[チャー坊遺稿集]

《Nッ!》柴田和志『チャー坊遺稿集』飛鳥新社 平成14年(2002)

《Nッ!》柴田和志『チャー坊遺稿集』飛鳥新社 平成14年(2002)

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

《Nッ!》 p102-103

それみたことかよ どぶねずみ チェチェチェチェ
ヘイヘイヘイ
助けてほしい どろだらけ チェチェ
Nッ! Nッ!

たすけておくれ おれの事
それみたことかよ どぶどぶねずみ
Nッ! Nッ!

どうしたら犬のくそ ぶたの穴
それみた それみたことか
それみたことかよ どぶどぶねずみ チェチェチェ

やめてやめてもえるから やめてほしいもえるから
やめてやめてほしい

Nッ! それみたことかよ どぶどぶねずみ

Nッ! Nッ! Nッ! Nッ! Nッ! Nッ! 
やめてほしい
やめてNッ! Nッ! やめてもえるから

Nッ! それみたことかよ それ見た どろだらけ
手の下 どろだらけ どぶねずみ それみたことか

*《Nッ!》
 《Aッ!》と対をなす詩
『チャー坊遺稿集』p102-103
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p102-103
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
印刷・製本 日経印刷株式会社
定価(本体3,500円+税)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年4月30日05:15:23
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]歌詞
〔村八分/ライブ(Bの二)〕
《んッ!》
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《Aッ!》柴田和志『チャー坊遺稿集』飛鳥新社 平成14年(2002)

《Aッ!》柴田和志『チャー坊遺稿集』飛鳥新社 平成14年(2002)

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

《Aッ!》 p128-129

おれの事わかるやつ いるけ
わかるやつ いるけ おれの事
耳をすまして よくききな
おれの事よく覚えな

おれはびっこ  びっこ者
体のじょうぶな びっこ者

たすけてくれといった所で
たすけてくれるけ おれの事
もういいさ おまえら
おれの事ふりむくな

おれはめくら めくら者
全ての見える めくら者

そうさ すべて おれのせいさ
わかっているよ おれの事
もういいさ おまえら
おれの事ふりむくな

おれはかたわ かたわ者
心のきれいな かたわ者

おれの事わかる奴いるけ
わかる奴いるけ おれの事
耳をすましてよくききな
おれの事よく覚えな

おれはかたわ かたわ者
心のきれいな かたわ者

*《Aッ!》
 友人が半身不随になり、
 これを境に
 「心のみにくいかたわ者」から
 「心のきれいなかたわ者」と表現をかえたという。
 「心のみにくいかたわ者」という
 逆説的表現から
 ストレートな表現に変化させたもの
『チャー坊遺稿集』p128-129
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p128-129
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年6月3日02:06:57
[村八分:あッ!]昭和46年(1971):昭和48年(1973)
《あッ!》
 チャー坊が幼年期に小児麻痺により
 斜視になったことが
 原体験となり書かれた詩。
 「村八分」の代表的ナンバー
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ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔3/3〕『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔3/3〕
『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

ついに実現した村八分のレコーディング〔3/3〕 p353-359
            平田国二郎
  「ニューミュージック・マガジン」七三年七月号

そこで思いついたのが、
これまた旧知の間柄である
浅沼勇氏のいるエレック・レコードだ。

 エレック・レコードは四年前に創立され、
当時、不毛と言われた日本のフォークを取り上げ、
いろいろ問題はあるにしてもそれを成功させてきた、
いわゆるマイナー・レーベルの会社である。
外国レーベルに頼らず、文字通りレコード製作で生きてきた。

浅沼氏は、吉田拓郎や、
NMM(編註・「ニューミュージック・マガジン」)には
あまり馴染みはないが
ケメや泉谷しげるを育ててきた
エレック・レコードの実力者である。

 浅沼氏は、この話にのった。
また、のれるだけの余裕がエレックに出来ていた。
七人の侍が、リュックにレコードを入れて、
各地のレコード店まわりをしたというのも、もう昔の話で、
すでに社員七〇人の会社に成長していた。
それにロック部門は皆無で、
タイミングが良かったと
『チャー坊遺稿集』p356-357平田国二郎-3
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p356-357平田国二郎-3

も云える。
それに、何よりも、昔、ギタリストであった
浅沼氏は村八分のサウンドに惚れた。

話は、トントン拍子で進んで行った、
といきたいとこであるが、
村八分側に変化があった。
それまで交渉の窓口であった木村さんと
メンバーの間がうまく行かなくなったのである。
ここらあたりの話は微妙で、
一説によると、それまで内包されていた、
ロックに対する姿勢の相違が顕在化して、
それが感情的なシコリにつながったと言われる。

 しかし、チャー坊に聞いても
「そんなことあらへんで」といい
ハッキリしたことはわからない。
とにかく、村八分はチャー坊をスポークスマンとして
独自に走り始めた。

 それにしても話はスムースに運んだとは言い難い。
浅沼氏の下で直接の担当者となった三浦ディレクターは言う。
「交渉途中、この話はヤメてしまおうと思ったことが四回もあった。
 彼等のよく言えば純粋な、
 商業ベースを無視した言い分には、
 ホトホト泣かされた。
 彼等の意識はどうあっても、
 村八分はまだ世に知られていない新人バンドなんですよ。
 態度は横柄だし……。
 ま、それでも交渉を続けて行ったのは、
 結局、ぼくも村八分の音に惚れたし、
 つき合っていくうちに、
 チャー坊なんかの人柄に好感を持って行ったからです」

 三月の下旬、交渉は成立した。
一、レコード製作はエレックが行うがその権利は村八分側が持つ。
一、契約は長期契約ではなく、今回のみである。
一、レコーディングはライブの形で行なう。

お金のことはどうなっているのか?
三浦氏は
「それはちょっと……。
 ただ今回の契約は新人バンドとしては破格の条件です。
 ひとつ言えることは、
 原盤使用料として利益の1/3を払います」

 しかし、ある情報通によると
「契約料というか、
 前渡し金として三〇〇万、それに、
 村八分が楽器購入のためにW楽器に借りている
 四〇〇万を肩がわりする。
 そのほか、何やかやで一千万近くの金が動くんじゃないですか」

 もし本当なら、本当に破格の条件である。
この点をチャー坊に問いただすと
「ウフフ、そんなとこかな。
 とにかく俺らは、この金で外国へ行くんや、
 アムステルダムへ」
「何でアムステルダムヘ?」
「なんでって、あそこは景色がええやろ」

 ライブ・レコーディングは五月五日、
京都大学西部講堂でフリー・コンサートの形で行なわれた。
三浦氏によると
「PA,照明、録音機材、スタッフ、
 今の時点で望めうることはすべてやった。
 おそらく全部で七〇〇万円はかかっているでしょう。」
ということになる。

 ぼくはそのコンサートに行けなかったし
テープもまだ聞いていないが、
当日そのコンサートで初めて村八分の音を聞いた
編集部の北中君の話によると
 影がうすくなる出来だった」そうだ。

レコードは六月二五日に二枚組で発売される。
その時、村八分はおそらくアムステルダムにいるだろう。
      (ひらた・くにじろう プロデューサー)
『チャー坊遺稿集』p358-359平田国二郎-4
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p358-359平田国二郎-4
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
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定価(本体3,500円+税)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月19日 11:00 
◆柴田和志 [村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説1/5
(昭和)48年5月5日 京都 京大西部講堂にて収録
村八分は、日本のロック黎明期に登場した
最もラディカルでヒップなグループだ。
日本古来の文化と斬新な創造力に溢れていた
当時の京都という風土が生んだ異端、
日本では成立しないとさえいわれていた
ドラッグカルチャーの落とし子である。
その激烈なオリジナリティーは、
日本語のロックの可能性を大きく広げ、
多くのアーティスト達に強い影響を与えている。
20年以上の時空を超越して今もなお燦然と脈打つ
妖しくも艶やかなロックンロール・サウンド。
このCDは、村八分がリリースした唯一の作品を
完全収録したものである。
(オリジナル盤/エレックレコード
No.ELW-3003 1973年6月25日発売)※昭和48年(1973)

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月19日 11:01 
◆柴田和志 [村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説2/5

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月19日 11:03
 ◆柴田和志 [村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説3/5

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月19日 11:05 
◆柴田和志 [村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説4/5
村八分『ライブ』プロデューサー
浅沼 勇 インタビュー①
――加藤さんは初めに東芝の石坂敬一さんに ※2:石坂敬一
村八分を紹介したという話もありますよね。
浅沼 レコード会社が手を出せなかったんですよ。
加藤君としては何処でもよかったわけで、
それで相談に来たんですよ。
で、ウチならやれるからやろうか
という話になっただけで。
僕自身もエレックやってましたけど、
フリーの部分が強かったから各社と仕事をしてたわけです。
だから石坂の所でもいいし、
三浦(光紀)君のところでもよかった。 ※3:三浦光紀
しかし何処って問題じゃなかった。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年11月19日 11:06
 ◆柴田和志 [村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説
[村八分ライブ:完全盤CD2枚組]解説5/5
村八分『ライブ』プロデューサー
浅沼 勇 インタビュー②
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ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔2/3〕『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔2/3〕
『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

ついに実現した村八分のレコーディング〔2/3〕 p353-359
            平田国二郎
  「ニューミュージック・マガジン」七三年七月号

親しい間柄の加藤和彦君から村八分の話が持ち込まれた。
加藤君は、京都時代からマネージャーの木村さんや、
チャー坊とは旧知の関係である。
彼も、村八分に惚れていた。
友人として、何とか彼等に陽の目を見させてやり、
そのサウンドを紹介したいと。

 Iディレクターも村八分の噂は、あれこれ聞いてはいたが、
一度もサウンドには接していなかった。
話を聞くうちに、だんだん彼の心の中で、
レコード制作の夢がふくらんでいった。

十一月十一日に京都で村八分が久し振りにコンサートを開くという。
人の話だけでなくて、自分の耳で、自分の目で確かめたい――
そんなところだろう。
コンサートを聞いた。
期待通りの素晴らしいバンドだ。
「アンファン・テリブル」
というイメージが彼の心の中で広がっていく。
これは、今までに、日本にはなかったバンドだ。
彼は積極的に行動を開始した。
村八分側と何度か話し合いがもたれる。
交渉の途中、彼等がロンドンへ行きたがっていることを聞いた。
よし、いっそやるなら、
ロンドンでレコーディングしようじゃないか。
そして、レーベルも向うのレーベルで、さしづめ、
ハーヴェストかパープルか、これなら話は簡単だ。
プランは練られた。

 しかし、一か月後、この話は暗礁にのりあげてしまうのだ。
彼の熱意にもかかわらず。
なぜなのか。
今度、このレポートを書くにあたって、
当のIディレクターに直接、取材してみたが、
口を濁して明解な答えが得られない。
方々で聞いてみた。

察するに、組織の壁ということであろう。
Iディレクターは前にも触れたように洋楽担当である。
その彼が日本のバンドを手がけるのは、
おかしいのではないか。
もし、それをやるのなら、
彼は邦楽担当のディレクターであるべきだ。
邦楽のセクションに移るべきだ。

彼にとってみれば、洋楽と邦楽では、
話の進め方、センスがまるで違う。
それに邦楽でやるとすれば向うのレーベルは使えなくなる。
計画のやり直しだ。
Iディレクターの仕事は村八分の仕事にタッチしながらも、
依然として洋楽のプロモーションの仕事は残っている。

 また、これまでの実績から考えて
東芝の売上げの七割弱を占める洋楽部門から、
そう簡単に会社としてもはずす訳にいかない。
そして上もそんな有能な人材を、
そうたやすく手離さないというのが人情だろう。

大企業の組織というものは大体そんなものなのだ。
社外的な仕事が三だとすれば、
社内の仕事が七くらいのウエイトと考えていい。
まず、何よりも協調が要求される。
官僚など、その最たるものだ。

日本のレコード会社の上層部は、
ほとんどが営業・総務関係の出身者で占められている。
体質的には、全く一般の大企業のそれとは変わらないのだ。
そこで横紙破りをするとすれば、
相当な根まわしとキャリアと、実力がなければならない。

 そう、今まで割とIディレクターに好意的に書いてきたが、
チャー坊との取材中、彼がひとことポツンとつぶやいた。
「結局、Iが力がなかったんや」と。
酷なようだけど、それは一面の真実だ。
無理が通れば道理がひっこむということも、難しいが、
やり方はあることはあるのだ。

 話は振り出しにもどった。
東芝への橋わたしをした加藤君は、
話がポシャッたとこで、
責任を感じると同時に、
まだ、何とかして村八分を世に出したい
という気持は捨てられなかった。

東芝との交渉過程を横で見るにつけ
彼等をとり上げるには、
メジャーのレコード会社では駄目だということだ。
それに、人はいっぱいいても
Iディレクターに匹敵する人材は、
そう転がっていない。

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ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔1/3〕『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔1/3〕
『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

ついに実現した村八分のレコーディング〔1/3〕 p353-359
            平田国二郎
  「ニューミュージック・マガジン」七三年七月号

 三月の終り頃だったか、
“赤い封筒”という東京の企画者集団から
イベント欄への告知掲載申し込みの電話が入った。

五月一二日、日比谷野外音楽堂で
「ロックン・ロール・タイトル・マッチ、村八分VSキャロル」
をやります。
ヘー、こりゃ、おもしろい、あの腰の重い、
お高い村八分がよく
キャロル相手に東京へ出てくる気になったなと思いつつ
色々話をしていくうちに、
「ヒョッとすると、その時、
 村八分のライブ・レコーディングをするかも知れません」
と相手が電話口でささやいた。

そうか、とうとう村八分のレコードの話も
その段階まで進んできたのかと一種、
感慨無量な気持になった。
が、フッと疑問が湧いた。
待てよ、確か村八分のレコーディングは
ロンドンで行われる予定ではなかったのかと。
でも、その時は、あまり気にとめずそのまま電話を置いた。

 それから二週間ほどたって、
五月号(編註・「ニューミュージック・マガジン」のこと。
    現「ミュージック・マガジン」)
も校了となりホッとしているところに、
また同じ人から電話がかかってきた。

「五月一二日のコンサートは中止になりました」。
バカな! もう五月号は印刷にまわっているではないの、
どうやって訂正記事を載すことができんのや、
マガジン(同前)のイベント欄を見て、
何も知らないで日比谷へ行った人にはどうやってあやまんのや。

そうか、また村八分の連中がゴネよってコンサートを
つぶしてしまったんじゃないやろかと、
いい加減ムカムカしそうになった時、
相手が
「イヤ、断ってきたのはキャロルの方なんです。
 何か色々とあるらしくて……」
そして
「すみません、すみません」を繰り返す。
ちょっと意外な感じを受けた。

フーン、そういうこともあるもんかと思いつつ、
「そうすると村八分のレコーディングも中止になったの?」
と聞くと
「ええ、でも村八分の方もライブ・レコーディングをするのに
 最適な雰囲気の場所を選びたいということで、
 これとは別にエレックと色々相談をしているそ
『チャー坊遺稿集』p353平田国二郎-1
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p353平田国二郎-1

 うです」

 エッ、エレック・レコードで?
確か去年の暮の話では東芝から出すという話だったはずだのに
どうなってんのかなと混乱した。

 村八分というバンドは、
日本のロックに少しでも関心を持っている人なら、
一度か二度は耳にしたことがあるはずだ。
曰く、コンサート途中、
突然アンプをひっくり返して帰って行ったとか。
マガジン(同前)でも
七二年一月号の「インタヴュー」欄でとりあげたし、
今年の二月号でバンドのギタリスト、山口冨士夫君を
鋤田正義さんとのフォト・セッション(?)という形で紹介した。

 四年前に京都で結成されたバンドなんだが、
なにしろコンサートに出る回数が少ないし、
出ても途中で気に入らないことがあると前述したように
プイと帰ってしまう。
東京へも年一回、
三田祭のコンサートに出るのに上京する位で、
地元の京都の人以外で、その音に接した人はそんなに多くない。

また、逆に言うと、そういった彼等の行動が
バンドの周囲にアンダー・グランド的な雰囲気をかもし出し、
神秘的で一部に熱狂的なファンを作ったのかもしれない。

去年の暮、三田祭のステージでの彼等を見て
「アリャ、グラム・ロックか」
と言った人がいたが、
化粧なんかも、T・レックスなどが喧伝される
ズッと前からごく普通にやっていた。

 もちろん音の方も、
チャー坊のわざと言葉を不明瞭にシャウトするような
ボーカルは固有の風土を持っているし、
冨士夫君のギターは実によくリズムが切れて、
サウンド全体は、こういった表現の仕方はイヤなんだけど、
ストーンズ風……な感じなのである。

で、初めて彼等のコンサートを聞いた人は
「へー、日本にもこんなすごいバンドがあったのか」
と一様にビックリし、
それが口コミとなって方々に伝わるのだが、
しょせん音を聞いてない人々にとっては、
噂のバンド、幻のバンドの域をこえないというのが
これまでの村八分の現状なのである。

 そんな彼等に去年の秋、レコーディング話が、
東芝音工から持ち込まれた。
それまでにもレコードの話はないことはなかったのだけれど、
村八分自体が、内心は別にして、
その時期ではないと興味を示さなかったし、
また交渉以前の段階で、彼等の言動を聞いて、
話を持ち込もうとした側が体よく引き下がった。
というよりもそれ位の熱意しか持ち合わせていなかった
といった方が当っているだろう。

でも、今度の話は今までのとは違っていた。
東芝の洋楽担当のIディレクターが、
彼等のサウンドに惚れていたし、
どうしても自分の手でやりたいと熱意をみなぎらせていた。

また彼は村八分の当時の対外的マネージャーだった
木村英輝さんとも懇意な仲であった。
村八分の連中も、あせりはなかっただろうが、
もう若くはないよということに徐徐に気づき始めていたし、
いろんな問題があるにしても、
この話はまとまるんじゃないかと、
当時、冨士夫君の取材で京都へ行ったぼくも感じた。

 そう、このレポートの冒頭で「エレックで」と聞いた時、
ぼくが混乱したのは、東芝で話が進んでいるとばかり
思い込んでいたからである。
順を追って行ってみよう。

 東芝音工のIディレクターは、去年の十一月十日、
オーバーに言えば期待に胸を躍らせて京都へ飛んだ。
ここでレエコード会社の洋楽担当ディレクター
という職責を説明しておくと、
日本のレコード会社が契約している
外国のレコード会社から送られてくる原盤の
日本市場でのプロモーションが主なる仕事である。

ディレクターとは聞こえがいいが、
原盤は、はるか海の彼方で作られ、
実際の音づくりにはタッチしようにもできず、
それの日本での販売促進役、
言ってみればチンドン屋であると言えば言い過ぎか。
もちろん、それでさえも大変な仕事である。

でも、彼等の夢は、やはり、自分が納得のいく素材を、
自分の手でレコード制作をしたいということであろう。
それが、文字通りのディレクターの仕事である。

 Iディレクターは洋楽担当として、
かなりの実績を上げていた。
が、現状にあきたりず、
自分の手でレコード制作をやってみたいという
夢を持っていたと考えてもおかしくない。
いくら洋盤のプロモーションに成功しても
「何だ、たかが輸入屋じゃないか」という声が聞こえる。

 しかし、自分が惚れこめる素材というものは、
日本では、そうザラには転がってはいない。
ちょうど、そんな心境と考えられる時に前々から
『チャー坊遺稿集』p354-355平田国二郎-2
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p354-355平田国二郎-2

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[影絵(悲しみの星)]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

[影絵(悲しみの星)]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

[影絵(悲しみの星)] p168-169

黄色い家 黄色い家 黄色くぬられたある画家の家
ある裸婦のモデルの悲しみはどこからもなくくる
素朴な理性
涙さそう深いなげき 娼婦の様な苦しみのライン

修道女の祈りか 幽霊の舞踏会
枯葉に祈りを 我が祈りを

ある雨の夜 十字架の墓地に魔法をかけた
理性の魔術師に
拍手 カッサイ ガンバレー

霊場だけが 幽霊の舞踏会
我が祈りを 墓場に祈りを

黄色い家 黄色い家 悲しみの星 悲しみの星
炎の影は悲しみの形 太陽だけが悲しみの星
黄色い影が 赤い影が 影絵 炎の影絵

修道女の踊りか 幽霊の舞踏会
我が祈りを 影絵に祈りを

影絵 炎の影絵 太陽だけが悲しみの星
影絵 影絵

 ※影絵(悲しみの星)
  ゴッホにインスパイアされ書かれた詩。
  この詩につける曲をロックンロールと想定し書かれたが、
  曲として実現することは無かった。
『チャー坊遺稿集』p168-169影絵(悲しみの星)
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p168-169影絵(悲しみの星)
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
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[悲しみの星]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

[悲しみの星]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

[悲しみの星] p166-167

黄色い家 黄色い家 黄色くぬられたある画家の家
ある裸婦のモデルの悲しみはどこからもなくくる
裸足の理性
涙さそう深いなげき 娼婦の様な苦しみのライン
修道女の祈りか 幽霊の舞踏会
枯葉に祈りを 我が祈りを

ある雨の夜 十字架の墓地に魔法をかけた
理性の魔術師に
拍手 カッサイ ガンバレー 墓場の悲しみ
墓場の魔法
霊場だけが 幽霊の舞踏会

 ※悲しみ(前頁参照)
 ※悲しみの星
  チャー坊が愛したゴッホの「黄色い家」に
  インスパイアされ書かれた詩、
  ゴッホには強い関心を持ち造詣が深かった。
  また、「ゴッホの手紙」を愛読していた。
『チャー坊遺稿集』p166-167悲しみの星
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p166-167悲しみの星
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
印刷・製本 日経印刷株式会社
定価(本体3,500円+税)
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[悲しみ]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

[悲しみ]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

[悲しみ] p164-165

ある裸婦のモデルの女の悲しみ
売春婦だった裸婦のモデル
女の悲しみ それは非常に残酷なもの
男の悲しみ それは非常に純粋なもの

待ってるぜ オレの悲しみ ワカる時まで

ある女の悲しみは愛してほしい切ない愛情
心でつきあう女の感情
女の裸婦のデッサンがある
また悲しみが涙をさそう
待ってるぜ オレの悲しみが分かる時まで

悲しみはどこからもなくやって来て
深いナゲキに涙をさそう

孤独だった 死だけが全てだ
今 幸福かい どうしてるんだい
天使が来てるぜ つばさをひろげて
悲しみは次から次にやってきて
人の死をさびしく思う
そして理性がやって来て チンモクするがまた悲しみが
そして彼は個性的だ 狂った絵を書いている
天使が来てるぜ つばさをひろげて
『チャー坊遺稿集』p164-165悲しみ
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p164-165悲しみ
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
印刷・製本 日経印刷株式会社
定価(本体3,500円+税)
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[祈り]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

[祈り]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

[祈り] p162-163

ジュージュージュージュージュージュージュージュー
銀色の涙を流す老母よ 元気を出すんだ
銀色の涙を流す老人よ 海は近い 元気を出すんだ
少年は泣いて待っているよ 生をまっとうするんだ
神を信じるんだ どこまで行っても
枯葉がまっている 冬がおとずれようとしている
今 いのりをささげるんだ
ジュージュージュージュージュージュージュージュー
愛情 情熱 純情 純心 友情 感情 情想
慕情 恋情 哀情 無情

花が咲き冬が過ぎ春がやって来た
今 いのりをささげるんだ

花 風 蝶 鳥 光 夢 歌 星
百合 薔薇 絵 春 美徴
悦び 幸福 素朴 友の死 永遠 祈り
友の死 永遠 祈りをささげる
『チャー坊遺稿集』p162-163祈り
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p162-163祈り
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
印刷・製本 日経印刷株式会社
定価(本体3,500円+税)
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[(無題)かみの長い少女]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

[(無題)かみの長い少女]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志

『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
 平成14年(2002)12月18日 初版発行

 『チャー坊遺稿集』中表紙
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙

[(無題)かみの長い少女] p160-161

海は近い もうすぐ海だ
かみの長い少女が老母を待っている
そろそろ老人もね

朝日だってみられるよう 老人も老母もおまちかねだ
おじいさん おばあさん しってるかい
悲しい少女のいることを
ひとりで海を見て泣いているよ
少年は力をつけさそうと
おばあさんたちをよんだんだよ

君の瞳の中にゆうれいを見た
ゆうれいは君を見守っているにちがいない
君の瞳に涙をみた

枯葉の中を老母はあるく 何を考えているのだろうか
あのエッフェル塔は少しまがっていること
もうすでに考えたかな

悲しい目の少女
そばには老母老人 いっしょにいるんだ

銀色の涙を流すおばあさん(老母よ)
いつかきっと真珠の涙にしておくれ
老人にバラを送るんだ
『チャー坊遺稿集』p160-161(無題)かみの長い少女
〔画像〕『チャー坊遺稿集』p160-161(無題)かみの長い少女
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『チャー坊遺稿集』『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
    東京都千代田区神田神保町3-10
    神田第3アメレックスビル
    電話 (営業)03-3263-7770
       (編集)03-3263-7773
    〒101-0051
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定価(本体3,500円+税)
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