◆南洋群島

南洋振興日報社 社長 新城朝功 主幹 近藤三男【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

南洋振興日報社 社長 新城朝功 主幹 近藤三男
【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

南洋振興日報社  p61/169
本 社 サイパン島北ガラパン町四丁目
    電話八九番
創 刊 昭和四年三月二十八日
社 長 新城朝功 主幹 近藤三男
沿 革 群島ニ於ケル最初ノ新聞ナリ
    昭和六年以來 新城朝功氏ノ經營ニ移ル
    昭和十一年八月ヨリ印刷業ヲ兼營
    日刊ニシテ「マリアナ」群島ニ主トシテ讀者ヲ有ス
    目下 近藤主幹 一切ヲ經營
支 局 テニアン島、ロタ島、東京市
    ソノ他 群島 各方面ニ通信網ヲ張ル

《新城朝功》  p104/169
南洋振興日報社 社長
經 歷
明治二十五年 沖縄縣國頭郡金武村ニ生ル、
大正七年三月 ※大正8年卒業:下記
明治大學政治經濟科ヲ卒業後
臺灣銀行ニ入リ經濟調査ノ爲メ支那各地ヲ遍歷シ、
後同銀行ヲ辭シ上京シテ 都新聞ニ入リ
ソノ經濟部長ニ累進
更ニ 東京日日新聞經濟部記者タリシコトアリ、
昭和五年 沖縄縣ヨリ衆議院議員立候補ノ目的ヲ以テ
新聞社ヲ辭ス、
昭和六年七月 サイパン島ニ渡航
南洋振興日報社ヲ買収 自ラ ソノ社長トナル、
昭和八年八月 布哇及ビ北米視察中
中南米ペルー國首都リマ市ノ在留邦人ニ招聘セラレテ
同地ノ邦字新聞 リマ日報ノ社長ニ就任、
昭和十二年八月 歸朝 依然現職ニアリ
趣 味 麻雀
家 族 妻及ビ男一人
現住所 東京市淀橋區西大久保二ノ三二七

《近藤 三男》   p98-99/169
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/98
南洋振興日報 主幹 p99/169
經 歷
明治三十一年十月三十一日生レ、
原籍 長崎縣南杉浦郡福江町、
大正七年 長崎縣五島中學 卒業
早稻田大學ニ入リ
大正十三年 商科ヲ卒業ス ※大正12年専門部商科卒業:下記
同年四月 東京電氣時計製作所ニ入リ
十五年 東京中央放送局ニ轉ズ、
昭和二年九月以來 獨力商業ヲ營ミタルモ
昭和六年九月 南洋振興日報社ニ招カレ
ソノ主幹トシテ同新聞ノ營業編輯一切ヲ引受ケ經營
以テ今日ニ至ル
趣 味 庭球、野球、讀書
家 族 妻 みき子、一男一女
現住所 サイパン島北ガラパン町四丁目

昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)

《新城 朝功》明治大学 政治科 大正8年卒業
【明治大学校友会会員名簿. 大正13年7月】
 大正八年  p427/479
 ◉政 科  p429/479
《新城 朝功》
【明治大学校友会員名簿】昭和10年
《新城 朝功》  p261/366
沖縄 大正8年 政治
南洋振興日報社 社長
本郷區丸山福山町一五

《近藤 三男》 早稲田大学 専門部商科 大正12年卒業
【早稲田大学校友会会員名簿.  大正14年11月調】
專門部 商科 大正十二年得業 p296/517
《近藤 三男》 芝 三田 四國町二ノ一 小島方
【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
《近藤 三男》 大正12年 專 商 長崎 p194/462
南洋振興日報社 經營
南洋サイパン島 南洋振興日報社

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《土井十太郎》南洋朝日新聞(旧南洋日日新聞)社長【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

《土井十太郎》南洋朝日新聞(旧南洋日日新聞)社長
【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

2016年04月11日
[仲本興正酒造店]《仲本興正》【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年
《仲本興正》 p116/169
 醸造業
經 歷 原籍 那覇市高橋町、
    ―略―
    昭和六年(1931)
    サイパン島ニ南洋新聞(現 南洋朝日新聞)ヲ創刊シ
    ソノ社長タリシコトアリ
現住所 サイパン島南ガラパン町

南洋朝日新聞社  p60-61/169
本 社  サイパン島北ガラパン町二丁目
     電話一三四番 二三二番
社 長  土井十太郎
社員數  二十名
工場設備 ―略―
沿 革  本紙前身 南洋日日新聞
     昭和五年四月創刊サル
     昭和八年九月一日
     現社長 土井十太郎氏 之ヲ買収シ
     昭和八年十一月十一日以來
     南洋朝日新聞ト改題
     各方面ニ通信網ヲ張ツテ活躍ス
     昭和十一年十月 セブライ發聲映寫機 二臺購入
     ニユース映畫ヲ一般ニ公開シ
     更ニ昭和十三年五月以來
     群島産業紹介ノ爲ニ發聲映畫ヲ完成
     題シテ「南進日本」ト稱ス
     社屋本館八十坪 上階ヲ講堂トナシ
     一般ノ利用ヲ計ル
     一般印刷ヲ兼營セリ
支 局  テニアン、ロタ、パラオ、ポナペ、
     トラツク、ヤルート、那覇、
     東京、大阪、神戸、門司

《土井十太郎》  p113/169
勳八等 南洋朝日新聞社長
經 歷
明治二十二年三月十日生、
原籍 廣島縣安藝郡渡子島田原
十四歳 笈ヲ負ヒテ上京習學ヲ志セルモ
十八歳 帆船ヲ得テ獨力運送業ヲ開始
續イテ
二十二歳 神戸市ニ海陸物産問屋ヲ開業ス
勵精刻苦業大イニ揚リ
西灘中央市場組長トナル、
大正十五年一月
靑果物移入及栽培ノ目的ヲ以テ
サイパン島ニ來リ
昭和八年 南洋日日新聞社ヲ買収
(現名ニ改稱)社長トナリ今日ニ至る。
コノ間邦人ノ南洋發展ヲ策シテ
南洋振興會ヲ興シテ
ソシテ幹事長タリシコトアリ
亦邦人會議員、
ガラパン町協議會員ニ撰バレ町治ニ盡セリ、
現ニ社寺學校ノ世話人或ヒハ保護者會幹事トシテ重キヲナス
家 族 妻 ウメヨ(明治二四年生)
    男子 三人 女子 四人
現住所 サイパン島北ガラパン町

昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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南洋新報社 パラオ諸島コロール島【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

南洋新報社 パラオ諸島コロール島【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

株式會社 南洋新報社  p31-32/169
所在地 パラオ諸島 コロール島
設 立 昭和十二年九月
營 業 新聞經營、廣告業、廣告ノ取次斡旋、通信事業。
    印刷業、印刷器具材料及諸用紙ノ販賣。
    文藝ソノ他ノ社會事業竝ニ右諸項ノ附帶業務
役 員
 取締役會長 宮下重一郎
 取 締 役 西 酉 乙
 同     本目都太郎
 監 査 役 藤本廣太郎
  編輯長  山本 耕三
資本金(拂込濟) 三二、〇〇〇圓
株 主   (總株數) 六四〇株
 南洋貿易會社     二四〇株
 南洋拓殖會社     二〇〇株
 南洋興發會社     二〇〇株
沿革業績
昭和十一年十一月
パラオ有志 天野代三郎、水野喜朔、杉山隼人等ニ依ツテ
南洋新報社ヲ設立ス、
初メ經營困難ナリシモ 編輯長 山本耕三等ヨク難關ヲ突破シ
翌昭和十二年九月 三萬四千三百十圓ヲ以テ
右記諸會社協力 之ヲ買収 株式會社トナス、
現在 基礎漸ヤク固マリ 若干ノ利潤ヲ見ルニ至ル、
從業員三十名

昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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南洋の新聞・花柳界・「知名朝信(知花朝信)」沖縄空手【南洋の旅を終へて】山内磐水・会津新聞社・昭和10年

南洋の新聞・花柳界・「知名朝信(知花朝信)」沖縄空手
【南洋の旅を終へて】山内磐水・会津新聞社・昭和10年

【南洋の旅を終へて】昭和10年
南洋の新聞  p67/78
南洋には新聞社が三社ありますが
之はサイパン島のガラパンと云ふ處にあるのでありまして
何れもサイパン、テニアン、ロタの三島を勢力範圍として居ります。
其の内で一番に古い歷史を持つ居るのが
南洋ラヂオ新聞といひ
興發會社の中に在りまして會社の機關新聞です。

一般としましては
南洋振興日報南洋朝日新聞
二社が猛烈に競争を續けて居りますが
新聞事業と云ふ點から見ますれば
南洋に於ける如何なる仕事よりも
新聞業丈は甚だ幼稚であると
申上げなければならんので御座います。
 ―略―
 ―略―
兩社の幹部は
南洋振興日報社では
近藤三男氏が主筆、同氏の兄が主幹をして居ります。

南洋朝日の方は内藤武猪郎氏が主幹、
吉村寅男氏が主筆となつて居ります。
 ―略―

花柳界  p72-73/78
南洋で割合に發展してゐる商賣は先づ花柳界であります。
何しろ植民地で血の氣の多い若い人が澤山な丈け
一種云ふに云はれぬ氣分に支配されるとでも申しませうか
相當に繁昌して居ります。

尤も植民地と花柳界とは殆ど附物の樣なもので
開拓地が發展する程花柳界が伸びて行く樣に思はれます。

それかあらぬか南洋では何營業よりも
此の方面は發展してゐるのは事實です。

試みにサイパン支廳及
テニアン支廳に就き
數字的に調査して見ると
昭和九年六月一日現在の統計は左の通りであります。

 サイパンでは
 料理店が四十三戸(内純粹の料亭が僅かに三戸)
 カフエーが十一戸
 此處に働いてゐる
 藝者が三十三人 酌婦が七十一人 雇女が二十人。

 テニアンでは
 料理店が十九戸
 カフエーが六戸で
 此處に働いてゐる
 藝者は十一人 酌婦が九十人 雇女が十一人。
となつて居ります。
これは表面届出になつて居る者許りで
その實際は御目見得とか又は手傳とかの名義で
未だ正式に届出になつて居ない者も
相當にあるだらうとの事であります。

線香代は三十分一本の計算で藝 者が五十錢 酌婦が三十錢です。
そして飲食物の所謂(定)なるものは
日本酒(灘物が一圓會津物は八十錢)
ビールが六十錢 サイダー三十錢
宿料は二圓五十錢から三圓位の見當になつて居ります。

南洋に行つて居る
藝妓は三年住込で千圓から七百圓
酌婦でも五百圓から三百圓位の間を往來して居るのだ相です。

尤も被服とか小遣とかは主人持ちで
歩合は主人が六分 本人が四分の割合な相であります。

もともと接客業であるため
當局でも檢梅は毎週やつて居るが
其成績が非常に良好で少しでも怪しいと思ふと
早速治療をさせなければ營業を許さない事にしてあるので
絶對に安心であると云ふ事であります。

沖縄藝者
 ―略―

その外に沖縄の人には空手と云ふ體術をやりますが
これ又實に勇壯極まるもので
男性的な護身術であると云ふので
此頃は大學あたりで盛んに研究して居ると云ふ事です。

テニアンの第三農場の招待會の時、
「知名朝信(知花朝信)」と云ふ沖縄の人が演じた空手は
物凄い程 鮮かなものでありました。
中にも棒押しと板割に到つては
全く神技と云つてもよい位なもので
これには全會場から拍手の雨が降つたのであります。

昭和十年二月二十八日 第一版印刷 【非賣品】
昭和十年三月 五 日 第一版發行
編輯發行兼 福島縣若松市當麻町一四
印刷人   山内 岩記
印刷所   福島縣若松市當麻町一四
      會津新聞社印刷工場
發行所   福島縣若松市當麻町一四
      會津新聞社
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知花 朝信(ちばな ちょうしん)
(1885年6月5日 - 1969年2月26日)
戦前から戦後にかけての沖縄の著名な空手家。
小林流の開祖である。
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矢内原忠雄文庫植民地関係資料[南洋朝日新聞]南洋サイパン島・發行兼編輯人《土井十太郎》昭和9年6月30日

矢内原忠雄文庫植民地関係資料
[南洋朝日新聞]南洋サイパン島・
發行兼編輯人《土井十太郎》昭和9年6月30日

南洋朝日新聞 昭和九年六月三十日 土曜日
發行兼編輯人 土井十太郎
發 行 所  南洋サイパン島ガラパン二丁目
日   刊  南洋朝日新聞社

常夏の南洋に憧れて居りましたが
此度漸く思ひ叶ひましてテニアンの照月樓にて
皆樣に御目見得致す樣に成りましたから
どうぞ御ひゐきの程御願致します
御挨拶
照月樓
御目見得  道子
藝  者  米八  千太  照葉
酌  婦  花子  春子  和子  金子
毎度格別の御いひきに預りまして厚く御禮申上ます。
此度内地より新玉が參りました、
新進を加へ萬全サービスを以て
皆樣に御滿足を與へる考で御ざいますから
どうぞ御散歩の折御立寄被下樣御待申上ます。………

開業お知せ
 從來『乙姫』經營中は格別御引立に預り難有厚く御禮申上ます。
 今度左記の處で料理店を始めました、
 美人も揃つて居ります、劃期的の勉強を致します。
 お散歩の節お立寄り御贔屓の程願ます。
   なか島樓  南三丁目【風月樓】裏
D15020040200-08
〔画像〕D15020040200-08

D15020040200-09
〔画像〕D15020040200-09

女を轉賣……
 利を食ふ
  得意の一手、エロ工作嵩じ天安で御用辨
沖縄縣島尻郡生れ金城牛助(二七)は前科二犯の強か者で
現在パラオ島コロール町にカフエー『樂園』を經營してゐるが
女不足のため過般テニアンに來り
女を物色中ソンソンのカフエー『イロハ』の女給
松原フユ(一九)―假名―を得意のエロの手でたらし込み
去る三日フユの外出を機會に女をそゝのかして
サイパンに逐電『イロハ』の前借百二十圓を踏み倒し、
次で北廓某料亭に前借百五十圓でハルを住み込ませ
内八十圓を『イロハ』に送つたのみで殘金は着服費消したが
味を知つた金城の惡策は更に歩を進め當時ロタより所用にて
サイパンに來り滯在中のロタ島某飲食店主人伊佐川某に
ハルの話を持ちかけ前借三十五圓で取りきめ
六月十九日某料亭にゐるハルを未だ酌婦鑑札の下らざるに
先だち連れ出しロタへ遁走、
今後の野望を劃策中遂に惡運盡きて
去る二十七日大西刑事、稻葉巡査の手に逮捕されるに至つた
   【[南洋庁]職員録. 昭和8年8月1日現在】
    ◎テニアン出張所 p50/113
     (サイパン支廳管内 テニアン島)
     ●警務係
      巡査 月五〇 稻葉利範

 人事往來
今航横濱丸にて
▲拓務屬    三田村武夫
   【職員録. 昭和9年8月1日現在】
    拓務省 p370/759
    ◎朝鮮部
    屬 三田村武夫
▲帝大敎授   矢内原忠雄
▲同 秘書   久保田ちと子 ※下記
▲臺北帝大助手 細川隆英
▲天安小學校長 相川新次郎
   【[南洋庁]職員録. 昭和8年8月1日現在】
   ●テニアン尋常高等小學校(テニアン島) p91/113
    訓導 學校長 從七勲八 相川新次郎
▲山村淸次
▲加藤千太郎の諸氏來島、寄彩又は歸島
D15020040200-10
〔画像〕D15020040200-10

おひろめ  何卒御引立の程を
 八千代内 文子
D15020040200-11
〔画像〕D15020040200-11
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件名標題(日本語) 新聞記事:南洋朝日新聞
階層 琉球大学附属図書館
   矢内原忠雄文庫植民地関係資料
   南洋新聞記事:南洋朝日新聞
レファレンスコード D15020040200
所蔵館における請求番号 矢内原忠雄文庫-182
            (所蔵館:琉球大学附属図書館)
言語 日本語
作成者名称(日本語) 南洋朝日新聞//藤井彩帆醫院長
記述単位の年代域   昭和9年(1934 - 1934)
資料作成年月日    昭和9年6月30日(1934/06/30)
画像数 4
組織歴/履歴(日本語) 矢内原忠雄文庫植民地関係資料//南洋廳
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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Author  矢内原、勝
Publisher 慶應義塾経済学会
Publication year 1987
Jtitle   三田学会雑誌Vol.80,No.4(1987.10),p.285(1)-309(25)
Notes   論説
 ―略―
記録は同行者(久保田ちと子氏)によって整理され、 p21/26
それを矢内原忠雄自身の記億かメモによって補なったものを
自ら書いて著書の原稿としている。
 ―略―
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土曜学校講義
矢内原忠雄が、戦争の色濃くなった時代、
東京大学を追われ公職をはなれた期間に、
自宅で有志の青年に行った講義録です。
参加者(久保田ちと子さん、籾山民子さん)が筆記されたものを、
矢内原伊作、藤田若雄の両氏が編纂して全10巻としています。
 ―略―
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[ナミキ市場:中條住男]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

[ナミキ市場:中條住男]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

【大南洋興信録. 第1輯】
[夏島鐡工所] p60/169
所在地 ポナペ島コロニア町
經營者 中條住男
開 業 昭和七年(1932)八月
營 業 野菜、精肉、鶏卵、食料品
備 考 原籍ハ宮城縣遠田郡富永村長岡針字雜式目二十五
    明治三十年(1897)八月七日生、
    渡南以來業務ニ精勵シ
    種々研究ヲナス、
    特ニ鶏卵少キヲ觀ジテ
    養鶏ニ意ヲ用ヒ遂ニ成功ス、
    現在日ニ百個内外ノ鶏卵ヲ
    市中ニ提供シツツアリ
昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[夏島鐡工所:仁井名兼市]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

[夏島鐡工所:仁井名兼市]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

【大南洋興信録. 第1輯】
[夏島鐡工所] p60/169
所在地 トラツク諸島夏島入舟町
店 主 仁井名兼市
開 業 昭和八年(1933)四月
營 業 發動機ノ修理、一般鐡工業
備 考 營業主ハ
    明治二十二年(1889)十二月十日生、
    原籍 廣島縣御調郡坂井原村
    幼少ヨリ鐡工業ニ從事
    大正六年(1917)以來
    沖縄縣ニ於テ漁船發動機修理ノ鐡工場經營
    大正八年(1919)
    現在ノ地ニ來リ開業ス
    業大イニ振イ現工場ハ手狭トナリシニツキ
    近ク海岸地帯ヲ埋立テテ
    新工場建設ノ豫定ナリ
昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/162

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[中村鐡工所:中村貞次]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

[中村鐡工所:中村貞次]【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

【大南洋興信録. 第1輯】
[中村鐡工所] p60/169
所在地 ポナペ島コロニア町
店 主 中村貞次
開 業 昭和十年(1935)
營 業 機械修理、電池販賣及充電、
    發動機部、電機部、自動車部
銀 行 ポナペ信用組合
備 考 店主ハ
    明治四十年(1907)一月生
    原籍 佐賀縣藤澤郡七浦村ニシテ、
    昭和十年(1935)渡南シ
    斯業ヲ始メ盛大ナリ
昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/162

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[仲本興正酒造店]《テニアン店主:湧稻國安亮》【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年

[仲本興正酒造店]
《テニアン店主:湧稻國安亮》
【大南洋興信録. 1輯】昭和13年
 

【大南洋興信録. 1輯】
[仲本興正酒造店] p60/169
所在地 サイパン島南ガラパン町
店 主 仲本興正
開 業 昭和四年(1929)
營 業 泡盛醸造及販賣
銀 行 サイパン信用組合
支 店 ロタ島ソンソン市街
 主任 仲本興公
テニアン同店
店 主 湧稻國安亮
開 業 昭和五年(1930)
銀 行 テニアン産業組合
備 考 仲本興正 竝ニ 湧稻國安亮ノ項參照
    優良酒ノ故ヲ以テ
    南洋廳ヨリ褒賞狀ヲ受ケタルコトアリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/60

 《湧稻國安亮》 p138/169
 醸造業
經 歷 明治三十四年(1901)一月九日生レ、
    原籍 沖縄縣首里市鳥堀町、
    曩ニ同縣立商業學校ヲ卒業後
    獨力商業ニ從事ス、
    後チ上京シテ大成ヲ期シタルモ
    再ビ歸縣シテ一時
    糸滿町ニ於テ醤油醸造業ヲ開始ス、
    偶々
    仲本興正(コノ項參照)氏
    南洋群島ニ於テ泡盛醸造業ニ着手セルヲ知リ
    昭和五年(1930)渡南シテ
    之ニ協力シ自ラ
    テニアン島ニ移ツテ獨立經營
    以テ現在ニ至ル、
    初代産業組合長タリシ他
    各種團體ニ關與ス
家 族 妻 貞子、長女 久子
現住所 テニアン島テニアン町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/138
昭和十三年十二月二十四日印刷
昭和十三年十二月二十七日發行
大南洋興信錄第一輯
南洋群島編(昭和十四年版)
定價七圓(特價六圓)
編纂者    横田 武
       神奈川縣鎌倉郡鎌倉町小町八一九
發行兼印刷人 靑田伊祐
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
印刷所    廣業館
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
發行所    大南洋興信錄編纂會
       東京市神田區旅籠町二ノ一二
       電話 下谷(83)五五七・四四八二番
       振替口座 東京一九四四二番(靑田伊祐)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1073269/162

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《仲本興正:警部補》[沖縄縣][南洋廳ポナペ支廳]【職員録】大正9年~昭和3年

《仲本興正:警部補》[沖縄縣][南洋廳ポナペ支廳]
【職員録】大正9年~昭和3年

 
 
【職員録. 大正9年】
[沖縄縣] 那覇區美榮橋町 p745/751
◎警察部
●首里警察署 首里區大中町一丁目
警部 署長 池袋正吉
警部補  《仲本興正》
屠畜檢査技手 山下盛光
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986602/745

 【職員録. 大正10年】
[沖縄縣] 那覇市美榮橋町 p808/813
◎警察部
警部補 《仲本興正》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986603/809

 【職員録. 大正11年】
[沖縄縣] 那覇市美榮橋町 p763/768
◎警察部
警部補 《仲本興正》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986604/763

 【職員録. 大正13年】
[南洋廳]パラオ諸島コロール島 p507/763
◎ポナペ支廳 ポナペ島     p508/763
警部補 《仲本興正》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986606/508

 【職員録. 大正1471日現在】
[南洋廳] パラオ諸島 コロール島 p497/746
◎警務課
 警部補 《仲本興正》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986608/497

 【職員録. 昭和3年7月1日現在】
[南洋廳]南洋群島パラオ諸島コロール島 p404/627
◎ポナペ支廳 ポナペ島
警部補 《仲本興正》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447713/404

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