別府家系図:個人別

《藤音得忍》長岡大喝の男に生れ晃超の養子となる【人事興信録 第22版 下】昭和39年(1964)

【人事興信録 第22版 下】昭和39年(1964)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1964
《藤音 得忍》ふじおと とくにん
 京都女子大学学長
 西本願寺宗会議員
 大分県出身 大分県北海部郡佐賀町在籍
 長男 晃 祐 大正10年12月28日生
        京大哲学科卒
 同妻 喜久代 大正12年11月28日生
        宝福寺住職 佐々木義徳 妹
        扇城高校卒
 二男   晃 大正15年11月3日生
        九大経済学部卒
 三男   了 昭和6年4月15日生
        京大法学部卒
 長女 幸 子 昭和12年3月22日生
明治27年6月19日
長岡大喝の男に生れ
晃超の養子となる
大正7年
京大法学部卒業
大正13年
社会事業及び宗教法研究のため
欧米各国に出張
昭和4年9月
龍谷大学文学部教授となり
昭和6年
学監に推され
真宗本願寺派東京教区管事兼
築地別院輪番
本願寺派 法制局長 執行長 審判院長
本願寺派総長を歴任
昭和33年6月
京都女子大学長
昭和35年2月
西本願寺派宗会議長に就任す
趣味 読書・スポーツ
住所 京都市東山区今熊野北日吉町五〇ノ一二
   電話(56)四六六四
   大分県北海部郡佐賀関町神崎
p553【人事興信録 第22版 下】昭和39年(1964)
p553【人事興信録 第22版 下】昭和39年(1964)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025539/1/553
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年09月03日10:00
[別府一九郎(義方)『後妻』
 中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
〈除籍謄本〉福岡県豊前市長 釜井健介
 平成21年4月17日発行
福岡県上毛郡三毛門村九百貮拾番地
前戸主 別府一九郎(亡父)
戸 主 別府又十郎
    ―略―
妹   別府コト
    亡父 一九郎 長女
    文久三年七月十五日生 (1863年8月28日)
    「小今井コト」
    明治廿一年十月廿五日 (1888年10月25日)
    福岡県上毛郡宇嶋村
    小今井ワサ 長男 宗治 ニ 嫁 ス
    「長岡 コト」
    明治廿五年十月二十日 (1892年10月20日)
    福岡県上毛郡宇島町大字宇島
    小今井ワサ 長男 宗治 妻 離婚 ニ 復帰 ス
    明治二十七年四月十六日 (1894年4月16日)
    大分県宇佐郡長洲町 長岡大喝 ニ 嫁 ス
〈除籍謄本〉福岡県豊前市長 釜井健介
 平成21年4月17日発行
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[明治21年(1888) 上毛郡 戸口反別:三毛門村]【福岡県史資料. 第3輯】

[明治21年(1888) 上毛郡 戸口 反別:三毛門村]
【福岡県史資料. 第3輯】

【福岡県史資料. 第3輯】昭和9年5月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213869/430
明治二十一年 上毛郡 戸口 反別  p408/434
『三毛門村』
現今村町名  戸數     人口     反別
沓川    一一三    七六五    五三四
久松     一六     九七    一七三
恒富     二三    一三五    一九五
小犬丸    一二     七九    一〇二
淸水町    二九    一六六    一五五
市丸     三四    二〇〇    二八五
森久     一七    一〇〇    一四五
三樂     三五    一八一    二六三
三毛門   一七〇   一、〇一〇   一、〇一六
六郎     二三    一三九    三三五
小 計   四九〇   二、八七二   三、二〇七
     ※四七二         ※三、二〇三

『宇島町』
現今村町名  戸數     人口     反別
宇島    四二五   二、七三四     八八
赤熊    一一七    七六〇    七八五
小 計   五四二   三、四九四    八七三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213869/408

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[元和8年(1622) 豐前の戸口調査:三毛門村]
【福岡県史資料. 第1輯】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659502.html

[元和8年(1622) 豐前の戸口調査:三毛門村]【福岡県史資料. 第1輯】

[元和8年(1622) 豐前の戸口調査:三毛門村]
【福岡県史資料. 第1輯】

【福岡県史資料. 第1輯】昭和7年6月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213832/428
七 元和八年 豐前の戸口調査 p104/431
元和八年   ※1622年2月
細川氏が豐前地方を領してゐた時、
各村の戸數人口のみならず、
牛馬の數までも調査した。
―略―
こゝに一の注意すべきことは、
戸數の事である。
戸數は人口に比して割合に多い。
換言すれば戸數の割合に人口が少い。
例へば
戸數七に對し人口十一、
戸數八に對し人口十五と
いふやうなことになつてゐる。
これは何故かといふに、
本書を熟讀すると、
戸數には
下人の家とか、
牛部屋とか、
馬屋とかまでも、
加算されてゐるからである。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213832/104
 六 上毛郡   p109/431
上毛郡の部は
元和八年六月二十日に成つたもので、…。
 ※1622年7月28日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213832/109
村名  戸數  人口  男  女  馬  牛
大河内 九六 一八六 九九 八七 一三 二〇
黑土   六  一〇  六  四  二  二
三毛門 三五  五九 三三 二六  三  九
別府  二二  三九 二〇 一九  二  四
―略―
御惣庄屋四は、
山内大進、
篠瀬三郎右衞門、
大瀬左衞門、
友枝勘右衞門で、
都合四手永あつた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213832/110

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門》
『昔、父に聞くあり』別府祐弘
《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》
初代 052(001)『貞澄』01-1
号 三毛門傳右衛門
天正18年庚寅     :1590年2月5日~ 生
寛文10年庚戌1月19日:1670年3月10日 歿 81歳
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291502.html

[Wikipedia]
[天正]
関連項目[編集]
安土桃山時代 天正1573-1593 ※天正18年:1590年2月
       文禄1593-1596
       慶長1596-1615
江戸時代   元和1615-1624 ※元和8年6月20日:1622年7月28日
       寛永1624-1645
       正保1645-1648
       慶安1648-1652
       承応1652-1655
       明暦1655-1658
       万治1658-1661
       寛文1661-1673 ※寛文10年1月19日:1670年3月10日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3

[明治21年(1888) 上毛郡 戸口 反別:三毛門村]
【福岡県史資料. 第3輯】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659503.html

[慶應二年 小倉藩 知行帳]《御番醫師 香月玄洞》【福岡県史資料. 第9輯】

[慶應二年 小倉藩 知行帳]
《御番醫師 香月玄洞》
【福岡県史資料. 第9輯】

【福岡県史資料. 第9輯】昭和13年6月30日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207977/438
一六 慶應二年 小倉藩 知行帳 p346/441
  〔慶応二丙寅歳知行帳〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207977/346
御番醫師 p347/441
一 六十九石  西虎 壽
一 五十石   後藤玄勝
一 百二石   香月玄洞
一 七十石   筒井元瑳
一 百六十一石 松井仙庵
馬 醫  p347/441
一 百石    高橋鐵之丞
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207977/347

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

<別府義方(一九郎)作成の別府家系図:第一頁>[嘉永二己酉四十七歳ナリ]

<別府義方(一九郎)作成の別府家系図:第一頁>
[嘉永二己酉四十七歳ナリ]
※嘉永2己酉年(1849年1月24日)


予カ祖父四十二歳ニテ死 (註1)

父君九歳        (註2)
家??亡
貧乏之中ニ生長
千辛萬苦
予カ兄弟五人ヲ育ス
妻ノ墓誌アリ

是予家ノ中興ナリ
子孫毎月十八日     (註3)
忌日精進ヲ怠可カラス

予亦家ヲ續

父君久病 且
公私之務メ苦労シテ三十年守成 (註4)
唯 倹約甚忍ト人ニ間談スルニテ
先ツ漸毎事ニテ

嘉永二己酉四十七歳ナリ    (註5)
※嘉永2己酉年(1849年1月24日)

後齢猶質素ヲ守ルヘキ心ナリ

子孫農家之案ヲ不忘
綿衣廉食
家宅ヲ不飾
寡慾ニシテ精勤
公事ヲ?スヘシ

凶作ハ田畠之徳米ヲ格別ニ減取ヘシ
有餘ハ貧窮ノ人ニ施ヘシ

別シテ男子ハ農事ヲ勤サスヘシ

別府義方 記
<覚書風の系図の、第一頁にあり:小野一雄>
<それを別府義方(一九郎)が覚書風の系図として作成。 (註6)>


<予カ祖父四十二歳ニテ死 (註1)>

017(059)『蕃義』07-1[義方の祖父][別府又十郎の曽祖父]
059(017)『嘉藏』07-1 
五代『栄澄の弟』
高豐 二男 小字 日 亀吉 号 三毛門兵藏 後 改 嘉藏
元文4年己未    :1739年2月8日  生 (父34歳 母24歳)
天明1年辛丑閏5月2日:1781年5月24日 歿 43歳

《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門》
『昔、父に聞くあり』別府祐弘
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291502.html

<父君九歳        (註2)>
<子孫毎月十八日     (註3)>
<父君久病 且 公私之務メ苦労シテ三十年守成 (註4)>

062『義彬』25-1
号 三毛門兵藏
安永二癸巳三月十三日生  (1773年4月4日)
小字 日 續之助
蕃義 嫡子 生 甫 九齢表
父 家 皆 耗 弊
經営 勤 苦 夙 夜 匪 觧 終 興 家 十九
命 為 小共役 二十六 為
大庄屋 小町 志 于 更 務 勉
讀 其書 兼学等 桁 而 摘 吏 治 之 要 纂 為
一書 以 貽 子孫
勤 役 三十四年
文政七年甲申八月十八日  (1824年9月10日)
以 病 辭職
天保二年辛卯七月十八日卒  (1831年8月25日)
歳五十九
諡 須誠

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.007
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291492.html

<嘉永二己酉四十七歳ナリ    (註5)>
※嘉永2己酉年(1849年1月24日)

七代 066『義方』28-1 別府一九郎義方[別府又十郎の父]
義彬 嫡男 号 三毛門兵蔵
享和3年癸亥3月1日:1803年4月22日 生 (父30歳 母18歳)

《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門》
『昔、父に聞くあり』別府祐弘
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291502.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.001
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[系図作成]別府義方(一九郎)
正式の系図:10mもある長い巻物。
それを別府義方(一九郎)が覚書風の系図として作成。 (註6)

[系図の流れ]敬称略
別府義方→別府又十郎→別府敏治→別府萬壽人→別府祐六→別府祐弘

別府義方(一九郎・別府又十郎の父)
      
別府又十郎 弘化4年12月19日生(1848年1月24日)
      昭和3年(1928)2月1日 卒

別府敏治 (別府又十郎の二男)
      明治10年(1877)3月3日生

別府萬壽人(別府又十郎の二男・敏治の二男)
      明治43年(1910)3月9日生

別府祐六 (別府又十郎の六男)
      明治28年(1895)7月25日生

別府祐弘 (別府祐六の長男)
      昭和11年(1936)9月1日生
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291486.html

《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門》『昔、父に聞くあり』別府祐弘

《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門》『昔、父に聞くあり』別府祐弘

『昔、父に聞くあり』別府祐弘
帝京経済学研究 第44巻 第1号(通巻65号)退職記念号
2010年12月31日発行
帝京大学経済学会

《履歴と業績》 p31
別 府 祐 弘
―出自―
昭和 11年 9月 1日 東京市芝区芝公園 6- 7にて
別府祐六、ヨシ子の長男として生まれる。

昔、父に聞くあり。
吾が達祖1)豊之後列別府之産也。
因(よって)茲(ここに)、今也(いまや)、
性(姓)を別府と称す2)。
誠に古は国家の治、日常少く、乱(すること)日常多し。
故に原野に於て 骸(むくろ)を曝(さらす)は、
戦場に於て義を竭(つく)す士之天とする所也。
然而天之時、人之和を知らずして、
僥倖却って天命に忤(さか)う者天下に氾濫す。
吾先祖累歳、大友氏3)に随うと雖も、時に於て不遇4)。
天正の兵乱5)之後、武門を避け、
三毛門邑(むら)に遷居する6)こと二十有余年也。
曽て津(うるお)うを要せず、
自から丘民(きゅうみん)(田野の友)の為に
耕耨(こうどう)に事(つと)む7)。
而後、慶長中、高祖父貞澄、命を蒙り、
本国県令の小吏となり世世嗣を継ぐ。
一百有余歳、當て曽祖父高貞卒後、
祖父貞常弱冠にて父之譲りを受く。
或賊徒来り、夜放火す五更(寅の刻午前四時)、
人稀(すくな)にして敢て捍(ふせ)ぐあたわず、
忽ち煨燼(わいじん)に委(まか)す、
貞常や年少、家僕(かぼく)や、年高、奴婢は狼狽し、
資財を救わんと欲する無く、
遂に家書及旧記等を失う。
是故、父子譲るに書を用うる能わず、特に言を以て之を伝う。
予惟うに高祖より予に於て至る、慆慆五世。
亦邇(ちか)からず。
但し子孫の之を失うを恐る、蓋(けだし)し遺遠を謂う。
則ち孝に非ず。予其孝に非ざるを憂う。
以て記し、以て譲る。
別府栄澄誌
[大分県立大分図書館所蔵資料8)より]

4)[別府貞澄の年令は生誕が
 「慶長中(1596年~ 1615年)…」から逆算して
  天文 19年(1550年)と仮定した。] p33
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/keizaigaku44-1-04.pdf

《別府家 初代~八代:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》

初代 052(001)『貞澄』01-1
号 三毛門傳右衛門
天正18年庚寅     :1590年2月5日~  生
寛文10年庚戌1月19日:1670年3月10日 歿 81歳
  初代 『貞澄』の妻
  002『婦』 01-2
            :1594年      生
  寛文9年1月16日乙酉:1669年2月16日 歿 75歳

二代 003『高貞』02-1
貞澄 長男 再号 三毛門傳右衛門
       :1647年    生 (父57歳 母53歳)
元禄4年辛未:1692年2月7日 歿 45歳
  二代 003『高貞』の妻
  004『婦』 02-2
              :1654年      生
  享保8年癸卯12月28日:1724年1月23日 歿 70歳

三代 007『貞常』04-1
高貞の長男 号 三毛門平兵衛
          :1678年    生 (父31歳 母24歳)
享保16年2月28日:1731年4月4日 歿 53歳
  三代 007『貞常』の妻
  008『婦』 04-2
            :1685年    生
  宝暦5年乙亥12月5日:1756年1月6日 歿 71歳

四代 010『高豐』05-1 1705年1月25日:宝永2年乙酉 生
貞常 長男 号 三毛門常右衛門
宝永2年乙酉   :1705年1月25日~ 生 (父27歳 母20歳)
安永9年庚子8月1日:1780年8月30日  歿 75歳
  四代 010『高豐』の後妻
  012『後婦』 05-2-2
  正徳5年         :1715年2月4日~ 生
  宝暦5年乙亥12月11日:1756年1月12日   歿 41歳

五代 015『栄澄』06-1
高豐 長男 号 三毛門仙内
元文3年戊午      :1738年2月19日~   生 (父33歳 母 23歳)
文化14年丁丑11月15日:1817年12月22日 歿 80歳
  五代 015『栄澄』の妻
  016『婦』 06-2
  寛保1年辛酉     :1741年4月12日~  生
  寛政1年己酉10月24日:1789年12月10日 歿 49歳

017(059)『蕃義』07-1[義方の祖父][別府又十郎の曽祖父]
059(017)『嘉藏』07-1 
五代『栄澄の弟』
高豐 二男 小字 日 亀吉 号 三毛門兵藏 後 改 嘉藏
元文4年己未    :1739年2月8日    生 (父34歳 母24歳)
天明1年辛丑閏5月2日:1781年5月24日 歿 43歳
  017(059)『蕃義』059(017)『嘉藏』07-1 の妻
  060『婦』 07-2
           :1747年      生
  享和2年戌8月27日:1802年9月23日 歿 55歳

六代 062『義彬』25-1 [義方の父][別府又十郎の祖父]
[栄澄:1817年没]
号 三毛門兵藏
安永2年癸巳3月13日:1773年4月4日   生 (父34歳 母26歳)
天保2年辛卯7月18日:1831年8月25日 歿 59歳
  六代 062『義彬』の妻
  063『婦』25-2
            :1785年      生
  安政5年戊午1月10日:1858年2月23日 歿 73歳

七代 066『義方』28-1 別府一九郎義方[別府又十郎の父]
義彬 嫡男 号 三毛門兵蔵
享和3年癸亥3月1日:1803年4月22日 生 (父30歳 母18歳)
          :           歿
※ 別府又十郎 慶應2年9月18日:1866年10月26日 相続
  七代 066『義方』の後妻
  068『後婦』28-2-2 
            :1820年     生
  弘化3年丙午8月22日:1846年10月12日   嫁 26歳

八代 081『男』34-1(28-2-2) 
名 一之助 別府又十郎
弘化4年丁未12月19日:1848年1月24日 生 (父45歳 母28歳)
昭和3年2月1日      :1928年2月1日   歿 80歳
  八代 081『男』34-1(28-2-2) 別府又十郎の妻
  『別府セツ』
  嘉永6年6月28日:1853年8月2日  生
  明治2年5月15日:1869年6月24日
  大分県下毛郡片端町
  大久保逕三 長女 入籍
  大正6年3月29日:1917年3月29日 歿 64歳

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.001
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291486.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.002
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291487.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.003
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291488.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291489.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.005
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291490.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.006
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291491.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.007
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291492.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.008
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291493.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.009
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291494.html

[別府一九郎(義方)『妻 勢』田染 大庄屋 河野所助 女:諡 妙智]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291496.html

[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291497.html


<別府義方(一九郎)作成の別府家系図:第一頁>
[嘉永二己酉四十七歳ナリ]
※嘉永2己酉年(1849年1月24日)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2559916.html

[元和8年(1622) 豐前の戸口調査:三毛門村]
【福岡県史資料. 第1輯】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659502.html

[明治21年(1888) 上毛郡 戸口 反別:三毛門村]
【福岡県史資料. 第3輯】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659503.html

[別府(加来)ユキ]別府敏治 二女《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[別府(加来)ユキ]別府敏治 二女《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[別府(加来)ユキ]
父 別府敏治 (別府又十郎 貮男)貮女
母 別府タク
明治四拾年壱月貮拾参年生 (1907年1月23日)
明治四拾年貮月壱日 出生届出
同日 門司市戸籍吏 田代郁彦 受附
仝月貮日 届書 発送 同月参日受附
大分県下毛郡大幡村大字加来六百七拾七番地
戸主 加来駿市 長男 八太郎 ト 婚姻届出
大正拾四年拾貮月貮拾六日 大幡村長 中尾鐵造 受付
同月貮拾八日 送付除籍

[加来八太郎:別府ユキ(加来ユキ)の夫]

《株式会社 神戸製鋼所 中津工場》 p96/112
昭和二十年七月七日 所長
各部課長殿
當工場資材分散疎開先ノ防犯
防火等ニ関スル件
過般来実施シタル當工場資材ノ分散疎開先ニ於ケル管理ニ関シテハ
鋭意御留意中ノ事ト信スルモ之レ等資材ノ重要性ハ
日??度ヲ加ヘツツアル秋此際厳ニ防犯並防火?ニ
一段ノ関心ヲ払ハサルヘカラスト思料セラルルニ付之レカ管理者
(管理者カ??ナラバ軽?意味ノ番ヲ頼ムニ足ル人ニテ可)
ヲ必要トスルヲ以テ
當工場従業員中ヨリ適當ナル管理責任者ヲ選定スルノ外
該家主又ハ近隣者中ヨリ適當ナル協力者(前記括弧内)トシテ
委嘱シ得ル人物ヲ物色シテ本月十三日迄ニ
左記ニ依リ名簿ヲ作成シ防衛課経由報告相成度候

一 疎開倉庫ノ場所(名称)
二 管理責任者(従業員)所属課名住所氏名
三 協力者(委嘱者)住所職業氏名年齢
倉庫名   加来倉庫  p94/112
所在地   中津市大幡区加来六七七番地
管理責任者 課名 倉 職名 2-58 氏名 林 弜
協力者   住所 倉庫所在地    氏名 賀来八太郎
人事(中津市分第5012工場人事関係書類(ファイル表紙「人事」)
【 階層 】国立公文書館>返還文書>返還文書(旧陸海軍関係)>
返還文書6>人事
【 レファレンスコード 】 A03032186000 【 画像数 】 112

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

[別府(原)キツ]別府又十郎 三女《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[別府(原)キツ]別府又十郎 三女《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291497.html

三女  別府キツ(原 キツ)
    明治廿三年三月十四日生 (1890年3月14日)
    明治四拾年七月貮拾日  (1907年7月20日)
    企救郡曽根村大字貫千四百貮拾四番地
    原市太郎 長男 守之輔ト婚姻ト届出
    同日同村 戸籍吏代理 企救郡書記 中村二平 受付
    同月貮拾貮日 届書 及 入籍通知書 発送
    同月貮拾参日受付 除籍

[原 守之輔:別府キツ(原 キツ)の夫]
[原 守之輔:原 市太郎の長男]

『原市太郎君』企救郡曽根村p46/166
君は企救郡第一の多額納税者にして北豊屈指の豪農也。
祖父杢治氏勤勉力行の人、絶倫の精力と奮闘とを以て
原家今日の基礎を作くりたるが、
父君杢之助氏守成の任を全ふして
更らに層一層の産を積み、其の富郡内に覇を称せらるるに至る。
君亦父祖の遺鉢を享けて剛毅堅良能く其の遺訓を服膺し、
誠実業に服して発展又発展、
家運隆々旭日昇天の如く今や郡中第一の大地主たり。
而かも君の主義たる飽くまで田野の一平民を以て任じ、
衍氣なく、慢心なく、倹素自ら持し、堅実以て産を治め、
家道牢乎として抜くべからざるの評あり。
(1864)元治元年六月生。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780215/46
【豊前二市四郡人名辞書】小俣愨 明治43年12月25日発行

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

別府萬壽人(別府敏治の二男)《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

別府萬壽人(別府敏治の二男)《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

別府萬壽人  明治43年(1910)3月9日生
父 別府敏治 明治10年3月3日生
母 別府タク 明治15年10月22日生
       明治33年12月6日
       大分県下毛郡大幡村大字賀来81番地
       賀来判造 三女 婚姻

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.001
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291486.html

[扇城高等女学校 扇城高等家政女学校] p121/131
中津市中殿町 電話 中津四一六番
校  長 梅高祐賢
教諭心得 別府萬壽人
嘱  託 梅高レン  ※梅高普行の妻(蓮子)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1080587/121
【大分県学事関係職員録】昭和17年4月10日現在
大分県教育会編纂 塚本金洋堂(発売)
昭和17年7月10日発行

[賀来判造の三女:別府タク]
[賀来判造の長男:賀来駿一]

『賀来駿一君』p147-148/457
下毛郡大幡村住
明治四年(1871)四月生まれ
君は故賀来判造氏の長男なるが
厳父判造氏は性謹厳剛直
能く父祖の遺訓を守りて身を修め家を斎へ
徳義を重んじ禮譲を尊び規律厳然儉素
自から奉じ苟も名利に走らす
恩威以て子女を教訓し言行必らず一致す左れば
人皆氏に接すれば端坐正襟するの風あり
明治七年地租改正の際元加来村戸長に任ぜられ
仝二十二年町村制實施の際大幡村會議員に擧げられ
何れも数年間其職にありて功労少なからず
殊に前年大幡高等小學校設立に就ては
氏は當時仝學校組合會議員として
東奔西走頗る周旅尽力する所ありたり
明治三四年
厳父判造氏逝去と仝時に君は家督を相続し
爾来専ら心を實業上に傾け国家地方の為め
殖産興業の発達進歩に努め居るが
前記の如く君は厳格にして規律正しき家庭の下に
人と成れるが故に品行方正にして酒色に耽らず
堅く父祖の遺産を守りて昼夜勵精怠ることなし
之を以て年々家産を増加し
目下加来健治氏と相並んで仝地方の金満家たり

【大分県紳士録】大悟法雄太郎 明治37年5月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/147

[福翁・白石照山・大久保麑山の三大紀念碑]
【中津及中津人】淸原蘇子著
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/376/
中津二大女學校論 p80-82/134
郡立高等御學校長 津田純一氏
扇城女學校長   梅高普行氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906363/80

[筑波普行](梅高普行)

【本派本願寺寺院名簿】明治41年9月
第十四管区 大分県上毛組 p680-681/764
筑波普行  善正 住 教 上二 豊前国築上郡三毛門村大字三毛門
鳥井田信教 同  衆旧試       同
法中恵雲  同  衆旧試       同
法中慧教  同  衆徒        同
法中恵應  同  衆徒        同
谷口直道  同  衆徒        同
長谷山浄明 同  衆徒        同
森口末吉  同  衆徒        同
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/822567/680

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]

[別府一九郎(義方)『後妻』中津藩 中西兵四郎 嫡女:諡 釋尼妙弘]

[別府一九郎]「名は義方、字は直夫、毳門と号した。」
『広報 豊教だより』豊前市教育委員会 平成17年発行
2009.04.30PM2:41 梅高賢正mail

[別府一九郎]
066『義方』28-1
『義方』 三毛門兵蔵 義彬 嫡男
     享和三癸亥三月朔日生       (1803年4月22日)
     文政七甲申 二十二歳 八月二十二日(1824年9月14日)
     受 父之譲 為 大庄屋
     文政八乙酉 二十三歳       (1825年2月18日)
     豊後 列 田染 大庄屋 田染所助 女 セイ ヲ 迎 妻トス
     弘化丙午三月八日卒        (1846年4月3日)
     歳四十
     
     後妻 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     義方 安政二乙卯 正月十五日   (1855年3月3日)
     退役 在役 三拾二年

068『後婦』28-2-2
『後妻』 中津藩 中西兵四郎 嫡女
     弘化三年丙午 (1846年10月12日)
     嫁 歳二十六
     生 九子
     諡 釋尼妙弘

081『男』34-1(28-2-2)
『長男』 別府又十郎
     名 一之助
     弘化四丁未十二月十九日生(1848年1月24日)

082『男』35-1(28-2-2) 
『二男』 梅高秀山
     名 直次郎
     嘉永三庚戌三月九日生  (1850年4月20日)
     安政三丙辰十二月    (1856年12月27日)
     善正寺 養子 式部卿 ト 称
     法名 秀山

083『女』28-4-1(28-2-2)
『長女』 名 梅枝
     嘉永五壬子十月生    (1852年11月12日)
     安政二乙卯七月廿二日死 (1855年9月3日)
     諡 妙秀 

084『男』36-1(28-2-2)
『三男』 名 杢三郎
     安政二乙卯五月三日生  (1855年6月16日)

085『女』28-4-2(28-2-2)
『次女』 産屋 夭

086『女』28-4-3(28-2-2)
『三女』 産屋 夭

087『女』28-4-4(28-2-2)
『四女』 名 於琴
     文久三癸亥七月十五日 明 六ツ時 誕生(1863年8月28日)

088『男』37-1(28-2-2)
『四男』 名 佐七郎
     慶應二丙寅五月十三日 朝 出生    (1866年6月25日)
     同刻 死去

089『男』38-1(28-2-2)
『五男』 名 右八郎
     慶應二丙寅五月十三日 朝 出生    (1866年6月25日)
     同刻 死去

[別府一九郎(義方)『妻 勢』田染 大庄屋 河野所助 女:諡 妙智]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291496.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.009
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291494.html

〈除籍謄本〉福岡県豊前市長 釜井健介
 平成21年4月17日発行
福岡県上毛郡三毛門村九百貮拾番地
前戸主 別府一九郎(亡父)
戸 主 別府又十郎
    弘化四年十二月十九日生  (1848年1月24日)
    慶應二年九月十八日 相続 (1866年10月26日)
    昭和参年貮月壱日 午前八時参拾分 (1928年2月1日)
    本籍ニ於テ 死亡
    同居者 別府敏治ノ家督相続 届出アリタルニ因リ
    本戸籍ヲ抹消ス
妻   セツ
    嘉永六年六月廿八日生(1853年8月2日)
    明治二年五月十五日 (1869年6月24日)
    大分県下毛郡片端町
    大久保逕三 長女 入籍
    大正六年参月貮拾九日 午後貮時 (1916年3月29日)
    企救郡大里町貮千参百六拾五番地 ニ於テ 死亡
    戸主 別府又十郎 届出 仝月参拾日 受付
長男  別府十九郎
    明治六年五月二日生   (1873年5月2日)
    明治廿四年六月七日死亡 (1891年6月7日)
二男  別府敏治
    明治十年三月三日生   (1877年3月3日)
三男  別府三穂三郎
    明治十一年十月十五日生 (1878年10月15日)
四男  別府 醇(伊藤 醇)
    明治十三年十二月十九日生(1880年12月19日)
    明治四拾貮年五月拾七日 (1909年5月17日)
    山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
    伊藤弥六 ト 婿養子 縁組 届出 仝日
    長女 ルイ 婿養子 婚姻 届出
五男  別府賢吉
    明治十六年十月一日生  (1883年10月1日)
長女  別府ヨウ(後藤ヨウ)
    明治十九年四月五日生  (1886年4月5日)
    明治四拾参年六月貮拾五日(1910年6月25日)
    高知県幡多郡宿毛町宿毛土居下五拾六番屋敷
    後藤環爾ト婚姻
次女  別府レン(梅高レン)
    明治廿一年六月一日生  (1888年6月1日)
    明治参拾九年四月弐拾日 (1906年4月20日)
    築上郡三毛門八百五拾番地ノ壱
    梅高秀山ヘ養子縁組 届出 同日 受付 除籍
三女  別府キツ(原 キツ)
    明治廿三年三月十四日生 (1890年3月14日)
    明治四拾年七月貮拾日  (1907年7月20日)
    企救郡曽根村大字貫千四百貮拾四番地
    原市太郎 長男 守之輔ト婚姻ト届出
四女  別府ウラ(渡邊ウラ)
    明治二十四年六月六日生 (1891年6月6日)
    大正貮年九月貮拾九日  (1912年9月29日)
    広島県御調郡三原町大字三原定籍番屋敷
    渡邊哲信ト婚姻届出
六男  別府祐六
    明治二十八年七月二十五日生 (1895年7月25日)

※   087『女』28-4-4(28-2-2)
※ 『四女』名 於琴
※   文久三癸亥七月十五日 明 六ツ時 誕生(1863年8月28日)

妹   別府コト
    亡父 一九郎 長女
    文久三年七月十五日生 (1863年8月28日)
    「小今井コト」
    明治廿一年十月廿五日 (1888年10月25日)
    福岡県上毛郡宇嶋村
    小今井ワサ 長男 宗治 ニ 嫁 ス
    「長岡 コト」
    明治廿五年十月二十日 (1892年10月20日)
    福岡県上毛郡宇島町大字宇島
    小今井ワサ 長男 宗治 妻 離婚 ニ 復帰 ス
    明治二十七年四月十六日 (1894年4月16日)
    大分県宇佐郡長洲町 長岡大喝 ニ 嫁 ス
〈除籍謄本〉福岡県豊前市長 釜井健介
 平成21年4月17日発行

<換暦>
和暦、グレゴリオ暦、ユリウス暦、ユリウス日などの相互変換を行う
WEBツール 【換暦】 Since Jan.23,2004
Directed by (株)まえちゃんねっと
http://maechan.net/kanreki/index.php

《渡邊哲信 廣島縣御調郡三原町 淨念寺》
【本願寺職員録.  大正6年8月現在】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2559922.html

<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659777.html

『改訂版』<別府又十郎 妻:セツ 10人の子>
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377320.html

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