【一業倶楽部会員総覧 第1編】昭和13年
出版者 一業倶楽部
出版年月日 昭和13
アルマイドホーン興業株式會社
大久保謙治
京橋區西銀座二丁目一番地
電話京橋 自二一七二番
至二一七四番
アルマイドフオーン興業株式會社は
理研アルマイドの姉妹會社で資本金五十萬圓
其の取引銀行は第一銀行で
一切浮氣をして居ない本當に眞面目一方の會社である。
―略―
アルマイドフオーン興業株式會社の經營に
主として當つて居られる支配人大久保謙治氏こそ
同會社の盛衰與奪の權を持つて居られる大切な御方であるが、
抑々大久保謙治氏とは如何なる人物であらうか、
氏は筆者と同じく場所こそ離れて居るが
同じ九州の産で大分縣中津の御生れ
其の先祖は武家の出で氏又今日士族なのである、
氏は明治二十九年の御生れであるから
本年取つて正に四十三歳
事業家としては油の乘りきつた絶好の御年輩なのだ。
氏は石原商會の御主人石原脩吉氏や
閏商店の閏定次郎さんや
松尾工場の松尾吉富兩氏等と共に
早稻田大學出身であるが
其の經歷は活動家である事を如實に示して居る、
卽ち去る大正十一年に三越本店に入社
大正十五年には日本活動寫眞株式會社に轉勤後
昇進して其の理事となり
去る昭和十二年之を辭してアルマイドフオーンに入社
其の支配人となられた御方であるが、
其の間何でも日蓄などにも多少の御關係が有つた樣である。
―略―
大和運輸株式會社
京橋區木挽町二丁目一番地一
電話京橋五六七九・七〇五五番
昭和十三年十月 十九日印刷納本
昭和十三年十月二十二日發行 非賣品
著者兼發行者 稻臣 等
印刷者 谷口熊之助
印刷所 合資會社 谷口印刷所
東京市麴町區五番町十二番地
電話九段四八四五番
發行所 一業倶樂部
東京市赤坂區田町二丁目七番地
電話赤坂三五四七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年05月15日07:38
<大久保系圖:No.12>
75《三男 大久保慎二》~78《長女 大久保品子》
76《長男 謙治》※大久保謙治
明治二十九年(1896)生
大正十一年(1922)
早稲田大學ヲ卒業
三越ニ就職
運動具部主任
大正十二年(1923)
関東大震災後 三越を去り
日本活動寫眞株式會社へ入社 後
宣傳部長、営業部長を歴任
大東亜戰後 仝社を去り
アドボードKK、常務取締役
外 一二の會社を歴任す
松浦浪子と結婚し
長女 満里子は、
ハワイ二世ジェリー大村と結婚し二男あり
世田谷区世田谷町一ノ二三八に居住
昭和二十七年(1952)三月十九日
胃癌にて歿す
享年 五十六才
戒名 景徳院恭山宗謙居士
京都 東福寺 即宗院に葬る
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年10月01日04:15
《大久保謙治》
[早稲田大学ラグビー部創設]大正7年11月7日
【早稲田ラグビー六十年史】昭和54年(1979.3)
[栄進館グループ]
これとは別に、
北越館の目と鼻の先にあった栄進館には、
《大久保謙治》をはじめ
《名和野秀雄》、
《大西次郎右ヱ門》、
《黒沢昌弘》、
《瀬尾俊三》らが下宿していた。
彼等は”牧羊クラブ“と称して
草野球などを楽しんでいたようである。
その中の
《大久保謙治》は ※下記ブログに記載
ハードルの選手として名を知られ、
その弟の《大久保次郎》は ※下記ブログに記載
同志社の有名な選手だったことから、
ラグビーに関心はなくわない。
これもまた、
弟からボールをもらって蹴っていた。
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