◆別府又十郎家:築上郡三毛門村

《竹岡吉太郎》中津市長:松永安左衛門は氏の女婿【全国市長銘鑑:自治制実施五十周年記念】昭和13年

【全国市長銘鑑:自治制実施五十周年記念】昭和13年
著者    帝国自治協会 著
出版者   帝国自治協会
出版年月日 昭和13
《竹岡吉太郎》 大分縣 中津市長
 明治四年六月生
 (就任)昭和九年(在職)四箇年餘
 (本籍)大分縣
 (本業)廻漕業
 (住所)中津市一五四五 電話一四五番
(略歷)
明治十八年大阪專修學校卒業後
東京杉浦商店浦鹽支店に勤務。
露語を學び明治二十三年歸朝。
實業界に活躍し廻漕業を經營。
夙に中津町會議員。
中津市會議員。
中津市會議長に推され。
昭和九年中津市長に選任を受け就任
以來今日に至る。
財界に於て曩に耶馬溪鐵道株式會社取締役。
九州水力電氣株式會社中津營業所長。
中津販賣組合理事等に就任。
又 大分縣會議員たり。
電業界の名士
松永安左衛門は氏の女婿に當る。
 p77【全国市長銘鑑】昭和13年
〔画像〕p77【全国市長銘鑑】昭和13年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年10月07日03:40
扇城高校(現・東九州龍谷高校)第一回卒業写真:
後藤要子と電力王松永夫人
大分県中津市の地方史
大分県中津市の歴史風土、精神的風土の中、
先人達が守り受け継いできた文化を紹介します。
2012年11月03日 17時39分13秒
 扇城女学校第一回卒業写真
〔画像〕 扇城女学校第一回卒業写真
集合写真は第一回卒業写真と聞いています。
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mail 2015/06/12(金)17:23
小野様;別府祐弘様より
貴重な写真を有難うございました。
前列左から4人目が後藤要子伯母だと思います。
その隣が電力王 松永夫人だと思います。
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎
 嫡女:諡 釋尼妙弘]
長女  別府ヨウ(後藤ヨウ) ※後藤要子
    明治十九年四月五日生  (1886年4月5日)
    明治四拾参年六月貮拾五日(1910年6月25日)
    高知県幡多郡宿毛町宿毛土居下五拾六番屋敷
    後藤環爾ト婚姻
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九州電力 2015年3月3日
九州の偉人~松永安左エ門~その5
★福澤桃介との出会い★
(これまでの投稿はこちら)
大分県中津の竹岡一子と結婚します。
 松永安左衛門:夫婦写真
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《別府三穗三郎・伊藤 醇・森 豐吉》門司貯蓄銀行・東洋興業銀行【官報 1911年02月25日】明治44年

【官報 1911年02月25日】明治44年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治44年
株式會社 門司貯蓄銀行支店 登記事項變更
取締役  門司市本川町二丁目三千七十六番地
     別府三穗三郎
     下關市大字阿彌陀寺町第九十三番地屋敷
     伊藤 醇
     門司市田之浦三十五番地
     森 豐吉
     各新任
監査役  鍋島吾三郎
     津川幾藏
     各重任
右明治四十四年二月三日登記
赤間關區裁判所

【官報 1912年05月24日】明治45年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治45年
株式會社 東洋興業銀行 登記事項變更
取締役  別府三穗三郎
     伊藤 醇
     森 豐吉
監査役  津川幾藏
     鍋島伍三郎
     各辭任
熊毛郡三丘村大字安田六三七番地
有馬 眞
熊毛郡三丘村第四一五番屋敷
末兼 薫
都濃郡戸田村三九六六番地
松原精一
大島郡和田村九八五番地
末野包槌
各取締役ニ
熊毛郡三丘村第三七〇番屋敷
原田六藏
監査役ニ就任
築上郡東吉富村大字廣津二六四番地支店
下關市大字西ノ端町六三番地出張所
各癈止
主人 ジヤーデン、マセソン、エンド、
   コムパニー、リミツテツド
支配人ヲ置キタル場所
下關市大字唐戸町第二番
第二番ノ第一第二第三第二二
下關區裁判所
p17【官報 1912年05月24日】明治45年
〔画像〕p17【官報 1912年05月24日】明治45年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年06月20日 09:25
別府敏治・三穂三郎・醇
『門司貯蓄銀行』『東洋興業銀行』『晝夜商業銀行』
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《別府三穗三郎》門司田ノ浦船渠消息【海商通報 (1366)】明治40年(1907-09)

【海商通報 (1366)】明治40年(1907-09)
出版者   海商社
出版年月日 1907-09
 海商通報
明治三十二年六月 創刊
一週三回發行(火曜日木曜日土曜日)
第千三百六十六號
明治四十年九月二十一日 土曜日
發行兼印刷人 吉村壽太郎
編輯人    山口濤太郎
發行所    海商社
       東京芝區兼房町十一番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1893207/1/1

◎門司田ノ浦船渠消息
 千五百萬圓の資本金を以て成立したる
 門司市田ノ浦の船渠株式會社は
 其資本家たる佛人ロバートルーネン氏
 其他の來朝に際し
 急速に工事を起すの方針を立て
 日本人の大株主と會見を重ね
 現に同市の別府三穗三郎氏も東上中なるか
 右資本家の一行は目下大阪に滞在
 商工業の視察中なれは
 來る二十四五日頃門司に着し
 船渠用地の視察を爲すへしとの電報
 大久保なる新藤保太郎氏の許に到達せし由
 彼の資本家の伴れ來りし
 船渠技師スリンブツク
 建築技師セークスの兩氏は
 下關の山陽ホテルに投宿し
 毎日小蒸滊船を驅て田ノ浦に赴き
 海面の調査中なるか
 目下六ケ所にホーリンクを樹て
 風力の試驗中にあり
 又た量水表を作りて潮の干滿を測度し居れは
 本月末若くは來月初旬まてに
 海面の檢定を終る筈なり
 兎に角
 建築、船渠兩技師共
 其用材の出所地たる
 德山にも出張して
 石材の檢査を爲し
 其他起業に要する大略の準備整ひ居れは
 資本家の視察を濟ましたる上は
 直に工事に着手するまてに
 運ひ居れりと云ふ
p4【海商通報 (1366)】明治40年(1907-09)
〔画像〕p4【海商通報 (1366)】明治40年(1907-09)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1893207/1/4
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2012年06月26日 08:35
別府三穗三郎『門司船渠株式会社 監査役』
『門司興業株式会社 取締役』
【日本全国諸会社役員録】明治41年
[第16回]明治41年8月5日発行
『門司船渠株式会社』麹町區内幸町一丁目 p165/1053
設 立 明治四十年七月
資本金 七拾萬圓(拂込済)一株 五拾圓
取締役 ロバルト、ルウ子ン       麹町、上二番
取締役 イー、シー、デヴイス      横濱、山下
取締役 中山佐市            麻布、今井
取締役 ジェ、デー、キュルデ、コゴリン 横濱、山下
監査役 ジョルジ、バランク、ロジャー  麹町、五番
監査役 福島保三郎           神戸、播磨
監査役 別府三穗三郎          門司、本川二
支店  門司市大久保
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《別府三穗三郎》東京帝國大學大學院入學[商工組織及商事經理論] 【官報 1904年08月05日】明治37年

【官報 1904年08月05日】明治37年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治37年
◎大學院入學
 左記百二十八人ハ各頭書ノ事項攻究ノタメ
 東京帝國大學大學院ヘ入學ヲ出願セシニ依リ
 同大學ニ於テ之ヲ許可セリ(文部省)
商工組織及商事經理論
法學士 別府三穗三郎
p6【官報 1904年08月05日】明治37年
〔画像〕p6【官報 1904年08月05日】明治37年
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【東京帝国大学一覧 明治39-40年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 ◎學生生徒姓名(明治三十九年九月末現在)
  第一 大學院
     法科學生
商工組織及商事經理論
法學士 別府三穗三郎 福岡

【東京帝国大学一覧 明治40-41年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 ◎學生生徒姓名(明治四十年九月末現在)
  第一 大學院
     法科學生
商工組織及商事經理論
法學士 別府三穗三郎 福岡 平

【東京帝国大学一覧 明治41-42年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 ◎學生生徒姓名(明治四十一年九月末現在)
  第一 大學院
     法科學生
商工組織及商事經理論
法學士 別府三穗三郎 福岡 平

【東京帝国大学一覧 明治42-43年】
出版者   東京帝国大学
出版年月日 明19-45
 ◎學生生徒姓名(明治四十二年九月末現在)
  第一 大學院(明治四十二年十二月二十日現在)
     法科學生
法理學特ニ法律ト人文トノ關係
法學士 別府賢吉   福岡 平
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月20日 17:05
別府三穂三郎【東京帝国大学】
[別府三穂三郎]
東京帝国大学
政治学科
明治33年(1900)9月入学
明治37年(1904)7月卒業
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《現主人伊藤醇氏の先々々代杢之丞》フイツセル參府紀行【日本珈琲文献小成】昭和13年

【日本珈琲文献小成】昭和13年
著者    日本珈琲文化史編纂所 編
出版者   木村コーヒー店
出版年月日 昭13
[日本珈琲文獻小成]
 木村珈琲店研究部
 日本珈琲文化史編纂所編
 編者 奥山儀八郎
上野 帝国図書舘殿
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/2
木村コーヒー店 東京支店 寄贈本
目次  例言
昭和十三年四月八日
於 谷中螢澤
奥山儀八郎 識
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/3
フイツセル參府紀行
文政五年(西、一、八二二)
阿蘭陀甲比舟ブロムホフ江戶參禮、
フイツセルの參府紀行文に、
キヤピタン携行の食料品中に珈琲の記載あり。

甲比舟が携行く食料品は
葡萄酒及其他の飲料・牛酪・乾酪・燻肉・塩肉・
珈琲・砂糖・香料・燒菓子・甘菓子
其他日本にて得難き物なり。
とある。
而して下關の主人について次の記述を與へてある。

此の旅館主は
フアン・デン・ベルグ(Van Den Berg)と
いへる和蘭雅名を有し、
毫も蘭語を解せざれども好んで和蘭風俗を知得し、
種々の器物を買求めて之を一小室に蒐藏す。
其中には甚だ古く、
傳來の時代不明なるものもあつて、
奇異に分類せられる物もありたり。
されど初日の晝、
我等の食器戸棚が容易に到着せざりしかば、
彼は此等の器物を出して充分我等の用を足せり。

又晩に彼が頗る機嫌よき時は、
彼は和蘭衣服を着て現はれ、
其の樣子は彼の和蘭集品よりも更に奇怪なりき。
云々

編者先年長崎行の歸途、
右の宿舎卽ち下關アミダ寺町伊藤家を訪れた節、
現主人伊藤醇氏の先々々代杢之丞の
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/15
遺物の珈琲茶碗を一見した。
白ヤキ金スヂ入にして圖の如し、
其他、西洋食器類も若干ありたり。
而して、丁度其時は舊盆にあたりたれば、
故人の愛用せる件の珈琲茶碗を水入れとして
佛檀に供へありしなり。
主人の云ふに、
この茶碗はカピタン、ドーフか
又はプロムホフから貰ひたるものなりと。
前記、フイツセルの文と對比するならば、
プロムヒルが食器を借りた禮に茶碗を與へしものか。
 [伊藤家 白燒金スヂ入茶碗]
 p16【日本珈琲文献小成】昭和13年
〔画像〕p16【日本珈琲文献小成】昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/16
木村コーヒー店
本店 横濱市中區吉田町五八
    電話 長者町(3)二〇一二番
            五七六四番
支店 東京市芝區田村町四ノ一六
    電話 芝(43)〇九一九番
          二九四六番
   大阪市北區兎我野町三三
    電話 北 五七二九番
   京都市下京區東洞院七條下ル
    電話 下 一九五四番
   名古屋市西區御幸本町二ノ一
    電話 本局一三五四番
   福岡市上市小路町五
    電話   五三五四番
   京城市明治町二ノ二五
    電話 本局三七四六番
   大連市山縣通三八
    電話   三八七九番
   奉天府浪速通五
    電話 奉天二六二三番
   新京祝町三ノ七
    電話   四三七八番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/27
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《伊藤醇:別府醇》火山樓隨筆(十七)橫山健堂【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)

【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
出版者   東京名墓顕彰会
出版年月日 1940-07


  火山樓隨筆(十七) 橫山健堂 p10-14/17
 八七 空月庵、伊藤杢之允、山口行齋
先年、故呉秀三博士がシイボルト研究に沒頭された頃、
私が下關、阿彌陀寺町の伊藤醇氏と懇意の關係であることを、
誰からか聞いて來られて、紹介を依頼されたことがあつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/10
 伊藤杢之允肖像 健堂生冩
 p13【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
〔画像〕p13【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/13
定価 一  部 金三十五錢
   半ケ年分 金  二圓
   一ケ年分 金  四圓
   郵税三錢
昭和十五年七月十二日印刷納本
昭和十五年七月十五日發行
編輯兼 藤浪 剛一
發行人 東京市麴町區内幸町二丁目五番地
印刷所 成文堂印刷所
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
印刷人 植田 庄助
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
發行所 成文堂
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/16
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《別府賢吉》弁護士 旭川信用組合(四代目組合長)【北海道経済の百年】昭和42年(1967)

《別府賢吉》弁護士 旭川信用組合(四代目組合長)
【北海道経済の百年】昭和42年(1967)

【北海道経済の百年】昭和42年(1967)
 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
(北海タイムス社, 1967)  

【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p1
〔画像〕【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p1
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442852/1

  大正前期には五金庫の前身  p76/148
本道には市街地が指定されるまでの大正前期に、
産組法の従来の規定による
単営の信用組合が引き続き新設されており、
その中には、
現在の信金の前身となる五つの組合が含まれていた。
旭川(大正三・四)、古平(大正四・十)、根室(大正五・五)、
帯広(大正五・五)、室蘭(大正六・九)の各信用組合である。
(括弧内は設立年・月)

旭川は曲木工芸会社の秋本一也が初代組合長。
当時旭川は、大正二年の大凶作で、
農民はもとより
“中小企業の困苦、言語に絶す”る不況下にあった。
大正七年、本道市街地信用組合の第一号となるが、
秋本の事業の失敗もあって、
大正十二年には破産状態となる。
これを更生させたのは
弁護士 別府賢吉(四代目組合長)であった。

古平(組合長 梅野梅蔵)は
"大正四年秋なかば上る朝日の空高く"の歌声で
「御大典記念有限責任古平信用組合」
という長い名前がついて生まれた。
漁業、加工業者中心でつくった信用組合だ。

根室も同じだが、ここは昭和八年まで、
購・販事業を兼営し続ける。

帯広は高倉治助、
室蘭は小林孝一郎、
いずれも地元の有力資産家が組合長である。
【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p76
〔画像〕【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p76
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442852/76

北海道経済の百年
昭和四十二年十月十五日発行
編集人 平塚 正雄
発行人 高柳 幸雄
製 作 中央公論事業出版
発行所 株式会社 北海タイムス社
    札幌市大通西四丁目
    電話札幌(23)〇一三一(代表)
    定価五〇〇円
【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p131
〔画像〕【北海道経済の百年】昭和42年(1967)p131
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442852/131
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[別府一之助 直次郎遺書讓帳]一之助長洲行之節持参品付

[別府一之助 直次郎遺書讓帳]一之助長洲行之節持参品付

  嘉永六年
別府一之助直次郎遺書讓帳
  癸丑六月 一之助長洲行之節持参品付
  ※別府一之助=別府又十郎
  ※  直次郎=梅高秀山
  ※嘉永六年癸丑六月=1853年7月
別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-1
〔画像〕別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-1
別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-2
〔画像〕別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-2

別府一之助(別府又十郎)
萬延元庚申四月十日 ※1860年5月30日
長洲大庄屋@養子@
@@@@@
一九郎夫婦 友枝角之助@@@@@@
申四月十日     ※1860年5月30日
一 長持壱棹  @@@@@
一 大棚笥   一棹@@@@@
一 小箪笥   一棹@@@@@
一 @@    一揃

一 刀箪笥   一棹
   但大小壱@ @@@@@@
    大小壱@ @@@@@
    大小壱@ @@@@
    @@@@ @之助 西蓮@@@
    @@@@
一之助長洲行之節持参品付-p1-1
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p1-1

文久元 一九郎京師@@@@@ ※別府義方(又十郎の父)
※文久元年=1861年3月
一 馬鞍一切    代金@拾両
一 二人弁當 一揃 萬延元申@@@

文久元酉六月@@ ※1861年7月
一 蕪村書画巻物  一軸
一 三浦安貞 書  一幅
一之助長洲行之節持参品付-p1-2
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p1-2

一 蘆雪 大摺画  一幅
一 廣瀨旭窓之書  金@紙 六枚
一 柳弁當 古城之品  一@@@
一 同   友屋之品  一@@@@@
一 榮澄@吸物@@   五
一 三@@重箱     一@@合十式
一之助長洲行之節持参品付-p2
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p2
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2012年09月01日
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.009
081『男』34-1(28-2-2)  ※ 別府又十郎  p44
義方 後妻 出
名 一之助
弘化丁未十二月十九日生  (弘化4年丁未:1848年1月24日)
082『男』35-1(28-2-2)  ※ 梅高秀山
同(義方 後妻 出) 二男
名 直次郎
嘉永三庚戌三月九日生  (1850年4月20日)
安政三辰十二月  (安政3年丙辰:1856年12月27日)
善正寺 養子
式部卿 ト 称
法名 秀山
087『女』28-4-4(28-2-2)
於琴
文久三癸亥七月十五日 明 六ツ時 誕生 (1863年8月28日)

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2012年09月03日
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
[別府一九郎]「名は義方、字は直夫、毳門と号した。」
『広報 豊教だより』豊前市教育委員会 平成17年発行
2009.04.30PM2:41 梅高賢正mail

[別府一九郎]
066『義方』28-1
『義方』 三毛門兵蔵 義彬 嫡男
     享和三癸亥三月朔日生       (1803年4月22日)
     文政七甲申 二十二歳 八月二十二日(1824年9月14日)
     受 父之譲 為 大庄屋
     文政八乙酉 二十三歳       (1825年2月18日)
     豊後 列 田染 大庄屋 田染所助 女 セイ ヲ 迎 妻トス
     弘化丙午三月八日卒        (1846年4月3日)
     歳四十
     
     後妻 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     義方 安政二乙卯 正月十五日   (1855年3月3日)
     退役 在役 三拾二年

068『後婦』28-2-2
『後妻』 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     弘化三年丙午 (1846年10月12日)
     嫁 歳二十六
     生 九子
     諡 釋尼妙弘

081『男』34-1(28-2-2)
『長男』 別府又十郎
     名 一之助
     弘化四丁未十二月十九日生(1848年1月24日)

082『男』35-1(28-2-2) 
『二男』 梅高秀山
     名 直次郎
     嘉永三庚戌三月九日生  (1850年4月20日)
     安政三丙辰十二月    (1856年12月27日)
     善正寺 養子 式部卿 ト 称
     法名 秀山

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年08月30日
《別府家系図:原本:No.009》p37 p38 p44-47/47(完)
No.009 男 名 一之助=別府又十郎
No.009 男 名 直次郎=法名 秀山

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月19日
別府又十郎【豊前二市四郡人名辞書】明治43年12月25日発行
[別府又十郎]
生 弘化4年12月19日(1848年1月24日)
歿 昭和3年2月1日(1928年2月1日)
妻 セツ(父 大久保麑山・大久保逕三の長女)
生 嘉永6年6月28日(1853年8月2日)
歿 大正6年3月29日(1917年3月29日)
[梅高秀山]
[扇城女學校]
<東九州龍谷高等学校>
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《賀來素吉君》母 宇佐郡佐田村 賀來家 カヂ子【下毛郡史】大正1年

《賀來素吉君》母 宇佐郡佐田村 賀來家 カヂ子
【下毛郡史】大正1年

【下毛郡史】大正1年
  六、癈藩置縣   p107/372
明治八年小倉縣の第七大區となり
仝郡を七小區に分ち、
各正副戸長數人を置きて之を管轄す、
今其區域を示せば左の如し
 ―略―
第三小區 加來村
  一四、大幡村の自治  p147/372
明治廿二年村會議員十二名の選擧を行ふ
 賀來 長造
明治廿三年一月議員定數を十四名にし增員二名の新選
及補缺選擧を爲す
 賀來 判造
明治廿五年四月議員八名の改選を爲す
 賀來 淸吉
 賀來 判造
明治三十四年四月
 賀來 健治
 賀來 淸吉
明治三十七年四月
 賀來 駿一
  第九編 郡制の施行  p213/372
   第一次 臨時會
明治廿四年
賀來素吉
大幡 賀來素吉
  《賀來素吉君》   p221/372
▲醫を業とす
君の祖父を賀來途德と稱し二子あり
長 途弘 家を繼ぎ、
次 訥  醫を學びて
天保三年別家して亮采と號し醫業を始む、
次で宇佐郡佐田村 賀來家より夫人カヂ子を迎へ
嘉永六年五月廿五日 一子を擧ぐ、
※1853年7月1日
之即ち君なり
君始め兄弟七人あり
長兄不幸にして夭折し
次男 判造途信 入りて宗家を襲ぎ、
※大幡村 賀來家

   blog[小野一雄のルーツ]改訂版
   2012年09月04日
   別府萬壽人(別府敏治の二男)《別府家系図》別府祐弘様 所蔵
   別府萬壽人  明治43年(1910)3月9日生
   父 別府敏治 明治10年3月3日生
   母 別府タク 明治15年10月22日生
          明治33年12月6日
          大分県下毛郡大幡村大字賀来81番地
          賀来判造 三女 婚姻
   [賀来判造の三女:別府タク]
   [賀来判造の長男:賀来駿一]

三男 糺 兄の後を襲いで醫を修めしが
廿五歳を以て不歸の客となりしかば
君は四男を以て家を嗣げり、
君 幼時 蒲柳の質にして
三歳父を失ひ母の鞠育により人となれり
▲君の修養
 ―略―
▲夫人を迎ふ
明治五年夫人トナ子を宇佐郡長州町南家より迎えへ
琴瑟能く和して母を扶け以て家事の經營に任じ、
内は産を治めて益々家運を盛ならしめ、
外は社會に活動して地方の文化に貢獻せり
▲縣會議員となる
 ―略―
▲産業の振興を獎勵す
 ―略―
▲北堂の賛助
君が以上の事業に奔走するに就て逸すべからざるは
北堂揖子刀自の夫人トナ子と共に内に之を佐けし事之なり、
※揖子:楫子の誤植?
刀自は婦人として才學一郷に冠たり、
 ―略―
▲郡會議員時代
 ―略―
▲米穀改良組合長となる
 ―略―
▲其他の公職
 ―略―
▲君の終焉
 ―略―
▲君の趣味
 ―略―
▲君の人物
 ―略―
▲君の逸事
君始め際造と呼びしが十八歳の時
病に臥し殆んど死し又蘇る、
依つて蘇吉と改めしが後
同音の故にて素吉と稱するに至れりとぞ、
 ―略―
▲君の家庭
君の夫人トナ子又頗る母堂の風あり
夙に寡婦となりて固く貞節を守り、
能く故人に仕ふ、
二子あり、
長を道子と云ひ、
次を維一郎と呼びしが不幸
維一郎君早世せしかば
揖子刀自の生家より團二君を迎へて
※揖子:楫子の誤植?
長女に配し其祀を繼げり、
蓋し團二君は
揖子刀自の兄 惟熊氏の孫に當ると云ふ
※揖子:楫子の誤植?
曩に中央大學法科を卒業し大に社會に活躍せんとす、
君亦後ありと云ふべし
大正元年十二月十五日印刷 下毛郡史奥付
大正元年十二月二十日發行 定價金拾圓
著者兼 山本 利夫
發行者 大分縣下毛郡上津村大字折元五百五拾七番地
印刷者 水谷 景長
    東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所 博文館印刷所
    東京市小石川區久堅町一〇八番地
發行所 私立三余女學校
    大分縣下毛郡上津村大字折元五百五拾七番地
發賣元 東京堂
    東京市神田區表神保町三番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤 醇:別府 醇》志道精(井上)・伊藤醇誌【頼山陽の人と思想】昭和18年

《伊藤 醇:別府 醇》志道精(井上)・伊藤醇誌
【頼山陽の人と思想】昭和18年

【頼山陽の人と思想】昭和18年
又、その門下より出でたる伊藤博文・井上馨は、
文久三年四月十三日、 ※1863年5月30日
外航の發船に際して
「政記」の寫本三冊を携へ、
連名の跋(伊藤公手書)を、
「政記」若干巻は、藝國賴子成の著はす所なり。
書中、吾が朝、政治の係(か)かるところを概擧して、
之れを論定し、又以て古今成敗の跡を審らかにするに足れり。
然り而して今將に之れを海外に携へんとす。
此の行に於て、素と要なきの書たりと雖も、
又將に歸來の日に望むものあらんとするなり。
文久三、癸亥の年、四月十有三日。
志道精(井上)・伊藤醇誌。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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