別府又十郎
[木杯等下賜]〔上毛郡三毛門村:別府又十郎・尾家定藏〕【官報】明治24年
【官報. 1891年07月20日】明治24年
官報 第二四一六號 明治二十四年七月二十日
[褒 賞] p2/7
◎木杯等下賜
福岡縣ニ於テ本年四、五兩月中
木杯等下賜セシ者左ノ如シ
〔上毛郡三毛門村〕
別府又十郎・尾家定藏・
〔千束村〕
津野田彌平治・渡邊榮次郎・渡邊一夢・
筧 彦九郎・橋田直且・久永鐡次郎・
森友榮司・小林永三郎・久永半九郎・
小川丈平・有永幾平・安江 泰・
佐々木茂久藏・宮原菊次郎・井上 護・
緒方東馬・原口眞吾・下村ゆき・
古家丹藏・原田新七・益田紋五郎・
(中小學校維持費及新築費寄付)
各 木杯一箇下賜 又 金圓ヲ與ヘシ者十一人、
褒狀ヲ與ヘシ者九百九十八人、褒詞セシ者千七百八人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945678/2
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
別府又十郎 生 弘化 4年12月19日(1848年1月24日)
歿 昭和 3年 2月 1日(1928年2月1日)
妻 セツ 生 嘉永 6年 6月28日(1853年8月2日)
歿 大正 6年 3月29日(1917年3月29日)
セツ:大久保麑山の長女
長男 別府十九郎 生 明治 6年 5月 2日(1873年5月2日)
歿 明治24年 6月 7日(1891年6月7日)
二男 別府敏治 生 明治10年 3月 3日(1877年3月3日)
※歿 昭和15年11月 7日(1940年11月7日)
三男 別府三穗三郎 生 明治11年10月15日(1878年10月15日)
歿 昭和10年 2月 (1935年2月)
※歿 昭和10年 3月12日(1935年3月12日)
四男 別府醇(伊藤) 生 明治13年12月19日(1880年12月19日)
歿 昭和45年 4月 4日(1970年4月4日)
五男 別府賢吉 生 明治16年10月 1日(1883年10月1日)
※歿 昭和 9年 4月 9日(1934年4月9日)
長女 別府ヨウ(後藤)生 明治19年 4月 5日(1886年4月5日)
※歿 昭和46年 1月 8日(1971年1月8日)
二女 別府レン(梅高)生 明治21年 6月 1日(1888年6月1日)
※歿 昭和53年10月 2日(1978年10月2日)
三女 別府キツ(原) 生 明治23年 3月14日(1890年3月14日)
歿
四女 別府ウラ(渡邊)生 明治24年 6月 6日(1891年6月6日)
※歿 昭和30年 6月13日(1955年6月13日)
六男 別府祐六 生 明治28年 7月25日(1895年7月25日)
歿 昭和55年 7月15日(1980年7月15日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
追記 平成27年8月14日別府祐六 先妻 錦(没)
長女 足利明子
二女 粟野智子(没)
三女 森田昌子(没)
長男 別府博之(没)
後妻 ヨシ子 (没)
長男 別府祐弘 妻 迪子
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※別府祐弘様より送付頂いた、「善正寺」の過去帳より転記。
平成26年5月24日着
平成26年6月 1日 掲載:小野一雄
<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659777.html
[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]①/④
大隈重信侯が、
大久保麑山の長女・別府セツ・又十郎宅に逗留されたとも
言い伝えられているが、
10人の子全員が既にこの世の人でなくなった今、
確かめる術もない。
拙稿「成蹊と私」も参照されたい。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2128135.html
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291497.html
[別府又十郎] 生 弘化 4年12月19日(1848年1月24日)
歿 昭和 3年 2月 1日(1928年2月1日)
妻 セツ 生 嘉永 6年 6月28日(1853年8月2日)
歿 大正 6年 3月29日(1917年3月29日)
セツ:大久保麑山の長女
長男 別府十九郎 生 明治 6年 5月 2日(1873年5月2日)
歿 明治24年 6月 7日(1891年6月7日)
二男 別府敏治 生 明治10年 3月 3日(1877年3月3日)
歿
三男 別府三穗三郎 生 明治11年10月15日(1878年10月15日)
歿 昭和10年 2月 (1935年2月)
四男 別府醇(伊藤) 生 明治13年12月19日(1880年12月19日)
歿 昭和45年 4月 4日(1970年4月4日)
五男 別府賢吉 生 明治16年10月 1日(1883年10月1日)
歿
長女 別府ヨウ(後藤)生 明治19年 4月 5日(1886年4月5日)
歿
二女 別府レン(梅高)生 明治21年 6月 1日(1888年6月1日)
歿
三女 別府キツ(原) 生 明治23年 3月14日(1890年3月14日)
歿
四女 別府ウラ(渡邊)生 明治24年 6月 6日(1891年6月6日)
歿
六男 別府祐六 生 明治28年 7月25日(1895年7月25日)
歿 昭和55年 7月15日(1980年7月15日)
『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377320.html
[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]①/④
大隈重信侯が、
大久保麑山の長女・別府セツ・又十郎宅に逗留されたとも
言い伝えられているが、
10人の子全員が既にこの世の人でなくなった今、
確かめる術もない。
拙稿「成蹊と私」も参照されたい。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2128135.html
【本派本願寺学校一覧】昭和8年
【本派本願寺学校一覧】昭和8年
[扇城高等女學校](昭和七年度調) p47-48/86
一 所在地 大分縣中津市
二 經營主體 財團法人 扇城高等女學校
三 設立年月 明治三十二年六月
四 土地並建物
イ 總坪數 三、七九五坪
ロ 運動場坪數 一、一七一坪
ハ 校舎
―略―
ニ 寄宿舎
―略―
五 教職員數
イ 校長名 梅高普行
ロ 教諭 一五名(有資格 一〇 無資格 五)
ハ 職員 一一名(校醫 二 看護婦兼事務員 一)
(保姆 一 保姆見習 七)
二 囑託 二名
ホ 給仕使丁其他 一名
六 學級組織
イ 學年別・學級數
高等女學校 一年一、二年一、三年一、四年二
(高等家政女學校) 一年一、二年一、専攻科二
ロ 生徒數 四一六名
學年別
高等女學校 一年 四八名 二年 五九名
三年 八九名 四年 一一九名
(高等家政女學校) 一年 一〇名 二年 二五名
専攻科 六六名
本派寺院出身者數 一〇名
他宗派寺院出身者數 二名
本派門信徒 二七二名
他宗派門信徒 一三二名
七 昭和七年度入學志願者数 高女 五三名 (家政女) 一三名
八 同年度入學許可數 高女 四八名 (家政女) 一〇名
九 同年度入學者平均年齢 高女 十二年六ケ月
(家政女) 十四年四ケ月
一〇 卒業生總數 二、九九三名
一一 經營狀況
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/47
一二 沿革 p48/86
明治三十二年六月 中津佛教各宗協同ノ手ニ依リ
前校長 梅高秀山 其中堅トナリテ
本校ヲ創立ス
明治三十三年四月八日 中津町三ノ丁ニ校舎ヲ設置シ
釋尊降誕ノ佳辰ニ開校ス
明治四十年七月 前校長 梅高秀山 病歿
梅高普行 代リテ就任
―略―
一三 教育要項
本校ハ教育勅語及ビ佛教精神ニ基ク
圓滿ナル人格ヲ與ヘ
家族トシテハ宗教的信念篤キ良妻賢母トナリ、
國民トシテハ克ク忠君愛國ノ精神ヲ辨ヘ、
人類トシテハ博愛慈善ノ念ニ富ミテ
共存共榮ノ道ニ勵ム
温良貞淑ナル婦人ヲ養成スルニアリ
ソノ教授方針トシテハ、
各教科相互及ビ小學科教科トノ連絡ヲ保チ、
其ノ教授ハ徒ラニ注入スルノ弊ニ陥ル事ナク
生徒ヲシテ自學工風スルノ習慣ヲ養ヒ
知識技能ノ収得ハ
確實不偏系統的タラシメ
特ニ應用方面ニ留意シ
何レノ學科タルヲ問ハズ
本校教育ノ方針ヲ常ニ念頭ヲ置キ
之ニ添フベク教授スルニアリ
一四 年中行事
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/48
昭和八年三月二十五日印刷
昭和八年四月二十一日發行
〔非賣品〕
編纂兼發行者 山崎精華
京都市堀川通 本願寺教育部
印刷者 内外出版印刷株式會社
代表者 須磨勘兵衛
京都市西洞院七條南
發行者 本派本願寺教育部
京都市堀川通
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/84
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
【豊前二市四郡人名辞書】
明治43年12月25日発行
實弟故梅高秀山師、外二三特志家と
中津町に佛敎主義の扇城女學校を設立し、
女子敎育の鼓吹に力むる等、
時代の趨勢に伴ふ社会事業に力を臻し、
地方先覺者を以て許さる。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2248470.html
《別府又十郎》
[新豊前人物評傳]
昭和49年7月20日発行
中津市に仏教主義の扇城女学校
(いまの中津短期大学の前身)の創立、
三毛門村名誉村長就任など
枚挙にいとまないほどであった。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2257832.html
《筧 喜十郎》
【築上郡人名辞書. 巻ノ1】
昭和12年7月31日発行
今日中津扇城高等女学校は
私立学校として隆々たる発展を来して居るが、
実は其の頃三毛門村の高僧
善正寺住職梅高秀山師及び
前県会議員
三毛門村別府又十郎氏と諮り設立したのが
今日のそれであって、
先見の明に富めることは推して知らるべきである。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2257798.html
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