◆京都府立医学専門学校

《三根辰一:三根眼科醫院長:大連市信濃町》 【大衆人事録. 外地・満支・海外篇】

《三根辰一:三根眼科醫院長:大連市信濃町》
【大衆人事録. 外地・満支・海外篇】昭和15年

【大衆人事録. 外地・満支・海外篇】
 昭和15年9月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173407/320
《三根辰一》  p177/325
三根眼科醫院長
果樹園 南山園主
眼科醫
大連市信濃町一二〇
電話 本局 六四一〇
〔閲歴〕 佐賀縣人
     明治十六年十一月生る
     明治三十九年 京都府立醫大 卒
     京大附属醫院
     滿鐵 大連醫院 各勤務を經て
     大正八年 現地に開業す
     趣味 讀書 運動
〔家庭〕 妻  タマ(明治二二年)
     長男 元  京都府立醫大 卒 ※下記に記載
     長女 淑子(大正四年)  神明高女 卒
     二男 享 (大正九年)  大連一中 卒
     三男 久 (大正一一年) 大連一中 卒
     三女 節子
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173407/177

【京都府立医学専門学校一覧. 明治40年】
 明治40年6月30日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812710/104
明治三十九年六月 第廿九回 卒業生 六十二名 p55/106
《三根辰一》 佐賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812710/55

【京都府立医科大学一覧. 昭和14年】
 昭和14年5月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/206
  卒業生
 京都府醫學校時代        p138/225
明治十七年三月 卒業生 十二名  p138/225
※別稿に記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/138

 京都府立醫學專門學校時代    p146/225
明治三十六年 卒業生 四十九名  p146/225
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/146
明治三十九年六月 第廿九回 卒業生 六十二名 p148/225
《三根辰一》 佐賀
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/148
 京都府立醫科大學時代      p164/225
昭和二年三月  卒業生 二十七名 p164/225
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/164
昭和十二年三月 卒業生 六十六名 p171-172/225
《三根 元》 佐賀        p172/225
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/172
[解剖屍體統計表]        p210/225
年 次      男     女      計
明治七年     二     一      三
明治八年     三     ○      三
明治九年     七     ○      七
明治十年     五     一      六
明治十一年      ―略―
  ~        ―略-
昭和十二年  一八〇    九八    二七八
總 計   三七四六  一六一〇  五、三五六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275212/210

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


球外皮膚様腫に就て
三根 辰一
京都府立醫學專門學校眼科教室
校友会雑誌 [巻号一覧]
校友会雑誌 44, 28-39, 1907-06-27 [この号の目次]
京都府立医科大学
http://ci.nii.ac.jp/els/110007343087.pdf?id=ART0009204234&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1383970539&cp=

[医師免状:第54号:春日育造]《春日健造》《春日惟精=多米惟精:寶塚病院》

[医師免状:第54号:春日育造]
《春日健造》
《春日惟精=多米惟精:寶塚病院》

[医師免状:第54号:春日育造]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/69
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 岡山     五四 岡山  春日育造  p22/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/22
   【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
    春日育造 大坂市 東區 今橋 三丁目 p23/246
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/23
   【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
    開業醫
    春日育造 大坂市 東區 今橋 三丁目 p82/427
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/82
   【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
    大坂市 東區 今橋町 三ノ二八 p150/976
    春日育造 大阪士族
    試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
    弘化三年生     ※弘化3年(1846年1月27日)
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/150

《春日健造》京都帝國大學福岡醫科大學卒業
   【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
    大坂市 東區 今橋町 三ノ二八 p150/976
    春日健造 大阪平民
    學士 四十年十二月  ※明治40年12月(1907年12月)
    明治十三年生     ※明治13年(1880)
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/150
   【九州帝国大学一覧】明治44-45年
    卒業生姓名 醫學士 醫學科 p70/85
    明治四十年ヨリ同四十三年マテハ
    京都帝國大學福岡醫科大學卒業ノ者ナリ
    明治四十年十二月卒業    p70/85
    春日建造 大阪       p70/85
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812668/70
《春日健造》陸軍一等軍醫正
【職員録】大正6年甲
陸軍軍醫學校 麹町区富士見町 p177/720
三等軍醫正 従六 春日健造  p177/720
      豐多、千駄ヶ谷、五三一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927664/177
【職員録】大正7年
陸軍軍醫學校 麹町区富士見町 p99/578
三等軍醫正 従六 春日健造  p99/578
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986600/99

[叙正六位 大正十年二月十二日 任 陸軍二等軍醫正]p5/20
[陸軍二等軍醫正 従六位勳六等 春日健造]
陸軍少将安芸晋外三十七名叙位ノ件/
鉄道医衣斐賢治、樺太庁技師八束真一、
関東庁警視末光源蔵、京都高等工芸学校教授中山正喜外一名
【 階層 】国立公文書館>内閣>叙位裁可書>大正>
大正10年>叙位裁可書・大正十年・叙位巻九
【 レファレンスコード 】A11112891200
【 年代域 】大正10年【 画像数 】20
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

[佐尉官同相當官總代殯宮祗候人名]
[二月二日 第二班 一等軍醫正 春日健造]p1/17
1月4日 大臣官房 殯宮祗候人員送付の件(3)
【 階層 】防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>崩御陸特文書>
大正天皇崩御陸特>大正天皇崩御陸特>昭和1~2年 
大正天皇陸特綴 其1 2/4
【 レファレンスコード 】C10050070200【 画像数 】17
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《春日惟精=多米惟精:寶塚病院》京都府立医学専門学校卒業
   【京都府立医学専門学校一覧】明治40年
    第一學年 百六十八名 p61/106
    大井田正行 高知平  p62/106
    多米惟精  愛知士  p63/106
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812710/63
   【京都府立医学専門学校一覧】明治43年
    第四學年 百十七名 p71/123
    大井田正行 高知  p71/123
    多米惟精  愛知  p72/123
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812711/72
   【京都府立医学専門学校一覧】大正2年
    明治四十四年六月 第三十四回 卒業生 百十名 p71/131
    春日惟精 大阪                p72/131
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940588/72
   【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
    春日惟精 p909/1332
    兵庫縣 武庫郡 良元村 寶塚
    一般 寶塚病院
    明治十八年六月三日生 ※明治18年(1885)6月3日
    明治四十四年 京都醫專 登録 二八五三八號
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/909

《春日病院:寶塚病院 院長 春日育造》
【宝塚温泉案内】明治36年8月20日発行
近頃醫師春日育造氏の病院を建設して
春日病院と稱し、浴客の不時に供へ、
且は土地高燥にして病痾療養に適切の地なるを以て、
病者収容の爲特に盡力せらるゝもの等
是等與りて更に大に土地の賑ひと添へしめたるものなり p15/40
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765802/15
[広告] p25/40
明治三十六年七月
寶塚病院 院長 春日育造
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765802/25
明治三十六年八月十五日印刷
明治三十六年八月二拾日發行
編 者   加藤紫芳
發行者   矢嶋嘉平次
      大坂市南區鹽町四丁目二百十一番屋敷
印刷者   礪波伊三郎
      大坂市南區鹽町四丁目百五十一番屋敷
寫眞製版所 岡村文錦堂
      大坂市西區江戸堀南通壹丁目二十一番地
出版元   矢嶋誠進堂書店
      大坂市心齋橋鹽町北ヱ入
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765802/37
【大阪を中心とせる近県電話帳】大正12年用
寶塚ノ部   兵庫縣武庫郡        p290/665
八 寶塚病院 春日惟精 寶塚 湯本 醫 p290/665
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920891/290

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[近代宝塚歴史紀行]
2011年03月31日
宝塚案内書誌(明治36年:宝塚温泉案内)
―略―
武庫川右岸の温泉街にあった春日病院(宝塚病院)の広告です。
「近頃医師春日育造氏の病院を建設して春日病院と称し、
浴客の不時に供え、且は土地高燥にして病痾療養に適切の地なるを以って、
病者収容の為特に尽力せらるるもの---」と紹介。
―略―
http://wilkinson-tansan.com/archives/2650282.html

[宝塚温泉物語]
宝塚温泉関係年表
明治36年頃 春日育造が現在のホテル若水付近に春日病院を開設。
       のち宝塚病院と名称を変更。
       このころ、山本宇兵衛、寿鉱泉を発見する。
http://www.h-wakamizu.com/takarazuka/story/page07.html

京都府立醫學專門學校 看護婦 敎習所:明治31年4月 第1回卒業生 53名

京都府立醫學專門學校 看護婦 敎習所:明治31年4月 第1回卒業生 53名

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/1
京都府立醫學專門學校
附屬 産婆 看護婦 敎習所 規則 p49/76
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/49
附屬 看護婦 敎習所 卒業生 p58/76
明治三十一年四月 第一回 卒業生 五十三名
福井ミヨ  高橋モト  池田ヨリ  早乙女ヨシ
岡本アイ  苅谷小竹  田村ヱイ  澁谷尾松
鶴見ヤス  岩本サダ  山口捨鶴  山室サダ
田口ヨ子  佐竹ミツヱ 小林政枝  嶋田ミカ
藤木アキ  河瀬夏枝  澤田ハナ  伊澤トキ
今井マツ  岡上小政  市川ミヨノ 石山キヌ
山口トメ  吉田ツ子ノ 古橋モト  植木イク
杉山クニ  田中マス  細川リツ  牧野シゲノ
藤田チヨ  西川マツ  戸田ツヤ  中山ヤノ
加藤シゲ  若林トキ  樋口キヨ  樋口ラク
小池タミ  村上ウシ  粟津モト  坂田カツ
岩本トヨ  夜久フサ  松浦シン  柳樂セノ
山田ステ  桑原タ子  高瀬ヒサ  石川ヒサ
柳樂マサ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/58
明治四十一年十一月四日 印刷
明治四拾壹年十一月十六日發行
京都府立醫學專門學校
印刷者 島田柳太郎
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
印刷所 圖畫舘
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

京都府立醫學專門學校 産婆 敎習所:第1~5回(明治22年~26年)卒業生

京都府立醫學專門學校 産婆 敎習所:第1~5回(明治22年~26年)卒業生

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/1
京都府立醫學專門學校
附屬 産婆 看護婦 敎習所 規則 p49/76
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/49
附屬 産婆 敎習所 卒業生 p54/76
明治二十二年四月 第一回 卒業生 十名
田尻ハヤ 京都
森 キク 京都
井上シゲ 京都
吉村スヱ 京都
吉田ヌイ 京都
山中カノ 京都
森田タツ 京都
林 ウタ 京都
津田チヱ 京都
大塚スヱ 京都

明治二十三年三月 第二回 卒業生 三名
榎並カツ 鳥取
吉田ラン 京都
白井タカ 京都

明治二十四年二月 第三回 卒業生 四名
澤田ハア 京都
今村ツル 京都
久野ヱン 京都
山下ミキ 京都

明治二十五年四月 第四回 卒業生 二名
足立 信 鳥取
杉田スミ 京都

明治二十六年四月 第五回 卒業生 二名
近藤加鶴 奈良
關口音女 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/54
明治四十一年十一月四日 印刷
明治四拾壹年十一月十六日發行
京都府立醫學專門學校
印刷者 島田柳太郎
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
印刷所 圖畫舘
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《猪子止戈之助君》 【関西杏林名家集】第1輯:明治42年12月31日発行

《猪子止戈之助君》【関西杏林名家集】第1輯:明治42年12月31日発行

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/1
[京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史] p9/76
第一期 粟田假療病院時代 p9/76
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/9
第一期   甲種醫學校時代 p12/76
      ―略―
明治十六年   p13/76
同年一月    敎諭醫學士 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/13
32《猪子止才之助 本校副校長ニ任セラル》
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
猪子止才之助 京都府 上京區 第廿九組 大阪材木町 p18/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/18
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
醫學士 猪子止戈之輔 京都府 上京區 大阪材木町 p79/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 上京區 堺町 三條北入 p129/976
猪子止戈之助 京都平民
博士 十八年十一月  ※明治18年11月(1885年11月)
萬延元年生     ※萬延1年(1860年4月8日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/129
【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
猪子止戈之助(醫博)外科 p836/1332
京都府 上京區 堺町 三條 上ル
万延元年四月四日生 ※万延1年4月4日(1860年5月24日)
明治十八年 東大醫科卒 登録 六五九號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/836
【東京帝国大学一覧】明治24-25年
東京大學 醫學士  p188/269
明治十四年卒業   p190/269
森 林太郎 東京  p190/269
新宮凉亭  京都  p190/269
賀古鶴所  千葉  p190/269
明治十五年卒業   p190/269
猪子止戈之助 兵庫 p190/269
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813168/190
【京都帝国大学一覧】従明治33年至明治34年
第九章 京都帝國大學職員 p20/104
總 長 木下廣次   熊本士族
    法學博士 法律學士
    リサンシエー、アン、ドロアー(パリー大學)
評議員 木下廣次   熊本士族
    法科大學長事務取扱、總長 法學博士 法律學士
評議員 中澤岩太   東京士族
    理工科大學長、敎授 工學博士 理學士
評議員 坪井次郎   東京士族
    醫科大學長、敎授 醫學博士 醫學士
    ドクトル、オフ、フヒロソフィー(ヂヨンスホプツキンス大學)
評議員 久原躬弦   岡山士族
    理工科大學敎授 理學博士 理學士
    ドクトル、ユーリス(ハルレー大學)
評議員 巖谷孫藏   東京士族
    法科大學敎授
評議員 猪子止戈之助 京都士族
    醫科大學敎授 醫學博士 醫學士
書記官 森 春吉   高知士族
舎 監 石川 一   茨城士族
    法學士
圖書舘長 島 文次郎 京都士族
     法科大學助敎授
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087031/20
第十四章 醫科大學 p45/104
     第一 職員
學長 坪井次郎   東京士族 醫學博士 醫學士 p45/104
敎授 猪子止戈之助 京都士族 醫學博士 醫學士 p46/104
   外科學第一講座擔任
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087031/46
附屬醫院 p47/104
醫院長 猪子止戈之助 京都士族 醫學博士 醫學士 p47/104
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087031/47

【関西杏林名家集】第1輯:明治42年12月31日発行
京都帝國大學京都醫科大學敎授
正五位勳四等 醫學博士
《猪子止戈之助君》    p21-23/283
京都大學醫科の外科敎授として、
學力技術ともに醫博士中の第一位を以て稱せられ、
特に其人格の崇高犯すべからざるものあり、
其心術の玲瓏玉の如きものあるを以て稱せらるゝ
我が猪子君、彼れ果して如何なる人ぞ。
君は但馬國城崎郡豊岡町の人にして、
父は豊岡藩の重臣にして藩の樞機に參與し、
廢藩置縣の後大參事となりて、
頗る令名ありし人と聞く、
君は其長男にして、
萬延元年四月を以て生る。
明治六年二月外國語學校に入り、
尋いで七年八月更に醫科大學に學ぶ、
十五年三月を以て卒業するや、
其五月京都府立醫學校敎諭に任ぜられ、
超えて二十年一月、京都府立療病院長兼校長に任ぜらる、
二十二年五月第三高等中學校敎授に轉じ、
二十五年三月歐洲留學を命ぜらる、
越えて二十九年十月勳六等に叙せられ、
三十一年四月京都帝國大學醫科大學建築設計委員を仰付られしが、
翌三十三年七月京都醫科大學敎授に任ぜられ、
外科學第一講座を擔任す、
同時に京都府立醫學校長を免ぜられたり、
尋いで其十月京都帝國大學評議員を命ぜられ、
其十二月醫學博士の學位を授與せらる、
翌三十三年十月外科學研究のため、
滿三箇年間獨逸國に留學を命ぜらる、
歸朝後三十八年六月を以て勳四等に叙せられ、
其十二月を以て正五位に叙せらる。
君は現に京大醫科の重鎭として知られ、
博士伊藤隼三君と共に京大外科の兩明星たり、
君の長所は威ありて猛からず、嚴中寛あり、
要領を得ざるが如き間に能く要領を得るにあり、
君は學者にして亦た長に長たるの材幹を有す、
聲譽の齢と共に加ふるものある、
亦故ありと云ふべきなり、
吾人は猪子家の多幸多福を祝賀す、
蓋し積善の家餘慶あるもの乎、二女婚嫁の事既に了し、
一は今村精神科敎授に嫁し、
一は藤浪病理科敎授にかしづく、
親子三人、今や山紫水明、古王城の地に在りて醫育濟生の任に當る、
清福羨むべし、
君亦一令弟あり、吉人君といふ、
二十五才にして醫博士となる、
多才多能、日本醫界の雛鳳を以て衆人の望を繋ぎしも、
不幸海外に在りて逝きしと聞く、
積善の家亦此一殃事を見る、
我が猪子君の爲めに深惜するもの、
豈吾人のみならんや。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777555/21
明治四十二年十二月二十日印刷
明治四十二年十二月三十一日發行
編輯兼發行者 山口守治
印刷者    福山福太郎
       大阪市北區東梅田町參百參番地
發行所    衞生新聞社
       大阪市南區難波河原町二丁目千四百六十八番屋敷
印刷所    福山印刷製本所
       大阪市北區曾根崎中二丁目貮百參番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777555/276

《猪子止戈之助》 追記:平成24年11月27日 小野一雄
【現代紳士録 : 出身学校別】大正15年12月25日発行
《猪子止戈之助》 p26/446
東京帝國大學醫科(外科) 明治十五年卒
醫學博士 京大名譽敎授
(原)京都府
(現)京都市堺町三條上ル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020298/26

【帝国大学出身名鑑】昭和7年12月19日発行
《猪子止戈之助》  p122/1005
正三勳二、醫學博士
京都帝國大學名譽敎授
男 一到 明治二十四年四月生
婦 チヨ 明治三十年十月生、長男 一到 妻、
     石川、士、河合幾次 養子
君は兵庫縣士族 猪子清の長男にして
萬延元年四月を以て生れ
明治十六年家督を相續す
同十五年 東京帝國大學醫學部を卒業し
東京府立醫學校一等敎諭に任じ 爾來
京都府立療院長 第三高等中學校敎授
京都帝國大學醫科大學敎授等に歷任し 後
京都帝國大學名譽敎授に推され現在に至る
家族は尚
孫  ノブ(大正十一年三月生、長男 一到 長女)
孫  敏 (大正十三年十月生、長男 一到 二女)
孫  昭 (昭和三年一月生、 長男 一到 三女)
孫  久 (昭和五年六月生、 長男 一到 四女)あり
長女 むめ(明治十七年十二月生)は醫學博士 藤浪鑑に
二女 婦美(明治二十一年七月生)は醫學博士 今村新吉に嫁せり
(京都、中京、堺町三條上ル、電話 本局 二六五一)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465969/122

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[猪子 清(いのこ きよし)は、但馬豊岡藩の家老。]
豊岡藩主である京極高厚に仕えた家老である。
安政年間に用人となり、後に藩校稽古堂の学長を兼任する。
幕末の豊岡藩は佐幕派と尊王派が対立したが、清は藩論を尊王でまとめた。
慶応4年(1868年)4月に家老・御側年寄役として豊岡藩政を主導し、
明治2年(1869年)11月に豊岡藩大参事になる。
藩の人材育成のため、藩費による留学制度を創設するなどした。
明治27年(1894年)4月8日に死去。享年62。
なお、清の長男は京都大学医学部創設に貢献した長男の止戈之助であり、
次男が医学博士の吉人である。
猪子清
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 天保4年(1833年)
死没 明治27年(1894年)4月8日
改名 謙三郎・左家太・一新・一清・清
主君 京極高厚
藩 但馬国豊岡藩家老
氏族 猪子氏
父母 父:猪子正方
子 猪子止戈之助、猪子吉人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E5%AD%90%E6%B8%85

[大參事以下届]留守官  p1/77
職制          p3/77
一 大参事  猪子 清
一 権大参事 西山久左衞門 兼 公議人
       岩崎 豐   兼 公議人
(明治三年)二月十九日 p8/77
       豐岡藩 窪田逸作
   留守官 御傳達所
作成者名称 豊岡藩窪田逸作|
|阿部従五位佐貫知事藩川北省三|
|尼崎藩青谷源二郎
職員録・明治三年・諸藩職員大参事以下届留守官
【 階層 】国立公文書館>内閣>官員録・職員録>
昭和46年度総理府移管 官員録・職員録(外編)>
職員録・明治三年・諸藩職員大参事以下届留守官
【 レファレンスコード 】A09054455500【 画像数 】77

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』

京都府立醫學專門學校:明治17年3月 第一回 卒業生 12名の医籍

京都府立醫學專門學校:明治17年3月 第一回 卒業生 12名の医籍

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67
第一期     甲種醫學校時代 p12/76
        ―略―
明治十三年           p12/76
同年七月十八日 上京區元第十二組御車通 梶井町
        (元 日光宮里坊・二條・正親町ノ三舊邸 現在ノ處)ニ
        本校及ヒ療病院ノ新築竣工セシヲ以テ此日移轉式ヲ擧行ス
        ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/12
明治十六年   p13/76
同年一月    敎諭醫學士 猪子止才之助 本校副校長ニ任セラル
同年十月    自今 本校ヲ卒業シタルモノハ
        内務省醫術開業試驗ヲ受クルコトヲ
        要セス直ニ開業免状ヲ下附セラルルコトトナル
        ―略―
明治十七年   p13/76
同年三月    第一回卒業生十二名ヘ卒業證書ヲ授與ス
        ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/13
卒業生                 p32/76
明治十七年三月 第一回 卒業生 十二名 p32/76
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/32

01《河北鉚三郎》 石川
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
河北鉚三郎 京都府 下京區 東小物座町 附屬町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79

02《大里憲治》  愛知

03《高田畊安》  京都
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
高田耕安 東京府 神田區 駿河臺 鈴木町 p7/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/7
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
全國郡公私立病院           p58/427
東洋内科医院 院長 醫學士 高田耕安 p58/427
東京府 神田區 駿河台 鈴木町二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/58
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
醫學士 高田耕安 東京府 神田區 鈴木町十六番地 p66/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/66
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
東京市 神田區 駿河臺 鈴木町 二 p58/976
電話 本局 八八八
高田畊安 京都平民
學士 廿一年五月  ※明治21年5月(1888年5月)
文久元年生     ※文久1年(1861年3月29日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/58
【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
高田畊安(醫博) p527/1332
神奈川県 高座郡 茅ヶ崎町 南湖院
文久元年八月十九日生 ※文久1年8月19日(1861年9月23日)
京都府出身
明治廿三年 東大醫科卒 登録 九七二號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/527
【東京帝国大学一覧】明治19-20年
第三 醫科大學學生 p73/91
醫學科 第二年   p76/91
高田耕安 京都   p76/91
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813163/76
【東京帝国大学一覧】明治20-21年
第三 醫科大學學生 p104/161
醫學科 第三年   p106/161
高田耕安 京都   p106/161
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813164/106
【東京帝国大学一覧. 明治21-22年
第三 醫科大學學生及撰科生徒 p107/169
醫學科 第四年        p108/169
高田耕安 京都        p108/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813165/108
【東京帝国大学一覧】明治22-23年
第三 醫科大學學生及生徒 p116/185
醫學科 卒業受驗生    p116/185
高田耕安 京都      p116/185
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813166/116
【東京帝国大学一覧】明治23-24年
第三 帝國大學卒業  p194/236
明治二十三年七月卒業 p201/236
醫學士        p199/236
高田耕安 京都    p201/236
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813167/201

04《兒玉良吉》  愛知

05《平井平吉》  京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
平井平吉 船井郡 園部 本町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 船井郡 五ヶ庄村 四ツ谷 一六三 p144/976
平井平吉 京都士族
醫學校 十七年十月  ※明治17年10月(1884年10月)
文久元年生     ※文久1年(1861年3月29日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/144

06《香山晋次郎》 京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
香山晋次郎 京都府 上京區 龍池町 半井方 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79

07《増田善次郎》 京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
増田善次郎 京都府 下京區 骨屋三町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79

08《岡本家次郎》 京都

09《本田國太郎》 京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
本田邦太郎 京都府 久田郡 廣野村 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 久世郡 大久保村 大久保 廣野 六二 p142/976
本田邦太郎 京都平民
醫學校 十七年十月  ※明治17年10月(1884年10月)
萬延元年生      ※萬延1年(1860年4月8日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/142

10《服部忠直》  京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
服部忠直 京都府 上京區 五辻町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 上京區 智光院 今出川 北入 p130/976
服部忠直 京都平民
醫學校 十七年十月  ※明治17年10月(1884年10月)
安政六年生     ※安政6年(1859年2月3日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/130

11《太田岩太郎》 京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
太田岩太郎 京都府 下京區 山崎町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 下京區 大和大路 五條 北入 p137/976
太田岩太郎 京都平民
醫學校 十七年十一月  ※明治17年11月(1884年11月)
安政四年生       ※安政4年(1857年1月26日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/137
【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
太田岩太郎 p844/1332
京都府 下京區 大和大路 五條 北入
安政四年二月二日生 ※安政4年2月2日(1857年2月25日)
府立醫學校 明治十七年 登録 二三八號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/844

12《星野元彦》  京都
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
星野元彦 京都府 上京區 宮垣町 p79/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 上京區 河原町 丸太町 北入 三五 p130/976
電話 二七六六
星野元彦 京都士族
醫學校 十七年十月  ※明治17年10月(1884年10月)
萬延元年生      ※萬延1年(1860年4月8日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/130

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

京都府立醫學專門學校(現 京都府立医大)明治17年3月 第一回 卒業生12名

京都府立醫學專門學校(現 京都府立医大)明治17年3月 第一回 卒業生12名

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/1
明治十二年           p12/76
同年四月    京都府中學校内ノ醫學豫科ヲ廢シ
        更ニ本院内ニ醫學豫科校及ヒ醫學校ヲ置ク
同年五月    萩原三圭ヲ以テ醫學校校長トナス、
        本校ニ校長ヲ置クコト茲ニ始マル
同年八月    校則ヲ定メ生徒ノ入學ヲ許ス
第一期     甲種醫學校時代 p12/76
        ―略―
明治十三年           p12/76
同年七月十八日 上京區元第十二組御車通 梶井町
        (元 日光宮里坊・二條・正親町ノ三舊邸 現在ノ處)ニ
        本校及ヒ療病院ノ新築竣工セシヲ以テ此日移轉式ヲ擧行ス
        ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/12
明治十六年   p13/76
同年一月    敎諭醫學士 猪子止才之助 本校副校長ニ任セラル
同年十月    自今 本校ヲ卒業シタルモノハ
        内務省醫術開業試驗ヲ受クルコトヲ
        要セス直ニ開業免状ヲ下附セラルルコトトナル
        ―略―
明治十七年   p13/76
同年三月    第一回卒業生十二名ヘ卒業證書ヲ授與ス
        ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/13
卒業生                 p32/76
明治十七年三月 第一回 卒業生 十二名 p32-33/76
河北鉚三郎 石川
大里憲治  愛知
高田畊安  京都
兒玉良吉  愛知
平井平吉  京都
香山晋次郎 京都
増田善次郎 京都
岡本家次郎 京都
本田國太郎 京都
服部忠直  京都
太田岩太郎 京都
星野元彦  京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/32
明治四十一年十一月四日 印刷
明治四拾壹年十一月十六日發行
京都府立醫學專門學校
印刷者 島田柳太郎
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
印刷所 圖畫舘
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『京都府中學校 醫學豫科』明治13年卒業生19名の医籍

『京都府中學校 醫學豫科』明治13年卒業生19名の医籍
(京都府立醫學專門學校の前身)

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】
明治41年11月16日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67
明治十二年 p12/76
同年四月  京都府中學校内ノ醫學豫科ヲ廢シ
      更ニ本院内ニ醫學豫科校及ヒ醫學校ヲ置ク
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/12

『京都府中學校 醫學豫科』
明治13年 卒業生 19名 p32/76
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/32

01《桂 彦馬》  山口
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】1冊(22p):明治15年12月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 履歴   三三九六 山口  桂 彦馬  p7/17
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779827/7
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
桂 彦馬 北海道廰 小樽郡 相生町  p5/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/5

02《中島俊造》  滋賀
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二四七五 滋賀  中島俊造  p33/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/33
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
中島俊造 滋賀縣 東浅井郡 錦織村 p91/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/91
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
中島俊造 滋賀縣 坂田郡 大郷村 字 錦織 p128/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/128
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
滋賀縣 東浅井郡 大郷村 字 錦織二二 p476/976
中島俊造 滋賀平民
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
安政三年生     ※安政3年(1856年2月6日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/476

03《吉村英徴》  和歌山
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二三五六 和歌山 吉村英徴  p26/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/26
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
吉村英徴 和歌山縣 有田郡 廣村 p161/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/161
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
吉村英徴 和歌山縣 有田郡 廣村 p163/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/163
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
和歌山縣 有田郡 湯浅町 湯浅 六九〇 p588/976
吉村英徴 和歌山士族
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
嘉永五年生     ※嘉永5年(1852年1月21日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/588

04《江坂秀三郎》 滋賀
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二九 京都  江坂秀三郎 p46/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
江坂秀三郎 京都府 上京区 第三拾組 福永町 p18/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/18

05《毛利文啓》  愛媛
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二二 愛媛  毛利文啓 p58/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/58
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
毛利文啓 愛媛縣 温泉郡 魚町二丁目 p171/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/171
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
毛利文啓 愛媛縣 温泉郡 魚町二丁目 p167/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/167
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
愛媛縣 松山市 本町 一ノ二四 p609/976
毛利文敬 愛媛平民
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
嘉永五年生     ※嘉永5年(1852年1月21日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/609
【帝国医師名簿】大正8年
毛利文啓 松山市 本町 一ノ二四 p198/256
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935096/198

06《矢内原謙一》 愛媛
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二五三五 愛媛  矢内原謙一 p40/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/40
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
矢内原謙一 愛媛縣 越智郡 松木村 p170/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/170
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
矢内原謙一 愛媛縣 越智郡 松木村 p167/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/167
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
愛媛縣 越智郡 宮田村 松木 二三 p612/976
矢内原謙一 愛媛平民
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
嘉永五年生     ※嘉永5年(1852年1月21日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/612

07《鷹取常任》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二三 京都  鷹取常任  p26/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/26
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
鷹取常任 京都府 上京區 第三拾一組 清水町 p18/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/18
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
鷹取常任 京都府 上京區 河原 二條上ル 清水町 p79/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/79
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 上京區 河原町 二條 北入 一〇 p131/976
電話 二二四五
鷹取常任 京都士族
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
安政四年生     ※安政4年(1857年1月26日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/131
【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
鷹取常任 p839/1332
京都市 上京區 河原町 二條上ル 清水町
安政四年三月十二日生 ※安政4年3月12日(1857年4月6日)
明治十四年 試験及第 登録 五五三一號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/839

08《神谷有也》  和歌山
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二四 京都  神谷有哉  p24/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/24
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
神谷有哉 和歌山縣 東牟婁郡 新宮 p162/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/162

09《生駒安貞》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   一八七六 京都  生駒安貞  p10/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/10

10《大矢 督》  新潟
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二八 新潟  大矢 督  p20/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/20
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
大矢 督 京都府 下京區 第三組 烏帽子屋町 p19/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/19
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
京都府 上京區 車屋町 二條 南入 二 p130/976
電話 七九
大屋 督 新潟平民
試験 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
安政二年生     ※安政2年(1855年2月17日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/130
【日本医籍録】医事時論社 大正14年8月10日発行
大屋 督 p838/1332
京都市 上京區 車屋町 二條 南入
安政二年四月廿九日生 ※安政2年4月29日(1855年6月13日)
明治十七年 舊試験及第 登録 二七二八號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/838

11《藤木經輝》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   一八七四 京都  藤木經輝  p43/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/43
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
藤木經輝 京都府 上京區 第拾組 北小路 室町 p17/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/17

12《渡邊格太郎》 大分
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二五 京都  渡邊格太郎  p22/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/22

13《市川賢顯》  大阪
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   一五六二 舊堺  市川賢顯  p10/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/10
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
市川賢顯 京都府 上京區 第拾二組 表町 p17/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/17

14《前田 榮》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   一九九〇 京都  前田 榮  p41/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/41

15《瀧澤耕伯》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二六 京都  瀧澤耕伯  p29/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/29
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
瀧澤耕伯 長野縣 上水内郡 鶴賀町 p100/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/100
【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
開業醫
瀧澤耕伯 長野縣 上水内郡 鶴賀町 p132/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/132

16《中島武雄》  滋賀
【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
滋賀縣 蒲生郡 八幡町 爲心町 上 二三 p473/976
中島武雄 滋賀士族
○○ 十七年五月  ※明治17年5月(1884年5月)
弘化四年生     ※弘化4年(1847年2月15日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/473
【帝国医師名簿】大正8年
中島武雄 滋賀縣 蒲生郡 八幡町 爲心町 上 p125/256
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935096/125

17《山口滿慶》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   一八八四 京都  山口滿慶  p39/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/39
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
山口滿慶 京都府 上京區 第三拾組 等持寺町 p18/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/18

18《井上幸一》  京都
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都    九五六 京都  井上幸一  p9/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/9
【日本医籍】内務省衛生局:明治22年8月8日出版
井上幸一 京都府 下京區 第二拾二組 辰巳町 p19/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/19

19《高木文伯》  石川
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目  受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内外科 京都   二七二七 石川  高儀文伯  p29/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/29

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


『京都府中學校 醫學豫科』明治13年卒業生19名
(京都府立醫學專門學校の前身)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2305524.html

《永松東海》醫學校 三等敎授:大學東校 大助敎【東京帝国大学五十年史】上册

《永松東海》醫學校 三等敎授:大學東校 大助敎
【東京帝国大学五十年史】上册

【東京帝国大学五十年史】上册:昭和7年11月20日発行
第三篇 醫學校 大學東校 東校
醫學校 東京醫學校 p216/793
第一章 醫學所の復興
―略―
明治元年十二月十日
本校及開成學校に一等敎授、二等敎授、三等敎授及敎授試補を置かる。
但、一等敎授に任ぜられたる者なく、
爾後二年七月に至る間に於て二等敎授以下に任ぜられたる者の中、
其の主要なるものを擧ぐれば左の如し。
二等敎授
  坪井爲春(芳州)   島村鼎(鼎甫)
  石井信義(謙道)   司馬盈之(凌海)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453584/216
  緒方玄蕃少允
三等敎授
  田代一徳(後 基徳) 桐原眞節(玄海)
  足立藤三郎(後 寛) 永松東海
試補
  相良元貞       牧山修卿
  宮永典常       中村 齊
  長谷川泰一郎(泰)  手塚良仙
明治二年正月、緒方玄蕃少允職を退き、同月十七日、石神良策を以て
醫學所、病院、種痘館、黴毒院、藥園、五局取締と爲せり。p217/793
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453584/217
―略―
第二章 大學東校 p218/793
明治二年六月、政府は敎學の振興を圖り、
昌平學校を改めて大學校と爲し、
開成學校、醫學校を同じく之に隷し其の分局と爲せり。
此の時、大學校の規模、目的等を規定せる中に醫學校に関しては
醫理ヲ明ニシ藥性ヲ審ニシ以テ健康ヲ保全シ病院ヲ設ケ
諸患ヲ療シ實驗ヲ極ムルヲ要トス
と規定せり。
此れと同時に職制の改正あり。
大學校に別當、大監以下の行政官及
大博士以下の教官を置かれたり。
權判事、相良知安、岩佐純少丞に任ぜられ、尋いで權大丞に進み、
專ら本校校務を執ること故の如し。
又此の時以後任命されたる教官中、
本校に關する主要なる者を擧ぐれば左の如し。
大博士 佐藤尚中       中博士 坪井爲春
中博士 林 洞海       少博士 島村 鼎
少博士 石井信義(謙道)   少博士 長與專齋
少博士 司馬盈之       少博士 緒方惟嵩
大助敎 池田謙齋(病院専務) 大助敎 足立 寛
大助敎 長谷川 泰      大助敎 桐原眞節
大助敎 永松東海       大助敎 安井清儀(元達)
大助敎 三宅 秀       中助敎 相良元貞
中助敎 田代基徳       中助敎 佐々木東洋
中助敎 宮下愼堂       中助敎 大澤宗隆
中助敎 奥山元省       少助敎 鈴木宗泰
少助敎 細川廣世           久我克明
    小林達太郎(義直)      須田泰嶺
    石黒忠悳
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453584/218
昭和七年十一月十七日印刷
昭和七年十一月二十日發行
上冊 (非賣品)
東京帝國大學
印刷者 渡邊一郎
     東京市小石川區西古川町廿四番地・廿五番地
印刷所 中外印刷株式會社
     東京市小石川區西古川町廿四番地・廿五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453584/789

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『京都府中學校 醫學豫科』明治13年卒業生19名(京都府立醫學專門學校の前身)

『京都府中學校 醫學豫科』明治13年卒業生19名
(京都府立醫學專門學校の前身)

【京都府立医学専門学校創立三十年紀念沿革略史】明治41年11月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/1
明治五年  p10/76
同年十一月一日 愛宕郡 第貮組 粟田口村 靑蓮院内(舊 粟田宮)ニ
假療病院ヲ設置シ是日ヲ以テ開院式ヲ擧行ス
同日府ハ治療條令入學生徒條令及ヒ敎師課業表ナドヲ制定シ
遍ク管内ニ布達シ醫學生ヲ募集セリ
      ―略―
明治六年  p10/76
      ―略―
同年二月  本院ノ正則生徒ヲシテ中學校雇
      獨逸語敎師リユウドルフ、レーマン氏ニ就キ理化ノ二學ヲ修行セシム、
同年十一月 佛語敎師ジュリー氏ニ就キ羅甸語ヲ兼修セシム
      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/10
明治九年  p11/76
      ―略―
同年三月  和蘭國ヨリ ドクトル、セーゲハン、マンスヘルト氏ヲ招聘シ
      本日ヨリ三ヶ年雇入レ ヨンケル氏ノ後任トナス
同年五月  半井澄ヲ以テ本院ノ院長トナス、院長ヲ置クコト茲ニ始マル
同年六月  是ヨリ先キ 五月二十二日 假中學校内ニ醫學豫科校ヲ設ケ
      本院ノ所管トナス
      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/11
明治十二年 p12/76
同年四月  京都府中學校内ノ醫學豫科ヲ廢シ
      更ニ本院内ニ醫學豫科校及ヒ醫學校ヲ置ク
同年五月  萩原三圭ヲ以テ醫學校校長トナス、
      本校ニ校長ヲ置クコト茲ニ始マル
同年八月  校則ヲ定メ生徒ノ入學ヲ許ス
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/12
卒業生 p32/76
明治十三年 卒業生 十九名 p32/76
桂 彦馬  山口
中島俊造  滋賀
吉村英徴  和歌山
江坂秀三郎 滋賀
毛利文啓  愛媛
矢内原謙一 愛媛
鷹取常任  京都
神谷有也  和歌山
生駒安貞  京都
大矢 督  新潟
藤木經輝  京都
渡邊格太郎 大分
市川賢顯  大阪
前田 榮  京都
瀧澤耕伯  京都
中島武雄  滋賀
山口滿慶  京都
井上幸一  京都
高木文伯  石川
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/32
明治四十一年十一月四日 印刷
明治四拾壹年十一月十六日發行
京都府立醫學專門學校
印刷者 島田柳太郎
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
印刷所 圖畫舘
    京都市下京區大和大路二丁目五百四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812713/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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