[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-1/4-昭和39年(1964)12月18日
京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様
昭和39年(1964)12月18日
岡山市津島新野一〇〇五
小野栄一郎
拝啓
本年もあと僅かとなりました。
先頃は岡山国立病院に入院中で失礼致しました。
入院二日目に貴兄の御手紙を受取りました。
池田の経済高度成長政策の行きすぎの歪みをマスコミで見聞しながら
私など身近な物資の値上りに気を取られる位でしたが、
御便りを拝見して初めて世間の不景気を身にしみて痛く感じました。
御心労の大変であることお察し致します。
私など世の片隅でボソゝゝやっている者には、
元気を失わず再起を目ざして頑張って下さいと申し上げるばかりで
何らの御力添へも出来ない事を恥づかしく思います。
併し貴方の旺盛な気力から必ず打開の道を拓かれ
近い将来に朗報を聞かせて下さることをお待ちして居ります。
私の病気は元々脊ズイに故障のあるため
平時から排泄に極端に難ギして居りますが
今回は黒赤色の尿が出て好転せず
初めてのことで驚きましたが
六高時代のクラスメート(国立病院副院長)の世話で入院し
割合らくに治癒してもらいました。
退院后しばらく調子が狂って戸惑いましたが
やっと以前の状態(と申しても大変な身体ですが)に戻りました。
ダルマさんの様な肉体なので入院中は
ナースさん達に手数をかけさせましたが
私自身も大層閉口しました。
今年は母も年中あちこちと身体が悪く
私も正月から大ヤケドなど全くいやな64年でした。
来年こそは貴方に好運の恵まれますようお祈りします。
テレビで時々京都の風景が映ります。
やはりなつかしいです。
でも京都もずい分変ったらしいです。
例によって キタナイ字を書いてごめんなさい。
(昭和39年)12月18日 小野栄一郎
小野又一様
京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様
昭和39年(1964)12月18日
岡山市津島新野一〇〇五
小野栄一郎
拝啓
本年もあと僅かとなりました。
先頃は岡山国立病院に入院中で失礼致しました。
入院二日目に貴兄の御手紙を受取りました。
池田の経済高度成長政策の行きすぎの歪みをマスコミで見聞しながら
私など身近な物資の値上りに気を取られる位でしたが、
御便りを拝見して初めて世間の不景気を身にしみて痛く感じました。
御心労の大変であることお察し致します。
私など世の片隅でボソゝゝやっている者には、
元気を失わず再起を目ざして頑張って下さいと申し上げるばかりで
何らの御力添へも出来ない事を恥づかしく思います。
併し貴方の旺盛な気力から必ず打開の道を拓かれ
近い将来に朗報を聞かせて下さることをお待ちして居ります。
私の病気は元々脊ズイに故障のあるため
平時から排泄に極端に難ギして居りますが
今回は黒赤色の尿が出て好転せず
初めてのことで驚きましたが
六高時代のクラスメート(国立病院副院長)の世話で入院し
割合らくに治癒してもらいました。
退院后しばらく調子が狂って戸惑いましたが
やっと以前の状態(と申しても大変な身体ですが)に戻りました。
ダルマさんの様な肉体なので入院中は
ナースさん達に手数をかけさせましたが
私自身も大層閉口しました。
今年は母も年中あちこちと身体が悪く
私も正月から大ヤケドなど全くいやな64年でした。
来年こそは貴方に好運の恵まれますようお祈りします。
テレビで時々京都の風景が映ります。
やはりなつかしいです。
でも京都もずい分変ったらしいです。
例によって キタナイ字を書いてごめんなさい。
(昭和39年)12月18日 小野栄一郎
小野又一様