【偉人和田豊治翁】大正14年
著者 三木作次郎 著
出版者 三木作次郎
出版年月日 大正14
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/2
先生(和田豊治)は幼時、
漢籍を麑山大久保逕三先生の門に學び、
書道を川端楊坪先生に習はれた。
兩親の庭訓に加へて、
賢夫人と噂された
祖母藤子(とうこ)刀自の
親しき薫陶を受けて居たが、
明治十二年八月、
十九歳の時に嚴父を喪ひ、
翌年に至りて亦祖母に訣かれた、
是より先き先生は十五歳の頃より
中津藩の典醫村上長翁の家に寄寓し
藥局の手傳をなすの餘暇を利用して
市學校に通學せられた。
―略―
抑も此の市學校と云ふは明治四年の頃、
福澤先生が西洋文化鼓吹の爲めに
中津藩士島津祐太郎、桑名豐山、津田耕烟の
諸氏に内意を授けて
中津町三之丁(今の南部小學校の敷地)
に創設したもので、
當時に於ける關西唯一の英語學校であり、
慶應義塾とは經費を異にして居れど、
分校見たいなやうなものであつた。
初代の校長としては小幡篤次郎氏が就職せられ、
濱野定四郎氏其の後を襲かれた。
學級は初等、中等及び高等の三科に分ち、
先生(和田豊治)は高等科に在り
主として洋籍を研修せられたと云ふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/25
大正十四年二月廿七日印刷
大正十四年三月 八日發行
編輯兼 三木作次郎
發行者 大分縣下毛郡中津町二二六九番地
印刷者 伊崎 開治
東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所 株式會社 博文館印刷所
東京市小石川區久堅町一〇八番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/166
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