記二〇〇株
    ―略―
神東運輸株式會社       神戸市葺合區吾妻通一丁目二〇ノ四

神港ビルデイング株式會社(登)神戸市生田區海岸通八
            (連)神戸市生田區榮町通三丁目一八
 備考 内名儀株式ハ左記四株
    松村守一(壹株)
    ―略―
株式會社 新東京ホテル (登)東京都神田區錦町三丁目一三
            (連)東京都京橋區寶町二丁目六 集成ビル内

株式會社 園池製作所     東京都品川區東大崎一丁目八五五
 備考 内名儀株式ハ左記一、〇〇〇株
    ―略―
日本カーボン株式會社     横濱市神奈川區新浦島町一丁目一

デーゼル自動車株式會社    川崎市大師河原下殿町五九三一
A04030365100-06
〔画像〕A04030365100-06

 株式ノ種類         本店所在地 p7/133
中央ゴム工業株式會社     神戸市葺合區筒井町一丁目二〇
日興工業株式會社       大阪市城東區蒲生町三丁目八二七
黑崎窯業株式會社       八幡市大字藤田
船舶無線電信電話株式會社   東京都麻布區飯倉遞信院町
オリエンタルホテル株式會社  神戸市生田區北野町四ノ一二五
岩手工業株式會社       盛岡市仙北町西浦地一ノ一
日本船用品統制株式會社    東京都日本橋區人形町一丁目一ノ一
日本製鐵株式會社       東京都麴町區丸ノ内二丁目二〇一

安川電機製作所        八幡市藤田二三四六
富士電機製造株式會社     川崎市田邊新田一
大阪瓦斯株式會社       大阪市東區平野町五丁目一
大日本航空株式會社      東京都本郷區元町二丁目三七
日本木材株式會社       東京都下谷區上野廣小路 松阪屋七階
爐材統制株式會社       東京都日本橋區堀留町一丁目八
株式會社 帝國銀行      東京都麴町區丸ノ内一丁目一
北支那開發株式會社      山梨縣東山梨郡塩山町
西舶金物株式會社       大阪市南區西淸水町八 御堂筋ビル内
A04030365100-07
〔画像〕A04030365100-07

 株式ノ種類         本店所在地 p8/133
岩手鑛山機械株式會社     盛岡市上田中堰六一

株式會社 神戸社印刷社 (登)神戸市神戸區三宮町一丁目二八
            (連)神戸市生田區明石町三八
               川崎重工業株式會社内
 備考 内名儀株式ハ左記三、五〇〇株
    ―略―

 一、本店所在地欄中(登)ハ登記面住所ニシテ
   (連)ハ通信連絡先ヲ略稱ス
參 考
 一、本表中トーアホテル株式會社、株式會社川崎四日市製作所、
   神東運輸株式會社、日本カーボン株式會社ノ各全株式ハ
   目下大藏省宛制限令ニ依ル株式譲渡許可申請中
 二、本表中左記株式ハ戰時補償特別税ノ物納物件トシテ
   目下税務當局宛 申請中(但差当数量未定)
           記
   川崎産業舊株式、報國コバルト鑛業株式、中央ゴム工業株式、
   曾根窯業株式、富士電機製造株式、デーゼル自動車舊株式、
   日本製鐵株式
A04030365100-08
〔画像〕A04030365100-08

昭和二十三年六月二十五日 p9/133
 議決權行使委任の解除に關する件
    住 所 神戸市生田區明石町三十八番地
    會社名 川崎重工業株式會社
    代表者 取締役 整理部長 神馬新七郎
持株會社整理委員會
 委員長 笹山忠夫殿
昭和二十二年一月十五日附を以て
當社が貴會に議決權行使の委任を致しました
株式會社川崎四日市製作所參千株は
昭和二十三年五月十四日を以て
同社從業員等に譲渡の御認可を得、
六月五日當該株式の名義書換を完了いたしました
茲に右株式の議決權行使委任の解除を致します
A04030365100-09
〔画像〕A04030365100-09
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レファレンスコード A04030365100
件名 持株会社整理委員会等文書・議決権行使委任書
   国立公文書館 内閣 持株会社整理委員会
   有価証券処分回議書2
   持株会社整理委員会等文書・議決権行使委任書
【 画像数 】133
作成年月日 昭和22年1月15日
作成者   川崎重工業株式会社取..
組織歴   内閣//川崎重工業株...
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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