資料・島根県

《松村仙造》鑛種 石油 鑛區 簸川郡西田村、北濱村 鑛業權者住所 兵庫縣武庫郡御影町【官報 1921年07月11日】大正10年

【官報 1921年07月11日】大正10年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正10年
 官報 號外 大正十年七月十一日 月曜日 印刷局
    彙  報
  〇産業
◎鑛業事項  鑛業法ニ依リ處分シタルモノ
       左ノ如シ(農商務省)
登錄番號   島根試登錄第七二七號
鑛區所在地  簸川郡西田村、北濱村
鑛  種   石油
面  積   六二九、八三七坪
鑛業權者住所 兵庫縣武庫郡御影町
    氏名 松村仙造 外一人
許可及登錄ノ月日 七年一一、二九
事  由   試掘願許可
p35【官報 1921年07月11日】大正10年
p35【官報 1921年07月11日】大正10年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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仁多郡横田町第十三回農談會筆記【島根県勧業雑報. 第2号】明治17年

仁多郡横田町第十三回農談會筆記【島根県勧業雑報. 第2号】明治17年

【島根県勧業雑報. 第2号】明治17年
  〇仁多郡横田町第十三回農談會筆記 p7-9/27
幹事長(岡崎健藏)
 -略-
十七番(絲原猪太郎)
 -略-
 七番(武藤六郎兵衛)
 -略-
十六番(眞田榮四郎)
 -略-
 廿番(三島啓造)
 -略-
廿二番(安部傳四郎)
 -略-
廿三番(春田德藏)
 -略-
 二番(渡部德兵衛)
 -略-
十五番(堀江伊之助)
 -略-
十二番(白根村助)
 -略-
  〇各郡勸業通信委員並農事試驗係人名  p25-27/27
 〇通信委員
島根 秋鹿 意宇  郡  山本鉚次郎
仝            島田  彦
能義郡          和田米太郎
仝            稻田 戒三
仁多 大原     郡  米田  事
仝            中村 守丘
仝            矢島丈三郎
仝            村尾亭太郎
飯石        郡  髙橋愛五郎
仝            和田 太郎
出雲 楯縫 神門  郡  森山白十郎
仝            森井豐之介
邇摩 安濃     郡  原  長雄
仝            厚東五三郎
邑智        郡  髙橋 廣江
仝            左右田良人
那賀        郡  增田 齡造
仝            佐田 讓造
美濃        郡  山田 永弼
仝            内村 健次
鹿足        郡  中田 勝治
仝            中村 靜根
周吉 穩地 海士 知夫郡 吉岡倭文麿
 〇試驗係    p26-27/27
  -略-
明治十七年六月十二日出版届 (不販賣)
仝   年八月二十日刻成
    嶋根縣藏版
 島根縣第四活所版
    博廣社印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年09月07日
出雲國(島根縣)仁多郡【郵便取扱役姓名録. 明治14年4月調】
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出雲國(島根縣)仁多郡【郵便取扱役姓名録. 明治14年4月調】

出雲國(島根縣)仁多郡【郵便取扱役姓名録. 明治14年4月調】

【郵便取扱役姓名録. 明治14年4月調】
 出雲國     p91/150
仁多郡      p92/150
横 田  四等  岡崎 健藏
佐 白  仝   馬庭宇三郎
三 澤  仝   長瀬勘三郎
三 成  仝   金坂常太郎
上阿井  仝   長瀬太五郎
小馬木  仝   田食松太郎
龜 嵩  仝   山根 林藏
湯 村  仝   西村貫次郎
秋鹿郡
秋 鹿  四等  福田源次郎
出雲郡
直 江  四等  有田虎次郎
明治十四年四月三十日調
同   年六月廿三日出版御届
編輯兼出版人 東京府平民
       大内 靑巒
       東京麻布本村町第百九十四番地
製本發賣所  鴻 盟 社
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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全国郵便局長会[ゆうびん局長会]
 郵便局の歴史とその役割
「郵便役所」と「郵便取扱所」の設置
郵便制度の普及を支えた「郵便取扱所」
そこで政府は、地元の名士(かつての庄屋や名主など)から
自分たちの土地と建物の一部を無償で提供してもらい、
その代わりに彼らを「郵便取扱役」に任命して準官吏の身分を与え、
「公務」である郵便業務を請け負わせるという施策をとったのです。
この結果、地域の名士の屋敷を拠点とする
「郵便取扱所」が短期間のうちに全国津々浦々にまで広がり、
わが国の郵便制度は急速な普及を遂げました。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年09月07日
仁多郡横田町第十三回農談會筆記【島根県勧業雑報. 第2号】明治17年
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《錦織義敎》簸川郡出東村・縣多額納税者【人材・島根:県人名鑑】昭和13年

《錦織義敎》簸川郡出東村・縣多額納税者【人材・島根:県人名鑑】昭和13年

【人材・島根:県人名鑑】昭和13年
《錦織義敎》 簸川 出東 p183/263
 縣多額納税者 農業
 簸川郡出東村
明治十五年(1872)九月
出東の豪家、錦織榮次郎の長男に生れ、
大正十五年(1926)家督を嗣ぐ
長じて、松江中學に學び
明治卅三年(1900)同校(二〇期)卒業の上、
高校を經て、 ※第五高等学校:下記
東京帝國大學に入り、
明治卅九年(1906)東京帝國大學農科大學を卒業し、
歸郷して家業に就く。
溫厚重篤の資性はその秀れたる才氣と相俟つて、
地方民の信望厚く、
殊に新時代の敎養高き地主として、
小作人に對する理解深く溫情に富む。
縣多額納税者にしてその高邁なる人格、年と共に輝く。
近代的明朗の紳士にして、
趣味も廣く殊に讀書に親しむ。
宗敎は佛敎なり。
(家庭)
父  榮次郎(安政四年:1857)
妻  朝野 (明治二〇年:1887)
       縣人 寺本昌福 姉
嗣子 龍夫 (明治四二年:1909)
女  喜代子(大正 三年:1914)
女  泰子 (大正 五年:1916)
二男 健次郎(明治四五年:1912)
三男 孝義 (大正 八年:1919)
四女 英子 (大正一〇年:1921)
五女 直子 (大正一四年:1925)
昭和十三年四月 五日印刷
昭和十三年四月十五日發行
人材・島根 定價 金 五圓也
編 者 島 洋之助
發行者 永富彪夫
    東京市豐島區西巣鴨四ノ二九八
印刷者 山縣精一
    東京市神田區神保町三ノ二九
印刷所 山縣製本印刷株式會社
    東京市神田區神保町三ノ二九
發行所 島根文化社
    東京市神田區淡路町二ノ七
    電話 神田(25)二〇一〇 二〇一一番
    振替 東京七七二三〇番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月17日 16:27 ◆松村仙造(眞澄) 島根縣立第一尋常中學校
島根縣立第一尋常中學校:明治33年卒業42名【帝国大学出身名鑑】
[14第五高等学校生   錦織 義教
第五高等学校 明治33年9月入学 大学予科 第二部 農科
       明治36年7月卒業 大学予科 第二部 農科
東京帝国大学 東京農科大学 農学科
       明治36年9月入学
       明治39年7月卒業
【帝国大学出身録】大正11年
錦織義教 島根県簸川郡出東村黒目九三七 p596/872
君は島根県に原籍を有し
明治三十九年東大農学部を卒業し後
家事を扶けて実業に従事し今日に至る
【帝国大学出身名鑑】昭和7年
錦織義教 p707/1005
島根県多額納税者・農業
父 栄次郎 安政四、五生
妻 朝野  明二〇、一一生、島根 寺本昌福姉
男 龍夫  明四二、九生
女 喜代子 大三、三生
女 泰子  大五、六生
君は島根県人
錦織栄次郎の長男にして
明治十五年九月を以て生れ
大正十五年家督を相続す
明治三十九年東京帝国大学農科大学を卒業し
農業を営み
県下の多額納税者にして
直接国税四千六十五円を納む
家族は尚
二男 健次郎(明四五、三生)
三男 孝義 (大八、三生)
四女 英子 (同一〇、八生)
五女 直子 (同一四、八生)
あり
(島根、簸川、出東村)
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《錦織榮次郞》島根、簸川、出東村『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

《錦織榮次郞》島根、簸川、出東村『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
人事興信録
第8版 [昭和3(1928)年7月]
《錦織榮次郞》 (男性)
位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄 島根縣平民
職業     株式會社湖西銀行常務取締役
生年月日   安政四年五月七日 (1857)
親名・続柄  錦織伊左衛門の二男
家族 養父  芳三郞 天保一〇、八生
養母 ヨリ  安政三、一一生、島根、平、亡門脇源兵衛五女
妻  フミ  文久元、九生、島根、平、木村小左衛門二女
男  義教  明一五、九生
婦  朝野  明二〇、一一生、長男義教妻、島根、平、寺本昌福姉
男  清二郞 明一八、四生
男  孝造  明二三、一一生
男  秀夫  明二七、七生
女  富子  明三〇、八生
女  春野  明三三、二生
記述部分
君は島根縣平民亡錦織伊左衛門の二男にして
安政四年五月七日を以て生れ後先代芳三郞の養子となり
同三十二年九月家督を相續す
現今湖西銀行常務取締役たり
家族は尚
孫  龍夫 (明四二、九生、長男義教長男)
同  健次郞(同四五、三生、同二男)
同  喜代子(大三、三生、同二女)あり
三男 三郞 (明二〇、一二生)は島根縣士族佐々田懋の婿養子となれり
住所    島根、簸川、出東村
電話番号
参照人物  佐々田懋
参照次数  1 (※なし1)
読み    にしこおり えいじろう
      名古屋大学大学院法学研究科
〒464-8601 名古屋市千種区不老町 TEL:052-788-6236
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[簸川郡:出東村の錦織姓]【簸川郡所有者地価姓名録】大正3年

[簸川郡:出東村の錦織姓]【簸川郡所有者地価姓名録】大正3年

【簸川郡所有者(地価五百円以上)地価姓名録:附加所得税年額】大正3年
※地價 所得税納額:略
 出東村部内 p22-28/127
大字 黒目  錦織榮次郎
大字 坂田  勝部本右衛門
大字 三分市 勝部本次郎
大字 中洲  勝部嘉太郎
大字 三分市 錦織梢之助
大字 中洲  錦織常太郎
大字 冲洲  錦織種藏
大字 坂田  勝部権吉
大字 中洲  錦織茂太郎
大字 坂田  勝部新五郎
大字 中洲  錦織兼太郎
大字 黒目  錦織啓四郎
大字 黒目  錦織和三郎
大字 坂田  勝部柳三郎
大字 中洲  錦織彌市
大字 三分市 錦織熊市
大字 黒目  錦織儀太郎
大字 三分市 勝部亀次郎
大字 沖洲  勝部平次郎
大字 坂田  錦織周太郎
大字 中洲  錦織岩四郎
大正三年七月廿二日印刷
大正三年七月廿四日發行
(定價 金四拾錢)
編輯兼發行人 大和長三郎
       松江市母衣八十九番地
印刷人    中山賢次郎
       松江市殿町
印刷所    殿町印刷所
       松江市殿町
特約販賣所  園山文會堂
       松江市白潟本町
特約販賣所  川岡淸助
       松江市天神
發行所    就將堂
       松江市母衣
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月08日 08:04 ◆松村仙造(眞澄) 略歴:松村仙造
[簸川郡:出東村・久木村の勝部姓]【簸川郡所有者地価姓名録】大正3年
【簸川郡所有者(地価五百円以上)地価姓名録:附加所得税年額】大正3年
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[出雲郡(簸川郡):出東村の錦織姓]【島根県貴族院議員撰挙人名…】明治24年

[出雲郡(簸川郡):出東村の錦織姓]【島根県貴族院議員撰挙人名…】明治24年

【島根県貴族院議員撰挙人名並ニ
出雲楯縫神門郡衆議院議員撰挙人名一覧表】明治24年
島根県 出雲郡    p4/78
  出東村      p7/78
出東村 大字坂田   勝部勝右衛門
    同      勝部本右衛門
    同      勝部柳三郎
出東村 大字三分市  錦織梢之助
    同      勝部本次郎
    同      勝部貫三郎
出東村 大字黒目   錦織啓四郎
    同      錦織芳三郎
出東村 大字黒目   錦織伊平
出東村 大字中洲   錦織善十
    同      錦織權之助
    同      勝部榮四郎
    同      錦織善兵衛
    同      錦織藏三郎
出東村 大字沖洲   錦織芳三郎
明治廿四年二月廿一日出版 定價金參拾錢
  嶋根縣平民
編纂者 板垣要太郎
    嶋根縣神門郡遙堪村大字濱村千七拾五番地
  嶋根縣平民
發行者 板倉淸太郎
    嶋根縣神門郡古志村大字古志八拾番地
  嶋根縣平民
印刷者 武永貞助
    嶋根縣神門郡今市町大字今市町六百六拾八番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[錦織米市翁(日進製作所:島根県簸川郡出東村生)顕彰碑竣功]金刀比羅神社・京丹後市峰山町:平成19年10月

[錦織米市翁(日進製作所:島根県簸川郡出東村生)顕彰碑竣功]
金刀比羅神社・京丹後市峰山町:平成19年10月

ことひら 平成19年12月 第8号
金刀比羅神社(ことひら じんじゃ)
京丹後市峰山町泉1165-2
 ことひら 平成19年12月 第8号
〔画像〕ことひら 平成19年12月 第8号

錦織米市翁 顕彰碑竣功
夢と創造で未来を築こう 錦織米市
昨年(平成18年)七月に逝去された錦織米市翁
(日進製作所特別顧問・創業者 京丹後市名誉市民)の
顕彰碑が境内に建立され、
十月二日(火)除幕式が営まれた。

夢と創造で未来を築こう 錦織米市
錦織米市翁は、大正二年十月十二日
島根県簸川郡出東村に生まれる。
昭和二十一年、この峰山の地に、
日進製作所を創立して以来、刻苦淳励
よくその大を成した。
また、機械金属産業の魁となり、
かつ、企業の社会的貢献の範となる。
 ―略―
 平成十九年十月  錦織米市翁顕彰会
 錦織米市翁 顕彰碑
〔画像〕錦織米市翁 顕彰碑
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[金刀比羅神社]丹後峰山の こんぴら さん
こんぴらさんの “狛猫” は
日本唯一とも言われる 大変珍しい守り神です。
金刀比羅神社社務所
〒627-0034
京都府京丹後市峰山町泉1165-2
電話 0772-62-0225 FAX 0772-62-5993
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[株式会社 日進製作所]
ご挨拶・社訓
弊社は1946年(昭和21年)、
創業者 錦織米市が平和産業を志し、
ミシン部品の製造・販売を開始して以来、
自動車/オートバイ関連部品などの各種精密機能部品や、
工作機械(竪型自動ホーニング盤、特殊研磨機など)の生産に
不断の努力を重ね、
数多くの製品を産業界に供給してまいりました。
 ―略―
代表取締役社長 前田 昌則
株式会社日進製作所 NISSIN MANUFACTURING CO., LTD.
本社・工場 〒627-0037 京都府京丹後市峰山町千歳22番地
TEL.0772-62-1111(代) FAX.0772-62-3202
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[ヒカワ精工株式会社]
商号   ヒカワ精工株式会社
創業   昭和45年11月
資本金  4,800万円
代表者  代表取締役会長 錦織 隆
     代表取締役社長 新藤 久夫
所在地  〒699-0502
     島根県出雲市斐川町荘原3168番地
TEL  0853-72-0355 (代)
FAX  0853-72-4803 (代)
系列会社 株式会社日進製作所(親会社)
     株式会社タンゴ技研
     株式会社大宮日進
     ―略―
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福祉新聞 WEB
社会福祉法人風土記<21>みねやま福祉会 下
引き継がれた”私達の願い”
2017年03月24日 福祉新聞編集部
 平成の時代に入り、峰山町では老人ホーム建設の機運が高まり、
町は「特別養護老人ホーム建設準備委員会」を立ち上げ検討を開始する。
  白羽の矢が立ったのがみねやま福祉会で、
1992(平成4)年に法人名称を「社会福祉法人峰山乳児院」から
「社会福祉法人みねやま福祉会」に変更した。
児童福祉分野の法人だったが、
これまでの実績と町・地域への貢献が評価された。
1994(平成6)年4月、
特別養護老人ホーム「はごろも苑」
「峰山町在宅介護支援センター」
(施設長=櫛田匠・現理事長)を開設した。
  建設資金は国、府、町からの補助金のほか、町民からの寄付を充て、
寄付は「特別養護老人ホーム建設を支援する会
錦織米市会長=当時)」が先頭に立って町民、企業などに呼び掛けた。
「支援する会」はホーム開設後、社会福祉法人みねやま福祉会後援会
(嶋田信行会長)に発展し、今も物心両面で法人を支えている。
 ―略―
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[鹿田熊八氏(旧姓:三木)]【東京高等師範学校一覧】

[鹿田熊八氏(旧姓:三木)]
【東京高等師範学校一覧】

【東京高等師範学校一覧. 明治30-32年】
 明治30年7月16日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813058/279
体操傳習員     p117/282
明治十五年七月卒業 p117/282
三木熊八 島根   p118/282

明治十六年七月卒業 p118/282
渡邊寛一郎 島根

明治十七年六月卒業 p118/282
河原柳太郎 島根
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813058/118
明治十八年七月卒業 p118/282
横地捨次  島根  p119/282

明治十九年三月卒業 p119/282
三好才五郎 島根
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813058/119

【東京高等師範学校一覧. 大正10年度】
 大正10年11月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939515/358
第七章 卒業生  p206/360
 第一 五十音別氏名、原籍、出身學校
    卒業年月及學科
 凡例
 體 傳 ― 體操傳習員、同別課傳習員、同專修員
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939515/206
鹿田熊八(島根) 一五ノ七 體傳  p231/360
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939515/231

【改正小学体操法】
明治三十一年十月十日印刷
明治三十一年十月十五日發行
著作者 鹿田熊八
    島根縣簸川郡久村六十六番屋敷
著作者 寺本伊勢松
    神戸市下山手通六丁目二十八番屋敷
發行者 熊谷幸助
    神戸市元町七丁目十七番屋敷
印刷者 松本貞藏
    大阪市北區中之島一丁目五番屋敷
發行所 熊谷久榮堂
    神戸市相生橋東
印刷所 大阪國文社
    大阪市東區本町一丁目三十番屋敷
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859850/109

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[體育に就ての所感:鹿田熊八氏(旧姓:三木)]
【簸川郡教育五十年史】大正14年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659505.html

[體育に就ての所感:鹿田熊八氏(旧姓:三木)]【簸川郡教育五十年史】大正14年

[體育に就ての所感:鹿田熊八氏(旧姓:三木)
【簸川郡教育五十年史】大正14年

【簸川郡教育五十年史】大正14年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920819/224
[體育に就ての所感]   p197226
 鹿田熊八氏
 余は明治十四年以來、
 四十餘年間學校敎に從事し、
 就中體育に就ては多大の興味を以て研究し、
 多少の經驗を積み居るものと信じますから、
 體操の經歷を述べ、
 併せて余の鄙見を陳べて、
 諸彦の批評を乞はんと思ひます。

(一) 體操の經歷
明治十四年
今市小學校在職中、
先輩故高橋伊伎夫氏、
故伊原齊氏、
金本鹿之助君、
宍道啓次郎君等の推薦に依り、
十五年一月
東京體操傳習所に入所致しました。

同所は東京神田一ツ橋にありて、
日本體操學校の創設にて、
しかも文部省直轄にて、
設備も完備し、
敎師は米國麻沙士州人
「ドクトル、リーランド」、
坪井玄道、
田中盛業等の諸先生にて、
學科は修身、心理、生理、衞正等にして、
體操は徒手體操、唖鈴、球竿、棍棒、木環、豆嚢體操なり。
器械體操は鐵棒、並行桿、木馬、直竿等にして、
遊戯は
「フートボール」、
「ベースボール」、
「クルケツト」、
「クロツケー」等なり。

毎朝六七十度の微温湯に浴し、
健康診断を爲し、
體操は
「クララ」と云ふ洋婦人の
「ピアノ」に合せて、
最も美妙輕快に實習しました。

十六年三月
卒業し、
歸國の途次縣廰に參り、
時の縣令境二郎殿、
其他縣官に縣廰の玄關に於て
棍棒體操をして御覧に入れました。
簸川郡に歸りては、
各所に於て敎員諸君に
體操の講習を致しました。

島根縣に於て體操の講習は、
我簸川郡が最も先鞭者でありました。

其頃は體操は未だ新らしきものから、
物珍らしそうに
何れに於ても參觀人多く集り、
體操敎師はオイチ二の先生と呼びて、
恰も千金丹賣りの如く
世人に嘲けられたものであります。

其後
余は濱田中學校に轉任し、
久多美村・河原柳太郎氏及
米子の三好才五郎氏、
續て體操傳習所に入り、
卒業の上
松江師範學校の體操敎師となられました。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920819/197

【改正官員録. 明治16年4月】
 明治16年4月2日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779319/314
島根縣 出雲國 島根郡 松江 p288/318
令    山口 從五位 境 二郎
大書記官 新潟 從六位 星野輝賢
一等属  滋賀     門野長道
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779319/288

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

身体と遊戯へのまなざし
- 日本近代体育黎明期の体操伝習所(明治 1 1 ~1 9 年)-
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/shintai-to-yugi/catalog.pdf

[体操伝習所旧蔵書が語るもの]
―略―
次に、体操伝習所の教育に関して重要な人物を挙げるとすれば、
リーランド(G.A.Leland)と坪井玄道ということになろう。
リーランドはボストンのアマースト大学卒業後、
ハーバード大学で医学を学んだ人で、
後年アメリカ喉頭学会の会長を務めた。
―略―
一方、坪井は生涯に25冊の編・著・訳書を残した。
体操伝習所時代には
田中盛業(体操伝習所第一回卒業生、同教官)との共著で、
『小学普通体操法』(明治17年)と
『戸外遊戯法 一名戸外運動法』(明治18年)の2冊を著わしている。
―略―
(おおくま・ひろあき 体育科学系助教授)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/tsukubane/2503/okuma.html

[クロッケー歴史年表]
明治11年(1878)
『体操伝習所』開設に伴い、
リーランドがはじめてクロッケーを紹介する。
リーランド通訳の坪井玄道、
クロッケーに『循環球』の訳語をあてる。
http://www.croquet.jp/HistricalTable.htm

[鹿田熊八氏(旧姓:三木)]
【東京高等師範学校一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659506.html

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