陶製《五百羅漢》浅草公園

小野鉢《小野義眞(義臣)[いろは]の符合》《加藤某・髑髏の印》【盆栽の研究】昭和5年(1930)

小野鉢《小野義眞(義臣)[いろは]の符合》
《加藤某・髑髏の印》
※加藤正吉
※加藤太兵衛春慶
【盆栽の研究】昭和5年(1930)

【盆栽の研究】昭和5年
著者    小林憲雄 著
出版者   博文館
出版年月日 昭和5
  小野鉢
硬質陶器と稱する西洋食器樣の極めて薄手の鉢である。
これは、明治初年、日本鐵道の重役小野義臣と云ふ人が
趣味で燒いたものである。
窯は墨田河畔、今戸の陶業地に近き
眞崎稻荷の傍(わき)にあつた。
製品は當時米國人に喜ばれ
花瓶は多く持ち去られたが、
盆栽用の鉢のみは殘つたのである。
釉藥は銅器と見解けの付き難き
色澤の釉藥を最も得意とした。
其他には小豆色、黄綠色、辰沙、等を多く見受くる。

小野氏歿後は、その雇人であつた加藤某が
遺窯を受けて燒製を續けてゐた。
現存するものゝ底印を見るに
細字にて[いろは]符合のあるものは
小野氏生存中のもの、
髑髏(どくろ)の印あるは歿後加藤某の作である。
p194【盆栽の研究】昭和5年
〔画像〕p194【盆栽の研究】昭和5年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1178398/1/194
昭和五年十二月十一日印刷 盆栽の研究 奥付
昭和五年十二月十四日發行 正價金壹圓五拾錢
著 者 小林憲雄
發行者 株式會社 博文館
    右代表者 大橋進一
    東京市日本橋區本石町三丁目十六番地
印刷者 君島 潔
    東京市小石川區久堅町一〇八番地
發行所 株式會社 博文館
    東京市日本橋區本石町
    振替口座東京二四〇番
    電話小石川七八〇〇番
    共同印刷株式會社印刷
https://dl.ndl.go.jp/pid/1178398/1/195
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《加藤太兵衞春慶》曾て小野氏の需に應じ淺草公園内の五百羅漢を製作【工業雑誌 7(134)】明治30年(1897-10)

《加藤太兵衞春慶》
曾て小野氏の需に應じ淺草公園内の五百羅漢を製作
【工業雑誌 7(134)】明治30年(1897-10)

【工業雑誌 7(134)】1897-10
出版者   工業雑誌社
出版年月日 1897-10

工業雜誌 第七巻 第百三十四號
明治三十年十月廿二日 發兌
p1【工業雑誌 7(134)】1897-10
〔画像〕p1【工業雑誌 7(134)】1897-10
https://dl.ndl.go.jp/pid/1561219/1/1
 ◎鎌倉燒の榮譽
去月廿六日(9月26日)
葉山御滯在中なる皇太子殿下が
鎌倉町前田家(舊加州)別莊に行啓の際
同家に於ては鎌倉町の鎌倉燒と稱する
陶器師加藤太兵衞春慶を召して
御前に於て種々の器具物形を作らしめ
御慰に供せしに殿下には殊の外御意に適ひ
御好の象熊狸等の手製を親しく御覽あらせられ
辱くも御賞を賜はりたり
抑々此加藤太兵衛は
尾張國瀨戸の唐四郎(日本磁器の元祖)より
二十八代に當る正統の末裔にして
連綿陶器を業とし織田信長以來
舊幕府の末に至るまで續いて官禄を受けしが
維新の後は所々の陶窯に從事し
曾て小野氏の需に應じ ※小野義眞
淺草公園内の五百羅漢を製作せしは
能く世人の知る所なり
其他博覽會に於て名譽を得たること数回あり
去る廿九年(1896)の秋
鎌倉に於て陶土試驗の志を起し
試に小陶窯を長谷に築き
近傍の土を以て種々の品を製出し
鎌倉燒と稱せり
元來鎌倉の地に宋朝靑磁及び高麗古陶の殘片は
道路田畝を擇ばず到る所に散在するもの甚だ多し
太兵衛春慶は其殘片を粉碎して材料として
器物を作り之を再燒して新靑磁を製出せんと欲し
在鎌倉の横瀨文彦氏等の獎勵に依り
其試驗に從事し結果頗る良好なれば
不日新靑磁を鎌倉に見るに至らんといふ
p39【工業雑誌 7(134)】1897-10
〔画像〕p39【工業雑誌 7(134)】1897-10
https://dl.ndl.go.jp/pid/1561219/1/39

【日本陶器全書:鑑定備考 巻2】大正2年
著者    大西林五郎 編
出版者   松山堂
出版年月日 大正2
 明治後の東京陶器
明治十六年(1883)八月、
小野義臣
淺草橋場の私邸に一窯を設け、
遊戲を兼ねて、
捏塑品を製せんとし、
江戶川製陶所の工人たりし
加藤太兵衞を
此に與(あづか)らしめて築窯す。
成る所のものは、
成瀨窯のそれに似て、
彩畫璺器なり。
間もなく中癈せり。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1183799/1/48
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月24日03:50
小野義眞、陶製の五百羅漢:
陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系
【随筆春城六種】昭和2年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年02月11日05:40
《小野義臣・義真》
江戶川製陶所の工人たりし加藤太兵衞之に與からしめて
【大日本人名辞書. 下巻】大正15年
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[五百羅漢]花屋敷の内に安置してあり【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)

[五百羅漢]花屋敷の内に安置してあり
【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)

【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 
浅草観世音讃仰会 編纂 (浅草観世音讃仰会本部, 1933)  

【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)p3
〔画像〕【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)p3
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098418/3

[普門品經文碑]
花屋敷の庭園内にあり、
長さ八尺許り、横六尺に餘る大碑なり、
普門品並びに觀世音像を彫り、
梵文をも刻し、寺中第一の大碑なり。

[五百羅漢 ]
また花屋敷の内に安置してあり。
【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)p39
〔画像〕【浅草観世音案内記】昭和8年(1933)p39
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098418/39

◆現在の淺草寺  p46/49
  ―略―
 四區は、公園の林泉地にして、大池あり瓢箪池あり、
 擂鉢山、中の島等ありて景致を添ふ、
 花屋敷、水族館、亦當區に入る。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098418/46
昭和八年四月十五日印刷 (淺草觀世音案内記)
昭和八年四月廿四日發行 (定價金五拾錢也)
著作兼 多田 好昭
發行人 東京市澁谷區向山三十五番地
印刷人 淺葉 作三
    東京市芝區白金三光町二〇八番地
印刷所 淺草觀世音讃仰會出版部
    東京市芝區白金三光町二〇八番地
    (電話高輪三四七七番)
發行所 淺草觀世音讃仰會本部
    東京市品川區上大崎町五四七番地
    電話高輪三七五二番
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098418/48
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月24日
小野義眞、陶製の五百羅漢:陶工の姓名加藤太兵衞、
尾張の人、瀨戸の直系【随筆春城六種】昭和2年
〇往年、小野義眞、陶製の五百羅漢を作り、
 之れを向島の邸に置く、
 後之れを淺草の花屋敷に移すに迨んで、
 衆庶見て之れを珍とす。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年03月18日
[淺草公園開園祝]羅漢堂 小野義眞 淺草公園第四區 五百羅漢
 明治19年5月【東京市史稿. 遊園篇 第6】
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[淺草公園開園祝]羅漢堂 小野義眞 淺草公園第四區 五百羅漢 明治19年5月【東京市史稿. 遊園篇 第6】

[淺草公園開園祝]羅漢堂 小野義眞
 淺草公園第四區 五百羅漢
 明治19年5月【東京市史稿. 遊園篇 第6】

【東京市史稿. 遊園篇 第6】
淺草公園開園祝  p44/502
廿日 ◎明治十九年(紀元二五四六年)五月。
淺草公園借地人開園祝ヲ擧行ス。
 淺草公園開園祝
 淺草公園經營全ク成り、
 從來ノ面目ヲ一新セルヲ以テ、
 借地人發意シテ其祝賀會ヲ開キ、
 五月廿日ヨリ同廿四日ニ及ブ。
  明治十九年五月十一日
   知事 書記官
    ―略―
〔參考〕     p46/502
 五月廿日ヨリ廿四日ニ至ル
 (廿一日廿三日ハ雨天ニ付除ク)
 三日間淺草公園祝之節、
 園内及ヒ近傍ノ割烹店其他
 縱覽物・玩弄物店・寫眞店等ノ商況取調候處、左之通、
    ―略―
    ―略―
 一、貳萬七千人    花屋敷  山本松之助
 一、六千五百人    敎育館  箕輪金兵衛
            淺草公園第六區三號廿六番
            孕人形
   ―略―
 一、四千八百九拾人  羅漢堂  小野義眞
                 淺草公園第四區
                 五百羅漢
   ―略―
右之通御座候也。
 明治十九年六月    淺草公園世話掛
                 福地源一郎
昭和十一年十一月二十五日印刷
昭和十一年十一月三十日發行
編輯兼發行者 東京市役所
印刷者    川口芳太郎
       東京市芝區西芝浦三丁目二番地
印刷所    川口印刷所
       東京市芝區西芝浦三丁目二番地
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小野義眞 樂燒乘獅羅漢香爐【観古美術会出品目録. 第7回 1−3号】明治19年

小野義眞 樂燒乘獅羅漢香爐
【観古美術会出品目録. 第7回 1−3号】明治19年

【観古美術会出品目録. 第7回 1−3号】明治14-19年
明治十九年六月九日内務省贈付       p12/44
 第七回觀古美術會出品目錄 第貳號
  附 參照室出品目錄追加并正誤
 第七回觀古美術會出品目錄 第二號    p14/44
〇小野義眞
樂燒乘獅羅漢香爐 一個          p26/44
明治十九年四月十九日出版御届 定價金八錢 p28/44
編纂兼  龍池會會員
出版人  穴山篤太郎
     東京府下京橋區南傳馬町貳丁目十三番地
發行書肆 有隣堂
     東京府下京橋區南傳馬町貳丁目十三番地
印 刷  有隣堂活版所
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《小野義臣・義真》江戶川製陶所の工人たりし加藤太兵衞之に與からしめて【大日本人名辞書. 下巻】大正15年

《小野義臣・義真》
江戶川製陶所の工人たりし加藤太兵衞之に與からしめて
【大日本人名辞書. 下巻】大正15年
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さいたま市 大宮盆栽美術館
コレクション
名称   二連丸鉢
作者等  伝小野義真
制作年代 
寸法   幅:20.5cm×高:7.6cm
資料番号 B-224
円形の胴部を二つに繋(つな)げるという、
一風変わった作。
丁寧な轆轤(ろくろ)挽(び)きと、
わずかに赤く窯変(ようへん)をみせる
濃厚な緑色の釉薬は、
小野焼の特徴に通じている。
二連丸鉢 伝小野義真 大宮盆栽美術館
〔画像〕二連丸鉢 伝小野義真 大宮盆栽美術館
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【大日本人名辞書. 下巻】大正15年
小野 義臣(オノ ヨシオミ)  p742/782
陶工、明治十六年八月
東京淺草橋場の私邸に一窯を設け
遊戲を兼ねて捏塑品を製せんとし
江戶川製陶所の工人たりし
加藤太兵衞を之に與からしめて
築窯す成る所のものは
成瀬窯のそれに似て
彩畫璺器なりしも間もなく中絶せり
(日本陶工傳)
大正十五年六月十七日印刷
大正十五年六月二十日發行 新版大日本人名辭書【下巻】
著作兼發行者 大日本人名辭書刊行會
       東京市神田區駿河臺西紅梅町十二番地
右 代表者  大島 秀雄
印刷者    望月 淸矣
       東京市京橋區山下町一番地
印刷所    英文通信社印刷所
       東京市京橋區山下町一番地
發行所    大日本人名辭書刊行會
       東京市神田區駿河臺西紅梅町十二番地
       電話神田三四四〇番
       振替東京二一四五三番
製本・中島製本所

【日本近世窯業史. 第3編 陶磁器工業】
  (乙)關東方面   p312/349
     (子)東京府
明治十六年八月、
小野義臣といふもの、
橋場町の私邸に一窯を設け、
遊戲を兼ねて捏塑品を製せんとす。
江戶川製陶所の工人たりし
加藤太兵衞、此事に與りて築窯す。
今製する所のものは、
前年成瀨窯の製品に類せる彩畫璺器なり。
大正十一年二月十一日印刷
大正十一年二月十四日發行 (非賣品)
發行兼編輯者 内藤道太郎
       東京市深川區萬年町二丁目十番地
印刷者    島 連太郎
       東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所    三 秀 舎
       東京市神田區美土代町二丁目一番地
發行所    大日本窯業會
       東京市深川區萬年町二丁目十番地
       振替貯金口座東京貳壹壹參參番

【府県陶器沿革陶工伝統誌】明治19年
明治十六年八月
小野義臣ト云モノ橋場町ノ
私邸ニ一窯ヲ設ケ
遊戯ヲ兼テ捏塑品ヲ製セントス
江戶川製陶所ノ工人タリシ
加藤太兵衛此事ニ與リ築窯ス
今製スル所ノモノハ前年成瀬窯ノ製品ニ類セル彩画璺器ナリ
明治十九年六月廿五日出版届
    農務局  工務局
發 兌 有隣堂  穴山篤太郎
    東京市京橋區南傳馬町二丁目十三番地

【やきもの読本】昭和11年
小野窯(おの がま)  p104/165
明治十六年、
東京淺草橋場にて小野義臣なるもの
はじめしが間もなく廢絕。
昭和 七年七月十日印刷
昭和 七年七月廿日發行
昭和十一年四月六日增補第七版印刷
昭和十一年四月十日增補第七版發行
   增補やきもの讀本
    定價 金貳圓五拾錢
著 者 小野賢一郎
發行者 遠藤 敏夫
    東京市日本橋區江戸橋・松慶ビル
印刷所 仁川堂 川橋印刷所
    川橋源三郎
    東京市京橋區木挽町一ノ十一
發行所 寳 雲 舎
    東京市日本橋區江戸橋・松慶ビル
    振替東京二六七三二番
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月24日
小野義眞、陶製の五百羅漢:
陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系
【随筆春城六種】昭和2年
〇往年、小野義眞、陶製の五百羅漢を作り、
 之れを向島の邸に置く、
 後之れを淺草の花屋敷に移すに迨んで、
 衆庶見て之れを珍とす。
 余が鎌倉に養痾の日、
 長谷に陶器を製するの家あり、
 訪うて其主人に會すれば、
 其人卽ち五百羅漢の制作者也。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

小野義眞、陶製の五百羅漢:陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系【随筆春城六種】昭和2年

小野義眞、陶製の五百羅漢:
陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系
【随筆春城六種】昭和2年

【随筆春城六種】昭和2年
    衝 口 發   p270/301

〇往年、小野義眞、陶製の五百羅漢を作り、
 之れを向島の邸に置く、
 後之れを淺草の花屋敷に移すに迨んで、
 衆庶見て之れを珍とす。
 余が鎌倉に養痾の日、
 長谷に陶器を製するの家あり、
 訪うて其主人に會すれば、
 其人卽ち五百羅漢の制作者也。
 由つて其の制作當時の苦心を聞く。
 曰く、五百の羅漢、
 各々其相貌を異にするは極めて難事に屬す。
 二百迄は辛うじて相貌を異にし得たれど、
 意匠全く盡き、それ以上力及ばず、
 已むなく三綠山に藏する兆殿司の五百羅漢圖粉本を借り得て、
 それに據り僅かに功を竣るといふ。
 此陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系に屬すと聞く。
〇陶工苦心を談ずるの傍らに、老妻侍坐して余に語る。
 彼れが如く勞多くして酬の少き製作はあらず。
 當初千圓を以つて受負ひ、二百圓を剰すの打算の處、
 種々附屬品を要し、或は一羅漢を數個作る必要生じ、
 終に製品八百の數に上り、價は爲めに增加せず、
 最後決算に迨んで、受けたるもの僅かに八錢五厘に過ぎずと、
 喃々苦情を洩らして已まず。
 太兵衞、妻の言を聽かざるものゝ如く、
 曰ふ、彼れが如き製作を今一たびを試みんことを欲すと、
 辭色平然たる處に藝術家氣質を認め、
 余をして感動せしめたり。
昭和二年八月五日印刷 (隨筆春城六種)
昭和二年八月八日發行  定價貳圓八拾錢
著 者 市島 謙吉
    東京市牛込區東五軒町三十五番地
發行者 種村 宗八
    東京市牛込區辨天町百五十七番地
印刷者 竹内喜太郎
    東京市牛込區榎町七番地
發行者 早稻田大學出版部
    東京市牛込區早稻田
    (振替 東 京一一二三)
    (振替 名古屋二三四五)
    (振替 大阪六八九〇〇)
 日淸印刷株式會社印刷
 市島春城 著
大隈侯一言一行
 ▼侯の眞筆(寫眞版)二枚 其他口繪八枚
※ 侯の書(大隈家藏)  靑年時代の侯の詩書
東京 牛込 早稻田大學出版部
   東京 一一二三
   大阪 六八九〇〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日
小野義真[浅草公園]陶製《五百羅漢》陳列
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[淺草公園 區劃改正で:住民四百戸立退]【新聞集成明治編年史. 第五卷】

[淺草公園 區劃改正で:住民四百戸立退]
【新聞集成明治編年史. 第五卷】

【新聞集成明治編年史. 第五卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/316
明治十七年三月(皇紀二五四四 西暦一八八四)
[淺草公園 區劃改正で:住民四百戸立退] p244/319
〔三・三、郵便報知〕
淺草公園
同公園改正の事は前號に記せしが
其改正新道開設の測量は昨今完了せしを以て、
其の道敷に係る居民
凡そ四百餘戸は第六區内
又は其他へ移轉することになりたり、
從來同公園内に寫眞屋三十二軒ありしが、
其うち廿軒は他へ移轉する筈にて
觀音堂の周圍
凡そ五千坪程の所は空地とし、
其内に在る堂祠類は附屬の建物だけを
取拂ふて其儘に保存し、
石碑等の道敷に係らぬ分も
其儘に差置く筈なりよいふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/244

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[淺草觀音堂修繕に屋根の漆喰寄附:左官屋達聯合で]【新聞集成明治編年史.第五卷】

[淺草觀音堂修繕に屋根の漆喰寄附:左官屋達聯合で]
【新聞集成明治編年史. 第五卷】

【新聞集成明治編年史. 第五卷】昭和15年10月20日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/316
明治十五年十月(皇紀二五四二 西暦一八八二)
[淺草觀音堂修繕に屋根の漆喰寄附:左官屋達聯合で] p113/319
〔一〇・二八、読賣〕
今度淺草觀音堂の修繕に付き、
東京中の左官が屋根の漆喰を寄附するとて、
日本橋槫正町の左官
何某ほか數名が世話人となり、
同職三百人程が揃の手拭半纏にて淺草へ出向き、
近日仕事に取掛るといふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/113

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[淺草五重の塔 修繕]【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年

[淺草五重の塔 修繕]【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年

【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年10月8日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/308
明治十九年四月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草五重の塔 修繕] p160/311
〔四・七、東京横濱毎日〕
淺草五重の塔は
今より二百八十餘年以前に創設したるものにて、
是迄充分の修繕をも加へざるより、
今回北豐島郡蓮沼村の伊藤某外三名の溌起にて、
觀世音の世話
向島隅田村の龜岡甚造、
本所中ノ鄕竹町中川又兵衞、
本町一丁目水島三右衞門の三名が補助となり、
既に五六日前より足代を掛けたるが、
右修覆費は三千圓餘の見込にて、
今年十二月迄に落成の見積りなりといふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/160

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


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