別府又十郎

《竹岡吉太郎》中津市長:松永安左衛門は氏の女婿【全国市長銘鑑:自治制実施五十周年記念】昭和13年

【全国市長銘鑑:自治制実施五十周年記念】昭和13年
著者    帝国自治協会 著
出版者   帝国自治協会
出版年月日 昭和13
《竹岡吉太郎》 大分縣 中津市長
 明治四年六月生
 (就任)昭和九年(在職)四箇年餘
 (本籍)大分縣
 (本業)廻漕業
 (住所)中津市一五四五 電話一四五番
(略歷)
明治十八年大阪專修學校卒業後
東京杉浦商店浦鹽支店に勤務。
露語を學び明治二十三年歸朝。
實業界に活躍し廻漕業を經營。
夙に中津町會議員。
中津市會議員。
中津市會議長に推され。
昭和九年中津市長に選任を受け就任
以來今日に至る。
財界に於て曩に耶馬溪鐵道株式會社取締役。
九州水力電氣株式會社中津營業所長。
中津販賣組合理事等に就任。
又 大分縣會議員たり。
電業界の名士
松永安左衛門は氏の女婿に當る。
 p77【全国市長銘鑑】昭和13年
〔画像〕p77【全国市長銘鑑】昭和13年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年10月07日03:40
扇城高校(現・東九州龍谷高校)第一回卒業写真:
後藤要子と電力王松永夫人
大分県中津市の地方史
大分県中津市の歴史風土、精神的風土の中、
先人達が守り受け継いできた文化を紹介します。
2012年11月03日 17時39分13秒
 扇城女学校第一回卒業写真
〔画像〕 扇城女学校第一回卒業写真
集合写真は第一回卒業写真と聞いています。
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mail 2015/06/12(金)17:23
小野様;別府祐弘様より
貴重な写真を有難うございました。
前列左から4人目が後藤要子伯母だと思います。
その隣が電力王 松永夫人だと思います。
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎
 嫡女:諡 釋尼妙弘]
長女  別府ヨウ(後藤ヨウ) ※後藤要子
    明治十九年四月五日生  (1886年4月5日)
    明治四拾参年六月貮拾五日(1910年6月25日)
    高知県幡多郡宿毛町宿毛土居下五拾六番屋敷
    後藤環爾ト婚姻
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九州電力 2015年3月3日
九州の偉人~松永安左エ門~その5
★福澤桃介との出会い★
(これまでの投稿はこちら)
大分県中津の竹岡一子と結婚します。
 松永安左衛門:夫婦写真
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[別府一之助 直次郎遺書讓帳]一之助長洲行之節持参品付

[別府一之助 直次郎遺書讓帳]一之助長洲行之節持参品付

  嘉永六年
別府一之助直次郎遺書讓帳
  癸丑六月 一之助長洲行之節持参品付
  ※別府一之助=別府又十郎
  ※  直次郎=梅高秀山
  ※嘉永六年癸丑六月=1853年7月
別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-1
〔画像〕別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-1
別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-2
〔画像〕別府一之助直次郎遺書讓帳-p1-2

別府一之助(別府又十郎)
萬延元庚申四月十日 ※1860年5月30日
長洲大庄屋@養子@
@@@@@
一九郎夫婦 友枝角之助@@@@@@
申四月十日     ※1860年5月30日
一 長持壱棹  @@@@@
一 大棚笥   一棹@@@@@
一 小箪笥   一棹@@@@@
一 @@    一揃

一 刀箪笥   一棹
   但大小壱@ @@@@@@
    大小壱@ @@@@@
    大小壱@ @@@@
    @@@@ @之助 西蓮@@@
    @@@@
一之助長洲行之節持参品付-p1-1
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p1-1

文久元 一九郎京師@@@@@ ※別府義方(又十郎の父)
※文久元年=1861年3月
一 馬鞍一切    代金@拾両
一 二人弁當 一揃 萬延元申@@@

文久元酉六月@@ ※1861年7月
一 蕪村書画巻物  一軸
一 三浦安貞 書  一幅
一之助長洲行之節持参品付-p1-2
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p1-2

一 蘆雪 大摺画  一幅
一 廣瀨旭窓之書  金@紙 六枚
一 柳弁當 古城之品  一@@@
一 同   友屋之品  一@@@@@
一 榮澄@吸物@@   五
一 三@@重箱     一@@合十式
一之助長洲行之節持参品付-p2
〔画像〕一之助長洲行之節持参品付-p2
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月01日
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.009
081『男』34-1(28-2-2)  ※ 別府又十郎  p44
義方 後妻 出
名 一之助
弘化丁未十二月十九日生  (弘化4年丁未:1848年1月24日)
082『男』35-1(28-2-2)  ※ 梅高秀山
同(義方 後妻 出) 二男
名 直次郎
嘉永三庚戌三月九日生  (1850年4月20日)
安政三辰十二月  (安政3年丙辰:1856年12月27日)
善正寺 養子
式部卿 ト 称
法名 秀山
087『女』28-4-4(28-2-2)
於琴
文久三癸亥七月十五日 明 六ツ時 誕生 (1863年8月28日)

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月03日
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
[別府一九郎]「名は義方、字は直夫、毳門と号した。」
『広報 豊教だより』豊前市教育委員会 平成17年発行
2009.04.30PM2:41 梅高賢正mail

[別府一九郎]
066『義方』28-1
『義方』 三毛門兵蔵 義彬 嫡男
     享和三癸亥三月朔日生       (1803年4月22日)
     文政七甲申 二十二歳 八月二十二日(1824年9月14日)
     受 父之譲 為 大庄屋
     文政八乙酉 二十三歳       (1825年2月18日)
     豊後 列 田染 大庄屋 田染所助 女 セイ ヲ 迎 妻トス
     弘化丙午三月八日卒        (1846年4月3日)
     歳四十
     
     後妻 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     義方 安政二乙卯 正月十五日   (1855年3月3日)
     退役 在役 三拾二年

068『後婦』28-2-2
『後妻』 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     弘化三年丙午 (1846年10月12日)
     嫁 歳二十六
     生 九子
     諡 釋尼妙弘

081『男』34-1(28-2-2)
『長男』 別府又十郎
     名 一之助
     弘化四丁未十二月十九日生(1848年1月24日)

082『男』35-1(28-2-2) 
『二男』 梅高秀山
     名 直次郎
     嘉永三庚戌三月九日生  (1850年4月20日)
     安政三丙辰十二月    (1856年12月27日)
     善正寺 養子 式部卿 ト 称
     法名 秀山

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年08月30日
《別府家系図:原本:No.009》p37 p38 p44-47/47(完)
No.009 男 名 一之助=別府又十郎
No.009 男 名 直次郎=法名 秀山

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月19日
別府又十郎【豊前二市四郡人名辞書】明治43年12月25日発行
[別府又十郎]
生 弘化4年12月19日(1848年1月24日)
歿 昭和3年2月1日(1928年2月1日)
妻 セツ(父 大久保麑山・大久保逕三の長女)
生 嘉永6年6月28日(1853年8月2日)
歿 大正6年3月29日(1917年3月29日)
[梅高秀山]
[扇城女學校]
<東九州龍谷高等学校>
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別府又十郎 福岡縣議會議員【大日本帝国議員】明治23年

別府又十郎 福岡縣議會議員【大日本帝国議員】明治23年

【大日本帝国議員】明治23年
福岡縣  議士定員 八二 市 一 郡三一   p85/102
     人口一、二一二、〇三七 戸數 二一八、九〇〇
撰擧年月 明治廿二年二月 p87/102
撰擧區  上毛郡
議 員  議員
身 分  
職 業  
姓 名  別府又十郎
年 齢
p87【大日本帝国議員】明治23年
p87【大日本帝国議員】明治23年
明治二十三年一月二十七日印刷
同    年一月二十八日出版 定價六拾錢
編輯兼 茨城縣士族
發行者 小林茂太郎
    東京市赤坂區丹後町六十三番地
仝   秋田縣士族
    藤川 官吾
    東京市四ッ谷區舟町六番地
印刷者 愛媛縣士族
    中村 淸躬
    東京市芝區三田四國町三番地
發兌元 東陽堂
    東京市日本橋區葺屋町
賣捌所 博聞社
    東京市京橋區銀坐四丁目
    丸善商社書店
    東京市日本橋區通三丁目
    牧野善兵衛
    東京市日本橋區通四丁目
    開成堂
    東京市芝區三田一丁目
    三田印刷所
    東京市芝區三田四國町
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年02月08日
福岡縣縣會議員・補缺選擧・別府又十郎 當選
【官報. 1889年02月19日】
別府又十郎【全国府県会議員姓名録】明治22年12月5日出版
【全国府県会議員姓名録】
[別府又十郎]p80/98
福岡縣  定員八十二人 内常置委員七人 p77/98
議員之部
撰擧市郡 上毛郡
族籍   平民
職業   農
生年月  弘化四年十二月 (1848年1月6日)
姓名   別府又十郎 p80/98
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《東山アキヱ・扇城女学校》日赤本社救護看護婦養成所へ明治41年(1908)に入学

《東山アキヱ・扇城女学校》
日赤本社救護看護婦養成所へ明治41年(1908)に入学
※扇城女学校
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年10月07日 03:40 ◆別府又十郎家:築上郡三毛門村 別府又十郎
扇城高校(現・東九州龍谷高校)第一回卒業写真:後藤要子と電力王松永夫人
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BUNGO 別府大学地域連携プログラム
明治生まれ日赤看護婦の履歴書を読む
古庄, ゆき子
大分縣地方史.164(1996.12),p.44-56

明治生まれ日赤看護婦の履歴書を読む
  古庄ゆき子
 一九〇七年(明治40年)ころから日赤救護看護婦生徒に
女学校在籍者・中退者の入学がはじまる。 p5/13
日赤本社救護看護婦養成所へ
一九〇八年(明治41年)に入学した東山アキヱがそのはじめであった。
彼女は中津の扇城女学校在籍者のまま受験した。
東山は一九四七年(昭和22年)に
第一一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した人物である。
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第11回 昭和22年(1947) 東山アキエ 日本赤十字社大阪支部病院
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国立国会図書館サーチ
「婦人雑誌」がつくる大正・昭和の女性像 第24巻
岩見照代   監修
出版地    東京
出版社    ゆまに書房
出版年月日等 2016.4
ナイチンゲール章に輝く白衣の天使座談会 / 
久野恵津, 東山アキヱ ほか 著
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【婦人倶楽部. 31(6)】
ナイチンゲール賞に輝く白衣の天使座談会 / 
久野惠津 ; 東山アキヱ ; 福井アイ ; 戶村よしを ; 記者/p216~220
この資料は、著作権の保護期間中か
著作権の確認が済んでいない資料のため
インターネット公開していません。
閲覧を希望される場合は、国立国会図書館へご来館ください。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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扇城高校(現・東九州龍谷高校)第一回卒業写真:後藤要子と電力王松永夫人

扇城高校(現・東九州龍谷高校)第一回卒業写真:後藤要子と電力王松永夫人

大分県中津市の地方史
大分県中津市の歴史風土、精神的風土の中、
先人達が守り受け継いできた文化を紹介します。
扇城高校 (現・東九州龍谷高校)
2012年11月03日 17時39分13秒
 扇城女学校第一回卒業写真
* 写真の左上と右下は開校時の三ノ丁時代、
右上は現在地の中殿に移転した時、
集合写真は第一回卒業写真と聞いています。
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mail 2015/06/12(金)17:23
小野様;
貴重な写真を有難うございました。
前列左から4人目が後藤要子伯母だと思います。
その隣が電力王 松永夫人だと思います。
別府祐弘 ※別府祐六の後妻の長男
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月03日 10:00 ◆別府家系図:豊前市三毛門 別府家系図:個人別
[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
〈除籍謄本〉福岡県豊前市長 釜井健介
 平成21年4月17日発行
長女  別府ヨウ(後藤ヨウ) ※後藤要子
    明治十九年四月五日生  (1886年4月5日)
    明治四拾参年六月貮拾五日(1910年6月25日)
    高知県幡多郡宿毛町宿毛土居下五拾六番屋敷
    後藤環爾ト婚姻
六男  別府祐六
    明治二十八年七月二十五日生 (1895年7月25日)
[宿毛市]
後藤 環爾(ごとう かんじ)
後藤環爾の追想録を読んで見ると、
彼が世に在った当時、政界、財界その他あらゆる社会の巨星と
随分深い親交のあったのに驚ろく。
前述の田中首相、小野義一はもとより望月圭介、安藤正純、横田千之助、
宮城長五郎、俵孫一等の各省大臣をつとめた政界の長老、
又財界では藤原銀次郎、松永安左衛門、正力松太郎等実業界の第一人者、
いわゆるわが国の歴史に残る大人物と互いに水魚の交わりをしている。
 ―略―
宿毛市 宿毛歴史館
〒788-0001 高知県宿毛市中央2丁目7番14号
TEL:0880-63-5496 FAX:0880-63-1319
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九州電力 2015年3月3日
九州の偉人~松永安左エ門~その5
★福澤桃介との出会い★
(これまでの投稿はこちら)
大分県中津の竹岡一子と結婚します。
 夫婦写真
経済人列伝、松永安左衛門
2010-08-14 03:27:30 | Weblog
     松永安左エ門
この間29歳、竹岡一子と結婚します。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年06月01日 07:55 ◆別府又十郎家:築上郡三毛門村 別府又十郎
『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
長女 別府ヨウ(後藤)生 明治19年 4月 5日(1886年4月5日)
          ※歿 昭和46年 1月 8日(1971年1月8日)
二女 別府レン(梅高)生 明治21年 6月 1日(1888年6月1日)
          ※歿 昭和53年10月 2日(1978年10月2日)
三女 別府キツ(原) 生 明治23年 3月14日(1890年3月14日)
           歿
四女 別府ウラ(渡邊)生 明治24年 6月 6日(1891年6月6日)
          ※歿 昭和30年 6月13日(1955年6月13日)
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【現代人事調査録】大正14年
《松永安左衞門》 p664/1083
妻 カヅ 明治一七年九月生
     大分縣人 竹岡吉太郎 妹
     高等女學校 卒業
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[東九州龍谷高等学校]
沿 革
1899年から1世紀以上続く教育の伝統がここにある
明治32年2月 梅高秀山師が旧中津城内に扇城女学校創立。
大正11年9月 現在の中津市中殿町527番地に移転。
大正12年3月 扇城高等女学校となる。
昭和23年5月 扇城高等学校となる。
昭和26年3月 学校法人扇城学園となる。
 ―略―
学校法人 扇城学園 東九州龍谷高等学校
〒871-0031 大分県中津市中殿527番地
Tel:0979-22-0416 Fax:0979-22-3122
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年04月02日05:07
《竹岡吉太郎》中津市長:松永安左衛門は氏の女婿
【全国市長銘鑑:自治制実施五十周年記念】昭和13年
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福岡縣縣會議員・補缺選擧・別府又十郎 當選【官報. 1889年02月19日】

福岡縣縣會議員・補缺選擧・別府又十郎 當選
【官報. 1889年02月19日】

【官報. 1889年02月19日】
[官報]第千六百八十九號
 明治二十二年二月十九日 火曜日
 内閣官報局
 府縣會 p4/7
◎縣會議員當選
 福岡縣縣會議員 友枝速水 辭職セシニ付キ
 補缺選擧ヲ行ヒタルニ
 別府又十郎 當選セリ
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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別府又十郎【全国府県会議員姓名録】明治22年12月5日出版
【全国府県会議員姓名録】
[別府又十郎]p80/98
福岡縣  定員八十二人 内常置委員七人 p77/98
議員之部
撰擧市郡 上毛郡
族籍   平民
職業   農
生年月  弘化四年十二月 (1848年1月6日)
姓名   別府又十郎 p80/98
別府又十郎【福岡県全誌】下編・明治39年6月28日発行
【福岡県全誌】下編
[別府又十郎]      p81/228
縣會議員(三十八年末調) p73/228
明治二十年十一月     p80/228
郡 區 上毛郡
現在員 退任 友枝速水  明治二十一年中
    補欠 別府又十郎
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[木杯等下賜]〔上毛郡三毛門村:別府又十郎・尾家定藏〕【官報】明治24年

[木杯等下賜]〔上毛郡三毛門村:別府又十郎・尾家定藏〕【官報】明治24年


【官報. 1891年07月20日】明治24年

 官報 第二四一六號 明治二十四年七月二十日

   [褒 賞] p2/7

◎木杯等下賜

福岡縣ニ於テ本年四、五兩月中

木杯等下賜セシ者左ノ如シ

〔上毛郡三毛門村〕

別府又十郎・尾家定藏・

〔千束村〕

津野田彌平治・渡邊榮次郎・渡邊一夢・

筧 彦九郎・橋田直且・久永鐡次郎・

森友榮司・小林永三郎・久永半九郎・

小川丈平・有永幾平・安江 泰・

佐々木茂久藏・宮原菊次郎・井上 護・

緒方東馬・原口眞吾・下村ゆき・

古家丹藏・原田新七・益田紋五郎・

(中小學校維持費及新築費寄付)

各 木杯一箇下賜 又 金圓ヲ與ヘシ者十一人、

褒狀ヲ與ヘシ者九百九十八人、褒詞セシ者千七百八人

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945678/2


【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>

『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>

別府又十郎      生 弘化 4年12月19日(1848124日)

           歿 昭和 3年 2月 1日(192821日)

妻  セツ      生 嘉永 6年 6月28日(185382日)

           歿 大正 6年 3月29日(1917329日)

   セツ:大久保麑山の長女

長男 別府十九郎   生 明治 6年 5月 2日(187352日)

           歿 明治24年 6月 7日(189167日)

二男 別府敏治    生 明治10年 3月 3日(187733日)

          ※歿 昭和15年11月 7日(1940117日)

三男 別府三穗三郎  生 明治11年10月15日(18781015日)

           歿 昭和10年 2月   (19352月)

          ※歿 昭和10年 3月12日(1935312日)

四男 別府醇(伊藤) 生 明治13年12月19日(18801219日)

           歿 昭和45年 4月 4日(197044日)

五男 別府賢吉    生 明治16年10月 1日(1883101日)

          ※歿 昭和 9年 4月 9日(193449日)

長女 別府ヨウ(後藤)生 明治19年 4月 5日(188645日)

          ※歿 昭和46年 1月 8日(19711月8日)

二女 別府レン(梅高)生 明治21年 6月 1日(188861日)

          ※歿 昭和53年10月 2日(1978102日)

三女 別府キツ(原) 生 明治23年 3月14日(1890314日)

           歿

四女 別府ウラ(渡邊)生 明治24年 6月 6日(189166日)

          ※歿 昭和30年 6月13日(1955613日)

六男 別府祐六    生 明治28年 7月25日(1895725日)

           歿 昭和55年 7月15日(1980715日)

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追記  平成27年8月14日
    別府祐六 先妻  錦(没)
          長女 足利明子
          二女 粟野智子(没)
          三女 森田昌子(没)
          長男 別府博之(没)
         後妻  ヨシ子 (没)
          長男 別府祐弘 妻 迪子
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※別府祐弘様より送付頂いた、「善正寺」の過去帳より転記。
 平成26年5月24日着
 平成26年6月 1日 掲載:小野一雄

<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659777.html

[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]①/④
  大隈重信侯が、
  大久保麑山の長女・別府セツ・又十郎宅に逗留されたとも
  言い伝えられているが、
  10人の子全員が既にこの世の人でなくなった今、
  確かめる術もない。
  拙稿「成蹊と私」も参照されたい。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2128135.html

[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291497.html

<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>

<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>

[別府又十郎]     生 弘化 4年12月19日(1848年1月24日)
            歿 昭和 3年 2月 1日(1928年2月1日)
 妻  セツ      生 嘉永 6年 6月28日(1853年8月2日)
            歿 大正 6年 3月29日(1917年3月29日)
    セツ:大久保麑山の長女
 長男 別府十九郎   生 明治 6年 5月 2日(1873年5月2日)
            歿 明治24年 6月 7日(1891年6月7日)
 二男 別府敏治    生 明治10年 3月 3日(1877年3月3日)
            歿
 三男 別府三穗三郎  生 明治11年10月15日(1878年10月15日)
            歿 昭和10年 2月   (1935年2月)
 四男 別府醇(伊藤) 生 明治13年12月19日(1880年12月19日)
            歿 昭和45年 4月 4日(1970年4月4日)
 五男 別府賢吉    生 明治16年10月 1日(1883年10月1日)
            歿 
 長女 別府ヨウ(後藤)生 明治19年 4月 5日(1886年4月5日)
            歿
 二女 別府レン(梅高)生 明治21年 6月 1日(1888年6月1日)
            歿
 三女 別府キツ(原) 生 明治23年 3月14日(1890年3月14日)
            歿
 四女 別府ウラ(渡邊)生 明治24年 6月 6日(1891年6月6日)
            歿
 六男 別府祐六    生 明治28年 7月25日(1895年7月25日)
            歿 昭和55年 7月15日(1980年7月15日)

『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377320.html

[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]①/④
  大隈重信侯が、
  大久保麑山の長女・別府セツ・又十郎宅に逗留されたとも
  言い伝えられているが、
  10人の子全員が既にこの世の人でなくなった今、
  確かめる術もない。
  拙稿「成蹊と私」も参照されたい。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2128135.html

[扇城高等女學校]【本派本願寺学校一覧】昭和8年

扇城高等女學校
【本派本願寺学校一覧】昭和8年

【本派本願寺学校一覧】昭和8年
[扇城高等女學校](昭和七年度調) p47-48/86
一  所在地  大分縣中津市
二  經營主體 財團法人 扇城高等女學校
三  設立年月 明治三十二年六月
四  土地並建物
 イ 總坪數   三、七九五坪
 ロ 運動場坪數 一、一七一坪
 ハ 校舎
   ―略―
 ニ 寄宿舎
   ―略―
五  教職員數
 イ 校長名   梅高普行
 ロ 教諭    一五名(有資格 一〇 無資格 五)
 ハ 職員    一一名(校醫   二 看護婦兼事務員 一)
            (保姆   一 保姆見習    七)
 二 囑託     二名
 ホ 給仕使丁其他 一名
六  學級組織
 イ 學年別・學級數
   高等女學校    一年一、二年一、三年一、四年二
  (高等家政女學校)  一年一、二年一、専攻科二
 ロ 生徒數 四一六名
   學年別
   高等女學校    一年  四八名 二年  五九名
            三年  八九名 四年 一一九名
  (高等家政女學校)  一年  一〇名 二年  二五名
            専攻科 六六名
   本派寺院出身者數   一〇名
   他宗派寺院出身者數   二名
   本派門信徒     二七二名
   他宗派門信徒    一三二名
七  昭和七年度入學志願者数 高女 五三名 (家政女) 一三名
八  同年度入學許可數    高女 四八名 (家政女) 一〇名
九  同年度入學者平均年齢  高女 十二年六ケ月
             (家政女) 十四年四ケ月
一〇 卒業生總數 二、九九三名
一一 經營狀況
   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/47
一二 沿革         p48/86
   明治三十二年六月   中津佛教各宗協同ノ手ニ依リ
              前校長 梅高秀山 其中堅トナリテ
              本校ヲ創立ス
   明治三十三年四月八日 中津町三ノ丁ニ校舎ヲ設置シ
              釋尊降誕ノ佳辰ニ開校ス
   明治四十年七月    前校長 梅高秀山 病歿
              梅高普行 代リテ就任
   ―略―
一三 教育要項
   本校ハ教育勅語及ビ佛教精神ニ基ク
   圓滿ナル人格ヲ與ヘ
   家族トシテハ宗教的信念篤キ良妻賢母トナリ、
   國民トシテハ克ク忠君愛國ノ精神ヲ辨ヘ、
   人類トシテハ博愛慈善ノ念ニ富ミテ
   共存共榮ノ道ニ勵ム
   温良貞淑ナル婦人ヲ養成スルニアリ

   ソノ教授方針トシテハ、
   各教科相互及ビ小學科教科トノ連絡ヲ保チ、
   其ノ教授ハ徒ラニ注入スルノ弊ニ陥ル事ナク
   生徒ヲシテ自學工風スルノ習慣ヲ養ヒ
   知識技能ノ収得ハ
   確實不偏系統的タラシメ
   特ニ應用方面ニ留意シ
   何レノ學科タルヲ問ハズ
   本校教育ノ方針ヲ常ニ念頭ヲ置キ
   之ニ添フベク教授スルニアリ

一四 年中行事
   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/48
昭和八年三月二十五日印刷
昭和八年四月二十一日發行
〔非賣品〕
編纂兼發行者 山崎精華
       京都市堀川通 本願寺教育部
印刷者    内外出版印刷株式會社
       代表者 須磨勘兵衛
       京都市西洞院七條南
發行者    本派本願寺教育部
       京都市堀川通
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023786/84

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《別府又十郎》
【豊前二市四郡人名辞書】
 明治43年12月25日発行
實弟故梅高秀山師、外二三特志家と
中津町に佛敎主義の扇城女學校を設立し、
女子敎育の鼓吹に力むる等、
時代の趨勢に伴ふ社会事業に力を臻し、
地方先覺者を以て許さる。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2248470.html

《別府又十郎》
[新豊前人物評傳]
 昭和49年7月20日発行
中津市に仏教主義の扇城女学校
(いまの中津短期大学の前身)の創立、
三毛門村名誉村長就任など
枚挙にいとまないほどであった。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2257832.html

《筧 喜十郎》
【築上郡人名辞書. 巻ノ1】
 昭和12年7月31日発行
今日中津扇城高等女学校は
私立学校として隆々たる発展を来して居るが、
実は其の頃三毛門村の高僧
善正寺住職梅高秀山師及び
前県会議員
三毛門村別府又十郎氏と諮り設立したのが
今日のそれであって、
先見の明に富めることは推して知らるべきである。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2257798.html

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