紅葉館

[紅葉館の善美:杯泥棒頻々]【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年

[紅葉館の善美:杯泥棒頻々]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年

【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/289
明治十四年五月(皇紀二五四一 西暦一八八一)
[紅葉館の善美:杯泥棒頻々] p222/292
〔五・四、東京横濱毎日〕
芝公園地内の紅葉館は、
朝野の紳士が淸閑の日相會して宴席を開き、
互に歡娯を盡さんとて設けられたる所なれば、
其結構の壯麗なる壯飾の燦爛たる
實に目を驚す計りにて、
殊に杯盤膳具の如き最も善美を盡くし、
何れも髙價の品なるが、
開宴の際盃の紛失すること數々なるにより、
同館にても深く注意を加へ
種々手を盡くして捜索さるゝとのことなれど、
何者の所爲なるか今に判然せざる由、
尤も近頃新橋邊の在る旗亭にて、
同館の盃を見受けたるものありとの?なるが、
這は賓客が醉後の戯に持去りて
此旗亭に與へたるならん、
何せよ同館にては餘程困り居らるゝよし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/222

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[むかし、むかし近隣]
11. 芝・紅葉館(芝)
―略―
上流の者でもめったに紅葉館には入れなかったので、
たまにビジタ-として訪れる者が
紅葉館の備品を失敬する事が多かったという。
特に杯は人気で、酔った勢いで持ち出した杯を
2次会の新橋あたりの料亭において帰る者が多く、
紅葉館もあまりの紛失ぶりに苦慮したらしいが、
結局他の高級料亭に置いて行かれた杯も
紅葉館の名をさらに高める効果をもたらしたという。
―略―
http://deepazabu.com/m1/mukasi/kinrin.html

[名優 團菊も畢竟 河原乞食:紅葉館員に加入を拒絶せらる]

[名優 團菊も畢竟 河原乞食:紅葉館員に加入を拒絶せらる]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年

【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/289
明治十四年四月(皇紀二五四一 西暦一八八一)
[名優 團菊も畢竟 河原乞食:紅葉館員に加入を拒絶せらる]p214/292
〔四・三、中立政党政談〕
芝高等館の館員たる人々は一ケ年金十圓を出す代りに、
いつ何時遊びに來るも妨げなく、
又館員の外は猥りに來遊するを許さずとの定規あるは
世の人も略知るところにて、
其館員は皇族大臣參議
その他貴顯紳士等なりとかや、
然るに頃日
市川團十郎、尾上菊五郎の兩俳優が同館員になり度しとて
謀貴顯に願ひたれば、
貴顯は早そく承知され紹介の書簡に
金廿圓を添えて同館の事務委員へ申込まれしに、
委員はこれを拒みて、
當館中には恐れ多くも親王宮家の方々もましますに、
如何駝開(イカニダヒラ)けの今日なりとて
俳優づれを其中に加へんは憚りあり、
此儀は叶ふまじとて斷りたるよし、
委員の口狀は何さま味ひあるやうに覺ゆと同日新聞に見へしが、
其貴顯とは誰なるや又紳士とは誰なるや、
紳士と俳優とは今日の世の中にては
おなじくたいこもちの類にて、
炭と墨との差ひもなければこそ如斯
誤りをなせしならめと人唱へける。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/214

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[新訂 旅と歴史]
まずは「紅葉館」について紐解いてみます。
芝地区の情報誌に詳しく説明されているので、
そちらを引用させてもらいます。
―略―
紅葉館設立にあたって、野辺地尚義を幹事として、
明治13年(1880)「芝公園地内字楓山地所拝借願」を東京府知事に提出し、
翌年「貴顕紳士の集会共遊を旨とし、
   会員300名年会費10円」として開業した
その年早くも洋学者柳河春三の追遠会が
福沢諭吉、新聞記者福地源一郎、農学者津田仙等で催され、
翌年にはE・S・モース(東京大学招聘教授、大森貝塚発見者)が
同僚教授の送別晩餐会に出席している。
明治18年(1885)には当時農商務省の官僚であった
高橋是清の「特許に関する欧米視察」送別会に
西郷従道農商務卿らが出席している。
―略―
ここに50人ほどいた「給仕」とは、
会席で飲食をもてなしたり、
踊りを提供し座に興を添える従業員のことで、
女学校の宿舎よりももっと真面目だといわれていた。
当初は盛岡の人が多かったが後に京都の人が多くなった。
また、紅葉館は外国人の間ではメープル・クラブの名で知られ、
帝国ホテルも東京會舘も洋食だったが、
ここは関西風料理で日本情緒ある料亭として人気があった。
―略―
http://tabireki70.blog114.fc2.com/blog-entry-334.html

[むかし、むかし近隣]
11. 芝・紅葉館(芝)
―略―
開業当初、芝・紅葉館は
300名限定で会費300円の会員制で完全予約制であり、
ほんの一握りの上流階級に属する者しか会員の資格を認められず、
有名人でもなかなか入れなかったという。
そして入り口には「雑輩入るべからず」と書かれた看板があり、
また門には制服姿の守衛が警備して入館者を厳重に管理した。
―略―
http://deepazabu.com/m1/mukasi/kinrin.html

[市川團十郎]

Wikipedia

[市川團十郎 (9代目)]
九代目 市川 團十郞(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎、
天保9年10月13日(1838年11月29日)
- 1903年(明治36年)9月13日)は
明治時代に活躍した歌舞伎役者。
屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。
俳号に紫扇(しせん)・團州(だんしゅう)・
壽海(じゅかい)・三升(さんしょう)、
雅号には夜雨庵(ようあん)。
本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。
五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、
いわゆる「團菊左時代」を築いた。
写実的な演出や史実に則した時代考証などで
歌舞伎の近代化を図る一方、
伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して
今日にまで伝わる多くの形を決定、
歌舞伎を下世話な町人の娯楽から
日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。
その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われた。
また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、
通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E_(9%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

[尾上菊五郎]

Wikipedia

[尾上菊五郎 (5代目)]
五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、
天保15年6月4日(1844年7月18日)
- 1903年(明治36年)2月18日)は
明治時代に活躍した歌舞伎役者。
本名は寺島 清(てらしま きよし)。
尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。
定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。
俳名に梅幸。
市村羽左衛門としての屋号は菊屋。
定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。
九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、
いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E4%BA%94%E9%83%8E_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

[芝公園紅葉山の景勝地に名流紳士の宴会場を建築]【新聞集成明治編年史. 第四卷】

[芝公園紅葉山の景勝地に名流紳士の宴会場を建築]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】

【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/289
明治十三年六月(皇紀二五四〇 西暦一八八〇)
―(紅葉館誕生前記)―
[芝公園紅葉山の景勝地に名流紳士の宴会場を建築] p139/292
〔六・一二、東京日日〕
芝公園中の金地院の後面にあたる
紅葉山と唱ふる一座の小丘は、
佳樹蓊鬱として自から市廛の塵に遠ざかり、
眺望もまた佳にして、
品海を隔てゝ遠く望む房總の山々は畫蠶のごとく、
富岳眉に接して聳へ、
新鮮の空氣流通して、
東京繁華の中にかかる勝區のあるべしとは覺えざる程なるが、
今ど該地を卜して、
岩崎、小野の諸氏の主唱して、     ※①岩崎彌之助 ※②小野義眞
名流紳士の宴會用のために土木を起し、
大厦巨樓を建築せらるゝよし、
概費一萬圓と云へば結構また想ふべし。

又た神田花園町の俚俗秋葉の原も、
近傍六ケ町の請願にて花木培栽所となし、
小遊園になさんとの趣なるが、
同地へもまた小野氏の發意にて美麗の家屋を建て、 ※②小野義眞
是も同じく集會所となしたき旨を其掛りへ照會ありしと聞く。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/139

[芝の紅葉館:善美を盡して出來あがる]

【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/289
明治十四年二月(皇紀二五四一 西暦一八八一)
[芝の紅葉館:善美を盡して出來あがる] p205/292
〔二・一八、東京日日〕
岩崎・熊谷・小野・子安等の諸氏が經營に出でたる
 ※①岩崎彌之助 ※③熊谷 ※②小野義眞 ※④子安峻
芝山内の紅葉館は此ほど落成し
(府廰より賜はりし上野御臨幸の便殿は疾に工を竣り、
 華族方の取立らるゝ能舞臺はなほ普請中なり)
去十五日に開館式を行はれ、
一昨十六日は子安君の催しにて同業諸子を招待あり、
敝社よりも一兩名其席に連なりたり、
扨その結構の樣を見るに木材の美、
作事の巧みなるは云ふも更らなり、
蒸襖(むしぶすま)張附
その他の家具一式とも悉く紅葉の圖
又は模樣を用ひ、
欄間は是眞翁が筆、     ※⑤是眞翁
膳椀類は橋市の工(タクミ)、※⑥橋市
陶器は總て西京なる
錦光山           ※⑦錦光山
幹山            ※⑧幹山
六兵衞の手になれるにて、  ※⑨六兵衞
諸器物にまで斯く意を用ひられしは、
諸氏の配慮もさこそと推量らる。
此日は春雨の時雨めきつゝ降りそゝぎて
餘寒も烈しければ、
來る人の顔も初めはあをかりしが、
座に入るや否や、
山海の珍羞席(シュウセキ)に滿ち、
殊に新柳二橋の明眸皓齒が巧みに盃酌を侑めたれば、
忽ち紅於の色を現はして歡笑かぎりなかりき、
抑も抑も此地は金地院の山つづきにて
庭に楓の大樹數株あり、
品海の烟波は眼の下にありて
房總の翠巒は眸の中に集りたれば、
月の夜ごろは嘸かしなるべく、
秋は殊さら紅葉すればや
照りまさるらんとも
歌ひ出づべくや、
兎にかく斯る勝區の近く府下に出來たるは、
文雅社會の一大幸福とも申すべし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920347/205

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

※①岩崎彌之助

小岩井農場の創業者
http://www.koiwai.co.jp/story/index.html

※②小野義眞
小岩井農場の創業者
http://www.koiwai.co.jp/story/index.html
[宿毛市立 宿毛歴史館]
《小野義真》
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/jinnbutusi/p005.html

※③熊谷

※④子安峻
[港区ゆかりの人物データベース]
プロフィール
天保7-明治31(1836-1898)。
実業家。佐久間象山らに蘭学を学び、
明治維新後に外務省翻訳官となりました。
明治3年(1870)元外務一等書記官の本野盛享(もとの・もりみち)、
通訳の柴田昌吉(しばた・まさよし)らと
横浜に日本初の鉛活版印刷会所「日就社」を設立し、英和辞典を出版。
さらに明治7年、この設備をもとに東京・虎ノ門で『読売新聞』を創刊し、
初代社長を務めました。
のちに日銀初代監事にもなっています。
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/man-detail.cgi?id=42

※⑤是眞翁
[Wikipedia]
柴田 是真(しばた ぜしん)
文化4年2月7日(1807年3月15日)
- 明治24年(1891年)7月13日)は、
江戸時代末から明治中期にかけて活動した漆工家、絵師・日本画家。
幼名亀太郎、名は順蔵、字は儃然、
号は是真、令哉、対柳居、沈柳亭など。
日本の漆工分野において、
近世から近代への橋渡しする役割を果たした工人である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E6%98%AF%E7%9C%9F

※⑥橋市

※⑦錦光山
[kotobank]
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
錦光山(6代) きんこうざん
1823-1884 江戸後期-明治時代の陶工。
文政6年生まれ。
家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぎ,
小林の姓を錦光山とあらためる。
青木木米(もくべい)から磁器の製法をまなぶ。
維新のころ9代帯山(たいざん)与兵衛らとともに磁器の輸出をはじめ,
京都の陶磁器輸出の端緒をひらいた。
明治17年1月死去。62歳。名は宗兵衛。
http://kotobank.jp/word/%E9%8C%A6%E5%85%89%E5%B1%B1(6%E4%BB%A3)

※⑧幹山
[kotobank]
朝日日本歴史人物事典の解説
幹山伝七[かんざん・でんしち]
生年: 文政4   (1821)
没年: 明治23.2.28(1890)
幕末明治期の陶工。
尾張(愛知県)瀬戸生まれ。
加藤孝兵衛の3男。
幼名,繁次郎。のち孝兵衛を襲名した。
彦根藩の招きにより,
安政4(1857)~文久2(1862)年湖東焼で作陶を行う。
同年京都東山に移り,
慶応年間(1865~68)清水に丸窯を築き,磁器製造を始める。
文久3年,幹山松雲亭と号し,
明治に入り,幹山伝七を名乗った。
明治5(1872)年京都府から「職業出精ノ者」として表彰,
同8年,京都府勧業場御用掛に任命される。
国内の博覧会をはじめ,
パリ,シドニー,アムステルダムの万国博覧会でも幾多の賞を受ける。
明治3年ごろから指導を受けたワグナーの影響により,
西洋絵具の試用,石炭窯による磁器焼成など京焼に新しい動きをもたらした。
(伊藤嘉章)
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B9%E5%B1%B1%E4%BC%9D%E4%B8%83

※⑨六兵衞
[Wikipedia]
清水 六兵衛(きよみず ろくべえ)は、江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
《3代 [編集]》
(文政5年(1822年) - 明治16年(1883年)6月4日)
2代の次男。1853年(嘉永6年)、京都小御所に大雪見灯籠二基を焼成する。
号は祥雲。
1868年頃、古藤六兵衛を清水(しみず)六兵衛に改める。
海外にも積極的に出品し賞を受賞。
《4代 [編集]》
(嘉永元年(1848年) - 大正9年(1920年)11月)
3代の長男。のち清水六居。東京国立博物館蔵大灯籠を制作。
号は祥鱗。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AD%E5%85%B5%E8%A1%9B

小野義真:[紅葉館]

小野義真:[紅葉館]

【改正東京案内】明治14年3月7日版権免許
芝公園地 p26/80
芝増上寺の境内にあり。
丸山と云へる。
四季絶景の勝地あり。
明治14年に紅葉館を設立して人皆此に遊ふと云へり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764082/26
明治14年3月7日  板権免許
増補人 児玉永成  芝区芝井町六番地寄留 高知県士族
出版  大倉孫兵衛 日本橋区通一丁目拾八番地 東京府平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764082/79

【東京漫遊独案内】明治22年4月29日出版
紅葉館 絵入 p27-28/79
同所(芝)公園中に在り。
高貴の方々より諸人の宴会を開く貸席なり。
1-小野義真:[紅葉館]
明治22年4月28日印刷
明治22年4月29日出版
定価 金三十銭
編輯兼発行者 瓜生熊三郎 小石川区指ケ谷町七十三番地 東京府士族
印刷者    永井鏺之丞 小石川区掃除町三十三番地寄留 東京府平民
発 兌    漫遊会   同所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764202/74

【東京名所図絵】明治23年2月23日出版
紅葉館 能楽堂
紅葉館は本堂の西北に在り。
近年新築せしものにして会員及び其他の懇親親睦等の宴席に供するものなり。
傍ら?能楽堂ありて能狂言を演する所とす事に貴顕紳士の遊楽?供すと云ふ。 p45/138
2-小野義真:[紅葉館]
明治23年2月10日印刷
明治23年2月23日出版
著作者 中野了隨 日本橋区本石町壱丁目二十六番地
発行者 小川寅松 京橋区南紺屋町一番地
印刷者 高田重助 京橋区新肴町十四番地
専売所 小川尚榮堂 京橋南紺屋町壱番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764239/135

【東京案内】明治23年4月28日出版
紅葉館は同処の公園に在りて高等の貸席なり。 p28/59
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764079/28
明治23年4月27日印刷(版権所有)
明治23年4月28日出版(正価金二十五銭)
発行人  秦 武?   東京北豊島郡巣鴨一丁目二十七番地
編輯人  秦 獅子郎  東京北豊島郡巣鴨一丁目二十七番地
印刷人  山添志計三  東京小石川区巣鴨仲町二十五番地
発行所  巣鴨彫刷会社 東京北豊島郡巣鴨一丁目二十七番地
発売書林 吉川半七   京橋区南伝馬町壱丁目十二番地
発売書林 水野慶二郎  日本橋区通油町十八番地
発売書林 論語講義出版所 法木徳兵衛 日本橋区蠣殻町三丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764079/55

【東京百事便】明治23年7月9日出版
紅葉館(割烹店の部に出す)縦覧料金拾銭を出せば随意に縦覧するを得べし p100/413
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/100
紅葉館 芝公園地内にあり。
紳士の会合其他金石絲竹の集会等あり。
   (割烹店の部を参照すへし) p336/413
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/336
紅葉館 芝公園地内にあり。
100畳敷の新築2間。
又、70畳50畳敷の坐敷と外に小間敷数多あり。
猶往年上野行幸の節の便殿を移したるものもあり。
楼上又品海より総房二州の美景其他函根より連々富士山峯に至るの間一目の中にあり。
且其庭前には楓の古木数株茂り其他茶室には
曾て京都大徳寺山門にありたる有名なる利休居士の木像を置く。
又館内麗女の手踊を演する舞曲ありて紳士者連の集会宴会なとに供する所なり。 p345/413
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/345
明治23年7月8日印刷
明治23年7月9日出版
定価 金九拾五銭
編輯人    永井良知  東京市下谷区北稲荷町四十番地
発行兼印刷人 岩垣倢之助 東京市本郷区妻恋町九番地
発行所    三三文房  東京市下谷区北稲荷町四十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991721/404

【東京漫遊案内】明治26年5月8日発行
紅葉館の数多の客室壮麗に庭中美麗にして能舞台の設(もうけ)あり。
愛媛常に弦歌を弄し、紳士相会して遊宴日に盛(さかん)なり。 p20-21/34
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764201/20
定価 一冊 金八銭
明治26年5月4日印刷
明治26年5月8日発行
発行人 栗原吉五郎 東京市芝区南佐久間町一丁目一番地
印刷者 井上藤吉  東京市神田区裏神保町二番地
印刷所 新井活版所 芝区新?田町十九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764201/33

【新撰東京実地案内】明治26年10月7日発行
紅葉館 p25/119
楓(もみじ)山の中にあり。
閑雅幽静の風致たる処にして貴顕紳士の歓宴及び集会する好館なり。
時々能楽ありて、天皇及び皇后陛下の行幸あらせらるることあり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993994/25
明治26年10月2日印刷
明治26年10月7日発行
金二十五銭
発行者 井上勝五郎 東京市京橋区南紺屋町一番地
印刷者 木元新太郎 東京市京橋区弓町五番地
発兌元 薫志堂   東京市京橋区南紺屋町一番地
印刷所 新橋印刷所 東京市京橋区加賀町十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993994/110

【東京風景】明治44年4月27日発行
[紅葉館の踊]写真 p26/64
是は芝公園内に在る有名の割烹店紅葉館嬢子手踊の嬌態なり、
其演舞の優麗なる、
艶妖にして春柳の風に靡くが如く窈窕として秋月の遠山に登るが如し、
楼屋の美酒肴の佳、
是れ顧客を喜ばすの主なるものならんも、
嬢子一曲の手踊も亦客足を曳くの好磁石なり
Dance in the Maple Club.
3-小野義真:[紅葉館]
明治44年4月24日印刷
明治44年4月27日発行
発行兼印刷者 小川一真    東京市京橋区日吉町十三番地
印刷兼発売所 小川写真製版所 東京市京橋区日吉町十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764167/62

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


金 八千五百圓 有限 小野義真[紅葉館]
【日本諸会社登記録】明治27年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/171/

[芝公園紅葉山の景勝地に名流紳士の宴会場を建築]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/736/

[京都と愛知:陶器輸出に提携]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/737/

[名優 團菊も畢竟 河原乞食:紅葉館員に加入を拒絶せらる]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/738/

[紅葉館の善美:杯泥棒頻々]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/739/

金 八千五百圓 有限 小野義真[紅葉館]【日本諸会社登記録】明治27年

金 八千五百圓 有限 小野義真[紅葉館]
【日本諸会社登記録】明治27年

【日本諸会社登記録】第1巻
三井銀行 総長 従五位 三井高保氏 題字
三井物産合名会社 役員 佐藤長四郎 編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803755/1
[合資会社 紅葉館] p103/171
営業所 東京市芝区公園二十号地一番
会社ノ種類及本支店 合資会社本店
会社ノ目的
貴顕紳士ノ集会共遊所トシ会員ヲ定メ其需メニ応シテ席室ヲ貸付シ及ヒ
酒食ヲ?進スルヲ以テ営業トス又
会員外ノ求メニ応シテ休憩遊覧セシムルモノトス
資本総額      金 四萬弐千圓
会社設立ノ年月日   明治二十六年十一月十六日
会社存立時期    明治二十六年十一月十六日ヨリ
          明治五十六年十一月十五日マテ
          満三十ケ年
業務担当社員ノ氏名 乙部 鼎
          野邊地 尚義
以上二名
各社員ノ氏名住所出資額及責任
金 八千五百圓有限 小野義真    東京府北豊島郡南千住町
                     元地方橋場千三百八十番地
金 七千七百圓有限 三野村利助   東京市深川区深川西大工町十八番地
金 四千弐百圓有限 川崎八右衛門  東京市本所区千歳町四十六番地
金 参千五百圓有限 喜谷市郎右衛門 東京市京橋区大鋸町六番地
金 弐千六百圓有限 安田善次郎   東京市本所区横網町二丁目七番地
金 弐千百圓有限  中澤彦吉    東京市京橋区南新堀町一丁目四番地
金 弐千百圓有限  山中隣之助   東京市京橋区南伝馬町一丁目十七番地
金 弐千百圓有限  小西孝兵衛   東京市京橋区南新堀町一丁目八番地
金 弐千百圓有限  野邊地尚義   東京市芝区公園第二十号地一番
金 千七百圓有限  本野盛享    東京市麻布区東鳥居坂町二番地
金 千五百圓有限  乙部 鼎    東京市芝区白金三光町八十一番地
金 千四百圓有限  飯田文男    東京市小石川区西江戸川町十八番地
金 千四百圓有限  山本直成    東京市麹町区紀尾井町三番地
金 千百圓有限   稲葉正邦    東京市芝区三田三丁目三十五番地
以上十四名
(明治二十六年十一月十六日合資会社第二十号登記)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803755/103
明治27年7月16日印刷
明治27年7月19日発行
(定価六十五銭)
編纂兼発行者 佐藤長四郎  東京市京橋区新富町七丁目三番地
印刷人    斉藤章達   東京市日本橋区兜町二番地 東京製紙分社
印刷所    東京製紙分社 東京市日本橋区兜町二番地
発売所    有斐閣    東京市神田区一ツ橋通
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803755/166
八千五百圓 有限 小野義真[紅葉館]

【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

[紅葉館]
紅葉館(こうようかん)は,
明治・大正・昭和期に東京の芝区芝公園20号地に存在した会員制の高級料亭.
概要
明治14年(1881年) 2月15日に300名限定の会員制料亭として設立された。
特に明治23年(1890年)に鹿鳴館がわずか7年で消滅した後は,
条約改正を睨んだ外国人接待の場,
政治家・実業家・文人・華族・軍人の社交場として使われ,
東京名所図会や東京銘勝会にも収録された.
昭和20年(1945年) 3月10日の東京大空襲で焼失し,
64年の歴史に終止符を打った.
四千六百坪に達した広大な敷地は日本電波塔株式会社に売却され,
現在,東京タワーとなっている.
紅葉館ゆかりの著名人
讀賣新聞を起した子安峻が創設者の一人であったため,
同社の宴会に用いられることも多かった.
ペンネームを同料亭からとった尾崎紅葉を初めとする硯友社の文人,
巖谷小波・川上眉山・小栗風葉らも出入りした.
後にクーデンホーフ光子の名で知られる青山光子は,
小学校を終えた後,行儀見習として紅葉館の女中をしていた.
明治24年(1891年)に紅葉館で行われた「言海」完成祝賀会には,
伊藤博文(当時枢密院議長)・勝海舟らが出席した.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E9%A4%A8

浮世絵散歩 [江戸・明治を歩く] 「紅葉館」
解説
紅葉館は、明治14年(1881)に開業した会員制の高級料亭。
紅葉の装飾を施した豪華な内装の和風建築と、
紅葉をあしらった着物姿の美女たちの接待が評判でした。
読売新聞初代社長の子安俊が創設者の一人であり、
尾崎紅葉、巌谷小波、小栗風葉など硯友社の文士たちをはじめ、
芸術家、政治家などがサロンとして頻繁に利用しました。
明治・大正・昭和を通じて文化人たちに親しまれましたが、
残念ながら東京大空襲で焼失し、
現在跡地には東京タワーが建っています。
(左図)
名称
「東京名所図会 芝紅葉館
(とうきょうめいしょずえ・しばこうようかん)」
絵師 広重(歌川広重三代)
年代 明治18年(1885)
版元 秋山武右衛門
所在地 紅葉館跡(芝公園4-2-8)
(右図)
名称 「東京銘勝会 芝 紅葉館
(とうきょうめいしょうえ・しば・こうようかん)」
絵師 国利(歌川国利)
年代 明治19年(1886)
版元 辻岡文助
所在地 紅葉館跡(芝公園4-2-8)
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-detail.cgi?id=16

小野義真:[紅葉館]
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/172/

[芝公園紅葉山の景勝地に名流紳士の宴会場を建築]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/736/

[京都と愛知:陶器輸出に提携]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/737/

[名優 團菊も畢竟 河原乞食:紅葉館員に加入を拒絶せらる]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/738/

[紅葉館の善美:杯泥棒頻々]
【新聞集成明治編年史. 第四卷】昭和15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/739/
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