桑原深造

《桑原深造》[日本土木會社:取締役兼支配人 大阪支社詰]明治22年

《桑原深造》[日本土木會社:取締役兼支配人 大阪支社詰]
【東京横浜銀行会社役員及商館商店人名録】明治22年

【東京横浜銀行会社役員及商館商店人名録】明治22年
有限責任 日本土木會社] p940
東京     京橋區鎗屋町
資本金    貮百萬圓

相談役    澁澤榮一
相談役    藤田傳三郎
       大阪府東區網島一丁目八番地
社長     大倉喜八郎
       赤坂區葵町三番地
副社長兼
 大阪支社長 久原庄三郎
       大阪府北區中ノ島二丁目十三番地
取締役    伊集院兼常
       芝區伊皿子町五十番地
取締役    福島良助
       京橋區宗十郎町五番地
取締役
 大阪支社詰 山田寅吉
       大阪府西區土佐堀二丁目
取締役
 兼支配人  牛場卓造
       芝區愛宕下町四丁目一番地
取締役
 兼支配人
 大阪支社詰 桑原深造
       大阪府道修町五丁目廿七番地
取締役
 大阪支社詰 木村靜幽
       大阪府船越町一丁目一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779971/9
明治廿二年一月 十日出版
明治廿二年三月廿七日訂正再版(定價金八錢)
明治廿二年三月廿四日印刷
編纂者 高橋桂三郎
    埼玉縣平民
    麹町區三番町六十四番地
    堀内泰之進方寄留
發行者 河野尚武
    東京府士族
    下谷區谷中清水町一番地
印刷者 廣岡幸助
    京橋區三十間堀二丁目一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779971/39

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《桑原深造》[大阪商船株式会社・重役]明治17年10月~明治19年1月

《桑原深造》
[大阪商船株式会社・重役]明治17年10月~明治19年1月

【沿革大要】大阪商船株式会社
昭和五年一月一日
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/1
創立以来ノ重役 p29/40
創立以来我社ノ重役タリシ人々左ノ如シ。
(姓名下ノ年月ハ在任期間ヲ示ス)
一 頭取副頭取又ハ取締役
  ―略―
桑原深造氏(自明治十七年十月 至明治十九年一月)
  ―略―
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/29
昭和五年四月十二日印刷
昭和五年四月十七日発行
〔非売品〕
著作兼発行者 大阪商船株式会社
       大阪市北区宗是町一番地
印刷者    濱田正夫
       大阪市南区安堂寺橋通一丁目
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/38

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《桑原深造》[大阪府勤務]明治14年3月~明治17年8月

《桑原深造》[大阪府勤務]明治14年3月~明治17年8月

【改正官員録. 明治14年3月】
[大阪府]攝津國西成郡江ノ子島  p202/270
三等属    《桑原深造》 高知
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779296/202
 ~
【改正官員録. 明治17年上8月】
[大阪府]攝津國西成郡江ノ子島  p8/91
一等属上等給 《桑原深造》 高知
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779335/8

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《桑原深造》[明治9年12月:大分県 権中属]【大分県医学校病院報告】

《桑原深造》
[明治9年12月:大分県 権中属]
【大分県医学校病院報告】

【大分県医学校病院報告. 第1次報告 自明治13年至明治15年】
   第一章 p6/95
 病院兼醫學校設立ノ事
  明治九年(1876)
一 病院兼醫學校設立ノ議ヲ立テラル
一 十二月 縣下開業醫
  佐野雋達・藤野玄洋・宇都宮徠・
  田吹玄珠・下瀬文藏ノ五名ヲ
  縣廳ニ召集シ院校設立ノ方法順序ヲ諮問セラル
一 仝月 本縣 權中属 桑原深造 及ヒ
  醫員 藤野玄洋ヲ東京ニ派遣シ
  敎師雇入及器械購求ノ事ヲ
  處辨セシメラルルト雖
  事故アリテ果サス
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833129/6
明治十六年十一月七日御届
明治十六年十一月廿九日出版
編輯兼出板人 鳥潟恒吉
       大分縣立病院兼醫學校長
       大分縣豊後國大分郡大分町廿二番地寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833129/94

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《藤野玄洋》
[春帆楼はじまりの物語]
春帆楼の歴史は、古くは江戸時代まで遡ります。
江戸時代の末、
豊中中津(大分県)奥平藩の御殿医だった蘭医・藤野玄洋は、
自由な研究をするために御殿医を辞し、
下関の阿弥陀寺町(現在地)で医院を開きました。
専門は眼科でしたが、
長期療養患者のために薬湯風呂や娯楽休憩棟を造り、
一献を所望する患者には妻・みちが手料理を供しました。

玄洋がこの地を選んだのは、
隣接していた本陣・伊藤家の招きによるといわれます。
当時の伊藤家の当主・伊藤九三は、
坂本龍馬を物心両面で支援したことでも知られる豪商です。
http://www.shunpanro.com/about/history.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日(土)
[別府醇・伊藤醇]
別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2258785.html

《桑原深造》[大分県勤務]明治9年5月~明治13年12月

《桑原深造》[大分県勤務]明治9年5月~明治13年12月

《鈴木閑雲》[大分県勤務]明治11年9月~明治12年4月

【官員録. 明治9年5月】
福岡縣  p156/165
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779242/156
大分縣  p158/165
少屬   桑原深造 カウチ
少屬   倉成直幸 オホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779242/158

【官員録. 明治9年6月】
福岡縣  p156/165
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779243/156
大分縣  p158/165
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779243/158

【官員録. 明治9年8月】
福岡縣  p160/170
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779244/160
大分縣  p163/170
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779244/163

【官員録. 明治9年9月】
福岡縣  p173/183
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779245/173
大分縣  p175/183
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779245/175

【官員録. 明治9年10月】
福岡縣  p174/186
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779246/174
大分縣  p176/186
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779246/176

【官員録. 明治9年11月】
福岡縣  p177/184
中属   水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779247/177
大分縣  p178/184
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779247/178

【官員録. 明治9年12月】
福岡縣  p184/195
權中属  水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779248/184
大分縣  p186/195
少屬   桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779248/186

【官員録. 明治10年3月】
福岡縣  p155/164
六等属  水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/155
十等属  磯村鴛二 ヲホイタ p156/164
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/156
大分縣  p157/164
六等属  桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/157

【官員録. 明治10年4月】
福岡縣  p183/193
六等属  水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779250/183
十等属  磯村鴛二 ヲホイタ p184/193
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779250/184
大分縣  p185/193
六等属  桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779250/185

【官員録. 明治10年5月】
福岡縣  p187/197
六等属  水島 均 ヲホイタ
十等属  磯村鴛二 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779251/187
大分縣  p187/197
六等属  桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779251/188

【官員録. 明治10年6月】
福岡縣 p186/195
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/186
十等属 磯村鴛二 ヲホイタ p186/195
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/186
大分縣 p187/195
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/187

《水島均》 ※別稿に記載
 明治10年7月 中津支廳長に轉ず。
 【官員録. 明治10年11月】から記載あり。
 明治10年10月26日 父 急病にて逝去。
 【官員録. 明治11年7月】迄記載あり。

【官員録. 明治10年8月】
大分縣 p193/201
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779253/193

【官員録. 明治10年9月】
大分縣 p193/202
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779254/193

【官員録. 明治10年10月】
大分縣 p186/194
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779255/186

【官員録. 明治10年11月】
大分縣 p205/213
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779256/205

【官員録. 明治10年12月】
大分縣 p207/215
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779257/207

【官員録. 明治11年1月】
大分縣 p209/215
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779258/209

【官員録. 明治11年2月】
大分縣 p209/215
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779259/209

【官員録. 明治11年3月】
大分縣 p211/219
六等属 水島 均 ヲホイタ
五等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779260/211

【明治官員録. 明治11年3月】
大分縣 p219/228
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 オオイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825755/219

【明治官員録. 明治11年4月】
大分縣 p220/228
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 オオイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825756/220

【官員録. 明治11年5月】
大分縣 p214/222
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779261/214

【官員録. 明治11年6月】
大分縣 p211/218
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779262/211

【官員録. 明治11年7月】
大分縣 p210/218
五等属 桑原深造 カウチ
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779263/210

【明治官員録. 明治11年8月】
大分縣 p211/221
五等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825760/211

【明治官員録. 明治11年9月】
大分縣 p212/222
二等属 鈴木閑雲 オオイタ
三等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825761/212

【明治官員録. 明治11年10月】
大分縣 p213/223
二等属 鈴木閑雲 オオイタ
三等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825762/213

【明治官員録. 明治11年11月】
大分縣 p211/221
二等属 鈴木閑雲 オオイタ
三等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825763/211

【明治官員録. 明治11年12月】
大分縣 p212/222
二等属 鈴木閑雲 オオイタ
三等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825764/212

【改正官員録. 明治12年1月】
大分縣 p227/237
二等属 鈴木閑雲 大分
三等属 桑原深造 高知
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779271/227

【改正官員録. 明治12年4月】
大分縣 p229-230/240
二等属 鈴木閑雲 大分
三等属 桑原深造 高知
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779272/230

【改正官員録. 明治12年5月】
大分縣 p230/241
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779273/230

【改正官員録. 明治12年6月】
大分縣 p230/243
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779275/230

【改正官員録. 明治12年7月】
大分縣 p230/241
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779276/230

【改正官員録. 明治12年8月】
大分縣 p230/241
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779277/230

【改正官員録. 明治12年9月】
大分縣 p230/243
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779278/230

【改正官員録. 明治12年10月】
大分縣 p230/241
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779279/230

【改正官員録. 明治12年11月】
大分縣 p230/244
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779280/231

【改正官員録. 明治12年12月】
大分縣 p233/245
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779281/233

【改正官員録. 明治13年1月】
大分縣 p233/246
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779282/233

【改正官員録. 明治13年12月】
大分縣 p258/271
三等属 桑原深造 高知
六等属 倉成直幸 大分
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779293/258

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[天保義社に関わる新収福澤書翰(鈴木閑雲宛)]
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN10005325-19960000-0123.pdf?file_id=76094

《桑原深造:勸業課長》【大阪府職員録】※明治17年1-4月

《桑原深造:勸業課長》
【大阪府職員録】※明治17年1-4月

【大阪府職員録】出版年月日 不明
 ※明治17年1-4月:小野一雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779128/1
分課     p1/40
  庶務課
  勸業課
  租税課
  兵事課
  學務課
  衞生課
  土木課
  會計課
  調査課
  地方税課
  警察本署
  水上警察署
  東警察署
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779128/1
  ―略―  p2/40
各姓名 上 該課ノ頭字ヲ冠シ以テ
分掌課 署 掛ヲ示ス
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779128/2
大坂府職員録 p3/40
知 事  從五位 建野鄕三 福岡縣
大書記官 從六位 遠藤 達 福島縣
少書記官 正七位 香坂昌邦 山形縣
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779128/3
一等屬    p4/40
 會長 ※(會計課長)
 會計主務官 上等給  奥田知格  福島縣
 學長 ※(學務課長)兼
 調長 ※(調査課長)
       下等給  小向寛雄  東京府
 庶長 ※(庶務課長)
 典獄 兼       押田良助  三重縣
 勸長 ※(勸業課長) 《桑原深造》 高知縣
二等屬
 租長 ※(租税課長) 白石純治  熊本縣
 地調 ※(地方税課長)渡邊 鼎  兵庫縣
 衞長 ※(衞生課長)
 兼 庶        深瀬和直  高知縣
三等屬
 土長 ※(土木課長) 加藤海藏  福岡縣
 兵長 ※(兵事課長) 原田房一  大分縣
 會 兼 警部     鑓田義興  神奈川縣
四等屬
 勸          林 宗親  大阪府
 庶 兼 調      内藤眞三四 茨城縣
五等屬         ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779128/4

【大阪府官員録. 明治17年5月改】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779126/10

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[桑原深造 即座に燕尾服を製す]【当世名士譚】明治25年

[桑原深造 即座に燕尾服を製す]
【当世名士譚】明治25年

【当世名士譚】著作者 吉弘白眼(茂義)
 明治25年10月25日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778432/61

(82) 桑原深造 即座に燕尾服を製す  p38/68
《桑原深造》は高知縣の人なり
卓犖を以て稱せらる
曾て明治十六年の頃
時の府知事《建野鄕三》
屡々夜會を催して府下の紳士紳商を饗す
《深造》時に勸業課長たり
亦招かれて其宴に列せんとす
會規あり曰く
「燕尾服を着用せざれば列席を許さず」と
《深造》時に貧困にして其の用意あるなし
卽ち一策を案出し
フロックコートの前面を糸にて縫ひ
以て燕尾服に擬し
獨言して曰く
「甘いかな速かに燕尾服が出來た」と
直に宴に列す
數時間を經て身体動作の爲め
夫の糸
忽ち斷絶し以前(もと)のフロックコートに復る
《深造》之を知らず
適々《鄕三》の認むる所となり
之を叱責す
《深造》點頭
答へて曰く
「直に燕尾服になります」と
侍婢に命して糸と針を借らしめ
瞬間にして前の如くす
《鄕三》眉を蹙めて苦笑す
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778432/38

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《桑原深造:大阪府 三等属》【改正官員録. 明治14年3月】

《桑原深造:大阪府 三等属》    【改正官員録. 明治14年3月】
《桑原深造:大阪府 一等属上等給》 【改正官員録. 明治17年上8月】

【改正官員録. 明治14年3月】
 明治14年3月3日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779296/262
[大阪府]攝津國西成郡江ノ子島  p202/270
     百廿壹万石余

知 事  從五位 建野鄕三  福岡
     ―略―
三等属     《桑原深造》 高知
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779296/202

【改正官員録. 明治17年上8月】
 明治17年8月2日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779335/87
[大阪府]攝津國西成郡江ノ子島  p8/91
知 事  從五位 建野鄕三  福岡
大書記官 從六位 遠藤 達  福島
少書記官 正七位 香坂昌邦  山形
一等属上等給   奥田知挌  福島
         小向寛雄  東京
         押田良助  三重
        《桑原深造》 高知
一等属下等給   渡邊 鼎  兵庫
         深瀬和直  高知
三等属      加藤海藏  福岡
         鑓田義興  神奈川
         内藤眞三四 茨城
         葉山荒太郎 福岡
四等属      林 宗親  大阪
         原 郡藏  三重
         片桐正気  新潟
五等属      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779335/8

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《桑原深造:大分縣 六等屬》 【官員名鑑. 明治10年5月】

《桑原深造:大分縣 六等屬》【官員名鑑. 明治10年5月】
《桑原深造:大分縣 三等属》【改正官員録. 明治13年12月】

【官員名鑑. 明治10年5月】
 明治10年5月25日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779229/191
[大分縣]豊後國大分郡府内  p189-190/195
     高 四拾五萬石余
權 令  正六位 香川真一 オカヤマ
少書記官 正七位 小原正朝 オオイタ
二等屬      三松省三 オオイタ
         馬淵清純 フクオカ
         井上雅彦 オカヤマ
三等屬      宗 六翁 オオイタ
五等屬      堀兼元脩 オカヤマ
         長澤常山 オオイタ
六等屬      財津準一 オオイタ
        《桑原深造》 カウチ
七等屬      倉成直幸 オオイタ
         高取成章 オオイタ
八等屬      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779229/190

《桑原深造:大分縣 三等属》【改正官員録. 明治13年12月】

【改正官員録. 明治13年12月】
 明治13年12月2日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779293/265
[大分縣]豊後國大分郡府内  p258/271
     高 五拾萬石余
令    從五位 西村亮吉  高知
大書記官 從六位 小原正朝  大分
二等属      三松省三  大分
三等属     《桑原深造》 高知
五等属      菊村 德  大分
六等属      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779293/258

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[桑原深造]ネット資料

[桑原深造]ネット資料

宿毛市史【近代、現代編‐明治維新と宿毛‐宿毛機勢隊】
宿毛機勢隊の凱旋
9月28日には荘内口の諸藩兵と鶴岡まで行き、10月5日本藩兵と共に帰路につき、
14日京都着、ここで酒肴をふるまわれ軍服修理代として兵士一名について二両もらい、
18日京都発、24日朝8時半大阪よりタアン号に乗り、25日浦戸へ着いている。
30日致道館で本藩兵と共に招魂祭に参加し、12月1日雨の中を船で須崎まで行き、
5日朝市山峠で隊列を整え宿毛の練兵場に帰ってきた。
宿毛機勢隊の凱旋について、『伊賀家日記』によれば
同(12月)5日
越後江出兵之面々今日帰陣致し候事、兵隊人数下の通り
―略―
桑原深造
小野※一 (小野梓)※龍が田の字(小野一雄)
小野※一 (小野梓)※龍が田の字
―略―
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/082801.html

[桑原深造]大阪商船株式会社・重役
【沿革大要】大阪商船株式会社
昭和五年一月一日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/1
創立以来ノ重役 p29/40
創立以来我社ノ重役タリシ人々左ノ如シ。
(姓名下ノ年月ハ在任期間ヲ示ス)
一 頭取副頭取又ハ取締役
―略―
桑原深造氏(自明治十七年十月 至明治十九年一月)
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/29
昭和五年四月十二日印刷
昭和五年四月十七日発行
〔非売品〕
著作兼発行者 大阪商船株式会社
       大阪市北区宗是町一番地
印刷者    濱田正夫
       大阪市南区安堂寺橋通一丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052809/38
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[桑原深造]
[兼松房治郎の伝記]
当時の新聞は、現在のように、
中立にして大衆一般の視点で書かれたメディアではなかった。
官権の支持または、政界の有力人物を中心にした主義主張の発表メディアだった。
これらの権力に煩わされず、純粋に大阪実業界を基盤とする言論機関設立の声が、
実業家団体「同遊会」により、翁を中心に起こった。
翁は、寺村富栄、桑原深造の2氏と協力して、
「大阪日報」を明治20年3月に買収した。
そして、矢野亨氏(後の大阪府立商業学校長)に経営を委託した。
http://kanegold.com/page33.html

[日本土木会社の理事桑原深造]
[京都ホテルグループ]
●別荘ばやり
神戸港なる川崎造船所長川崎正造氏は、今度常盤楼主人前田又吉の周旋にて、
京都川端夷川下る前田又吉氏の新築せし家屋の北手に、
地所四百余坪を一坪五円にて買い受け茲別荘を建築する由なるが、
川崎氏は将来京都にて一大事業を起こすとの計画もあるよし。
又川崎氏の買得したる北隣り即ち京都倶楽部たりし向側の地所は、
高島中将の所有地なるが、同中将にも茲に別荘を建てる見込みなりと。
又京都倶楽部たりし地は、今度桜井能監その他の所有者より華族五辻安中氏が買得、
五辻氏の別荘を建て且壮大の庭園を作らるゝとの事。
また二条橋西詰の北側なる二条通りと今の前田又吉氏の家屋との間の地面は
、元老院議官渡辺昇氏が買得したるが、同氏は茲に粋な構へを設けられるゝとか。
また過日来修繕に着手中なりし木屋町二条下る処の藤田鹿太郎氏(大阪)の別荘は
其修繕費に一万余円を要し、鴨川の沿岸より庭園に水をひくなど
結構至らざる処なき程なるが、右は本月中に全く竣功の筈なりと。
また河原町二条下る京都織物会社の地所家屋は今度一万二千円にて
日本土木会社の理事桑原深造氏に売渡したるが、桑原氏は茲に別荘を建てるとも云い、
又一説には同氏が一旦買受けおき更に宜買い手を見て手離すの見込みなりともいひ、
又一説には藤田伝一郎氏が内々手を入れて別荘を作るものなりともいへり。
何さま此地は角倉氏が充分の好みを尽し設けたる庭園あり手
京都第一とも呼ばるゝ程なるが、曾て京都勧業課の所有なりしを、
先年京都織物会社が金二万円にて 織殿の家屋および機械を併せ払受けたるも、
同会社は今度川端に新築したるがゆえ右の地所家屋も不用となり、
桑原氏へ売渡すことになりしものなりといふ。
また京都府知事は今度其私宅の近傍に多くの所有地所あるを幸ひ、
其中で尤も眺望よき地を撰み鴨川岸に沿ひ三階立ての大座敷を新築する計画なりといふ。
<11月10日「日出新聞」>
http://www.kyotohotel.co.jp/100th/1st_zenshi/no09.html

[桑原深造]
曽良に関する文献として最も大事なものは「奥の細道神名帳抄録」「奥の細道旅日記」
「奥の細道名勝備忘録」「奥の細道俳諧書留」「近畿巡遊記」などがあるが、
これらの資料は「河西本奥の細道」や曽良が旅で用いていた笈とともに
八十年近くも曽良の母の生家の河西家に伝わっていた。
寛政の頃(1789年~1800年)河西家の遠縁に当たる勝森素へきの手に移り、
それから久保島若人、助宣、松平志摩守、桑原深造、斉藤幾太、斉藤浩介などへ、
転々と移り、偶々昭和十三年(1938)の夏、
伊東の斉藤家が虫干ししていた時これが発見され、
昭和十八年(1943)山本安三郎編書「奥の細道随行日記」として、
東京の小川書房から発刊された。
奇しくもこの日が芭蕉二百五十回忌、生誕三百年祭に当たるという。
http://homepage1.zashiki.com/HAKUSEN/sora3/sora3.htm

[桑原深造]
これは、近世に長州藩邸があったところに勧業場がおかれ、
やがてそれが閉鎖された後、
同地に開かれた京都ホテルの一隅に伊集院が邸を構えていたことを示すものであろう。
今の廣誠院の位置に明治28年ころ伊集院の邸があったことがわかる。
京都地方法務局所管登記簿で現在廣誠院がある土地の所有者の変遷を辿ると、
明治23年(1890)5月勧業場の土地が分筆されて、
その一部が神戸市に住む前田八十なる人物の所有となり、
以後同年5月大阪の桑原深造、同25年(1892)8月東京の伊集院兼常、
同29年(1896)7月滋賀県の下郷傳平とその所有者をかえる。
明治35年(1902)4月愛媛県新居郡(現新居浜市上原)の廣瀬満正に
所有権が移転後、廣瀬家の所有となり、
昭和に入って法人化されて現在の廣誠院となっている。
このことから明治25年(1892)8月から同29年(1896)7月まで
伊集院がここを所有していたことが明らかである。
この時の伊集院兼常の住所は、「東京市芝区西久保桜川町13番地屋敷」であったから、
東京で活躍していた伊集院はここを別邸として利用していたとおもわれる。
http://kouseiin.org/building-garden.html
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