略歴:小野文子

《小野文子》ノートルダム女学院副舎監:昭和49年(1974)頃

《小野文子》ノートルダム女学院副舎監:昭和49年(1974)頃

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昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監
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ノートルダム女学院 中学高等学校
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日
小野文子:略歴
大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿  55歳
昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監
葬儀は、シスター・メリーキャサリン
(ノートルダム女学院中高校長)の御配慮で、
ノートルダム修道院で行われた。
昭和51年(1976)5月16日歿
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月25日
舎監:小野文子・主事:小野又一
[二十年の歩み]ノートルダム女学院
[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員1覧 p273
「舎 監」       p281
小野文子
〒613
京都市伏見区深草正覚町9
TEL (075)541-4961
[20年のあゆみ]
昭和47年(1972)10月1日発行
発行者・発行所
    ノートルダム女学院
    京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
印刷所 関西印刷株式会社
    京都市下京区西七条東御前田町
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年04月28日
《手紙》小野文子(母)から小野雄二(弟):昭和50年1月29日
 ※小野文子
  大正10年(1921)6月5日生 昭和51年(1976)5月16日歿
愛知県常滑市三角新田一の一九
  伊奈製陶 第二若竹寮
 小野雄二様
  京都市伏見区深草正覚町九
    小野文子
 一月二十九日
※消印:昭和50年1月30日 8-12
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小野文子(旧姓 小川)大連光風台《小川清秀邸》昭和17年前後

小野文子(旧姓 小川)大連光風台《小川清秀邸》昭和17年前後

 母・大連-玄関
〔画像〕母・大連-玄関

 母・大連-ピアノ
〔画像〕母・大連-ピアノ

 母・大連-椅子
〔画像〕母・大連-椅子

 母・大連-庭
〔画像〕母・大連-庭
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日
小野文子:略歴
大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿  55歳
学歴
大連 常盤小学校   昭和2年(1927)~昭和8年(1933)
大連 弥生高等女学校 昭和8年(1933)~昭和13年(1938)
京都女子高等専門学校 昭和13年(1938)~昭和16年(1941)
家事科 第七回卒業(現 京都女子大学)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月17日
小川清久(叔父)から小野一雄へ
[大連:小川清秀邸の写真]平成4年6月
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月17日
小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:平成4年(1992)6月5日
一雄君
ごぶさたしましたが、元気な声を聴いて安心しました。
(平成4年)5月23日から5日間
大連へ行き念願の写真をとって来ました。
この家は満鉄本社の設計課長の設計になり、
昭和9年に父が建てたものです。
 家の裏門と勝手口は煉瓦でふさがれてしまってました。
 裏に続いて建てられていた貸家14軒
 (当時、満鉄や三井物産等の課長クラスが入っていましたが)
 はそのまま健在でしたが、
 いずれも一戸に二所帯が住んでいるようでした。
父は私が帰国する前の年に亡くなりましたが、
母は、「お父さんは死ぬ迄に何時も《無念だ》と云っていた」
と云っていましたが、
1915年(大正4年)中国税関に入り、
上海・営口・青島・海南島で勤務し、
昭和5年(1930年)大連税関に転勤、
翌年(昭和6年)が満州事変、
昭和7年に満州国が成立して、
大連税関が満州国に接収された時に、
退職した時の退職金等で建てた家と貸家だったのでした。
鎭魂!
 お元気でまた。
三上先生 御夫妻によろしく
     お伝えください
平成4年(1992)
清久 6月5日 (一週間程 留守にします)
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《手紙》小野文子(母)から小野雄二(弟):昭和50年1月29日

《手紙》小野文子(母)から小野雄二(弟):昭和50年1月29日
 ※小野文子
  大正10年(1921)6月5日生 昭和51年(1976)5月16日歿

愛知県常滑市三角新田一の一九
  伊奈製陶 第二若竹寮
 小野雄二様

  京都市伏見区深草正覚町九
    小野文子
 一月二十九日
※消印:昭和50年1月30日 8-12
 1-手紙:小野文子より雄二
〔画像〕1-手紙:小野文子より雄二

今晩の電話の声は 又 風邪を ひいているようでしたね
体を大事にしないと駄目ですよ
5階の上り下りは あわてずに 慎重にすること
尾鷲か明治村の マイクロバスから下りる時にも
オデコを うちましたね
致命傷にならぬよう くれぐれも 気をつけて下さいよ
京都薬大の女子寮の寮母の件 すみこみで 残念なり。
西村さんに 紹介状を貰って行った 京都女子学園 職員課に
薬大から依頼があったのを 担当者が覚えていて
N・Dに電話してくれたそうです(西村さんは 不在だった由》
ニイが小泉和裕君の新聞記事を教えてくれたので
高速有鉛と同封します
一郎君も 3月に結婚の予定  次は K か Y か?
弟が さきでも構いません
すばらしい女の子が いたら 遠慮なく どうぞ。
では おやすみなさい
誤字を 訂正して 下さい
    1月29日
      雄二ちゃんへ     ピー子より
お守り(オマモリ)にするお金は『絵銭(エセン)』といゝます
ベルトクイズQ&Qで聞きました。
 2-手紙:小野文子より雄二-40
〔画像〕2-手紙:小野文子より雄二
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mail 2020/04/23 09:44
昭和50年1月29日の手紙ですね。
この前年、オイルショックの影響だったと思いますが、
伊奈製陶でもレイオフがあり、
上司より「レイオフしてくれる?」と依頼があり、
長めの正月休みを取った記憶があります。
この手紙には二つの意味があったと思います。
①病状が進み不安になってきた
 ➡「誤字」という記載はその兆候?誤字を書く母親ではなかった。
  きちんとした字を書く人なのに、乱れが
②長い休暇で寮にいた僕に会いたくなってきた(?)
 ➡この手紙の前後(後かも?)、寮に再三電話があった。(出勤前とか・・。)
  3月か4月に休暇、5月に退職
※伊奈製陶:昭和49年4月入社、50年5月退社
「KかYに良い人ができたら・・・」
Kに見合い話があったこと聞いていますか?
僕が学生時代かな(?)
お母ちゃんより「ニイに見合い話があるんだけど、まだ早いよね」と一言。
僕はノーコメントだった。
可愛い子を手放したくはなかったように感じた。
この手紙を読んで、上記を感じました。
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日 08:06 ◆小野文子 略歴:小野文子
小野文子:略歴
大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿  55歳
昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監
葬儀は、シスター・メリーキャサリン
(ノートルダム女学院中高校長)の御配慮で、
ノートルダム修道院で行われた。
昭和51年(1976)5月16日歿

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月25日 14:57 ◆小野文子 略歴:小野文子
舎監:小野文子・主事:小野又一[二十年の歩み]ノートルダム女学院
[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員一覧 p273
「舎 監」       p281
鴛渕裕枝
小野文子
S・ナタリー
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※西村さん:西村四郎 実家は柊家
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月20日 08:26 ◆小野又一 ノートルダム女学院
[清流]第24号《小野先生を偲んで》『西村四郎』p5
氏と私の交友は、遠く第三高等学校時代から始まった。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月01日 14:09 ◆小野又一 第三高等学校
小野又一【第三高等学校】【京都帝国大学】
【第三高等学校一覧】昭和8年4月起昭和9年3月止
理科1年甲類1学級 37人
小野又一  第一神戸 高知
西村四郎  京都一  京都
【第三高等学校一覧】昭和11年4月起昭和12年3月止
昭和11年卒業生
理科甲類卒業生 102人
小野又一  京工 高知
西村四郎     京都
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度
工学部 機械工学科
昭和11年入学 37名
小野又一  高知
理学部 化学科
昭和12年入学
化学ヲ学修スルモノ
西村四郎  京都
【京都帝国大学一覧】昭和15年度
機械工学科
昭和14年3月学士試験合格
小野又一  高知
理学部 理学士 化学
昭和15年3月学士試験合格
西村四郎 京都

※N・D:ノートルダム女学院 中学高等学校

※小泉和裕
小野雄二(1949年9月10日生):小学校・中学校と同窓生
稲荷小学校:昭和37年(1962)3月卒業
 稲荷小学校卒業アルバム:表紙
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:表紙
 稲荷小学校卒業アルバム:写真
※前から二列目:左端 小泉和裕
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:写真
 稲荷小学校卒業アルバム:名簿
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:名簿

深草中学校:昭和40年(1965)3月卒業
 深草中学校卒業アルバム:校門
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:校門
 深草中学校卒業アルバム:写真
※前列:左から三人目 小泉和裕
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:写真
 深草中学校卒業アルバム:名簿
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:名簿
 深草中学校卒業アルバム:3年1組
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:3年1組

[小泉和裕]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉 和裕(こいずみ かずひろ、1949年10月16日 - )は、日本の指揮者。
人物・来歴
京都府京都市生まれ。
堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)卒業。
東京藝術大学指揮科で山田一雄に師事。

※一郎君:坂本一郎 坂本善春(伯父)の長男
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〔写真〕母(小野文子)の友人と子供達

〔写真〕母(小野文子)の友人と子供達

母の友人
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牛莊領事館 領事 清水八百一【職員録. 大正10年】

牛莊領事館 領事 清水八百一【職員録. 大正10年】

 

【職員録. 大正10年】
◎外務省    p102/813
■在牛莊領事館 p107/813
領 事   清水八百一
副領事   柴崎白尾
領事館補  上村伸一
      大熊正七郎
外務書記生 岡本久吉
      立石尚純
      石塚邦器
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986603/107
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[文子]長女
父 小川清秀
母   梅
出生 大正拾年六月五日
支那奉天省營口綏定門街第拾五號海関官舎ニ於テ出生
父小川清秀届出大正拾年六月拾壱日
牛莊駐在領事清水八百一 受附
仝年七月貮拾六日送付入籍
大正拾壱年拾弐月拾八日父清秀分家ニ付キ共ニ除籍
この謄本は、除籍の原本と相違ないことを認証する。
平成拾九年四月拾壱日
長崎市長 伊藤一長
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小野文子:略歴
大正10(1921) 65日生
昭和51(1976)516日歿  55
父  小川清秀(小川ジョセフ)小川常是夫
母  小川梅
大正10(1921)65日生
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2236663.html
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舎監:小野文子・主事:小野又一[二十年の歩み]ノートルダム女学院

舎監:小野文子・主事:小野又一[二十年の歩み]ノートルダム女学院

[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員1覧 p273
「舎 監」       p281
鴛渕裕枝

小野文子
〒613
京都市伏見区深草正覚町9
TEL (075)541-4961

S・ナタリー
〒606
京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
ノートルダム修道院
TEL (075)771-4436

「ノートルダム女学院20年史年表」 p301

昭和47年(1972) p312
1月31日 本校主事 小野又一氏 逝去
「あ と が き」 p313-314
深い山の岩間からかすかな音をたてて流れ出した
ノートルダム女学院の源流は20年の短い歳月のうちにも、
それなりに大小様々の岩にぶつかって、
その都度八方にしぶきをあげながら次第に床を削り、
巾を広げてやっとこの頃、
川の仲間に入れていただけるように
なったのではないかと思います。
編集を終えた今、そのような気が致します。

昨年の4月、校務分掌の一分枝として校史編纂部が発足し、
束田延夫先生を頭にシスター・ヴァージニアと私の3人が、
この任を仰せつかりましたが、
この種の仕事はどこの学校の場合でも同じでしょうが、
私共の場合も例に洩れず、仲々順調には進みませんでした。

まず束田先生が
ノートルダム法人事務局関係のお仕事が多忙となられ、
20年史編集にあまり加わっていただけなくなりました。

その後任として、
小野又一先生が8月1日より赴任されましたが、
何よりも誠実な御性格と
20年史編纂への御熱意とに喜んでおりました矢先、
47年1月8日に脳卒中でお倒れになり、
御家族、御親類、御友人、職場の全員の祈りも空しく、
1月31日未明御他界されました。

先生とのお別れの悲しみは一方ならぬものでしたが、
その中で第3篇思い出の流れ用に依頼しておりました
旧職員、卒業生、父母の会の役員方、
その他色々の御関係の方々から次々と記事も寄せられたことが、
大きな励みになりましたことを、
ここに感謝をこめて記させていただきます。

幸いその後西村四郎先生、岩城昌子先生、
吉田志希子樣、鴛渕裕枝樣が
お手伝いに来て下さったおかげで
どうにかここまでまいりました事を深く感謝しております。

その他この小史編纂のため陰に陽に御力添え下さった
数知れぬ方々にこの場を借りて心から御礼申し上げます。

最後になりましたが、この20年史編纂の方針としましては、
幸い御健在で御活躍して下さっています
創立者とその協力者たちの生の声を
できるだけ忠実に伝えようということと、
20年の間に分散してしまった資料を
一つにまとめようということでした。

前者のために校史としては
異例の座談会方式を取り入れましたし、
後者としては、不備ながら第2篇で
出来るだけの統計類を正直に収めました。

この20年史が
今後の本校の教育のために何らかの意味で役立てば
これに勝る喜びはないと思っております。
(浅井照子記)

[20年のあゆみ]
昭和47年(1972)10月1日発行
発行者・発行所
    ノートルダム女学院
    京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
印刷所 関西印刷株式会社
    京都市下京区西七条東御前田町

小野文子:略歴

小野文子:略歴

大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿  55歳

父  小川清秀(小川ジョセフ)小川常是夫
   明治25年(1892)11月16日生
   昭和27年(1952)2月2日歿  60歳

母  小川梅
   明治26年(1893)12月5日生
   昭和44年(1969)3月16日歿 76歳

夫  小野又一
   大正5年(1916)7月11日生
   昭和47年(1972)1月31日歿 56歳

長女 小野玲子
   昭和?年
   昭和21年(1946)6月2日歿  0歳?

長男 小野一雄
   昭和22年(1947)3月10日生

二男 小野雄二
   昭和24年(1949)9月30日生

本籍 長崎県長崎市酒屋町30番地
本籍 高知県宿毛市宿毛2600番地

大正10年(1921)6月5日生
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎

昭和5年(1930)~
大連市山縣通205番地 海関官舎

昭和9年(1934)~
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19

昭和18年(1943)3月6日 小野又一と婚姻
中国 四平街?

昭和21年(1946)秋頃 中国 コロ島より引揚げ
京都市北区出雲路俵町4

昭和23年(1948)頃~
京都市東山区清水5丁目

昭和32年(1957)4月より前~
京都市伏見区深草正覚町9番地

学歴
大連 常盤小学校   昭和2年(1927)~昭和8年(1933)
大連 弥生高等女学校 昭和8年(1933)~昭和13年(1938)
京都女子高等専門学校 昭和13年(1938)~昭和16年(1941)
家事科 第七回卒業(現 京都女子大学)

昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監

葬儀は、シスター・メリーキャサリン
(ノートルダム女学院中高校長)の御配慮で、
ノートルダム修道院で行われた。
昭和51年(1976)5月16日歿

[通夜の祈り]
聖 歌   典礼聖歌集 204(1・2)
神のことば ローマ人への手紙 14章 7~8節
黙 祷   (しばらく静かに祈りましょう)
詩篇唱和  教会の祈り P.1287 第3唱和
黙 祷
聖 歌   典礼聖歌集 198(3)
詩篇唱和  教会の祈り P.1291 詩篇86
黙 祷
聖 歌   典礼聖歌集 206(2・5)
共同祈願
聖 歌   典礼聖歌集 172(全部)

主よ、小野文子さまに
   永遠のやすらぎをお与え下さい。
[通夜の祈り]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

小野文子:ノートルダム女学院・副舎監

小野文子:ノートルダム女学院・副舎監

小野文子 大正10年(1921)6月5日 生
母    昭和51年(1976)5月16日 歿 55歳

昭和49年(1974)頃
1-小野文子:ノートルダム女学院・副舎監
2-小野文子:ノートルダム女学院・副舎監
右から
小野文子(母)
シスター・メリー・キャサリン
シスター・ナタリ
シスター・ジュディス
シスター・メリー・ドロレス
鴛渕??

シスター・メリー・ドロレス
(当時 ノートルダム修道院 院長)
石崎保子 2000年(平成12年)12月18日 帰天

シスター・メリーキャサリン
(当時 ノートルダム女学院中・高校長)
皆福芳江 2001年(平成13年)1月31日 帰天

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