[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男

《別府三穗三郎・伊藤 醇・森 豐吉》門司貯蓄銀行・東洋興業銀行【官報 1911年02月25日】明治44年

【官報 1911年02月25日】明治44年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治44年
株式會社 門司貯蓄銀行支店 登記事項變更
取締役  門司市本川町二丁目三千七十六番地
     別府三穗三郎
     下關市大字阿彌陀寺町第九十三番地屋敷
     伊藤 醇
     門司市田之浦三十五番地
     森 豐吉
     各新任
監査役  鍋島吾三郎
     津川幾藏
     各重任
右明治四十四年二月三日登記
赤間關區裁判所

【官報 1912年05月24日】明治45年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治45年
株式會社 東洋興業銀行 登記事項變更
取締役  別府三穗三郎
     伊藤 醇
     森 豐吉
監査役  津川幾藏
     鍋島伍三郎
     各辭任
熊毛郡三丘村大字安田六三七番地
有馬 眞
熊毛郡三丘村第四一五番屋敷
末兼 薫
都濃郡戸田村三九六六番地
松原精一
大島郡和田村九八五番地
末野包槌
各取締役ニ
熊毛郡三丘村第三七〇番屋敷
原田六藏
監査役ニ就任
築上郡東吉富村大字廣津二六四番地支店
下關市大字西ノ端町六三番地出張所
各癈止
主人 ジヤーデン、マセソン、エンド、
   コムパニー、リミツテツド
支配人ヲ置キタル場所
下關市大字唐戸町第二番
第二番ノ第一第二第三第二二
下關區裁判所
p17【官報 1912年05月24日】明治45年
〔画像〕p17【官報 1912年05月24日】明治45年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年06月20日 09:25
別府敏治・三穂三郎・醇
『門司貯蓄銀行』『東洋興業銀行』『晝夜商業銀行』
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《現主人伊藤醇氏の先々々代杢之丞》フイツセル參府紀行【日本珈琲文献小成】昭和13年

【日本珈琲文献小成】昭和13年
著者    日本珈琲文化史編纂所 編
出版者   木村コーヒー店
出版年月日 昭13
[日本珈琲文獻小成]
 木村珈琲店研究部
 日本珈琲文化史編纂所編
 編者 奥山儀八郎
上野 帝国図書舘殿
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/2
木村コーヒー店 東京支店 寄贈本
目次  例言
昭和十三年四月八日
於 谷中螢澤
奥山儀八郎 識
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/3
フイツセル參府紀行
文政五年(西、一、八二二)
阿蘭陀甲比舟ブロムホフ江戶參禮、
フイツセルの參府紀行文に、
キヤピタン携行の食料品中に珈琲の記載あり。

甲比舟が携行く食料品は
葡萄酒及其他の飲料・牛酪・乾酪・燻肉・塩肉・
珈琲・砂糖・香料・燒菓子・甘菓子
其他日本にて得難き物なり。
とある。
而して下關の主人について次の記述を與へてある。

此の旅館主は
フアン・デン・ベルグ(Van Den Berg)と
いへる和蘭雅名を有し、
毫も蘭語を解せざれども好んで和蘭風俗を知得し、
種々の器物を買求めて之を一小室に蒐藏す。
其中には甚だ古く、
傳來の時代不明なるものもあつて、
奇異に分類せられる物もありたり。
されど初日の晝、
我等の食器戸棚が容易に到着せざりしかば、
彼は此等の器物を出して充分我等の用を足せり。

又晩に彼が頗る機嫌よき時は、
彼は和蘭衣服を着て現はれ、
其の樣子は彼の和蘭集品よりも更に奇怪なりき。
云々

編者先年長崎行の歸途、
右の宿舎卽ち下關アミダ寺町伊藤家を訪れた節、
現主人伊藤醇氏の先々々代杢之丞の
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/15
遺物の珈琲茶碗を一見した。
白ヤキ金スヂ入にして圖の如し、
其他、西洋食器類も若干ありたり。
而して、丁度其時は舊盆にあたりたれば、
故人の愛用せる件の珈琲茶碗を水入れとして
佛檀に供へありしなり。
主人の云ふに、
この茶碗はカピタン、ドーフか
又はプロムホフから貰ひたるものなりと。
前記、フイツセルの文と對比するならば、
プロムヒルが食器を借りた禮に茶碗を與へしものか。
 [伊藤家 白燒金スヂ入茶碗]
 p16【日本珈琲文献小成】昭和13年
〔画像〕p16【日本珈琲文献小成】昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/16
木村コーヒー店
本店 横濱市中區吉田町五八
    電話 長者町(3)二〇一二番
            五七六四番
支店 東京市芝區田村町四ノ一六
    電話 芝(43)〇九一九番
          二九四六番
   大阪市北區兎我野町三三
    電話 北 五七二九番
   京都市下京區東洞院七條下ル
    電話 下 一九五四番
   名古屋市西區御幸本町二ノ一
    電話 本局一三五四番
   福岡市上市小路町五
    電話   五三五四番
   京城市明治町二ノ二五
    電話 本局三七四六番
   大連市山縣通三八
    電話   三八七九番
   奉天府浪速通五
    電話 奉天二六二三番
   新京祝町三ノ七
    電話   四三七八番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263552/1/27
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤醇:別府醇》火山樓隨筆(十七)橫山健堂【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)

【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
出版者   東京名墓顕彰会
出版年月日 1940-07


  火山樓隨筆(十七) 橫山健堂 p10-14/17
 八七 空月庵、伊藤杢之允、山口行齋
先年、故呉秀三博士がシイボルト研究に沒頭された頃、
私が下關、阿彌陀寺町の伊藤醇氏と懇意の關係であることを、
誰からか聞いて來られて、紹介を依頼されたことがあつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/10
 伊藤杢之允肖像 健堂生冩
 p13【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
〔画像〕p13【掃苔 9(7)】昭和15年(1940-07)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/13
定価 一  部 金三十五錢
   半ケ年分 金  二圓
   一ケ年分 金  四圓
   郵税三錢
昭和十五年七月十二日印刷納本
昭和十五年七月十五日發行
編輯兼 藤浪 剛一
發行人 東京市麴町區内幸町二丁目五番地
印刷所 成文堂印刷所
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
印刷人 植田 庄助
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
發行所 成文堂
    東京市芝區濱松町一丁目十三番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/2236808/1/16
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《伊藤 醇:別府 醇》志道精(井上)・伊藤醇誌【頼山陽の人と思想】昭和18年

《伊藤 醇:別府 醇》志道精(井上)・伊藤醇誌
【頼山陽の人と思想】昭和18年

【頼山陽の人と思想】昭和18年
又、その門下より出でたる伊藤博文・井上馨は、
文久三年四月十三日、 ※1863年5月30日
外航の發船に際して
「政記」の寫本三冊を携へ、
連名の跋(伊藤公手書)を、
「政記」若干巻は、藝國賴子成の著はす所なり。
書中、吾が朝、政治の係(か)かるところを概擧して、
之れを論定し、又以て古今成敗の跡を審らかにするに足れり。
然り而して今將に之れを海外に携へんとす。
此の行に於て、素と要なきの書たりと雖も、
又將に歸來の日に望むものあらんとするなり。
文久三、癸亥の年、四月十有三日。
志道精(井上)・伊藤醇誌。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇【重要美術品等認定物件目録】昭和18年

《伊藤 醇:別府 醇》下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
【重要美術品等認定物件目録】昭和18年

【重要美術品等認定物件目録】昭和18年
   山口縣        p261/294
  山口縣 下關市阿彌陀寺町  伊藤 醇
文(昭和 九・ 五・一八)
紙本墨書阿蘭陀甲比丹ブロムホフ筆蹟    一通
紙本墨書フレデリツク・ヘンドリツク
   (奥平昌高) (文政三年)筆蹟   一通
紙本墨畫ドウーフ贊富士山圖 フエイルケ筆 一幅
  索引(五十音順)    p279/294
伊藤醇(山口)・・・五一〇   p281/294
昭和十八年三月二十九日印刷
昭和十八年三月三十一日發行
    文部省敎化局 編纂
    内閣印刷局 印刷發行
販賣所 内閣印刷局發行課
    東京市麴町區大手町
    電話丸ノ内(23)三五一~三五九
    振替東京一九〇〇〇
全國各地官報販賣所
全國各地主要書店
  定價二圓五十錢
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》山口縣下關市阿彌陀寺町 伊藤醇【文部省認定重要美術品目録】昭和12年

《伊藤 醇:別府 醇》
 山口縣下關市阿彌陀寺町 伊藤醇
【文部省認定重要美術品目録】昭和12年

【文部省認定重要美術品目録】昭和12年
阿蘭陀甲比丹ブロムホフ筆蹟(紙本墨書) 一通
    (西曆千八百二十二年二月十八日)
  山口縣下關市阿彌陀寺町 伊藤醇
フレデリツク・ヘンドリツク奥平昌高筆蹟
  (文政三年)  (紙本墨書)    一通
  山口縣下關市阿彌陀寺町 伊藤醇
ドウーフ贊富士山圖(紙本墨畫)一幅
 (フエイルケ筆)
  山口縣下關市阿彌陀寺町 伊藤醇
      索 引           p191/214
伊藤 醇(山口)  一六六、一九三   p193/214
昭和十二年二月廿五日印刷 文部省認定重要美術品目錄
昭和十二年三月 一日發行 〔定價三圓五〇錢〕
              特價二圓八〇錢
編 者 章華社編輯部
發行者 戸部 種雄
    東京市目黑區中目黑二ノ五八二
印刷者 孝井 溢次
    東京市澁谷區代々木初臺六七二
發行所 株式會社 章華社
    東京市目黑區中目黑二ノ五八二
    電話高輪(44)三〇四五番
    振替東京六七五二二番
    (山田幸太郎製本)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》伊藤 醇氏出品【シーボルト資料展覧会出品目録】昭和10年

《伊藤 醇:別府 醇》伊藤 醇氏出品
【シーボルト資料展覧会出品目録】昭和10年

【シーボルト資料展覧会出品目録】昭和10年(1935)
 昭和十年四月廿日~廿九日
  シーボルト資料展覽會出品目錄
       主催 日獨文科協會
          日本醫史學會
          東京科學博物館
一二七 シーボルトより贈られし和蘭人形及椅子  p52/69
                    一個 伊藤 醇氏出品
    伊藤家は下關町年寄にして
    シーボルト江戶參府の際滯留して
    頗る親交ありしと云ふ、
    この人形は當時伊藤氏(久三)氏に贈られしものなり、
    此外現にシーボルトの遺品を有す。
一七〇 蘭語解剖原書          一冊 伊藤 醇氏出品
    Thomas Rartholinの人體解剖書を蘭譯せるものにて
    一六五二年ライデン出版なり、
    山口行齋の舊藏書にて表紙、
    見返に墨筆を以て出羽莊内山口行齋藏書と署す。
一七一 林@斯本草全書抜萃鐵之篇 寫本 一冊 伊藤 醇氏出品
      巻頭に高野讓長英とあり、山口行齋の手澤本ならん。
一七二 視學一歩圖解 寫本       一冊 伊藤 醇氏出品
      視器及びレンズの光學的圖解にて山口行齋の手澤本ならん。
一七三 喎蘭銀海秘錄 二、三、四、寫本 三冊 伊藤 醇氏出品
      眼科書にて種々なる眼病を擧げその療法を記す、
      山口行齋の手澤本ならん。
一七四 勃乙斯眼目究理説 全 寫本   一冊 伊藤 醇氏出品
      巻頭に勃乙斯第八巻眼目譯説とあり、
      山口行齋の手澤本ならん。
一七五 阿蘭陀直傳外療秘方書 寫本   一冊 伊藤 醇氏出品
      阿蘭陀流外科藥方書にて
      山口行齋の自筆本ならん。
二三一 奥平昌高筆蹟          一枚 伊藤 醇氏出品
二四四 ブロムホーフ筆蹟           伊藤 醇氏出品
三四一 ブロムホーフ筆扇面       一面 伊藤 醇氏出品
三四二 山口行齋使用ハサミ       二個 伊藤 醇氏出品
三四三 ヘルケ畫ドーフ贊富士山     一幅 伊藤 醇氏出品
    出品者名簿(五十音順)  p66/69
下關市阿彌陀寺町  伊藤 醇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》現主人、伊藤醇氏夫妻及び、母堂の說明【長周游覧記】横山健堂・昭和5年

《伊藤 醇・別府 醇》
 現主人、伊藤醇氏夫妻及び、母堂の說明
【長周游覧記】横山健堂・昭和5年

【長周游覧記】横山健堂・昭和5年
   四   p163-171/239
 幕末の下關には、國交の歷史、及び
新文化の發達の歷史の上に見のがす可らざる好記念がある。
それは春帆樓の直下にある阿彌陀寺町の伊藤醇氏である。
 伊藤氏は下關第一の舊家と稱せられ、
明治天皇始めての御西幸に、
行在所となされた光榮を有すほどの名家である。
行在所の建物は、後ちに養治小學校となり、
今は、解かれて殘つてゐない。
伊藤氏は、毛利氏が長州に入國する以前から此にゐたもので、
第二代の兄弟が分れて伊藤二家になり、
一は西端町にゐて、龜屋といひ、藥舗中の老舗であり、
先代伊藤房次郎氏は、下關市第一代の市長に推されたほどで、
數百年來、此の二家對峙して、家聲を維持し來たつたのである。
維新前、下關の大庄屋は、伊藤、佐古、藤田の三氏で、
その中で伊藤氏尤も古く、且つ今日に、
當年の面影を現存してゐるから、
維新前の下關を知るには、是非、
此の伊藤兩家は研究せねばならぬ。
わたくしは、現主人、伊藤醇氏夫妻及び、母堂の說明により、
出來るだけ同家の資料を研究したが、
杢之允氏の和蘭趣味は、餘程、深入してゐたものと思ふ。
 中津は福澤諭吉氏を出し、
吾が新文明史に一大貢獻をしたが、
福澤氏以前に、すでに早く、
かくの如き新文化に憧憬した先覺者の君主があつたことは、
併せて此に特筆せねばならぬ。
中津侯は、參觀交代の道中に、
伊藤家を定宿としてゐたので、
伊藤家と中津地方とは、淺からざる因緣を結んでゐた。
今の主人も母堂も、
みな豐前から此家に來た人であるのでも知られる。
昭和五年八月十七日印刷  長周游覽記
昭和五年八月二十日発行  定價二圓五拾錢
著作者 横山 健堂
發行者 岡村 千秋
    東京市小石川區茗荷谷町五十二番地
印刷者 三江堂印刷所
    高梨 知愛
    東京市神田區今川小路二丁目一番地
發行所 郷土研究社
    東京市小石川區茗荷谷町五十二番地
    振替東京二三九一七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》下關市阿彌陀寺町【開国文化史料大観】昭和4年

《伊藤 醇:別府 醇》下關市阿彌陀寺町
【開国文化史料大観】昭和4年

【開国文化史料大観】昭和4年
和蘭陀風俗(下繪) 廿二枚 下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 中に文化十一年初冬十一月
 萩屋彌七郎敎貞書と署名せしもの數葉あり、
 凡てシキ寫しせしものにて、下繪、彩色は未濟のまゝなり

富士山の圖 (軸) 一幅  下關市      伊藤 醇
 蘭人ヘルケ(一八四一年)の署名あり、
 ヘルケは日本畫を學び富士を描くを得意とせりと、
 淡墨畫、絹地

萬國旗印帳     一帖  下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 西の内二ツ折、肉筆彩色十一枚

奧平侯返書(メクリ)一枚  下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 中津藩主奧平侯が蘭國カピタンに輿へたる文書

參府道具附覺帳   一册  下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 伊藤家は甲比丹參府の時の下關における本陣たりき、
 故に甲比丹關係の所蔵品多し
 この道具附覺は文政五年正月のものにして
 東勘定場村重慶助承りと表紙に記し
 「汁次」「飯次」「大皿」等
 數十種に及べり(半紙五枚、横帳)

蘭人獻上物泊一件肴、八百屋物之控 一冊    伊藤 醇
 酉正月、大鯛あら、ふか、まて、たこ等の
 食料品と代價を記し
 總〆五十九貫九百四十六匁とあり(半紙五枚、横帳)

御本陣諸雜用之控  一冊           伊藤 醇
 弘化二年十一月十六日より二十日迄
 參府の蘭國甲比丹が滯留中の記で
 米、薪、油、味噌その他の入用品を記し
 〆高四十二貫二百六匁とあり(半紙三枚横帳)

奧平公蘭書     一枚  下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 九州中津藩主奥平公が甲比丹プロンホーフに面會せし時
 ブロンホーフの書きたる文書(西洋紙一枚)
     寫  眞  p63-66/82
寫眞ブツク     一冊  下關市阿彌陀寺町 伊藤 醇
 阪本龍馬の長崎土産寫眞
昭和四年七月十三日印刷 「開國文化史料大觀」
昭和四年七月十八日發行  定價五十錢
編輯兼 大道 弘雄
發行兼 株式會社 朝日新聞社
印刷者 大阪市北區中之島三丁目三番地
印刷所 大阪朝日新聞發行所
    大阪市北區中之島三丁目三番地
發行所 株式會社 朝日新聞社
    大阪市北區中之島三丁目三番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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《伊藤 醇:別府 醇》今の主人は伊藤醇と名乘る【異国叢書. 〔第2〕】昭和3年【異国叢書. 〔第8〕】昭和4年

《伊藤 醇:別府 醇》
 今の主人は伊藤醇と名乘る
【異国叢書. 〔第2〕】昭和3年
【異国叢書. 〔第8〕】昭和4年

【異国叢書. 〔第2〕】昭和3年
こゝに今諸子の芳名を擧げて聊か微衷を表はすこと然り。
その方々は、
足立鍬太郞君・足立謙一郞君・足立謙吉君・
赤澤乾一君・朝比奈泰彥君・荒川みね子・
秋元東之進君・尼子四郞君・雨宮保衞君・
有馬純彥君・有馬秀雄君・安部達人君・
伊木壽一君・伊佐早謙君・伊東尾四郞君・伊藤孝一君・
伊藤醇君・伊藤篤太郞君・伊原敏郎君・池田淳君・
池田成彬君・石田幹之助君・石田元季君・石橋助三郞君・
石井良一君・岩生成一君・今泉源吉君・今井貫一君・
宇佐玄雄君・內海景音君・大久保忠五郞君・
大鳥義脩君・大成洋齋君・ ―略―
 ―略―
今の主人は伊藤醇と名乘る。
杢之允の時より阿彌陀寺に住ふ。
伊藤家にシーボルトの贈りしといふ和蘭人形を藏す。
尙下關の大年寄の家は三軒なりしが如く。
享和中伊藤・佐甲の他に
中野九兵衞といふ年寄ありたり(筑紫紀行)

【異国叢書. 〔第8〕】昭和4年
茲に諸子の芳名を擧げて聊か微衷を表はすこと然り。
その方々は、
足立鍬太郞君・足立謙一郞君・足立謙吉君・
赤澤乾一君・朝比奈泰彥君・荒川みね子・
秋元東之進君・尼子四郞君・雨宮保衞君・
有馬純彥君・有馬秀雄君・安部達人君・
伊木壽一君・伊佐早謙君・伊東尾四郞君・伊藤孝一君・
伊藤醇君・伊藤篤太郞君・伊原敏郎君・池田淳君・
池田成彬君・石田幹之助君・石田元季君・石橋助三郞君・
石井良一君・岩生成一君・今泉源吉君・今井貫一君・
宇佐玄雄君・內海景音君・大久保忠五郞君・
大鳥義脩君・大成洋齋君・ ―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
  明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
  (父 別府祐六:別府又十郎の六男)
  頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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