安井荘次郎

PDF[須知町安井航空研究所][開塲記念寫眞帖]大正11年11月

PDF[須知町安井航空研究所][開塲記念寫眞帖]大正11年11月


 飛行機の前で来賓者の記念撮影
《安井荘次郎》後列中央(背広ネクタイ姿)
 p07-1[須知町安井航空研究所]
〔画像〕p07-1[須知町安井航空研究所]
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年04月15日 04:28
〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月
[須知町安井航空研究所]
[開塲記念寫眞帖]大正十一年(1922)十一月
 須知靑年團發行 山家山内撮影
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《安井莊次郎君》安井航空機研究所主 昭和3年10月30日殉職【航空殉職録 民間編】昭和11年

《安井莊次郎君》安井航空機研究所主
昭和3年10月30日殉職
【航空殉職録 民間編】昭和11年

【航空殉職録 民間編】昭和11年(1936)
著者    航空殉職録刊行会 編
出版者   航空殉職録刊行会
出版年月日 昭11

安井航空機研究所主  p180-181/184
二等操縦士  安井莊次郎君
  京都 西陣
  昭和三年十月三十日殉職
 君は京都西陣の染物問屋の息子として生る。
實家は非常な資産家なりしが、
君幼少の頃より飛行機に趣味を持ち、
大正六年大阪に於て開かれし
子供博覽會に於て、
高左右隆氏の出品せし
ホールスカツト六十馬力の發動機を買入れ、
自ら飛行機を製作し
之を各務ヶ原が未だ陸軍飛行場とならざりし前に
同機を同所へ持ち出し、
單獨にて練習飛行を始めたるを第一歩とし、
あらゆる辛酸を嘗め、
飛行界に在る事十有二ヶ年の長年月に亘り、
民間飛行家の長老として一角に重きをなし、
京都市外須知町に自ら安井航空機研究所を設け、
飛行機操縦士の養成に努め、
君の爲利する者多數ありたりしが、
昭和三年十月二十一日
大阪市木津川尻の國際飛行場を根據地とし催されたる、
帝國飛行協會主催の御大禮記念特別飛行大會に
君も選ばれて參加し、
優秀なる成績を以て其競技を終へ、
其後數日國際飛行場に滯在せしが、
十月二十五日須知町に歸航せんと
p180【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p180【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/180

午後二時五分、
愛機甲式三型を操縦し離陸、
約十米の高度に達せし時
發動機に故障を生じ、
忽ち錐もみ姿勢となり左に半旋回をなし、
場の東北隅に墜落、
兩翼を大破し、
君は右前額部に長さ十ミリ
骨膜に達する重傷を受け人事不省に陥り、
直ちに駈け付けし地上員に依りて
港區鶴町二丁目賀用病院に入院し、
手當を受けたりしが
胸部の打撲傷等の致命傷に依り、
遂に六日目の十月三十日午前七時三十分逝けり。
 君の業績は比較的に地味なる飛行生活を爲せし爲か、
古參熟練者乍ら割合に名をうたはるゝ機會少なかりしも、
專心後輩の敎育に務めたる事は特記すべき事にして、
又關東大震災には義侠的に
各務原、大阪間に郵便物の輸送飛行を行ひ、
帝國飛行協會より有功章を附與されしは
君の飛行生活を飾る一頁也。
  航空殉職錄 民間編 終り
昭和十一年四月 十日印刷
昭和十一年四月十五日發行 航空殉職錄 民間編 奥附
發行兼 淺田 禮三
編輯人 東京市四ツ谷區上馬町三丁目千六番地
印刷人 堀  修造
    東京市牛込區榎町三十四番地
印刷所 大日本印刷株式會社
    東京市牛込區榎町七番地
發行所 航空殉職錄刊行會
    東京市京橋區築地三丁目八番地
    會 長 陸軍大將 井上幾太郎
    副會長 海軍中將 安東 昌喬
    副會長 陸軍中將 淺田 禮三
p181【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p181【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/181
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安井飛行研究所勤務 民間練習生《日向晃君》《加藤兼次郎君》大正13年6月12日殉職【航空殉職録 民間編】昭和11年

安井飛行研究所勤務 民間練習生
《日向 晃君》
《加藤兼次郎君》
大正13年6月12日殉職
【航空殉職録 民間編】昭和11年

【航空殉職録 民間編】昭和11年(1936)
著者    航空殉職録刊行会 編
出版者   航空殉職録刊行会
出版年月日 昭11

安井飛行研究所勤務
 民間練習生  日向 晃君  p119-120/184
   石川縣金澤市
   大正十三年六月十二日殉職
p119【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p119【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/119

 君は明治三十八年を以て石川縣金澤市に生る。
 幼時より資性英邁學に在るや
常に優良の成績を擧げ、
長ずるに及び切に民間飛行家を希望し、
寸暇あれば斯道研究書を讀破し
其の知識を得、
京都市外須知町安井研究所に入所し、
安井莊次郎氏の指導の下に研磨練習に猛進せし折、
大正十三年六月十二日
ソツピース式二型機に同僚と同乘し、
安井飛行場附近上空を飛行中
ガソリンタンクより氣化器に至る
燃料管の接合箇所ゆるみ、
ガソリンの漏洩せるに氣付かず
二百米の高度に於て突然排氣ガスより引火し、
機は忽ち猛火に包まれ、
君は死力を盡し場外田圃に不時着するを得たりしが、
突如爆發せしタンクのガソリンを全身に浴び、
爲に火達磨となり大火傷を負い、
遂に機も金屬部を殘すのみにて、
之より雄飛せんとする君業中ばにして
悲壮なる殉職を遂げたり。
p120【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p120【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/120

安井飛行研究所勤務
 民間練習生  加藤兼次郎君  p178-179/184
   滋賀縣愛知郡西押立村大字横溝
   大正十三年六月十二日殉職
 君は滋賀縣愛知郡押立村大字横溝の人にして、
京都市外須知町の安井飛行研究所に入所し、
安井莊次郎氏の指導の許に操縦術の習得に努力中
大正十三年六月十二日、
同研究所のソツピース二型機(ローン八十馬力)に
日向氏を同乘して飛行場附近の上空を飛行中、
ガソリンタンクから氣化器に至る
燃料管の接合箇所ゆるみて、
ガソリンの漏洩せるに氣附かず、
ために二百米の上空にて突然排氣ガスより引火し、
機は忽ち猛火に包まれしため場外の田圃に逃がれ、
無事着陸せしも、
爆發したタンクのガソリンを全身に浴びて火だるまとなり、
大火傷を負い、間もなく絶命す、享年二十五歳。
p178【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p178【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/178

尚、大阪中央電話局に事務員として勤務中なりし
君の實妹志津子さん(二三)は、
空しく挫折せし君の飛行機に對する熱情に感激し、
その意思を継いで飛行家として立派に成功、
以て君の靈を慰めんと悲壮なる決意を持して、
安井飛行研究所へ入所したり。
p179【航空殉職録 民間編】昭和11年
〔画像〕p179【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/179
昭和十一年四月 十日印刷
昭和十一年四月十五日發行 航空殉職錄 民間編 奥附
發行兼 淺田 禮三
編輯人 東京市四ツ谷區上馬町三丁目千六番地
印刷人 堀  修造
    東京市牛込區榎町三十四番地
印刷所 大日本印刷株式會社
    東京市牛込區榎町七番地
發行所 航空殉職錄刊行會
    東京市京橋區築地三丁目八番地
    會 長 陸軍大將 井上幾太郎
    副會長 海軍中將 安東 昌喬
    副會長 陸軍中將 淺田 禮三

〔画像〕p181【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/181
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【日本航空史 乾】昭和11年(1936)
著者    高橋重治 著
出版者   航空協会
出版年月日 昭11
(二八)民間練習生 加藤兼次郎氏(操縦)
    同     日 向 晃氏(同乘)
    大正十三年六月十二日
〔略歴〕加藤氏 享年二五。
    日向氏 享年二〇。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1222329/1/1176
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【航空忠魂録】昭和16年(1941)
著者    日本軽飛行機倶楽部東京帆走飛行研究会図書部 編
出版者   日本軽飛行機倶楽部東京帆走飛行研究会図書部
出版年月日 昭和16
 航空忠魂錄 目次     p7/533
   民間篇        p447/533
  安井飛行機研究所勤務  p460/533
練習生 加藤兼次郎
練習生 日向  晃
https://dl.ndl.go.jp/pid/1682928/1/460
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《安井莊次郎》飛行場許可:安井航空機研究所(須知町字院内)【官報 1922年12月09日】大正11年

《安井莊次郎》飛行場許可:安井航空機研究所(須知町字院内)
【官報 1922年12月09日】大正11年

【官報 1922年12月09日】大正11年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正11年

  ◎飛行場許可  p7/22
京都府知事ハ航空取締規則第十八條ニ依リ
本年十月三十日附ヲ以テ
左記場所ヲ航空機離箸陸場トシテ許可セリ
一、所在地 京都府船井郡須知町字院内、
      曾根及高原ノ一部(院内野原)
二、管理者ノ氏名及名稱
      京都市下京區魚棚通室町西入魚屋町二四一
      管理者 安井莊次郎
      名稱  安井航空機研究所
三、面積  二〇四、〇三八坪
      (現在地均セル場所約四萬坪)
四、恒風位 秋ヨリ冬ノ間  北西ノ風
      春ヨリ夏ノ間  東南ノ風
五、許可期間 大正十一年十月三十日ヨリ無期間
p7【官報 1922年12月09日】大正11年-1-50
〔画像〕p7【官報 1922年12月09日】大正11年
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[製造者]安井莊次郎氏[機名]安井式第3號[製造]大正10年【海と空 4(臨時增刊)】昭和10年(1935-05)

[製造者]安井莊次郎氏[機名]安井式第3號[製造]大正10年
【海と空 4(臨時增刊)】昭和10年(1935-05)

【海と空 4(臨時增刊)】昭和10年(1935-05)
出版者   海と空社
出版年月日 1935-05

[機 名]安井式第3號
[製造者]安井莊次郎氏
[製 造]大正10年
[發動機]カーチス OX5型 水冷式 V型 100馬力
[座 席]2
[重 量]自重 680瓩 搭載量 230瓩 全備重量 910瓩
[性 能]最大速度 145粁/時
     巡航速度 113粁/時
     着陸速度 73粁/時
     上昇時間 1000米迄3分30秒
     航續時間 4時間
[寸 法]全幅 8.55米 全長 5.80米 全高 2.90米
p52【海と空 4(臨時增刊)】1935-05
〔画像〕p52【海と空 4(臨時增刊)】1935-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1499399/1/52
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【日本の航空50年】昭和35年(1960)
著者    郡捷, 小森郁雄, 内藤一郎 編
出版者   酣灯社
出版年月日 1960

安井式3号 p44/261
高左右式6号機で練習を積んだ安井莊次郎氏が、
大正10年春に自作した複葉機。
発動機はカーチスOX5型90hp[100hpともいう]を装備し、
全幅8.55m、全長5.80m、乗員2名、
自重680kg、搭載量230kg、総重量910kg、
最大速度145km/h、巡航速度113km/h、着陸速度73km/h、
上昇時間1,000mまで3分30秒、航続4時間。〔178〕
p44[安井式3号]【日本の航空50年】昭和35年
〔画像〕p44[安井式3号]【日本の航空50年】昭和35年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2427809/1/44
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《安井莊次郎》民間飛行界の中堅【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月

《安井莊次郎》民間飛行界の中堅【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月

【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 雑誌
(帝国飛行協会雑誌発行所, 1921-09)  

 純航空機關雜誌 飛行 大正十年 九月號 第二巻第九號
【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p3
〔画像〕【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p3
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491753/3

 [飛 行]第二巻 第九號 大正十年九月號
  □民間飛行界の中堅安井莊次郞氏□
【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p10-1
〔画像〕【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p10-1
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491753/10

  □民間飛行界の中堅安井莊次郞氏□
數年前までは本邦民間航空界の發祥地として盛んであつた
關西の飛行界も近來全く沈衰して
獨り京都伏見に安井莊次郎氏が孤城を守つてゐる。
氏は京都紳商の家に生れて、
夙に航空機の研究に没頭し、
各務ケ原の航空大隊で操縦術を修得して、
爾來關西方面の飛行界を殆ど双肩に荷つて活躍してゐる。
資性溫厚、稀に見る飛行家で、
曩に二等操縦士免狀を受け、
本邦民間飛行界の中堅を爲すの人である。
【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p10-2
〔画像〕【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p10-2
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491753/10

 毎月一回■飛行■一日發行
大正十年八月二十三日印刷納本
大正十年九月 一 日發  行
編輯人  北尾 龜男
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
發行人  寺家村和介
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
印刷所  中外印刷株式會社
     東京市神田區仲猿樂町十七番地
右代表者 渡邊市太郎
     東京市神田區仲猿樂町十七番地
發行所  帝國飛行協會雜誌發行所
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
     電話丸之内一二七番
     振替貯金口座 東京五四五八一番
(大賣捌所) 北隆館、東海堂、東京堂、上田屋、至誠堂
【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p38
〔画像〕【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月p38
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491753/38
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2022年06月19日
《安井莊次郞》戰捷分讓品獨逸飛行機に對する意見
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月
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《安井莊次郞》戰捷分讓品獨逸飛行機に對する意見【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月

《安井莊次郞》戰捷分讓品獨逸飛行機に對する意見
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月

【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 雑誌
(帝国飛行協会雑誌発行所, 1921-03)  

 純航空機關雜誌 飛行 大正十年 三月號 第二巻第三號
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p7
〔画像〕【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p7
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491747/7

戰捷分讓品獨逸飛行機に對する意見 p22-23/50
  □こゝに民間飛行士十有餘の意見を蒐め□
  □政府當局に呈して採擇あらん事を望む□

 井上武三郞

 磯部鈇吉

 星野米藏

 尾崎行輝

 川上親孝
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p22
〔画像〕【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p22
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491747/22

 高左右隆之

 玉井照高

 安井莊次郞
飛行機拂下げを得ば、
當研究所に於ては現今左の三項に使用致すべく候。
 一、製作に對する各部分品の研究資料
 二、民間飛行士の養成
 三、安全思想宣傳の爲め近距離旅客輸送及遊覽飛行等

 福長朝雄

 謝文達

 滋野淸武

 茂呂五六
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p23
〔画像〕【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p23
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491747/23

 毎月一回■飛行■一日發行
大正十年二月二十一日印刷納本
大正十年三月 一 日發  行
編輯人  北尾 龜男
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
發行人  矢木亮太郎
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
印刷所  中外印刷株式會社
     東京市神田區仲猿樂町十七番地
右代表者 渡邊市太郎
     東京市神田區仲猿樂町十七番地
發行所  帝國飛行協會雜誌發行所
     東京市麴町區有樂町一丁目一番地
     電話丸之内一二七番
     振替貯金口座東京五四五八一番
(大賣捌所) 北隆館、東海堂、東京堂、上田屋、至誠堂
【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p47
〔画像〕【飛行. 2(3) 】大正10年(1921)3月p47
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1491747/47
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2022年06月19日
《安井莊次郎》民間飛行界の中堅
【飛行. 2(9) 】大正10年(1921)9月
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《安井莊次郞》安井航空機研究所 京都府須知町【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】

《安井莊次郞》安井航空機研究所 京都府須知町
【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】

【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】大正15年
   航 空  p858/895
  本邦民間飛行操縦練習所
安井航空機研究所 京都府須知町 安井莊次郎
  本邦民間航空機及發動機製作所
  本邦定期航空路

  民間飛行機操縦士一覽(大正十五年八月現在)
    陸上機一等
    水上機一等
    陸上機二等
 氏 名    生 年 月 日   原籍
安井莊次郎  二六、 六、 二二  京都
p858【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】
p858【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】

    水上機二等
    陸上機三等
 氏 名    生 年 月 日   原籍
木部シゲノ  三六、一一、一二   福岡
髙橋  龜  四〇、 七、二四   山口
兵頭  精  三二、 四、 六   愛媛
今井小まつ  三一、 八、一三   京都
前田あさの  三八、一一、 一   奈良
    水上機三等
p859【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】
p859【日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月
[安井荘次郎]
墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去
明治26年(1893)9月22日生
昭和3年(1928)10月30日歿 35歳
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九月八日には、民間飛行家 安井莊次郞 獨力空中輸送の任に當り【東京震災録. 後輯】大正15年

九月八日には、民間飛行家 安井莊次郞 獨力空中輸送の任に當り
【東京震災録. 後輯】大正15年
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒[1]
(11時58分31.6秒[2]、日本時間、以下同様)に発生した
関東大地震によって南関東および隣接地で
大きな被害をもたらした地震災害[注釈 1]。 
死者・行方不明者は推定10万5,000人で、
明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。
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【東京震災録. 後輯】大正15年
 第二件 大阪府の活動   p256/846
   春 大阪府
關東大震災の報大阪府に達したるは、
九月一日午後十一時三十分神奈川縣警察部長より
府知事に宛てたる無線電信を初とす、電文に言ふ、
 本日正午大地震起り、引續き大火災となり、
 全市(横濱市)火の海と化し、
 死傷者何萬なるを知らず、
 交通通信機關不通、水食料なし、
 至急救援を乞ふ。
  社會局長官よりの信書(九月一日付) p257/846
    ―略―
九月八日には、
民間飛行家 安井莊次郞 獨力空中輸送の任に當り、
九日よりは東京大阪間の有線電信開通して
官私報告震災救護に關する通信を掌り、
斯くて十一月上旬まで通信連絡の任に當りたり。
p257【東京震災録. 後輯】大正15年
〔画像〕p257【東京震災録. 後輯】大正15年

【最新日本地理資料】大正15年
京都府須知町院內野原(安井莊次郞)  p136/355
京都府長田野演習場 (冬廣 正雄)

【航空五十年史】昭和18年
かうしてこの年(昭和3年)下半期の民間飛行界は
陸海軍の充實と呼應して活氣横溢したが、
それだけに又尊い犠牲も拂はれた。
例へば民間航空の先驅者の一人、
京都の安井莊次郞の如き、
電報通信社の岩田正夫の如きが
それであつて誠に痛惜に堪へない。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年04月07日
《安井莊次郎氏》
昭和3年10月:大阪木津川尻飛行場で墜落死亡【朝日年鑑】
京都府須知町の安井航空機研究所は
昭和三年十月
所長たる
安井莊次郎氏が
大阪木津川尻飛行場で墜落死亡したので
勢ひ解散のやむなきに至つたのは
兩者ともに惜しいものである。
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[海軍省]軍務局・軍令部[陸軍省]航空局【職員録. 大正10年】[京都府須知町民間飛行場設置]関連

[海軍省]軍務局・軍令部[陸軍省]航空局【職員録. 大正10年】
[京都府須知町民間飛行場設置]関連

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[京都府須知町民間飛行場設置ニ関スル件]
海軍省軍務局 第三課長 大佐 高橋壽太郎:大正11年2月22日
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【職員録. 大正10年】
[海軍省] 麴町區霞ケ關二丁目  p235/813
◉軍務局             p236/813
長     中將    堀内 三郎
〇第一課
長     大佐    山梨勝之進
局員    中佐    小倉 泰造
      中佐    堀  悌吉
      中佐    豐田貞次郎
      少佐    松岡 知治
    機關中佐    小泉 武三
〇第二課
長     大佐    宇佐川知義
〇第三課
長     大佐    高橋壽太郎
海軍軍令部 海軍省構内      p245/813
長     大將    山下源太郎
次長    中將    安保 淸種

[陸軍省] 麴町區永田町一丁目  p154/813
◉航空局  麴町區隼町      p167/813
長官    陸軍中將    尾野 實信
次長    陸軍少將    畑 英太郎
事務官
   第二課長海軍大佐   小倉 嘉明
      外務書記官   川島信太郎
      氣象臺技師   築地 宜雄
   第一課長陸軍歩兵大佐 米倉  長
      司法事務官   宮城長五郎
      陸軍省參事   藤田 嗣雄
      大藏事務官   中嶋 鐵平
      文部書記官   澤田 源一
      陸軍歩兵中佐  兒玉 友雄
      海軍中佐    和田 秀穗
      海軍機關少佐  多田 永昌
     陸軍三等主計正  川瀨 金治
      陸軍砲兵少佐  北島 定夫
      農商務事務官  吉原 隆次
     陸軍三等軍醫正  中村  競
      陸軍工兵少佐  兒玉 常雄
      陸軍騎兵大尉  岡 楢之助
      陸軍歩兵大尉  儀峨 徹二
      海軍大尉    山本 順平
      陸軍歩兵大尉  曳野 良一
      國勢院書記   田中 直通
      逓信局事務官  祝  島男
      内務事務官   安井 英二
技師            森川 三郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月

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<愛国飛行場・大本教婦人会>《安井荘次郎》[丹波町誌]
「当須知町ハ、綾部・亀岡ニ接セズト雖モ其ノ中間ニアリ、
先ニ民間飛行場ノ開設セラレタル所ナリ。
大正一〇年、京都出身ノ民間飛行士
故安井荘次郎氏ノ選定要望ニヨリ、
荒地ヲ開キ無償貸与セシモノナリ、
航空研究所ノ開設、練習生ノ養成、宣伝飛行ニアタリ、
其間、八日市陸軍飛行隊ノ演習ニモ使用セラレタリ。
ソノ位置ハ須知町曽根、院内ニアリ、旧山陰道ニ沿ヒ、
三〇万坪の一大高原盆地ニシテ、
其中央ニ三万坪ヲ拓キ飛行場ニアテシモノナリ。
安井氏ハ先年、御大典記念飛行ニ参加シ、当町ヘ帰路、
機体ニ故障ヲ生ジ墜落横死ヲ遂ゲラレ、
飛行場ハ閉鎖サレテ今日ニイタレリ。
今回、愛国飛行場献納ノ美挙ヲ聞キ、
献納者ト協議ノ上、充分ニ御便宜ヲ計ルベク、
過去、現在ノ事情ヲ述ベテ、御高配ヲ願フモノナリ。
須知町長 田端長久郎
京都第一六師団長閣下」
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