大連税関

《小川清秀》上海税關(江海關)勤務【支那在留邦人人名録 11版】大正9年

【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
著者    島津長次郎 編
出版者   金風社
出版年月日 大正9
上海 海關帮辦
金子 四郎(東京府)東和洋行内   電話北 七六三番
猪熊 隆三(神奈川)赫司克路三七號
紅松 雄二(千葉縣)豐陽館内    電話北二三二〇番
赤谷 由助(千葉縣)赫德路二四號  電話西一五二三番
由布鎌太郎(福岡縣)卡德路四〇號  電話西一四九七番
西郡宗三郎(東京府)赫德路二三號
森本 實樹(岐阜縣)豐陽館内    電話北二三二〇番
山口  昇(千葉縣)新閘路三七號
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/291
  黄浦灘路
税關(江海關)勤務
外班
上村 重傳(高知縣)東有恒路三六號
和田忠二郎(兵庫縣)楊樹浦路一二號
白井 柳次(廣島縣)文路二九號   電話北 七六二番
印藤 義一(京都市)文路二九號
荒木宇三郎(長崎縣)文路二九號
西田 茂雄(長崎縣)崑山路二八號
小川 準太(長崎縣)文路二九號
小川 清秀(長崎縣)文路二九號
唐私 新吾(山口縣)文路二九號
p293-1【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-1【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-2【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-2【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/293
初  版 大正二年一月 十日印刷發行
 ~
第十一版 大正九年六月廿六日印刷發行
第十一版 定價 銀三弗 日本金 四圓二十錢
郵税 日本  五十五錢
   朝鮮   四十錢
   支那内地 三十錢
   香港   五十錢
發行兼 島津長次郎
編輯人 上海北四川路長安里二號
印刷所 蘆澤印刷所
    上海崑山路OA一號
發行所 金風社
    上海北四川路長安里二號
    振替口座 大阪四四六六五番
賣捌所 上海 靑島 各書店
賣捌所 香港 吉岡旅館
賣捌所 柳屋書店
    大阪市東區平野町三丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/401
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月20日04:11
[支那傭聘本邦人名表]大正1年(1912)~大正8年(1919)
[外報(7)]支那傭聘本邦人名表 大正7年12月末日現在
レファレンスコード C08021491500
【 画像数 】64
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩九十兩 p23/64

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年08月30日07:52
《小川清秀》[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:
佐世保重砲隊:中國海関…]
    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
[職 業]
明治四十四年(1911)三月 英米煙草會社ニ入社
大正元年(1912)十二月  佐世保重砲隊ニ入營
同 四年(1915)十二月  上海 中國海関ニ採用サレ
昭和七年(1932)八月迄  上海・營口・青島・海南島・
            大連・各税関ニ勤務ス
昭和七年(1932)八月   一等副監察長ニ任命
同   (1932)八月   大連税関接収後 残留
同 十二年(1937)七月  薦任官三等事務官 退職
同 十三年(1938)十月  於 大連 貸家業ヲ營ム
同二十二年(1947)二月  終戰ニヨリ大連ヨリ引揚
同二十二年(1947)四月  九州地區 軍政本部 管理人トシテ勤務
            現在ニ至ル
右之通相違無之候也
昭和二十二年(1947)十一月
            小川清秀
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《上海税関》税關長エチ、エフ、イリール氏 勤務する日本人十一名【上海視察報告】大正3年

《上海税関》税關長エチ、エフ、イリール氏
 勤務する日本人十一名【上海視察報告】大正3年
[支那傭聘本邦人名表]大正2年12月現在

【上海視察報告】大正3年(1914)
  税  關  p9/23
   附 生果輸入税
 支那舊來の税關を舊關又は常關と稱ひ
地方に在つては之を卡(ソウ)と言つて居る
革命以前の淸朝時代は税は關一種の受負營業に属して
地方地方を劃し其一ケ年の収入金額を定めて受合はしめ
若し其収入が其受負額に滿たざる時は
其受負者の損失に歸したものであつた、
古い事であるが劉坤一が税關長を代理する事
僅々六ケ月で十數萬両を益したと云ふ事である
今は税務局となつて居る
一八一二年淸朝が外國に通商港を開き
關税を設けしを以て舊來の税關に對し
之を新關と稱するに至つた、
上海の税關は長髪賊の變亂に際し
其制度大に亂れ四分五裂の有樣となりし故
一八五四年(安政元年)
英米佛三國領事支那官吏と相謀り
關制の統一を計る爲め
外人管理の下に置かしめた、
是れ上海税關外人管理の起源である
一八六一年(文久元年)
エチ、エス、シイ氏
上海税關長に任せられ後三年にして退職後
彼の支那の恩人ロバートハート氏
其職を繼いたのであつた、
現今の税關長エチ、エフ、イリール氏で
以下勤務する外人一五七人の多きに及んで
其内に日本人も十一名居る ※下記:10名
今の税關の位置は一八五〇年(嘉永3年)の始め
居留地内に移したるもので
東門外にありし舊關に對し江海北關と言ひ
舊關を江南關と稱して居る
大正三年八月二十三日印刷
大正三年八月二十五日發行
編輯兼發行者 岡山縣果物同業組合
印刷者    安井 宇吉
       岡山市大字船頭町八十二番地ノ一
發行所    岡山縣果物同業組合
印刷所    山陽活版所
       岡山市大字西中山下百五拾四番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大正三年七月印刷   p1/13
支那傭聘本邦人名表  外務省政務局
支那傭聘本邦人名表(大正二年十二月末日現在)p3/13
B02130228200-01
〔画像〕B02130228200-01

  江蘇省  p7/13
所在地  姓 名    俸  給      職   名
上 海 岸本 廣吉  海關兩二百五十兩 海關二等幇辦C
 〃  今井 達雄  同  二百兩   海關三等幇辦B
 〃  原  易德  同上       同上
 〃  榊  精三  同上       同上
 〃  宮村榮仁郎  海關兩百七十五兩 海關三等幇辦C
 〃  白石 幸雄  同  七十兩   海關三等監吏
 〃  平本 康平  同  五十兩   海關巡役
 〃  中島喜一郎  同上       同上
 〃  岩永 誠一  同上       同上
 〃  松尾甚右衛門 同上       同上
※上海税関勤務 10名
蘇 州 黑澤 禮吉  年俸海關兩九千六百兩 海關税務司
蘇 州 六郷 愼也  海關兩八十兩   海關三等監吏
南 京 吉澤 三郎  銀一百弗     民國法政大學敎習
B02130228200-07
〔画像〕B02130228200-07
件名標題(日本語) 支那傭聘本邦人名表 大正2年12月現在
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人名表 大正2年12月現在
レファレンスコード B02130228200
【 画像数 】13
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月20日
[支那傭聘本邦人名表]大正1年(1912)~大正8年(1919)
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[大連税關(埠頭ビル)][大連駐在領事館]【大連商工案内. 昭和9年度版】

[大連税關(埠頭ビル)][大連駐在領事館]【大連商工案内. 昭和9年度版】

【大連商工案内. 昭和9年度版】
[大連税關(埠頭ビル)] p252/264
税 關 長  福本順三郎
副税關長   中村  元
總務科長   前田 芳助
税務科長   岡田 文雄
鑑査科長   木林 正嘉
統計科長   平田 五郎
監視科長   矢田 劣一
郵包科長   六郷 愼也

[大連駐在領事館]    p252-253/264
英國領事館 (越後町一  電話七三四一)
   領事 アール・マツクピー・オースチン
米國領事館 (奥町十二  電話四〇一八)
   領事 ジョン・カーター・ビンセント
瑞典名譽領事、和蘭名譽領事、フインランド名譽領事
      (東公園町三 電話二二三五四)
      ダブリユー・エイチ・ウイニング
獨逸領事館 (柳町七五  電話八六三二)
   領事 イー・ビシヨツフ
佛國名譽領事館  (山縣通二一二 電話二一六四八)
   領事 エフ・ゼイ・ブリナー
ソヴエツト領事館 (山縣通二 電話六四三二)
   領事 イワン・ダニロヴヰツチ・ミハイロフ
白耳義名譽副領事 (千歳町三二 電話二二五七九)
      古澤 丈作
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[大連市街圖][老虎灘方面略圖]【大連商工案内. 昭和9年度版】
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[大連埠頭]歴代ノ所(埠頭)長【大連港要覧. 昭和10年10月編】

[大連埠頭]歴代ノ所(埠頭)長【大連港要覧. 昭和10年10月編】

【大連港要覧. 昭和10年10月編】
◎ 大連埠頭  p38/51
1. 沿 革
1 明治40年4月
  會社營業開始ト同時ニ當所營業開始
  當時ノ名稱 大連棧橋事務所
  ―略―

2 歷代ノ所(埠頭)長 p39/51
     氏 名    就   任       退   任
調査役 坂口 新圃  明治40年 4月 1日 明治40年 4月23日
理 事 田中淸次郎  明治40年 4月23日 明治40年12月15日
所 長 相生由太郎  明治40年12月15日 明治42年11月14日
 同  楢崎猪太郎  明治42年11月24日 大正 7年 8月26日
 同  村井啓次郎  大正 7年 8月26日 大正 9年 3月11日
 同  梅野  實  大正 9年 3月11日 大正11年 1月17日
 同  貝瀨 謹吾  大正11年 1月17日 大正12年 4月21日
 同  市川 數造  大正12年 4月21日 昭和 2年 4月 5日
 同  羽田 公司  昭和 2年 4月 5日 昭和 2年11月21日
埠頭長 秋山 卯八  昭和 2年11月21日 昭和 5年 6月14日
所 長 羽田 公司  昭和 5年 6月14日 昭和 6年 8月 1日
 同  吉冨 金一  昭和 6年 8月 1日 昭和 7年11月22日
所 長 關根四男吉  昭和 7年11月22日 昭和10年 4月10日
埠頭長 杉本 義藏  昭和10年 4月10日
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大連山縣通リノ支那税關・大連ノ遊郭逢坂町【大連名勝写真帖】大正13年

大連山縣通リノ支那税關・大連ノ遊郭逢坂町【大連名勝写真帖】大正13年

【大連名勝写真帖】
左:大連山縣通リノ支那税關
右:大連取引所信託株式會社
p12【大連名勝写真帖】大正13年
〔画像〕p12【大連名勝写真帖】大正13年

左:大連遊郭逢坂町仲ノ町
右:大連ノ遊郭逢坂町
p26【大連名勝写真帖】大正13年
〔画像〕p26【大連名勝写真帖】大正13年
大正十三年七月二十日印刷
大正十三年七月廿五日發行
著作兼 旅順市乃木町
發行者 大西 守一
印刷者 東京市麴町區有樂町三丁目五番地
    葛西虎次郎
印刷所 東京市麴町區有樂町三丁目一番地
    株式會社 靑雲堂印刷所
    電話 靑山 長 三六一一番
發行所 旅順市乃木町
    東京堂
    電話 一七五番
    振替口座 大連一六六七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小野文子:略歴
大正10年(1921)6月5日生
支那奉天省営口綏定門第15号 海関官舎
昭和5年(1930)~
大連市山縣通205番地 海関官舎
昭和9年(1934)~
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
昭和18年(1943)3月6日 小野又一と婚姻
中国 四平街?
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[支那の海関問題 (上・中・下) ]東京朝日新聞 1938.1.7-1938.1.9 (昭和13)

[支那の海関問題 (上・中・下) ]東京朝日新聞 1938.1.7-1938.1.9 (昭和13)

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 国際貿易(46-069)
東京朝日新聞 1938.1.7-1938.1.9 (昭和13)

経済学博士 木村増太郎
(上) 海関整備に伴い英国の地位確立 機会を捉え着々進出
 支那海関の沿革
 英国の独裁確立
(中) 重要な海関収入 支那側、自主権を回収
 英国側の譲歩
 海関収入の重要性
(下) 排日関税是正へ 我勢力の確立は当然
データ作成:2007.4 神戸大学附属図書館
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月21日 04:28 ◆小川清秀 大連税関
[中華民国傭聘外国人人名録(本邦人・欧米人)/海関]
昭和5年(1930)~昭和11年(1936)

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2019年08月25日 11:00 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[国籍調査のお願い]②
駐日英国大使館副領事、阿久津貴史様からの回答
Comment
小野雄二 2019年08月25日 12:03
これが「役所仕事」の典型?
英国人に関することなのに、動こうとすらしない。
日本の役所なら、
「ここの窓口ではわからないので、???でお聞きになれば・・・」
ではないでしょうか?
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[姓名 G.J.Nott.][支那傭聘外国人(本邦人ヲ除ク)人名録]大正10年(1921)

[姓名 G.J.Nott.]
[支那傭聘外国人(本邦人ヲ除ク)人名録]大正10年(1921)
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簿冊 支那傭聘外国人(本邦人ヲ除ク)人名録/1921年
外務省外交史料館 調書 通商局 通商局
【 所蔵館における請求番号 】通_257(所蔵館:外務省外交史料館)
レファレンスコード B10070527800

件名 支那傭聘外国人(本邦人ヲ除ク)人名録/1921年
外務省 外交史料館 調書 通商局 通商局
【 画像数 】43
大正10年2月 外務省通商局 外務省
レファレンスコード B10070527900
姓  名  G.J.Nott. p31/43
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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※上記と同一
【支那傭聘外国人人名表 : 本邦人ヲ除ク. 大正8年12月末現在】
      山東省    p29/44
姓  名  G.J.Nott.   p30/44
國  籍  英
俸  給
職  名  超等燈臺監督
司掌事項  燈臺勤務
本國官職
或ハ學位
契約年限  一八一七年六月 ※1817年?
備  考
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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上記[姓名 G.J.Nott.]と母方の曽祖父の関連は不詳。
英国総領事館御中[国籍調査のお願い]を依頼中。
2019年7月4日 7月22日
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月03日 17:17 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
生年月日 不明
歿年月日 明治34年(1901)4月27日
歿 場所 元山(現 北朝鮮)?
 ―略―
ジョージ・ノットの名前は、
(スペルはGeorge NottまたはKnottと思われます)
長崎英国領事館アーカイブの「死亡録」に見当たりませんので、
長崎近辺ではなくなっていないようです。
平成23年(2011)11月9日
ブライアン・バークガフニ教授が調べて下さった。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月16日 05:15 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[税関吏:ノツト]明治18年9月:元山居留地ニ悪疫避病院建設費用補助…
金弐拾六圓
  内
  金拾五圓 税関長    ライト     英人
  金 五圓 税関吏    ローセンハーム 米人
  金 弐圓 同      米田五郎
  金 弐圓 同      ノツト     英人 ※母方の曽祖父
  金 弐圓 同      マンヘーマ   独人
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[中華民国傭聘外国人人名録(本邦人・欧米人)/海関]昭和5年(1930)~昭和11年(1936)

[中華民国傭聘外国人人名録(本邦人・欧米人)/海関]昭和5年(1930)~昭和11年(1936)

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簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和5年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ六
外務省外交史料館調書亜細亜局亜細亜局
【 所蔵館における請求番号 】亜-58(所蔵館:外務省外交史料館)
1930年 亜細亜局
レファレンスコード B02130075400

件名標題(日本語) 第一、中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>亜細亜局>亜細亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和5年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ六
レファレンスコード B02130075900
【 画像数 】9
大連 小川清彦 ※小川清秀 海關兩二百七十五兩 p3/9

件名標題(日本語) 第二、中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>亜細亜局>亜細亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和5年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ六
レファレンスコード B02130076700
【 画像数 】26
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和6年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ七
外務省外交史料館調書亜細亜局亜細亜局
【 所蔵館における請求番号 】亜-59(所蔵館:外務省外交史料館)
1931年 亜細亜局
レファレンスコード B02130077300

件名標題(日本語) 第一、中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>亜細亜局>亜細亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和6年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ七
レファレンスコード B02130077800
【 画像数 】9
大連 小川清秀 海關兩二百七十五兩 p3/9

件名標題(日本語) 第二、中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>亜細亜局>亜細亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和6年12月末現在/
   亜細亜局調書 第三輯ノ七
レファレンスコード B02130078500
【 画像数 】28
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和8年12月末現在
外務省外交史料館調書東亜局
【 所蔵館における請求番号 】東亜-26(所蔵館:外務省外交史料館)
1933年 東亜局
レファレンスコード B02130140900

件名標題(日本語) 第一、中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和8年12月末現在
レファレンスコード B02130141300
【 画像数 】5

件名標題(日本語) 第二、中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和8年12月末現在
レファレンスコード B02130141900
【 画像数 】27
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簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和9年12月末現在
外務省外交史料館調書東亜局
【 所蔵館における請求番号 】東亜-38(所蔵館:外務省外交史料館)
1934年 東亜局
レファレンスコード B02130150600

件名標題(日本語) 第一、中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和9年12月末現在
レファレンスコード B02130151100
【 画像数 】5

件名標題(日本語) 第二、中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和9年12月末現在
レファレンスコード B02130151700
【 画像数 】28
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簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和10年12月末現在
外務省外交史料館調書東亜局
【 所蔵館における請求番号 】東亜-1(所蔵館:外務省外交史料館)
1935年 東亜局
レファレンスコード B02130111700

件名標題(日本語) 第一 中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和10年12月末現在
レファレンスコード B02130112200
【 画像数 】5

件名標題(日本語) 第二 中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和10年12月末現在
レファレンスコード B02130112600
【 画像数 】26
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簿冊 中華民国傭聘外国人人名録 昭和11年12月末現在
外務省外交史料館調書東亜局
【 所蔵館における請求番号 】東亜-27(所蔵館:外務省外交史料館)
1936年 東亜局
レファレンスコード B02130142500

件名標題(日本語) 第一、中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和11年12月末現在
レファレンスコード B02130143000
【 画像数 】5

件名標題(日本語) 第二、中華民国傭聘欧米人人名録/三、海関
階層 外務省外交史料館>調書>東亜局>
   中華民国傭聘外国人人名録 昭和11年12月末現在
レファレンスコード B02130143600
【 画像数 】25
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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[支那傭聘本邦人名表]大正1年(1912)~大正8年(1919)

[支那傭聘本邦人名表]大正1年(1912)~大正8年(1919)

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[支那傭聘本邦人名表 大正元年12月現在]
件名標題(日本語) 支那傭聘本邦人名表 大正元年12月現在
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人名表 大正元年12月現在
レファレンスコード B02130228000
【 画像数 】13
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[支那傭聘本邦人名表 大正2年12月現在]
件名標題(日本語) 支那傭聘本邦人名表 大正2年12月現在
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人名表 大正2年12月現在
レファレンスコード B02130228200
【 画像数 】13
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[支那傭聘本邦人人名表 大正3年12月現在]
件名標題(日本語) 支那傭聘本邦人人名表 大正3年12月現在
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正3年12月現在
レファレンスコード B02130228400
【 画像数 】19
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[簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正4年12月現在]
簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正4年12月現在
外務省外交史料館 調書 政務局 政務局
【 所蔵館における請求番号 】政-20(所蔵館:外務省外交史料館)
1916年 政務局
レファレンスコード B02130228500

件名標題(日本語) 江蘇省
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正4年12月現在
レファレンスコード B02130229100
【 画像数 】2

件名標題(日本語) 大連税関
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正4年12月現在
レファレンスコード B02130229800
【 画像数 】2

件名標題(日本語) 青島税関
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正4年12月現在
レファレンスコード B02130229900
【 画像数 】5
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[簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正5年12月現在]
簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正5年12月現在
外務省外交史料館 調書 政務局 政務局
【 所蔵館における請求番号 】政-21(所蔵館:外務省外交史料館)
1917年 政務局
レファレンスコード B02130230100

件名標題(日本語) 吉林省/江蘇省
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正5年12月現在
レファレンスコード B02130230600
【 画像数 】3
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩七十五兩 p2/3
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[簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正6年12月現在]
簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正6年12月現在
外務省外交史料館 調書 政務局 政務局
【 所蔵館における請求番号 】政-22(所蔵館:外務省外交史料館)
1918年 政務局
レファレンスコード B02130231500

件名標題(日本語) 江蘇省
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正6年12月現在
レファレンスコード B02130232100
【 画像数 】2
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩九十兩 p2/2
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[簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正7年12月現在]
簿冊 支那傭聘本邦人人名表 大正7年12月現在
外務省外交史料館 調書 政務局 政務局
【 所蔵館における請求番号 】政-23(所蔵館:外務省外交史料館)
1919年 政務局
レファレンスコード B02130233000

件名標題(日本語) 黒龍江省/江蘇省
階層 外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
   支那傭聘本邦人人名表 大正7年12月現在
レファレンスコード B02130233600
【 画像数 】3
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩九十兩 p2/3
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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[支那傭聘本邦人名表送付の件]大正5年12月末日現在
件名標題(日本語) 支那傭聘本邦人名表送付の件
階層 防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>密大日記>
   大正7年>密大日記 4冊の内 4 大正7年
レファレンスコード C03022450500
【 画像数 】61
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩七十五兩 p17/61
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[外報(7)]支那傭聘本邦人名表 大正7年12月末日現在
件名標題(日本語) 外報(7)
階層 防衛省防衛研究所>海軍省公文備考>⑩公文備考等>
   公文備考>大正>大正8年>
   大正8年 公文備考 巻124 雑件1 
レファレンスコード C08021491500
【 画像数 】64
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩九十兩 p23/64
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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[支那海關在勤日本人調査表] 《小川常是夫=小川清秀:上海》【最新支那官紳録】

[支那海關在勤日本人調査表]
《小川常是夫=小川清秀:上海》
【最新支那官紳録】大正7年


【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
[支那海關在勤日本人調査表]      p680/740
(大正五年十二月末 現在)
一、内班(In-door)(五十人)
職 名  姓 名   在勤地 就職年月
税務司 《黒澤禮吉》 蘇州  明治三十二年七月
税務司 《立花政樹》 青島  明治三十三年二月
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/680
二、外班(Out-door)(百四十五人)   p681/740
職 名    姓 名    在勤地 就職年月
三等鈴子手 《小川常是夫》 上海  大正五年十二月  p682/740
試用鈴子手 《兩角 祐》  上海  大正五年 七月  p682/740
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/682
大正七年八月十七日印刷
大正七年八月二十日發行
編纂 兼 發行者 支那研究會
         北京東城公平當胡同
         右 代表者
         田原禎次郎
印刷者      島 連太郎
         東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所      三秀舎
         東京市神田區美土代町二丁目一番地
發賣所      冨山房
         東京市神田區裏神保九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/719

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

≪氷の上ヲ走? ホヲカケタ アイスボート≫凍結した遼河
小川清秀 祖父
小川 梅 祖母
小川文子 母  大正10年(1921)6月5日生
撮影年月    大正末期
[赤い屋根の官舎]
わたしの大連・営口
凍結した遼河(昭和五年前後)
寒風を帆に孕んで走る氷上橇(営口)
SAILING-SLEDGES RUNNING ON FROZEN RIVER. YINGKOU.

冬になると遼河は全面凍結した。
ジャンクの代わりにソリが走った。
一度乗せてもらったがスピードがあって気持ちがよかった。 P13

父、佑(たすく)は・・・。
当時上海で一番収入が良いのは税関であることを知っていた父は、
一生懸命勉強して運良く税関に入ることができた。
そのころ、おかしなことだけれど、
中国の税関は英国が支配していたので英国人が多く、
ドイツ人、アメリカ人、日本人と世界各国から人が集まり、
仕事はすべて英語でやっていた。 P16

官舎も初めは二階建、二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
一年後にはすぐ隣の広い敷地に、
上海から職人を呼んで建てた純英国式、四階建四軒続きの家に移った。
小さいほうの家は後に大連に移ってからも
「何かお伽噺しに出てくるような家だったな―」と思い出していたから、
子供心にも安東の家とすっかり違った家で印象が強かったのではないだろうか。
最初の家の隣家には
三姉と同級の文子さんと、 ※小川文子小野文子
下に男の子が二人いて   ※小川清久 小川清澄
いつも庭で一緒に遊んだ。 P52

1990年12月12日 初版第一版発行
著 者 両角享子
発行者 羽生和男
発行所 宝文館出版株式会社
    東京都千代田区神田神保町三ノ一七
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2224074.html

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

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