小川梅子
≪氷の上ヲ走? ホヲカケタ アイスボート≫
小川清秀 祖父
小川 梅 祖母
小川文子 母 大正10年(1921)6月5日生
撮影年月 大正末期
凍結した遼河(昭和五年前後)
寒風を帆に孕んで走る氷上橇(営口)
SAILING-SLEDGES RUNNING ON FROZEN RIVER. YINGKOU.
父、佑(たすく)は・・・。
当時上海で一番収入が良いのは税関であることを知っていた父は、
一生懸命勉強して運良く税関に入ることができた。
そのころ、おかしなことだけれど、
中国の税関は英国が支配していたので英国人が多く、
ドイツ人、アメリカ人、日本人と世界各国から人が集まり、
仕事はすべて英語でやっていた。 P16
官舎も初めは二階建、二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
一年後にはすぐ隣の広い敷地に、
上海から職人を呼んで建てた純英国式、四階建四軒続きの家に移った。
小さいほうの家は後に大連に移ってからも
「何かお伽噺しに出てくるような家だったな―」と思い出していたから、
子供心にも安東の家とすっかり違った家で印象が強かったのではないだろうか。
最初の家の隣家には三姉と同級の文子さんと、
下に男の子が二人いていつも庭で一緒に遊んだ。 P52
1990年12月12日 初版第一版発行
著 者 両角享子
発行者 羽生和男
発行所 宝文館出版株式会社
東京都千代田区神田神保町三ノ一七
※ 官舎も初めは二階建、
二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで
赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
『支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎』
※ 最初の家の隣家には三姉と同級の文子さんと、
『小川(小野)文子』小野一雄・雄二の母
※ 下に男の子が二人いて
『小川清久・小川清澄』小野一雄・雄二の叔父
小川(小野)文子
《小川常是夫・清秀》《両角 佑》 p9/31 p26/31
[大正5年12月末日 現在]
『単行書・支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 階層 】国立公文書館>内閣>単行書>〔1673-1729〕>単行書
『支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 レファレンスコード 】 A04017265400 【 画像数 】 31
『支那傭聘本邦人人名表(大正5年12月末日現在)』p3/31
支那傭聘本邦人人名表 外務省政務局 大正6年6月印刷
江蘇省(35人)p8/31
両角 佑 所在地 上海 俸給 海関両75両 職名 海関試用鈐子手
司掌事項 巡視 契約期限 自大正5年7月 原籍 東京府p9/31
小川常是夫 所在地 上海 俸給 海関両75両 職名 海関三等鈐子手
司掌事項 巡視 契約期限 自大正5年12月 原籍 長崎県p9/31
附録 支那税関在勤本邦人調査表
(1916年6月1日支那海関職員録及在外公館報告ニ依ル)
(大正5年12月末現在) p21/31
外班(Out-door)(145人) p23/31
小川常是夫 職名 三等鈐子手 俸給 海関両80両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年12月 p26/31
両角 佑 職名 試用鈐子手 俸給 海関両80両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年7月 p26/31
『国立公文書館・アジア歴史センター』より
小川清秀 祖父
小川 梅 祖母
小川文子 母 大正10年(1921)6月5日生
撮影年月 大正末期
[赤い屋根の官舎]
わたしの大連・営口凍結した遼河(昭和五年前後)
寒風を帆に孕んで走る氷上橇(営口)
SAILING-SLEDGES RUNNING ON FROZEN RIVER. YINGKOU.
冬になると遼河は全面凍結した。ジャンクの代わりにソリが走った。
一度乗せてもらったがスピードがあって気持ちがよかった。 P13父、佑(たすく)は・・・。
当時上海で一番収入が良いのは税関であることを知っていた父は、
一生懸命勉強して運良く税関に入ることができた。
そのころ、おかしなことだけれど、
中国の税関は英国が支配していたので英国人が多く、
ドイツ人、アメリカ人、日本人と世界各国から人が集まり、
仕事はすべて英語でやっていた。 P16
官舎も初めは二階建、二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
一年後にはすぐ隣の広い敷地に、
上海から職人を呼んで建てた純英国式、四階建四軒続きの家に移った。
小さいほうの家は後に大連に移ってからも
「何かお伽噺しに出てくるような家だったな―」と思い出していたから、
子供心にも安東の家とすっかり違った家で印象が強かったのではないだろうか。
最初の家の隣家には三姉と同級の文子さんと、
下に男の子が二人いていつも庭で一緒に遊んだ。 P52
1990年12月12日 初版第一版発行
著 者 両角享子
発行者 羽生和男
発行所 宝文館出版株式会社
東京都千代田区神田神保町三ノ一七
※ 官舎も初めは二階建、
二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで
赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
『支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎』
※ 最初の家の隣家には三姉と同級の文子さんと、
『小川(小野)文子』小野一雄・雄二の母
※ 下に男の子が二人いて
『小川清久・小川清澄』小野一雄・雄二の叔父
小川(小野)文子
小川清久
小川清澄
小川清秀・梅・文子・ブルドッグ犬 親子
[大正5年12月末日 現在]
『単行書・支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 階層 】国立公文書館>内閣>単行書>〔1673-1729〕>単行書
『支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 レファレンスコード 】 A04017265400 【 画像数 】 31
『支那傭聘本邦人人名表(大正5年12月末日現在)』p3/31
支那傭聘本邦人人名表 外務省政務局 大正6年6月印刷
江蘇省(35人)p8/31
両角 佑 所在地 上海 俸給 海関両75両 職名 海関試用鈐子手
司掌事項 巡視 契約期限 自大正5年7月 原籍 東京府p9/31
小川常是夫 所在地 上海 俸給 海関両75両 職名 海関三等鈐子手
司掌事項 巡視 契約期限 自大正5年12月 原籍 長崎県p9/31
附録 支那税関在勤本邦人調査表
(1916年6月1日支那海関職員録及在外公館報告ニ依ル)
(大正5年12月末現在) p21/31
外班(Out-door)(145人) p23/31
小川常是夫 職名 三等鈐子手 俸給 海関両80両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年12月 p26/31
両角 佑 職名 試用鈐子手 俸給 海関両80両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年7月 p26/31
『国立公文書館・アジア歴史センター』より
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