小野栄一郎

《小野榮一郎》京大囑託 工學士【機械力学 (応用力学叢書 ; 3)】昭和22年

《小野榮一郎》京大囑託 工學士
【機械力学 (応用力学叢書 ; 3)】昭和22年

【機械力学 (応用力学叢書 ; 3)】昭和22年
著者    中村行三 著
出版者   産業図書
出版年月日 昭和22
  應用力學叢書
 京都大學敎授 工學博士 菅原菅雄 監修
應用熱力學 京大囑託 工學士 小野榮一郎 著
【機械力学 (応用力学叢書 ; 3)】昭和22年p120
〔画像〕【機械力学 (応用力学叢書 ; 3)】昭和22年p120
https://dl.ndl.go.jp/pid/1059047/1/120
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小野榮一郎》愛知化學工業株式會社【同窓會員名簿 昭和17年度】六高同窓會

《小野榮一郎》愛知化學工業株式會社
【同窓會員名簿 昭和17年度】六高同窓會

【同窓會員名簿 昭和17年度】
出版者   六高同窓會
出版年月日 1942.7
【同窓會員名簿 昭和17年度】p1
【同窓會員名簿 昭和17年度】p1
https://dl.ndl.go.jp/pid/1910593/1/1

 昭和十一年(第三十四回)卒業
 〇理科乙類  p79/121
小野榮一郎 岡山 工
愛知化學工業株式會社
名古屋市昭和區長池町四ノ七
【同窓會員名簿 昭和17年度】p79
〔画像〕【同窓會員名簿 昭和17年度】p79
https://dl.ndl.go.jp/pid/1910593/1/79
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《小野栄一郎・小野又一》入會【機械学会誌 40(242)】昭和12年(1937)

小野栄一郎・小野又一》入會【機械学会誌 40(242)】昭和12年(1937)

【機械学会誌 40(242)】昭和12年(1937)
出版者   機械学会
出版年月日 1937-06
  入退會者(昭和12年4月並に5月承認)
   入會者
 氏  名  経    歷    紹  介  者
 准 員
小野栄一郎 京大工学部機械科在 菊川淸作君、田伏敬三
小野 又一 同       上 同   君、同   君
【機械学会誌 40(242)】p34
〔画像〕【機械学会誌 40(242)】p34
https://dl.ndl.go.jp/pid/2312896/1/34
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《小野栄一郎》独語部 昭和9-10年度【旧制高等学校物語 第6 (六稜外史-六高篇)】1965

《小野栄一郎》独語部 昭和9-10年度
【旧制高等学校物語 第6 (六稜外史-六高篇)】1965

【旧制高等学校物語 第6 (六稜外史-六高篇)】1965
著者    財界評論社 [編]
出版者   財界評論社
出版年月日 1965
 独語部々史   p101/474
六高校友会に於て独語部が創立されたのは
明治三十九年である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9545878/1/101
昭和九年度 部長 山岡教授、
      委員 森本照夫、宮田竜介、
         田中卓郎、小野栄一郎。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9545878/1/104
昭和十年度 部長 山岡教授、
      委員 田中卓郎、小野栄一郎、
         藤井 重、向井正文。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9545878/1/105
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小野栄一郎 応用熱力学 菅原菅雄監修【防衛大学校図書目録. 昭和33年】

小野栄一郎 応用熱力学 菅原菅雄監修
【防衛大学校図書目録. 昭和33年】

【防衛大学校図書目録. 昭和33年】

  500 工学・工業総記      p42/147
小野栄一郎     501.26-O67
 応用熱力学  菅原菅雄 監修
  産業図書 昭和33 242p 22cm [-73-左]

菅原菅雄      501.26-Su28  [-73-左]
 工業熱力学  改訂版
  岩波 1951 272p 18cm (岩波全書)
p42【防衛大学校図書目録. 昭和33年】
p42【防衛大学校図書目録. 昭和33年】

菅原菅雄      533.33-Su28  p47/147
 蒸気ボイラ及び蒸気機関 上下巻 [-82-左]
  日本機械学会 昭和31 6版 2冊 26cm
  (機械工学講座)

 著訳編者索引          p125/147
小野 栄一郎………76左 ※73左   p137/147
菅原 菅雄…………73左、82左  p139/147
昭和三十四年三月 二十日印刷
昭和三十四年三月二十五日発行
    防衛大学校図書館
     横須賀市小原台
印刷者 加納道二
印刷所 (株)大成出版社
    東京都世田谷区代田2丁目1022
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年11月10日
小野栄一郎著・菅原菅雄 校閲「応用熱力学」
昭和23年初版・昭和43年第25刷

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 19:03 ◆小野又一 小野栄一郎
[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3/4-昭和47年(1972)1月23日
お便りに人生の80%をすぎたと書いてありましたが
小生自身は私に与えられた予定の200%も生きた気がします
身体の悪さによる心身の不快感のために
でも菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
松葉杖をつきながらも高校の教壇に七年も上がったりして
今 別に思い残すことは先ずありません
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※菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 09:07 ◆小野又一 小野栄一郎
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-01

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 09:10 ◆小野又一 小野栄一郎
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-02
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小野栄一郎著・菅原菅雄 校閲「応用熱力学」昭和23年初版・昭和43年第25刷

小野栄一郎著・菅原菅雄 校閲「応用熱力学」
昭和23年(1948)初版・昭和43年(1968)第25刷

  改 訂
 応用熱力学
京都大学名誉教授
 工 学 博 士
菅原 菅雄 校閲
小野 栄一郎 著
 産業図書 ¥500.
「応用熱力学」カバー
〔画像〕「応用熱力学」カバー

  改 訂
 応用熱力学
京都大学名誉教授 工学博士
菅原 菅雄 校閲
小野 榮一郎 著
産業図書株式会社版
「応用熱力学」表紙
〔画像〕「応用熱力学」表紙

 序 文(応用力学叢書)
 ―略―
 昭和22年9月  監修者 菅原菅雄 誌す
「応用熱力学」序文
〔画像〕「応用熱力学」序文

 改版に際して
 ―略―
 なお文句の修正は校正係の方の御協力によったことを記して、
感謝の意を表したい。
 昭和36年5月  校閲者 誌す
「応用熱力学」改版に際して
〔画像〕「応用熱力学」改版に際して

    序
 科学の進歩は瞬時も止まるところを知らず、
近時原子力の発見に伴い第二次産業革命さえ予見されるに至った。
原子物理学の教えるごとく物質は総べて
プロトン、ニュートロン、電子の三粒子から構成され、
われわれの周囲はこれらの持つエネルギが種々なる形態で充満している。
世界の科学者はこれらのエネルギをますます有効に利用し、
絢爛たる文化社会を建設せんと不断の努力を続けているのである。

 熱もまたエネルギの重要たる一形態で蒸気原動機、内燃機関、冷凍機械、
更に近代科学の花形たるガスタービン、ロケットなど
いづれも熱エネルギの応用により人類の幸福に多大の寄与をなし、
またなさんとしている。

 本書はこれら熱機関基礎理論をなす熱力学の入門的概観書である。
難解と称される熱力学が多少とも親しみ易さをもって学ばれることを目的とし、
基本的事項のみ取扱いなるべく平易な記述に努めた。
数式も初歩的微積分に止め、
熱力学一般関係式はその程度を超えるため補章として最後に付加した。
この書を踏台として不足のところを先生の講義や専門書で補い、
次第に高度の知識を充実していただくならば著者の喜びこれに過ぎない。
もとより著者の乏しき才能と浅き学識により力足らずして
理想に遥か近付きえざりしこと、
諸賢の御寛容を乞うゆえんである。

 本書を草するにあたり種々御注意を賜った菅原教授に
厚く御礼申上げる次第である。
  昭和23年2月  著者 識
「応用熱力学」序・著者
〔画像〕「応用熱力学」序・著者

 <著者略歴>
昭和14年 京大工学部機械科卒
京大工研嘱託、高校教諭等を歴任
(改訂)応用熱力学
 ©1961
昭和23年9月20日 初版
昭和36年7月10日 第14刷(改訂)
昭和43年1月15日 第25刷
校閲者 菅原菅雄
著 者 小野栄一郎
発行者 飯塚美佐子
    東京都千代田区外神田1の4の21
発行所 産業図書株式会社
    東京都千代田区外神田1の4の21
    電話 東京(253)7821番(代表)
    振替口座 東京27724番
印刷所 株式会社 開明堂
    (鞍智雄章)
    東京都千代田区九段南2-2-8
(清水製本)
Printed in japan.  定価500円
「応用熱力学」奥付
〔画像〕「応用熱力学」奥付
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Amazon.co-応用熱力学・領収書
 Amazon.co-応用熱力学・領収書
〔画像〕Amazon.co-応用熱力学・領収書
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Amazon.co-応用熱力学(1948年) 小野栄一郎(著)
1979年(昭和54年)1月第41刷発行。
 Amazon.co-応用熱力学, 小野栄一郎
〔画像〕Amazon.co-応用熱力学, 小野栄一郎
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 19:03 ◆小野又一 小野栄一郎
[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3/4-昭和47年(1972)1月23日
お便りに人生の80%をすぎたと書いてありましたが
小生自身は私に与えられた予定の200%も生きた気がします
身体の悪さによる心身の不快感のために
でも菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
松葉杖をつきながらも高校の教壇に七年も上がったりして
今 別に思い残すことは先ずありません
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※ 菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 09:07 ◆小野又一 小野栄一郎
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-01

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月14日 09:10 ◆小野又一 小野栄一郎
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-02
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[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4/4-昭和47年(1972)2月1日

[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4/4-昭和47年(1972)2月1日

612 京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一奥様
書留 2564 I 610

消印 昭和47年2月2日

270-11
(昭和47年)2月1日
千葉県我孫子市白山一丁目29-11
小野栄一郎
[香典]
御存知の如く手が不自由とて
汚ない字をおゆるし下さい
思いがけなく又一兄の訃報のお電話に唯
絶句するばかりで申し上げる言葉もございませんでした
誠に残念で残念でたまりません
心よりお悔み申しのべますが
も早や あの元気なお声を耳にする事が出来ないかと思うと
人の世の虚しさをひしひしと哀しく感じます
(昭和)14年卒業 お別れして数年間をおき 終戦後お目にかかりましたが
(昭和)23年小生が京都を離れて以来 到々お会い出来ませんでした
手紙にていつも闊達な お言葉で 明るく勵まして頂き
精神的な より所と さしてもらっていましただけに
又一兄の逝去は全く鉄棒で頭の芯をガンと搞きのめされた思いです。
数年来 激しく心身を使われている御様子なので
内心どうか元気でいて下さるよう案じて居りました処
ノートルダム学院の仕事にタッチなされていると承り
同じくお忙しいにしても若い人を相手に気分転換になり良かった
一度その内 お目にかかり ゆっくり
心ゆくばかり語り合いたいと考えて居りました所とて
全く寂寥の感に堪えません
又一兄には京大三ヶ年親しくして頂き
私の方が年上の筈なのに 人間的に又
社会学的に多くの事を教えて頂きました
当時の想い出は数限りなく
今もはっきり目に浮かぶように残って居ります
私としては又一兄のあの卓抜した鬼才、活力をもっともっと
縦横無尽に発揮される余地があったように思はれる事を口惜しく感じますが
すべて人の世の定めとて致し方ありません
年の暮に京名産 京菜を送って頂き 大切に口に運ばせて頂き
(1月)31日も頂戴している最中に お電話がありました
1月6日付のお便りの中に 70才まで生きるとして80%は過ぎた
あと20% 互に大切に生きようとの 又一兄のお言葉でしたのに
訃報のあと すぐ東京の諏訪部兄に電話しました所 土曜日 退院予定とか
諏訪部君の奥さんのお話では
又一兄はずっと病床におられた由
当方全く知りませんでしたので
お見舞いも出さず失礼しました
身体の都合で 京都へ参ること出来ません
どうか 又一兄の御霊によろしくお伝え下さい
小生 現代の転変はげしい世の中に
悪い身体で生き長らえたくありませんが
又一兄の思いもよらぬ早逝の悲報に接し
その想い 一入です
(昭和47年)2月1日   小野栄一郎
小野奥様
※ ( )小野一雄
1[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
2[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
3[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
4[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
5[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
6[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4
7[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-4

[NOTRE DAME TIMES] 第35号 1972.3.27
発行者 ノートルダム女学院高等学校
    社会部新聞印刷部発行班
    京都市左京区鹿ケ谷桜谷町110
印刷所 森岡印刷所
    大津市中央2丁目
    TEL 大津(23)0574
《小野先生》
本校主事小野又一先生は一月三十一日御逝去された。
二月一日修道院で告別式が行われた。
二月一日。
朝から降り続いていた小雨が止み上がってきた午後三時、
全校生徒の見守る中を小野先生の出棺がしめやかに行われた。
前日の一月三十一日、静かに永眠された小野先生の御遺体は
本校会議室に安置され通夜を過ごされた。
私達生徒にとっては、直接に接することのなかった先生であったが、
あのどっしりとした大きな先生の体が目に浮かぶのは、
やはり影ながらに私達の成長を眺められていたためであろうか。
とにかく私達の心にも惜しい先生を失ったという感が強い。
あるクラスでは、宗教の授業中に会議室に安置されている先生に祈りを捧げてきたり、
また帰りのH・Rでも残された遺族の方々のために黙礼などをしたが、
それが私達のできる範囲内での先生に対する心の表現であったと思う。
小野先生にとっては短いノートルダム生活であられたが、
私達生徒やノートルダムに何かを残していってくださったと思われる。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176736.html

[清流]第24号《小野先生を偲ぶ》『シスター メリー キャサリン』p4
《小野先生を偲ぶ》
『シスター メリー キャサリン』
小野先生の御病気中と御死去に際しまして
みなさまからお寄せいただきましたお祈り、
献血などの御厚意本当に有難うございました。
故人と御遺族にかわりまして心からお礼申し上げます。
小野先生がノートルダムにおいでになったのは、昨年八月でした。
在職期間わずか五か月間でしたが、
私共職員一人一人の心に深いつながりを残された方でした。
小野先生は学校のあらゆる面に関心と興味を示され、
一日も早くノートルダムを理解するよう努めてられました。
―略―
ノートルダムを真に愛された先生は、
これからは天国から見守ってくださることと信じております。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176742.html

[清流]第24号 昭和47年(1972)2月26日
ノートルダム女学院 父母の会
「いと高き所には 神に栄光 地には善意の人々に平和」
(ルカ2章14節)
[清流]第24号:《弔辞》椹木義一 p3
《弔辞》
謹んで今は亡き親友小野又一君の御霊に捧げます。
君と私がはてしない大きな希望と夢に胸をふくらませてあこがれの
第三高等学校の門をくぐったのは四十年前のことです。
―略―
でわ小野君、安らかに永遠にお眠り下さい。
昭和四十七年二月一日
椹木義一
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176741.html

[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3/4-昭和47年(1972)1月23日

[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3/4-昭和47年(1972)1月23日

612 京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様

270-11
一月二十二日
千葉県我孫子市白山一丁目29-11
小野栄一郎

一月も早や終りに近く
この調子で冬が駈足で過ぎてくれるよう祈っています。
先日のお便りでは八月より
ノートルダム学園の主事として元気よくやって居られる由
うれしく拝読しました
実は正月 諏訪部兄より電話を頂き
その折り貴兄が新しく高校へ関係して居られると聞き
何處の学校かなと思っていた所でした
諏訪部兄は昨年十一月?
学校で転倒し踵の辺りを骨折
日大附属病院に入院中
正月 特に許可を貰って自宅に帰っているのだとの話でした。
京都のノートルダム学園は西嶋の末弟の嫁の出身校で
前からよく聞いて居り
最近の地図で場所も見ていました。
疎水堤や永観堂・若王子に近く
春は桜 秋は紅葉の美しい所ですね
電車は天王町か 第三錦林校前ですか
岡山には清心女学院にノートルダム女子大があり
私の住んでいた所の近くで
二・二六事件の時の渡辺?大将の娘さんが学院長でした
私が以前勤めた田舎町の小さな高校とは又 趣きが全く異るとは思いますが
学校はつまらぬ事も多い代り又 考えようによっては面白い所です
学校管理は私には判りませんが むつかしい事もありましょうし
貴兄の場合は片棒がシスターとて
おそらく貴兄はあっちこっちと多面にわたる仕事で
大多忙と思われます
私は専ら若い生徒相手の授業だけで暢気でした
現在もその時の生徒(今は42才―35才位)によく厄介になります
京都ノートルダムの中高校は大変入学の難関だそうですね
貴兄の応用自在の優秀な頭脳と迫力ある行動力で
シスターを助けて上げて下さい
唯 宗教の学校なので そんな先生はあまりないと思いますが
とかく 私立校の教師は変人が多いです
私も元気なれば貴兄の学校の辺りを歩いてみたいです
小学校(七条大宮の大内校)の頃 遠足で永観堂の錦秋や
銀閣寺を訪ねた事を想い出します
その頃 市電は熊野神社までで
まだ東へも北へも路線は延びて居らず
三高よこの道(今の電車道路)も半分ほどに挟いでした
大学の頃は近すぎて返って若王子の辺りは一度も行かず
疎水堤を二度通りましたか?

お便りに人生の80%をすぎたと書いてありましたが
小生自身は私に与えられた予定の200%も生きた気がします
身体の悪さによる心身の不快感のために
でも菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
松葉杖をつきながらも高校の教壇に七年も上がったりして
今 別に思い残すことは先ずありません
唯 望まずして身体の都合上
酒とタバコと女には遂に無縁でしたけれど
タバコなど火をつけたり消したりが面倒で
第三者も聞いたり読んだりでは
やはり面倒なもののようですね
知らない者は語る資格なしですが
(関心度零と言うわけではありません)

此の頃になって母がいよいよ年老い
私の世話をしかねるようになると
しみじみ親不孝を痛感し
せめて妻子だけでも
あったらと思ったりするようになりましたが
人間勝手なものです
暖冬とは申しても
やはり冬とて寒く
二月になると更に寒くなります
京は底冷えの地とて
呉々もお身体を大切にして下さい
一月二十三日  小野栄一郎
小野又一様
※ 菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-02
『国立国会図書館サーチ』
51巻354号
フレオン113の蒸氣表と蒸氣線図(松村鶴藏博士喜壽祝賀記念講演)
菅原,菅雄,小野,栄一郎 社団法人日本機械学会 1948-03-25
―略―
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2235941.html
1[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
※ 諏訪部兄
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度
京都帝国大学 昭和13年5月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/301
工学部 機械工学科 p211/304
昭和11年入学 37名
小野栄一郎 岡山
小野又一  高知
桑名正武  高知
諏訪部 正 和歌山
椹木義一  京都
田賀喜一  大阪
菱川正武  岡山
四方健二  京都
長井孝太郎 大阪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/211
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
2[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
3[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
4[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
5[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
6[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
7[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
8[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3

[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2/4-昭和46年(1971)12月27日

[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2/4-昭和46年(1971)12月27日

612 京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様

270-11
11月27日 ※12月27日 小野一雄
千葉県我孫子市白山一丁目29-11
小野栄一郎
1/6 返スミ(小野又一 記)

拝啓
本年もいよゝゝ押迫り長い昭和はまた一年を加えます。
久しく御無沙汰して失礼致して居ります。
さて此の度は豪華美味の京名産を御恵送頂き
毎度々々の御厚情誠に有難く感激して居ります。
正月用に大切にまた懐しく賞味させて頂きます。
ベトナムだけでなく印パに戦火起り
経済的に日本はニクソンから大痛棒を食うなど大変な世の中です。
貴兄にもせわしく頑張って居られることでしょう。
卒業以来三十年余り。
戦争前後に幾人かの旧友が惜しくも早逝されましたが
平和になってからは先年の桑名兄を除いて諸兄御健在の様子
うれしく思いますが変転烈しい時代でしたので
夫々苦労の多かった事です。
小生も卒業後一年弱で身体を駄目にしてから
面白くない人生を長い年月やっとの事でしのいで来て其の間
菅原先生を初め多くの方々の御好意を忝くしました。
死の日を待つようにして今迠夢中でしたが
名古屋・京都・岡山の金川・岡山市内・千葉と転々し
最後は何處になるのか今頃になって妻子があったらと
思ったりしている有樣です。
母も80才になり長い間の私の世話に疲れた感じです。
つまらない事ばかり書いてごめんなさい。
身体は年と共に不自由度を少しずつ増しますが
山陽新幹線が出来たら一度岡山へ帰ってみてやろうかと
他人まかせながら勇ましい事も考えています。
それにはヘルツが夏頃から一寸弱ったのが気になりますが
勝手な事ばかり申しました。
今の所 無為徒食の呈にて厄介な人間です。
寒気酷しくなる折柄呉々お身体を大切にして下さい。
本当に京の味。
有難うございました。
(昭和46年)12月26日   小野栄一郎
小野又一樣

岡山の教え子からの貰いものですが
鰆のみそ漬 送らせて頂きます。
※ 菅原先生 菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 教授]
1[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3
※ 桑名兄
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度
京都帝国大学 昭和13年5月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/301
工学部 機械工学科 p211/304
昭和11年入学 37名
小野栄一郎 岡山
小野又一  高知
桑名正武  高知
諏訪部 正 和歌山
椹木義一  京都
田賀喜一  大阪
菱川正武  岡山
四方健二  京都
長井孝太郎 大阪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/211
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[会社の研究所から見た学校教育]
桑名正武 日産自動車(株)研究所次長
昭和39年(1964)1月24日
神奈川県工業試験所にて
化学教育 12(2), 204-211, 1964-06-20 [この号の目次]
社団法人日本化学会
http://ci.nii.ac.jp/els/110001820892.pdf?id=ART0001975978&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1334386771&cp=
1-[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2
2[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2
3[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2
4[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2
5[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-2

[小野栄一郎(昭和11年3月卒業):第六高等学校一覧]

[小野栄一郎(昭和11年3月卒業):第六高等学校一覧]

【第六高等学校一覧】昭和8年至昭和9年
生徒姓名   p74/179
理科一年乙組 p88/179
小野栄一郎 (第二岡山) 岡山
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447946/88
昭和8年6月17日印刷
昭和8年6月22日発行
編纂兼発行者 第六高等学校
       岡山市国富田中
印刷者    三村千太郎
       岡山市岩田町二七番地
印刷所    三村成粹堂
       岡山市岩田町二七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447946/174

【第六高等学校一覧】昭和11至12年
第三十四回卒業生 計二百四十二名 p168/185
(昭和十一年三月十三日卒業 内二名三月三十一日卒業)
理科乙類(二十七名) p171/185
小野栄一郎 京、工 岡山
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462924/171
昭和11年7月13日印刷
昭和11年7月18日発行
編纂兼発行者 第六高等学校
       岡山市国富田中
印刷者    梅島歌三郎
       岡山市西中山下一七八番地
印刷所    岡山印刷所
       岡山市西中山下一七八番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462924/180

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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