小野梓:資料

《尾野屋善平小野善平》天明六丙午年(1786)宿茂騒動之実記【宿毛市史資料 10】1983

【宿毛市史資料 10】1983
著者    津野松生, 橋田庫欣 編
出版者   宿毛市教育委員会
出版年月日 1983.3
p1【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p1【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/1

 天明六丙午年(1786)宿茂騒動之実記
       篠田重智 書
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/46

[同夜 尾野屋 菱屋より夜食を被相頼仕出す]
白米弐石 壱度仕度此米を以 人数を知るべし
酒弐石四斗 四斗樽にて舁出と也
尾野屋善平小野善平と号、
万端弁たるもの也、
徒党様子を聞より御役手へ出候て、
自然仕度等頼来候ハヽ、
私共後難御座候而仕成出ス存寄ニ御座候段、
御役手ヘ相届候処、
可然様相はからい候得と被仰付候よし、
爰を以小野善平ハ壱人ニても仕出す用意ハ候得共、
菱屋善三郎へも相通申処用意ニ申来るニ付、
両家より酒飯を調出ス也
p48【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p48【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/48

  地震筆記
嘉永七甲寅年十一月五日 ※1854年12月24日
稀代の大地震有増左のことし

一、丑瀨・新丁・新町 不残焼失
  但右新丁ハ当時諸奉公人住居、
  変后廓中御取分ニ成ル

  本町南ケ輪、
  酒店小野屋熊之助宅より下、
  升田屋寅蔵宅迄、
  北ケ輪、
  町庄屋兼治宅より下、
  薬店小野常次宅辺焼失
p97【宿毛市史資料 10】1983
〔画像〕p97【宿毛市史資料 10】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/97
宿毛市史資料(十)
北越戦記・宿毛騒動 他
昭和五八年三月二〇日発行
編集者 津野松生
    橋田庫欣
発行者 宿毛市教育委員会
印刷所 日輪プリント
    中村市大橋通四
https://dl.ndl.go.jp/pid/13278878/1/114
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《前島密と小野梓》題東洋遺稿 東洋の遺稿に題す:編者(市島謙吉)【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)

【鴻爪痕 改訂版】1995 2版
著者    前島密 著 [他]
出版者   前島会
出版年月日 1955 2版
p5【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
〔画像〕p5【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/5

本書の原稿は一応故翁の事蹟を熟知せる先輩、
親戚の廻覧に供して事実の相違を正さんと欲したるも、
是亦所期を果すを得ざりき。
故に本書の事実中誤謬なきを保せず、
幸に諒せよ。
 大正九年四月  市島謙吉識
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/8

   一六 翁と小野梓
翁(前島密)が改進党の領袖であられた時、
同じく領袖であつた
小野梓氏とは特別に深き交はりがあり、
翁は常に小野氏を畏敬された。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/164
小野氏の歿後、
氏の義兄小野義真氏は遺稿一切を翁に託し、
然るべき人を選んで編纂せんことを依頼された。

其時選に当つた者は編者(市島謙吉)であつたが、
編者は担任して間もなく高田へ赴いて
高田新聞を主宰することになつた為め果たさなかつた。

当時翁の反古中より
東洋遺稿と題する長編の稿があらはれた。
これは東洋遺稿の巻首に刻すべきものであるのに、
 ※【東洋遺稿】:下記
何故か載せられず編者も今度始めてみたのである。

之を見ると如何にも小野氏の為人をよく悉(つく)してある。
翁は真に東洋の知己と云ふべきである。
其詩に云く、

※下記:題東洋遺稿 東洋の遺稿に題す
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/225

因つて云ふ、
小野氏の墓碣(けつ)を郷里土佐に建るに当り、
翁は斡旋して中村正直氏に撰文を乞ひ、
又書を翁と小野氏とに親善であつた
大内青巒氏は請はれた。
中村氏の稿本は表装されて
今尚ほ翁の家に蔵してある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/165

  題東洋遺稿  東洋の遺稿に題す
東洋小野梓    東洋小野梓
其名四方聞    其の名四方に聞ゆ
惜哉半其業    惜しいかなその業を半にし
追仙入白雲    仙を追ひて白雲に入れり
人謂悲歌士    人は謂ふ 悲歌の士
激烈忘其身    激烈その身を忘ると
安知温与恭    いづくんぞ知らん温(をん)と恭(きょう)と
接物極是仁    物に接してこの仁を極(きは)めたり
人謂説民利    人は謂ふ民の利を説き
専念斯権伸    専らこの権の伸ぶるを念ふと
安知尊王志    いづくんぞ知らん尊王の志
至誠帝恩臣    至誠帝の恩臣
精理論財政    精理財政を論じ
立算闡微分    立算(りふさん)微分を闡(あきら)かにす
人謂壮齢儒    人は謂ふ壮齢の儒と
飜是老吏人    飜つてこれ老吏の人
容貌反其性    容貌その性に反し
想像愆其真    想像その真を愆(あやま)る
請作君伝者    請ふ君が伝を作る者
写真須是勤    真を写す須(すべか)らくこれ勤むべし
浮世半夜夢    浮世半夜の夢
誰占百年春    誰か占はん百年の春
嗚呼君逝矣    あゝ君逝けり
千載遺斯文    千載に斯文(しぶん)を遺す
p225【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
〔画像〕p225【鴻爪痕 改訂版】昭和30年(1995)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2985462/1/225

  鴻爪痕 前島密伝
大正9年4月27日 初版発行
昭和30年12月15日 改訂再版発行
  印刷所
株式会社 一二三書房 印刷部
東京都千代田区神田神保町3の10
  発行所
財団法人 前島会
東京都港区麻布飯倉6の13 郵政省内
電話 郵政省内線897番・振替東京36番
  頒価1500円
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【東洋遺稿 上】明治20年
著者    小野梓 (東洋) 著 [他]
出版者   富山房
出版年月日 明治20
明治二十年三月版權免許
同    六月  出版 定價金九十五錢
編輯人 高田 早苗  東京府平民
    東京牛込區北町二十八番地
出版人 小野英之助  東京府士族
    北豐島郡地方橋場町千三百八十番地
發 兌 富山房書居
    東京神田區裏神保町九番地

【東洋遺稿 下】明治20年
著者    小野梓 (東洋) 著 [他]
出版者   富山房
出版年月日 明治20
明治二十年三月十七日版權免許
同    六月   出版 定價金八十五錢
編輯人 高田 早苗  東京府平民
    東京牛込區北町二十八番地
出版人 小野英之助  東京府士族
    北豐島郡地方橋場町千三百八十番地
發兌元 富山房書居
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[小野梓蔵書印と市島謙吉の寄贈者名]本学図書館蔵ベンサム全集【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03

【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
出版者   早稲田大学歴史館
出版年月日 1966-03
p1【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
〔画像〕p1【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/1

ベンサムと小野梓--国憲汎論の源流に関する一試論 
/ 高野善一/p1~18
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/92
 立憲の大帰旨 国憲汎論 第四章
        小野梓
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/90

本学図書館蔵 ベンサム全集
Vol.Ⅰ 第一巻のみ東京専門学校蔵書印、
    しかも、入庫当初「壱号ノ壱」として
    整理された痕跡がしのばれる。
Vol.Ⅱ 右肩隅に A.Ono.Japan のサインがみえ、
    「万国建国法の指導原理」は
    この中に収めれれる。
Vol.Ⅳ 小野梓蔵書印と
    市島謙吉の寄贈者名とが興味をひく。
p89【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
〔画像〕p89【早稲田大学史記要 1(2)】1966-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/89
昭和四一年三月三十日 発行
頒布価格 三五〇円
発行者 時子山常三郎
    早稲田大学・大学史資料室
印刷者 安井俊雄
    早稲田大学調度課印刷所
発行所 早稲田大学内・大学史資料室
    東京都新宿区戸塚町一ノ六四七
https://dl.ndl.go.jp/pid/7945143/1/82
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年01月01日05:30
[小野梓圖書]小野梓の印【日本の蔵書印】1954
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[小野梓圖書]小野梓の印【日本の蔵書印】1954

【日本の蔵書印】1954
著者    小野則秋 著
出版者   芸文社
出版年月日 1954
p4【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p4【日本の蔵書印】1954
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/4
  第17図 蔵書印の書体
 小野梓圖書 小野梓の印
p22-1【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p22-1【日本の蔵書印】1954

p22-2【日本の蔵書印】1954
〔画像〕p22-2【日本の蔵書印】1954
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/22
     図版 目次
第一七図 蔵書印の書体
 荻生徂徠の印-小野 梓の印-西園寺公望の印-
 堺天神社の印-桜井竜淵の印-羽田八幡文庫の印-
 藤原惺窩の印-吉田篁墩
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/29
 -蔵書印使用者一覧-
小野 梓  小野梓図書〔一七図〕
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/93
 -蔵書印索引-
小野梓図書〔一七図〕(小野 梓)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/122
【著者の略歴】
小野則秋(Ono Noriaki)
明治三十九年二月二十日
大分県耶馬渓に生れ、
現在同志社大学図書館主任兼文学部講師、
各種の図書館・書誌学関係諸団体の役員。
著書として、
 日本文庫史(教育図書株式会社刊)
 日本文庫史研究 上巻(大雅堂刊)
 日本蔵書印考(文友堂刊)
 日本図書館史(蘭書房刊)
…定価 ¥1,200(外国$7)…
昭和二十九年 十月三十日印刷
昭和二十九年十一月 三日発行
著 者  小野 則秋
発行者  小野杜詩子
     京都市左京区下鴨北園町二七
印刷者  山代多三郎
     京都市上京区寺之内通小川西入
発行所  株式会社 藝文社
     京都市左京区下鴨北園町二七
     電話 上③一九八六番
     振替 京都二六五五七番
製  版 洛陽写真製版所
印  刷 山代印刷株式会社
用  紙 三菱製紙株式会社
製  本 佐野製本所
クロース 日本クロース工業K・K
装  釘 (著者自装)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2939222/1/153
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月11日11:40
〔小野梓展オープニング セレモニー:
 平成14年(2002)3月10日〕③
小野梓の印章
2002年3月10日 小野一雄殿 寄贈
⑤小野梓圖書 小野梓図書
(図録P24 No241掲載)
などに使用されている。
小野梓の印章-50
〔画像〕小野梓の印章-50

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月26日04:00
『故小野梓先生十年追悼會』④【小野梓】永田新之允・明治30年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月28日12:22
「蘆原生」は小野梓の筆号
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大日方純夫様『小野梓と現代』御恵送頂き有難うございます

大日方純夫様
『小野梓と現代』
「知識」獲得が人を教育する
   (小野梓を読む)会

このたびは御恵送頂き、
ありがとうございます。
熟読させて頂きます。
令和7年12月9日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-70

小野一雄様
前略
ご作成・ご発信のブログから、
様々なご教示を得ておりますことに、
あらためてお礼を申し上げます。

さて、私は2015年から、
早稲田実業学校初等部出身の若者たちを中心とする
<小野梓を読む>会で、
小野梓の「東京専門学校」開校演説、
『国憲汎論』最終章、「教育論」などを
読み進める取り組みを一緒に進め、
それは彼らの大学入学当初から、
卒業後の2021年に及びました。

このほど、その成果が
『小野梓と現代―「知識」獲得が人を教育する―』
としてまとまりましたのでお贈り申し上げます。
著作を読むことを通して、
若者たちが「小野梓」と対話した結晶物として
お納めいただければ幸いです。

なお、奥付の刊行日は「2月20日」となっていますが、
これは小野梓の誕生日(旧暦)にあわせたもので、
実際の刊行は先日(11月半ば)です。

年末年始、どうかご自愛のうえ、
よい年をお迎えください。
         早々
 2025.12.8 大日方純夫

※小野梓の誕生日
 嘉永5年2月20日=1852年3月10日
『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
〔画像〕『小野梓と現代』監修 大日方純夫-00
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多久島澄子様 有難うございます
早稲田大学エクステンションセンター
日本の近代史研究会
会報 第30号
2025.11.30 発行
特集:OS会創立30周年記念
小野梓と三女小野安子
    多久島澄子
御恵送頂きました。
令和7年12月1日
小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
〔画像〕小野梓と三女小野安子-多久島澄子-50
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正穀蓄積につき 小野梓書簡 明治16年12月【新編埼玉県史 資料編 19 (近代・現代 1 政治・行政 1)】1983

【新編埼玉県史 資料編 19 (近代・現代 1 政治・行政 1)】1983
著者    埼玉県 編
出版者   埼玉県
出版年月日 1983.3
p5【新編埼玉県史 資料編 19】1983
〔画像〕p5【新編埼玉県史 資料編 19】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/5

    目  次
一五一 正穀蓄積につき小野梓書簡……三七八
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/15

松方デフレ期には
県会で備荒儲蓄の積穀が問題となったが、
改進党系議員は原案に反対し、
金銭貯蓄案を主張する。
その背景には中央指導者の
小野梓の指示があったものと思われる(資料一五一)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/30

明治初期救貧立法の構造 p11/31
 備荒儲蓄法研究その一
   笛木俊一
府県儲蓄金の管理は、
内務・大蔵両省の許可を条件としているが、
具体的な方法については各府県会に任されている
(儲蓄法第五条、但し原案提出権は府知事県令にある)。
なお、米穀を購入して儲蓄する場合は儲蓄金の半額を限度とし、
「他ノ半額ハ公債証書ニ交換シ置クヘキモノ」(同条)とされ、
「大蔵省派出官吏」の検査を受ける(取扱順序第一四条)。

 (封紙表)
 「埼玉県
  浦和駅今福屋平兵衛様方
     永田荘作様 小野 梓
   書留別配達 要信煩親展 」

 (封紙裏)
 「 東京
  従仲猿楽町 (消印一六年一二月一七日 東京)
   五番地第二号
   十二月十六日発     」

 先回尊書之貴答ハ近日可伺心得ニ御座候
十三日付ノ花翰今朝拝見来示臨時会云々謹承致候、
依テ鄙見左ニ具陳ス

正穀蓄積ノ義ハ否決相成度ト存候、
来書ニモ言ハレシ如ク正穀蓄積ノ事ハ
徒ラニ手数ヲ費シ冗費ヲ増シ、
暗々ノ中貯蓄ノ元ヲ消耗シ去ルノ傾アリ、

又此ノ開港ノ時ニ際シ通商自在ナレハ、
万一内国ニ飢饉アルモ直ニ海外ヨリ輸入来ルヲ得ハ、
今日ニ当テ無益ノ手数
許多ノ危険ヲ冒シテ
正穀ヲ蓄蔵スヘキノ要用ヲ見ス、

但タ高価ノ公債ヲ売テ低価ノ米穀ヲ買フハ
一寸利益ノ様ナレトモ、
正穀ヲ貯蔵スルノ費用ト危険トヲ以テ
差引カハ必ス絶無ニ帰シ、
却テ幾分ノ損失ヲ残スハ
言フマテモ無キ事ナリ、

唯夫レ此ノ如シ、
故ニ備荒貯蓄ノ一点ヨリシテ
之ヲ断論セハ無論否決スヘキナリ

然レトモ斯臨時会議案ノ目的ハ備荒ニ在ラスシテ、
此ノ低落セル米価ヲ恢復セント欲スルニ在ルナラン、
饒(た)トヒ
若シ然ルモ之ヲ否決セント欲スルナリ、

惟フニ全国ノ府県ニシテ
皆ナ正穀ヲ貯蔵セハ
幾分カ一時米価ニ影響スルナラン、

然レトモ此米価ノ低落ハ
種々ノ原因ヨリシテ来リタルモノニシテ、
一国政治ノ大本立テ、
サレハ到底其始終ヲ全フスヘキモノニ非ラス、

故ニ後日貯蓄ノ点ニ弊害アルヲ知リツヽ
正穀ヲ今日貯蔵シ、
此ノ一時暫且ノ影響ヲ見ントスルハ
甚タ拙劣姑息ト謂フヘシ、

惟フニ正穀ノ貯蓄ヲ以テ
今日ノ惨状ヲ始終救済スルヲ得ハ、
貯蓄ノ損失顧ミルニ遑(いとま)アラス、
然レトモ之ヲ以テ其始終ヲ救済スルヲ得ス、

一旦影響スルモ又其始ニ復シ
再タヒ今日ノ惨澹アルヲ預(予)知スヘケラハ、
断シテ貯蓄ニ損耗ヲ生セシムヘカラサルナリ、

顧フニ政府ニシテ此米価ノ下落ヲ憂ヘハ
宜シク政治ノ大本ヲ定メ、
低幣ノ改良ヲ速ニシ以テ商業上ノ安固ヲ与フヘシ、

又何ソ他ニ求ムルヲセンヤ
思ヒ出ルニ任セ書裁(戴)セリ、

猶ホ今夕総理ニ面話意見承リ
   ※総理:大隈重信 立憲改進党総理
別議モアラハ可申上候

 十二月十六日  小野 梓
  (大宮市土屋 永田庄一氏蔵)
p210【新編埼玉県史 資料編 19】1983
〔画像〕p210【新編埼玉県史 資料編 19】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/210
新編埼玉県史 資料編 19
近代・現代1 政治・行政1
昭和五十八年三月二十五日 発行
編集発行 埼玉県
印刷所 株式会社 ぎょうせい
(第12回配本>
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642871/1/561
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幸徳秋水が読み、その英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いだ著書『東洋小野梓君伝』山田一郎編

【小野梓全集 第5巻】1982
著者    早稲田大学大学史編集所 編
出版者   早稲田大学出版部
出版年月日 1982.3
p3【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p3【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/3

p4【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p4【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/4

「自伝志料」を収録した
山田一郎編『東洋小野梓君伝』
(明治19年(1886)2月10日刊)の表紙と、
没後10周年の追悼会で配られた「自伝志料」の石版刷
※小野梓:明治19年(1886)1月11日歿
p6【小野梓全集 第5巻】1982
〔画像〕p6【小野梓全集 第5巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/6
 Ⅰ 自伝
一 自伝志料  p165-171/343
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/165
(『中央学術雑誌』第二二号付録『東洋小野梓君伝』
 一八八六年二月一〇日刊 一八八四年一一月一日筆)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/171
昭和五十七年三月三十一日発行
     小野梓全集 第五巻
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田一ノ六ノ一
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町一ノ一〇三
印刷製本 早稲田大学印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12407923/1/340
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【小野梓】1926
著者    早稲田大學佛教青年會 編纂
出版者   冨山房
出版年月日 1926.6
  小野梓先生を懐ふ
 早稻田大學總長法學博士
    高田早苗氏
諸君が先生のことを研究なさらうと云ふ
御考がありますならば材料は種々ある。
先づ第一に今では珍本になつて居つて世間には殆んど無い、
早稻田大學の圖書館に只一冊あるだらうと思ひますが、
「小野東洋居士傳」と云ふ、
之は先生が歿くなられた當時に
友人の山田一郎君が編纂されたもので、
そは半ば先生の自傳であります。
先生自からの文章で出來て居りまして、
後の足らざる所を山田君が補はれたものである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1909566/1/18
大正十五年六月十七日印刷
大正十五年六月十九日發行 (非賣品)
編纂者 早稻田大學佛敎靑年會
    右代表者 木山十彰
    東京市牛込區岩戸町二十六番地
發行兼 合資會社 冨山房
印刷者 東京市神田區通神保町九番地
    右代表者 坂本嘉治馬
https://dl.ndl.go.jp/pid/1909566/1/47
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《林譲治》幸徳秋水は小野梓を…英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いでいる[歴代厚相物語]【国民健康保険 17(1)】1966-01

【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者   国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1

[歴代厚相物語](13)
 二代・政治家の父と子
  林譲治氏(上)
      大野光義

林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18

  有造翁と少年・秋水
——幸徳秋水が生れてはじめて、
天下の名士に接した機会は、
この林有造翁が“最初”のひとであった。
それは、秋水が十五歳の時で、
明治十八年の十二月のことである。

当時、自由党の機関誌であった、
絵入りの「自由新聞」の、
少年秋水は愛読者であったから……
四海に有造翁の声明は、
頭の中にしっかりと焼きついていた。

或る日、秋水が住む土佐の中村の町にも、
——林有造先生が講演に見える。」
という噂が街中にひろまった。
これを機会に秋水は、きっと、
お目にかかる念願がかなえられると……
胸中の喜びをおさえ切れなかった、という。
 ―略―

——この頃、
幸徳秋水は、
林家の前記の縁つづきである、
「小野梓小伝」なる
著書を読んで、
小野を東洋の傑れた政治家として
夭折を惜しみながら、
その英才や博識ぶりに驚嘆の眼を注いでいる。

実に林家は、“土佐の名門”としてばかりでなく、
その”無形“の影響力がまことに大きかった事である。

機関誌 国民健康保険 一月号
 (第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
    東京都千代田区霞ケ関二ノ一
    厚生省保険局内
    振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
    東京都台東区上野山下町二
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/19
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【幸徳秋水全集 第9巻】1969
著者    幸徳秋水全集編集委員会 編
出版者   明治文献
出版年月日 1969
p3【幸徳秋水全集 第9巻】1969
〔画像〕p3【幸徳秋水全集 第9巻】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/3
   後の形見緒言
    ―略―
 明治廿二年一月中浣 於浪華
   幸徳傳次郎 識

(曩者東洋政治家之少年小野梓君
 死也君所記之梓小傳行于世、
 是君カ後ノ形見ノ記セシモノナラン、
 而ルニ君カ英才博識天下人ノ尊重スル所トナルノ価値ハ
 後ノ形見ト迄ニ記セシモノカ
 君ノ死後ニ行ハレタリ、
 不知君向後城キ上ゲタル工夫ノ效果ハ果シテ能ク
 此後ノ形見ヲシテ君カ死後天下ニ行ハレシムルニ至ルヤ
 ――〔執筆者不明〕) p10/317
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/9
  解説  塩田庄兵衞
幸徳秋水の自筆の日記が、三種類現存している。
本巻に収めた『後のかたみ』『時至録』および
『記事(渡米日記 他)』がそれである。
  『後のかたみ』
幸徳秋水が、十七~十八歳のころ、
大阪および東京で中江兆民の書生に
住みこんでいた時期の日記で、
今日までに発見された彼のもっとも
若いときの作品である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/300
なお、原本の上欄に、
ところどころ朱筆で書き込んである感想・批評は、
印刷の体裁上本文中の適当な箇所に挿入した。
筆跡は同一人であり故・幸徳富治氏は
横田金馬のものであろうと推定しておられたが、
確証がないので〔執筆者不明〕としておいた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/302
幸徳秋水全集  第九巻(第六回配本)
昭和四十四年十二月十日
定 価 二〇〇〇円
編 者 幸徳秋水全集編集委員会
発行者 藤原正人
印刷所 株式会社 精興社
製本所 株式会社 松岳社
発行所 株式会社 明治文献
    東京都豊島区池袋二ノ一〇七〇ノ四〇一
    電話・東京(03)984-0521
    振替・東京三六二九〇
https://dl.ndl.go.jp/pid/2977663/1/314
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《林譲治》[小野梓先生七十年記念祭]昭和30年11月:早稲田大學[歴代厚相物語]【国民健康保険 17(1)】1966-01

【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者   国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1

[歴代厚相物語](13)
 二代・政治家の父と子
  林譲治氏(上)
      大野光義

林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18

——林譲治さんがまだ健在の頃、
早大で「小野梓の七十年祭」が催された時、
林さんは喜びいさんで参列して、
小野梓の講演をしたことがある。

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2012年05月07日08:22
  [東洋 小野梓先生七十年記念祭]
  昭和三十年十一月:早稲田大學
  『小野梓先生七十年記念祭式典』
  日時 十一月十八日(金)午前九時三十分
  場所 本大學共通教室講堂
  式典次第
  一 總長式辭
  二 遺族挨拶
  三 記念講演
    衆議院議員 林 譲治氏
    文部大臣  松村謙三氏
  四 映畫 「早稲田大學」

それで早大出身の松村謙三翁が、
初めて林さんとの縁者であると知った感慨を
「三代回顧録」の中でもふれている。

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2019年04月03日10:16
  大隈重信侯の思い出:小野梓先生の娘さん(小野安子)
  【三代回顧録】松村謙三 著
  小野先生の記念会にも出席されて、
  あいさつをされたが立派なものであった。
  それから衆議院の長老であった
  故林譲治氏とも
  親戚の関係にあったようだ。
  当時の追憶の数々の話もうけたまわり、
  帰洛されてから手紙をよこされたが、
  その字体も文章もしっかりしたもので、
  まるで男子のようであった。

実際、林さんは世間で類のない立派な“家系”に生まれ、
よき風土に培われ、
そうして明治維新の嵐のさ中で、
自由民権の先駆的役割を果した、
尊い父を持った……。

機関誌 国民健康保険 一月号
 (第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
    東京都千代田区霞ケ関二ノ一
    厚生省保険局内
    振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
    東京都台東区上野山下町二
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/19
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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《林譲治》朝に井上毅あり、野に小野梓あり[歴代厚相物語]【国民健康保険 17(1)】1966-01

【国民健康保険 17(1)】1966-01
出版者   国民健康保険中央会
出版年月日 1966-01
p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p1【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/1

[歴代厚相物語](13)
 二代・政治家の父と子
  林譲治氏(上)
      大野光義

林さん(右)が厚相在任中、
依岡秘書官をしたがえて、
新浜の鴨場に句作を練るひととき。
(昭和24年11月写)
p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
〔画像〕p18【国民健康保険 17(1)】1966-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18

この小野梓は、
大隈のチエ袋として活躍したもので、
当時の大隈の文章や演説にせよ、又、
大隈の口からホトバシルように出てくる名文句は、
殆どすべてが梓の草稿によったもの、
とつたえられている。

その重厚味ある美文は、
戦前の「教育勅語」の文章が、
井上毅によって草案されたのは、
有名な話だが……
この小野梓の名文は、
よくそれに比べられて、
当時の世の人びとからは、
——
朝に井上毅あり、
野に小野梓あり。」と、
うたわれるように
讃嘆の声が放たれたものだった。

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2022年03月21日05:30
  《小野 梓》總理大臣を夢みる
  【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年
  大隈の唇から響く文辭は殆んど
  梓の草稿によるものと云つても過言ではない。
  壯重華麗な彼の文章は
  敎育勅語の草案に關係した井上毅と並んで
  『朝に井上毅あり、野に小野梓あり。』
  と賛嘆された。

高田早苗は、梓のことを、
——小野梓は政治家というよりも学者肌の人、
又精神的な人であった。」と評している。
明治十九年の一月、
この“天才学者”は天寿にめぐまれず、
遂に三十五歳の若死であった。
併し、この若さの中から、
①羅馬律要(明治九年)
②国憲汎論(明治一五年)
③民法の骨(明治一七年)
④東洋論策(明治一八年)
⑤東洋遺稿(上・下=明治二〇年)
等の傑れた学問上の業績を遺した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2693084/1/18

——実にこのように……
小野梓の天才ぶりは、
その政治活動と、
学問の領域の恰で両天秤を占めたも同様であった。

併し不運に、梓は肺を患っていた。
これはおそらく、
明治四年(明治五年)に英米に留学した頃の、
その烈しい一途な勉強がたたったせいであろう。
それは、アメリカの民主政治や、
英国の議会政治に感奮をふかく身におぼえながら、
その当時、英国の倫理学者として著名な
ベンサムの「実利主義」を学んで日本に帰ったのは、
小野が、ちょうど二十三歳の時であった。

この時、世相はあげて日本の津々浦々にいたるまで、
板垣退助が中心となった
自由民権運動の声はかまびすしかった。

——小野梓にとってこの新時代精神と、
その海外留学中の学殖との結晶から生み出された
学問的所産が、
即ち――
世に目ざましい「国憲汎論」であった。
これは明治十五年、
小野の死の四年まえに辛っと完成されたが、
その草稿は恰で“黒班紙”のごとく
推敲のあとだらけであったといわれている。

小野梓は、明治十八年の師走には、
いよいよ肺患がこうじて来て……
気息奄々として、もう!
毎日の命とともに書いていた日記さえも掌に取れず、
床の上に横臥した儘になっていた。
それは十二月の二十二日の事であった。
——突然!
新聞号外の鈴の音が、鳴り響いて……
この梓が“生地獄”の世界の中に彷徨してる
むくろの頭上を、
かまびしくかすめて行った。
嗚呼!
まさにそれは、
日本で初めて「内閣制」が布かれた
驚天・動地にもひとしい、
ニュースがつたえられたのであった。
そうして、
伊藤博文が初代の総理大臣である。
この未曽有の大改革は、
年来、梓が「国憲汎論」の中で唱えた、
その学説とはほぼ一致した結果となった。
梓は心に満足をおぼえた。
かくて、天才小野は、
一ヵ月余りの後、
政治家として、学者として、
新しい時代の先見の明をば著作に遺しつつ
不帰の客となったのである。

機関誌 国民健康保険 一月号
 (第十七巻第一号)
昭和四十一年一月一日発行
編 集 厚生省保険局国民健康保険課
発行人 有田栄一
発行所 国民健康保険調査会
    東京都千代田区霞ケ関二ノ一
    厚生省保険局内
    振替東京三二四四三番
印刷所 弘済印刷株式会社
    東京都台東区上野山下町二
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