小野義真:資料

TATEDA GROUP(立田グループ)代表取締役 立田雅弘氏 四国銀行広報誌2019年7月「宿毛桟橋株式会社」

四国銀行広報誌 四銀 経営情報
四銀地域経済研究所
2019 7 No.169
四国銀行広報誌2019 7No.169p1
〔画像〕四国銀行広報誌2019 7No.169p1

第36回 TATEDA GROUP(立田グループ)
代表取締役 立田 雅弘氏
(取引店:四国銀行宿毛支店
四国銀行広報誌2019 7No.169p3
〔画像〕四国銀行広報誌2019 7No.169p3

立田義衛は、同社から宿毛での代理店と
船荷証券(B/L)発行を委託され、
港に隣接する土地を手に入れて荷役用地とし、
桟橋を建設して
「宿毛桟橋株式会社」を創業しました。
この設立日である大正13(1924)年12月13日を
立田グループの創立日としています。
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【官報 1925年01月27日】大正14年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正14年
◎株式會社設立
一 商號 宿毛桟橋株式會社
一 本店 幡多郡宿毛町大島千八十六番百六十三號地
一 目的 桟橋業竝ニ附帶事業トシテ貨物運搬仲仕
一 設立 大正十三年十二月二日
一 資本總額 金三万圓
一 一株金額 金五十圓
一 各株拂込額 金十二圓五十錢
一 公告方法 本社店頭ニ掲示
一 取締役ノ氏名住所
  立田義衞 幡多郡宿毛町大島千八十六番四十二號地
  高橋嘉吉 幡多郡宿毛町宿毛四百四十一番地
  小野熊治 幡多郡宿毛町樺二番屋敷ノ二
一 監事ノ氏名住所
  大黑亀吉 幡多郡宿毛町大島千八十六番六十五號地
一 存立時期 滿二十年
大正十三年十二月十三日登記
  中村區裁判所宿毛出張所
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【官報 1926年08月05日】大正15年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正15年
◎宿毛桟橋株式會社變更
一 取締役 高橋嘉吉ハ大正十五年四月十六日辭任シ
  同日左ノ者 取締役ニ就任ス
  取締役 小野是一郎
      幡多郡宿毛町宿毛四十八番屋敷
大正十五年四月二十三日登記
  中村區裁判所宿毛出張所
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年02月24日11:13
《宿毛桟橋株式會社》立田義衛 小野信實 黒岩安次
【官報 1932年09月01日】昭和7年
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立田回漕店(立田弥栄子社長)花菱汽船(立田雅弘社長)若宮汽船(立田敬二社長)【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)

【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)
出版者   内航ジャーナル
出版年月日 1995-04
p1【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)
〔画像〕p1【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2881061/1/1

立田回漕店は大正十三年、
定期船の代理店で
自社桟橋を持つ宿毛桟橋として設立。
昭和四十年から自営セメントサイロと
自社バースを持ち、
宇部興産、日本セメントの製品管理、
陸上輸送をしている。
立田回漕店(立田弥栄子社長)は取扱業で、
貸渡業は
花菱汽船(立田雅弘社長、昭和四十四年設立)、
若宮汽船(立田敬二社長、昭和四十九年設立)
に分離している。

花菱汽船は立田回漕店のセメントサイロの関係から
宇部興産向けのセメント専用船(一、三四七D/W)を
昭和五十七年に建造、
山機海運が用船している。
若宮汽船は川鉄物流に
一、六〇〇D/W、一、〇九八D/W二隻を所有、
川鉄物流が鋼材運搬船として用船している。

立田回漕店グループではこの他、
京阪神地区で不動産業も営み、
貸しビルもある。

立田敬二社長(七十)は地元出身の二代目。
京都大学卒。
立田雅弘社長(四十)は敬二社長の長男で
同志社大学卒。
雅弘氏は小学校一年生のときから母親、
弟とともに京都で育ち、
父親の敬二氏が家業を継ぐため宿毛に
単身赴任していた。
雅弘氏は大学卒業後、
辰巳商会に勤め、
昭和五十六年末に立田回漕店に入社した。
当時は内航が不況のさ中で、
廃業も考えられたが、
セメント専用船の建造を契機に盛り返した。

敬二氏は宿毛商工会議所会頭、
全海運理事、などの公職が多く、
社業は三代目の雅弘氏が取り仕切っている。
p34【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)
〔画像〕p34【内航近海海運 30(675)】平成7年(1995-04)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2881061/1/34
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年11月18日05:00
立田敬二[少尉 京大経 立田回漕店(運輸)花菱(アパート、喫茶)]
【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
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磐手を訪れた俳優たち(青島にて)昭和15年11月【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968

【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
出版者   浴恩出版会
出版年月日 1968
p3【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
〔画像〕p3【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/3

 磐手を訪れた俳優たち(青島にて)
 昭和15年11月 於 磐手(青島)
(左より)
里見 藍子
沢村 貞子
江川宇礼雄
入江たか子
藤田  進
加藤豊太郎(二期 主計長)
沢田 沢吉(六期 庶務主任)
p33-2【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
〔画像〕p33-2【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/33

  第二期 五月会
     (名称由来…五月に入隊したことから名付ける)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/195
加藤豊太郎(二期 主計長)
(少佐 東商大 三菱樹脂社長付)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/200

  第六期 土曜会
     (第一回の集いをしたのが土曜日だったので、
      土曜会と呼ぶようになった)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/245
沢田沢吉(六期 庶務主任)
(少佐 東商大 沢田商店社長、武蔵米穀卸常務取締役)
磐手在艦時、
ロケのため来ていた俳優連を見学させた時の写真を
本書に寄せられた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/251

海軍主計科士官物語<短現総覧>
昭和四十三年二月二十日発行
定価 三、八〇〇円
(送料諸掛二〇〇円を含む)
編 者 井畑憲次
    野間 弘
発行者 井畑憲次
発行所 浴恩出版会
    東京都中央区銀座東八の一
    丹羽ビル
    電話(541)八五〇二番
    振替口座 東京五六〇五〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/471
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立田敬二[少尉 京大経 立田回漕店(運輸)花菱(アパート、喫茶)]【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968

【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
出版者   浴恩出版会
出版年月日 1968
p3【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
〔画像〕p3【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/3

 第十二期生 第三・第四分隊 卒業記念・
       昭和20年3月・4月
p18【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
〔画像〕p18【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/18

  勝鬨会(十二期)
 勝鬨会 第12期 海軍主計見習尉官隊
 昭和39年5月27日
p33-1【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
〔画像〕p33-1【海軍主計科士官物語:二年現役補修学生総覧】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/33

 第十二期 勝鬨会
     (名称由来…経理学校のあった勝鬨橋と
      戦勝の勝鬨よりとる)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/421
  第四分隊
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/438

立田敬二
[少尉 京大経 立田回漕店(運輸)花菱(アパート、喫茶)]
卒業後 朝鮮元山空配属、
終戦一カ月前 福岡空に派遣され
同地にて終戦迎える。
趣味 魚釣、高知県出身、
京都市下京区寺町通松原上る京極町四九〇
電話35-3510
https://dl.ndl.go.jp/pid/3447424/1/440

海軍主計科士官物語<短現総覧>
昭和四十三年二月二十日発行
定価 三、八〇〇円
(送料諸掛二〇〇円を含む)
編 者 井畑憲次
    野間 弘
発行者 井畑憲次
発行所 浴恩出版会
    東京都中央区銀座東八の一
    丹羽ビル
    電話(541)八五〇二番
    振替口座 東京五六〇五〇番
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【四国年鑑 昭和47年版】
出版者   高知新聞社
出版年月日 1971.
《立田敬二》大正13年4月5日(宿毛市)
①(株)立田回漕店、花菱汽船(有)代表取締役
②釣・読書
③京都大学経済学部卒(昭和24年)
➃弥栄子(妻) 順子(長女) 雅弘(長男) 晴久(二男)
A788 宿毛市片島 T(08806)5-8201
京都市下京区寺町通松原上る
T(075)(351)三五一〇
https://dl.ndl.go.jp/pid/12405233/1/480
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林有造、和氣宥雄、小野義眞、高山紀齋【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年

【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年
著者    浜口熊岳 著 [他]
出版者   浜口熊岳事務所
出版年月日 明43.10
p1【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年
〔画像〕p1【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年

明治二十七年ヨリ和歌山裁判所ヲ始メトシ卅六年迄デ
四十七回トモ公明正大ナル辯論ノモトニ
何レモ無罪ノ判決ヲ受ク
尚裁判所法廷ニ於テ實地施行ノ試驗ヲ受ク

證人
(元農商務大臣)林有造、
(眞言宗管長)和氣宥雄、
(日本鐵道社長)小野義眞、
(齒科醫學博士)高山紀齋
ノ諸氏
有益ナル證言ヲ爲シタリ
p8【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年
〔画像〕p8【摩訶不思議:浜口熊岳自叙伝 2版】明治43年

  東京朝日新聞記事 (明治36年十一月二十日)
東京地方裁判所成規則により宣誓をなし後
熊嶽にホクロを取る依賴をせしや林有造氏
之れに答へ
私は實兄岩村光俊方にて面部に有りたる
   ※岩村通俊
大きなホクロ取(とつ)てもらいました
九字を切りて呪文を唱(とな)へ
やつと聲を出したらばコロリと落ちました
別にいたみも有りません
唯だ私も不思議妙で有ると感じたり

翌一月二日小野義眞方へ來(きた)り
不思議の話をしたる後から聞(きけ)ば
小野の家でも澤山イボホクロ
齒を取(とつ)てもらへし人有り
之も不思議大妙じゃと云(いひ)居れり

明治三十五年東京區裁判所にて辯護士の參考として
余の眞言秘密を以て齒を抜かしめられき其際
判官等も私服にて實見せられしが
辯護士岸本博士鈴木充美
其他十數名の辯護士より呼賞を博したり
明治四十二年六月二十日印刷
明治四十二年六月廿五日發行
明治四十三年十月十五日再版發行 定價金五拾錢
發行兼 北川米太郎
編輯者 名古屋市東區葵町三十五番戸
    濱口熊嶽別邸方
印刷者 小池  淸
    名古屋市東區針屋町二丁目三十一番戸
印刷所 三益社
    名古屋市東區針屋町二丁目三十一番戸
發行所 濱口熊嶽事務所
    名古屋市東區葵町三十五番戸
    電話一三七四番
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小野義真は陶工ではない アマチュアの最高峰とでも云う存在か【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974

【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974
著者    日本盆栽協会 編
出版者   三省堂販売
出版年月日 1974
175 蕎麦釉丸(小野義眞作)
   14×8.3
p34【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974
〔画像〕p34【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974
https://dl.ndl.go.jp/pid/12439944/1/34

〇小野義真
名品とされ珍重されている小野鉢のほとんどは丸鉢です。

しかし、そのロクロの技術、釉薬の特殊さは
他の鉢の追従を許さない厳しさを持っていると云えます。

元来 日本鉄道の社長の重任を負い、
人格、名声共に知名な人のわりに、
その経歴等余りにも不明な点が多かったのですが

もちろん小野義真は陶工ではない、
アマチュアの最高峰とでも云う存在か。

前述したように国鉄の前身である
日本鉄道株式会社の三代目の社長を勤められた人で、
天保十年(1839)土佐幡多郡宿毛(現宿毛市)に
士族 小野安兵衛義信の子として生れ、
四人兄弟の長男であります。

三十才の頃、しばらくの間、
官界に身を置いて土木事業にたづさわったが、
その後官界を去り三菱会社に入り
財閥 岩崎弥太郎の股肱となり、
その手腕を縦横に振るい、
大隈重信侯とも昵懇の間柄だったようで、
東京橋場の本邸のほか、
向島の別邸、
関屋の別荘があったようです。

橋場の本邸に窯を築き
瀬戸の陶工、加藤正吉を従いて
この小野鉢が生れた訳で、
その釉薬などには並なみならぬ苦心があったようです。

小野鉢には[ひらがな]、
或は
[片カナ]などの符合が見られますが、
これは何のために入れたものかよく判っていません。

尚[どくろ]の中に正の字を入れた落款がありますが、
これは加藤正吉のものとされています。

明治三十八年(1905)五月胃癌のため他界されました。
p59【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974
〔画像〕p59【盆栽水石の鉢・水盤・卓】1974
https://dl.ndl.go.jp/pid/12439944/1/59
盆栽水石の 鉢・水盤・卓
定価2900円
発行所 社団法人 日本盆栽協会
    東京都台東区上野公園3番42号
発売元 三省堂販売株式会社
    代表者 亀井 要
    〒101 東京都千代田区神田神保町1の41
    電話03-292-1481(代)
    振替口座 東京9390
製 作 大塚巧藝社
印 刷 昭和49年1月 9日
発 行 昭和49年1月10日
https://dl.ndl.go.jp/pid/12439944/1/65
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《小野義真=小野義臣》盆栽界で人気の高い鉢に小野窯がある【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976

【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
著者    忍田博三郎 著
出版者   三友社
出版年月日 1976
 p3【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p3【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/3

上 16 真葛香山合作金波絵丸
    小野義真
    口径17.5cm 高さ7.5cm
中 17 曙釉袋式丸
    小野義真
    口径15cm 高さ10cm
下 18 小豆釉鉄鉢
    小野義真
    口径12cm 高さ6cm
 p14【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p14【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/14

《小野義真》 p36-39/130

尚、現在大宮の清香園主の先代山田初五郎氏が
小野家のお出入りであり、
陶工の加藤正吉氏とも昵懇の間柄だったと聞き、
色々お尋ねして見たり、……。

「しゃれこうべ」の落款
 95 加藤正吉の落款
 p36【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p36【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/36

 96 小野窯花瓶の底にある符合「むぎほし」
 p37【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p37【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/37

小野梓は小野義真にとって義理の弟です。
もともと遠縁であった両者でしたが、
梓が義真の妹利遠(りお)と結婚したからです。
(明治七、八年頃と推測されます)。
 ・・・・・・
宿毛市では明治百年を記念し、
宿毛十傑と称して、
宿毛の生んだ偉人の遺跡に標柱を建てました。
義真の旧居は宿毛市の東北隅にあり、
その建物の一部は今も残され、
その屋敷を囲む土塀の如きは、
今は往時の宿毛を偲ぶ唯一の文化遺産であり、
ここに「小野義真邸跡」と標柱が建てられました。
庭なども数寄を凝らしたもので、
往時の主を偲ぶが如く、
現在なお当時のまま残っていて、
大正九年夏、
大町桂月はここに約四十日間も滞在し、
その庭の趣きを賞して「休翼庭」と
名付けたと言われています。
それは、流れの中にしばしば
翼を休めている鳥の姿をした岩が
あったからだと云います。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/38

花は朝顔を愛し、書をよくし、
桃斉の号は老鼠堂永機につけてもらったもので、
俳句は永機門下の逸材であったと云います。
  朝顔の つぼみ数えつ 宵寝かな
  長き夜や 偕に楽しむ 酒の味
  寝ながらに 見るも驕りや 庭の雪
などの秀逸が残され、
最後の句は明治三十八年一月より胃癌の為
病床にあって作ったもので、
はしなくも義真の辞世の句となりました。

とにかく義真には、
東京に三ヶ所の住所があった事は確実で、……。

つまり移転前の真先稲荷の隣接地に小野義真の本邸と、
尚その隣りに、
小野梓と利遠(妹)の新家庭を作り住まわせ、
自らも又ここに定住したと考えられます。

本邸の川向うに向島の別邸があったが、
ここは小松島と呼ばれ(現在の白髭橋の東詰)
その広さは三千平方メートルにも及ぶ
宏大な規模のものだったと云われ、
この外に関屋に別荘があったが、
その地は現在のどの辺に当るのか確証もなく、
定かではないので
今後の研究課題にしたいと思います。

小野十五郎=福地悟朗

カラー写真No.16 真葛香山合作金波絵丸
カラー写真No.17 曙釉袋式丸
カラー写真No.18 小豆釉鉄鉢

 97 カラー写真No.16
 真葛香山合作金波絵丸の鉢の箱書。
 p39【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p39【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/39

 p119-1【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p119-1【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/119

 p119-2【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
〔画像〕p119-2【盆栽小鉢の面白味:日本の小鉢と陶工】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/119
日本の小鉢と陶工
盆栽小鉢の面白味 定価 三五〇〇円
昭和五十一年五月十五日初版発行
著 者   忍田博三郎
発行人   北村 卓三
企画編集人 清水  明
発行所   株式会社 三友社
      東京都練馬区石神井六丁目一番二十五号
      電話(〇三)九九七ノ五一三一(代表)
      振替東京五ノ四八七八九 (〒一七七)
      印刷・製本 凸版印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12709788/1/127
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年06月06日05:13
《小野義真(義臣)》自宅の庭に窯を築き
尾張の名陶工・加藤正吉を抱え、
多くの名品をプロデュースした稀代の趣味人

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年04月26日06:05
《小野銀行頭取 小野十三郎》黑岩(小野家執事)
土佐日記(二) 宿毛:大正九年六月七月
【桂月全集 別巻 上】1980
七月三日 朝くもる
 小野氏と共に「コウゾノ」堰にかほ あらひにゆく
 一宮神社のあとに上る、
 老松二抱半おこんば淵(村役場)
 樹しげりて眺望なし東福寺ノ畔、
 伊賀氏の墓地に上る
 宿毛一目の下、休翼園
 午前 小學こうえん
 夜 淸寶寺こうえん
 とうふくじの側の小山 伊賀氏の墓地也
七月四日
 宿毛のわらぢは ちぼ一つ也
 篠山ノ神社ふきん檜多し、
 上はつゝじ、どうだん、小笹一面也
   鯤化作鵬々作石
   悠然休翼小池邊
   池中一任鯉魚躍
   梅雪松風幾萬年
   題休翼園 小野氏
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《小野義眞》大藏省判理局の長官、後に日本鐵道に…【日本富豪発生学 下士階級革命の巻】昭和6年

【日本富豪発生学 下士階級革命の巻】昭和6年
著者    白柳秀湖 著
出版者   千倉書房
出版年月日 昭和6
p3【日本富豪発生学 下士階級革命の巻】昭和6年
〔画像〕p3【日本富豪発生学 下士階級革命の巻】昭和6年
  第一二 判理局設置の事情、諸難件の解決
   『五八』七件の難訟に玉乃世履宣誓を拒む話
初め、廢藩置縣の布告が發せられ、
大藏省がいよいよ各藩の外債を引うけることゝなると、
横濱、神戸、長崎等各地の外國人はそれぞれ
領事の手を經てその債權を申出た。
この債權は領事の手から更に各公使の手を經て
外務省に持込まれた。

外務省では順序であるから、
その債權の申告を取まとめて司法省に廻す。
司法省でしらべて見ると、
證文はいづれも歷としたものである。
正式に裁判をすればどうしても
政府で引受けて償還しなければならぬ。

處がそれを證文通り支拂ふと
いふことになると大變である。
何がさて各藩とともに
焦眉の急にさし迫つて借りた金であるから、
金主のいひなり放題な條件になつてゐる。

二割三割といふ高利が普通であつて、
それを證文通り支拂ふことゝなると、
大變な金高になる。

それを司法官が値ぎつて
話しをつけるといふことは出來ぬ。
また前に述べたやうに、
中には政府で引きうけて
支拂ふべき性質でないものもある。
それらの話しをつけるにも、
司法官では甚だ都合がわるい。

それやこれやで司法省と大藏省との間に打合せがあつて、
外債に關する一切の疑義を解決する爲に、
大藏省の中に判理局といふものが設けられ、
そこで檢査と裁判とを兼ね行ふことゝなつた。

この判理局の長官に任じたのが、
後に日本鐵道に入つた小野義眞で、
初めの官が大藏少丞であつた。

小野の下に佐伯惟馨、北村泰一、
桃井直德、河村選などといふ人が居り、
主として尾去澤銅山のことに干與したのが
河村選であつた。

小野はその頃よくガタ馬車で横濱に出かけ、
外國商人に會つて利息を負けさせたり、
公債、私債の區別をつけたりしたものださうである。

それで大抵話はついたものであるが、
その中にアメリカ人か、イギリス人で
恐ろしい手強いのが居た。
そのことを佐伯が次のやうに話して居る。

『アメリカ人か、イギリス人か、
 その邊の事はどうも覺えぬが、
 小野義眞が再應ならず、
 三應も四應も談判をせられたけれども、
 どうしても一人強情にして、
 一厘一毛も負けぬ奴があつた。
 その時に始めて、
 私は成程帳簿といふものは、
 さうした大切なものかと思うたが、
 それがいふには、
 何とお引きなさいといはれても、
 一厘一毛もお引き申すことは出來ぬ。
 大概の者は見逃してくれたが、
 それ一人が、
 どうしても一厘一毛も負けぬ。
 それは私が負けぬといへば、
 まことに私は吝嗇で強欲のやうに
 お思ひなされようが、
 私は先達て(明治)五年の銀座の大火の時分に、
 二萬弗か、三萬弗の金を持たして、
 三人の番頭を直ぐ東京へ出して、
 さうして困難の者や何かを救ひました。
 それは私が慈善の方からやつたので
 ございまするが、
 これは卽ち私の店の方の帳簿に、
 ちやんと記してある利息でございますから、
 一厘一毛も負けませぬといつて、
 どうしても承知せぬ。
 ツヒとうとう全額拂つたことがございます。
 その餘のものは大抵利息を引きましたがネ。』

こんな次第で公債か私債かに關する
外國人との爭議も大かたは片づいたが、
その中にイギリスの商人にかゝるもので
どうしても折合はぬものが七件あつた。
この後に殘つたのが『七件の訴訟』といつて
その頃大へん喧しくいはれたものであつた。
結局この七件は、
日本とイギリスと雙方から
裁判官を出して關係者一同を召喚し
立會裁判を開くことゝなつた。
その時外務省から通譯として派出せられたのが、
澁澤子爵の推薦で舊靜岡藩から出仕して居た
鹽田三郎であつた。

その時日本側の裁判長に任ぜられたのが、
有名な玉乃世履で、
英國側からはマンネンといふものが
裁判長として出廷した。

いよいよ開廷となつて
マンネンは一同に宣誓をしろと命じた。
處が玉乃はそれを支へて
『イギリスの裁判にはさういふ習慣があるか知らぬが、
 日本にはさういふことはない。
 日本人といふものは昔から宣誓などといふことをせんでも、
 法廷へ出て嘘はつかぬことになつて居る。
 日本人は宣誓せぬでもよい』
といひ出した。

マンネンは大いに憤つて
『宣誓をせぬやうな日本人ならばもう裁判はせぬ』
といふ。
すると玉乃は
『裁判をせぬならせぬでよろしい。
 此方は原告ではない。
 原告の方で裁判せぬといふに
 何も御願ひ申して裁判をしてもらふ必要はない』
といふので、
サツサと法廷を引揚げてしまつた。

玉乃といふ人は實に偉い見識家であつた。
果せるかな、
イギリス側は間もなく折れて來た。
日本の習慣に宣誓といふことがないのなら、
宣誓はせぬでもよいといふことになり、
再び裁判が開かれることゝなつた。
昭和六年九月廿五日印刷
昭和六年九月 卅日發行
「日本富豪發生學」(下士階級革命の巻)奥附
定價 一圓六十錢
著 者 白柳秀湖
發行者 千倉 豐
    東京市京橋區南傳馬町三ノ五
印刷者 山縣精一
    東京市神田區今川小路一ノ一
發行所 東京・京橋 第一相互館
    千倉書房
    電話京橋(56)二一八一・二一八七・二五五六
    振替東京九七八
山縣製本印刷株式會社 印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年10月25日10:46
《小野義真》[職員録]明治3年9月~6年11月
『アジア歴史資料センター』
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【日本富豪発生学 閥族財権争奪の巻】昭和6年
著者    白柳秀湖 著
出版者   千倉書房
出版年月日 昭和6
  第五 尾去澤銅山疑獄事件の結著
   『一七』大山鳴動して鼠一疋の尾去澤銅山
       疑獄事件判決
   從五位 小野義眞
其方儀、
大藏省在職中、
村井茂兵衞ヨリ取立ツベキ金圓、
河村選誤テ多収セシ一件、
且 茂兵衞稼ギ尾去澤銅山附屬品買上代價、
承諾ノ證券不取置一件、
及ビ今田紋十郎身代解放處分一件等、
夫々遂吟味候處、
不束ノ筋無之ニ付無構候事。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年08月09日08:25
《從五位 小野義眞》[尾去澤銅山疑獄事件]
【資料近代日本史】昭和8年
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《小野義臣》父 百川と其の交友―杉山千和―依田美狹古【日本及日本人 (9月號)(376)】1939-09

【日本及日本人 (9月號)(376)】1939-09
出版者   政教社
出版年月日 1939-09
 父 百川と其の交友
   ―杉山千和―
    依田美狹古
https://dl.ndl.go.jp/pid/1597311/1/114
雨晴れて秋の氣分の好き
(明治13年)九月七日、
父(學海)は千和翁と、
勝部五松に誘れて、
その知人小野義臣の橋場の別業に往つた。
主人の義臣は、
刀劍を好み、
郷義廣、正宗、貞宗、兼氏など、
名人の製作を、
席上に陳列して、
來客に品評させた。
父はあまり刀劍を好まないので、
その園中を遊覽したのであつたが、
千和翁は仔細に見て七絶があつた。
  九月七日游小野義臣別墅
      杉山千和
 欲壓風流一世豪。
 芙蓉晴雪入軒高。
 怪來忽地神龍現。
 晴壁光飛日本刀。
p116【日本及日本人 (9月號)(376)】1939-09
p116【日本及日本人 (9月號)(376)】1939-09
https://dl.ndl.go.jp/pid/1597311/1/116
昭和十四年八月廿日印刷納本
昭和十四年九月一日發  行 定價金五十錢
發行兼編輯 入江種矩
兼印刷人
發行所   政敎社
      東京市麴町區麴町一丁目八番地ノ五
      電話九段(33)三二一一番
      振替貯金口座東京壹壹八四四番
印刷所   政敎社 印刷所
      東京市芝區久保巴町七十番地
大賣捌   東京 九段 東京堂
      同  京橋 東海堂
      同  京橋 北隆館
      同  神田 大東館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1597311/1/144
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小野義眞銅像》[建設者]小野十三郎[所在地]高知縣幡多郡宿毛町宿毛【偉人の俤】昭和3年

【偉人の俤】昭和3年
著者    二六新報社 編
出版者   二六新報社
出版年月日 昭和3

板垣退助銅像[偉人傳第七一頁參照]
[所在地] 高知縣高知市高知後援追手門
[建設月日]大正十四年十二月五日
[原型作者]本山白雲
[建設者] 板垣伯銅像記念碑建設會
[銘 記] ナシ

林 有造銅像[偉人傳第八二頁參照]
[所在地] 高知縣幡多郡宿毛町片島
[建設月日]大正六年一月
[原型作者]本山白雲
[建設者] 有志者
[銘 記] ナシ

片岡健吉銅像[偉人傳第八一頁參照]
[所在地] 高知縣高知市帶屋町縣公会堂内
[建設月日]大正五年十一月七日
[原型作者]本山白雲
[建設者] 有志者
[銘 記] ナシ

板垣退助銅像[偉人傳第七一頁參照]
[所在地] 岐阜縣岐阜市公園内
[建設月日]大正七年四月二十一日
[原型作者]畑 正吉
[鑄 造] 畑 正吉
[構 造] 像ノ高サ八尺 臺石高サ一丈四尺
[工 費] 二千三百圓
[建設者] 發起人 ―略―
[銘 記] ―略―

岩村通俊銅像[偉人傳第八三頁參照]
[所在地] 高知縣幡多郡宿毛町宿毛
[建設月日]明治四十二年四月
[原型作者]本山白雲
[建設者] 有志者
[銘 記] ナシ

小野義眞銅像[偉人傳第一八七頁參照]
[所在地] 高知縣幡多郡宿毛町宿毛
[建設年月]大正五年三月
[原型作者]本山白雲
[建設者] 小野十三郎
[銘 記] ナシ
 p218【偉人の俤】昭和3年
〔画像〕p218【偉人の俤】昭和3年
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311205/1/218
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311205/1/219

 p220-1【偉人の俤】昭和3年
〔画像〕p220-1【偉人の俤】昭和3年

      小野義眞銅像
 p220-2【偉人の俤】昭和3年
〔画像〕p220-2【偉人の俤】昭和3年
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311205/1/220

小野義眞 (第六〇頁寫眞參照)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311205/1/667
昭和三年十月 廿四日印刷
昭和三年十月二十八日發行 定價金四拾圓
編輯兼 新居房太郎
發行者 東京市芝區芝口二丁目七番地
印刷者 三井壽衞九郎
    東京市芝區神明町二十一番地
印刷所 三井寫眞製版印刷所
    東京市芝區神明町二十五番地
發行所 二六新報社
發賣元 北隆館
    東京市京橋區元數寄屋町三ノ七
    電話京橋一七八八・一七八九
        一七九五・一七九六
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311205/1/805
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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