陸軍技術将校
[山川勝彦デザイン事務所:大阪市南区]昭和46年
昭和46年(1971)7月3日
小野又一様 山川勝彦
昭和46年(1971)8月5日
(有)山川勝彦デザイン事務所
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月27日 12:35 陸軍技術将校
小野又一中尉:陸軍技術将校
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2239336.html
コメント
2014年07月09日(水) 13:31
by 小野一雄
稲荷小学校5-6年生(昭和32-33年頃)
正月2乃至3日、新年の挨拶に、
辻本繁孝様(准尉)、
山川勝彦様(当番兵・一乃至二等兵)、
二人の方が、来られていました。
家で飲んで、軍隊時代の話を、
楽しそうに話しておられました。
特に、山川様は、シベリアに抑留されていて、
物凄く、苦しい生活をされたのに、
話は、本当に面白かったです。
それから、親父の行きつけの、
祇園のお茶屋に行き、
その日は帰って来なかったと思います。
山川様は、デザイナーとして成功されて、
大阪心斎橋に事務所がありました。
2014年07月09日(水) 16:47
by 小野雄二
ハルピンには、満飛の工場はあったのですか?
終戦時は、ハルピンだったと思いますので、
軍隊であれば、即シベリアだったと。
ハルピンの話では、
白系ロシア人の美女が川で水浴しているという噂を聞き、
見に行ってみたら、そんなことはなかったと…。
敗戦後、品のないロシア兵
(両腕には、腕時計がいくつも留めていた)が
家に入ってきたときの話、
隠し持っていたピストルを見つけられたら殺されていたかも…、
その時、ロシアの将校が入ってきて、
引き上げるように命令し、命拾いをしたとか…。
2014年07月09日(水) 16:57
by 小野雄二
山川さんの話。
〔シベリア編〕
トイレに行ったら、凍り付いていたので、ハンマーで叩いたら、
その飛沫が顔にかかってしまったとか…。
〔日本の料亭編〕
外人を連れて料亭に行き、
その外人がトイレに行って出てきた時、
仲居さんが、水を入れた杓子を差し出した。
背の高い外人にとって、杓子の位置は、彼のその位置だったらしい。
その外人は、「日本人は、清潔好きなんだ」と思い、
ズボンからあれを出したと。
仲居さんもびっくりした素振りも見せず。
何気なく、水をかけたとか。
山川さん曰く
「外人も立派だけど、何気なくそうした仲居さんもすごい。」
外人の面子もつぶれず、笑い話になったとか…。
2014年07月10日(木) 09:23
by 小野一雄
トイレ:穴を掘って、板を渡しただけのトイレ。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月14日 06:03
[思い出の写真帖]番外編02
〔山川勝彦・デザイン画〕昭和38年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/4684900.html
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大正5年(1916)7月11日生
昭和14年(1939)3月
京都帝国大学 工学部 機械工学科 卒業
満洲飛行機製造株式会社 入社
昭和17年(1942) 陸軍技術将校 中尉
昭和18年(1943)3月6日 小野又一(小川)文子 婚姻届
昭和21年(1946) 秋頃 コロ島より 山口県仙崎港 引き揚げ
昭和47年(1972)1月31日歿 56歳
京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様
昭和十七年前期の隊長の部下四班
渡辺軍曹の内務に席のありました一兵卒です
座隊中は種々お世話様でした
―略―
(昭和46年(1971))
九月五日
東京都板橋区前野町六の六三番地
田中平四郎
(旧姓 荒井)
〒174
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238670.html
陸軍技術将校:勅令案:昭和14年8月18日
陸軍技術将校たるへき各兵科将校の補充及現役期間の
臨時特例に規定する技術候補生等給与に関する件
レファレンスコード [C01001710300]
勅令案 p3/16
昭和十四年八月十八日
内閣総理大臣
陸軍大臣
勅令第五百九十五号
技術候補生 p13/16
技術候補生ト軍医候補生トノ修業期間比較表 p14/16
技術候補生
二月(軍曹)
二月(見習士官・曹長)
二年(現役将校)
軍医候補生
一月(軍曹)
一月(見習士官・曹長)
二年(現役将校)
技術候補生ト軍医候補生トノ共通点 p15/16
一 身分ハ生徒
二 進級順序ハ同様・軍曹→曹長(見習士官)→将校
三 任官資格ハ学士(大学卒業者)ハ中尉・
其ノ他(専門学校卒業者)ハ少尉
四 必 現役期間ハ二年
『国立公文書館・アジア歴史センター』より
航技将兵は定色の山型胸章に加え、
襟部に航技を示す鳥の翼を象った航技特別章を着用してこれを区別し
(九八式軍衣期。後述昭和19年の兵技との一本化に於いて廃止)、
三式軍衣期は航空胸章を着用した。
昭和19年8月10日に、階級上の兵技・航技の分類を改め単に
「陸軍技術中将」から「陸軍技術二等兵」とした
(昭和19年7月10日勅令第448号)。
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2017年03月25日 05:14 陸軍技術将校
612
京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様
寫眞在中
東京都板橋区前野町六の六三
田中平四郎
(昭和46年(1971))八月六日
※ 九月六日の誤記
拝啓
私わ 昭和十七年前期の隊長の部下四班
渡辺軍曹の内務に席のありました一兵卒です
座隊中は種々お世話様でした
辻本さんからお聞でしょうが
先月 東京で戦友会があり 楽しい一日を語り合い
今后共互に残る余生を楽しく送る事を誓ひ
何かの機会にまた会う日を約束 実現致したいと思って居ります
先日 三原さんが小野様に寫眞をお送り致したとの事 聞き
私も何枚かありますが小野様の寫ってるのを複寫致しましたので
お送りさせて戴きました
せめて四平の思ひ出の一端となりますれば幸甚と思ひます
辻本様にも送らせてもらいました
何れの機会にお会ひ出来ます事を心待ちに致して居ります
お体にわ呉々も御?愛の程
お祈り申し上げます
乱筆乱文にて失礼申上げます
敬具
九月五日
東京都板橋区前野町六の六三番地
田中平四郎
(旧姓 荒井)
〒174
[辻本繁孝様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238668.html
612
京都市伏見区深草正覚町9
小野又一様
東京都板橋区向原2-32-1
三原 栄
拝啓
暑さ益々きびしい折柄
中隊長殿には日々お元気でお過ごしのことと思ひます
在満中は一方ならぬ御世話に相成り
厚くお礼申し上げます
扨 辻本さんより既にお聞きでしょうが
今月十五日靖国神社にて部隊長始め八十数名が懐しき対面をしました
すぐにわかった人 なかなか思ひ出せない人
話をしている内にだんだんと四平当時が浮び
明け方近くまで語り合いました
でも皆の話のおちつく先は自然と隊長殿の話になり
お顔の見えなかったのが一番の心残りでした
次回には是非 御出席下さるよう御願ひ致します
又 辻本さんよりお聞きしましたが
当時の写真数あるなかで隊長の入っているのは
残念ながら僅か一枚しかありません
たった一枚で申訳ありませんが
四平時代の思ひ出にと同封致しました
何卒お受取り下さるようお願ひ致します
残暑きびしき折
御身体御自愛祈ります
次回には是非お目にかゝりたいと思ひます
草々
(昭和46年(1971))八月二十三日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238668.html
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