小野梓:資料

《小野節吉:小野梓の実父》宿毛物産方下役・宿毛蔵屋敷詰【(近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 】1959

【維新経済史の研究 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) (市民叢書 ; 12)】
著者    平尾道雄 著
出版者   高知市立市民図書館
出版年月日 1959
p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
〔画像〕p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/3

   三 家老の商法
東京商法局にせよ、
開成館貨殖局にせよ、
いずれも高知藩の商事活動の
積極性を示すものであるが、
他方山内家家老のうちにも
これに追随するものがあった。

宿毛の伊賀氏がその領内物産を
大阪に移出したごときがその一例で、
このことは伊賀氏の臣
竹内綱の自叙伝に詳説されている。

竹内綱は家老伊賀氏の世臣で
慶応元年(一八六五)五月十日
宿毛の仕置役に任命せられたが、
領内物産の移出振興を計画して
仕置役小頭 立田弥一郎(※立田強一郎=小野義真)、
物産方下役 小野節吉(※小野梓の実父)を同伴、
翌(慶応)二年(一八六六)一月十八日
宿毛を出発して二月七日大阪着、
長堀高橋屋次助方に滞在した。

大阪商人に縁故がないので
本藩の蔵屋敷在役 石川石之助、
及び土佐物産売捌き開始のため出阪していた
開成館頭取 武藤清(颿)の援助を求め、
その紹介で高知藩用達
炭屋彦五郎、辰見屋源助、銭屋文助、
三家の番頭と協議してその方法を決定した。

第一には宿毛物産の売捌引請け、荷為替の取組、
紙は紙問屋、材木は材木問屋と
それぞれ問屋との約定をとりきめ、

第二は宿毛物産輸送に対しては
船問屋淡路屋市郎平から
五百五十石積帆船一艘を買い入れて宿毛丸と命名、
一艘は淡路屋の所有船で運送することに決定、

第三には辰見屋源助から
道頓堀塩見橋北詰に三百余坪の地所、
一棟の事務所、
七棟の倉庫を購入して
宿毛蔵屋敷を設置することになった。

蔵屋敷、運送船の購入資金二千両は
炭屋彦五郎から借用し、
小野節吉(※小野梓の実父)を蔵屋敷詰として
その基礎が出来たので
竹内綱は立田弥一郎(※立田強一郎=小野義真)と
新しく購入した宿毛丸に便乗、
四月二十日大阪を出帆して五月三日宿毛に帰った。

 ※小野節吉:慶応2年7月喀血 慶応2年12月29日没
  【小野梓伝】昭和10年
  著者    西村真次 著
  出版者   冨山房
  出版年月日 昭和10
  https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/22

伊賀家の商法はその後順調に発展し、
竹内綱は北越方面の戦争に参加したが、
帰還早々瀬戸内海航運事業に着手した。

これも好調だったが、
明治二年(一八六九)七月
藩命によって宿毛蔵屋敷を廃止し、
営業も断絶するの余儀なきに至ったのである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/111
維新経済史  市民叢書 12
昭和34年5月25日 印刷
昭和34年5月31日 発行  定価430円
著 者 平尾道雄
発行者 渡辺 進
印刷者 谷内印刷工業株式会社
発行所 高知市立市民図書館
    高知市帯屋町
    振替徳島15276 電話②2501
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/118
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宿毛市史【近世編-幕末と宿毛-幕末の宿毛の動向】
財政整理と大阪宿毛蔵屋敷
慶応元年(1865)5月10日、
竹内綱は仕置役を命ぜられた。
綱は宿毛領内の物産の輸出を計画して、
慶応2年(1866)1月18日、
仕置役小頭立田強一郎(後の小野義真)
物産方下役小野節吉(小野梓の実父)を伴って宿毛を出発、
陸路を通って2月7日大阪着、
長堀高橋町平野屋次助方に滞在した。
(『竹内綱自叙伝」より)
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トーマス・ウォータマン・ヘリヤ(Thomas Waterman Helleyer)金子家吉、深尾蕃条【(近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 】1959

【維新経済史の研究 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) (市民叢書 ; 12)】1959
著者    平尾道雄 著
出版者   高知市立市民図書館
出版年月日 1959
p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
〔画像〕p3 (近世土佐藩経済史研究 ; 第4) 1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/3

  五 山一商会と開々社
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/115

山一商会の傍系的存在で「開々社」があった。
山内家の経営で、
その取締に五藤謙作と吉永半次郎が任命せられ、
顧問として英国人
トーマス・ウォータマン・ヘリヤ
(Thomas Waterman Helleyer)
を招いた。

明治六年(一八七三)八月二十日
金子家吉、深尾蕃条の名で
ヘリヤに渡した約定書の第一条には
「英吉利国人ヘリヤ君を商業取開き、
 並に物産検査の為め
 明治六年八月二十日より同三箇年の間相雇候事」
とあり、
第六条には
「ヘリヤ君建議の件々は都て商会社長家吉、
 蕃条と談判に及び、
 其決定は社長の指令を受くべき事」
と見えている。

開々社は堺町に設けられて
ランプ、石油、シャボン、洋傘などの洋品を主とし
小間物類の移入販売を取扱った。

ヘリヤの月給は百円と約束されたが、
翌七年(一八七四)九月一日には
利益金の十分の四と改められ、
欠損の場合はヘリヤがその三分の一を
負担することに改められたので、
むしろ共同経営の形に
変更されたのでないかとも想像される。

外務省から旅行免状が出たのは
同年十月十八日であるから、
彼が高知へ着任したのは
それから間もなかったと思われるが、
翌八年(一八七五)四月には双方
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/116

諒解の上
雇傭契約を解いた。
社の経営が順調でなかった故であろうか。

明治九年(一八七六)三月解散となったが、
その決算によると
一、〇五五円四四銭九厘の損失を見せ、
山一商会の場合は責任者の不作為を責めて
訴訟裁判までおこした。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3030273/1/117

維新経済史  市民叢書 12
昭和34年5月25日 印刷
昭和34年5月31日 発行  定価430円
著 者 平尾道雄
発行者 渡辺 進
印刷者 谷内印刷工業株式会社
発行所 高知市立市民図書館
    高知市帯屋町
    振替徳島15276 電話②2501
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《トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー》三菱会社:明治9年10月より無期限【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03

【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
著者    中国四国教育学会 編
出版者   中国四国教育学会
出版年月日 1997-03
p2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/2

p57-1【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-1【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57

  第2表 官立広島外国語学校及び英語学校における
      外国教師の主な雇用履歴
番号   17
姓名   トーマス・ヘリヤー
国籍   英
雇主   高知県
雇用期間 明治3年4月ヨリ3ケ月(※3ケ年)
職種   英学教師
月給   一年 洋銀 1,500枚
     二年 洋銀 1,860枚
     三年 洋銀 2,160枚
出典   ⑧

番号   18
姓名   トーマス・ヘリヤー
国籍   英
雇主   高知県
雇用期間 明治5年2月24日~明治6年4月15日
職種   英学教師
月給   洋銀 185元
出典   ⑤

番号   19
姓名   ヘリヤー
国籍   英
雇主   文部省
雇用期間 明治5年2月24日~明治6年5月11日
     満期解雇
職種   高知県出張
月給   ―
出典   ⑨

番号   20
姓名   ヘリヤー
国籍   英
雇主   金子家吉、深尾蕃条
雇用期間 明治6年8月20日ヨリ3ケ年
職種   商業
月給   100円
出典   ②

番号   21
姓名   トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー
国籍   英
雇主   三菱会社
雇用期間 明治9年10月ヨリ無期限
職種   会社代理人
月給   150円
出典   ③

出典
①『官雇入表』(自明治9年)
②『華士庶外国人雇入鑑』(自明治5年10月至明治6年12月)
③『私雇入表』(自明治9年7月)
④『外国人雇入鑑』(明治3年)
⑤『外国人雇入鑑』(自明治5年1月至明治5年9月)
⑥『外国人雇入取扱参考書共四』(自明治9年至明治10年)
⑦『外国人雇入取扱参考書』第2巻(自明治9年至明治10年)
⑧『外国人傭免状扣』(明治4年8月改)
  以上8点は外務省外交史料館蔵
⑨『太政類典』第2編(自明治9年8月至明治10年12月)
⑩『太政類典』第3編(自明治11年至明治12年)
  以上2点は国立公文書館蔵
p57-2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-2【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57

p57-3【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
〔画像〕p57-3【教育学研究紀要 42[(1)]】1997-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/57
平成9年3月20日 印刷
平成9年3月21日 発行
教育学研究紀要 第42巻
編集兼発行者 中国四国教育学会
印    刷 株式会社 ニシキプリント
       広島市西区商工センター7丁目5-33
       〒733 電話(082)277-6954
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035974/1/228
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「トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー」(Thomas W.Hellyer)高知県士族・金子家吉・深尾蕃条【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03

【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
著者    中国四国教育学会 編
出版者   中国四国教育学会
出版年月日 1991-03
p1【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
〔画像〕p1【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/1

 第7表 
「トウマス・ウヲトメン・ヘリヤー」
(Thomas W.Hellyer)
 該当部分(推定)
p63【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
〔画像〕p63【教育学研究紀要 36[(1)]】1991-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/63
平成3年3月20日 印刷
平成3年3月21日 発行
教育学研究紀要 第36巻
編集兼発行者 中国四国教育学会
印    刷 株式会社 ニシキプリント
       広島市西区商工センター7丁目5-33
       〒733 電話277-6954
https://dl.ndl.go.jp/pid/6035962/1/210
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英國人トーマス・ヘリアー英語敎師:明治三年四月より雇入【岩崎弥太郎伝 上冊】1967

【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
著者    岩崎弥太郎・岩崎弥之助伝記編纂会 編
出版者   岩崎弥太郎・岩崎弥之助伝記編纂会
出版年月日 1967
p3【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
〔画像〕p3【岩崎弥太郎伝 上冊】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/3

  四、外國人招聘
彌太郎が長崎時代に米國宣敎師フルベツキを
土佐に招聘しようとしたことは
長崎時代の項で述べた。

また大阪轉勤後も敎師に傭入れることを
フルベツキに申入れたが、
フルベツキが政府の傭敎師になつて
東京に移つたため實現しなかつた。

また明治二年土佐藩の輸出向物産について
實際の指導を得るため、
昵懇の英國商人ウイリアム・ジヨン・オールトを
土佐に招かうとしたが、
これも實現しなかつた。

かく彌太郎は敎育、産業の振興に、幾たびか、
外國人を招聘しようとしたが、
藩廰は明治三年になつて漸く外國人の傭聘を決定した。
  英人 トーマス・ヘリアー       英語敎師
  英人 ウイリアム・ヘンリー・ボーシヤ 醫學敎師
  英人 フレデリツク・マイヤー  敎育、語學敎師
  佛人 フレデリツク・アントアン  陸軍兵式敎官
  蘭人 レメル・チヤールストン      製靴工
右のうち彌太郎がその雇入れに關係したのは、
英國人ヘリヤーとボーシヤである。

英語敎師ヘリヤーは二十一歳とある。

醫師ボーシアは高知病院(後ちの吸江病院)に配屬された。
契約は五ケ年とあるが、
ボーシヤは滿期前に神戸へ引揚げたので、
彌太郎は彼を周旋したオールトに抗議を申入れた。

次に彌太郎が本藩に提出した
ヘリヤー雇入調査報告書を掲げる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/338

  一、英國ヘルヤー壹人
    但午年(明治三年)四月ヨリ三ケ年之内
    爲敎師雇入可申約定也
右之通於浪華雇入、
東京手數右印行是亦免狀無之、
其儘東京ヘ申遣右兩人共東京ヘ申達候ニ付、
其御心得可被下候。
以上
  未六月十六日  岩崎彌太郎
 弘田 久助 樣
 橋本和太郎 樣

右のほか彌太郎は大阪藩邸に英語塾を開き、
米國人敎師ヘースを招聘してゐる。
これは若い藩士たちに英語を勉強させたもので、
弟 彌之助をはじめ豐川良平、川田龍吉(小一郎の長男)、
林包明(後の自由黨幹事)、竹内明太郎(綱の長男)、
近藤廉平等が塾生であつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/339
昭和四十二年十一月二十日 非賣品
編集兼 岩崎彌太郎 岩崎彌之助 傳記編纂會
発行者 東京都千代田区丸の内二丁目四番地
    三菱本館内
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京都台東区台東一丁目五番
https://dl.ndl.go.jp/pid/2976209/1/396
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【岩崎弥太郎日記】1975
出版者   岩崎弥太郎岩崎弥之助伝記編纂会
出版年月日 1975
  滯坂日誌巻之二
 (明治三年一月一日より十二月二十九日に至る)
庚午日歷(※曆) 明治三年
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/248
四月一日
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/259
(明治3年4月)二十三日
與夷島ヲールト並姪ヘルヤー談、
ヘルヤー(トーマス・ヘリア)
此度雇入ニ相成、
今日ホージヤ(ウイリアム・H・ボージア)、
通辯福澤某ト土南ニ赴、
(註:トマス・ヘリアは英語教師、
   ウイリアム・ボーシアは医学教師)
p262【岩崎弥太郎日記】1975
〔画像〕p262【岩崎弥太郎日記】1975
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/262

明治六年 太陽曆一月一日
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/321
(明治6年1月)二十八日
敎師ヘース雇入ノ約條取カワス、
ヘース去、
一昨(年)十二月 ※明治4年12月
ヨコハマヨリ同道來
其節三百金 壹ケ月相渡ス筈、
昨六月ヨリ ※明治5年6月
レツパヲ以
壹ケ月貳百五十金允渡ス筈ニ定メ有之處、
ヘース云、
レツパヨリ其事不承知ト、
卽當年 ※明治6年
二月ヨリ四月迄三ケ月雇入ノ證書取リ渡ス也、
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/324
昭和五十年十月三十日 非賣品
編集兼 岩崎彌太郎 岩崎彌之助 傳記編纂會
発行所 東京都千代田区丸の内二丁目六ノ二
    丸の内八重洲ビル三二二區
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京都台東区台東一丁目五番
https://dl.ndl.go.jp/pid/12260777/1/357
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年07月24日04:30
明治三年春、小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ
《英国人 トーマス・ヘリア》【小野梓伝】昭和10年
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明治三年春、小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ《英国人 トーマス・ヘリア》【小野梓伝】昭和10年

【小野梓伝】昭和10年
著者    西村真次 著
出版者   富山房
出版年月日 昭和10
p5【小野梓伝】昭和10年
〔画像〕p5【小野梓伝】昭和10年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/5

  第二節 海外留學
平人になれば自由自在、
他國に旅行する際にも願書などはいらない、
たゞ一通の届さへ出せばそれで事が濟む。

明治三年春、小野は船に乘つて宿毛を出で、
十九日ばかり經て大坂に着き、
早速義眞の家を尋ねた。

義眞は身を平人にしても
勉強して見たいといふ志を嘉して、
『よろしい、此後はきつと世話をする』といつた。

小野梓が英學を始めたのは此時であるといふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/32

  ※【土佐百年史話:民権運動への道】1968
   著者    高知新聞社 編
   出版者   浪速社
   出版年月日 1968
      4 お雇い外人
   https://dl.ndl.go.jp/pid/2989807/1/104
   語学 英国人 トーマス・ヘリア ※別稿に詳細記載
     (明治三年四月より契約三年間。
      第一年度 洋銀一五六〇枚、
      第二年度   一八六〇枚、
      第三年度   二一六〇枚)
   教育総範・語学 英国人 フレデリック・マイヤー
     (明治三年七月より明治四年六月まで契約一年間。
      月給二〇〇ドル)
   ※小野梓:明治3年7月~11月(上海行)

其頃から彼れの海外留學の志は段々濃厚になり、
或日其事を義眞に話すと、
『それは惡くない。
 まあ兎も角も一旦上海まで行つて見てはどうか、
 費用は私が調達する』
といふので、
(明治)三年七月、
名を東島興兒と改めて、
神戸から米國汽船に乘つて上海に渡つた。
上海に着いてからはあちこちと支那の内地を巡回し、
(明治3年)十一月頃上海に還つて來ると、
ちやうど義眞も公用で上海に來たので、
色々相談の末、
一先づ日本に還り、
機を見て歐米に留學することに決め、
相伴うて歸航し、
しばらく大坂に滯留した。

(明治)四年の早春、
義眞が東京に行くことになり、
彼れも其行を共にした。

そして英語を横濱で習ひ、
ぼつぼつ洋行の準備に取りかゝつた。

(明治5年)二月には
もはや用意が出來たので、
米國汽船に乘つて
サン・フランシスコに向つた。
所要の航海日數は二十五日であつた。
上陸後、汽車でニュー・ヨークに赴き、
ブルックリンに移つて法律の講習を始めた。
其時のことを彼れの自傳は次ぎのやうに書いてゐる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/33
昭和十年十一月十五日 印刷 『小野梓傳』
昭和十年十一月廿二日 發行  定價 貳圓五拾錢
著 者  西村 眞次
     東京市中野區大和町一六一番地
發行者  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
右代表者 坂本嘉治馬 冨山房社長
印刷者  白井赫太郎
     東京市神田區錦町三丁目十一番地
發行所  合資會社 冨山房
     東京市神田區神保町一丁目三番地
     振替口座東京五〇一番
     電話神田(25)自二一七一番
           至二一七八番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232677/1/229
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【宿毛人物史】1968
著者    宿毛明治100年史 (人物篇) 編集部 編
出版者   宿毛明治100年祭施行協賛会
出版年月日 1968
翌明治三年春、
小野梓は再び船に乗って宿毛をでて大阪につき、
小野義真の家をたずねた。
義真は、平民となっても勉強をしてみたいという
梓の心意気に感じ、
「よろしい、この後はきっと世話をする」
といって彼を励ました。
小野梓が英語の勉強をはじめたのは
この時からである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3448796/1/19
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小野梓「憲法私案」男統を先にし女統を後にすべし【小野梓全集 第3巻】1980

著者    山田敏之
出版者   国立国会図書館
出版年月日 2018-05
      国立国会図書館 調査及び立法考査局
論題    旧皇室典範における男系男子による
      皇位継承制と永世皇族制の確立
著者 / 所属 山田 敏之(Yamada, Toshiyuki) / 
      国立国会図書館調査及び
      立法考査局専門調査員 総合調査室主任
編集    国立国会図書館 調査及び立法考査局
発行    国立国会図書館
刊行日   2018-05-20
摘要    旧皇室典範において男系男子による継承制、
      賜姓降下制を伴う永世皇族制、
      女性皇族の婚姻による皇籍離脱の制度が
      確立する際の議論を、
      江戸期以前の制度等の歴史を概観した上で、
      明らかにする。
p1山田 敏之
〔画像〕p1山田 敏之

2 旧皇室典範の制定過程における議論 p9/24
(1)元老院の日本国憲按

(2)自由民権家の議論  p10/24
(ⅰ)私擬憲法の皇位継承規定
立憲制樹立を求める自由民権運動の高まりの中で
明治14(1881)年前後に民間の個人・団体による
いわゆる私擬憲法が多数発表された。
これらの私擬憲法にも皇位継承規定が置かれた。
女系・女子の継承を認めるか否かという観点から類別すると、
①男系男子のみの継承を認めるもの(44)、
②直系・傍系に男子がいないときに女子の継承を認めるもの(45)、
③天皇に皇子がいないとき皇女の継承を認めるが
 女系継承を認めないもの(46)、
④③で女系継承を認めるもの(47)
⑤男子のみに継承を認め、
 同系では女系より男系を優先するもの(48)、に分けられる。
②~④の憲法案では、
女性天皇の配偶者が国政に関与することが
できない旨の規定が置かれているものが多い。

(47) 共存同衆「私擬憲法意見」(明治12 年3 月頃)、
植木枝盛「日本国々憲按」(明治14 年8 月28 日以降)、
小野梓「憲法私案」(明治16 年(1883)5 月29 日~6 月1 日)
(同上, pp.89, 244, 306)
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【小野梓全集 第3巻】1980
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1980.4
  二八 憲法私案〔断片〕
憲法私案
  第一編
   第三章 皇室の特例
第四条 大日本国の皇位は必ず神武天皇の御胤を立て、
    御胤に非らざれば之に当るを得ず。
第五条 皇位は大宗の次序を正し、父子相伝へ、
    男統を先にし女統を後にすべし。
p116【小野梓全集 第3巻】1980
〔画像〕p116【小野梓全集 第3巻】1980
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407918/1/116
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大宝律令の「継嗣令」「女帝の子も亦(また)同じ」【大宝令新解 第2冊(第3-4巻)】大正5年

池田信夫さんがリポスト
みやまえたかお @miyamaekotsu
大宝律令の「継嗣令」には、
「女帝の子も亦(また)同じ」という規定が存在します。
この規定は、男性天皇の子供だけでなく、
女性天皇(女帝)が産んだ子供にも
「親王(しんのう)・内親王」としての身分と
皇位継承資格を等しく認めるという
非常に重要な法的位置づけを示しています。

引用 池田信夫 @ikedanob
だから「男系の皇統」なんて最初から存在しないの。
それは明治時代に井上毅がつくったフィクション。
大宝律令には「女帝の子でも可」と書いてあるんだよ。
午前10:43 · 2026年6月3日6,524件の表示
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大宝律令(たいほうりつりょう)は、
701年(大宝元年)に制定された日本の律令。
「律」6巻、「令」11巻の全17巻。
唐の律令を参考にしたと考えられている。
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【大宝令新解 第2冊(第3-4巻)】大正5年
著者    窪美昌保 著
出版者   目黒甚七
出版年月日 大正5
p2【大宝令新解 第2冊(第3-4巻)】大正5年
〔画像〕p2【大宝令新解 第2冊(第3-4巻)】大正5年

 大寶令新解 第四巻
   第十三篇 繼嗣令 凡四條
 本篇は、現聖代の皇室典範の如く、
 皇族方の相續を始め有位者及黎庶の相續法なり、
 字解 〇繼嗣、説文に繼は續也、書經に嗣は子也、
     集解に穴云く嗣も亦繼也、
     罸は嗣に及はずと云へり、

   第一條  親王諸王條
凡皇兄弟皇子、皆爲親王。
女帝子亦同
以外並爲諸王。
自親王五世、雖得王名、不在皇親之限。
  天皇の御兄、御弟、御皇子を皆親王とせよと也、
  女帝の御子も亦同斷
  此他は諸王とせよと、
  此親王より五代目は王の名を稱ふれ共、
  皇親の限に非ずと也、
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[學淵叢誌]越後五泉町 進修社 市島謙吉が關係:高田早苗、小野梓、和氣淸太郞、箕浦勝人等執筆【公私月報 (9)】1931-05

【公私月報 (9)】1931-05
出版者   宮武外骨
出版年月日 1931-05
 [學淵叢誌] 越後五泉町 進修社
市島謙吉が關係してゐた緣によるのか、
高田早苗、小野梓、和氣淸太郞、箕浦勝人等の
執筆せる論文があるなど、
當時の地方雜誌としては稀有のものである、
明治文庫既有品は二三冊であつたが、
今度十一號までの揃物を入手した、
『東天紅』三一頁に明治十七年十二月の
第八號を終刊としてあるのは
内務省の目錄に據つた誤記である
p2【公私月報 (9)】1931-05
〔画像〕p2【公私月報 (9)】1931-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476135/1/2
公私月報  毎月一回發行
  定價一部金十錢 郵送料二錢
  一ケ年分前金郵送料共金一圓四十錢
  但し十二部の外附錄は無料
  豫約者外は附錄一部十錢
昭和六年五月廿九日印刷
昭和錄年五月三十日發行 (内務省認可)
編輯兼 (宮武)外骨   (是本名也)
發行者 東京市本郷區龍岡町十五番地
    電話小石川(85)二六九番
    振替 東京三九四二〇番
印刷者 近藤印刷所 近藤秋治
    東京市小石川區柳町二十四番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476135/1/5
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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《三木善八》當時小野梓氏が主となって神田で經營していた集成舎とゆう書物屋【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年

※集成舎⇒集成社
※経営:小野梓⇒下記、四名
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《赤坂龜次郎》明治19年故小野梓氏の遺業を繼て
牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と集成社を創立
【日本現今人名辞典 訂正3版】
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   <近代>日本人の肖像
    小野 梓
生没年
嘉永5年2月20日 〜 明治19年1月11日
(1852年3月10日 〜 1886年1月11日)
小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
〔画像〕小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
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【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
著者    報知新聞社編集局 編
出版者   報知新聞社出版部
出版年月日 大正14
p3【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
〔画像〕p3【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
   三木善八氏の入社
矢野文雄氏は明治十七年、
政情視察のためヨーロッパへでかけた。
翌明治十八年には、
長老栗本鋤雲氏が退社した。

藤田氏は、そのころ大阪にいつて、
加藤政之助氏等と、
大阪新報を經營していたが、
社が苦境におちいつて、
とうとう報知に合併という形式で、
報知の大阪支局となつた。
藤田氏と加藤氏は東京へひきあげ、
加藤氏はあらたに報知に入社した。

三木善八氏は、淡路の出身で、
以前郷里で新聞を經營していたが、
後 大阪にいで、
藤田、加藤氏とともに、
大阪新報に從事していた。
ところが新報が落城したので、
藤田氏にすゝめられるまま上京し、
當時小野梓氏が主となつて、
神田で經營していた集成舎とゆう書物屋にはいつた。
集成舍の幹部とゆうのは、
藤田茂吉、牟田口元學、相良剛造の諸氏であつた。
 -略-
ぴつたり二人の意見が一致して、
その日はそれで別れたが、
翌日になると、
矢野氏がわざわざ三木氏を訪問して、
是非この際報知に入社して、
營業方面を受持つてくれまいか――と談じこみ、
さらに三木氏を書物屋に周旋した。

藤田氏をくどきおとして、
とうとう三木氏を報知社にむかえた。

時は、明治十九年九月十六日であつた。
――その年の暮に、
三木氏と同郷の廣瀨永太郎氏が入社して、
專ら活版の方面に力をそゝいだ。
大正十四年十月一日印刷 今日の新聞
大正十四年十月五日發行 定價八十錢
發行兼 廣瀨憙六
編輯人 東京市麴町區有樂町二丁目一番地
發行所 報知新聞社出版部
    東京丸の内
    振替東京四二〇六五番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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