別府祐六

《別府祐六》福岡縣人 別府又十郎の六男 別府賢吉の弟【大衆人事録. 第3版】昭和5年(1930)

《別府祐六》福岡縣人 別府又十郎の六男 別府賢吉の弟
【大衆人事録. 第3版】昭和5年(1930)

【大衆人事録. 第3版】昭和5年(1930)
《黑屋 辰六》 勳六   p513/1380 ※別稿に記載
 東京府荏原郡大井町坂下二七三七
 電話 大森一〇〇五
〔家庭〕
長女 キン(明治三四年生)は
福岡縣人 別府祐六に嫁す

《別府 賢吉》      p1066/1380 ※別稿に記載
君は福岡縣人 別府又十郎の五男
別府祐六の兄

《別府 祐六》 辯護士  p1066/1380
 東京市外大井町坂下二七三七
 電話 大森一〇〇五
君は福岡縣人 別府又十郎の六男
別府賢吉の弟
明治廿八年七月廿五日を以て生れ後 分家す
大正十年 京都帝大法科英法科を卒業し
直に十五銀行大阪南支店に入り
昭和二年 同行を辭し
昭和三年 辯護士を開業
山内確三郎法律事務所に勤務し
以て今日に至る
宗敎 眞宗
〔家庭〕
妻  きん(明治三五) 大分縣人 黑屋辰六 長女
            門司高女卒
長女 明子(大正一一)
二女 知子(大正一三)
三女 晶子(昭和 二)

【陪審法大鑑 : 昭和新制記念】昭和4年
《別府 祐六》福岡 丸ノ内八一  p246/547
麴町區永樂町 丸ビル三七九、
山内確三郎方
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年06月01日
『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
六男 別府祐六 生 明治28年 7月25日(1895年7月25日)
        歿 昭和55年 7月15日(1980年7月15日)
追記  平成27年8月14日
    別府祐六 先妻  錦(没)
          長女 足利明子
          二女 粟野智子(没)
          三女 森田昌子(没)
          長男 別府博之(没)
         後妻  ヨシ子 (没)
          長男 別府祐弘 妻 迪子
※別府祐弘様より送付頂いた、「善正寺」の過去帳より転記。
 平成26年5月24日着
 平成26年6月 1日 掲載:小野一雄
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《佐野 雋達》二女 ミチ(明治一四、八生)は大分縣人 黑屋辰六に嫁せり

《佐野 雋達》二女 ミチ(明治一四、八生)は大分縣人 黑屋辰六に嫁せり

大分県杵築市
佐野 雋達(さの しゅんたつ)
 更新日:2018年10月05日
医師 佐野 雋達(さの しゅんたつ)
天保12(1841)年~大正2(1913)年
杵築西上の人。杵築藩医。
大分県立病院開設時の副院長。
緒方洪庵塾で蘭学と医学を、
長崎ではポンペに医学をそれぞれに学び杵築で開業する。
患者が門前市を成したという。
藩校教授も勤めた。
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【大衆人事録. 昭和3年版】昭和2年
《黑屋 辰六》  p712/1297
妻  ミチ(明治一四・八)大分縣人 佐野雋達 二女
長女 キン(明治三四・四)福岡縣人 別府祐六に嫁す
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日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
佐野彪太  (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄 東京府在籍
職業       醫學博士、佐野内科病院長、醫師
性別       男性
生年月日     明治七年一月 (1874)
親名・続柄    佐野雋達の長男
家族       妻  しづ 明一六、三生、子爵 後藤新平養子
         男  碩 明三八、一生
         養子 二三子 明四二、三生
記述部分(略伝) 君は舊豐後杵築藩醫 佐野雋達の長男にして
         明治七年一月を以て生れ
         同二十九年分れて一家を創立す
         同三十四年東京帝國大學醫科大學を卒業し
         脊髓腦神經系統學を專攻し
         同四十四年醫學博士の學位を受く
         夙に佐野内科病院を設立し現に其院長たり
         家族は尚
         二男 二郞(大元、一一生)
         二女 達子(同三、八生)
         三男 新(同六、六生)あり
         弟  學(明二五、二生、法學士、無産者新聞社長)は分家し
         妹ミチ(同一四、八生)は大分縣人黑屋辰六に嫁せり
住所       東京、神田、小川町三四
電話番号     神田五五七
参照人物(親類) 子爵後藤新平、黑屋辰六、※後藤一藏、※鶴見祐輔
参照次数     4 (※なし2)
読み       さの ひょうた
別名
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《黑屋辰六》長女 キン 福岡縣人 別府祐六に嫁す【大衆人事録. 昭和3年版】昭和2年

《黑屋辰六》長女 キン 福岡縣人 別府祐六に嫁す
【大衆人事録. 昭和3年版】昭和2年
【大衆人事録. 第3版】昭和5年(1930)

【大衆人事録. 昭和3年版】昭和2年
《黑屋 辰六》  p712/1297
 近海郵船(株)監査役
 所得税九〇
 東京府荏原郡大井町坂下二七三七
 電話 大森一〇〇五
 (會社)日本橋區箱崎町四ノ一
 電話 茅場町二四一
君は大分縣士族 黑屋計の弟
明治元年九月を以て生れ
明治二十五年五月分家す
夙に東京高等商業學校に學び後
    卒業名簿には記載されていない
日本郵船會社に入り累進して
門司支店長たりしが
現時 近海郵船會社監査役たり
家庭
妻  ミチ(明治一四・八)大分縣人 佐野雋達 二女 ※別稿に記載
長女 キン(明治三四・四)福岡縣人 別府祐六に嫁す

【大衆人事録. 第3版】昭和5年(1930)
《黑屋 辰六》 勳六  p513/1380
 近海郵船(株)監査
 坂下町會長
 錦扇堂
 洋菓子パン類製造販賣業
 所得税九〇
 東京市外大井町坂下二七三七
 電話 大森一〇〇五
君は大分縣士族 黑屋白水の六男
明治元年九月九日 中津市に生れ
明治廿五年 分家す
夙に東京高等商業學校に學び
日本郵船會社に入り
上海・天津各支店勤務
横濱支店助役 名古屋・門司各支店長等を歷勤し
大正十一年 歐米各國を視察す
大正十二年
近海郵船會社の創立と共に入りて監査役となり
今日に及ぶ
傍ら錦扇堂と稱し洋菓子製造業を營む
宗敎 禪宗
趣味 圍碁・謡曲・書畫・骨董
〔家庭〕
長女 キン(明治三四年生)は
福岡縣人 別府祐六に嫁す

《別府 祐六》 辯護士  p1066/1380
 東京市外大井町坂下二七三七
 電話 大森一〇〇五
君は福岡縣人 別府又十郎の六男
別府賢吉の弟  ※別府賢吉:別稿に記載
明治廿八年七月廿五日を以て生れ後 分家す
大正十年 京都帝大法科英法科を卒業し
直に十五銀行大阪南支店に入り
昭和二年 同行を辭し
昭和三年 辯護士を開業
山内確三郎法律事務所に勤務し
以て今日に至る
宗敎 眞宗
〔家庭〕
妻  きん(明治三五) 大分縣人 黑屋辰六 長女
            門司高女卒
長女 明子(大正一一)
二女 知子(大正一三)
三女 晶子(昭和 二)

【現代人事調査録】大正14年
《黑屋 辰六》  p579/1083
 近海郵船(株)監査役
 大分縣平民
 東京市外大井、坂下、二七三七
 電話 大森一〇〇五
君は大分縣士族 黑屋計の弟にして
明治元年九月を以て生れ
明治二十五年五月分家して一家を創立す
曩に東京高等商業學校に學び後
日本郵船會社門司支店長たりし事あり
現時 近海郵船會社監査役たり
家庭
妻  ミチ(明治一四・八)大分縣人 佐野雋達 二女
長女 キン(明治三四・四)福岡縣人 別府祐六に嫁せり

【大井町名鑑】大正15年
△坂下會役員  p124/196
 相談役顧問  黑屋辰六
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《別府祐六:辯護士》【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

《別府祐六:辯護士》【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
《別府祐六》 p294/1079
辯護士、芝 芝公園、六號七
電話 芝43 二九八七
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『別府祐六:大正7年度 卒業生』第五高等学校[龍南會雜誌]168

『別府祐六:大正7年度 卒業生』
第五高等学校[龍南會雜誌]168-145-147

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 大正七年度第廿七回卒業生氏名
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 168: 145-147
Issue date 1918-12-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/6865
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/6865/1/168-018.pdf

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大正七年度 第廿七回 卒業生(二百五人)    p2-4/4
 ※大正7年(1918)

第一部 甲類 法律科 政治科 經濟科 商科 五十二人
 ―略―
京 別府祐六 ※京都帝國大學

第一部 乙類 英語文科            二十人
 ―略―

第一部 丙類 獨語法律科 政治科      二十四人
 ―略―
東 向坂逸郎 ※東京帝國大學
 ―略―

第二部 甲類 工科              六十人
 ―略―

第二部 乙類 理科              十一人
 ―略―

第二部 丙類 農科               五人
東    高田得一 ※東京帝國大學
東    牟田邦基 ※東京帝國大學
東北醫科 高橋輝一 ※東北帝國大學
東    上村英一 ※東京帝國大學
東    小林 聰 ※東京帝國大學

第三部 醫科                三十三人
 ―略―

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《別府祐六》【日本辯護士名簿】昭和9年:14年

《別府祐六》【日本辯護士名簿】昭和9年:14年

【日本辯護士名簿】昭和9年8月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883454/149
昭和九年七月現在 日本辯護士會名簿
(一) 東京辯護士會(一七九五名) p3/150
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883454/3
氏 名  別府祐六   p9/150
本籍縣別 福岡
事務所  京橋區銀座西二ノ五、八
     荻野定一郎方
電話番號 京橋 四〇六三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883454/9
(二) 第一東京辯護士會(四九五名)p42/150
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883454/42
氏 名  荻野定一郎  p45/150
本籍縣別 兵庫
事務所  京橋區銀座西二ノ五ノ八
電話番號 京橋 四〇六三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883454/45

【日本辯護士名簿】昭和14年8月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882931/162
日本辯護士名簿 昭和十四年七月一日現在      p3/163
東京辯護士會 (一六二八名)
第一東京辯護士會(四七七名)
第二東京辯護士會(三三〇名)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882931/3
東京辯護士會
氏 名   電話番號    事務所       本籍縣別
別府祐六  四谷 一九七三 四谷區南伊賀町五  福岡  p11/163
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882931/11
第一東京辯護士會
氏 名   電話番號    事務所       本籍縣別
荻野定一郎 丸ノ内三七八五 麹町區丸ノ内三ノ二、
              三菱二十一號館   兵庫
      荏原 四五五三(自宅)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882931/16

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

別府祐六【東京弁護士会史】昭和10年【[東京弁護士会]会員写真帖】昭和11年

別府祐六【東京弁護士会史】昭和10年【[東京弁護士会]会員写真帖】昭和11年

【東京弁護士会史】東京弁護士会事務所 昭和10年3月20日発行
第十章 歴代会員一覧 p400/532
昭和9年度
入会者
別府祐六 p463/532
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280222/463
退会者
別府祐六 p464/532
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280222/464

【[東京弁護士会]会員写真帖】 改正弁護士法実施記念. 昭和11年7月1日現在
「改正弁護士法実施記念」東京弁護士会 昭和11年10月20日発行
≪別府祐六君≫写真 p32/128
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271225/32

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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別府祐六【京都帝国大学】

別府祐六【京都帝国大学】

[別府祐六]明治28年(1895)7月25日 生
京都帝国大学
法律学科
大正7年(1918)9月入学
大正10年(1921)7月卒業

【京都帝国大学一覧】自大正7年 至大正8年
第二 法學部學生及生徒(姓名ノ上ニ〇印アルハ特待學生)p150/251
法律學科
第一學年 p152/251
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940183/152

【京都帝国大学一覧】自大正8年 至大正9年
第二 法學部學生及生徒 p152/259
法律學科
大正七年入學 p154/259
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940184/154

【京都帝国大学一覧】自大正9年 至大正11年
卒業生姓名(×印死亡)
法學士 p183/283
法律學科
大正十年三月學士試験合格 p190/283
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940185/190

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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別府祐六【第五高等学校】

別府祐六【第五高等学校】

[別府祐六]明治28年(1895)7月25日 生
第五高等学校
大学予科第一部
大正4年(1915)9月入学
大正7年(1918)7月卒業

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正4至5年
生徒(大正四年九月末日調)○ハ特待生 p58/142
第一部第一年 甲二之組        p64/142
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940349/64

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正5至6年
生徒(大正五年九月末日調)○ハ特待生  p60/148
第一部第二年 甲二之組(三十四人)  p63/148
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940350/63

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正6至7年
生徒(大正六年九月末日調)○ハ特待生 p60/138
第一部第三年 甲二ノ組(二十八人)
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940351/60

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正7至8年
大學豫科第二十七回(大正七年七月)卒業(二百五人) p123/147
第一部英語法律科、政治科、經濟科、商科(五十二人)
京法 別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940352/123

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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第五高等学校(だいごこうとうがっこう)は、
1887年(明治20年)5月熊本区(1889年以降は市制を施行して熊本市)に
設立された官立高等中学校を母体とする旧制高等学校。
略称は「五高」(ごこう)。
概要
全国で5校のナンバースクールの高等中学校の一つとして設立された。
1887年(明治20年)4月の仙台の旧制二高、金沢の四高に次ぐものである。
初期の教員は校長を始め一高からの転出者が多く、
一高をモデルとした全寮制と寮自治が志向された(寄宿舎は「習学寮」)。
文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。
入学者は九州出身者が多く、
卒業後の進学先は地元の九州帝国大学よりも東京帝国大学が多かった。
新制熊本大学の前身校の一つであり、
法文学部および理学部の構成母体となった。
校風は「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)」。
代表寮歌は「東京帝国大学寄贈之歌」、通称「武夫原頭(ぶふげんとう)」。
旧制高等学校の中では飛びぬけて校地が広く、
他の旧制高等学校が2万坪を標準としたのに対し、
5万坪の敷地を誇り、陸上用グラウンドと野球用グラウンドを
別々に設けるなど、かなり余裕がある使いかたをしていた。
戦後、男女共学になり女子学生を受け入れた。
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