《鈴木國藏の立志》【地方資料小鑑:千葉県展覧会記念】明治44年
【地方資料小鑑:千葉県展覧会記念】明治44年
鈴木國藏の立志 印旛郡六合村 p383-/456
木下町に舟漕を業とせる德次郎の長子なり
十五六歳の頃より晝は行商
夜は湯屋の三助となり糊口し
幾何ならず行商に失敗し
終に人の憐みを乞ひ
神社に起臥して露命を繫ぐに至り
一夜社殿内風冷なるの時
熱々靑春の身を以てして
其腑甲斐なきを嘆じ
奮然志を立て東都に出て
千住大橋に至りしも方向定まらず
饑餓に迫り橋下に投ぜんとせしに
一土工あり
止めて情を聞き
且つ握飯三個と錢若干を與へ示すに
横濱に於て募集中なる
布哇渡航人夫に應ずべしとの事を以てす
國藏之を聞き大に喜び謝して乃ち行き
人夫中に加はりて渡航し
爾來辛酸勞苦を嘗め
自から期す五百金を貯へ得ば歸國せんと
日夜勤勞怠らず後
雜貨商を營み
傍ら本邦人の通辨をなし信用を博し
遂に巨萬の富を爲し大に成功を遂ぐ
爰に於てか商店には管理人を置き
三十年郷里に歸り親戚知友を訪ひ
往年起臥したる八幡神社には額堂を建て
自己閲歷上の額面及幟を捧げ
料理を調へ父老に饗し
小學校に二百圓を寄附し
不動堂へ五十圓を納め
又曾て某に三圓の負債ありしかば
二十圓を以て恩償し
八幡社に起臥の日
天保錢一枚を惠まれたる者に若干を致し
厚く謝したりと其舊を忘れざるの深情
洵に鑑みとすべし
爾來又親戚某より金融の求めあるや
左の返書を送れり
氏素より文字なし
然るに其誠意紙面に躍然たり
人をして三省せしむるものあらん
お前の父も酒を飲むだし
お前も酒を飲むからだめだ
わしは方々あるいて見たが
酒を飲むもので成功した者はない
しかし酒を飲んでは惡いと云ふわけではない
成功してから後なら飲んでもよい
わしは今一日に八拾錢づゝ酒を飲むが
家内は毎月七圓づゝ子供等へも
夫々貯金さすることは怠らない
人の力をあてにせず酒をやめて
一生懸命に働く樣にならなければ
金をやつてもだめだ云々
鈴木國藏立志 p385/456
明治四十四年五月 十日印刷
明治四十四年五月二十六日發行 地方資料小鑑奥付
編纂者 千葉縣
發行兼 能勢 鼎三
印刷者 千葉縣千葉郡千葉町千葉五百貳拾貳番地
印刷所 多田屋印刷工場 千葉活版所
千葉縣千葉郡千葉町千葉五百四十八ばんち
發行所 多田屋書店
千葉縣千葉郡千葉町千葉本町三丁目
【東京市養育院報告 第31回(明治35年度)】
〇明治三十五年度寄附金 p101/127
明治三十五年 十二月分 p106/127
一 金百圓 本所區須崎町一六一 鈴木國藏殿
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[鈴木國藏]本所区向島須崎町一六一
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