小北甚之助

《小北甚之助氏》【改正北海道多額納税貴族院議員互選資格者名鑑】大正15年

《小北甚之助氏》
【改正北海道多額納税貴族院議員互選資格者名鑑】大正15年

【改正北海道多額納税貴族院議員互選資格者名鑑】
 大正15年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920907/123
《小北甚之助氏》木材業 p104/125
上川郡名寄町
明治四年三月十三日生 ※明治4年3月13日(1871年5月2日)
地 租 金五十圓
營業税 金十四圓
所得税 金二千五百七十八圓
(大正十四年分)
<写真>
氏は明治三年三月   ※明治四年の誤記
京都府丹波国南桑田郡千代川村字今津
忠蔵氏の二男に生る、
長じて家業製線及農に從え
明治二十二年
田中敬造に伴はれて渡道し
旭川に到り
開墾の業に從事
苦闘困難を凌ぎ
二十八年友人と共に比布に
四十五丁歩の貸下げを受け
一意専念開墾に勵み
數年困苦と戰ひ遂に附與を受け
今や二百町歩の水田を所有す、
四十年七月名寄町に移轉し
翌年兄弟共同にて製材所を設け
以來發展今に及ぶ。
上川地方一流の資産家たり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920907/104

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

小北甚之助【日本全国商工人名録】

小北甚之助【日本全国商工人名録】

【日本全国商工人名録】大正5年8月10日発行
[名寄木工場]p925/1010
上川郡上名寄村市街地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969017/925
大正5年8月10日発行
発行所 商工社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969017/1009

【日本全国商工人名録】大正8年6月20日発行
[合資会社名寄木工場]p716/785
建築用材
下駄棒材
其他製材一式
創 業  明治四十一年
代表社員 小北甚之助
上川郡名寄町
電話 一五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932533/716
大正8年6月20日 第7版発行
発行所 商工社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932533/784

【日本全国商工人名録】大正14年10月26日発行
[合資会社 名寄木工場]p578/677
建築用材
下駄製材
其他製材一式
代表社員 小北甚之助
創 業  明治四十一年
上川郡名寄町
電話 一五番
北一合資会社名寄木工場 分工場
宗谷線下頓別
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932535/578
大正14年10月26日発行
発行所 合資会社商工社假事務所
    東京市四谷区尾張町五番地
    合資会社商工社大阪支部
    大阪市住吉区天王寺町二一四一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932535/676

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小北甚之助:名寄町 町長 名誉職

小北甚之助:名寄町 町長 名誉職

【北海道自治関係職員録】
上川支庁管内 名寄町
町長 名誉職
小北甚之助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464589/88
旭川市
市会議員
別府賢吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464589/202
昭和5年9月1日発行
非売品
編纂兼発行者 北海道自治協会
右 代表者  川西輝昌
       北海道庁内務部地方課内
印刷者    本間清造
       札幌市北二条西三丁目一番地
印刷所    合資会社 北海石版活版所
       札幌市北二条西三丁目一番地
発行所    北海道自治協会
       北海道庁内務部地方課内
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464589/211

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小北甚之助 製材業・町会議員【大日本紳士名鑑】

小北甚之助 製材業・町会議員【大日本紳士名鑑】

【大日本紳士名鑑】大正5年7月15日発行
上川郡名寄町(人口 一三、一七五) p18/1086
小北甚之助 製材業・町会議員
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936511/18
大正5年7月15日発行
発行所 明治出版社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936511/1084

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小北甚之助と西田新蔵(北一合資会社名寄木工場創業者)[名寄新聞]

小北甚之助と西田新蔵(北一合資会社名寄木工場創業者)[名寄新聞]

[名寄新聞]
2009年9月28日
感謝する気持ち新たに
名寄教会・創立100周年記念礼拝で誓う
【名寄】
日本キリスト教団名寄教会(佐藤直樹牧師)の創立百周年記念礼拝が二十七日、
同教会礼拝堂で行われ、参拝者たちがあらためて教義を理解しながら、
一世紀の節目を祝った。
同教会は、塩狩峠以北の宣教、開拓伝道を目的として明治四十二年一月、
旭川組合教会(現・旭川六条教会)の信徒だった
小北甚之助と西田新蔵(北一合資会社名寄木工場創業者)が
天塩基督教会として創設。
記念礼拝では、佐藤牧師が招きの詞(ことば)、
リビングプレイズ、主の祈りをささげた。
その後、参拝者とともに交読文を交わし、聖書「使徒言行録」を朗読。
祈とうでは「喜びや悲しみを味わいながら、この日を迎えたと思う。
大いなる栄光が表れるよう祈りをささげたい」などと述べた。
[ 2009-09-28-19:00 ]
http://www.nayoro-np.com/news/2009-09-28.html

[北一合資会社名寄木工場]

【日本全国諸会社役員録】[第2冊]第23回(2/2)
[北一合資会社名寄木工場]p662/714
上川郡上名寄村
設立 大正二年七月
営業ノ目的 製材
資本金 参萬六千圓
代表社員 小北甚之助 上川郡比布村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936474/662
大正4年7月5日 第23回発行
発行所 商業興信所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936474/708

【日本全国諸会社役員録】第24回
[北一合資会社名寄木工場]p1203/1256
上川郡上名寄村
設立 大正二年七月
営業ノ目的 製材
資本金 参萬六千圓
代表社員 小北甚之助 上川郡比布村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936464/1203
大正5年7月7日 第24回発行
発行所 商業興信所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936464/1252

【日本全国諸会社役員録】第25回
[北一合資会社名寄木工場]p1267/1327
上川郡上名寄村
設立 大正二年七月
営業ノ目的 製材
資本金 参萬六千圓
代表社員 小北甚之助 上川郡比布村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936466/1267
大正6年7月10日 第25回発行
発行所 商業興信所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936466/1323

【日本全国諸会社役員録】第26回
[北一合資会社名寄木工場]p976/1029
上川郡上名寄村
設立 大正二年七月
営業ノ目的 製材
資本金 参萬六千圓
代表社員 小北甚之助 上川郡比布村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/976
大正7年8月10日 第26回発行
発行所 商業興信所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/1023

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[小北甚之助]:【移住者成績調査】

[小北甚之助]:【移住者成績調査】

※A 知人「田中敬蔵」なるもの
※B 郷里の友人、「人見鹿太郎」なるものと諮り
※C 郷里より「友人二名」
※D 翌三十一年二月移住者「十四名」を伴ひて帰り
※E 同年(明治31年)四月弟「直次郎」移住し来りて事業を佐く
※F 同年(明治38年)他の三名と合資にて「比布殖産合名会社」を組織し
※G 「兄」は久しく渡米企業中なりしも

【移住者成績調査】
[小北甚之助] p127-130/194
郷里 京都府南桑田郡千代川村字今津
現住 石狩国上川郡比布村字比布
郷里に於ける状態及ひ移住の顛末
甚之助は小北忠蔵の二男にして
明治四年三月京都府丹波国南桑田郡千代川字今津に生る
家は代々農業に製綿業を兼ね田五反歩及ひ山林二反歩を所有し
畑には桑樹を栽培して養蚕をなし
普通の生活を営みしも其の地狭隘にして発達の余地なく
何地にか移転し相当の資産を造成せんと思ひつつありし折柄
※A 知人「田中敬蔵」なるもの
明治二十五年夏本道各地を視察して帰り
諸種事業の有望にして到底内地の比に非らさるを説きしかは
翌二十六年父母の同意せさりしにも拘はらす断然意を決し
同年五月十八日行李一個と僅に二十圓の旅費とを携へ
「敬蔵」一家の移住するに従ひ郷里を出発して小樽に着し
先つ上川郡旭川に至り付近の状態を視察したる後ち
方向を決せんと思ひ
翌日小樽より汽車にて空知太に来り
同地よりは徒歩にて同月二十八日旭川町に着したり
然るに此の時は懐中僅に七圓を余すのみなりしかは
「敬蔵」と協議の上三箇年間其事業を扶け
報酬として耕地五町歩を受くるの契約を結ひ
同人の家に寄寓することとなれり
当時「敬蔵」の事業は農業及ひ建築請負なりしかは
「甚之助」は或は人夫となり或は農夫となり
或は馬車追となりて諸種の労働に従ひ
余暇を以て付近の状況を視察するに平野茫々として
土地肥沃、気候亦順良なれは
農耕地として有望なるを思ひ
二十八年一月下旬
「敬蔵」と共に積雪を侵し比布原野を探検したり
然れとも其の身起業の資本あるに非らされは
到底一個人として大地積を得ること能はさるを以て
※B 郷里の友人、「人見鹿太郎」なるものと諮り
両人の名義にて同年四十五町歩の貸付を受け
之と同時に他人の貸付地二十町歩を僅に四十五圓にて譲り受け
名義書換の出願を為して許可を得たり
是れ「甚之助」今日の成功を為せる端緒なり
貸下地当初の景況
「甚之助」は土地の貸付を受くるや
明治二十八年十月「敬蔵」の家を辞し単身貸付地に入り
假小屋を設けて開墾に着手したり
此の地旭川町を距る五里半、
永山兵村に至る三里余にして
其の間は道路なく草野を辿り辛ふして往復したり
貸付地は概ね平坦にして地味肥沃、
全地の八分は草原にして茅、萩、蕨等を生し
二分は梻、楡、赤楊、檞等の樹林にして樹下笹を密生せり
当時付近は僅に「由利農場」及ひ
「香川県団体」に十数戸の人家ありしのみなりしか
其の後漸次人口増加し現今に於ては廣濶なる農村を形成するに至れり
開墾着手後の経歴
貸下地の内「人見鹿太郎」名義の分は共同事業にして
「人見」は必要に応して資本を出し「甚之助」は多少の貯蓄金を出資し
其の不足は労働を以て之に換へ
成功の暁は之を折半する契約を結ひたるものなり
―略―
同年(明治28年)十一月旭川二条通五町目に出て家屋を賃借し
雇人と共に兼て購入せし馬を以て馬車追業を始め
翌二十九年四月迄に五十余圓の貯蓄と馬三頭及ひ
食料を得たれは之を携へ
四月十八日貸付地に帰り居小屋を修繕し
人夫二三名を使役して開墾に着手せしに
五月二十七日
※C 郷里より「友人二名」頼り来りしかは雇人を解き
以後三名にて専心業務に励み十町歩を開墾し
内三町歩に粟、玉蜀黍、小豆等を自作し
七町歩は初年無料、翌年より一反歩に付五十銭の小作料を徴収する契約にて
「香川県団体民」に貸与したり
―略―
(明治30年)十月諸用を兼ねて一時帰郷し
※D 翌三十一年二月移住者「十四名」を伴ひて帰り
其の内一戸「八名」には土地を貸付して小作せしめ
残り六名を雇人として使役せり
※E 同年(明治31年)四月弟「直次郎」移住し来りて事業を佐く
―略―
茲に妻帯の必要を感じ
此の年(明治32年)十月郷里に帰りて「妻」を娶り
翌春(明治33年)一月共に帰宅し・・・
―略―
「妻」は素と官吏の家に生れ都会に人となりしものなれとも
「甚之助」に嫁し当地に移住して以来能く夫を佐けて家事に精励し
「甚之助」今日の成功を致せるも之か内助與て力ありと云ふ
―略―
三十七年住宅を改築し四月「両親」を郷里より迎ふ
―略―
※F 同年(明治38年)他の三名と合資にて「比布殖産合名会社」を組織し
比布村當麻兵村公有地四百八十町歩余の成墾地を二萬五千圓にて譲り受けたり
―略―
性行
「甚之助」資性誠実にして温厚能く艱難に耐へ思慮に富む
元来基督教信者にして飲酒喫煙せす
常に節約を守りて空費せす
―略―
現在の家族は両親及ひ妻子三名にして四名の雇人あり
成功の今日と雖も節約を旨として奢侈の風なく
※G 「兄」は久しく渡米企業中なりしも
日露戦役に召集せられて帰朝従軍し除隊後渡道して
目下「甚之助」の業を扶く
先年移住せし弟「直次郎」は分家して耕地数十町歩を所有し・・・
―略―
「甚之助」又頗る公共心に富み曾て組長の職にあり
殊に教育に熱心にして数年間学務委員に挙けられて盡瘁し又
学校の敷地建築費を寄付して賞を受けたること屡々なり
斯くの如きを以て一村の信用厚く
本年(明治39年)四月二級町村制施行せらるるや収入役に選挙せられ
目下其の職にあり
十四年前僅に二十金を懐にして郷を出てたる一青年
唯忍耐と勤勉と綿密なる思慮とを以て
今や僅に而立を超ゆる年齢を以て
数萬の資産を造成せる「甚之助」の経歴の如きは
実に奮闘的事業界の好模範にして
青年の最も玩味すへき所ならすや
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800843/127
明治39年9月7日印刷
明治39年9月10日発行
北海道庁第五分部殖民課
発行者 北海道協会支部
    北海道札幌区大通東二丁目四番地
右代表者 対馬嘉三郎
印刷者  島 連太郎
     東京市神田区義土代町二丁目一番地
印刷所  三秀舎活版所
     東京市神田区義土代町二丁目一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800843/189

[必富殖産合名会社]

【日本全国諸会社役員録】[第12冊]明治40年
[必富殖産合名会社]p998/1053
石狩国上川郡旭川町
設立 明治三十八年一月
営業ノ目的 農業澱粉製造販売及馬鈴薯売買
資本金   参萬圓
代表社員社長  田中敬造  上川郡旭川町
業務担当社員  山内成太郎 上川郡旭川町
業務担当社員  小北甚之助 上川郡鷹栖村
業務担当社員  西田新蔵  上川郡旭川町
業務担当社員  西田直次郎 上川郡旭川町
農 場     石狩国上川郡鷹栖村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780119/998
明治40年7月10日 第15回発行
発行所 商業興信所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780119/1041

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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