[薬舗主免状:第一号~五十号]:11名の消息
【京都名所案内図会】和2冊(下):明治20年6月刻成
薬種商之部 p42/83
小西米助 二條烏丸西ヘ入ル p42/83 ※第31号
黒薬商之部 p42/83
中村九兵衞 川端三條上ル p42/83 ※第6号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765627/42
【きやうと】名所と美術の案内. 下巻
明治28年3月25日発行
藥種商 p144/154
慶松庄左衞門 上京區二條通烏丸東入 p144/154
※第36号 慶松勝左衛門?
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765560/144
【明治二十七年重宝便覧】明治26年12月30日発行
開局薬剤師 住所 姓名 p25/51
七里清助 東區道修町二丁目 p25/51 ※第29号
大井卜新 東區平野町四丁目 p25/51 ※第17号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898017/25
【京都案内都百種】明治27年7月
開局薬剤師 p64/80
中尾萬七 二條烏丸東入 p64/80 ※第27号
織田卯一郎 古川町三條下ル p64/80 ※第10号
中野忠八 建仁寺町五條下ル p64/80 ※中野篤五郎(中野忠八の子)第9号
黑田徳三郎 正面高瀬東入 p64/80 ※第40号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765562/64
【京都案内都百種】明治27年12月16日発行
中野忠八 建仁寺町五條下ル p116/175 ※中野篤五郎(中野忠八の子)第9号
藥種問屋 兼 砂糖商 賣藥 並ニ 藥劑師
小西米助 二條通烏丸西入 p116/175 ※第31号
藥種商
加州 龜田氏紫雪
江州 鳥居本 有川氏 神敎丸
特約 大販賣所
小西九兵衞 二條通柳馬場西入 p116/175 ※中村九兵衞(第9号)?
江州日野 正野氏 感應丸特藥 並ニ
名家 賣藥 大販賣所
中西宗助 松原通柳馬場西入 p116/175 ※第39号
内外 藥種 香具商
中島彦兵衞 二條室町西入 p116/175 ※第32号
藥種商
リン病シヨカチ特効藥エステル丸 本舗
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765563/116
藥劑師 p154/175
慶松勝左衞門 二條東洞院西入 p154/175 ※第36号
開局 藥劑師
織田卯一郎 古川町三條下 p154/175 ※第10号
藥劑師
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765563/154
[薬舗主免状:第一号~五十号]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
名稱 受験地名 免状番号 府県名 姓 名
薬舗 京都 六 京都 中村九兵衛 p62/74
薬舗 京都 九 京都 中野篤五郎 p62/74
薬舗 京都 一〇 京都 織田卯一郎 p61/74
薬舗 東京 一七 和歌山 大井卜新 p61/74
薬舗 京都 二七 京都 中尾万七 p62/74
薬舗 京都 二九 京都 七里清助 p62/74
薬舗 京都 三一 京都 小西米助 p63/74
薬舗 京都 三二 京都 中嶋彦兵衛 p62/74
薬舗 京都 三六 京都 慶松勝左衛門p62/74
薬舗 京都 三九 京都 中西宗助 p62/74
薬舗 京都 四〇 京都 黒田徳三郎 p63/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/61
《中野忠八 建仁寺町五條下ル》
[関 西 の 写 真]中 島 徳 博
桑田正三郎は、安政2年(1855)、
京都堺町御池南に武具商を営んでいた小山庄助の息子として生れた。
家は元治元年(1864)の禁門の変で焼失し、
翌年8月、父庄助も病没した。
当時住んでいた仮住居は三条寺町の東、石橋町だった。
正三郎は、慶応2年(1866)から3年の約束で、
大和大路五条下るの薬種商中野忠八方に奉公して商業の見習いをする。
その間に明治維新の大激動を迎え、家を手放し母と別れて、
明治3年(1870)から中野薬舗の裏店に住み込むようになった。
その頃、鴨川夷川橋西詰に新しくできた
京都舎密局に中野の息子篤五郎が入学し、
正三郎も付人の名目で教室に出入りが許された。
http://kansai100.komma.jp/nakajima/nakajima3.html
【京都名所案内図会】和2冊(下):明治20年6月刻成
薬種商之部 p42/83
小西米助 二條烏丸西ヘ入ル p42/83 ※第31号
黒薬商之部 p42/83
中村九兵衞 川端三條上ル p42/83 ※第6号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765627/42
【きやうと】名所と美術の案内. 下巻
明治28年3月25日発行
藥種商 p144/154
慶松庄左衞門 上京區二條通烏丸東入 p144/154
※第36号 慶松勝左衛門?
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765560/144
【明治二十七年重宝便覧】明治26年12月30日発行
開局薬剤師 住所 姓名 p25/51
七里清助 東區道修町二丁目 p25/51 ※第29号
大井卜新 東區平野町四丁目 p25/51 ※第17号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898017/25
【京都案内都百種】明治27年7月
開局薬剤師 p64/80
中尾萬七 二條烏丸東入 p64/80 ※第27号
織田卯一郎 古川町三條下ル p64/80 ※第10号
中野忠八 建仁寺町五條下ル p64/80 ※中野篤五郎(中野忠八の子)第9号
黑田徳三郎 正面高瀬東入 p64/80 ※第40号
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765562/64
【京都案内都百種】明治27年12月16日発行
中野忠八 建仁寺町五條下ル p116/175 ※中野篤五郎(中野忠八の子)第9号
藥種問屋 兼 砂糖商 賣藥 並ニ 藥劑師
小西米助 二條通烏丸西入 p116/175 ※第31号
藥種商
加州 龜田氏紫雪
江州 鳥居本 有川氏 神敎丸
特約 大販賣所
小西九兵衞 二條通柳馬場西入 p116/175 ※中村九兵衞(第9号)?
江州日野 正野氏 感應丸特藥 並ニ
名家 賣藥 大販賣所
中西宗助 松原通柳馬場西入 p116/175 ※第39号
内外 藥種 香具商
中島彦兵衞 二條室町西入 p116/175 ※第32号
藥種商
リン病シヨカチ特効藥エステル丸 本舗
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765563/116
藥劑師 p154/175
慶松勝左衞門 二條東洞院西入 p154/175 ※第36号
開局 藥劑師
織田卯一郎 古川町三條下 p154/175 ※第10号
藥劑師
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765563/154
[薬舗主免状:第一号~五十号]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
名稱 受験地名 免状番号 府県名 姓 名
薬舗 京都 六 京都 中村九兵衛 p62/74
薬舗 京都 九 京都 中野篤五郎 p62/74
薬舗 京都 一〇 京都 織田卯一郎 p61/74
薬舗 東京 一七 和歌山 大井卜新 p61/74
薬舗 京都 二七 京都 中尾万七 p62/74
薬舗 京都 二九 京都 七里清助 p62/74
薬舗 京都 三一 京都 小西米助 p63/74
薬舗 京都 三二 京都 中嶋彦兵衛 p62/74
薬舗 京都 三六 京都 慶松勝左衛門p62/74
薬舗 京都 三九 京都 中西宗助 p62/74
薬舗 京都 四〇 京都 黒田徳三郎 p63/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/61
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
《中野忠八 建仁寺町五條下ル》
[関 西 の 写 真]中 島 徳 博
桑田正三郎は、安政2年(1855)、
京都堺町御池南に武具商を営んでいた小山庄助の息子として生れた。
家は元治元年(1864)の禁門の変で焼失し、
翌年8月、父庄助も病没した。
当時住んでいた仮住居は三条寺町の東、石橋町だった。
正三郎は、慶応2年(1866)から3年の約束で、
大和大路五条下るの薬種商中野忠八方に奉公して商業の見習いをする。
その間に明治維新の大激動を迎え、家を手放し母と別れて、
明治3年(1870)から中野薬舗の裏店に住み込むようになった。
その頃、鴨川夷川橋西詰に新しくできた
京都舎密局に中野の息子篤五郎が入学し、
正三郎も付人の名目で教室に出入りが許された。
http://kansai100.komma.jp/nakajima/nakajima3.html