【日本富豪発生学 下士階級革命の巻】昭和6年
著者 白柳秀湖 著
出版者 千倉書房
出版年月日 昭和6
第一二 判理局設置の事情、諸難件の解決
『五八』七件の難訟に玉乃世履宣誓を拒む話
初め、廢藩置縣の布告が發せられ、
大藏省がいよいよ各藩の外債を引うけることゝなると、
横濱、神戸、長崎等各地の外國人はそれぞれ
領事の手を經てその債權を申出た。
この債權は領事の手から更に各公使の手を經て
外務省に持込まれた。
外務省では順序であるから、
その債權の申告を取まとめて司法省に廻す。
司法省でしらべて見ると、
證文はいづれも歷としたものである。
正式に裁判をすればどうしても
政府で引受けて償還しなければならぬ。
處がそれを證文通り支拂ふと
いふことになると大變である。
何がさて各藩とともに
焦眉の急にさし迫つて借りた金であるから、
金主のいひなり放題な條件になつてゐる。
二割三割といふ高利が普通であつて、
それを證文通り支拂ふことゝなると、
大變な金高になる。
それを司法官が値ぎつて
話しをつけるといふことは出來ぬ。
また前に述べたやうに、
中には政府で引きうけて
支拂ふべき性質でないものもある。
支拂ふべき性質でないものもある。
それらの話しをつけるにも、
司法官では甚だ都合がわるい。
それやこれやで司法省と大藏省との間に打合せがあつて、
外債に關する一切の疑義を解決する爲に、
大藏省の中に判理局といふものが設けられ、
そこで檢査と裁判とを兼ね行ふことゝなつた。
この判理局の長官に任じたのが、
後に日本鐵道に入つた小野義眞で、
初めの官が大藏少丞であつた。
小野の下に佐伯惟馨、北村泰一、
桃井直德、河村選などといふ人が居り、
主として尾去澤銅山のことに干與したのが
河村選であつた。
小野はその頃よくガタ馬車で横濱に出かけ、
外國商人に會つて利息を負けさせたり、
公債、私債の區別をつけたりしたものださうである。
それで大抵話はついたものであるが、
その中にアメリカ人か、イギリス人で
恐ろしい手強いのが居た。
そのことを佐伯が次のやうに話して居る。
『アメリカ人か、イギリス人か、
その邊の事はどうも覺えぬが、
小野義眞が再應ならず、
三應も四應も談判をせられたけれども、
どうしても一人強情にして、
一厘一毛も負けぬ奴があつた。
その時に始めて、
私は成程帳簿といふものは、
さうした大切なものかと思うたが、
それがいふには、
何とお引きなさいといはれても、
一厘一毛もお引き申すことは出來ぬ。
大概の者は見逃してくれたが、
それ一人が、
どうしても一厘一毛も負けぬ。
それは私が負けぬといへば、
まことに私は吝嗇で強欲のやうに
お思ひなされようが、
私は先達て(明治)五年の銀座の大火の時分に、
二萬弗か、三萬弗の金を持たして、
三人の番頭を直ぐ東京へ出して、
さうして困難の者や何かを救ひました。
それは私が慈善の方からやつたので
ございまするが、
これは卽ち私の店の方の帳簿に、
ちやんと記してある利息でございますから、
一厘一毛も負けませぬといつて、
どうしても承知せぬ。
ツヒとうとう全額拂つたことがございます。
その餘のものは大抵利息を引きましたがネ。』
こんな次第で公債か私債かに關する
外國人との爭議も大かたは片づいたが、
その中にイギリスの商人にかゝるもので
どうしても折合はぬものが七件あつた。
この後に殘つたのが『七件の訴訟』といつて
その頃大へん喧しくいはれたものであつた。
結局この七件は、
日本とイギリスと雙方から
裁判官を出して關係者一同を召喚し
立會裁判を開くことゝなつた。
その時外務省から通譯として派出せられたのが、
澁澤子爵の推薦で舊靜岡藩から出仕して居た
鹽田三郎であつた。
その時日本側の裁判長に任ぜられたのが、
有名な玉乃世履で、
英國側からはマンネンといふものが
裁判長として出廷した。
いよいよ開廷となつて
マンネンは一同に宣誓をしろと命じた。
處が玉乃はそれを支へて
『イギリスの裁判にはさういふ習慣があるか知らぬが、
日本にはさういふことはない。
日本人といふものは昔から宣誓などといふことをせんでも、
法廷へ出て嘘はつかぬことになつて居る。
日本人は宣誓せぬでもよい』
といひ出した。
マンネンは大いに憤つて
『宣誓をせぬやうな日本人ならばもう裁判はせぬ』
といふ。
すると玉乃は
『裁判をせぬならせぬでよろしい。
此方は原告ではない。
原告の方で裁判せぬといふに
何も御願ひ申して裁判をしてもらふ必要はない』
といふので、
サツサと法廷を引揚げてしまつた。
玉乃といふ人は實に偉い見識家であつた。
果せるかな、
イギリス側は間もなく折れて來た。
日本の習慣に宣誓といふことがないのなら、
宣誓はせぬでもよいといふことになり、
再び裁判が開かれることゝなつた。
昭和六年九月廿五日印刷
昭和六年九月 卅日發行
「日本富豪發生學」(下士階級革命の巻)奥附
定價 一圓六十錢
著 者 白柳秀湖
發行者 千倉 豐
東京市京橋區南傳馬町三ノ五
印刷者 山縣精一
東京市神田區今川小路一ノ一
發行所 東京・京橋 第一相互館
千倉書房
電話京橋(56)二一八一・二一八七・二五五六
振替東京九七八
山縣製本印刷株式會社 印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年10月25日10:46
《小野義真》[職員録]明治3年9月~6年11月
『アジア歴史資料センター』
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【日本富豪発生学 閥族財権争奪の巻】昭和6年
著者 白柳秀湖 著
出版者 千倉書房
出版年月日 昭和6
第五 尾去澤銅山疑獄事件の結著
『一七』大山鳴動して鼠一疋の尾去澤銅山
疑獄事件判決
從五位 小野義眞
其方儀、
大藏省在職中、
村井茂兵衞ヨリ取立ツベキ金圓、
河村選誤テ多収セシ一件、
且 茂兵衞稼ギ尾去澤銅山附屬品買上代價、
承諾ノ證券不取置一件、
及ビ今田紋十郎身代解放處分一件等、
夫々遂吟味候處、
不束ノ筋無之ニ付無構候事。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年08月09日08:25
《從五位 小野義眞》[尾去澤銅山疑獄事件]
【資料近代日本史】昭和8年
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