イギリス人[ジョージ・ノット]

《ノット(Knott)》税関吏として[メーレンドルフとその補助者]明治16年(1883)朝鮮政府税関【朝鮮近代外交史年表】1987.6

《ノット(Knott)》税関吏として
[メーレンドルフとその補助者]明治16年(1883)
朝鮮政府税関【朝鮮近代外交史年表】1987.6

【朝鮮近代外交史年表】1987.6
著者    H.N.アレン 著 [他]
出版者   国書刊行会
出版年月日 1987.6
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/3


一八八二年 一二月 明治一五年 李大王一九年
メーレンドルフ
メーレンドルフ(P.G.Von Moellendorf)
外務顧問として招聘を決定した。
これは朝鮮政府から中国政府に懇請したもので、
税関事務を掌る。

一八八三年 一月 七日 明治一六年 李大王二〇年
メーレンドルフとその補助者
メーレンドルフの補佐
ハース(Haas)
ストリップリング(A.B.Stripling)
ライト(T.W.Wright)
ロバット(W.N.Lovatt)
税関吏として
ラポルト(Laporte)
マクベット(Mackbet(?))
メルセル(Moersell)
シュルツ(Schultz)
アルナアス(Arnous)
サバチン(Sabatin)
ベコウスキー(Bekofsky)
ボリオニー(Borioni)
ウーリタン(Woolitang)
トング(S.Y.Tong)
禹(Woo)
周(Chow)
良(Liang)
ウエルヒ(Welch)
グランフィールド(Glanfield)
ローゼンバウム(Rosenbaum)
ラデーヂ(Ladage)
p22【朝鮮近代外交史年表】1987.6
〔画像〕p22【朝鮮近代外交史年表】1987.6
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/22
一八八三年 一月 七日 明治一六年 李大王二〇年
ノット(Knott)
ダンカン(Duncan)
クロフォード(Crawford)
クレップス(Krebbs)
中林(Nakabayasi)
ラウヒト(Laucht)
ニッフラー(Kniffler)
ら来鮮。
これらの人びとは清国税関にならい
税関事務組織をつくった。
p23【朝鮮近代外交史年表】1987.6
〔画像〕p23【朝鮮近代外交史年表】1987.6
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/23
一九〇一年 七月一二日 明治三四年 光武五年
税関の移動
元山税関弁務官代理
ウェークフィールド(C.E.S.Wakefield)は
弁務官に任命された。
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/66
ノット Knot,  36頁
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/86
朝鮮近代外交史年表
1987年6月  5日印刷
1987年6月10日発行 定価2,000円
著 者 H・Nアレン
訳 者 櫻井 義之
発行者 佐藤今朝夫
発行所 株式会社 国書刊行会
    〒170 東京都豊島区巣鴨3-5-18
    電話(917)8287(代表)
    振替・東京5-65209
印 刷 セイユウ写真印刷(株)
製 本 青木製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/11923511/1/88
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【親和 (147)】1966-02
出版者   日韓親和会
出版年月日 1966-02
前天津駐在ドイツ領事
ドイツ人
パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ
[Paul Georg Von Molleh dort]
(漢字名「穆麟德」、一八四七年二月生)
(H・Nアレン著、桜井義之 訳)
 『朝鮮近代外交史年表』
p21【親和 (147)】1966-02
〔画像〕p21【親和 (147)】1966-02
https://dl.ndl.go.jp/pid/2252000/1/21
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月16日05:15
[税関吏:ノツト]明治18年9月
元山居留地ニ悪疫避病院建設費用補助在同所領事ヨリ願出ノ件
金弐拾六圓
  内
  金拾五圓 税関長    ライト     英人
             ※ライト(T.W.Wright)
  金 五圓 税関吏    ローセンハーム 米人
             ※ローゼンバウム(Rosenbaum)
  金 弐圓 同      米田五郎
  金 弐圓 同      ノツト     英人
             ※ノット(Knott)
             ※母方の曽祖父
  金 弐圓 同      マンヘーマ   独人
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月03日17:17
母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
[George Nott または Knott]  正確な名前は不明。
[Yoshiiwa Notuto] 小川清久(母の弟)家の過去帳に記載。
[ジョージさん・元山(韓国)税関長] 
母(小野文子)が話していた。
2ad60d50
小野雄二(弟) 談
生年月日 不明
歿年月日 明治34年(1901)4月27日
歿 場所 元山(現 北朝鮮)?
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ブライアン・バークガフニさん(グラバー園名誉園長)と小野一雄

ブライアン・バークガフニさん(グラバー園名誉園長)と小野一雄

1世紀以上の時を経て長崎へ 
ガラス乾板「どんな道たどったのか」 バークガフニさん感慨深げ
2022/08/28 長崎新聞
 ブライアン・バークガフニさん(グラバー園名誉園長)
晩年のグラバーが写った写真のガラス乾板を
光に透かして観察するバークガフニさん=長崎市、グラバー園

 明治維新の功労者の一人で日本の近代化に貢献した
長崎ゆかりのトーマス・グラバー。
東京で過ごした晩年の表情を伝える古写真が、
1世紀以上の時を経て遠くカナダの地で見つかり、長崎へ戻った。
グラバー研究者として知られ、
今回の寄贈に一役買った
長崎総合科学大特任教授の
ブライアン・バークガフニさん(グラバー園名誉園長)は、
ガラス乾板の実物を目にして
「(この乾板は)どんな道をたどって、ここまできたのだろう」
と深い感慨を語った。
 ―略―
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【ブライアン・バークガフニ様へお願いのメール】
平成23年(2011)10月31日
差出人: "小野一雄" 
日時: 2011年10月31日 10:40
件名: [長崎・海星学校小学部の児童たち 明治33年]
   私の曽祖父は、イギリス人です。
長崎総合科学大学
環境・建築学部 人間環境学科 地域文化系
教授 ブライアン・バークガフニ様
突然の、メールをお許し願います。
私の曽祖父は、イギリス人です。
そのルーツは長崎にあると聞いております。
祖父の略歴は、下記の如くです。
もっと詳しく調べたいと思いましたが、いろんな障壁があり、
壁にぶつかってしまいました。
そんなとき、ブライアン・バークガフニ様のことを知りました。
良いアドバイスや情報をいただけるのではと思い
メールを差し上げました。
下記お読みいただけることを願っております。

 ブライアン・バークガフニ様へお願いのメール20111031

平成23年(2011)10月31日
〒622-0331
京都府船井郡京丹波町中台垣内57
小野一雄
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【ブライアン・バークガフニ様から返信メール】
平成23年(2011)11月9日
Re: [長崎・海星学校小学部の児童たち 明治33年]
   私の曽祖父は、イギリス人です。
2011/11/09 10:58
小野一雄様
ご連絡をいただき、ありがとうございました。
貴重な資料と写真を拝見して感動いたしました。
ジョージ・ノット
(スペルはGeorge NottまたはKnottと思われます)の名前は
長崎英国領事館アーカイブの「死亡録」に見当たりませんので、
長崎近辺ではなくなっていないようです。
英字新聞など手元にある他の資料を調査して、
関係するものが見つかれば改めてご連絡いたします。
取り急ぎご用件のみ。
ブライアン・バークガフニ
長崎総合科学大学
環境・建築学部 人間環境学科
〒851-0121長崎市宿町3‐1
 ブライアン・バークガフニ様から返信20111109
〔画像〕ブライアン・バークガフニ様から返信20111109
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
ジョージ・ノットの名前は、
(スペルはGeorge NottまたはKnottと思われます)
長崎英国領事館アーカイブの「死亡録」に見当たりませんので、
長崎近辺ではなくなっていないようです。
平成23年(2011)11月9日
ブライアン・バークガフニ教授が調べて下さった。
ブライアン・バークガフニ教授
長崎総合科学大学
環境・建築学部 人間環境学科
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※下記については、未だに連絡を頂いて居りません。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021/04/29 10:00
須知高校 辻垣晃一様
[須知高の高原に響く鐘─京都新聞 丹波版]の『鐘』について
mail 2021/04/15
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元山海関税務司代理ゼー、ヱフ、オイセン氏今般当港駐在英國領事代ニ任セラレ受任:明治30年10月13日

元山海関税務司代理ゼー、ヱフ、オイセン氏
今般当港駐在英國領事代ニ任セラレ受任:
明治30年10月13日
元山領事館 二等領事 二口美久

丗年十月二十日接受   p19/93
公第一六九號      受第一二一〇四號
当港海関税務司代理ゼー、ヱフ、オイセン氏
今般当港駐在英國領事代ニ任セラレ受任候㫖
本月十一日同氏ヨリ通知有之候
此段申進候敬具
          在元山
明治三十年十月十三日 二等領事 二口美久
 外務次官 小村壽太郎殿
<在朝鮮國元山港日本領事館>
 B18010575400-19
〔画像〕B18010575400-19
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件名標題(日本語) 1.英吉利国
階層 外務省外交史料館>戦前期外務省記録>6門 人事>
   1類 官制及官職>9項 雑>
   外国政府諸官員異動報告雑纂/第一巻
レファレンスコード B18010575400
[画像数 93]
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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【職員録. 明治30年(甲)】
○外務省   p40/375
大 臣    西 德二郎
次 官    小村壽太郎
○元山領事館 p44/375
二等領事   二口 美久
外務書記生  高雄 謙三   飯野 俊一
       石山 登    高橋 新治
警 部    朝枝 澄江   梅崎辰太郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年08月26日 04:55 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[一名ノ税関吏一戸三名ニ過キザルニモ拘ハラス]
元山報告 明治30年10月15日
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]①
曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について
:英国総領事館御中

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]②
駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答
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蓮元憲城・英人ライト税關長・石川馨・宮木又七【大陸発展策より見たる元山港】大正11年

蓮元憲城・英人ライト税關長・石川馨・宮木又七【大陸発展策より見たる元山港】大正11年

【大陸発展策より見たる元山港】高尾白浦 著 大正11年(1922)

△明治十五年四月
 蓮元憲城なる靑年あり頗る鮮語を能くす。
 彼常に貿易を盛ならしむる途は鮮民に接近し
 彼我事情に相通ずるに在りと唱へ
 茲に到り我靑年數名と共に安邊附近に出遊し
 偶々土民と衝突し衆寡敵せず
 他の靑年は免れたるも彼れ踏留まり終に殺さる。
 間行里程一里以外の故を以て顧みられず。

△明治十七年二月一日
 最惠國條約に依り元山港は各國互市場となり
 税關事務を開始す
 英人ライト税關長たり。
 されど外國商人は未だ隻影だに無し。

△明治十七年五月
 兒童敎育の爲め有志者相謀り小學敎育所を
 東本願寺別院内に設け同院輪番石川馨
 これが敎育及び管理者たり
 是れ小學校の萌芽なり。
 p44-45
〔画像〕p44-45

元山里に於ける公立尋常高等小學校
舊民團に於て元山里方面よりの通學兒童增加の趨勢に應ずべく
分校設立の計畫があつた。
偶々學校組合令實施となりしを以て之を組合に繼承し
組合は元山里上洞に地を相して校舎を新築し
大正四年二月を以て開校した。
 p80-81
〔画像〕p80-81

元山尋常高等小學校
 元山尋常高等小學校
〔画像〕元山尋常高等小學校

元山中學校
 元山中學校
〔画像〕元山中學校

明治十六年に至り最惠國條約に均霑するに至り
元山も各國互市場となるに至り
明治十七年二月税關事務を開始した。
是より英人ライトなる者最初の税關長と爲り
明治三十九年に至るまで常に外人税關長の下に
海關事務を處理せられた。
明治三十九年韓國を保護國として其の外交を統監の手に収めた結果
同年二月宮木又七元山税關長となつて以後は我邦人の手にて
海關事務を掌管する事になり其れより今日に至つた。
 p94-95
〔画像〕p94-95

大正十一年三月三十日印刷
大正十一年四月二十日發行 定價 金貮圓
著作兼 朝鮮元山府城洞一番地ノ三
發行者 高尾新右衞門
印刷者 東京市京橋區宗十郎町十五番地
    中島丑之助
印刷所 東京市京橋區宗十郎町十五番地
    東京國文社
發行所 朝鮮元山府仲町一丁目六番地
    東 書 店
 奥付
〔画像〕奥付
国立国会図書館/図書館送信限定 図書 高尾白浦 著 (東書店, 1922)
この資料は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開をしていません。
閲覧を希望される場合は、国立国会図書館または図書館送信参加館へご来館ください。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月12日 03:41 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[英国人ライト本港海関長ニ被任赴シテ]明治16年11月12日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年09月16日 10:50 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[元山港:最初に英國人[ライト]が稅關長となった]明治17年(1884)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/6531591.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年08月30日 11:23 ◆小川清秀 《小川清秀:履歴書》
[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]
[備考:元山公立小學校ノ略沿革]  p11/38
明治十三年(1880)ノ開港ニ後ルルヿ五年
即 明治十八年(1885)ニ於テ
當本願寺説教所
主任僧《石川馨》ナル者
二三有志者ノ助力ニ頼リ
寺内ノ倉庫中ニ
数人ノ子弟ヲ集メテ
讀書習字ヲ教授ス
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[一名ノ税関吏一戸三名ニ過キザルニモ拘ハラス]元山報告 明治30年10月15日

[一名ノ税関吏一戸三名ニ過キザルニモ拘ハラス]元山報告 明治30年10月15日

元山報告第12 明治30年10月15日 p2/8
六、英國領事代理
當港ニハ英商ノ居留スルモノナク
一名ノ宣教師ト
一名ノ税関吏一戸三名ニ過キザルニモ拘ハラス
十月十三日
當港海関税務司代理
丁抹(デンマーク)人「ゼー・エフ・オイセン」ニ
當港駐在英國領事代ヲ嘱託シ
受任シタル趣 通知アリタリ
 C10061210100-2
〔画像〕C10061210100-2
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件名標題(日本語) 元山報告第12
階層 防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>
   陸軍省雑文書 兵部省陸軍省雑>陸軍省雑>明治>
   明治30年分 編冊 3 近衛.補充部.会議補給廠.特設部
レファレンスコード C10061210100
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
[George Nott または Knott]  正確な名前は不明。
[Yoshiiwa Notuto] 小川清久(母の弟)家の過去帳に記載。
[ジョージさん・元山(韓国)税関長] 
母(小野文子)が話していた。小野雄二(弟)談
生年月日 不明
歿年月日 明治34年(1901)4月27日
歿 場所 元山(現 北朝鮮)?
妻    小川エン
生年月日 慶應1年(1865)12月28日(旧暦 慶應1年11月11日)
歿年月日 大正2年(1913) 4月14日 48歳
本 籍  長崎県長崎市十善寺郷242番戸
     長崎県長崎市十善寺郷70番戸 中ノ平4
長 男  小川清秀(ジョセフ)
生年月日 明治25年(1892)11月16日
歿年月日 昭和27年(1952)2月2日 60歳
二 男  小川恒幸(トマス)
生年月日 明治28年(1895)12月1日
歿年月日 ?
長 女  溝口サレ
生年月日 明治32年(1899)9月6日
生年場所 元山(韓国)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]①
曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について
:英国総領事館御中

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]②
駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答
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[国籍調査のお願い]②駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答

[国籍調査のお願い]②
駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]①
曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について
:英国総領事館御中
[添付資料]PDF:英国籍調査のお願い

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FW: 英国籍調査
2019/08/21 (水) 15:40
YUJI ONO
宛先 小野一雄
味気ない回答が返ってきました。
普通ならば、メールで反応しなかった謝罪から入るのですが、
できない、したくないという拒絶からなので、どうしようもないですね。
資料を返送してくるかな?
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二

From: Takashi Akutsu
Sent: Wednesday, August 21, 2019 3:05 PM
To: YUJI ONO
Subject: RE: 英国籍調査
小野様
誠に申し訳ないのですが、こちらの業務範疇にございませんので、
他の調査方法を、と申されましてもお手伝いできないことをご理解ください。
阿久津

From: YUJI ONO
Sent: 21 August 2019 14:56
To: Takashi Akutsu
Subject: RE: 英国籍調査
阿久津様
お世話になっております。
お手数をお掛けし申し訳ありません。
貴領事館にお尋ねする方法しか手立てがありませんでしたことご了解ください。
しかし、そちらの方では業務以外の案件になるようですので、
できましたら、他の調査方法を教えていただければと願っております。
よろしくお願いします。
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二

From: Takashi Akutsu
Sent: Wednesday, August 21, 2019 2:38 PM
To: yujiono
Subject: 英国籍調査
小野様
駐日英国大使館副領事、阿久津と申します。
英国大阪総領事館宛に英国籍調査のお願い、という封書をお送り頂きましたが、
残念ながら駐日英国大使館、大阪総領事館では
そのような業務を行っておりませんので
誠に申し訳なあいのですがお手伝いすることができません。
お役に立つことができず申し訳ございません。
Takashi Akutsu, MBE  阿久津 貴史
Vice Consul 副領事 
 British Embassy Tokyo Consular Section 駐日英国大使館領事部| 
1 Ichiban-cho, Chiyoda-ku, Tokyo 102-8381| 東京都千代田区一番町1|

 FW:英国籍調査-p1
〔画像〕FW:英国籍調査-p1

 FW:英国籍調査-p2
〔画像〕FW:英国籍調査-p2

※画像追加:2019年(令和1年)8月25日(日)11:00
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[国籍調査のお願い]①曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について:英国総領事館御中

[国籍調査のお願い]①
曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について
:英国総領事館御中


第1回 mail 2019年(令和1年)7月4日(木)9:28
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国籍調査のお願い
2019/07/04 (木) 9:28
英国総領事館御中
初めて連絡させていただきます。
私の母方の曾祖父(英国人)、国際結婚をした曾祖母、祖父について
調査をお願いしたいと思って連絡を差し上げました。
当方で調べた内容等につきましては添付資料をご参照ください。
お手数ではありますが、調査していただければと願っております。
よろしくお願いします。
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二
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第2回 mail 2019年(令和1年)7月22日(月)19:16
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FW: 国籍調査のお願い
2019/07/22 (月) 19:16
英国総領事館御中
お手数をお掛けしていると思います。
この調査の可能性は如何でしょうか。
私たちの力では限界に達し、
御領事館にお願いするしか考え付きませんでした。
曾祖父を通じて日英の絆ができればと願っております。
何卒よろしくお願いいたします。
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二
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第3回 封書 2019年(令和1年)8月5日
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英国総領事館御中
在大阪英国総領事 クリス・スチュアート殿
拝啓
猛暑の中、大変お手数をお掛けしております。
約ひと月前に、同封メールを送らせていただきました。
何年か前、私の兄より、貴総領事館に連絡させていただきましたところ、
すぐに丁重な回答をいただき感激したと聞いておりました。
ところが、今回は2週間以上過ぎても連絡をいただけず、
再度メールをさせていただきましたが、まだ回答をいただけておりません。
調査をしていただいていると確信しておりますが、
連絡をいただけない原因として、
メールを受信していただいていないのではないかと不安に思い、
本日郵送させていただきました。
英国と私達家族とのつながりを解明できれば、
更に貴国との絆が強くできるのではないかと期待しております。
大変お手数とは存じますが、よろしくお願いします。 敬具
令和元年八月五日
〒616-8314 京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
      小野雄二

小野雄二様
前略 クリス・スチュアート宛に郵便物をいただきましたが、
すでに離日いたしておりますので、
郵便物をお返しさせていただきます。早々
   英国総領事館
※2009年8月10日着 未開封で返送されて来た。
 英国総領事館20190810
〔画像〕英国総領事館20190810
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第4回 封書 2019年(令和1年)8月10日
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2019年8月10日
英国総領事館御中
前略
今週、貴領事館クリス・スチュアート総領事宛に、同封の資料を送付しましたが、
総領事はすでに離日されたということで、そのまま本日返送されてきました。
郵送させていただいた理由につきましては、同封資料に記載させていただいております。
お手数をお掛けしますが、何卒宜しくお願い致します。
以上
616-8314 京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野雄二
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[国籍調査のお願い]②
駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答
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創立當時の共立學校(明治七年一月撮影 佐野鼎氏 英語敎師フリーム氏)【東京開成中学校校史資料】昭和11年

創立當時の共立學校(明治七年一月撮影 佐野鼎氏 英語敎師フリーム氏)
【東京開成中学校校史資料】昭和11年

【東京開成中学校校史資料】昭和11年

〔右頁〕高橋是清
昭和六年本校創立六十周年記念として
揮毫寄贈せられたるもの

贈 東京開成中學校 高橋是清
昭和十年 八十二歳の記念撮影に
自署して本校へ寄贈せられたるもの

〔左頁〕p9-2に記載
p9-1【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p9-1【東京開成中学校校史資料】昭和11年

 創立當時の共立學校
(明治七年一月の撮影 二階左より五人目 佐野鼎氏
 七人目 英語敎師フリーム氏)
p9-2【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p9-2【東京開成中学校校史資料】昭和11年

〔右頁〕鎌倉地方遠足の圖(明治二十八年十一月)

〔左頁〕上
高橋是淸氏、鈴木知雄氏の幼年時代
(慶應三年米國にて撮影
 向つて右 高橋是淸氏、左 鈴木知雄氏)
〔左頁〕下
校長時代の高橋是淸氏
(明治十八年撮影、右より 鈴木ちか氏、鈴木知雄氏
p11【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p11【東京開成中学校校史資料】昭和11年

 東京開成中學校々史資料
   第一 共立學校
東京開成中學校の前身たる共立學校の創設は
明治四年の秋にして校名の「共立」とは
  同志輩社を結びて共立す
より其名を撰定したるものなり。
校務を總轄する爲め社長を置き佐野鼎氏其任に當る
而して其同志とは佐野鼎氏、辻金五郎氏、茅野茂兵衛氏の三人なり。
學校は主として正則の英語を敎へ
兼ねて高等普通學を授くるを以て目的とせり。
 佐野鼎氏は元靜岡の人なり當時洋學を修め殊に砲術、
 航海術に熟達したるのを故に以て德川時代の末期人物の
 登庸に急なりし加賀藩より招聘を受く
 明治維新後は小石川造兵司之頭に任ぜらる
 造兵司とは現時陸軍造兵廠の前身なり
p16【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p16【東京開成中学校校史資料】昭和11年

   福井某氏は當時陸軍の醫官にして蘭學を研究し
   外科に堪能なり
   夙に英語の必要を覺りて自宅に塾を開き
   陸軍御傭敎師「フリーム」を招聘して
   塾生に英語を敎授し居り
   塾は九段坂上靖國神社馬場の中■城■に面するの所なり
   ―略―
新校舎竣工するに及び福井塾より
英語敎師「フリーム」並に塾生全部を此處に移轉せしめ
尚新入學
p17【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p17【東京開成中学校校史資料】昭和11年

生徒の多數を収容し茲に學校の組織完成し
基礎全く鞏固となれり。
明治五年三月初めて共立學校規則を制定す。
 ―略―

明治十年夏東京地方にコレラ病流行し、
社長佐野鼎氏遂に其犠牲となられ逝去せらる、
齡四十二歳
寔に哀悼に堪へず。
學校は戰亂の餘波と社長の逝去とにより
一時非常なる悲境に陥り殆ど廢校同樣の狀態となれり。
此時茅野氏は如何にしてか之を挽回せんと欲し
種々畫策し遂に大學豫備門の敎授たる高橋是淸氏
(當時淡路町茅野氏宅に寄寓す)に交渉の結果
高橋氏の情誼により
茲に高橋是淸氏共立學校再興繼續經營することゝなれり。
 ―略―
此時迄に於ける各学科擔任敎師左の通りなり。
英語 フリーム
同  ヘーア
同  サイモンドソン
(同時に三人敎授せしに非ず。順次に勤務したるものなり)
 ―略―
p20【東京開成中学校校史資料】昭和11年
〔画像〕p20【東京開成中学校校史資料】昭和11年
昭和十一年十月廿七日印刷
昭和十一年十一月一日發行 非賣品
編輯兼 高橋貞之丞
發行人 東京市荒川區日暮里町九丁目
    東京開成中學校内
印刷人 山本次郎
    東京市京橋區京橋二ノ九
印刷所 共立印刷株式會社
    東京市京橋區木挽町二ノ一
發行所 東京開成中學校
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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神田淡路町 共立學校:英學 教師 英人二名 フリーム ヒユマン・黌 主:佐野鼎[東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正]

神田淡路町 共立學校:英學 教師 英人二名 フリーム ヒユマン・
黌 主:佐野 鼎[東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正]

琉球大学学術リポジトリ
タイトル:東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正/明治文化研究会発行
著者:-
要約(Abstract) :封筒と内容物の二点 
資料形態:大型資料 39.3cm×54.5cm
収録種別:沖縄関係コレクション
URI: http://hdl.handle.net/20.500.12000/37784

東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正/明治文化研究会発行
琉球大学
矢内原忠雄文庫
史 料 名  東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正/
       明治文化研究会発行
封筒番号   615
原文所所蔵者 琉球大学付属図書館
撮影年月日  平成17年11月29日
撮 影 者  富士写真フイルム株式会社
備   考

東京諸黌學費便覽 明治六年四月改正 p5/7
黌 名:神田淡路町 共立學校
學 科:英學 教師 英人二名 フリーム ヒユマン
黌 主:佐野 鼎
學 費:入門式ハイデス◉月謝ハ二両一分◉月俸ハ二両三分
凡 例:◉洋人ノ教師タル學舎ニハ何レモ語學ト數學ハアルヘシ
    ―略―
    西埜書屋藏梓
書 肆:甘泉堂發兌
東京諸黌學費便覽 明治六年四月改正
〔画像〕東京諸黌學費便覧

發行所 明治文化研究會(東京銀座福永書店内)
定 價 金貮拾錢
月刊 明治文化研究 新舊時代
定價 一ケ月 五十錢 半ケ年 二圓八十錢 一ケ年 五圓五十錢
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レファレンスコード D15020135400
件名 東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正/明治文化研究会発行
   琉球大学附属図書館 矢内原忠雄文庫 植民地関係資料その他
   東京諸黌學費便覧 明治六年四月改正/明治文化研究会発行
【 画像数 】3
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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明治六年 三月十四日 第百三號 外國人民ト婚姻取結差許【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】

明治六年 三月十四日 第百三號 外國人民ト婚姻取結差許
【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】

【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】

明治六年 三月十四日 p64/295
第百三號 外國人民ト婚姻取結差許 百三頁
p64【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】
〔画像〕p64【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】

明治六年 太政官御布告 p181/295
◉第一號  一月四日

◉第百三号 三月十四日 p199/295
自今外國人民ト婚姻差許左ノ通條規相定候條此旨可相心得事
一 日本人外國人ト婚嫁セントスル者ハ日本政府ノ允許ヲ受クヘシ
一 外國人ニ嫁シタル日本ノ女ハ日本人タルノ分限ヲ失フヘシ
  若シ故有ツテ再ヒ日本人タルノ分限ニ復センヿヲ願フ者ハ
  免許ヲ得能フ可シ
一 日本人ニ嫁シタル外國ノ女ハ日本ノ國法ニ從ヒ
  日本人タルノ分限ヲ得ヘシ
一 外國人ニ嫁スル日本ノ女ハ其身ニ屬シタル者ト雖モ
  日本ノ不動産ヲ所有スルヿヲ許サス
  但シ日本ノ國法并日本政府ニ定タル規則ニ違背スルヿナクハ
  金銀動産ヲ持携スルハ妨ケナシトス
一 日本ノ女外國人ヲ婿養子ト爲ス者モ亦日本政府ノ允許ヲ受クヘシ
一 外國人日本人ノ婿養子トナリタル者ハ
  日本國法ニ從ヒ日本人タルノ分限ヲ得ヘシ
一 外國ニ於テ日本人外國人ト婚嫁セントスル者ハ
  其國或ハ其近國ニ在留ノ日本公使又ハ領事官ニ願出許可ヲ乞フヘシ
  公使及ヒ領事官ハ裁下ノ上本國政府ヘ届出ヘシ
p199【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】
〔画像〕p199【官令全書. 太政官御布告 慶応3年−明治6年】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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